木曜日から予選ラウンドが行われている「男子ゴルフ 日本ツアー選手権」。
初日は、ルーキー松山くんと石川遼くんが同組で回るということで評判になりましたが、初日の結果は松山くんが2位、遼くんがなんと最下位という明暗を分けた結果となりました。
2日目こそ遼くんは猛チャージしましたが、惜しくも1歩およばず予選敗退が決定しました。
このとき私は同じくゴルフをやる友人とこんな話をしました。
私が、
「遼くんってどうして成績落ち始めたんだっけ? このまま終わっちゃう選手じゃないと思うけど、どうも全く浮上してこないねぇ。長いねぇ、スランプ。」と言うと、友人が、
「確か米ツアーに参戦することにしてからスイング改造しておかしくなったんじゃなかったっけ。」と言いました。
「どうして米ツアーに行くとなるとスイング改造しなきゃいけないわけよ?」
「もっと飛ばしたくなったらしいよ。やっぱり米ツアーの選手たちはみんな飛ばすから不利だと思ったんでしょう。」
「ふぅ~ん。残念だねぇ。せっかく初めて全英に出場したときワトソンと同組になって、ワトソンから『君は何も変える必要はない。いまのままやりなさい。』って言われたのにねぇ。自分を信頼できなかったんだね。」
こう話しながらも、私はなぜか、遼くんが自分を信頼することによってスイング改造を行わずにゴルフ人生を続けるのも、スイング改造をしてスランプに陥りながらも最終的に彼が納得のいくスイングに落ち着いて取り組むのも、最後行き着くところは同じなのだ、という気がしました。
それは彼が“意図するところ”を知っている人間だからだ、と思います。
オーラソーマの製品には、「love&intention」と記されています。
イクイリブリアムボトルなぞは「with love&intention」という部分は太字になって強調されているくらいです。
これは「愛と意図をこめて」この製品はつくられています、ということです。
英語圏のことがよくわからない私は、ずっと単純に日本語に直訳したまま「intention」を「意図」とだけ受け取ってきました。
「意図」って日本語でもわかりにくい言葉ですよね。
「君の意図するところは何なんだい?」とか、「この製品開発の意図するところは・・」とかいうように使います。
使いますが・・
では、「意図」と「意識的」というのがどのように違うのか?と言われたら、はたと思考停止してしまいます。
私はずっと「意図」を「意識的」と同義語として受け取ってきたのでした。
だからオーラソーマの製品に書いてある「love&intention」も「と~っても細心の注意を払いながら、このエネルギーがこれを手に取る人に働きかけるように、って愛をこめて作られているからね。」っていうように受けとめてきました。
それも間違っちゃいないんでしょーが・・・
この前私はたまたまアメリカ人が書いた翻訳本を読んでいたら(オーラソーマとは何の関係もない本です。)、「インテンションとは~」というフレーズが出てきて、ほほぅと立ち止まったのです。
そこにはこう書いてありました。
『インテンション(意図)とは、意識的であれ無意識であれ、何を創造するか選択することです。』
あれ? 「意識的であれ無意識であれ、」ってことは、やっぱり「意図」は「意識的」とは違うんだ、ってことに改めて気付いたのです。
世の中では100%自分が自らの人生を創造しているとは思っていない人が多いのではないでしょうか?
自分はそのつもりで歩んでいても、どうしようもない政治的な動きとか社会の環境とか自然災害とかいろんなことによって、時には自分自身を周りの環境や状況の被害者として考えることさえあります。
しかし、そこには、「成功者はそうではありません。」と書いてありました。
『成功者は自分が意識を向けているものから現実が創られることを知っていて、自分が望む現実を意図的に創り出しています。』と。
つまり、この考え方でいけば、
「結果は、常に自分の本当のインテンション(意図)と一致する。」ということなのです。
一見、「自分は本当に心から望んだ。けれども結果は自分の思ったとおりにはならなかった。」という人は、自分の内面の深いところで起こっている“意図”をより深く見つめるべきなのです。
ここには例としてこんなことが書かれていました。
例えば夢を抱いて起業し、初年度売上はいくらいくら、最終利益はいくら、と目標もちゃんと設定したのに、借金が残ってしまった。
どうしてこうなってしまったのか・・・
それを分析した結果、わかったことがありました。
この会社は2人の友人がお互いをビジネスパートナーとして共同経営で会社を立ち上げたのですが、お互いがお互いとも途中で「何か違うことにも取り組んでみるべきなのでは?」という思いを抱えながら、「いやいや、パートナーはそれを望んでいなさそうだ。そもそもこの分野で彼は専門家なのだから彼の言うとおりにしたほうがよさそうだ。」とよく話し合うこともなく、相手を立てているつもりで最終的にお互いが落胆する結果となってしまっていた、ということだったのです。
これはお互いの“意図”を友情とか思いやりと履き違えた思いのために見間違えた例です。
具体的な数字までを目標として掲げながら、意図を「相手のビジネスパートナーを立てること」にしてしまっていたんですから。
もう1つ例をあげます。
「タイタニック」では船が沈んで、ローズだけが生き残り、ジャックは力尽きて死んでしまいました。
このときお互いの“意図”はふたりともが生き残り、幸せになることだったに違いない。
だから、やはり“意図”はそのとおりの結果にならないこともあるのでは・・?と一見思えますね。
けれども映画「タイタニック」でディカプリオが至福の表情をたたえて手を離したときのことを覚えていますか?
彼は自分が助からないということに絶望的になっていたのでしょうか?
いいえ、ローズが生き残るということの幸せ、彼女との永遠の愛やつながりを感じていたに違いありません。
だから海の底に抱かれていく瞬間、悲壮感も恐怖も感じなかったことでしょう。
「生きるか」「死ぬか」ということを超越した“意図”がジャックにはあり、肉体の生存を超えた質の高い人生をその瞬間彼は楽しんだのです。
こう考えたとき、私はオーラソーマの「with love&intention」という言葉の重みにちょっと触れたような気がしました。
あれは、「気つかって作ってますからね。」というレベルの話ではなく、「このハーブや色やクリスタルたちが意識的にあなたに働きかけますからね。」ということさえ超越して、「このプロダクツは、最終的にあなたがどういう意図した人生を送りたいか、というところにちゃんとフォーカスしますよ。」という宣言みたいなものなんですね。
以前、「このボトルに入っているハーブたちは、摘まれるときから、どこの誰のために働くかをちゃんと知っていると言われています。」と聞いたことがあります。
そのとき「まぁ、ステキ!」と思う反面、「そう信じたいけど、んなわけありまっかいな。ハーブがそんなこと知ってるわけないっしょー?」という疑心暗鬼な気持ちもありました。
けれど、ハーブにも“意図”があるなら・・・ あるいはハーブを育てた人たちにその“意図”があるなら、確かにそうなるでしょう、と今の私なら信じることができます。
だから、急に冒頭の話に戻りますけれど石川遼くんがスイング改造をつらぬこうが、途中でやめて元のスイングに戻そうが、何をしても彼が最終的に意図するものが「飛ばしたい」ではなく、「米ツアー優勝」にあるならば、彼はそこへ行くでしょう、だから結局同じことなんだ、と感じたんだな、と思いました。
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