ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「事実」と「記憶」

2014-07-31 09:02:00 | 身辺雑事

 

あるとき3歳と6か月の子どもを抱える友人がこんなことを言いました。

 

「2人目の子どもはほんとにおとなしくて楽だわ~と思っていた。

 

初めての子のときはほんとに癇性で気難しくて、なかなかニコニコと笑ってくれなくて・・

 

2人目の子どもは生後半年にして何て親思いなんだろうというほどただひたすらよく眠ってくれて、起きたときにもすぐに機嫌がいいし。

 

ところが、ところがね。

 

あるときふと思い立って、1人目の子どもが生まれてからずっと撮りだめてあったビデオを改めて先日見直してみたんだよね。

 

そうしたら、びっくり!

 

結構1人目の子どももニコニコ笑ってくれてるじゃないの。

 

あれ? この子、こんなに機嫌よく笑ってくれてるときあったっけ?ってぐらい。

 

あんまり2人目の子と変わらないなぁ、って改めてビデオを見ると思えてきて・・

 

びっくりしちゃった。」

 




彼女は右も左もわからない初めての出産と子育てのときには気持ちが張り詰めていて、子どもの一挙手一投足に必要以上に過敏に反応し、「この子は気難しい。大変手のかかる子だ。」と思い込んでいたのかもしれません。

 

そして2人目のときにはもう免疫もついているし、対処法もわかっているので気持ちにゆとりが生まれて、子どもが何をしてもたいていの場合は、「よしよし、この子はこの程度のむずがりで済んでくれて助かるわ。」と思っているだけで、実は初めての子のときも何ら変わりがない程度のものだったということなのかもしれません。

 

いずれにしても私はこの友人の話を聞いて、私たちが普段、どれだけ「事実」をゆがめて「記憶」しているのか、というのがとても面白いと思いました。



この友人の場合、ビデオに残っている記録が「事実」です。

 

そして彼女の頭の中にあったものが「記憶」です。

 

では、その「記憶」はいつ歪められたのか?

 

2人目の子が生まれてその子と1人目の子を比較した時点で生まれたものなのか?

 

彼女の話を聞いている限りそうではなくて、1人目の子どもの子育てをしている最中から「この子は気難しい。大変だ。」と思っていたわけですから、子どもを比較する前からのことです。

 

となると私たちは「記憶」が「記憶」となる以前から、すでに「事実」を捻じ曲げて見てしまうときがある、ということです。

 

いや、“見てしまうときがある”どころか、ほとんどがそうなのかもしれない。

 

そう思ったら、いったい「事実」ってなんなんだろう? ってすごく不思議に思えてきました。



よく「真実」を知りたい、と言います。

 

最近で言えばセウォル号のオーナーがすでに死んでいた、ということがわかった、なんてニュースで言っていますが、あの死体は本当にオーナーなの?

 

世間を納得させるためにもっと以前に亡くなっていたホームレスの死体を彼のDNAが検出された、とか言ってるだけじゃないの? なんて私たちは憶測します。

 

これがもし「真実」ならば(つまりすり替えのほうが真実ならば)、庶民の私たちに憶測や邪推が生まれた時点でこの「真実」は失敗だ、ということになりますよね。

 

でも逆に言えば、韓国の国民やセウォル号の遺族が「おぉ、そういうことだったか。」とすんなりと納得できるような巧妙な「作り話」が仕組めるのならば、「真実」なんて必要ない、彼らの「記憶」を作り上げるだけで十分じゃないか、という考え方も成り立ちます。(え~? そうなのか?)

 

私たちはどのみち「記憶」の中で生きているのだから、ということになりはすまいか。



第一、どの時点でどれが最も正しい「真実」だ、と誰が決めるのか?

 

その人が「これが真実だ。」と言った時点でそれがそもそもその人の記憶によってゆがめられているものなのかもしれない。

 

「真実は1つだけだ。」というけれど、ほんとうにそうなのか?

 

「こうだ、と思っていた。」という「記憶」のことを「真実」だ、と思って私たちは生活していることが多いのであれば、「記憶」とは過去の産物ですから、常に私たちは“今”を生きていないことになる。

 

「真実」を追求しようとする姿勢そのものを放棄しないと、“今”を生きていないことになるのではないか・・



私の友人の話で言えば、彼女は1人目の子育てをしているときに「この子は気難しい子だ。」と思っていたわけで、それは「記憶」ではありません。

 

その時点での彼女にとっての「真実」だったわけです。

 

それが2人目の子どもが生まれたことによって、それは「真実」ではなかった、ということになって塗り替えられた。

 

最初の時点での「真実」は、「間違っていた記憶」として葬り去られることになったわけです。

 

こうして私たちは次々に「真実」を「記憶」で塗り替えながら生きていくのでしょうか。

 

“今”を生きることなく・・

 




何だか考えていたらわけがわからなくなってしまいました。

 

こんなことを考えるのも、なぜか最近「グリーン」に惹かれることが多く、今塗っているボトルを塗り終えたら、今度はとにかく「グリーン」が入っているボトルを塗りたい、と思っているせいでしょうか。

 

たぶん、2,3か月ほど前に割れたB53「ヒラリオン」にしたいな、と気持ちが固まってきています。

 

そして、今はまだ塗っているボトルがあるので「ヒラリオン」はすぐに塗れない、というはやる気持ちを抑えるように、ポマンダーはエメラルドグリーンを、クイントエッセンスは「ジュワルクール」か「ヒラリオン」をやたらと使ってしまうのです。

 

そして何だか気持ちも「真実ってどういうことなんだろう?」といつもそのことに向いているような気がします。

 

だからかなぁ? ふとした何気ない友人の発言からもいろいろと考えちゃうのは。



グリーンと言う色はもともと好きな色なんです。

 

けれどなぜかボトルでグリーンが入ったものをそんなには選ばない。

 

ましてや上下ともグリーンとなるとなおさら。

 

それはなんだか複雑さがなくて(ということはつまり、ニュアンスというものを感じられないんですね。)、単純、単調な色に感じられてしまうから。

 

単純、単調と言うのは、ある意味、「真実」に最も近いのかもしれない。

 

また、そんなことを考え出す私です。

 

 

 

 

 

 

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ビーマーライトペンの遠隔ヒーリング

2014-07-30 09:09:00 | オーラソーマ

 

GW明けの5月半ばに京都にぴーちゃんのシェアリングデーに行ってから腰を痛め、それ以来ずっと定期的に鍼灸院に通っています。

 

鍼灸院に行った日は、明らかに「あぁ! 調子がいい!」と思います。

 

ただそれは「全然痛くなくなったから、これで完全に治ったんだ!」という感覚とは少し違います。

 




厳密に言うとそのときには確かに転んで腰を打ったとはいうもののそれが原因というよりは、整形や鍼灸院に行ってみて自分がどこに疲れやストレスを溜めやすいのかを確認できて、ひどくなりすぎない一定のラインに維持するために通っているという感じです。

 

ずーっと長年そういうクセが体に出来てしまっていることですから1か月や2か月通って治るという話ではない、じっくりと付き合っていこうと腹をくくっていました。



そんな私にあるとき、ビーマーライトペンのコースを一緒に受けた友人が「遠隔ヒーリングでビーマーライトペンの施術を送ってあげようか?」と言ってくれました。

 

そういう話になったのには、彼女自身も腰が痛かったからです。

 

そしてそれをあるヒーラーから、「それは肉体的な問題ではない。あなた自身がもっと私を見て、注目して、と思っているからだ。」と言われ、ハッと気づくことがあったと言います。

 

そして「ひょっとしたら恵津子さんの腰が痛い、というのも単なる肉体的な問題ではないかもしれないしね。」と言って「遠隔ヒーリングしてあげようか?」という話になったんです。

 

彼女はレイキのティーチャーでもありますから、私は喜んで、「ほんと! では是非お願いいたします。」と頼みました。



どういうやり方をするのか私には全くわかりませんでした。

 

彼女はまず、4本ボトルを選んで何番を選んだのか私に教えて、と言いました。

 

そのときに選んだ私の4本は以下の通りでした。

 

1本目・・・B108「大天使ジェレミエル」

 

2本目・・・B87「ラブ・ウィズダム」

 

3本目・・・B62「マハコハン」

 

4本目・・・B44「ガーディアン・エンジェル」

 





彼女はその日、チャクラボトルをセットし、そしてその一番上段にB87をセットし、そして私に遠隔ヒーリングをしてくれたそうです。

 

彼女が遠隔ヒーリングをしてくれるという時間はわかっていましたが、別に特に意識することなく他事をしていてもいいのよ、と言われていたので私はあまり受け取ることに意識を働かせてはいませんでした。
彼女は次の日の朝までずっとチャクラセットとB87は置いてくれていたようで、その間じゅうボトルたちはずっと私にヒーリングを送ってくれていたのではないか、と言っていました。



さて、それで私がどうなったのか・・?

 

なんと!

 

ころっと腰の痛みが治ってしまったのです。

 

人は例えば胃が痛いとき、胃のあたりが気持ち悪くて前かがみのような姿勢をとり、つい胃のあたりを押さえたりします。

 

それは「そこに胃がある。」ということを意識していることになりますよね。

 

そして本当に健康なときというのは、「あ、そこにそういうものがあったんだっけ!」という状態になることだ、と言います。

 

私は、腰の痛みがコロッと治ってしまったため、3日をあげずに鍼灸院に通っていたのが、つい鍼灸院に通うのを忘れてしまうほどだったのです。

 

ま、治療を受けるのもお財布と相談しながら、そして自分のスケジュールと照らし合わせながら、「ここで行くと次にすごく空いちゃうことになるからなぁ・・」とか考えて1週間に1,2度通っていたのでした。

 

それが痛くないものだから、次にいつ行こうというスケジューリングが頭に浮かばないほど。

 

びっくりしました。

 

自分がこんなにも遠隔ヒーリングというものに反応するタイプだった、ということに。



友人は私の2本目がB87だということから、「あぁ、恵津子さんの腰は右側が特に痛いんだな。」と思ったそうです。

 

タイムラインのヒーリングなどではB87は右側から塗りますからね。

 

コーラルには右側にずれたオーラを修復する力があるんです。

 

そしてそれはビンゴ!でした。

 

私は常に右側に違和感があったのです。

 

それらが一度の遠隔ヒーリングで一気に吹っ飛びました。

 




これ以外には何もしていないので、「偶然、その日には治るくらいの日にちになていたのではないか?」とか、「この薬も飲んだから。」とかは当てはまりません。

 

こういう体のことって、本人にしかわからない感覚ってありますよね。

 

「いま、これが効いた!」とか、「これのおかげだ!」っていうような。

 

私の場合、明らかに遠隔ヒーリングのおかげとしか言いようがありません。

 

鍼灸のように直接体に鍼を打たれて、徐々に調子があがっている・・という感じではなくていきなり全快!って感じ。

 

ただし、また徐々に徐々にこれまでと同じ生活習慣を続けていたら戻っていくんだろうな~という感じはするけれども、それにしてもとりあえず0クリアになった、という感じ。



私は友人に、「すご~い! 遠隔ヒーリングってすごいんだね。」と言ったら、

 

「遠隔がすごい、っていうよりビーマーライトペンがすごいんじゃないの?」と言われました。

 

どちらもすごくパワフルなんだ、と思います。

そして友人は、

「私と同じように何か恵津子さんにも”小さな不満”や”もっと私を見て”という思いがあったのかもしれないね。

そんな気持ちに気付くだけでも腰の痛みは治ってしまうことがあるよ。」

と言いました。

”小さな不満”や”もっと私を見て”ということ・・・

なんだろう・・?

思い当たることがないなぁ。

っていうかあるのかもしれないけれど、それに気付けない・・

それに気付いたとき、本当の意味で私の腰の痛みは雲散霧消するのかもしれません。

 

 




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タロット販売終了に思う

2014-07-29 09:06:00 | オーラソーマ

 

*********************************

 

 

 

   オーラソーマタロット 在庫無くなり次第終了発表!

 

 

 

 「オーラソーマタロット」がディストリビューターさんに無くなり次第販売終了と

 

   なるそうです。

 

   この機会に求めておこう!と言う方は今のうちですよ~

 

   ご注文の方は、chakra@ara-soma.nameまで。

 

 

 

     オーラソーマタロットカード    ¥13000(税抜)

 

 

 

*********************************

 



上記の囲みに書いたとおり、つい先日、ディストリビューターさんより、オーラソーマタロットが現在の在庫が無くなり次第販売終了となる旨の連絡がありました。

 

私は5月末にマルセイユタロットがメインではありましたが、タロット講座を受けたばかりでしたので少なからずショックでした。

 

自分が選んだ4本のボトルのオーラソーマタロットカードをすべてボトルとともに並べてみてそこから感じることをシェアしあったときの楽しさが思い出されました。

 




あのタロットカードが販売終了となるということは今後、レベル3の内容も変わるんだろうか・・?

 

レベル3では生命の樹について学びます。

 

その際、生命の樹に対応しているパスやスフィアが何をあらわしているのか? 特にパスについてはオーラソーマタロットカードを使って、大アルカナについて学びます。

 




オーラソーマタロットにはさらに前身があって、私がレベル3を習ったときにはちょうど入れ替わった時期だったのか、ティーチャーは授業では古いほうのタロットカードを使って説明してくれました。

 

古いタロットの説明を聞きながら、それをまた新しいカードの説明が書いてある教科書と照らし合わせながら大変でした。

 

まるで外国語をいちいち翻訳しながら理解するような感じだったからです。

 




あのときのように今回のタロットカードも、販売終了となってからまた図柄が新しくなったタロットカードが発売されるんだろうか・・?

 

ただ終了というだけだったら、レベル3はどうなるんだろう?

 

授業の流れがどうなる、という以前に、タロットカードを使わないのであれば、生命の樹に対応したタロット、という話自体が教えるまでもない重要なものではない、という認識になったのか?

 

だとしたらオーラソーマシステムの中でもそれはものすごく大きなことではないか?

 

いろんなことが頭の中を駆け巡りました。

 




そしていつものことながらこのように大事なプロダクツが1つ販売終了となるにあたって何の説明もないイギリスのやり方について憤懣やるかたない思いを覚えます。

 

上記に書いたように、私が思うようなことはレベル3以上を習った人なら誰でも今後どうなるんだろう?と考えることのはずです。

 

単に1つの商品が販売されなくなるということ以上に、授業の在り方、オーラソーマにとって何を重要と考えるのか、という捉え方の問題・・そんなことともかかわってくる問題のはずです。

 

でも、何の説明もない。



こういうとき、オーラソーマに親しんでらっしゃる方々はおとなしいので、

 

「なるようになる。っていうか、必要な時に必要なことが起こっているのだ。ただ受け容れて行けばいい。」と考える人が多いかと想像できます。

 

けれど、今回のようなことにおいてはそういう丸め込み方というか、自分自身を納得させようと思うのはどうかな~と思います。

 

それは今後代わるタロット製品が販売され、図柄がちょっと新しくなるという程度のことでレベル3にもオーラソーマシステムにも何も影響はない、という話なのか、何かオーラソーマを学ぶうえにおいて根本的に変わってくることがあるのか、という説明・発表をイギリスがきちんとして、そのうえで初めて私たちがそれを

 

「それについてのいろいろな意見はあるだろうけれど、必要な時に必要なことが起こっているのだと信じて進んでいこう。」というように使うのではないでしょうか。

 

何が何だかわからない。

 

本来なら私たちに明らかにされるべきことが全く明らかにされないままに行われる。

 

そんな事態で「必要な時に必要なことが・・」と言うのはちょっと違うのではないか、と私は憤慨するわけです。



あ、そういえばちょっと話は変わりますが、ASIACTが急に移転しましたね。

 

古賀さんは新しく理事長になられてまだ2年だったので(実際には印象としては1年ちょっとぐらいの感覚がしていました。)、「え、また変わるの?」「いったい何があったの?」と思った人もいらっしゃったことでしょう。

 

マイク・ブース氏のコメントが発表されましたが、さんざ古賀さんの貢献をたたえたあとに、

 

AS I ACT Japanが全体として成長してゆくためには、東京に戻ることが適切であろうと感じています。」

 

には正直、あまりにお粗末な、と思いました。

 

ASIACTという組織はやっぱ、日本の首都、東京にないとな~ということで理事長の首をこうも簡単にすげかえるなんてマネをよくマイクは平気でするな~と思って。

 

そんなことやってみなくちゃわからなかったんだろうか。

 

誰だってASIACTが福岡になったときには「へー、東京じゃなくてもいいんだ?」と思ったことでしょう。

 

私はASIACTには更新のときに書類でお世話になるくらいのものなので、北海道にあろうが沖縄にあろうがあまり何とも思いませんでしたが、ただ、日本のオーラソーマの教育に関する中枢機関が東京でなくてもいいんだ、ということには当時、単純に驚いたものでした。

 

そしてその次には、「こういう情報社会だし、実際には東京じゃなくてもどこにあってもいいわけだったんだ。」と納得したわけですが、それが2年たって、やっぱ東京じゃないとな、ですか。

 




・・とまぁ、この件に関して私が思ったのは以上です。

 

昔の私なら、その理由をもっと邪推したに違いありません。

 

そしてそれをこのブログにも書き散らしたことでしょう。

 

けれど、今、私はほんとうにこれ以上には何も邪推もしたくないし、そんなことどうだっていい。

 

私にとって実にどうだっていいことです。

 

こういうときこそ、「必要な時に必要なことが起こっているんだ、と信じよう。」じゃないでしょうか。



急に話題を変えて何が言いたかったのかというと、私にとってはASIACTの理事長が変わったということよりもオーラソーマタロットが販売終了になる、ということのほうがよほど大問題だ、ということなんです。

 

この2つの出来事を並べて比べるのであれば、両方ともを「私たち、下々の者がいろいろ邪推することではない。だから必要な時に必要なことが起こっているんだ、と信じよう。」と同じレベルで考えることではない、と思います。

 

ASIACTのことは私たちティーチャーやプラクティショナーがかかわる話ではないので。

 

けれど、オーラソーマタロット販売終了については「なぜ販売終了するのか?」という理由を私たちに説明する義務がイギリスにはあると思います。

 

エンドユーザーに対してだって、私たちはこの事態をどう説明すればいいというのでしょうか?

 

へらへらと笑いながら、

 

「まぁ、オーラソーマってもともとイギリスのものですからね。よくこういうことってあるんですよぉ。いったい何考えてんでしょうねぇ。」

 

と笑って誤魔化せ、というのか。

 

そんな責任感のないことは言いたくありません。

 

だからここはおとなしく「必要な時に必要なことが起こっている」とは思いたくない。

 

その違いを明確にしたくてASIACTの話は持ち出しました。

 




ちょっと成り行きを見守りたいと思いますが、このまま理由については何も語られないままなんだろうなぁ、という気がします。







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どちらの立場にたつか?

2014-07-28 09:01:00 | 身辺雑事

 

少し前に私は、ダーリンがお世話になっている会社の竣工記念祝賀会の司会をやらせていただきました、という話を書いたときがありました。 

 

それは私としてはもちろん、“知り合いのよしみ”で引き受けただけだと思っていましたし、あちらの社長さんもそんなフレンドリーな感じでした。

 

けれど終わったあとに、ダーリンを通じて私は「御礼」と書かれた金一封を渡されたのです。

 

え?と思って中を見てみると過分な額の福沢諭吉が入っていました。

 

「これはダメでしょ。

 

こんなつもりで引き受けたんではないし、気持ちとしてのちょっとしたお礼だよ、にしてはこれは分不相応すぎる額だよ。

 

これだけの額を出すなら何も私じゃなくてもプロの司会者を雇えた、って額だよ。

 

返しといて。」

 

とダーリンに言いました。



ダーリンも中身の金額は知らなかったらしくその額に驚いて、「ほんとだな・・ これは受け取れないよな。」とは言いながらも、

 

「でも、あの社長さん、ただ突っ返したって受け取ってくれないぞ。向こうにもメンツってもんがあるだろうしな。」

 

と言いました。

 

それもそうだな、と思って私は、

 

「じゃあさ、こうしよう。

 

今度平日にゴルフに誘ってください、って言っておいて。」

 

と言いました。



この社長さんとはこれまでに何度もゴルフをご一緒させていただいたことがあります。

 

いつもよく行くゴルフ場の平日プレーなら、だいたい今日包んでもらった金額の3分の1ほどになるな、と踏んでそう言ったのです。

 

「あ、それグッドアイデア。」

 

とダーリンも言って、後日談を聞いたら、社長さんも「わかった! なら、そうする。」と気分よく引き取ってくださったとのことでした。



けれど、それから約束通りその社長さんは2,3回平日ゴルフに誘ってくださったのですが、たまたま私には予約のお客様が入っていたりで都合がつけられませんでした。

 

「じゃ、今度の日曜はどう?」

 

と言われ、空いていたし、また断るのもな~と思ってOKしました。

 




けれど私はOKしたものの約束した「平日」ではなく、「日曜」だったので、今度ご一緒するそのプレー代は自分で払うつもりでした。

 

なにせそのゴルフ場は平日と日曜・祝日ではプレー代が倍ほども違ってしまうのです。

 

私は社長さんが包んでくださった3分の1ほどならまぁ“気持ち”として受け取ってもいいか、と思ったのでしたが、それがプレー代が倍となり、2分の1かそれを超える金額の負担になることを思うと、そりゃあいかんな、「約束が違う」んだし、と思ったのです。

 

ですからそれをダーリンに言いました。

 

「わたし、今度の日曜はご一緒するけど、プレー代は自分でもつね。」と。



そうしたらダーリンが、

 

「そこまで頑なな態度っていうのはかえって向こうの気分を害するだろ。

 

もうこれは気持ちよく受けておけよ。」

 

と言いました。

 

確かに何度か心ならずも平日をお断りすることになってしまって、社長さんとしては「なら、日曜でもいいから誘おう。」と思っての発言になったことで、単に「一緒に行かない?」というお誘いではなくて、確かめてみるまでもなく今度のプレー代は私の分はボクが持つよ、というおつもりなのでしょう。

 

でも「社長、なら代わりに平日にゴルフに誘ってください。」と私は言ったわけだから、それでは心苦しい。

 

でもダーリンの言うとおり、そこで「今日は日曜ですから私は自分で払います。また今度平日に誘ってください。」と持ち込すのもなぁ・・

 




こんなとき皆さんならどうされますか?

 

私はダーリンにこう言われても、一言、社長さんに、

 

「平日のお約束でしたのに、日曜になってしまって甘えてしまってもいいですか?」

 

と聞く方です。

 

そしてダーリンのように寸暇をおかずに「ここでこの好意を受けないのは、もうかえって相手にとってみれば気分を害することだ。」というようには思い至りませんでした。

 




こういう感じ方は親のしつけによるところが大きいのではないかなぁ。

 

うちの親ならどんなに白けても「いや、平日と言ったのだから。」とかたくなに日曜プレー代は自分で払おうとするだろうなぁ。

 

いや、それ以前にただ「御礼」を突っ返し、「そういうつもりではない。」と言い張る一方で、それを返されても受け取りにくいではないか、という相手の気持ちなぞ知ったことではない、という態度をとるだろうなぁ。

 

それで向こうが「どうもお金だとあの人は受け取ってくれないようだから・・」と何か品物を渡すようなことでもすれば、即、2,3日以内に同金額程度の「お返し」の品を送る人たちだ。

 

ここまでやられると相手は確かに白けるわなぁ。

 

もういい。

 

お礼をしたい、というこちらの気持ちを受け取ってくれない人なんだな、と今後いっさい付き合い自体をやめようとさえ思うかもれしれない。



私はまだ「大人の世界のマナー」を知らない子どもの頃からそんな親を見てきて、さすがにこれはやりすぎだ、感じが悪い、なにをそこまで頑なに・・と思ってきました。

 

結局、彼らには相手の気持ちなぞどうでもいいのです。

 

とにかく「人に借りをつくりたくない」。

 

この一点張り。

 

人に借りをつくらなければどれだけ人に「食えんヤツだな。」と思われようが、白けられようがかまわん、というタイプ。

 




そんな親に育てられてきたせいか、私にもそんなところはあります。

 

でも、あそこまで頑なではない。

 

もう少し気持ちよく相手の好意は受けよう、というスペースはあるつもりです。

 




結局、こういうことって“自分が”これだけのものを受け取るのに見合っていない、と考えるのか、“相手が”これだけのものを渡すことによって「あぁ、本当に良かった。」と気持ちを収められることの片棒をかついであげてるんだ、ぐらいの考えをするのか、スタンスを自分なのか相手なのか、どちらに置くか、という問題なんでしょうね。

 

私はダーリンが意外にもすんなりと相手の好意を受けられそうなタイプなんだな、そこは私とはちょっと違うな、という発見をしました。









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柔軟に、柔軟に・・・

2014-07-27 09:06:00 | 身辺雑事

 

今日は、小さい子どもの感性に驚きました、って話です。

 

昨日はうちの孫にイライラしたみたいな話を書いちゃったんで、今日はちょいと孫の名誉回復のために「おぉ!」と小さい子嫌いの私でもその感性にはちょっと瞠目しました、ってフォローを。(笑)

 




先日娘がうちのパソコンを使わせてくれってサロンにやってきたときのことです。

 

孫を一緒に連れてきました。

 

娘は自分が勤めている保育園の保護者向けのお便りを作るためにやってきたので、孫は娘がパソコンに向かっている間、おもに私が面倒をみていなくてはなりません。

 

サロンには小さい子には触れさせたくないものばかりなので、ひやひやしていました。



孫が「あ!」と言って目を付けたのは、私がバタフライ&シーエッセンスを求められるお客様の調合ビンに「どうぞ、好きなだけ貼って行ってください。」と用意している海の生物と蝶々のシール。

 

孫は、魚が大好きなんです。

 

大きな図鑑も持っているので名前もやけに詳しい。

 

「あ! ジンベイザメ! シロナガスクジラ! バンドウイルカ! マンボウ! タツノオトシゴ! バショウカジキ!」

 

などと言いながら、そのシールに目をキラキラさせ、「貼る!」と言いました。

 

正直私にはマンタとエイの区別なんかつきゃしませんので、それを1つ1つ正確に言い当てていく孫はすごいなぁ、と思い見ていました。



コピー用紙を出してやると、シールのシートからせっせと真っ白のコピー用紙にそのシールを貼りだしました。

 

私から見ていると単に移し替えているだけです。

 

(この貼り方に何か彼なりの法則性、意味があるのか?)と思ってじぃっと見ていましたが、何もないと思われる・・

 

では、なぜ単に移し替える、貼るという行為がそんなに楽しいのだ?

 

2歳児ってこんなものか?

 

こんなことが楽しいのか?

 

それともうちの孫のレベルが低いのか?

 

私にはさっぱりわからず、ただ孫が奇声をはりあげてそのシールを貼って行くさまをぼーっと眺めていました。

 




その作業が終わるとまた手持無沙汰になってしまったので、そこいらを走り回りだしました。

 

そこで私はそうだ、と思いつきました。

 

サロンにはときどき瞑想などで使うことがあるのですが、シンギング・ボウルがあります。

 

7つのチャクラに対応してつくられたものなので、色んな大きさのものが7つあるんです。

 

これを叩かせてやったらちょっとはおとなしくして気がまぎれるのではないか、と思い、

 

「ほらほら、これ見てごらん。」

 

と言って、チィ~ンとまず私が鳴らして見せました。

 

すると案の定「おぉ!」とか言って自分も鳴らしたい!と見よう見まねでやりはじめました。

 

私は内心(やれやれ・・)と思っていました。



ところが、そんな音が出るくらいのシロモノにはすぐに飽きてしまうんですよね。

 

意外にもたなかったな。

 

そうしたら今度、彼は何をやりだしたかというと、

 

シンギング・ボウルの1つにさきほど貼ったシールをひっぺがし、中に1つ入れ、まるでお茶の席のように、

 

「どうじょ。」(どうぞ、とはっきり発音できない。)と私に差し出したのです。

 

シロナガスクジラを飲め、ってこりゃまたどういうこと? なんて新鮮なの?と思いながら、私はごくごくと飲んだふりをして、

 

「はい、どうぞ。」

 

と孫に返杯しました。

 




そのとき私はシロナガスクジラは飲み干したことにしなくちゃいけないわけだからまだシンギング・ボウルのなかに入ってちゃまずいよな、と思って孫に見つからないようにシロナガスクジラのシールを取出し、そっとシンギング・ボウルの糸底に張り付けたのでした。

 




でも、その様子はしっかりと孫に見られていました。

 

「どうぞ。」とご返杯のように私に返された孫は、自分でおもむろにアシカをコピー用紙からはがすとシンギング・ボウルの中に入れ、さらに糸底に貼っておいたシロナガスクジラを取ってまた中に入れ、ごくごくと飲み干すマネをしました。

 

そしてまた私に「どうじょ。」と差し出しました。

 

ボウルのなかにはシロナガスクジラとアシカと孫がさらに足したエンジェルフィッシュが・・

 

こうして返杯を重ねるごとにどんどんボウルのなかにはシールが増えていきました。

 




しかし返杯、返杯とやっていても彼のなかにはどこかでちゃんと「終わり」があるのです。

 

なんでだろう?

 

不思議だなぁ・・

 

そう思ってシールを見ていると、わかった!

 

孫は大きな魚からだんだん小さな魚にしていっていたのでした!

 

そしてこれ以上小さな魚はないぞ、というところで終わりなのです。

 

シロナガスクジラ→バンドウイルカ→アシカ→ゴマアザラシ→カツオ→メダカ、終わり。

 

あるいはシールそのものがなぜか大きく作ってあるものから小さいものへ。

 

それらの生物のパワーを全部飲み干すと自分のパワーアップになるぞ、というこれは遊びだったのか!

 

そう思った次の瞬間!

 




今度は孫は空になったボウルからむしゃむしゃと何かを食べているような真似をし、そのボウルを思い切り床に叩きつけ、「きゃはは!」と笑ったのでした・・

 

うぅん、これはどういうことなんだ・・?

 

落語の「こんにゃく問答」よりむずかしいぞ・・

 

っていうか、幼子のやることに何でも意味をつけようと考えることは無意味なんだな、きっと。

 

最初に「クジラを飲むのか!」ということでその発想の奇抜さに感動してしまった私は、もっと柔軟になろうとつくづく思いました。

 




 

 

 

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