ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

B9「クリスタル・ケイブ」/ハートの中のハートボトル

2010-01-31 08:28:00 | オーラソーマ

今日からは私が今年初めて選んだボトルの順番にご紹介してみたいと思います。

B9 まずは1本目、B9「クリスタル・ケイブ」。

このボトルは大好きなボトルのうちのひとつです。

それは、このボトルが私のライフワークとも言うべき、「私はなぜ、何のために生まれてきたの?」という使命を探ることを教えてくれるかもしれないボトルだからです。

今回は1本目として選びましたが、3本目に選ぶことになる場合もよくあります。

ただ不思議と2本目や4本目のときはないんですね~

私がこのボトルをギフトとも考えていないし、将来行くべき場所とも考えていないってことなんですかね~

このボトルは、ボトルを0番から順に見ていった場合、B3がシェイクするとターコイズとして現れますが、シェイクしなくても実際に「ターコイズ」という色が現れた初めてのボトルです。

そういうことから来ているのかどうか、B3「アトランティアン」が別名、ハートボトルと呼ばれるように、このボトルは「ハートの中のハート」と呼ばれます。

これはアナンダカンダのチャクラ(「私は誰?」と問いかけるチャクラの位置。4.5チャクラ)が開くプロセスに関係しているからです。

これは創始者のヴィッキーのところにコンサルテーションに来ていたある女性の身の上に起こったことのシンクロから名づけられました。

その人は、何年も前に実質上の結婚生活は破綻していたにもかかわらず、なかなか夫と別れることができずにいました。

しかし、このボトルとワークし、「自分のハートを旅する」という別の旅をすることができるようになったことで、以前の関係を復活させたいとはもう思わないようになり夫を手放すことができたそうです。


そしてヴィッキーはこのボトルを「ハートの中のハート」と名づけました。

「私は誰?」「何のために生まれてきたの?」という自問自答を繰り返し、自分の内側を旅することによって、この女性はきっとこの夫にしがみついていることが自分に課せられた宿命でも使命でもない、と言うことに気がついたのでしょう。

アナンダカンダとコンタクトするということは、私たちの頭上にあるソウルスターからやってくるマゼンタのエネルギーを通して起こります。

そして次にアーススターとつながり、レッドのエネルギーを得て、しっかりとグラウンディングします。

そしておなかにあるゴールドのエネルギーとつながり、上と下を行き来しているピンクのエネルギーとつながります。

アナンダカンダとコンタクトするためにすべてのスターからのエネルギーが一致協力することこそが、ターコイズのもつ「個性化のプロセス」なのです。

そうすることによってこそ、私たちは自分の内側の旅に近づきます。

すべてのエネルギーが集結する、ということはオーラソーマにおけるカラーから考えると、「クリア」になる、ということです。

すべての色を光によって足していくとどんどん色としては薄くなり、最後にはクリアになってしまいます。

だから「クリア」は何もない、のではなく、すべての色、すべての意味を含んでいる、ということになります。

それが、「クリスタル・ケイブ」の「クリスタル」ではないでしょうか。


自分の内側(洞窟=ケイブ)をいろいろと旅して、そのたびに色んな色のメッセージを受け取り、勉強して行くと、最後にはクリスタルになる・・

ターコイズは「個性化のプロセス」だといいましたが、では、「個性化のプロセス」とはどういうことなのでしょう?

私たちの人格を形成しているのは、それぞれの人生における「役割モデル」から受け取ったものです。

例えばある人は、生まれてから学校に行き、「生徒」となり、卒業してから今後は「先生」となった。結婚して、「妻」となり、子どもが生まれて「母」となった、というようにそのつど、自己を形成するための「よろい」のようなものを身にまとって生きていきます。

私たちの旅はそれらの役割モデルを1つ1つ消化しながら、自分の洞窟を旅します。

しかし、クリスタルの洞窟の地点に達すると、それらをすべて取り払ってもそれでも残る「自己」とはどのようなものなのか?という問いかけがなされます。

そして1つ1つの役割モデルを脱ぎ捨てて、なおそこに残る自分と向き合うのです。

タロットでは「隠者」に対応します。

B9_2 アウトワードジャーニー(行く旅)では、隠者は暗闇のなかをランプをもって自己探求の旅に出かけるところです。

本当は、彼のもっている杖はすべてのチャクラの位置が輝き、自分の外に向けての旅をはじめなくても、本当はすでに自分の内にそれを持っていることを象徴しています。下からは目覚めのエネルギーであるクンダリーニの蛇も描かれています。

しかし、彼はそれに気がついていません。

B9_3 しかしリターンジャーニー(帰ってくる旅、または分かちあう旅)では、彼はすでに外に求めなくても自分の内側にそれがあることに気がつきました。

ボウルを手にして、自分の顔をのぞきこんでいます。そこには天上からの光が注がれています。

隠者とは世捨て人のこと。

世俗にまみれていては自己探求はできない、と非常にストイックな生活を自らに課して哲学だけの道を歩むことに決めた人のことですが、現代の私たちはオーラソーマのおかげで、世捨て人にならなくても自己に目覚めることが可能です。

B9
「クリスタル・ケイブ」/「ハートのなかのハート」

キーノート「旅のはじまり、個性化のプロセス」。

アファメーションは、「私は内なる真実に近づく道に光をあてます。」

特項として、*自己を直視し、自己を信頼するに至る過程で助けになる。

    人前で話をする恐怖をやわらげる。

    ぜんそく、気管支炎など胸部の諸症状を緩和する。



自己探求の旅を始めてみたい方は、このB9「クリスタル・ケイブ」とワークしてみてはいかがでしょうか?

オーラソーマヒーリングサロン些々羅では、全国どこへでも1本から送料無料でお届けいたします。

ご用命、お尋ねは、chakra@aura-soma.nameまでお気軽にどうぞ。




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「オーラソーマヒーリングサロン些々羅」のほうに、2月の営業案内をUPいたしました。

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オーラソーマヒーリングサロン「些々羅」では、メールにてコンサルテーションのご予約を受け付けております。営業受付時間は月~土(AM10:00~PM4:30)です。

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夢の実現と収入のバランス

2010-01-30 08:08:00 | テレビ番組

先日、テレビを見ていたら、父子家庭を特集していました。

「母子家庭なら母子家庭手当てをもらえるのに、父子家庭だとどうしてもらえないの? 子どもを抱えて残業がある職場では働けないため、どうしても職場の選択の自由が狭くなって、結果的には賃金が良いところに勤められない男性は、父子家庭でも母子家庭と同じ状況なのに。」という実態を見せる番組でした。

ごもっともな話で。

気の毒に。

まだまだこの日本では男女平等賃金ではなくて、男性は女性より良い条件のもとで働けるはずだ、というのは幼い子供を抱えているというような事情がない場合の話であって、「お父さん」が「お母さん」の役もやらなければならないのなら、母子家庭と状況は同じであろうに。

これでは逆差別ではないか、と思い番組を見ていました。

ある父子家庭のお宅では、子どもが「野球をやりたい」と言って、少年野球チームに入ったのだけれど、貧しいがゆえになかなかその費用を捻出できない。(野球なんてグローブとバットとボールがあれば、ひとまずなんとかなるんではないの? 子どもがゴルフやフィギュアスケートでもやりたいと言い出せばなんとなくお金がかかりそうだと思うのも無理からぬことだけれど、野球でどうして?と思うでしょうが、結局、実戦を積むために遠征して各地のチームと試合をするので、その遠征費用にお金がかかるみたいですね。)

番組では、お父さんが「大変ですけれど、親の事情で子どもの夢を奪ってはいけないので。」と言って、なんとか続けさせてやる道を選んだ、というところで終わりました。

一見美しくまとまったな、チャンチャン、という感じなんですけれど、私は何か違和感を感じました。

それは野球だから物事の本質に気付かずに見過ごしてしまったようだけれど、じゃあ、例えば子どもの夢がそれこそゴルフだ、と言った場合、それでもこのお父さんは本当に「子どもの夢をつぶしちゃいけない。」とやらせてあげることができたのか?

多分、無理でしょう。

どれだけ気持ちがあっても収入と時間の面で物理的に無理だ、と思われます。

最年少賞金王に輝いた石川遼くんも小さい頃、家は普通のサラリーマンだったということで、お父さんは自分もコースに行ったり練習したりしたいのにそれを削って、遼くんの打ちっぱなし費用を捻出していたそうです。

学校から帰るとこどもひとりが歩いていける距離に練習場はなかったので、毎日毎日お父さんは会社から飛んで帰って遼くんを送迎したそうです。

それでも普通のサラリーマンと言っても、まだ遼くんのところはお父さんが、自分がゴルフをしたいのを我慢する程度で遼くんの練習費用は捻出できた。

ところが、先ほどの父子家庭ではそれはそのまま生活費を圧迫します。

いや、圧迫どころか生活費がまったく捻出できず、ありえなーい、という話でしょうね。

ましてや、練習場を送り迎えする時間がとれるなら、その時間もっと働いて家計の足しにすることの方が先決、という切羽詰った状態のはず。

だから、ゴルフに憧れるなら1年に1回くらいなら何とか練習場かコースに連れて行って体験はさせてやれるけれどそれ以上はとても無理、という状況でしょう。

その状況のなかで、「子どもの夢を親の事情でつぶしたくない。」なんてかっこつけたことは言えないはずです。

もっと分かりやすい話をすれば、こどもが「お父さん、ボクの夢は宇宙飛行士になることなんだ。ひいてはいろんなトレーニングも含め、まずはNASAに行かなければ、と思うんだけど。」と言ってきたらどうでしょう?

はー?! 無理無理無理無理、絶対無理、とこれなら最初から検討の余地なし、とわかるでしょう。

こちらは別に平均的な収入のある家庭でも難しいと思いますけどね。

私が何を言いたいのか、というと、子どもの夢が果てしなく広がるのはいいけれど、その夢を「親がつぶしちゃいけない」という考え方をする必要があるのだろうか、ということです。


どこの子どもだろうと将来に対して夢をはっきり持った時点で、できるだけ幼いうちからその夢に向かって努力を重ねたほうがいいには決まっています。

けれど扶養されている幼いうちは、そのための費用は親がまかなうことになります。

それが無理なら「無理のない範囲で」、あるいは「自分の力でそのための費用を稼ぎ出せる年齢になってから」夢の実現のために努力するしかないのは自明の理でしょう。

いくらスタートが遅くなっても、それが本当に自分の夢であれば、あきらめずに取り組めるはずです。人生にとって遅すぎる、ということは何もない、と思うのです。

番組で紹介されていたのがたまたま野球だったために、今の世の中、お金の事情で野球がやれない家というのはほとんどないだろう・・・と思うから、親はつい「子どもの夢を親がつぶしてはいけない。」と思ってしまうけれど、先ほども言ったようにこれがゴルフや宇宙飛行士だったりしたら、「今、うちではそれは無理だよ。」とはっきり言い聞かせることができたはずです。

このように「夢」と「それにかかるお金」というのは密接な関係にあります。

「夢」だけをきれいで素晴らしい次元のものとして、そのきれいで素晴らしいものを守り抜くためにはどんなことをしてもお金は捻出しなくては、と思う必要はないのではないかと思うのです。

要はバランスの問題であって、夢を実現するのにその時点では捻出できない収入であれば、夢のハードルを下げればいいだけのことではないか、という話です。

親が現状を無視して何が何でもこどもの夢のハードルを下げさせずにおくものか、と歯を食いしばる必要はないのでは、と思います。

できるかぎり努力してやりたい、という親心はわかりますけれど。

番組の父子家庭の例でいえば、「うちはお金がないので、普段の練習は参加させますが、遠征はかんべんしてください。」でもいいじゃないですか。

番組の主旨が「父子家庭にも母子家庭と同じ手当てを行政はだすべきだ。」が中心だったものですから、この父子家庭のこどもの遠征費用を出すためにも手当ては必要だと皆さん思うでしょ、という論調に思えて、それは違うでしょ、と反発を感じてしまったというわけです。


まだまだ日本では「一億総中流」という意識が強いのでしょうか。

他人やよその家庭と比較して、「みんなができていることなのに、うちではできない・・」となるとウチの子があまりにも可哀相だから、と「それほど贅沢な夢でもないのにそれをかなえてやれない親であってはいけない。」と思うのでしょうね。


でも、少し前に「家業」の話を書きましたが、親の職業をそのまま引き継ぐことになる子どもが可哀相でもなんでもないのと同じで、親のふところ事情に合わせて夢にかかる費用がとんでもなくデカければあきらめさせる、ということがどうしてそんなにいけないことなのか私にはわかりません。

こどもは親を選べない、と言いますが、魂の段階のときにはちゃんと選んできているのですから、そのお金がないなりのなかでの学びがちゃんとその子どもにはあるはずです。


むしろ、「子どもの夢を親がつぶしてはいけない。」という発言は、逆から見れば、「これだけのことをしてやってるんだから、ちゃんと夢を実現してもらわないと困る。」というようにも発展しそうで、それだと子どもの将来を親がしばったり、ひいては「こどもは親のもの」というエゴが顔を覗かせそうな気がします。

年末でしたか、青森で一家3人が焼け死ぬ、という悲しい火事がありました。

亡くなったのは、子どもふたりと助けようとしたお父さんです。

お母さんは同様に、助けようとして火が渦巻く家に戻ろうとしたのを消防隊の人に止められたようです。

結果的に子どもふたりとお父さんは亡くなってしまったわけですが、その後、このお母さんは、御主人のお父さん(自分にとっての義父ですね)に、「すみません。自分だけが助かってしまって。」と言ったそうです。

これを聞いて私は、胸がいっぱいになると同時に、「あぁ、やっぱりまだまだ日本と言う国は家父長制度が色濃く残っている社会なんだなぁ。」と思いました。

こどもは家を継ぐ大事な宝。

だから、自分が生んだのだけれど、自分の子であって、自分の子ではないようなもの。その氏を継ぐ子孫、という考え方。

だから、家父長制度の頂点にたつ、義父に謝らなくてはいけない。

よそから嫁にきた私なんかが生き残ってもなんの価値もないでしょうけれど、というのが根底にあるから「すみません。私がひとり生き残ってしまって。」という言葉になるのでしょう。


私は昔のようにおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に住む大家族、とか田舎の風潮というのを否定するつもりはまったくありません。

ただ、こどもを尊重するようにみえて実は親の事情で私物化しているような残骸が私たちが普段使っている何気ない会話のなかにもまだまだ色濃く残っているのではないか、と思ったのです。


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最大パワー周期

2010-01-29 08:05:00 | うんちく・小ネタ

皆さん、今月の新月は15日でしたね。

願いごと、書きましたか?

新月になる時間が16:11、そして確かその2時間後ぐらいからボイドタイムに突入だったので、是が非でもその2時間の間に願い事を書いてしまいたい、と時計と睨めっこしていました(笑)

ちなみに先月、どんな願い事であってもピンクの用紙に書くと叶いやすくなるそうですよ、と言いましたが、またまた別のサイトで、ペンは緑のインクのものを使うとよい、と書いてあるものがありました。

どうして?という理由はよくわかりませんが、ま、良いということで何の副作用も罪もなさそうなことであればとりあえず取り入れてみましょ。


私は先月の12月27日~1月16日までが1年の間での私の「最大パワー周期」でしたので、いつもよりたくさんの願い事をしました。

通常だと最大でも10個までのお願いごとしか書けないのだけれど、最大パワー周期の期間中はなんと40個までお願いができるのです。

そんなに願いごとがあるわけがない、と思っていましたが、いざ書き始めると筆がすすみ、結局35個の願いごとを書くことになりました。

ところで皆さんはご自分の「最大パワー周期」がいつなのかご存知ですか?

ご存知でない方のためにその簡単な出し方をご紹介しましょう。

いや、厳密に言うと、「出し方」はとっても煩雑なすごい計算が必要となるので、私にもはっきりしたことはわかりません。

でも、あるネットにアクセスして自分の誕生日などを打ち込むと自動的に計算してくれるものがありますので、是非お試しください。

まずは「www.janspiller.com」で検索します。

全部英語のサイトなのですが、英語が苦手な方でも大丈夫!

ASTROLOGY with JANSPILLER」というサイトがありますので、それをクリック。

そして「home」の最初のページを出します。

右下のほうに「FREE ASTROLOGY CHAETS」というところがありますので、そこをクリック。

出てきたページのなかから「ASTROLOGY GRANDDADDY POWER PERIOD」をクリック。

そこで出てきた項目を埋めてください。

STATE」という項目だけは、アメリカで生まれた人の場合ですので、それ以外の人は空白でOKです。

最後のほうに、「BIRTH TIME」という項目がありますが、ご自分の生まれた時間まではわからない、と言う方はその下に小さく「if you・・」で始まる文章がありますので、その前についている□をクリックしておいてください。

全部記入できたら一番下の「SUBMIT FORM」をクリック。

すると、今記入したことがもう一度出てきます。

それに間違いがないかどうかを尋ねているページとなります。

間違いがなければ、一番下の左側「GERATE REPORT」の方をクリック、何か間違いがあれば、右側の「EDIT INFORMATION」をクリックして訂正してください。

この記入項目にはE-mailを記入する欄があるのですが、ここにYAHOOで取得しているメルアドとか携帯のメルアドを打ち込むと、なぜかパソコンが反応せずに画面がフリーズしてしまったり、どこか間違いがあるので訂正しなおしてくれ、となってしまう場合があります。

お使いのパソコンそのものについているE-mailアドレスが一番間違いがありません。

さて、ここまできたら、次のページにあなたの最大パワー周期が出てきます。


この期間は人によって若干まちまちで短い人だと2週間くらい、長い人だと1ヶ月ぐらいあります。

これが皆さんの1年のなかで最大のパワーを発揮するときなのです。

ちなみにこの12月27日~1月16日までの私の身の上に起こったことを振り返ってみると、特に「私ってすごいパワーを発揮したよなぁ。」と感じることはありませんでした。

むしろ、やだぁ、これって何か良くない予兆なの?!ということが多々ありました。

例えばベッド脇にふくろうのマスコットが置いてあるのですが、それがいつのまにか羽根がもげちゃっていた。

風邪もひいたし、蕁麻疹も出た。

このブログでも書きましたが、箱根に行くときは大雪で新幹線が遅れ、帰りも名鉄の沿線事故に遭遇し、電車が遅れました。

名鉄についてはその後、なんと2回もたまたま私が電車に乗るという日に、人身事故が発生してダイヤが乱れてました。

毎日毎日通勤で使っているなかの2回ならともかく、今、私は月に3回くらいしか名鉄を利用しません。そのなかで2回利用してそれが2回とも人身事故とは!

最大パワーというものは、良きにつけ悪しきにつけパワーが最大なのだろうか・・

私のこの最大パワー周期期間というものは、もろ年末年始の期間なので、生活が通常のパターンでない期間です。

そもそも日常が非日常なのに、そのときに起こったことが最大パワー周期のせいで「非日常」だったのか、どのみち「非日常」だったのか判定がしにくい。

そういう意味では、ゴールデンウィークとか年末年始とかでない、普通のときであってほしかったなぁ、と思います。

また、こうも思いました。

私が最大パワー周期の中にいるからこそ、この程度のことで済んだけれど、ひょっとしてこれが逆にパワーが弱まっているときであったら、新幹線や名鉄は遅れるで済むどころか、そもそも目的地まで行けなかったことかもしれない。

風邪や蕁麻疹どころか入院騒ぎだったのかもしれない。

何か私の身の上に起こるはずだった悪いことがふくろうのマスコットが羽根をもげる、ということで身代わりになってくれたのかもしれない、とか。


jan spiller」の著書によると、最大パワー周期に40個まで願いごとを書いたときは、最後に「次の月の新月に襲われる不安から解放されますように」と書き添えること、とありました。

それほどまでに「こんなにも思い通りになって怖いくらいだわ・・」というような気持ちに襲われるということでしょうか?

物事が急激に変化するときというのはそれが良いことであれ、悪いことであれ、不安に襲われるものです。

それほどまでにこの最大パワー周期がパワフルなのかどうか、来月の新月のときに私がどんな状態になっているのか、とても楽しみです。


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ヌメロロジー(数秘)の奇跡

2010-01-28 08:15:00 | オーラソーマ

さて、静岡での1時限めの講習は「ヌメロロジー」(数秘)について、でした。

数秘はとくに好きなもののうちのひとつです。

何が、って「数字」は世界共通の暗号だからです。


まずは自分のバースディボトルナンバーを出しました。

そしてそのナンバーのひとつひとつを柏村先生がわかりやすく解説してくださいました。

例えば、「ここに大きなケーキがあるとするでしょ。そうすると『1』の人っていうのは、何人分に切り分ければいいわけ? 私が切ろうか? お皿やフォークは人数分あるの?なんてリーダーシップを発揮して仕切りたがるタイプ。『2』はスーパーサブ的な人。だから、『1』の人が切り分けたものをどんどんお皿に盛り付けて、ちゃんとフォークもセッテイングし、飲み物の用意はありますか?って気を回したりする。それに対して『3』はとにかくこどもっぽく楽しいことが大好きだから、きゃあーっ、ケーキだって。うれしいなぁ。どこのケーキかな? あぁ、あの有名店。じゃあ、きっとおいしいはずだわ、なんてことを言うタイプね。」と、身近な例で説明が続きます。


バースディボトルナンバーは当然わかってはいたことですが、改めて先生のわかりやすい説明でそれぞれの数字のタイプや性質などを聞くと、笑いながらもよく腹に落ちていくのがわかりました。

ちなみに私のバースディボトルナンバーは「1」。

数秘のことを知らない人であっても、もっとも覚えやすい意味の、「ああ、なんでも1番になりたがる人ね。」のあの「1」です。

でも、私はそう言われるのがなぜか嫌でした。

自分に確かにそういうところがあるのはわかっているのだけれど、なんだかすきでもないのにテクニック的にリーダーっぽいことを言ったりしたりするのがハマっちゃう人なんだね、みたいな感じがして。

さっと手を上げて素直に「は~い。確かにそうです。私ってリーダーシップをとるタイプです。」とは言えないなにかが私の中にある。


けれど、先生の説明のなかに「1の人は、リーダーになる、自立する、という意味があるけれど、逆に言えばそれを学びに来ているわけだから、ある時期、そういうことができないときがあるかもしれない。」とか「自分のエネルギーのなかに自分で立つ、という人なのね。」と言われると、それはすごくすっと胸に入ってきました。

意味としては今までにも聞いたことがあるものであっても、ちょっとした説明のしかたの違いですごく腹に落ちたり、逆にすーっと通り過ぎていってしまうものがあります。

そういう意味でも同じことを違う先生から何度も何度も習う、ということには意味があるのかもしれません。

「『1』の人は否定を嫌うからね。頭ごなしに否定されたりするのは大嫌い。皆さん、よくお顔を見ておいてね。『1』の人には否定しちゃだめよ。」と先生がおっしゃり、笑いが巻き起こりました。

というのは、自分のバースディナンバー順に席を替えて、座っていたからです。

私を含め、『1』の人は、コクコクとそうだよ、みんな、そうしてくれたまえよ、否定にゃ弱いんだよ、という感じでうなづいていました(笑)

ここではなぜか「1」の人が4人も揃っていました。

こういうことってオーラソーマを習いにいくとよくあります。

何かのことで無作為にふるいにかけたら、もっとバラけるはずだろう、というものが極端に偏るっていうときが。

不思議ですねぇ。

何かを目指しているっていう共通の目的がある人たちが集まると、同じような気質をもった人が集まるってことがあるんですねぇ。

「7」の説明のところでは、「7にはね、結論というものがないの。すごく感覚

的でね・・」という説明に、思わずmieちゃんを見て、そうそうとうなづき笑ってしまいました。

私が笑っているのを見て、mieちゃんも爆笑。

「バースディボトルナンバーは別名ライフパスとも言うの。ライフパス、人生の道、つまり、人生において自分の通るべき道ってわけね。もうここで、自分の通るべき道は自分で決めてきているの。」

「ライフパス」という自分の人生において自分がすでに決めてきている、というこの呼び名については知らなかったので、こんなひとつをとっても来たかいがあったなぁ、と思う瞬間です。

さて、お次はアルファベットと数字について。

ふんふん、これもわかってます。

それぞれのアルファベットに対応する数字があって、自分の名前をアルファベットに置き換えて、さらに数字に置き換えてその意味を探る、というもの。


これについては前の先生のときに、「名前のように自分の意志で決められなかったものには宿命が宿っているから、それは結婚している人でも旧姓で出すものなの。」と聞いていました。

だから、私は「森恵津子」で出した場合の自分の数秘については把握していましたが、結婚後の「坪内恵津子」については全く出してみようとさえ思ったことはありませんでした。

しかし、柏村先生は「旧姓、結婚後の姓にこだわらずに今の名前で出してみて。」とおっしゃいました。

私が、「前の先生のときには・・・」と上記の理由から旧姓で、と言われたことを質問すると、

「なるほど。でも、自分がしっくりくるほうでいいのよ。例えば私は、離婚したけれど、結婚していたときの柏村をずっと名乗り続けているの。そして、そのほうが自分には合っているという気がしてしっくりくるのね。だから、私と同じようにそう感じる方は結婚後の姓でいいし。両方だしてみて出てきた数字のどちらにピンとくるかで決めてもいいわね。」とこちらはえらくフレキシブルなのでした。

私はこれについては前の先生の「自分の意志で決められないことは宿命だから・・」という説に納得していたのでやっぱり「森恵津子」のままの数字かなぁ、と思いましたが、ためしに今まで出したことのない「坪内恵津子」として数字に落とし込んでみました。

すると! 

「坪内恵津子」で出てきた数字のほうがピンと来るものがありました。

「森恵津子」だと使命数は「3」なのですが、「坪内恵津子」だと「11」となるのです。

「11」は「22」や「33」と同じくマスターナンバーと呼ばれ、これ以上はリダクションしません。

「11」は、「1」をダブルで更に強烈に持っている、というように読み取ることもできますし、「1」と「1」を足して、「2」の性質も持っています。

そしてB11の「エッセネ・ボトル」は、私の太陽の星座である乙女座に対応しているボトルでもあります。エッセネボトルのメッセージ「自己受容」は確かに私の現世での大きな使命のように感じていたところでした。


そして、今回初めて、マチュリティナンバーという、人生が40歳以降の後半に入ってから特に関係しているナンバーと、ミッシングナンバーと言って、どう出そうが、全く自分の人生に現れてこない数字は逆に自分の魂が成長するために学ぶナンバーだということがわかりました。

私のミッシングナンバーは「7」。

そうか! 私がmieちゃんに惹かれるのは、彼女が私にとって全くないものを教えてくれる存在として私の前に出現したからなんだ、と思いました。

すべての講座が終わったあとは、家族が待つのでここで残念ながらさよならしたmieちゃんと別れ、jynちゃんと「このお店、なんかよさそうね。」という勘で入ったお店で夕食をとって帰りました。

お店の前に出してあったメニューを見たら、さして高そうなお店とは思わなかったんですが、玄関で履物を脱ぎ、通されたのは、カウンター割烹のような部屋と個室をすぎて奥の座敷。

なんかちょっとビビリました。

Photo_2 「こちらお通しになります。」と出されたものが、箸休めってレベルじゃなくて、美しい前菜だったし・・

お味もとってもおいしかった!! やっぱり、おいしいものを探し出す嗅覚は私もjynちゃんも結構発達しているみたいです。これって動物的ってこと!?(笑)

Photo_4 Photo_3 ざる豆腐、蟹味噌コロッケなど、とってもイケてました。

Photo_5 私は、日本酒の「飲み比べセット」をたしなみながら、ご満悦。

オーラソーマはもちろんだけれど、食ひとつとってもまた静岡に来る楽しみが増えました。





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「アヤシサ」の基準

2010-01-27 07:52:00 | 身辺雑事

昨日、「七田チャイルドアカデミー」のことを書いて、ふと思い出したことがありました。

それは、昔、もう誰に言われたかも忘れてしまいましたが、「あそこ、アヤシイわよ。あんなところに子どもを預けちゃだめよ。」という話を聞いたことがありました。

その頃、私には子どもがいたわけでもなければ、七田に預けようとしていた目前と言うわけでもなんでもなかったので、「へぇ~、そういうところがあるの」で終わってしまったのですが、最近になって「七田」を知ってから、なんであれがアヤシイの? あれをアヤシイって思う人もいるんだぁ、と不思議に思いました。

人は、自分の想像とかけ離れた場合、ただそれだけで「アヤシイ」と思ってしまうのでしょうか?

七田は昔から「人間にとってのほんとの教育とは左脳教育ではない。右脳教育だ。現代の学校教育は左脳教育に傾きすぎている。」という思いから、学校の勉強をフォローするための塾とは一線を画す「七田チャイルドアカデミー」を創設した人です。

その考えにはとても賛同します。

私もいろんなところで社員教育をやらせていただいていますが、最近の経営者の悩みは、「自分で考えられる社員が少なくなった。」というものです。

皆、おりこうさんで言われたことはきちんと仕上げる。

しかし、逆に言えば、言われたことしかやらない、自分で創意工夫をして、「自分で仕事を創る」という人材がいない、というものです。

ましてや、「これをもっとこうしたらどうなんでしょう?」というように上司に提案をさしだす、なんてもってのほか、らしいです。

これには左脳と右脳の関係が大いに関連してくるのです。

左脳が活発に働いている間は、右脳は完全にお休みモードになります。

脳のしくみとしてこれは仕方がないことなのです。

だから「創意工夫」ができるような社員を育てたければ、左脳を強制モードでお休みにさせないと右脳が働かない、というわけです。

それを上手に切り替えながら、統合モードの脳をつくっていくためには左脳に編重した教育を受けている現代っ子には今まで築き上げられたブロックを取り外すところからの右脳教育が必要なのです。

そんなことから昨年末ですが、ある会社に「右脳開発」の社員研修を提案しました。

そこには以前に「オーラソーマ」を提案していたのですが、それを説明しているさなか、担当の方が「う~ん、福利厚生で、っていうのは難しいですね。まだ研修というカテゴリーなら捉えようがあるんですが。」とおっしゃったので、

「オーラソーマは自分の気付いていない潜在意識に目覚めるものですから、ひいては仕事のやり方の方法などに目覚めるっていうことも間接的にはありえますね。そういう意味では研修として捉えていただくことも可能かと思います。

あ、潜在意識っていうのが精神世界的すぎる言い方でしたら、右脳開発って捉えてもらってもいいんですが。」と言うと、この最後の「潜在意識っていうより右脳開発って捉えてもらってもいいんですが」の部分にえらく反応して、「あ、それならいけそうです! 潜在意識っていうとアヤシイけれど、右脳なら研修っぽいですもんね。」とおっしゃいました。

「潜在意識」というとなぜアヤシイのか私にはわかりませんでしたが、まぁ、相手の方がそうおっしゃるなら、「右脳」にすべて置き換えてお話しましょ、とそこでは思いました。

このように何を「アヤシイ」と思うのかは、その人によってまちまちですね。

超現実主義者や科学者や合理主義者は、精神世界のにおいが少しでもするならばすべて「アヤシイ」と思うでしょうし、同じ精神世界に身を置く人なら「あいつはインチキくさい。」というときだけ「アヤシイ」と思うでしょうし。

占いなどでお金をとっているプロの方の場合、本当は見えていないものを見えていると言ったり、あやふやな知識のまま、さもわかっているように決め付けて言ったり、ということを「アヤシイ」と言われると思います。

これは「お金」がかかっているわけですから、人の目が厳しくなっても当然だと思います。

けれど、一般的にも

「あの子ってちょっとアヤシクない?」などのように、ちょっと人とは一風変わった考え方をしているだけでもこのような表現を使うときがあるように思います。

これなどはお金はかかっていない。つまり、自分の利得のために言ったりやったりしているわけでもないときでもこの表現は使われる。

特に日本ではまだまだ「みんなと一緒」ということが正しい、という風潮が大きいように思います。

先述の「七田チャイルドアカデミー」の場合でも、クラスの全員が塾に行っているなかで、ひとり学校の勉強とは関係のない塾に行っているよ、となると「なに、それ? アヤシクない~」となるわけです。

そしてこの「アヤシイ」と言う言葉は不思議な魔力を持っています。

「アヤシイ」と言っただけで、「何がどうアヤシイのか」を追及することもなく、「アヤシイ」=いけないこと、間違ったこと、としてしまう風潮があるように思います。

人は誰でも「よく知らない土地に行く」のがちょっとドキドキして緊張が走るのと同じで、「よく知らないこと」は怖いものです。

でもそこで「よく知らないこと」=アヤシイ、としてしまうのはどうでしょうか。

「よく知らないこと」ならまずは自分でその実態を調べてみるなり、「知ろう」としてみるのが先ではないでしょうか。


B1
5の説明のときに持ち出した話をまたまたしてしまいますが、釈迦は「無知は罪なり」と言いました。

無知であるがゆえに、あらゆるものが怖くて、怖れてしまうのです。

そして、なにかにしがみつきたくなり、手放せなくなります。しがみついていれば安心感をおぼえるから。

それがすべての悩みの根源だ、と釈迦は説きました。

恐れを抱いた者は、「窮鼠猫をかむ」で、かえって凶暴になったりすることもあると思います。

団体で、「アヤシイ」と言いたてて、糾弾してしまう、というのも言葉の暴力のように思います。


人から外れたことを言ったり、したりしただけでやたらと注目を浴びる存在になってしまう。

これでは右脳開発以前に、人の目を気にしない強い精神力をもったこどもを育てる塾、というのに先に通わせなくてはいけなくなってしまいます。

もっと「人とは違う」ということを楽しめるようになればいいなと思いました。

ひとりひとり違っていてあたりまえですもん。

「みな、ひとりひとりが人とは違う」ということを認め、尊重したうえで、「合わせる必要のないこと」はそういうこととして自信をもち、「私はこれでいい」と思える人たちの社会がオトナの社会ということではないでしょうか。

そして、それがオーラソーマの求める世界でもあるように思います。




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