ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

私は私に伝えたかったんだ・・!

2019-05-31 09:01:07 | コンサルテーション
<今後のワークショップ予定>


「カラー&カード会」  えつこ&YUMI
      場所:名古屋市 紹介制会員サロン「GRACE」にて
  自分の持っている最高の可能性は、それを使命とする場合も多いことです。
  自分の可能性に気付き、そしてそれをブロックしている今のテーマに気付くことによって
  あなたの可能性はより広げるでしょう。
6/19(水) 10:00~13:00(※その後、フルーツパーティのランチ付。解散は14:30) 満席御礼
7/11(木)          同上                              満席御礼

「オルゴナイトFESTA」 えつこ&RUBBY
            場所:京都市伏見区 サロン「RUBBY」にて
  オルゴナイトって何? 何も知らなくてかまいません。
  ただ、綺麗なものが大好き、波動とか不思議な話も大好き、って方、歓迎いたします。
  自分が、今の自分を取り巻いている運勢についてもお伝えいたします。
6/30(日) 11:00~17:00予定(ランチ付) ¥9000 
お席あります。chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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 オルゴナイトセラピー モニター様募集!

 
 4/25(木)~  初回1回に限り

   オルゴナイトを使った「オルゴナイトセラピー」をリリースします。
   それに先立ちまして、モニター様を募集いたします。
   詳しくはこちらをご覧ください。  
     ↓
    https://peraichi.com/landing_pages/view/w51w1
   
   レギュラーリリースにあたって  1セッション(60分予定)・・・・¥11000
          を、
                   1セッション(60分予定)・・・・¥ 3000
           にてご提供いたします!

   「オルゴナイトセラピー」でわかることは、

      *あなたを取り巻く今の状態(仕事、恋愛、人間関係etc.などの現状がどうなっているか)
      *あなたの将来は?
      *自分の潜在的可能性のチェック

              などです。

   <お申込み・お問い合わせは>

         chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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先日、ワークショップの打ち合わせのために名古屋の会員制サロン「Grace」のYUMIちゃんの元を訪れました。
6月と7月にこちらでYUMIちゃんとのコラボ企画「カラー&カードの会」を開催させていただくことになったからです。
こちらについては冒頭でも記載いたしましたが、おかげさまをもちまして両日とも満席となっております。
じゃあ、どうして満席になっているものを記載すんだよっ、とお叱りを受けそうですよね、どのみち会員制サロンなのだからこういう場で広く募集しているのでないならなおさら、ということですしね。
私もそう思ってきました。
ですので、これまでこちらでご案内をすることはなかったのですが、こうしてたとえ満席の会であろうともご紹介することによって、
「次回なにか企画をやることがあるなら、ぜひ行きたい。どうすればいいのか?」
と興味を持ってもらった方に対してフォローをしていくのも大切なことだな、と気付きましたので、あえて記載することにいたしました。
ご興味をもった方は個人的に連絡くださいね。



さて、この「カラー&カードの会」は、私がカラーからその人の魅力やそこに隠されているかもしれない使命、そして逆にそれに対する今のテーマとなっていることを読み解き、それをYUMIちゃんがさらにカードで深堀りしていこう、という企画です。
参加人数から考えて1人に割ける時間は最大20分。
それで何かしら参加者に気付きが訪れるだろうか・・?
それをシミュレーションしてみるため、私とYUMIちゃんでお互いに実際やってみました。
そこで私は多大なる気付きを得てしまったのです。



どこからどうやってそういう展開になっていったのか今は思い出せません。
人間都合の悪いことは忘れるようにできていますからね~ 私にとってそこまでのプロセスがそんなに“都合の悪いことだった”という気はしていないのですが、まぁ、そうであったのか、それとも自分の内側と向き合うことに精一杯すぎてプロセスさえ覚えていられないほどだったのかもしれません。
「私には伝えたいと思っていることがあるのだけれど、なにか執着があってそれを伝えられない」
というカードが出ました。
そう言われると、伝えたいと思っていることはあのことだろうか? このことだろうか? と数点思い浮かぶことはありました。
ただ自分ではそれらのことについては、
「伝えられないにはそれだけの理由がちゃんとある。伝えられない、というよりは伝えないほうがいいと私が判断しているのだから、今はそれでいいのだ」
と思っていることだったり、
「伝えることそのものに意味があると思っていない」
だったり、
「伝えるっていっても、どこからどういう伝え方をしたらいいのかわからない」
だったりするのでした。



そこでYUMIちゃんが言いました。
「えっちゃんが1番伝えたいっていう人は誰?」
私は、
「母親か夫かなぁ」
と言いました。
やはり1番身近な人であり、だからこそ愛情だけでは言い尽くせない複雑なものを抱えている相手でもある、と思ったから。
YUMIちゃんは、ちょっと質問を変えるけど、と言った感じで
「えっちゃんが、今までの人生のなかで1番伝えたいことだったのに言えなかった、っていう経験はなに?」
と尋ねました。
そう言われて真っ先に思い浮かぶのは、やはり私にとっては、3歳の頃の母の入院事件でした。
何かと言えばこのことが出てくるので、そしてこのブログにそのことそのもののエピソードがどんなであったかも、何度も書いたことがあるので、毎日のように私のブログを読んでくださっている方には耳タコの話です。
だから簡単にだけ言いますと(結局、言うんかい!)3歳の頃、私の母は結核で数か月入院していました。
その間、私は祖母に預けられていました。
あるとき面会禁止が解けて、久しぶりに母に会いに行ったとき、私は真っ先に母に駆け寄りたい気持ちを抑えたのです。
それは「育ててくれている祖母に悪いから」でした。
幼い私には祖母に育てられている現況も、その先もずっとこの生活が続くのかどうかもよく理解できていませんでした。
だから、この先ももしずっと祖母が私の面倒をみてくれるのであれば、「お母さんのほうが大好き!」という感情を素直に表すのは祖母に申し訳ない、と思ったのです。
私はYUMIちゃんに
「それが人生で最初の、自分の感情を素直に表現しなかったことかなぁ」
と言いました。



それを聞いてYUMIちゃんは
「ふぅん、素直に自分の感情を伝えなかった、ってことだね。」
と言ったあと、
「で、今も、お母さんかご主人に素直に自分の感情を伝えるにはどうしたらいいのかわからないんだね?」
と言いました。
「うん」
「どう伝えたらいいのかわからないってことは、何を伝えたいのか、ってことをえっちゃん自身が把握しきれてない、ってことだね?」
一瞬、逡巡しましたが、そのとおりだ、と思いました。
「うん、そういうことだね」
「じゃあさ、もう答えは出てるんじゃない? もう1度聞くけどえっちゃんは誰に1番伝えたいの?」
「え? 母親? じゃなくて夫?」
と自分で言ったあと、頭をが~んとハンマーで殴られたように気付きました。
「自分だ・・・!」



私は、私に対して
「素直じゃないえつこがいるよね」
「自分の感情なのに、それを表現せずに私は平気だ、って顔をしている自分を演じてきたんだね」
ということをまずは伝えたかったんだ・・!
薄々わかっているつもりのようなことを、はっきりと伝えたかったんだ。
ううん、わかっているふりをしていたけれど、本当にはわかっていなかったことを伝えたかったんだ。
私は、私に伝えたかったんだ・・!
私は、私をさえずーっと長年だまし続けてきたんだ。
それがようやく腑に落ちました。
そりゃ苦しいわ・・。



これまで幾度となく、たまたま参加したセミナーや読んだ本などで、
「自分自身に、『頑張ってきたね』って声をかけてあげてください」
と言われ続けてきました。
そしてそのたびに、私は(そんなこと、よう言わんわ・・)と思ってきました。
そりゃ色んなことに対して「あぁ、あのときは頑張ったなぁ」と自覚できることは、あるっちゃある。
けれど、それ以上に“もっと出来るはずだった自分”がいる。(と、思いたかった)
だったら、「頑張ってきたね」なんて言えるわけないじゃないか、と思って来たのです。
それをいくら
「自分に厳しいのね。もっと優しくしてあげていいんですよ」
と言われたとしても、
「いいや、私は私のことを一番よくわかっている。私は自分をねぎらう以上に、もっと出来るはずの自分にフォーカスしたい」
と思って来たのですね。
しかし、私は3歳の頃からずっと、自分で自分の本当の気持ちを表現することにさえ制限を加えてきたのだとしたら、それは「頑張ってきたね」という言葉をかけてあげるにふさわしいではないか、と初めて自分に対してねぎらいの言葉をかけることを許可する気持ちになれたのでした。



大好きだった母に、大好きだ、と伝えたいときにそれを言っちゃマズイと思った初めての体験。
この原初の体験に関してはこれまでもいろんな気付きがありました。
そのたびに「これだったんだ!」という思いと共に自分を解放することができてきた、と思っていました。
しかし、今回ほどにシンプルで大きいものに出会ったことはない、と思いました。
これまでの気づきが白菜の傷んだ外側の葉を剥いてきたに過ぎないものだ、と思えるほどに。
私は悲しいときに悲しいと素直に表現することが出来ない体験を幼い頃にしたがゆえに、それ以降の人生でも私は辛い時でも平気、という顔をして見せるクセがついてしまった。
それはわかってはいたことだけれど、これまでそれを「辛いことだ」とか「それはゆゆしきことだ」とは思ってきませんでした。
だって、辛い時に辛い顔を人に見せるよりは、平気、って顔をしてたほうが周りも重くならなくて済むじゃない、なら、それでいいじゃない、って“良いことをしている”ぐらいのつもりで生きてきたんだね。
ま、それはそれでいいけれども、少なくとも自分自身に対しては、それに対して
「なかなか頑張ってるねぇ」
という言葉をかけてあげればよかった。
私が私を1番わかってあげていなかったんだ。
気付いていないふりをしてきたことで、平気な顔をしてきたことで、いつのまにか自分の気持ちを伝えるとき、どう表現していいのかわからなくなってしまっていたのかも。
そりゃ、他人に伝えるときの伝え方もわからないはずだわ。



「自分が自分のことを1番認めていなかった、わかってあげていなかった」
このことにさえ気付けば、相手ありきの問題で、
「どうやって伝えればいいのか」
なんて問題は取るに足らぬことのように思えてきました。
だって、本質がわかれば、それ以外のことなんて方法論やテクニック論に過ぎないじゃありませんか。
私が私を認め、わかってあげたことで、母に対しても、ダーリンに対しても、私のこれからの発言はどこか相手にとっても風景の違うものに見えてくるはずだろうことが信じられました。



セッションが終わったとき、YUMIちゃんが私の背後に回り、
「なぜかこうしたくなってきちゃった」
と言って、私の背中をさすってくれました。
そして抱きしめてくれました。
これまでもオーラソーマをはじめ、セラピー関連、スピリチュアル関連のセミナーに出ると、参加者同士や参加者とティーチャーがハグする、という光景にはよく出くわしました。
実際に、私も行なったりもしました。
でも、どこか気恥ずかしさが消えないのでした。(みんながやっているところでやらないほうがよほど気恥しいからやっただけのことで、その行為そのものが自分の内側から高まりきった気持ちの発露として出た、とは思えないのでした)
無理している感覚があったのでした。
それは私自身が1人っ子で兄弟姉妹と触れ合った経験がないし、母親もあまりスキンシップを貴ぶタイプではなかったからだろう、と考えてきました。
けれど、このときはYUMIちゃんの手がとても温かくて素直に気持ちよかった。
(もっとやってて欲しいなぁ・・ こういう温かさをずっと私は求めていたのかもしれないなぁ・・)と思った時、ふいに涙が出そうになりました。



ここに至るまでにはもちろん、20分以上の時間を要しました。
ていうか、私にとっては不思議な時間の流れ方をしていた感覚で、いったいそれが長かったのか、あっという間のことだったのか、別次元に行っていたのかもしれない、というほど時間の感覚がないのです。
しかし、20分であったとしてもかなり深いところまで掘り下げることはできるね、ということがわかりました。
YUMIちゃんは天性のヒーラー、カウンセラーだなぁ、と思いました。
私は生まれ変われたような気がします。
ですからね、冒頭でも申し上げましたが、YUMIちゃんのサロンでの企画は会員制なので広く公募することはできないのですが、へぇ、そんな人なら会ってみたい、そのサロンで何か次に企画があるときには是非行ってみたい、と思った方はまずは私にメールください。




「ザ・プレイス ~運命の交差点~」を観て

2019-05-30 09:01:57 | 映画
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「ザ・プレイス ~運命の交差点~」という映画を観てきました。
なんで観に行ったか、っていうと、なにかを観に行ったとき、この映画の予告編をやっていて面白そう、と思ったから。
だけど、けなすわけじゃないけど、予告編が1番面白かったわ。
「カフェを舞台に繰り広げられるワンシチュエーションドラマ」って言うと聞こえはいいけれど、観て思ったのは、
「なんちゅうお金かけてない映画だ!」
ってことでした。
ほんとにカフェのシーンしか出てこないんだから。
こりゃ役者さんの演技力だけに頼った映画だな、って感じ。
このカフェで起こっていることがすべて、すべては登場人物の頭のなかで起こっていること、というのを強調したかったのかもしれないけれど、やっぱり映画である限り、もう少し“映像”を重視しないとつまらないんじゃないか、と思ってしまいます。



一応、あらすじを紹介しておきます。
公式サイトより。
『前作『おとなの事情』(16)がイタリアの年間興行成績2位を記録し、一躍有名監督の仲間入りを果たしたパオロ・ジェノヴェーゼ監督最新作。カフェ「ザ・プレイス」に昼も夜も座っている男の元には、人生に迷ったものたちがひっきりなしに訪ねてくる。彼らが自らの願いや欲望を叶えるためには、男が告げる行為を行わなくてはならない。息子を癌の病から救うために見ず知らずの少女の殺害を命じられる修道女、アルツハイマーの夫を救うために爆弾を仕掛けることを命じられる老婦人etc・・・。9人の相談者それぞれに無理難題が与えられる。全ての願望には他人の運命という代償が必要だった。次第に交差してゆく相談者たちの運命、その先に待ち受けるものとは。』



言っちゃいますけど、男の正体は結局わからずじまいなんですよ。
ジェノヴェーゼ監督は、
「男の正体がわからないということは大した問題じゃない」
と語っているようですが、おいおい、大した問題だろ、と言いたい。
いったい彼は依頼者からお金を受け取っている様子はないのだけれど、どうして相談を受けているのか?
何で生計をたてているのか?
男が指示する解決策は男の考えではなく、ただ男もノートから指示されているだけなのか?
最後に男は
「俺の希望はもうこんな役はやめたい」
と疲れた様子で言います。
え? やめたいけれど自分の意志ではやめることができないある“組織”から派遣されている人間なの?
疑問は尽きませんでしたが、何も語られることはありません。



原作はアメリカの1時間ものの連作ドラマで、「欲望を喰う男」というタイトルだそうです。
う~ん、連作ドラマなら1話完結パターンで、1人ずつの依頼者の悩みがどう解決していくのか、ということがすべてで男の正体はいまだ明かされず、でもいいのかもしれませんが、映画ならやっぱりそこは語られないと決着しないっしょ、と思ってしまいます。



さて、まぁそんな映画に対しての評価はいいのですが、私が今日語りたいことは、
“人間って自分で勝手に悩みを解決しちゃうものなんだな”ってこと。
もうひとつ、突き詰めて言えば、
“人間って悩みの本質がわかればいいんだな。つまるところはそれを求めているんだな”
ってこと。
例えばある女性は
「整形手術がしたい。もっと美人になりたい。そのためのお金が欲しい」
と男の元を訪れます。
男は、
「お金を盗め」
と指示します。
だいたいこんな感じなんですよ。
男の解決法というか指示は、とんでもないものばかり。
もちろん、依頼者は苦悩します。
自分のこの大きな悩みの前には人ひとりぐらいの命はどうだっていいか、というほど追いつめられた人たちが来るのですから。(整形手術はそんなでもない、と思うけれど・・)
結局、その女性は強盗するために知り合った男とホンモノの恋に落ち、その男が、
「今のままでいいじゃないか」
と言うことにより、整形を断念します。
美人になるのは本当の恋をつかみたかったからであり、本当の恋を掴んだ今、もう美人になる必要はなくなったからです。



また別のある女性は、修道女なのですが
「最近なぜか神を感じられなくなった。もう1度神を感じたい。どうしたらいいか」
と相談にやってきました。
それに対する男の指示は、
「妊娠しろ」
でした。
「はぁ~!? 私は修道女なんですよ。そんなことができるわけがない」
と最初は突っぱねる女性ですが、男は、
「それがどうした? 神を感じたいんじゃなかったのか。何も男と恋に落ちろ、と言ってるわけじゃない。犯してもらって妊娠すればいいだけだ。そして子どもを産んだら、すぐに里子に出せばいい。そしておまえは修道院に戻る。それだけのことだ」
とにべもありません。



依頼者たちは多少でも事が進展したら男にすべてを報告するという義務があるので、女性は
「ある盲目の青年と知り合ったわ。彼なら私が見えないわけだし、どうやら私に好意を抱いているようだからできそうだわ」
と報告にやってきます。
実はこの盲目の青年は、彼は彼で男の元を訪れ、
「目が見えるようになりたい。そのためならなんでもする」
と言います。
男は、
「女を犯せ」
と言います。
だからある意味、この2人は任務の利害が一緒なんですね。
事は簡単、どちらも傷つくことなく目的を達成できる相棒なわけです。
けれど、青年は異常に真面目な性格でした。
相手も好意を持っている様子だというのに、なかなか彼女を犯すことができません。
彼は、
「犯した。やった」
と報告にきますが、男は
「それはウソだろう」
と言います。
青年は、彼女を大切にしたいからもう眼が見えなくてもいいんだ、と言います。
一方、修道女は、
「妊娠した」
と告げに来ます。
「神を感じられるようになったか?」
との男の問いかけに、
「えぇ。そして私は1人で子どもを育てていくわ。あの青年とは一緒にならない」
と言って立ち去ります。



結局、2人が結ばれるということはなさそうでしたが、彼らは2人とも自分の本当の望みに気付いたわけです。
青年は、目が見えることよりも真実の愛を知るという経験そのものが大切だった、ということ。
修道女は「神を感じられるようになりたい」と言ったけれど、むしろ「自分自身の人生が血の通ったものだと感じたい」ということだったのですね。



男は指示はしますが、強制はしません。
どうするかは依頼者に委ねられます。
そして彼らはみな、このように気付いていくわけです。
「話をうかがっていると、あなたの本当の望みはそこではなくて、こういうことなのではないの?」
と人から指摘されることを誰も望んでいません。
というか、それでは気付きにはならないでしょう。
やはり、自分で決め、自分で行動し、自分で選択した結果、
「私の望みはほんとうはこうだったんだ!」
と気付かないとその宝石は輝きださないのです。
これはまさにカウンセラー、セラピストの仕事ではないですか。
そこがとても興味深かったです。
実際、カフェのウェイトレスであるアンジェラが男の様子を見ていて
「あなたは何者? みんながあなたの元へやってきて真剣な顔つきで何かを話し、そしてすっきりした顔で帰っていく・・。当ててみましょうか? カウンセラー?」
と言うシーンがあります。
男は
「ノー」
とだけ言いますが、結果としては彼のやっていることはカウンセラーですね。



人は、自分自身の本当の気持ちに気付きたい。
自分自身の力で。
そして本当の気持ちに気付いたら、それがたとえ悲しい結末を迎えようとも、望みが叶わなくても満足する生き物なんですね。
それをしみじみと納得させてくれる映画ではありました。



ケイト・キングのバイブレーションコンサルティング

2019-05-29 09:01:04 | コンサルテーション
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先週、大阪でケイト・キングのバイブレーションコンサルティングを受けてきました。
パンフレットにはこう書かれています。
『私たちを含め、宇宙のすべてのものは振動しています。
宝石を肉体に身に着けることで、私たちの波動は変化していきます。多くの人はそのことを知らずにいますが、私は大病を患った経験を通じて、宝石の周波数を理解するようになり、振動を調和させる宝石を人にすすめられるように、あなたがもつ周波数を読み取る方法を開発しました。

人の身体は約70%が水でできています。水は他の物質の周波数の影響を受けやすいという特性があります。それに比べて宝石のもつ振動数は固定されています。

固定された振動数をもつものを、影響を受けやすいものに配置することで周波数は固定されているものの影響を受けやすくなるのです。意識的に宝石のもつ振動数を身につけることで、人は宝石の振動数に共鳴することができます。高い周波数をもつ宝石を身につけることで、当然、あなたの身体は宝石の振動数になっていくのです。』



まぁ、まだ延々と語られていますが、要するにあらゆるものには独自の波動があって、私たちが固有に持っている波動と引きあう宝石を選ぶことによって、共鳴が起こり、心地よい状態でいられる、ということです。
私が気に入ったのは、自分の波動を高次なものに引き上げるために宝石を利用するのではなく、今の自分の波動と共鳴する、という点でした。
それにしても、このケイト・キング自身が来日してのバイブレーションコンサルティングの案内は以前も見たことがあるのですが、そのときにはまったく惹かれませんでした。
しかし、なぜか今回は「ぜひ、行かなくては!」という気がしたのです。
不思議なものですね。
まったく同じものがあるときにはまったく無価値に見え、あるときには今を逃しては・・!というほどの価値あるものと思える・・。



さて、コンサルテーションではまず生年月日を聞かれました。
そしてケイトは私に、
「あなたは土の性を持っているのね。土の性を持っている人は、安定性を好み、筋道だてたことが好きで、合理性を貴び、なんにせよとにかく約束を守る、ということについてとても意義を感じるタイプ。理想主義で、マインド中心の人ね」
と言いました。
ケイトは通訳を通して、私に
「どう? こんな感じ? 合ってる?」
と言いました。
ハイ、その通りです。
合ってます。
そうとしか言いませんでしたが、私はこの時点では今まで聞きなれてきたことを聞いている、と思っただけで何も新鮮には感じませんでした。
なにせ、占星術から見ても、風水から見ても、自分が「土」の性を持っている、ということは自分でもわかっており、その性質もかねてより把握していましたから。
その一面しかないわけじゃないけれども、それが自分の土台というか、基礎の部分をなしている、という自覚はあります。



するとケイトは次にこんなことを言いました。
「今の土の性、って言ったのはあなたの魂の部分ね。でも、私はあなたの肉体からは風の性を感じる・・・  あなたは自由が好きで、自由に憧れていて、いろんなところへ行きたいのね。そして器用にいろんなことができるから、実際にいろんなことに取り組んでしまうのだけれど、それらが全部やり遂げられないと落ち込むのね」
これにはびっくりしました。
これまで、自分に「風」の性があるとは思ったことがありませんでしたし、もちろんそう言われたこともありませんでした。
でも改めて言われてみると、これまたその通りだと思えました。
こう言うと、
「そりゃそうでしょうよ。『自由が嫌いで、自由に憧れない』なんて人はいないでしょ? だいたい誰にも当てはまるようなことばかり適当に並べてるんじゃないの」
と言う人もいらっしゃいましょう。
別に反論も異論もとなえるつもりはありません。
その人とて、別に私を打ち負かしたいわけではないでしょうから。
要はそれがそのときの私に格別に響くかどうかだけなのですから。
私は自分が“人並み以上に格別に”自由が好きで、“人並み以上に格別に”自由に憧れが強い、と思う。
そして「土」という動かずに土地に根ざしたい性と、ふわふわと実体なく風のように漂いどこへでも行ってしまいたい性、その両方がせめぎあうから時に辛いんだな、と思うとこれまたひどく納得したのでした。
そしてまた改めて「バランスの大切さ」というものを思いました。



私にとって魅力的な人とは、全然違う極性を持っているような人です。
その極性を自分のなかでどう取り扱っていいかわからずに本人も持て余しているような人。
一生懸命その両極のなかで折り合う地点を見つけようとしている人。
その極性を上手に手のひらの上で転がし、一見危なげに見えるのだけれど上手にバランスをとっている人・・。
さまざまなバランスのとり方がありますが、どういう人もみな好き。
それはその人が“戦っている”感じがするからでしょうね。
だから決して穏やかなだけの人にはそんなに惹かれないのかもしれません。
そしてもし自分もそんなジャンルの仲間入りなら嬉しいな、と思ったのでした。



私が
「まさにぴったりです」
と言ったので、ケイトは意を強くしたのでしょうか、
「そうして人のために、と一生懸命になって裏切られると相当がっくりきて落ち込んでしまわない?」
と言いましたが、そこはきっぱりと、
「いえ、それはありません」
と否定しました。
人生で裏切られた経験がない、とは言いませんが、それはこっぴどいものではありませんでした。
私の人生観をひっくり返してしまうようなものには出会っていません。
そのせいなのか、それとも私がどこかでは冷たく他人は他人、自分は自分と割り切っているのかわかりませんが、裏切られてもそんなには落ち込まないと思います。
っていうか、ひょっとしたらそれが裏切りだということに気付かないだけかも(笑)



いずれにせよ、その後、ケイトは私に合うと思われるいろんなジュエリーを紹介してくれました。
ルチルクォーツ、イエローサファイヤ、タンビュライト・・ etc.
そのなかには私の大好きなきれいなブルーの色をしたパワーストーンもありました。
ブルースピネルでした。
色んなものを紹介してくれて、その中からはあとは自分が好きなものを選べばよい、と言ってくれたときには、私は自分がてっきりそのブルースピネルを選ぶと思っていました。
良質なブルートパーズのようなきれいな色。
しかし、実際にそれをあてがって鏡のなかの自分を見たとき、
「違う、これじゃない」
と思いました。
不思議でした。
なぜかわかるんですね。
今日はこれじゃない、って。
そうして私はミスティッククォーツという、ターラの女神の意識が入っていると言われる、角度によってはいろんな色に見えるものを選びました。
純粋性のホワイトレイ、太陽と木星のイエローレイ、歓びと安定のターコイズレイ、深い愛情のピンクレイの光線が入っているそうです。



パワーストーンやジュエリーを身に着けるということは、いつもそこに意図した自分を感じることができる、ということです。
当分、いつもこれを身に着けていよう、っと。

起こるべきことが、起こるべきときに起こっている

2019-05-28 09:01:00 | 身辺雑事
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最近、つくづく起こるべきときに起こるべきことは起きているんだなぁ、としみじみと思っています。
“起こるべきことは、起こるべき時に起きている”→(だから安心して、とかだからすべてを平穏に受け容れて、というように続く場合もあります)
これって、よく言われることですよね。
けれど、実際には、
“起こるべきことは、起こるべき時に起きていたなぁ”
という過去形にしないと腑に落ちるってことはないのでは、というのが本音です。
“起こるべきことは、起こるべき時に起きている”なんて、ちょっと達観した見方、なかなか通常時では腑に落ちませんよ。
というわけで、今日は私がそれを腑に落とした出来事をお話ししたいと思います。



数年前、ある方を通してTさんがうちのサロンへやってらっしゃいました。
Tさんの要件は、
「ある知り合いの会社で定期的にイベントを行いたいのだが、それにご協力いただけないかと思って」
というものでした。
はじめにそれを聞いたとき、私はてっきりもうほぼ概要は固まっていて、うちへお越しになったのはあと、
「どんな内容で、ギャラはいくらだったら折り合いがつくか」
ということを話し合えばいいのだ、と思っていました。
しかし、うかがっているとどうも話そのものがもーっと前の段階であやふやなのでした。
その会社の業種はリフォーム関連でした。
そもそもその時点で「ん? なんで私に?」なので、率直にそれをお尋ねしました。
すると、
「もちろん、大目的はリフォームに興味を持ってほしい、なのだけれど、なかなかこういうところへはぶらっと入れるものではない。だからもっと気楽にまずは入店してもらうために、気を引くようなイベントをやりたいのだ」
と、おっしゃる。
それで私は、
「それにしても・・ もう少しその業種と関連していることで行わないと意味がないのでは?」
と言いました。
カラーセラピーやヒーリングをやって、あ~、良かった、と言ってそのあと、どれどれついでにキッチンのリフォームモデル見学もしていこうか、ってなります?
たぶん、もしカラーセラピーを今日はやっていますよ~という告知によりそれが目当てでいらっしゃったお客様は、それが終わったら何もリフォームに関してはご覧にならずにさっさとお帰りになりますよ、それでいいんですか? と尋ねたのです。
純粋な疑問でした。
ていうか、誰もが真っ先に気にかかる部分じゃないでしょうか。
なので、当然それについてはずいぶんこちらでも考えた末ですね、こういう見解になりまして~~~ というお話しがうかがえるものと思っていたら、Tさんは頭を抱えこんでしまわれました。
「う~ん、そうですよねぇ・・」と。
え~、そこから? と私もびっくり仰天。



そこから先は、私は、自分に「そこまでサービスしてあげなくもいいんじゃ・・?」というほどTさんに対して、
「ならば、こういう案はどうだ」「私のようなジャンルではなくて、こういうイベントにしてみたらどうだ」というような話をさんざっぱらしたのでした。
そしてTさんは
「そうですね、ちょっと考え直してみます」
と言ってお帰りになりました。
あれはなんだったんだ・・? という感じでした。
そして自分を責めました。
もっと単刀直入に、
「その程度にしか詰めておられないのでしたら、今日はこれ以上お話しすることは何もありません」
とお引き取り願うのが筋だったのではないか、と思ったからです。
私はどんな人にも優しい人、親身になってくれる人、と思われないのか? と自分を責めたのです。
エエかっこしいのためにいろいろアドバイスしちゃったけれど、そこまでするべきではなかった、それはそこまでしたらふつうフィーが発生するようなことだろう、という自分の損得勘定じゃなくて、自分で考えないとTさんのためにもならないし、同じようにこれからTさんが訪ね歩くかもしれないサロンの人たちのためにもならないと思ったから。



つまり、そのときの経験は、私にとって
「サービスすればいいってものじゃない。時には厳しいことも言ってお引き取り願うことも大切」
というものでした。
よし、次から同じようなことがもしあったら、そうしなくちゃな、という戒めとともに心に残った経験だったのです。
そしてTさんとは2度と会うことはないだろうな、と思っていました。



ところが、それから1年ほど経ち、私はTさんと再会することになりました。
それもまったく別件で。
「えっ、Tさんの本業ってこういうことだったの?」
と驚きながら。
そしてそれがきっかけでいろいろな人たちとも新たにご縁をいただくことができました。
へぇ~、Tさんって色んな面白い人たちと知り合いなんだな~と初めて知らされました。
結果、いま私は
「あ~、あのときTさんにキツイことを言って、それきりの縁にしなくてよかったなぁ」
と思います。
これが「起こるべきことが起こったんだなぁ」ということです。



しかし、反対にもし私があのときTさんに
「まったく詰めていないお話しでは、これ以上伺うことはできませんね」
とお引き取りいただいていたとしたら、では「起こるべきことが起こったなぁ」とは思わなかったのか? と言われるとそうではありません。
やっぱり私はそれでも「起こるべきことが起こったんだなぁ」と思えていただろうなぁ、と心底思えるのです。
それは自分に対して
「うん、言うべきことが言えたなぁ」
という思いと、その言い方としての問題です。
きちんと伝えるべきことは伝えて、ただ言い方としてはきっぱりとしかし優しく言えば、きっとTさんもわかってくれたはず。
もし、そうできなければ、それがお互いの課題として持ち越しただけのこと。
Tさんとは確かに2度と会うことはなかったかもしれませんが、いえ、もしまた出会っていたとしても気まずい思いをして親しくはならなかったとしても、それもまた学びだ、と思えるはずです。



以上のことを、今になって振り返ってみるとしみじみ思います。
そして、あのときの私には言うべきことを「きっぱりと、しかし優しく」伝える技術と度量はなかったと思います。
だからもし口にしてしまっていたとしたら、Tさんとは「THE END」ということになっていたでしょうねぇ・・
これが、
「起こるべきことが起こった」だけではなく、「起こるべきことが起こるべきタイミングで起こった」と腑に落としていることです。





ダイエットに対する私の現状分析と取組み

2019-05-27 09:01:54 | 身辺雑事
  オルゴナイトセラピー モニター様募集!

    4/25(木)~  初回1回に限り

   オルゴナイトを使った「オルゴナイトセラピー」をリリースします。
   それに先立ちまして、モニター様を募集いたします。
   詳しくはこちらをご覧ください。  
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   レギュラーリリースにあたって  1セッション(60分予定)・・・・¥11000
          を、
                   1セッション(60分予定)・・・・¥ 3000
           にてご提供いたします!

   「オルゴナイトセラピー」でわかることは、

      *あなたを取り巻く今の状態(仕事、恋愛、人間関係etc.などの現状がどうなっているか)
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              などです。

   <お申込み・お問い合わせは>

         chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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昨日は、ダイエットにちょこっと目覚め、まずは「現状分析」してみよう、と思い立ったというところまででした。



そこで気付いたこと。
“カロリーは地道に積みあがっているものなのだなぁ”
ということ。
私は自慢じゃありませんが、これまでダイエットのためにカロリー計算をしてみたことがありませんでした。
いや、ダイエットのためでなくても、とにかく人生においてカロリー計算なんて中学の家庭科の授業以来したことがない。
でも、漠然とした中途半端な知識だけはいつのまにかあるわけですよ。
たとえば、「焼肉」とか「すき焼き」とか食べちゃったら、それはもうその1食で900kcalとか1000kcalとかいっちゃってるんだろうなぁ、という。
それはさすがに取り返しつかないじゃないですか。
そこですぐにあきらめちゃう。
それが今までの私でした。



けれど、この本では「ダイエットは一生」のもので、それは苦しいことでもなんでもない、と書かれていました。
著者のダイエッターが訪れた心理学者の先生はこうおっしゃっています。
「ダイエットって生活の一部だから、とりあえず続ければいいんだよ。大げさな精神力なんていらないよ」
と。
それに対して著者は反発してこう言います。
「簡単に言いますけれど、それができたら苦労しないですよ。ダイエットって辛いじゃないですか」
するとまた先生は、
「ダイエットは苦しい。苦しいから続かない。続かないから挫折する。続かないからリバウンドする。そんなふうに堅苦しく考えないことだよ。ダイエットってつまりは生活習慣でしょう。ならば、習慣づけることが大切。だったらまずは習慣を変えてみようよ」
とおっしゃいます。
太った原因も、痩せたい目標も100人いたら100通りある、と言ってもよい。
ならば、100通りの生活習慣がそこには存在するわけで、そのためにはこれまでがどんなだったかを分析する必要がある、というわけです。
なるほどね~



そんなわけでまずは1週間、朝、昼、晩と食べたものを記録し、カロリーを出してみたんです。
するとわかったことは、毎日だいたい私は2000kcal食べている、ということでした。
ふんふん、ま、そんなもんでしょ、それが多いとは思わないよ。
でも・・ 思ったよりはちょびっとだけ多かったかな。
「私ってこんなに太るほど食べてないのに」
が口癖だったからねぇ。
ただ!
私の年齢で、仕事の種類的に言ってあまりハゲシイ動きをするわけではないので、1日に摂取していいカロリーは1650kcalであることがわかりました。
ということは・・・ 毎日350kcalも多いではないか!
そりゃ太っていって当たり前だわ・・
それにしても、まずは1650kcalが適正摂取kcalであることに驚いたのでした。
そんなもん、糖尿病患者にケが生えた程度しか食べられないじゃん、って。
今後、毎日350kcal以上をカットしないと痩せられない、と思ったときには目の前が真っ暗になりました。
やっぱ、や~めた、とすべてを放りだしたくなりましたよ。
いや、しかし放りだしたら今までのまま。
そこはぐっとこらえて、と。



どこが削れるのかじっくりとこの1週間のメニュー&カロリーを見直してみました。
当たり前のことかもしれませんが、カロリーの少なそうな野菜ばかり食べていたとしたってそれはやはり地道に積みあがっていく。
たとえば、ですが、私のだいたいの朝食というのは
「パン、コーヒー、トマト、ゆで卵、も1つ何かそのときのフルーツ」
って程度のものです。
ね、ごく一般的に可愛いものでしょ?
別に「うわ、やっぱデブは食うな~」と言われるようなものじゃないっしょ?
けれど、これだって500~600calはいっちゃうんですよ。
でも、ここからちまちま削るって出来ないじゃないですか。
そこで、あ、無理だわ、と思ってしまうのがこれまでの私でした。



となると、結局私が削らざるを得ないところは夜の「お酒」ということになる。
これもね、薄々こんなカロリー計算してみなくてもわかってたことなんですよ。
だから「ほらね、やっぱり」ということなら、その時点でもうや~めた、ってなっちゃってたでしょうね。
計算上ではお酒だけで「250~500kcal」ぐらいいっちゃってるからね~
ここを削ればまさにつるんとすべて解決、ということになる。
けど、禁酒なんて出来てたらとっくにしてらい。
出来ないし、するつもりもないから今の私があるんであって。(これこれ、そこで開き直ってどうする)
そこで私は思い出す。
「ダイエットは習慣で、一生モノである」という言葉を。
だから苦しかったりしんどいと思うことは絶対に続かない。
絶対お酒を断つ、なんて誓いはどう考えたって守れるわけがないではないか。
もっと現実的なものに目を向けよう。



そこで気付いたのは、パンって意外にカロリー高いんだな、ってこと。
パンに限らず、だいたいファストフードであるとか、ケーキであるとか、ようは「食べたぁ!」
という歯ごたえというか、実感が乏しいものは、それに費やした時間の割にはカロリーが高いのだ、ということに気付きました。
例えば、ですが、菓子パン2個のカロリーなら、軽い旅館の朝定食的なものが食べられるんですよ!
だったら、旅館の朝定でしょうが。
結局、手間をかけるつもりがあるなら結構食べられるんですよ。
お手軽なもので済まそうとしなければ。
食べることを我慢するつもりがなければ、突破口はこれしかないな、と思いました。
私はあんまりケーキとかお菓子とかは食べるほうではないんですが、朝は必ずパン、間食でパンを食べることがある。
よしっ、まずはこれをやめよう。
パン断ちだ。
そして無理してなにもかもいつもかも手作りのものを食べようとまでは頑張らないけれど、なるべくそうしようと心掛けることにしました。
そして私は、あぁ、食べ過ぎちゃったなぁ、今日は、はあっても、今日は食べそびれて結局時間を逃しちゃったよ、お腹すいたぁ、がありません。
そこのリスク管理はめっちゃ出来てるんです(笑)
食べそびれそうなら、お腹がすいていなくても事前に食べて置く。
これがいかんね。
お腹がすいていないのに後だと食べられないかもしれないから今食べておこう、はやめにする、と。
この程度のことでどの程度変わるかわかりませんが、まぁ、その習慣が辛くないことから始めるしかないんですから、これでしばらく様子を見ようと思います。