ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

恵那の帰りに

2011-01-31 09:17:00 | 身辺雑事

さて、ダーリンの署名運動のお手伝いをしたあと、私たちはまだ時間も早いので、どこか温泉に寄って帰ろう、と言っていました。

私はあらかじめ調べて土岐の「SOGI」に行きたいなと思っていました。

曾木公園の場所に1昨年前くらいにできた新しい温泉施設です。

いくつも湯船がありそうだったし、何より新しいところはきれいで良い。


ダーリンはそのときには「じゃ、そうしようか。」と言っていたくせに、いざ民商の人たちと別れを告げるときになったら、民商の人に、

「ここらあたりの近くで、どこかいい温泉ないですかねぇ。」と聞いている。

私は一生懸命目配せと横腹をつつくのとで、(いいってば! 余計なことを聞くな)光線を送っていました。

だって、聞いてしまえばその方が教えてくれたところに行かざるを得ない雰囲気になるじゃあありませんかぁ。

ひょっとして親切に「じゃ、ご案内しましょうか。」なんて言われたらもうどうしよう、と思っていました。

結局、いくつか教えてくださいましたが、「絶対にそこへ行くんだよね?」的な感じもなく、私たちは解放されました。

早い話が東濃の山の方なので、温泉はいくつもあるみたいです。

車は中津川に止めてありましたので、そこからとりあえず民商の方が教えてくださった「賎母」という道の駅に行ってみよう、と走り出しました。

そこで適当にお土産を買って、いざ車に戻ろうとすると横長のその道の駅の一番先っちょに「東山魁夷 心の旅路美術館」というのがあるのが見えました。

「せっかくだから見ていこうか。」と絵心なんてないダーリンから珍しく提案。

「そうしようか。」と中に入りました。


私はこの日本の大家の作品について、それほど知りませんでした。

「なんだか、和風って感じの構成で、ほら、日本酒のコマーシャルに使われるような、やたら白馬が出てくる絵を描く人でしょ。」って感じでした。

しかし、美術館を拝見すると、その認識が大きく間違っていることに気づきました。

もちろん、白馬はよく登場しますが、構図といい、色使いといい、眼の付け所といい当時としてはかなり斬新な、今見てもとてもモダンな作品が多いのだな、というのが実感です。

どれもこれもちょっとパステルアートで真似してみたいようなものばかりでした。

東山魁夷画伯にかなり傾倒いたしましたわたくしは、出たところで売っていたポストカードを数枚購入しました。(画集はちょっと高くて手が出ませんでした・・)

それがこちら。

Photo これは、「夏山白雲」というタイトル。緑が濃くて生き生きとしていて、いかにも夏の山だ、という感じが良く出ています。そしてその合間合間にたなびく雲。雄大でいいなぁ。

Photo_2 これは、「静唱」。タイトルどおり、早春の朝早くに起きるとまだ霧でもやっている湖のほとり、という静謐な感じがいかにも色合いによく出ており、じっと見ているとしん、とした気持ちになります。

Photo_3 こちらは、「若葉の季節」。

ほぅら! 奥の方に白馬がいるぅ! 東山魁夷の真骨頂ともなったこの白馬はあまりにも彼の象徴のようで、登場しなくてもいいじゃん、というところにもやたらと登場しているので、私はあまり好きではないのですが、この大木の根っこあたりの生命力にやられた~って感じで、見ているだけでもパワーをもらえそうな気がして、つい買ってしまいました。

Photo_4 最後に、これ。「木枯らし舞う」。

すんごいモダンでしょー。風を描いていないのに、まさに落ち葉が舞っているスピード感が木枯らしだなぁ、というのがよく表現されています。

何に使おうかな~と考えるのもまた楽しみ。

さて、満足してそこから車を出そうとすると、ダーリンが「『近隣 温泉』でナビに検索かけてみようか。」と言います。

よほど彼は「SOGI」には行きたくないらしい。

「だって・・ 混んでいそうじゃん。エッコちゃんは、きれいなところが好きだねぇ。」と言います。

「当たり前じゃん! 汚い温泉が好きな人ってどこにいるのよ。」

「そういうわけじゃないけど。俺はもう少しひなびた感とかがあったほうがいいんだよな。」とぶつぶつ言っています。

検索をかけてみると「昼神温泉」が出てきました。

「あ、昼神は昔、何回か行ったことがある。あそこの温泉はトロッとしていて、本当にいい温泉だよねぇ。」と言うと、

「よし、昼神まで行こうか。」ということになりました。

昼神までは中津川から約20キロ。時間にすれば30分程度です。それくらいなら行ってもいいか。

といって走り出すとすぐに妻籠~馬込があらわれました。

「あぁ、そうかぁ。中津川から近いんだね~」と見ていると、結構な方々がぞろぞろと歩いています。

昔と変わらず妻籠~馬込のコースというのは、この宿場間を歩いてぶらぶらする、というハイキング的なコースが観光の目玉そのものなんだね。古い町並みを見ながら歩くしかないわけだ。

しかし、昔ながらの宿場町の風情を残したここ妻籠~馬込間が日曜日だと原宿通り、とまでは言いすぎかもしれないけれどこんなに人がいたんじゃあ、風情も何もないと思うんだけどねぇ。

そんな様子を横目でみながら、車を少し走らせると「南木曾温泉」という案内板が現れたではありませんか。

「これはどういうところだろう? 日帰り入浴はあるのかな。」と言うと、

「寄るだけ寄ってみようか。どっちみち通り道だし。」とダーリン。

見ると、とても立派な建物に「日帰り入浴OK」とでかでかと記されているではありませんか。

建物の前まで行ってみましたが、駐車場は満杯に近く詰まっている。

「こんなに混んでいるところならなかなかいいんじゃないの?」と言って、結局そこに立ち寄ることにしました。

入り口には自販機がありました。

見ると大人1人 700円なり。

買おう、とすると番台(っていうか? いまどき)の人がやってきて、「JAFカードかうちのなんとかカード、お持ちですか?」と尋ねられました。

なんとかカードは初めてなので持っているわけはないけれど、

「あ、ちょっと待って。わたし、JAFカードなら確かいつもお財布に入れていたはず。」と探すとやはり出てきました。

すると、「500円になります。」とのこと。

ラッキー!

なんか、すごく得した気分。だって、ふたりで400円お値打ちになったんですもんね。これは大きいよ。

Photo_5 これが私が最近購入したお風呂セット一式が入る温泉バッグ。

とっても便利なんですよぉ。

シャンプーやリンスはもちろんのこと、お化粧品などを入れらPhoto_7 れる小さなポケットや中でカタカタと倒れたりするのが心配なものについてはゴムバンドで抑えるように止めることができる。

半分から下はネットになっていて、濡れたままでも、水切りができるような仕掛けになっています。

Photo_8 そして、小さな巾着型のナイロンバッグと大きめのショッピングバッグのようなナイロンバッグの2つがついていて、小さめのほうには着替えを、大きめのほうにはバスタオルと温泉バッグをそのものを入れられるので、全部このなかに納めてしまえPhoto_9 ば1つになっちゃいます。

へへ、最近日帰り温泉やスーパー銭湯に行く機会が多くなって、時々こう言うものを持っている人を見て、(あれ、便利そうだなぁ。いいなぁ。)と思っていたのでした。

どこで売ってるんだろう?と思っていましたが、私は偶然「LOFT」で見つけました。1500円くらいです。

さて、南木曾温泉、ヒットでしたぁ~!

泉質は昼神ととても似ていて、トロッとしています。

浴室に入る扉には「すべりやすい泉質ですのでご注意ください。」と書いてあるくらいでした。(そして、実際私はすべりそうになりました。真っ裸のまま救急車を呼ばれることだけは何としても避けたいので、よかったわ。)

内風呂も、外の露天風呂も広くて、清潔で大満足でした。

温泉に入るといつまでも体がぽかぽかしていて、眠くなってしまうんですけど、この日も私は帰りの車に乗り込むやいなや眠ってしまったようで、起きたら家のすぐそばでした。

なんだか空間移動したみたいなすごく得した気分・・

それだけさんざん車の中で眠ったのに、その日は夜も早々に床につきたくてまたまたぐっすりと眠ったのでした。

温泉効果ですね。毎日はいってたら、寝てばっかりになりそう・・




オーラソーマヒーリングサロン「些々羅」では、メールにてコンサルテーションのご予約を受け付けております。営業受付時間は月~土(AM10:00~PM18:00)です。

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署名運動

2011-01-30 09:24:00 | 身辺雑事

先週の日曜日、ダーリンにつきあって恵那まで行きました。

ダーリンがやっている民主商工会の活動のお手伝いです。

・・・というのは名ばかりで、その用事はお昼には終わるので、それからふたりでどこか温泉にでも立ち寄ってこようよ、と言うのがもくろみでした。


なので、私にとってはお手伝いの中身は何でも良かったわけで・・、事前に尋ねもしませんでした。

というか、ダーリンも管轄は岐阜北地区なので、その日は応援として駆りだされたみたいです。だからダーリンも、実はあまりよく何をやればいいのかわかっていなかった、というのが実情でした。

行ってみたら、それは消費税が10%に値上がりすることへの反対署名運動でした。

署名を集めるだけであれば、駅前や大型スーパーの前あたりをねらって、大型マイクを使って主旨を話せば、その意思に賛同してくれた人が自然に署名していってくれるでしょう。

けれど、この日の民商の狙いはふたつあって、署名の枚数を獲得すると同時に、民商の活動もわかっていただいて、あわよくば会員になってもらいたい、ということもあるみたいでした。

そういう趣旨であれば、その土地の人でない方も乗り降りする駅では意味がありません。

もともと民商とは、自営業者が助け合っていこう、というものですから、それなら商店街を回るのがいいだろう、というわけで、恵那のさびれた商店街を1軒ずつ訪ねて回りました。


こういう署名活動をすると、実にいろんな人がいることがわかります。

1も2もなく、「なんか署名? はいはい、してあげるよ。」という人。

「なんか政党がらみだったら嫌だけど、自営業者の組合のだったらいいよ。」という人。

「消費税反対? そりゃあ、今でもキツイのに、10%なんかにされちゃあたまんないよねぇ。署名、するわ。」という人。

まぁ、このあたりはこちらにとっては有難い方々なわけですが、正直あまり深くは考えていない、という感じです。

反対に熟慮するタイプの人は、

「消費税反対? うんうん、それは上がらないにこしたことはないけれど、じゃあ、どこから財源は出させるの? それを説明してくれないことには納得できないね。」

とおっしゃいます。


私は正直単なるお茶くみのお手伝いでもすればいいのか、と思って何も知らずに行ってしまったので、ここいらを深く追及され説明してくれ、と言われると困ってしまいますが、民商の方々はやはり時々集まって、勉強会なども催しているので、そのへんの説明はできるみたいです。

そして、消費税反対に反対、と言う人も中にはいらっしゃいます。

「消費税UPに反対の署名? あぁ、うちは賛成だからいいよ。」とずばり、「賛成」とおっしゃる方もちらほらいらっしゃいました。

賛成の意味は詳しくはわかりかねましたが、大勢は、「もうそこしかないだろう。庶民がそれを反対してしまっては、マジ、日本と言う国は倒産しちゃいかねないところまで来ているんじゃないの。だから多少犠牲を払ってでも、私は国を助けてやるよ。」という感じの方が多かったようです。

そして、こういう反対の方のなかには、たまに私たちに突っかかってくる方もみえます。

「あんたたちの言っていることは絵空事に過ぎないんだよ。消費税上げずどうやって福祉とかを充実させることができるんだよ。あんたたちの言うようなことを机上の空論と言います。知ってますか?」と言われたこともありました。

え~と、机上の空論という言葉は知っております、と言いたかったですが、まぁ、問題のポイントはそこではないでしょうから、黙っていました。

このように署名活動をしていると、相手が快く署名をしてくれたかどうかで一喜一憂する自分がいることに気づきます。

私自身がもっと消費税のことを勉強したら、いや、国のいまの予算のことを勉強したらどう思うかもわからないのに、簡単にその日お手伝いしていることがスムースに気持ちよく事が運べば嬉しくなるし、反対されれば嫌な気持ちになるのです。

このことをわれながらとても面白いな、と思いました。

頭では、「人にはそれぞれいろんな意見があってよい。」ということはわかっているのに反対されるとがっかりしたり、嫌な気分になってしまうというのは、「反対の意見」の人を「拒絶」と捉えてしまうからでしょうか。

単に意見を異にする人、と思えばそんな腹を立てることもがっかりすることもないはずなのに、実際にはそう思っていても、その人から完全に私という人間を拒絶されたような気になってしまう。

逆に受け容れられれば単純に嬉しい。

このことを「そりゃあ、人間だから仕方がないよ。」と言ってしまえば、それだけのことかもしれません。

でも私は自分がいかに無条件で人に気に入られたいか、を考えている人間なのだな、と思いました。

早い話が自意識過剰なのです。


商店街の扉をあけて、「こんにちは~」と入っていくときにもプレッシャーがかかる。

ダーリンは、何も気にせずにどんどん入っていくけれど、私はちょっと躊躇する。

なぜなら、「こんにちは~」と言っただけでは、お店の人は「あ、お客さんがいらした。」と思うでしょから、「は~い。」と言って奥から駆けつけたら、なんだ、お客さんじゃないのか、と思うとがっかりしちゃうだろう、そのときのその人の表情や声のトーンが手のひらを返したようにがらりと変わるのを見るのが嫌なのです。

いつまでも変わらずニコニコと私を見て欲しい、と思う。

これって自意識過剰ってことですよね。

結局、いまだに私は消費税がどうあるべきか、反対なら反対で財源をどこに求めるべきなのか、まだほかのところから削ることは可能なのか、などの勉強はできていません。

けれど、こういった署名活動というのは、ほんと、人間修養になるな、と思いました。

いかに自分がいい顔していたいかが露骨にわかりますもん。




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食事会

2011-01-29 09:17:00 | 身辺雑事

先週の土曜日、ダーリンの両親と私の両親と私とダーリンと娘との計7名、つまり両家族全員が集まって、食事会をしました。

これだけ全員が集まることは、私とダーリンが「私たち、結婚するよ。」と双方の親に意思表明をして、「じゃあ、とりあえず顔合わせしなくちゃね。」と両方の家族が初めて顔を合わせたとき以来です。

つまり、約3年ぶり。

言いだしっぺはうちの父親でした。

年末の頃から「どうだ? 1度みんなでまた食事会をせんか。あちらの予定を聞いておいてくれ。」と私に言っていました。

でも時期が時期。

みんなも忙しくてついに年を越してしまったのでした。

父があまりにも何度も言うので、何とか1月中には実現させねば、ということでようやく皆揃ったのでした。

場所は我が家からほど近いビルの最上階にあるレストラン。

牛肉と豚肉のしゃぶしゃぶが食べ放題で、あとは中華料理のバイキングも食べ放題というもの。

老人が多くて、食べ放題だって元なんかとれないことはわかっていましたが、それでもお値打ちなコースだったし、鍋、というのもコミュニケーションがはかれていいかな、と思ったのでした。

しかし、いざ食事会が始まったら、娘とダーリンは「あんたたち・・ その食べさせてない子みたいな食べ方やめて・・」と言いたくなるがっつき方。

ひたすら食べることに夢中。

会話やらコミュニケーションやらの片鱗もない。

どうやら、バイキングとか食べ放題となると燃える親子みたいです・・

確かに娘が大食いなのは知っている。

一緒に外食してもまずどんぶり飯をおかわりするし、つい最近では一緒に焼肉を食べに行った彼氏からも「俺、負けた・・ おまえにはついていけん。」と言われたツワモノ。でもやせてるんですよ~  うらやましい。

そしてダーリンも肉には眼がない。

ひたすら彼らは豚肉には眼もくれず牛肉をほおばる、ほおばる。

あまりに彼らの食べるスピードが速いので、灰汁をとるのが追っつかないくらい。


たちまち一皿をたいらげ、「おかわりくださ~い!」と叫んでいる。

そして2皿目が運ばれるやいなや、娘が、

「なんだ、これ。1皿目のときより、牛肉のスライスの仕方が薄くなぁい?」

・・と、すかさずダーリン、

「おい、1枚1枚とか言ってないで、何枚か一緒にぶち込んじゃえ。」

「だね。」

    ・・とこういうときだけは息がぴったりなところを見せる親子なのでした。

その間、野菜やら豆腐やらには目もくれない。完全な肉食系。

結局奴らは、なんと牛肉4皿をたいらげた。(1皿4人前盛りのやつですよ!)

その反対に、両親同士の鍋のほうはし~ん・・・

大体、うちの父親は言いだしっぺのくせにちっとも自分から話そうとしない。

なにさ、年をとってきて寂しくなってきたのかな、と皆が都合の良い日がなかなか一致しないなかを奔走したのに。

もう先行き長くないから(健康ですけど、平均余命から考えて、ね。)、言っておきたいことでもあるのか、と気をもんだのに。

私はダーリンの両親に「うちの父が、また皆さんで食事したいって言ってるもんですから、お忙しいでしょうけれど、お時間とっていただけません?」と誘ったのに、これじゃ立つ瀬ないじゃない。

ダーリンの両親もなんか勝手が違うな、ほんとにこの人、自分たちと食事したい、って言ったの?って感じでいぶかしくしているように思えるし。

とはいえ、私は全員に眼を配り、バイキングだから、好きなものを各自好きなだけ持ってきたらいいでしょ、というわけにもいかないな、とあちらの両親に「あ、なんかとってきましょうか?」と気を使ってみたり、飲み物もセルフサービスでの飲み放題なので、誰かの飲み物が空になっていないか眼を光らせていたりしたので、会話をリードするまでの余裕がない。

でも、そのうちお酒がほどよく入ったら、リラックスしてきて場もなごみ、ダーリンのお父さんはいつもの調子になってきた。

いつもの調子というのは、彼の特徴である、親しみを表すエピソードを話すときにその人のことをわざと「バカやろう」と言う癖が出始めたからです。

例えば私のことを話すとき、

「恵津子、バカやろう、お前、ちぃとはゴルフに一緒に行ったときは気を使えよ。お父さん(うちの父のことです)、恵津子はね、ゴルフがうまいことだけが気に入らんのですわ。この間もわしの友人が『おまえ、嫁の気にいらんとこないか。』って言うから『ひとつだけある。』って言ったら、嬉しそうに『ほうか。やっぱりおまえんとこでもあるか。何や?』と言うから、『ゴルフが俺よりうまいことや。』って言ってやったんですよ。おい、聞いとるか、恵津子、バカやろう。」

・・・とまぁ、こんな具合です。

私はもう、いつもこんな言い方でしゃべられてるから慣れましたし、これがお義父さんの親しみの表現だということはわかっていましたが、うちの両親はこういうもの言いには慣れていないし、これが親しみをこめているからこそ言っている表現なのだ、ということがわかるだろうか、とちょっとハラハラしながら見ていました。

だけど父も母もわかってるんだか、わかってないんだか、なんだかニコニコとしているだけでした。

これもお愛想笑いなのか、心底出ているものなのかよくわかんない。

まぁ、そんなこんなのうちに怒涛の食事会は終わりました。(何せ、2時間という制限付きの食べ放題でしたので)

ビルを出て、それぞれの帰路に向かおうとすると、またお義父さんが、

「恵津子、バカやろー、お前、ご両親、送ってかへんのか! 当たり前やろ。何やってるんだ。」と言いました。


へ?

私にとって「送る」とは、「見送る」という程度のものか、あるいは足のない人を車で来ているほうの人が「送り届ける」かどちらかの意味だと理解してたんですけど。

「見送る」のほうは今やりましたけど?

家のすぐ近くだから歩きで来た私が、やはり若干方向は違うとはいえ、同じく近いから歩きで来ている両親を送るって・・?  ふたりとも足は健脚ですけど?

それも暗い夜道でもなく、明るい商店街なんすけど・・

それでも私、両親の家まで歩いて一緒に行ってあげるべき?

まぁ、そんなことを思いつつもお義父さんのポーズかもしれないけど剣幕に押されて両親の家の方向へ一緒に歩いて行ってあげました。

両親も「いいって、いいって。送らなくても。」と言ったけど。

特に話すこともなく、3人で白い息を弾ませながら歩いていると、ふと母が、

「あんた、可愛がられて幸せもんだね。」と言いました。

この一言で、あ、わかってたんだ、あのお義父さんの愛情、と思いました。

そのとたん、ほんわかとしたものが私の胸にともりました。

うちの母親は決してこんなことを言うタイプの人間ではなかったのです。

それともお義父さんの言動を見て、自分もこういうふうにフランクに子どもと接してこればよかった、とでも思ったのでしょうか。

「うん。」と言いながら、私は冷たくなった手に息を吹きかけながらも心は温かでした。




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3歳は大人

2011-01-28 09:08:00 | テレビ番組

昨日、赤ちゃんがお母さんの反応を見てそれに迎合する様子を見せることについて、そういった成長の過程で起こる一連の反応を自分の意に染まぬことをした、というトラウマと捉える必要はないのではないか、という話を書きました。

そんなときテレビで新宿歌舞伎町の24時間眠らない託児所のドキュメントをやっていました。

一度、赤ちゃんのことで思うことがあると、何か赤ちゃんに関する情報が続く、ってのはこれもシンクロかしら。

やはり、歌舞伎町という土地柄、夜の仕事をしているシングルマザーが夕方から夜中までこどもを預けていく、というケースが多いみたいでしたが、それに限らず実にいろんな方がいろんな事情で預けに来ている様子がわかりました。

例えばある29歳の女性は、旦那さまがレストランのシェフ。

彼女も同じレストランで働いているみたいですが、ふたりの夢は将来はふたりの故郷である岡山県で自分たちのレストランを開業させること。

今はそれに向かってがむしゃらに働いて資金を貯めているところです。

そんなとき、ご主人にチーフシェフとしてレストランをまかせたい、という話が舞い込みました。

ここを頑張って乗り越えなければ、自分たちのレストランを持つなんて話は夢で終わってしまう、と思ったふたりはこの目の前の仕事にとりあえず全力で取り組もう、ということに決めました。

そのためには2歳のこどもがいる奥様も、ほぼ同じ労働時間で一緒に頑張らなくてはなりません。

そこで、その間一時的なことだと割り切って、託児所にこどもを預けることにしたのです。

預けられた2歳の男の子は、ママと別れるとき、不安そうな寂しそうな顔をします。

でも、一生懸命、小さい体でそれに耐えようとしているようです。

ママと別れ際にハイタッチをします。

ハイタッチの長さはその日その日によって違います。

それは彼が自分でよし、このくらいママとハイタッチしたら、今日はこのあと、頑張れる、と自分で思えたときまで続けられます。

ママも男の子が納得するまでじっと付き合ってあげます。

この女性に、わが子を預けることになったときのことをインタビューしていました。

すると、この女性はこう答えたのです。

「3歳になったら、もうほとんど大人と同じ判断力があるらしいので、ウチは大人に話すのと同じように、そのままを一生懸命、話しました。『ママも頑張るから、あなたも少しの間、頑張って、って。と。』するとわかってくれて、最後には、『少し寂しいけれど、ママたちを応援するから僕は我慢するよ。』と言ってくれました。」


意外というよりも、私は実感としてやっぱり3歳ぐらいになるとすでに大人の判断力があるんだ、という意を強くしました。

私たちは生まれ持って天から授けられた智恵をインカネーショナルスターに持っています。そしてその智恵を正しく使えば、社会の中で培ったマインドや思考に騙されずにすむはずなのです。

こどもだから、といってなめてはいけませんよね。

そりゃあ、難しい言葉を使っては理解できないかもしれませんが、平易な言葉で語れば、大人に言うのと同じ内容を3歳でもう理解でき、判断できる能力を私たちの誰もが持っているのだなぁ、と思いました。

同じ時、また別の番組で、小児科でこどもに対するインフォームドコンセントをきちんと行うということに取り組む病院が増えてきた、ということをやっていました。

そこでは、こどもに「痛くない、痛くないよ~」と言っておいて、こどもが安心した隙に「ブツッ!」と注射を打つなんてことはしません。

「ちょっと痛いけれど、我慢できるくらいだと思うから、頑張ろうね。」と声をかけるのです。

確かにこう言われたほうが、言われた瞬間はほんの少し体が硬直するかもしれませんが、きちんと扱われた、という気がしますよ、こどもだって。

だまし討ちみたいな治療をされたら、一度はその手が使えるかもしれませんが、後は誰も信用できずに泣くばかりでしょう。

自分の体に何が行われているのか、ということはこどもだって知る権利があります。

現に、手術をすることになった幼い子どもに、ぬいぐるみやビデオなどを使って、「・・・でね。まずはここ、肩に痛くならないような麻酔という注射をするからね。」というように丁寧に説明された子は、まったく手術当日の朝も、泣くこともなく落ち着いていました。

誰も自分を襲おうとしたりしているわけではなく、助けてくれるためにやることなのだ、とわかれば自分も共にその病気と闘うために、多少の我慢は頑張ってしよう、とするものです。

こういう子供に対するインフォームドコンセント、賛成です。

そして私はまたjynちゃんの赤ちゃんのゆづちゃんが、オムツを替えるときなどにお母さんをポインポインと足で蹴っているのを見て、「そういやあ、私もお母さんに対してああいうことしたな。」となんとなく思い出したのです。

人間の記憶はだいたい3歳ぐらいからしかないと言いますが、潜在意識は実は生まれてからこのかたのことをすべて記憶している、と言います。

だから、何か刺激を受けた瞬間に、「あ!」と昔のことを覚えている潜在意識とつながれば、お母さんのおなかのなかにいるとき、産道を通ってこの世に生まれてくるときの記憶だって思い出す、ということはありえるだろう、と思います。

jynちゃんはニコニコしたまま、「あ! 蹴ったわねぇ。」とゆづちゃんに言っています。

それを見たゆづちゃんはさらに調子に乗って、お母さんをさっきより強くポインポインします。

赤ちゃんの力って結構なもんですよ。

当たりどころが悪いとマジ、痛いときありますって。

でも、もちろん、jynちゃんは「痛ぁ~い! ちょっと、なにすんのよ。やめてちょうだい。」などと声を荒げることもなく、「ゆづ、やったなぁ。」とか言ってニコニコしています。

言ってきかせればわかるぶん、こどもにとっては生まれて初めてのことばかりなわけですから、「いや、その力はマジ、痛いってば。」と思えば、そう教えてあげないとどこまでも力いっぱい蹴ったり、叩いたり、つねったりしてきますよ・・・

こどもだからってすべてをニコニコ許してあげなくても、ほんとに痛いときは「メッ、その力は痛いよ。」と言ってあげてもいいと思うよ、jynちゃん・・




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こども時代のトラウマ

2011-01-27 09:35:00 | 身辺雑事

勉強会でjynちゃんの家に行ったときのことです。

Photo 事前に「3時のティータイムにでも」と思って、フランボワーズのケーキを買っていきました。

そして、いざそれを食べようとしたときのことです。

生後8ヶ月になって、そろそろ離乳食をはじめたゆづちゃんが興味津々、私も口に入れたいな、と言う感じで見ています。

それをjynちゃんがすこぉ~し、口にいれてあげました。


口に入れてあげたとたん、ゆづちゃんがまだ何も反応していないときから間髪をいれず、「ほぅら、おいしい~、おいしい~!」とjynちゃん。

でも・・

実際にはフランボワーズのケーキって、けっこう酸っぱいと思うんですよねぇ。

まだ五味をすべておいしいと思えるほどには味覚が発達していないであろう赤ちゃんにとって酸っぱい食べ物をおいしいって思うかなぁ?と思ってみていると、やはり一瞬、梅干を口に入れたときのような表情になりかけましたが、お母さんが「おいしい、おいしい~」と言うので、「あ、そういうもんかな。そうだね。お母さんがおいしいと言うならおいしいんだろうな。」という感じで納得したようにおいしそうな表情に変わりました。

面白がって、上に飾りでついていたほんとのフランボワーズの砂糖漬けもまた、

「食べさせてみよう、っと。」と少しつぶしてあげてみるjynちゃん。

「それはさすがに酸っぱすぎるんじゃないのぉ?」とわたし。


あげてみると、やっぱりひゃあ、酸っぱい、という顔をしたそうにするのですが、その表情ができる前にお母さんが「おいしい、おいしい~」というものですから、またも、「あ、そうか。これ、おいしいよね。やっぱり。」という頭で納得しようとした結果、おいしそうな顔をする、という表情になりました。

この様子を見ていて、「赤ちゃんってこんな生後何ヶ月ですでに親になるべくなら迎合しよう、という姿勢で生きていくんだなぁ。」となんだか愛おしくなりました。

生後何ヶ月だからこそ、かもしれません。

なにせ、保護者が自分の生活のすべての面倒をみてくれなければ、すぐにでも死が待っている、という状況なわけですからね。

そりゃあ、生き抜くためにはどんなに自分が不本意なことであってもその人が白と言えば、黒であっても白ということにしよう、とするでしょう。

これがもう少し大きくなると、自我が芽生えます。

すると反抗期もやってきます。

そんなことを繰り返して大人になります。

そして、十分に大人である私は、セラピーと名のつく分野のことにいろいろと興味を持ち、知識が増えれば増えるほど「過去世セラピー」であったり、「リバーシングセラピー」であったり、たいていの大元は子ども時代にあり、「子ども時代のトラウマを癒さなければ」なんて考えるようになりました。

でも、この様子を見ていて、子どもの頃のトラウマって癒さなければならないものなの?とふと思ったのです。


だって、赤ちゃんが、生き抜くために親に迎合する、ということが一番はじめの対親との関係で学んだことだとしたら、こんなに美しい話はないじゃないですか。

これは自分が自分の生命維持のためにとった最初の決断ですもの。

だから幼い時に私は親の顔色ばかりみていた、という人はむしろ、誰よりも生き抜こうとする強い意志を旺盛に持っていた、という証なわけでして。

何も恥じることではない。

そして自我が芽生えてきて、たとえまだ自分で自分の食い扶持が稼げない年端であったとしても、「親の言うとおりになんてなるもんか。私は私だ。」という考えを持つ、ということもこれまた素晴らしい。

どちらもなぁ~んで、反省するようなことでもいけないことでもあったわけではありません。

それを癒さなきゃいけないのかしらん?

「癒す」という意味が私は履き違えていたのかもしれません。

私は「癒す」というからには、「癒されていないもの」が自分の内にあり、その大元の原因をつくっているものにメスを入れるなり、上からふさぐなりしなければいけないと思っていたんですよね。

そしてその大元の原因がたいていは子ども時代の自分であり、何かしらボタンの掛け違いがあったのだから、それをやり直さなくてはいけない、そんなふうに思っていました。

けれど、やり直す必要なんて何もない。

全部、認めてあげることこそ癒しだったんだ。

そのときの私はさばさばとそう思えました。

ひょっとしたら「癒し」とはまさに「気付き」そのものではないでしょうか。

それが学界的に正解なのかどうかもどうでもいい。

その人にとって、こういうことかな?という気付きさえあればそれが癒しなのではないか、と思ったのでした。

そしてそれは、その人が時間が経ち、また「あのとき気付いたことより、こっちのほうがしっくりくるのかな。」と思えばまたそれでいい。

そんな感じがします。


今日の私は、赤ちゃんが自分にとっては本当はおいしくないものをお母さんがおいしいというからおいしいのかなぁ、と自分の感想を捻じ曲げようとした様子を見て、何だかとってもすっきりしました。

発明者が「ひらめいた!」と、漫画だったら電球マークを描かれるような気分です。

今まで生まれてきてからこれまでに自分がとった親に対する行動、親から受けた言動、すべてが「よし」じゃないか、というふうに思えて、なんだか胸のつかえが降りたようにすとんとしたのです。


何によってどういう気付きが訪れるかわからないもんだなぁ。

こんな日常の何気ない瞬間にもふと、大きな気付きが訪れることがある。

また、ころころ変わるかもしれないけれど。

そして、これはあくまでも私だけのもので、人にとっては「そんなこと」っていうようなことかもしれないけど。

人生って面白いな、と思えました。




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