ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

夢占い

2013-06-03 09:03:00 | オーラソーマ

昨晩、とても恐い夢を見てしまいました。

人の気配のしない閉店後のどでかいスーパーマーケットで誰だか知らない女の人につけ狙われて追い掛け回され、しまいには車で轢かれそうになるという夢です。

猛スピードで突っ込んでくる車に轢かれそうになり、(あ、もうダメだ・・ これは轢かれるわ。)と思った瞬間、ぎりぎりのところで車は私を轢くことができずすぐ横を走り去りました。

そのとき私は夢のなかで、(あ、そうだった。夢のなかだもん。私は絶対に死ぬことはない、大丈夫。)と確信しました。

これまでもそうですが、私は夢のなかでは必ずすんでのところで助かり、死ぬことになるという結末はありませんし、傷つけられたことさえないと思います。

するとその瞬間、これは夢だった、という事に気付きそれからは傍観者としての私が主人公の私が演じているところを見ている、という感じになるんです。

もう気持ち的にも余裕が生まれ、「もっと続きがみた~い。」なんて楽しむゆとりまで生まれます。

こういうのも明晰夢って言うんでしょうかねぇ。

しかし、リアルなのはとってもリアルなんですよ。

とても映画を観ているように「しょせんはスクリーンの中での出来事」と割りきれるような感覚でもないんです。


さすがに目が覚めてからも「恐い夢だったなぁ。」と“追いかけられる夢”と“車に轢かれそうになる夢”って何を暗示しているんだろう?ということが気になりネットで調べてみました。

すると“追いかけられる夢”は、「精神的に追い詰められていたり、精神的に不安定なときに見ることが多い。」とありました。

解析っていうほどのことはなく、そのまんまやん。

でも、私は今現実に精神的に追い詰められている、という自覚はないんだけどなぁ。

反面、良い意味も書かれていて、「期待や願望を映し出している。」とありました。

追われて逃げ切れる場合は、新しい環境の変化が待ち受けていることを表しているんだそうです。

その変化を前向きに受け取ることで幸福がつかみとれる、という暗示を表しているんだとか。

あ、こっちの方が当たっている気がすると思いました。

直感ですけれど。


そして「車に轢かれそうになる夢」は、良い読み取りは全くありませんでした。

「生活の中で何かしら罪悪感や後ろめたい気持ちがあるようです。怠っていることや偽っていることなどがあるのかもしれません。生活態度の見直しが必要です。また、アクシデントなど不運の前触れの場合も考えられます。軽率な行動はつつしみ気を引き締めたほうがいいでしょう。」とありました。

罪悪感?

後ろめたい気持ち?

特に思い当たらないなぁ・・  なんだろ。

怠っていることや偽っていること? 

これも思い当たりませんが・・

アクシデントなど不運の前触れにいたっては、それを気をつけろ、気を引き締めろ、と言われてもとむしろ怒りさえ感じました。


そこでふと気付きました。

最近、占いに出かけていったら思いも寄らぬひどいことを言われてしまった、と憤慨し落ち込んでいる人のことをです。

私たちは占いで自分にとって「都合のよいこと」や「良きメッセージ」を聞くとほくほくとし、「都合の悪いこと」や「悪いメッセージ」を聞くと気分が悪くなり、「この人の言うことは当たっていない!」と思うのは、まぁそりゃ人間としてしょうがないでしょ、当たり前でしょと思っていました。

誰だって良いことはすぐに素直に聞けるけれど、悪いことには簡単には耳を貸せないもの、と。


けれど、昨晩見た夢の解析をネットで読んでいて、100歩譲って自分に都合の良いことしか耳に入れたくないから、という本能のようなものを横に置いておくにしても、ほんっとうに私には「罪悪感」たら「偽っていること」などにはピンとくる心当たりが何もないんですよね。

それは私の中にそれにピンと来て受け取るだけの準備がまだ出来ていない、ということなのかもしれないけれど・・

私が思ったのは、「人はいつだって自分のなかにポジティブな可能性を見ているんだなぁ。」ということ。

オーラソーマのボトルを選ぶとき、誰の手を借りるでもない、自分の意思で選びます。

“選ぶことが出来る”ということ自体がそもそも、“前に進む準備が出来ている”ということの表れです。

だから私たちは色からのメッセージを聞いて、思いもよらぬ自分の内に光を見て勇気付けられるんですよね。

「私たちは自分が信じたいものを信じればいいんだ。」と私は時々ブログに書きますが、これはその人の意志の表れということだけではなくて、そもそもが私たちは、自らの潜在意識にポジティブなものを一杯持っているということの表れでもあるということではないでしょうか。

だから、占いなどで良いメッセージを言われるとピンとくる気がして、ネガティブなことを言われるとピンとこないのでは、と思いました。
だから占いで良いことだけに耳を貸せばいいんだよ、というのはあながち得手勝手な話でもなく、実に理にかなった話かもしれないわけです。

潜在意識が全体意識の9割を占めている以上、「自分らしく」あるためには、それは潜在意識をもっと表層意識として表に出して生きることにほかなりません。

私たちはもっとも~っとポジティブなものだけに耳を傾けて生きていけばいいだけのことかもしれませんよ。

ちなみに私は「もうすぐ私には新しい変化の環境が待ち受けていて、それを私はポジティブに受け取る用意があり、そうすると幸福が訪れるはず」とだけ受け取ることにしました。(笑)





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