ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

毒親をもった子どもの願い

2019-07-21 09:01:06 | コンサルテーション
<neW 告知!>

    1か月以内に
      「太陽の自分エクササイズ 凝縮ヴァージョン」
                          をリリースします!

  「太陽の自分エクササイズ」はこちら→

   「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
   それに対して、凝縮版は徹底的に自己受容について深く落とし込みます。
   

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<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
追加! 7/29(月)   10:00~13:30 残席1名様参加費:¥15000(税込)
[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます)
8/3(土)   13:00~17:00   満席
8/7(水)   13:00~17:00   満席

 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

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 オルゴナイトセラピー モニター様募集!

 
 4/25(木)~  初回1回に限り

   オルゴナイトを使った「オルゴナイトセラピー」をリリースします。
   それに先立ちまして、モニター様を募集いたします。
   詳しくはこちらをご覧ください。  
     ↓
    https://peraichi.com/landing_pages/view/w51w1
   
   レギュラーリリースにあたって  1セッション(60分予定)・・・・¥11000
          を、
                   1セッション(60分予定)・・・・¥ 3000
           にてご提供いたします!

   「オルゴナイトセラピー」でわかることは、

      *あなたを取り巻く今の状態(仕事、恋愛、人間関係etc.などの現状がどうなっているか)
      *あなたの将来は?
      *自分の潜在的可能性のチェック

              などです。

   <お申込み・お問い合わせは>

         chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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先日、セッションをしたクライアントから、
「毒親って知ってます?」
と尋ねられ、
「あぁ、言葉だけは・・」
と答えました。
まぁ、言葉だけ聞いても「毒のような親」「子どもにとって毒になるような親」という意味でしょうから、「あぁ、またこういう言葉が出来たんだなぁ」くらいで深く言及してみることはありませんでした。



そのクライアントの話は、自分の親が毒親だった、という話でした。
確かにひどい親だと言って構わないような親御さんでした。
ただそのクライアントさんの親が、誰が聞いてもわかりやすいような暴力をふるうとか、ネグレクトするとか、そういう虐待を働いたというタイプではありませんでした。
ですので当然、クライアントさんが児童だった時代、学校がどこかへ通報するとか警察が駆けつけるとか、そんな目立った事件性があったわけではないので、よけいに家庭内のこととして見えにくかったということもあるでしょう。
言葉としても「毒親」なんて言葉ができたのはつい最近ですしね。



その毒親の話を聞いていて、つい最近、別の人から
「私ね、ずっと以前に母親から『親になったことが人生で最大の失敗だった』と言われてすごく傷ついたことがあるの」
という話を聞いたことを思い出しました。
その人の場合は、「それですごく傷ついた」けれども、それがずっと尾を引いていたとか、トラウマになっていた、という話ではなく明るく話していたし、話のなかのほんの1つの部分として露出しただけだったので大したことではないと思っていました。
それで私も、
「私が母親に『わたし、子どもなんて嫌いだから産まなくていい』って言った時、『私も』って言われたことあるよ」
と笑いながら話したほどでした。
しかし、その人はそれからずっと子どもが欲しいと思っていたけれども、最近、その考えを手放そうと決めたこと、自分が子どもを欲しいと思って来た気持ちは、
「自分が親にしてもらえなかったことを自分の子どもにはいっぱいしてあげたかった、という気持ちが強かったからかも」
と言ったときに、私は、あぁ、尾を引いてないなんて思ったのは私の間違いだった、それどころか血の問題は血でしか解決できないのか、というほどに根深いな、と思い直したことでした。



そしてふと思ったのでした。
そういえば、自分の親は毒親だったと話した人も、なかなか子どもができなくてもうかれこれ4~5年、不妊治療をしていると言っていました。
その話は自分の親とつなげて出た話ではなく、また全然別の問題として話されたことでしたので、私もそこをリンクさせてはセッションをしませんでした。
でも、きっとそのクライアントさんも、自分の親が自分にはしてくれなかったこと、ああいう親にはなりたくない、っていうか、自分なら絶対そうはならないという自信がある、ということからどうしても「親業」をやりたくて子どもを望んでいるのかもしれない、と思いました。



ただ、その人の話はあちらこちら色んなところに飛んだのですが、何を話されていても終始一貫、私が感じ取っていたことは
「この人はまだ自分自身を許せていない、愛することが出来ていないんだな」
ということでした。
実際、そう言ってみました。
でもその方は、何を言われているのかわからない、という感じで首をかしげ、
「そうかなぁ?」
とおっしゃっただけでした。
自分のことには自分で気づいていないパターン。
結構多いんですよね。
そして私は言いました。
「『もうそのことはいいんだけど』っておっしゃるけれど、本当にもういいなら、どうしてそんなに泣くの? その涙は感動の涙でもうれし涙でもないよね。
悲しいから泣いているんだよね? 自分が可哀想で仕方がないから出てくる涙だよね?」
すると、その人は初めて納得したように
「あぁ・・」
とうなずきました。



私たちというのは心の成長、心が本当に癒されて退院してもよいという状態になるよりずっと早くオトナになってしまうのかもしれません。(っていうか、身体の負傷と違って、心の負傷は目に見えないから入院もしないしね。よほど誰の目から見てもおかしいという言動でも飛び出さない限り)
そして心ではなく、頭にはいっぱい社会で生きぬいていくための知識や情報を詰め込んで、それを上手に使いながら、
「こんなことでいつまでもメソメソしているのはみっともない」
「後ろを向いて生きていたってしょうがないんだ。前だけを見て生きて行かなくては」
とかで自分を納得させて、心は幼子のまま、傷ついたままなのに「大人の仮面」をつけて生きてきているのかもしれません。
その代償として自分の子どもを求めているとしたら、また自分も「毒親」になってしまうかもしれません。
でもその可能性にさえ気付かずに。
あるいは親を反面教師としてきたわけだから絶対自分はそうなるわけがない、と信じて。



「毒親」の定義とか条件とか発祥とか調べてみました。
そこでわかったのは、調べれば調べるほど虚しくなる、そんなことを仮に定義づけたって何の意味もない、ということでした。
だって、その定義がある人には当てはまるけれど、ある人には当てはまらないとする。
「だからあなたの親は毒親ではないよ」
と言ったって、何もその人が癒されないことに変わりはありません。
どれだけ「今さら・・」と誰が言ったっていいじゃありませんか。
これまでに思い切り泣いたことがないならば、思い切り泣けば。
思い切り自分の気持ちを吐き出したことがないのなら、吐きだせば。
理屈で自分を納得させようとはしないでね、と言いたかったのでした。
「子どもを産みたい」という気持ちはストレートに「子孫を残したい」という人間としての種の問題、本能ですから、理屈で片づけようとしたってできやしません。
人類の歴史のなかで理屈が本能に勝ったことなんてないんですから。
理屈で本能を丸め込もうとしたって無理です。
だからこそ、「不妊」に関する問題、「親子」の問題はほんとに一筋縄ではいかないな、と思いました。






再び「あなたのストーリーに私は興味がありません」について

2019-06-03 09:01:42 | コンサルテーション
<今後のワークショップ予定>


「カラー&カード会」  えつこ&YUMI
      場所:名古屋市 紹介制会員サロン「GRACE」にて
  自分の持っている最高の可能性は、それを使命とする場合も多いことです。
  自分の可能性に気付き、そしてそれをブロックしている今のテーマに気付くことによって
  あなたの可能性はより広げるでしょう。
6/19(水) 10:00~13:00(※その後、フルーツパーティのランチ付。解散は14:30) 満席御礼
7/11(木)          同上                              満席御礼

「オルゴナイトFESTA」 えつこ&RUBBY
            場所:京都市伏見区 サロン「RUBBY」にて
  オルゴナイトって何? 何も知らなくてかまいません。
  ただ、綺麗なものが大好き、波動とか不思議な話も大好き、って方、歓迎いたします。
  自分が、今の自分を取り巻いている運勢についてもお伝えいたします。
6/30(日) 11:00~17:00予定(ランチ付) ¥9000 
お席あります。chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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 オルゴナイトセラピー モニター様募集!

 
 4/25(木)~  初回1回に限り

   オルゴナイトを使った「オルゴナイトセラピー」をリリースします。
   それに先立ちまして、モニター様を募集いたします。
   詳しくはこちらをご覧ください。  
     ↓
    https://peraichi.com/landing_pages/view/w51w1
   
   レギュラーリリースにあたって  1セッション(60分予定)・・・・¥11000
          を、
                   1セッション(60分予定)・・・・¥ 3000
           にてご提供いたします!

   「オルゴナイトセラピー」でわかることは、

      *あなたを取り巻く今の状態(仕事、恋愛、人間関係etc.などの現状がどうなっているか)
      *あなたの将来は?
      *自分の潜在的可能性のチェック

              などです。

   <お申込み・お問い合わせは>

         chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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自分が、
「私は、私に対して素直な感情を伝えていなかったんだ・・!」
という気付きを得てからというもの、良いことばかりが起こっているような気がします。
お客さまが私のコースを受けたいとおっしゃってくださった、とか、東京からわざわざ講座にやってきてくださる、とか、猫の額ほどの庭の植木たちが去年よりずっとイキイキとし初めて花を咲かせた、とかそんなことですけれどね。
大阪に行って以来毎日ケイト・キングのジュエリーを身に着けていたので、これのおかげかしら、とかそのときに招き入れたレムリアンシードのオーラ水晶の色がオレンジからイエローになりこれもきっと良い兆候に違いないわ、と思ったり、精神的にすっとすると体調までよくなり健康のおかげだわ、ともうすべてに感謝する気持ちになれるのでした。
ではほんとうにそんな良いことばかり起こっているのか、と冷静になってみるとダーリンが今月は決算月で会社が苦しいと言って資金繰りにあえいでいたり、久しぶりに会った友人のイヤな面を見てしまうことがあったり、ということなどもあったといえばあったんです。
でもそんなことどうだっていいことに思えてくる。
全然大したことじゃないことに思えてくる。
そして私はハタと気付きました。
これまでさんざオーラソーマのコースなどでティーチャーから言われてきた、
「私はあなたのストーリーには興味がありません」
というあの言葉の意味は、こういうことだったんだ・・!ということに。



「私はあなたのストーリーには興味がありません」
というこの言葉の意味するところや、自分なりの見解については以前にもこのブログでも書いたことがあります。
でも、いま一度簡単にご紹介しておきます。
セラピーのセッション中にクライアントさんが、自分自身の身に起こったことなどのエピソードや自分の辛かったこれまでの人生について、事細かにつらつらと述べ立てるときがあります。
そんなときによくセラピスト側が使う言葉が、上記の
「私はあなたのストーリーには興味がありません」
というセリフです。
ですので、この場合の「ストーリー」の意味は、「身の上話」というほどの意味ですね。
ちなみに私自身は、クライアントさんにこう言い放ったことはありません。
言う勇気がない。
あまりに突き放した感じに受け取られそうで。
ただ、セッションそのものに「ストーリー」を詳しく話してもらうことが必要かどうかと言ったら、全く必要がないと言い切ることはできます。
ひょっとしたらクライアントさんにもそれはわかっているのかもしれません。
でも、自分が味わった辛い経験を誰かに聞いてほしくて、それが自分の周囲の親しい人にさえ誰にも話せなかったことであればなおさら、こういうところだから聴いてもらえるだろう、と話したくなる気持ちもわからないではありませんので、ある程度は気持ちがすっきりするなら話してもいいのでは、と思うだけです。



私が改めてハタと気付いたのは、
「ストーリーそのものを聞いてしまうと、それに対してアドバイスせざるを得なくなってくるけれども、それをしてしまったらただの人生相談になってしまう」
ということが1つです。
そして人生相談なら人生相談でもいいけれども、その人生相談を受けて立つほどの私には覚悟があるか、といったらありません、ということが2つめ。
そして究極的には3つめ、クライアント自身も、そのストーリーそのものの解決策を求めていらっしゃるのか、といったらきっと違う、ということ。
それらのことがハラハラハラッとドミノ倒しのような気付きとして私にやってきたのでした。



先日いらっしゃったお客さまはつらつらと事細かにご自身のストーリーを語るわけではありませんでしたが、聞くと夫のDV、子どもは不登校、姑の介護となかなかに壮絶な問題を抱えていらっしゃいました。
「この人の悩みや経験してきたことは、私よりずっと深くて重い・・」
と思ったとたんに、そもそもそんな相談に私が乗れるわけがない、ってことになってしまいます。
そのことそのものの問題解決をのぞむなら、世の中にはそれ専門の相談機関がありますからそちらへ行ったほうがいいでしょう、とアドバイスするしかないわけです。
DV、不登校、介護の問題、それぞれ。
けれど、その方が訪れたのはそれらではなく、カラーやパワーストーンを使って自分自身の内面を探検するという私の元だった。
それはその人がもう半分、
「いろんなことが起こっているけれども、結局は相手を変えることなどできなくて、きっとこれは自分自身が変わるしかないんだ。こういうことが連綿と起きてきたのも、自分自身が引き寄せたことなんだ」
ということをわかってらっしゃるにほかなりません。
だからそこからアプローチするしかないんです。私は。
どのみち、DVが起こってしまったときの実際の逃げ方、不登校の子どもとの接し方、自宅介護の留意点などの具体的なスキルが聞きたいというわけがない。
それらによって傷ついてしまっている私を助けて、ということなわけです。
であれば、どのみちDVやら不登校やら介護やらの専門家のもとを訪れてもきっと答えは似たようなものです。
「あなたの気の持ちようひとつですよ」的な。



そこまでわかってらっしゃるクライアントを眼の前にして、その人の「ストーリー」を
「うんうん、それで? その後、どうなった?」
などと身を乗り出して聞いてしまったら、せっかくほぼ答えにたどりついているクライアントを、今一度スタートラインに引き戻すようなものです。
あるいは、「ここのイタリアンってほんとに夢があって素敵よ」という感想だけで十分だったのに、「ここのイタリアンに使っている食材は○○と△△よ。わからなかったでしょー。まさか××が入っているとは」というオカド違いで現実に引き戻るような隠し味の話に持って行こうとしてしまうようなもの、かな。
現実に入っている食材の話をしてしまったらそれは料理人の立場の視点からの話となり、2度と「夢があったお皿だったね」という話には戻れないからです。
現実の人生相談に乗ってしまったら、そのあとから魂次元の話をしてもすべてが嘘くさく聴こえてしまうだけでしょう。



いずれにしても、私にはDVの相談にも不登校の相談にも介護の相談にも乗れない。
けれど、言うに事欠いて、
「それらも結局、あなたの問題なんですよ」
と突き放すのが答えなのか!というマネもしたくないし、必要ない。
ただ、この人自身がまだ癒されていないんだろうな、と思うだけです。
そして、自分が癒されていない、ということにさえ気付いていないんだろうな、ということです。
私がそうだったように。
きっと私が経験したように、自分自身にほんとうの癒しが起こったら、他人が聞いたら、「そりゃま、なかなかに壮絶な・・」というストーリーさえ取るに足らぬことに思えてくるような晴れやかな気持ちになるに違いありません。
だって、自分自身が癒されきったら、それ以外の他人は(たとえ大切な家族であっても)、しょせん自分以外の外側で起こっていることですもん。
だから、ストーリーに耳を傾けるのではなくて、
「いまだ、この人が癒されないのはどうしてなのだろう?」
「自分で癒しを拒絶しているものがあるとしたら、それはどうして?」
そこにだけ目を向ければいいのだ、ということを痛切に思いました。
それが、数々のティーチャーがつるんと言ってきた、
「あなたのストーリーには興味がありません」
だったのだな、と腑に落ちたのでした。



私は私に伝えたかったんだ・・!

2019-05-31 09:01:07 | コンサルテーション
<今後のワークショップ予定>


「カラー&カード会」  えつこ&YUMI
      場所:名古屋市 紹介制会員サロン「GRACE」にて
  自分の持っている最高の可能性は、それを使命とする場合も多いことです。
  自分の可能性に気付き、そしてそれをブロックしている今のテーマに気付くことによって
  あなたの可能性はより広げるでしょう。
6/19(水) 10:00~13:00(※その後、フルーツパーティのランチ付。解散は14:30) 満席御礼
7/11(木)          同上                              満席御礼

「オルゴナイトFESTA」 えつこ&RUBBY
            場所:京都市伏見区 サロン「RUBBY」にて
  オルゴナイトって何? 何も知らなくてかまいません。
  ただ、綺麗なものが大好き、波動とか不思議な話も大好き、って方、歓迎いたします。
  自分が、今の自分を取り巻いている運勢についてもお伝えいたします。
6/30(日) 11:00~17:00予定(ランチ付) ¥9000 
お席あります。chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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 オルゴナイトセラピー モニター様募集!

 
 4/25(木)~  初回1回に限り

   オルゴナイトを使った「オルゴナイトセラピー」をリリースします。
   それに先立ちまして、モニター様を募集いたします。
   詳しくはこちらをご覧ください。  
     ↓
    https://peraichi.com/landing_pages/view/w51w1
   
   レギュラーリリースにあたって  1セッション(60分予定)・・・・¥11000
          を、
                   1セッション(60分予定)・・・・¥ 3000
           にてご提供いたします!

   「オルゴナイトセラピー」でわかることは、

      *あなたを取り巻く今の状態(仕事、恋愛、人間関係etc.などの現状がどうなっているか)
      *あなたの将来は?
      *自分の潜在的可能性のチェック

              などです。

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         chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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先日、ワークショップの打ち合わせのために名古屋の会員制サロン「Grace」のYUMIちゃんの元を訪れました。
6月と7月にこちらでYUMIちゃんとのコラボ企画「カラー&カードの会」を開催させていただくことになったからです。
こちらについては冒頭でも記載いたしましたが、おかげさまをもちまして両日とも満席となっております。
じゃあ、どうして満席になっているものを記載すんだよっ、とお叱りを受けそうですよね、どのみち会員制サロンなのだからこういう場で広く募集しているのでないならなおさら、ということですしね。
私もそう思ってきました。
ですので、これまでこちらでご案内をすることはなかったのですが、こうしてたとえ満席の会であろうともご紹介することによって、
「次回なにか企画をやることがあるなら、ぜひ行きたい。どうすればいいのか?」
と興味を持ってもらった方に対してフォローをしていくのも大切なことだな、と気付きましたので、あえて記載することにいたしました。
ご興味をもった方は個人的に連絡くださいね。



さて、この「カラー&カードの会」は、私がカラーからその人の魅力やそこに隠されているかもしれない使命、そして逆にそれに対する今のテーマとなっていることを読み解き、それをYUMIちゃんがさらにカードで深堀りしていこう、という企画です。
参加人数から考えて1人に割ける時間は最大20分。
それで何かしら参加者に気付きが訪れるだろうか・・?
それをシミュレーションしてみるため、私とYUMIちゃんでお互いに実際やってみました。
そこで私は多大なる気付きを得てしまったのです。



どこからどうやってそういう展開になっていったのか今は思い出せません。
人間都合の悪いことは忘れるようにできていますからね~ 私にとってそこまでのプロセスがそんなに“都合の悪いことだった”という気はしていないのですが、まぁ、そうであったのか、それとも自分の内側と向き合うことに精一杯すぎてプロセスさえ覚えていられないほどだったのかもしれません。
「私には伝えたいと思っていることがあるのだけれど、なにか執着があってそれを伝えられない」
というカードが出ました。
そう言われると、伝えたいと思っていることはあのことだろうか? このことだろうか? と数点思い浮かぶことはありました。
ただ自分ではそれらのことについては、
「伝えられないにはそれだけの理由がちゃんとある。伝えられない、というよりは伝えないほうがいいと私が判断しているのだから、今はそれでいいのだ」
と思っていることだったり、
「伝えることそのものに意味があると思っていない」
だったり、
「伝えるっていっても、どこからどういう伝え方をしたらいいのかわからない」
だったりするのでした。



そこでYUMIちゃんが言いました。
「えっちゃんが1番伝えたいっていう人は誰?」
私は、
「母親か夫かなぁ」
と言いました。
やはり1番身近な人であり、だからこそ愛情だけでは言い尽くせない複雑なものを抱えている相手でもある、と思ったから。
YUMIちゃんは、ちょっと質問を変えるけど、と言った感じで
「えっちゃんが、今までの人生のなかで1番伝えたいことだったのに言えなかった、っていう経験はなに?」
と尋ねました。
そう言われて真っ先に思い浮かぶのは、やはり私にとっては、3歳の頃の母の入院事件でした。
何かと言えばこのことが出てくるので、そしてこのブログにそのことそのもののエピソードがどんなであったかも、何度も書いたことがあるので、毎日のように私のブログを読んでくださっている方には耳タコの話です。
だから簡単にだけ言いますと(結局、言うんかい!)3歳の頃、私の母は結核で数か月入院していました。
その間、私は祖母に預けられていました。
あるとき面会禁止が解けて、久しぶりに母に会いに行ったとき、私は真っ先に母に駆け寄りたい気持ちを抑えたのです。
それは「育ててくれている祖母に悪いから」でした。
幼い私には祖母に育てられている現況も、その先もずっとこの生活が続くのかどうかもよく理解できていませんでした。
だから、この先ももしずっと祖母が私の面倒をみてくれるのであれば、「お母さんのほうが大好き!」という感情を素直に表すのは祖母に申し訳ない、と思ったのです。
私はYUMIちゃんに
「それが人生で最初の、自分の感情を素直に表現しなかったことかなぁ」
と言いました。



それを聞いてYUMIちゃんは
「ふぅん、素直に自分の感情を伝えなかった、ってことだね。」
と言ったあと、
「で、今も、お母さんかご主人に素直に自分の感情を伝えるにはどうしたらいいのかわからないんだね?」
と言いました。
「うん」
「どう伝えたらいいのかわからないってことは、何を伝えたいのか、ってことをえっちゃん自身が把握しきれてない、ってことだね?」
一瞬、逡巡しましたが、そのとおりだ、と思いました。
「うん、そういうことだね」
「じゃあさ、もう答えは出てるんじゃない? もう1度聞くけどえっちゃんは誰に1番伝えたいの?」
「え? 母親? じゃなくて夫?」
と自分で言ったあと、頭をが~んとハンマーで殴られたように気付きました。
「自分だ・・・!」



私は、私に対して
「素直じゃないえつこがいるよね」
「自分の感情なのに、それを表現せずに私は平気だ、って顔をしている自分を演じてきたんだね」
ということをまずは伝えたかったんだ・・!
薄々わかっているつもりのようなことを、はっきりと伝えたかったんだ。
ううん、わかっているふりをしていたけれど、本当にはわかっていなかったことを伝えたかったんだ。
私は、私に伝えたかったんだ・・!
私は、私をさえずーっと長年だまし続けてきたんだ。
それがようやく腑に落ちました。
そりゃ苦しいわ・・。



これまで幾度となく、たまたま参加したセミナーや読んだ本などで、
「自分自身に、『頑張ってきたね』って声をかけてあげてください」
と言われ続けてきました。
そしてそのたびに、私は(そんなこと、よう言わんわ・・)と思ってきました。
そりゃ色んなことに対して「あぁ、あのときは頑張ったなぁ」と自覚できることは、あるっちゃある。
けれど、それ以上に“もっと出来るはずだった自分”がいる。(と、思いたかった)
だったら、「頑張ってきたね」なんて言えるわけないじゃないか、と思って来たのです。
それをいくら
「自分に厳しいのね。もっと優しくしてあげていいんですよ」
と言われたとしても、
「いいや、私は私のことを一番よくわかっている。私は自分をねぎらう以上に、もっと出来るはずの自分にフォーカスしたい」
と思って来たのですね。
しかし、私は3歳の頃からずっと、自分で自分の本当の気持ちを表現することにさえ制限を加えてきたのだとしたら、それは「頑張ってきたね」という言葉をかけてあげるにふさわしいではないか、と初めて自分に対してねぎらいの言葉をかけることを許可する気持ちになれたのでした。



大好きだった母に、大好きだ、と伝えたいときにそれを言っちゃマズイと思った初めての体験。
この原初の体験に関してはこれまでもいろんな気付きがありました。
そのたびに「これだったんだ!」という思いと共に自分を解放することができてきた、と思っていました。
しかし、今回ほどにシンプルで大きいものに出会ったことはない、と思いました。
これまでの気づきが白菜の傷んだ外側の葉を剥いてきたに過ぎないものだ、と思えるほどに。
私は悲しいときに悲しいと素直に表現することが出来ない体験を幼い頃にしたがゆえに、それ以降の人生でも私は辛い時でも平気、という顔をして見せるクセがついてしまった。
それはわかってはいたことだけれど、これまでそれを「辛いことだ」とか「それはゆゆしきことだ」とは思ってきませんでした。
だって、辛い時に辛い顔を人に見せるよりは、平気、って顔をしてたほうが周りも重くならなくて済むじゃない、なら、それでいいじゃない、って“良いことをしている”ぐらいのつもりで生きてきたんだね。
ま、それはそれでいいけれども、少なくとも自分自身に対しては、それに対して
「なかなか頑張ってるねぇ」
という言葉をかけてあげればよかった。
私が私を1番わかってあげていなかったんだ。
気付いていないふりをしてきたことで、平気な顔をしてきたことで、いつのまにか自分の気持ちを伝えるとき、どう表現していいのかわからなくなってしまっていたのかも。
そりゃ、他人に伝えるときの伝え方もわからないはずだわ。



「自分が自分のことを1番認めていなかった、わかってあげていなかった」
このことにさえ気付けば、相手ありきの問題で、
「どうやって伝えればいいのか」
なんて問題は取るに足らぬことのように思えてきました。
だって、本質がわかれば、それ以外のことなんて方法論やテクニック論に過ぎないじゃありませんか。
私が私を認め、わかってあげたことで、母に対しても、ダーリンに対しても、私のこれからの発言はどこか相手にとっても風景の違うものに見えてくるはずだろうことが信じられました。



セッションが終わったとき、YUMIちゃんが私の背後に回り、
「なぜかこうしたくなってきちゃった」
と言って、私の背中をさすってくれました。
そして抱きしめてくれました。
これまでもオーラソーマをはじめ、セラピー関連、スピリチュアル関連のセミナーに出ると、参加者同士や参加者とティーチャーがハグする、という光景にはよく出くわしました。
実際に、私も行なったりもしました。
でも、どこか気恥ずかしさが消えないのでした。(みんながやっているところでやらないほうがよほど気恥しいからやっただけのことで、その行為そのものが自分の内側から高まりきった気持ちの発露として出た、とは思えないのでした)
無理している感覚があったのでした。
それは私自身が1人っ子で兄弟姉妹と触れ合った経験がないし、母親もあまりスキンシップを貴ぶタイプではなかったからだろう、と考えてきました。
けれど、このときはYUMIちゃんの手がとても温かくて素直に気持ちよかった。
(もっとやってて欲しいなぁ・・ こういう温かさをずっと私は求めていたのかもしれないなぁ・・)と思った時、ふいに涙が出そうになりました。



ここに至るまでにはもちろん、20分以上の時間を要しました。
ていうか、私にとっては不思議な時間の流れ方をしていた感覚で、いったいそれが長かったのか、あっという間のことだったのか、別次元に行っていたのかもしれない、というほど時間の感覚がないのです。
しかし、20分であったとしてもかなり深いところまで掘り下げることはできるね、ということがわかりました。
YUMIちゃんは天性のヒーラー、カウンセラーだなぁ、と思いました。
私は生まれ変われたような気がします。
ですからね、冒頭でも申し上げましたが、YUMIちゃんのサロンでの企画は会員制なので広く公募することはできないのですが、へぇ、そんな人なら会ってみたい、そのサロンで何か次に企画があるときには是非行ってみたい、と思った方はまずは私にメールください。




ケイト・キングのバイブレーションコンサルティング

2019-05-29 09:01:04 | コンサルテーション
  オルゴナイトセラピー モニター様募集!

    4/25(木)~  初回1回に限り

   オルゴナイトを使った「オルゴナイトセラピー」をリリースします。
   それに先立ちまして、モニター様を募集いたします。
   詳しくはこちらをご覧ください。  
     ↓
    https://peraichi.com/landing_pages/view/w51w1
   
   レギュラーリリースにあたって  1セッション(60分予定)・・・・¥11000
          を、
                   1セッション(60分予定)・・・・¥ 3000
           にてご提供いたします!

   「オルゴナイトセラピー」でわかることは、

      *あなたを取り巻く今の状態(仕事、恋愛、人間関係etc.などの現状がどうなっているか)
      *あなたの将来は?
      *自分の潜在的可能性のチェック

              などです。

   <お申込み・お問い合わせは>

         chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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先週、大阪でケイト・キングのバイブレーションコンサルティングを受けてきました。
パンフレットにはこう書かれています。
『私たちを含め、宇宙のすべてのものは振動しています。
宝石を肉体に身に着けることで、私たちの波動は変化していきます。多くの人はそのことを知らずにいますが、私は大病を患った経験を通じて、宝石の周波数を理解するようになり、振動を調和させる宝石を人にすすめられるように、あなたがもつ周波数を読み取る方法を開発しました。

人の身体は約70%が水でできています。水は他の物質の周波数の影響を受けやすいという特性があります。それに比べて宝石のもつ振動数は固定されています。

固定された振動数をもつものを、影響を受けやすいものに配置することで周波数は固定されているものの影響を受けやすくなるのです。意識的に宝石のもつ振動数を身につけることで、人は宝石の振動数に共鳴することができます。高い周波数をもつ宝石を身につけることで、当然、あなたの身体は宝石の振動数になっていくのです。』



まぁ、まだ延々と語られていますが、要するにあらゆるものには独自の波動があって、私たちが固有に持っている波動と引きあう宝石を選ぶことによって、共鳴が起こり、心地よい状態でいられる、ということです。
私が気に入ったのは、自分の波動を高次なものに引き上げるために宝石を利用するのではなく、今の自分の波動と共鳴する、という点でした。
それにしても、このケイト・キング自身が来日してのバイブレーションコンサルティングの案内は以前も見たことがあるのですが、そのときにはまったく惹かれませんでした。
しかし、なぜか今回は「ぜひ、行かなくては!」という気がしたのです。
不思議なものですね。
まったく同じものがあるときにはまったく無価値に見え、あるときには今を逃しては・・!というほどの価値あるものと思える・・。



さて、コンサルテーションではまず生年月日を聞かれました。
そしてケイトは私に、
「あなたは土の性を持っているのね。土の性を持っている人は、安定性を好み、筋道だてたことが好きで、合理性を貴び、なんにせよとにかく約束を守る、ということについてとても意義を感じるタイプ。理想主義で、マインド中心の人ね」
と言いました。
ケイトは通訳を通して、私に
「どう? こんな感じ? 合ってる?」
と言いました。
ハイ、その通りです。
合ってます。
そうとしか言いませんでしたが、私はこの時点では今まで聞きなれてきたことを聞いている、と思っただけで何も新鮮には感じませんでした。
なにせ、占星術から見ても、風水から見ても、自分が「土」の性を持っている、ということは自分でもわかっており、その性質もかねてより把握していましたから。
その一面しかないわけじゃないけれども、それが自分の土台というか、基礎の部分をなしている、という自覚はあります。



するとケイトは次にこんなことを言いました。
「今の土の性、って言ったのはあなたの魂の部分ね。でも、私はあなたの肉体からは風の性を感じる・・・  あなたは自由が好きで、自由に憧れていて、いろんなところへ行きたいのね。そして器用にいろんなことができるから、実際にいろんなことに取り組んでしまうのだけれど、それらが全部やり遂げられないと落ち込むのね」
これにはびっくりしました。
これまで、自分に「風」の性があるとは思ったことがありませんでしたし、もちろんそう言われたこともありませんでした。
でも改めて言われてみると、これまたその通りだと思えました。
こう言うと、
「そりゃそうでしょうよ。『自由が嫌いで、自由に憧れない』なんて人はいないでしょ? だいたい誰にも当てはまるようなことばかり適当に並べてるんじゃないの」
と言う人もいらっしゃいましょう。
別に反論も異論もとなえるつもりはありません。
その人とて、別に私を打ち負かしたいわけではないでしょうから。
要はそれがそのときの私に格別に響くかどうかだけなのですから。
私は自分が“人並み以上に格別に”自由が好きで、“人並み以上に格別に”自由に憧れが強い、と思う。
そして「土」という動かずに土地に根ざしたい性と、ふわふわと実体なく風のように漂いどこへでも行ってしまいたい性、その両方がせめぎあうから時に辛いんだな、と思うとこれまたひどく納得したのでした。
そしてまた改めて「バランスの大切さ」というものを思いました。



私にとって魅力的な人とは、全然違う極性を持っているような人です。
その極性を自分のなかでどう取り扱っていいかわからずに本人も持て余しているような人。
一生懸命その両極のなかで折り合う地点を見つけようとしている人。
その極性を上手に手のひらの上で転がし、一見危なげに見えるのだけれど上手にバランスをとっている人・・。
さまざまなバランスのとり方がありますが、どういう人もみな好き。
それはその人が“戦っている”感じがするからでしょうね。
だから決して穏やかなだけの人にはそんなに惹かれないのかもしれません。
そしてもし自分もそんなジャンルの仲間入りなら嬉しいな、と思ったのでした。



私が
「まさにぴったりです」
と言ったので、ケイトは意を強くしたのでしょうか、
「そうして人のために、と一生懸命になって裏切られると相当がっくりきて落ち込んでしまわない?」
と言いましたが、そこはきっぱりと、
「いえ、それはありません」
と否定しました。
人生で裏切られた経験がない、とは言いませんが、それはこっぴどいものではありませんでした。
私の人生観をひっくり返してしまうようなものには出会っていません。
そのせいなのか、それとも私がどこかでは冷たく他人は他人、自分は自分と割り切っているのかわかりませんが、裏切られてもそんなには落ち込まないと思います。
っていうか、ひょっとしたらそれが裏切りだということに気付かないだけかも(笑)



いずれにせよ、その後、ケイトは私に合うと思われるいろんなジュエリーを紹介してくれました。
ルチルクォーツ、イエローサファイヤ、タンビュライト・・ etc.
そのなかには私の大好きなきれいなブルーの色をしたパワーストーンもありました。
ブルースピネルでした。
色んなものを紹介してくれて、その中からはあとは自分が好きなものを選べばよい、と言ってくれたときには、私は自分がてっきりそのブルースピネルを選ぶと思っていました。
良質なブルートパーズのようなきれいな色。
しかし、実際にそれをあてがって鏡のなかの自分を見たとき、
「違う、これじゃない」
と思いました。
不思議でした。
なぜかわかるんですね。
今日はこれじゃない、って。
そうして私はミスティッククォーツという、ターラの女神の意識が入っていると言われる、角度によってはいろんな色に見えるものを選びました。
純粋性のホワイトレイ、太陽と木星のイエローレイ、歓びと安定のターコイズレイ、深い愛情のピンクレイの光線が入っているそうです。



パワーストーンやジュエリーを身に着けるということは、いつもそこに意図した自分を感じることができる、ということです。
当分、いつもこれを身に着けていよう、っと。

ストーリーに介入せず、介助者という立場を貫く

2019-04-30 09:01:11 | コンサルテーション

    オルゴナイトセラピー モニター様募集!

    4/25(木)~  初回1回に限り

   オルゴナイトを使った「オルゴナイトセラピー」をリリースします。
   それに先立ちまして、モニター様を募集いたします。
   詳しくはこちらをご覧ください。  
     ↓
    https://peraichi.com/landing_pages/view/w51w1
   
   レギュラーリリースにあたって  1セッション(60分予定)・・・・¥11000
          を、
                   1セッション(60分予定)・・・・¥ 3000
           にてご提供いたします!

   「オルゴナイトセラピー」でわかることは、

      *あなたを取り巻く今の状態(仕事、恋愛、人間関係etc.などの現状がどうなっているか)
      *あなたの将来は?
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              などです。

   <お申込み・お問い合わせは>

         chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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平成最後、明日からはいよいよ令和(いま気付いたけど、当たり前っちゃ当たり前ですが、「れいわ」と打ってもこの文字がすっと出てこないんだよね。ストレスだわ~)だという日に、なにをグジグジしたこと書いてんだよ!と自分にツッコミを入れて置いて、と。
ハイ、それでも平成最後話とか令和話とかではなく、ひたすら自分の心の気付きを書いていくんですけどね。



さて、昨日は、友人がたまたま占ってくれたカードリーディングでまたまたショックを受け、混乱もしてしまったということを書きました。
でも、そのおかげで腑に落とせたこともあった、と。



私は自分自身がセラピーをやっているせいか、つい他人がセッションをしてくれて自分が受け取る立場のときにでも、「もし、立場が入れ替わって自分がこのセッションをやっている方の立場だったら・・?」という目でみてしまうときがあるんです。
いやなクライアントですよね~
私ならこういう人にはできるだけ来てほしくないな(笑)
やりずらいことこのうえない。
あ、でも、口に出してそれを言うわけではないんですけどね。
心の中でどうしても湧き上がってしまう。
このときは、
“セッションをやっている方も、クライアントと一緒に、クライアントのジグソーパズルを埋めていく必要がある”
ということについて考えていました。



昨日も書きましたが、私は友人がリーディングしてくれた結果がそもそもなんのことを指しているのかわかりませんでした。
「そこから撤退するべき」というカードが出ても、
占いのこと?
カードのこと?
オルゴナイトセラピーのこと?
それともスピリチュアル全般について?  と。
そしてそれについて、
「後から自分でゆっくりと考えてみる」
と友人には言いました。
お金が介在している正式なセッションではなく、あくまでも話の流れから友人が好意でやってくれたことですし、私が「後で」「自分で」と言ったから、友人はそれを尊重してくれたのでしょう。
けれど、実際にいま“後になってみて”思うのは、その肝心なところを後回しにしては、もうそのセッションの中で友人が言ってくれた大事なことであったろうことも含めて、セッション自体が空中分解してしまって、なぁ~んにも残らないのです。
だから、もし私と同じような人がいらした場合、「それはその人の今直面している人生において、何のことを指し示しているのだろう?」という軸についてはさすがにそのときに一緒にクライアントと考えてあげる必要があるだろうな、と思いました。
まるで、行方不明になったジグソーパズルのピースを探してあげるかのように。



ただ、ここで難しいなと思うのは、オーラソーマの授業でもよく言われた、
「クライアントのストーリーに興味をもつ必要はない」
ということです。
私は当初、この“ストーリー”という言葉の意味がよくわかりませんでした。
でも何度も聞いているうちに、あぁ、これは英語で、「私の人生は・・」などというように語るとき、「My story」という言葉を使うように、その人の「人生」という意味なのだな、ということがわかってきました。
しかも、ただの「人生」というよりかは、「その人の人生のなかにおいて、あるとき起こったエピソード」というほどの意味で授業では使われていたかと思います。
たとえば、セッションをやっている最中に、クライアントが具体的に自分の身に起こったことを話し出すとします。
それを否定するものではありませんが、「ストーリー」そのものが重要な意味をもつわけではないので、そこは簡潔に語ればいいのに、そこをこそ、異常に熱を込めて話す人がいらっしゃいます。
要はただ、聞いてほしいんですよね。
自分がいかに可哀想な人間か、そのストーリーに登場するほかの人間がいかに間違っているか、というその人目線でのジャッジを。
「それまで親しかった人とあるとき言い争いになり、疎遠になってしまったことであれでよかったのか、と悩んでいるところです」
と言えば済むものを、
「Aさんという人がいるんですよ、この人がどういう人か、というところからお話しますとね」とか、
「で、私がこう言ったら、Aさんはこう言うわけですよ。それはさすがにおかしいでしょう?」とかね。いろいろ。



私自身、ラハシャ博士の「カウンセリングスキル」という授業に参加したとき、とても穏やかでこの世に生まれ落ちてから1度も声を荒げたことなどないのではないか、と思われる博士が、授業で公開カウンセリングをするから誰かクライアント役になってくれる人はいないか、とおっしゃり、1人の人がその役を買って出たとき、やはりその人がストーリーを語り出し、ラハシャ博士は穏やかな声と顔のまま、しかしきっぱりと、
「私はあなたのストーリーには興味がありません」
とおっしゃったことがありました。
私は自分がまるでそのクライアント役になったようにのめりこんでそのカウンセリングを見ていたので、ちょっとドキッとしてしまいました。
博士に拒絶されたような気持ちになってしまったからです。
博士は相変わらず優しい目でクライアントを見つめていたにもかかわらず。
いくら博士がクライアントを拒絶したわけではないことをアタマではわかっていても、どうしても「私はあなたのストーリーには興味がありません」という言葉はキツ過ぎる、という気がしていました。



そのときからずっと私はどこまでクライアントのストーリーを聞くか? ということについては難しい問題だな、と考え続けているような気がします。
そして、私が今回陥った「自分の人生に起こっていることのなかで、どれのことを言われているのかわからない」ということになった場合、一緒にバラバラになってしまったパズルのピースを探し当てるための作業はしてあげたほうがいいな、とは思うものの、その作業のなかでクライアントがストーリーを語り始めてしまった場合、どうしたらいいのだろう? と思いました。



私の結論は、「クライアントは語りたければ語ればよい」ということです。
けれど、それがあまりにも微に入り細に入りという場合途中で、
「あなたのためにご用意している時間が、この調子だとたぶんそのストーリーの半分ほどで終わってしまうことになり、それ以降は別料金、あるいは次回に、ということになりますが、それでもよろしいでしょうか?」
ときちんと現実に一度立ち返っていただく必要はあるかな、と思いますが。



いずれにしても、クライアントが「何のことを言われているのかわからない」という迷子ちゃん状態のときにはそれが何の事であるのかを一緒に探し出すお手伝いはするべきだと思いました。
それは決して「その人のストーリー(人生)に介入する」ということではなくて、「介助者という立場を貫く」という立ち位置であることを忘れてはならない、とも思います。
それはとりもなおさず「相談にのる」というような立ち位置でいる、ということでもありますから、そういう意味でいえば、占いであろうとセラピーであろうとすべて「カウンセリング」ではない、とも思ったのでした。



この話はまだまだ続きます。
実は友人はタロットと「和尚禅タロット」以外にも、ルノルマンカードでも占ってくれたのでした。
そのときのことからの気付きの話はまた明日。