いよいよ大晦日を迎えました。
今年も1年、あっというまだったなぁ。
来年はもう少しちゃんと意識的に歩んでいかないと、またまた「あっというまだったなぁ・・」で終わっちゃいそうです。
来年こそ、着実にいくぞ~
さて、今日は大晦日にふさわしくなく、再びクリスマスイブ・イブの日のお話なんですが・・
イブイブの23日には、「JIBUNアートセラピー」の生徒さんにお招きいただいて、その生徒さんの本業であるサルサダンスの生徒さんばかりが集まったクリスマスパーティに飛び入り参加いたしました。
皆さん多彩な方ばかりで、ダンスのほかに「歌うたいます。」「ピアノ弾けます。」「オカリナ演奏します。」など盛りだくさん。
誰も彼もが一度は主役となって舞台にたって得意技を披露するというとっても濃~いクリスマスイベント満載のパーティでした。
そんななか、私は皆さんにマヤ暦でのご自身の誕生日の出し方をお教えしました。
時期的なこともあり、皆さん熱心に聞いていただけました。
さらには、そのメンバーのなかで「神秘KIN」同士が見つかったり、「ガイドKIN」の関係だったりが発覚したりで盛り上がりました。
そして最後に、「JIBUNアートセラピー」の生徒さんが私にお礼に踊ってあげる、と言ってくださいました。
それはかねてから私が彼女が踊っているところを一度見たい、と言っていたこともあり、そうしたらタイミングよく発表会があるのでそのとき招待するね、と言ってくださっていたんですが、嬉しい悲鳴のチケットの売れぶりで会場のキャパがオーバーしてしまったので、ごめんなさい、今回は入ってもらえそうもないわ・・ということで残念ながら見送ったばかりだったのでした。
だから彼女としては私に対してそのときはごめんなさいね的な意味もあったのでしょう。
サルサという踊りはとても女性が魅力的に見えます。
男女ペアになって踊るダンスというものはたいていがそうかもしれませんが、女性が自分の魅力を楯に男をじらしたり、誘ってみたり、というような踊りなんです。
最初はペア2組で、振り付けが決まっているものを踊ってくれました。
その次には男性1人に対して、3人の女性が代わる代わるアドリブで踊りを仕掛けていく、というようなスタイルでした。
そう、それはまさに“仕掛けていく”という言い方がぴったりの美しい罠のような踊りでした。
ダンスが言葉のように、何も言わなくても身体全体で表現されている・・
そのとき、私が一番驚いたのは、ひとりの女性でした。
その踊りの前に私がマヤ暦の出し方を教えているとき、ひとりの方に、
「すみません・・・ ちょっと遅れて入ってきたので、今のお話、よく理解できていないんです。ここのところなんですけど、もう1度教えてもらえますか?」と話しかけられました。
その若い女性はとても控えめな印象で、テンポもまったりとしていました。
その女性が踊ってくれたんですが・・・・
まるで別人・・・
表情からしてからっきし違う。
さっきはおぼろげな焦点が合っていないようなぼんやりとした印象だったのに、ダンスのときには挑むようなカッと獲物を見据えるようなまなざしをしています。
肩をすぼめて申し訳なさそうにしていたのが、胸をはり、腰がすわり、しなやかなまるで女豹のよう。
羽野晶紀ふうの癒し系ガーリーだったのが、夏木マリみたいになっちゃってますぅ!
びっくりしたなぁ、もう。
でも、そういう目で見ているとダンスをやっている方というのは、そもそも人前に自分をさらす、ということに慣れているのかいったんステージに立つと、その“見られる”という視線を逆にこっちからつかまえに行ってやるぅ!くらいの受け止め方をするんですね。
だからステージに立つと人が変わる、っていうのわかります。
そして思いました。
「人間、どこかでは必ず主役になるステージがある。」
ダンスをやっている人というのは、むしろ普段は引っ込み思案で目立たない方が多いような気がしました。
でも身体を動かすのが好きで、ダンスをやっているうちに「あ! これなら自己表現できる!」と気付き、身体で自分を表現することに開いていく・・
ダンスに限らずそうです。
私の子どもの頃というのは、運動会ヒーローというのが必ずクラスに1人や2人いました。
勉強はできなくて普段教室ではおとなしいのだけれど、身体能力が高くて体育の時間とか運動会になると俄然はりきる、というタイプ。
かけっこやリレーでは2位の子どもに10馬身(じゃなくて10人身か)くらいの差をつけて圧倒的にテープを切り、地鳴りのような「うおぉぉぉ~!!」という拍手喝采を浴びる、という。
つまり、こっちではダメだけれど、あっちではヒーローになれるステージというのが用意されていました。
しかし、今はどうなんでしょう?
聞くところによると、テープ直前で最後尾の子を待っていて、みんなで手をつないで仲良くゴールインなんてことをやるそうですから、なかなか勉強の出来ない子どもが浮かばれるステージが学校では用意されていないかもしれませんね・・
まぁ、このように「勉強←→運動」というだけの図式ではないにせよ、人には何でも得手不得手があるはずですから、AがダメでもBで巻き返しをはかる、とかCはスルーしたいけどDではセンター取れるぞ、ということが何かしらあるはずなんです。
それが何かを見つけることが、この世を上手に生きていく近道かもしれませんね。
“世渡り上手”のように言うと語弊があるかもしれませんが、それが「本当の自分自身を見つけ、掘り下げ、自分を解放していく一番の近道」かもしれない、と思いました。
つまり、オーラソーマが求めていることと同じです。
魂の成長の道です。
オーラソーマでも下層の色に光をあて、自分の未開の可能性に気付き、それをより発展させることが目的である、と言っても過言ではないでしょう。
そしてそれに対してプラクティショナーのところに行ってコンサルテーションを受け、ボトルとワークするということだけでは弱い、と常々私はこのブログでも言ってきました。
なぜならライブでのコンサルテーション以外はあとのことはすべて孤独に行われる作業だからです。
ボトルとワークするにしてもそう、ポマンダーやクイントエッセンスにしてもそう、カラーエッセンスやアークエンジェロイを施すにしてもそう、それらはすべて個人で行うことです。(まぁ時にはワークショップなどで大勢とシェアするときもありますけれど、大方は一人で行います。)
それでは本当の意味での自己解放は起きないんです。
なぜなら自己解放とは常に人前で起こらなければ意味がないから。
そしてそのために私はオーラソーマを補完する講座として「アートセラピー」が最適だと思いました。
絵を描いたり、ボディワークを行ったり、時には何かを創り上げたりすることによって五感を開花させるとても良い方法だからです。
脳にとっての栄養は五感で感じることですからね。
そして自分自身という存在そのものがこの世でもっともクリエイティブな存在なのだ、ということを忘れないためにも私は「JIBUNアートセラピー」という名前でこれをやっています。
そして目の前で生き生きと繰り広げられるダンスを見ながら、その瞬間私は、「オーラソーマを補完するものがJIBUNアートセラピー」ではなくて、「JIBUNアートセラピーこそがオーラソーマを包含するものだ」と思いました。
どっちが偉いとか上だとかそういう意味じゃないんですよ。
ただ最終ゴールを「自己解放」と据えたときにには、そこに至るあらゆるワークがそのための1コンテンツにしか過ぎないわけで、そうして考えたときには「JIBUNアートセラピー」の方が広義の範囲をフォローしている、ということです。
だから私の来年の抱負は、「もっとJIBUNアートセラピーを広めたい、親しんで欲しい、一緒にやろうよ!」です。
そこで是非、
「あれぇ、私ってこういうことが楽しい人だったんだぁ!」
「この才能をもっと伸ばしたい。」
「これをやっているときが一番楽しくて、時が経つのを忘れるなぁ。」
というものを何か見つけてください。
それが人によっては、絵を描くことかもしれないし、文章を書くことかもしれないし、楽器を演奏することかもしれないし、粘土をいじくったりいろんなものを切り貼りして手先を使うことかもしれないし、何かはわかりません。
でもひょっとするとそこから一生をかけて取り組みたい自分のライフワークが見つかるかもしれませんよ。
そして人間、得意なもの、人よりちょっと秀でて自慢できるものが出来るとそれを人前で披露したくなりますし、それを人に教えてあげたくもなりますよね。
それが“悟り”です。
わぁ~、なんか楽しくなってきたなぁ。
これまで「JIBUNアートセラピー」のワークショップはやってきませんでしたが、来年はそういったものもやっていきたいと思います。
興味のある方は是非、一緒にやりましょう!
それではみなさま、良いお年を。
いい夢みてくださいね。
メニュー、料金、オーラソーマってどういうもの?ということをもう少し詳しくお調べになりたい方は、「HP 些々羅」をクリックしていただき、「オーラソーマ」のナビゲーションから、お知りになりたい項目をご覧になってください。
そこに直接「予約フォーム」に入れる表記があります。
ブログ左肩の「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」をクリックしていただきますと、最新の「営業案内」を見ることができます。
ご予約はメールにて受け付けております。
「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」は、岐阜市中心街にあるサロンです。(岐阜市役所南庁舎すぐ近くです。)