ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

あなたはファイティングポーズをとっていますか?

2012-01-31 09:03:00 | 身辺雑事

少し前の話題になってしまいますが、「共食い」で芥川賞をとった田中さんの記者会見が話題になりましたね。

4度も落とされたら(田中さんはこれまでに4度候補になっているのです。)断ってやるのが礼儀かと思いますが、私は礼儀を知らないので、・・・もらってやる。」とか、

「どうしてそんなに不機嫌なんですか?」と尋ねられて、

「この会見がですよぉ。」と泣きが入ったりしていました。

これが本当に根性悪い人かと言うと、生来の人の良さがどこかに見え隠れするようなほほえましさがあるので、記者の人たちも一見辛らつにみえるような答えが返ってきても、会場は常に笑いに包まれていました。

そして私は、田中さんのこの答えが印象的です。

田中さんは20歳から小説家をめざし、現在39歳。

苦節20年にしてようやくこれから食べられるか、というトバ口に立ったわけですが、これまでいっさい、定職どころかアルバイトさえしたことがない、と言います。

それを記者に「どうして働いてみよう、とは思わなかったんですか?」と尋ねられて、彼はこう答えました。

「働いたら、負けだと思いました。」

この意味するところ、私にはよぉくわかります。

これを本業にしたい!という強い願いがあるとき、単なる食い扶持を稼ぐという手段のために別の職業に手を出すことが自分が勝負に負けたかのように思える、ということ。

私もオーラソーマで食べて行くのは大変だけれど、それ以外のことでお金を稼がなければならない、ということに対して、「同じお金ならなんでもいい。手段は選ばない。」とはどうしても思いたくはありません。

オーラソーマをより引き立てるようになるようなこと、私のオーラソーマのスキルがあがることにつながるようなことしかやりたくない、と思っています。

そして、私は田中さんと同じ作家の浅田次郎氏の生き様をふと思い出しました。

彼が自分のエッセイに書いていたことですが、浅田氏も売れない時代がずーっと長くありました。

その間、彼の場合はいろんな職業を経験していますが、ただ1つだけ自分に課していたことがありました。

それは、書けても書けなくてもとにかく16時間は机の前に座っていること、それが彼の“作家”としてのプライドだったのです。

浅田氏は書けないときは、6時間身じろぎもせず、腕組みをしたまま原稿用紙を前にただ座っているだけ、という日も続いたようです。

しかし、彼は、そんなにも書けないならその時間はほかごとに費やそうとはしなかった。

なぜならそれが彼の職業だからです。

彼はほかの仕事もしていた時期がありますから、疲れて帰ってきて、睡眠時間を削っての夜更けから朝方にかけての6時間というときもあったことでしょう。

そんなとき、今日も書けそうにもないなら、いっそちゃんと睡眠をとったほうが身体のためにもよいだろう、と寝てしまう、という選択はしなかった。

精神的に楽なほうを選ぶなら、ちょっとの間短期のアルバイトでもやったほうが気がまぎれたことでしょう。

でも、その方が楽だから、という理由では彼はそちらへ流れようとは微塵も思わなかった。

なぜなら重ねて言いますが、それが彼の職業だから。

浅田氏にも今回芥川賞を受賞した田中氏にも共通した、“意地の張り方”を見たなぁ、と思いました。

いわば、ふたりともいつでも闘えるように、ファイティングポーズをとることだけは決してやめなかった、ということです。

たとえそれがシャドーボクシングでも、ファイティングポーズをとらなくなったときは、それは自分に負けた、ということだから。

逆な言い方をすれば、自分にとってそれはファイティングポーズを取っていることだ、と胸を張って言い切れることであれば、アルバイトをしようが派遣会社に登録しようがいいと思います。

ぎりぎりまで努力しているか。

そういうことだと思います。

そんなことを思っていたら、先日ある研修を受けていたとき、同じクラスに参加していた方が、ランチの時間にまで持ち歩いていたノートに何かを書こうとして、やはり、でも言葉が出てこない、という感じで、

「あ~! だめだ。やっぱり、書けない。」と言ってノートを閉じました。


その人はたぶん、講座の内容を自分なりに理解した言葉で、休憩時間にまとめようとしていたのだと思います。

でも、できなかったので、結果的にはノートを閉じ、ペンを置いた。


その様子を見ていて、私は、(でも、ペンをかまえて、ノートを開いて、いつでも言葉がつむぎ出せたら、すぐにノートにそれを吐き出すぞ、というところまで彼女はやった。ぎりぎりまで努力した。えらいなぁ。)と、田中氏と浅田氏のことを思い出したのでした。

私たちは日常、ほんとうは出来るかもしれないのに、ずいぶん手前の地点で実はあきらめてしまっている、ということがありませんか?

例えば、毎朝ジョギングをすることにしている、とします。

健康にいいことはわかっているけれど、毎日となるとちょっと起きるのにつらいって日もあるよな~ さぼりたいと思う日もあるよな~、とか思っちゃいますよね。

そんなとき、前日に天気予報では「明日は雨。」と言っている。

これ幸いにと、「明日はこれでは出来ないな。」とあきらめてハナから目覚まし時計をセットする時間を遅らせる。

でも、天気予報は外れることもあるし、霧雨のようなよわ~い雨だったら、ウィンドブレーカーを羽織る程度でジョギングには差し支えないかもしれない。

でも、いつものように朝起きて、ぎりぎりの時間にその判断をしよう、とはしなかったりする。

いいや、いいや、1日ぐらい、と自分を甘やかし、惰眠をむさぼる。


まぁ、楽しみの趣味でやっている程度のジョギングのことでこんなに厳しく自分を戒めることは必要ないかもしれませんが、自分が本当にやりとげたいと思っている夢があれば、やはりそれはぎりぎりまでファイティングポーズをとり続けた者が最後には笑うのだ、という気がします。

ちょっとあらためて気を引き締めようと思いました。





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セルフサロン

2012-01-30 09:11:00 | うんちく・小ネタ

みなさん、こんにちは!

今年ブレイクするのではないか、と言われているもののひとつに「セルフサロン」があるそうです。

プロにやってもらうのではなく、お客さんが自分でやるサロン、それがセルフサロン。

テレビで紹介していたのは具体的には、ジェルネイルのセルフサロン。

ジェルネイルを楽しむ人は増えていますが、そんなにデザインをめちゃめちゃ凝ったものにしたいわけではなく、それより頻度多くおしゃれに変え続けることのほうを重視する人にはいいですよね。

すでにそんなサロンは存在するらしく、訪れた人はそれぞれに楽しそうに自分の爪先をデザインしていました。

望めば、プロの人がデザインの提案やら、「これ、どうやってやったらいいの?」という技術面も優しく教えてくれるそうです。

もちろん、1人に1人ずつつく、というようなマン・ツー・マンではありませんけれどね。


お客さんは、「とってもいいです! プロの用具を使って、プロに技術を教えてもらいながら自分でできるなんて。」とにこにこ顔でした。

もう1つは、犬のシャンプーサロン。

大きめの水槽のようなところに1頭ずつ入れて、まずはゆったりと湯船に浸かってあったまる。

テレビで紹介されていたところは、炭酸ガスが発生するようになっている浴槽なので、ごしごし洗わなくても自然に毛穴から汚れが浮き上がる仕組みになっていました。

そして、シャンプー。

最後に、大型のドライヤーの前に立たせて、飼い主さんが手ぐしでほぐしながら乾かせばはい、出来上がり。


ワンちゃんは比較的お風呂の気持ちよさを受け容れる仔が多くていいよな~

私は猫を飼っていますが、お風呂に入れるなんて、それはもう、戦争のようなもの。

「ふぎゃ~~~~!!!!」

私を殺す気か、という抗議の声をあげ、爪をだしてあばれる。

こっちはもう傷だらけ。


しかも、自宅のお風呂場で洗うから、こっちはずーっと中腰のままでしんどい、しんどい。

乾かすのだって、人間の髪を乾かすドライヤーだから、それはそれは時間がかかってしょうがない。もちろん片手しか使えないし。

亡くなった前の猫は、チンチラという長毛種の猫だったので、乾かすのに3時間ぐらいかかりました。もうこうなると1日仕事でしたよ。

なにせ猫の毛って細いんですよ~

きれいに乾かしておかないとあとでフェルト状に固まってしまうし。

だから、テレビでこのセルフサロンを紹介していたのを見たときには、「あ~、こんなのが自宅のそばにあったらどれだけ便利なことか。」とその価値をすぐに見出せました。

ジェルネイルサロンにしてもドッグシャンプーサロンにしても、これらのセルフサロンに共通しているのは、“セルフ”ですから自分自身でプロの手を借りずにやる、ということはま、当たり前として。

そのほかには、「自分で揃えたらとても高くなってしまう、プロの用具、設備を使うことができる。」という点と、「プロの人が常駐していて、技術を教えてもらえる。」という点と、「すべてプロのようにはいかないが、あるパーツだけと割り切れば自分でできるのにな~と思っていたことを自分でやれるから格安だし、満足感も味わえる。」というこの3点ではないでしょうか。

最後のことは、ジェルネイルならすごくデコラティブなものでなくて、シンプルに何かの色を塗って、そのうえにちょっとラメのパーツぐらいをくっつけるぐらいなら確かに自分でもできそうだし、ドッグシャンプーサロンならトリミングが入ってくるとそれは自分にはできないけれど、シャンプーだけなら設備が良いところなら自分で出来るのに、と常日頃から思ってらっしゃった飼い主さんは多いのではないでしょうか。

私はこのニュースを見ていて、「ふぅん、これ、オーラソーマにも使えそうだな。」と思いました。

まず「自分で揃えたらとても高くなってしまう、プロの用具、設備を使うことができる。」という点なんてまさにうってつけでしょ。

110本にも及ぶボトルをすべて自分で揃えたら何十万円にもなってしまうけれど、それが揃っているプロのサロンに行けば買わなくても済む。

そして、「プロの人が常駐していて、技術を教えてもらえる。」という点も、あらかじめ各色のメッセージにはこういうものがある、という講座に出席してもらうことを前提条件にして、自分でまずは自分を自己診断したことのなかに明らかに色のメッセージとして勘違いしていることや間違ったことはないかぐらいをチェックするぐらいのことにしたらどうでしょう。

それから、「あるパーツだけと割り切れば、そこは自分だけでもよかった。」ということとしては、例えば前に選んだ4本と比べて、自分が同じものを選ぶかどうか、ということだけを確かめたかったとかいう人はとりあえず選ぶだけ選ぶにきました~ってな感じで使えますよね。

そもそも私は“光のセラピー”というものは、人類すべてに必要なものだと思っているのです。

そして、オーラソーマでわかる自己の内面、深層心理にしても、そういうことに興味がない、っていう人、まったく自分には必要なし、って言う人はこの世にはいないんじゃないかな。

それを強烈に求めるか、自分の生活のなかでは後回しでいいや、っていう違いがあるだけで。


だから、私の究極的な望みは、どこのご家庭にもイクイリブリアムボトルのフルセットが深鍋、片手鍋、フライパンというように揃っている鍋セットと同じように揃っていて、みんなが自分で自己管理できるようになる、っていうことなんです。

もちろん、それをシェアしあったり、自分本位な捉え方だけで終始しないように時にはプロに観てもらう、という意味でオーラソーマサロンはなくならない。

そんな社会が理想だなぁ。

というわけで。

色の意味をひととおり教えてあげたら、あとは自分が今どんな状態かな、と知りたければオーラソーマサロンにやってきて自分でボトルを選び、自分でそのボトルからのメッセージを読み取り、その場においてあるポマンダー、クイントエッセンス、アークエンジェロイエッセンス、カラーエッセンスなどのプロダクツは好きに使ってよくて、ちょっと癒されて自分のことも腑に落ち、っていうセルフサロンがあったらいいんじゃないのぉ、と思いました。

うん! いいな、いいなぁ。そういうの、やりたぁ~い!

・・と私はすぐにアイデアは思いつくのですが。

待てよ、それをやるためには、まず前提条件としてこういうことをクリアしていないといけないぞ、という要素を洗い出しているうちに、「今はまだ無理だな・・ ま、いつかはこういう夢を、ってことで暖めておこう。」と引き出しにしまってしまうんですよね・・

今日も、セルフサロンをやるためには、「オーラソーマそのものの裾野マーケットがもっと大きくならないとなぁ。」ということと、「お客様が気楽にぶらっと訪れても大丈夫、っていうためには、コンサルテーションを行っている以外の時間で、ってことになるわけだから、それを告知しないといけないし、そうすると結構限定されるな。」とか「ぶらっと訪れてもOKってことなら、やっぱりサロンは通りに面した路面店の1階じゃないとなぁ。」とか、そんなふうに考えたら、やっぱり、今すぐってのは無理かもなぁ、って思ってしまいました。

こうして、「どうせ始めるなら、お客様に迷惑がかかってはいけないから、思いつきで始めて、知らないうちにまたやめちゃってた、ってことにならないようにするには相当計画的にコトは慎重にやらなくちゃいけないんだ。」というもっともそうな理由を楯に、なかなか重い腰をあげない、っていうのが私の悪いクセです。

誰か腰のかる~い、フットワークのいい人と組めばいいのかもね。

でも、リスクのある話じゃないんだから、ちょっと計画を練ってみようかな、と思います。

あ、もちろん、誰か先に真似してもいいよ~

いいな、と思うことはどんどんやっちゃってちょうだい。

そして、出来ればその成果を教えていただけるとうれしいけど。




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「ゆとり世代」の若者

2012-01-29 09:08:00 | 身辺雑事

今日は、皆さんに自分の言いたいことはきちんと相手に伝えて、なおかつアグレッシブには聞こえない話法をご紹介しましょう。
DESC話法というものです。

DはDescribeの略で、「客観的な事実を述べる」ということです。

その後、EはExplainの略ですが、「自分の本音、感情を表現」します。

そして3つめに、Specify。「相手に提案」をします。

最後に、Choose。提案をした際に、相手にはNOという権利を残します。

そのうえで「相手に選択の余地を残す」のです。代替案を出す、というのも含みます。

具体的には次のような感じです。

同じ職場のAさんが連日続けて遅刻しました。先輩であるあなたはAさんを注意しなくてはなりません。

気が重い役割ですよね・・

こんなときアグレッシブなタイプの人だと、

「Aさん、あなた、続けて遅刻したわね。しっかりしてよ。あなたのせいで職場全体が雰囲気悪くなっちゃうわ。何があったのかは知らないけど、明日からは絶対遅刻しないようにしてね。」というようなことを言ってしまいます。

これだとAさんはいくら自分が悪かったことはわかっていても、カチンと来てしまって、素直に反省する気持ちにはなれないでしょう。

反対に、自分を押し殺してしまうタイプだとこんな感じです。

「Aさん、私なんかがこんなことを言って気を悪くしないで聞いて欲しいんだけど・・ なんか、最近悩みでもあるんじゃないかと思ってさ。話したくないならいいけど、大丈夫?」

これだと遅刻した事実に何も触れないままになってしまっているので、Aさんは何のことを言われているのかわからず、「は? どうぞ、おかまいなく。」となってしまいそうです。

ヘタしたら同僚に、「ちょっときしょいんだよ。今日、職場の先輩ったらさ。何をあたしにすり寄ってきてんだろ?」なぁ~んて言われちゃいかねません。

さて、それを上記のようなDESC話法で話すとこういう感じになります。

「Aさん、ちょっといいかな。昨日、今日と続けて遅刻したよね。→(D)事実

遅刻は職場のルール違反だから、私は違反者はちゃんとルールを守っている人に対して謝らなくちゃいけないと思うの。→(E)自分の本音

そこで今日の終礼のときにみんなに一言そのことについてAさんから話して欲しいの→(S)提案

みんなの前ではちょっと、って言うなら11人ずつでもいいんだけれど、どうかな?→(C)別の選択肢。」

どうですか?

こう言われたAさんは、少なくとも最初の事実の部分に対して冷静に「はい、その通りですよね。」という言葉を発してから、話し合いの場につくことができそうに思いませんか?

先日、私は研修で受講者の前でこの話をして、

「さ、じゃあ、それぞれ自分のお店のことを思い浮かべて、誰かにこの話法を使って普段なかなか言えないんだけれど、っていうのを実際に言うつもりでセリフを考えてみて。」と言いました。

書きやすいように箇条書きに空欄にしたシートに、少し時間を差し上げて、書き込んでもらいました。


そしてその後、それを45人ずつのグループになって、そのメンバーの前で順番に発表して、という段取りにしました。

そして私はそれぞれがちゃんと文章が作れているか、みんなの前で発表できているか、それぞれのグループを少しずつ耳を傾けて回っていました。

あるグループで発表しようとしていた男の子のシートを見たら、

「きみ、笑顔がないよね。→(D)事実。

僕はもっと笑顔のあふれる店にしたいと思っているんだ。→(E)自分の本音。

・・・・・」というように書いていました。

それを見た私は声をかけました。

「あのね、2番目の(E)の自分の本音のところだけどね。そこはまず、一番最初の“事実”に書いたことについての自分の感情を素直にあらわすところなの。

だから、この場合だと『笑顔がない。』は事実でいいよね。その笑顔がないことに対して、あなたはどういう感想を抱いているか、を話すのよ。悲しいとか、イライラする、とか。『僕はもっと笑顔のあふれる店にしたいと思っているんだ。』は、もうその次のステップにすすんじゃって、すでに提案になっちゃってるでしょ?」

そういうと、彼はポーカーフェイスのままこう言ったのです。

「なんとも思いません。」

「・・・・・え?」

「だから、それに対しては別に何の感想もありません。接客業の店なんだから笑顔を出す、ってことは当たり前のことだと思うだけで、それに対して感情なんてありません。」

「・・・・・・・」

私は、あっけにとられてしばし言葉を失ってしまいました。

気を取り直して言いました。

「じゃあ、どうしてあなたは笑顔を出す、ってことが当たり前だと思ってるのかな?」

今度は彼が、・・・え? という感じでしばし言葉を失いました。

きっと「当たり前」という言葉で塀を立ててしまい、そこから先の意味付けは考えてみる必要もない、と考えることをブロックしてしまっているのでしょう。


「お店の人が全員笑顔でいたほうが、入ってきたお客様は気持ちがいいに決まっているから。そしてさらにどうして、お客様が気持ちがいいほうがいいのか、と言えば、お店は常にお客様のものだから、ってそういうことでしょ?」と言うと、あぁ、そうっすね、と言いました。

「あなたが何のために笑顔を出さなくちゃいけないのか、っていう意味を見失っていたら、後輩に笑顔のある店にしたいんだ、って言ったって伝わるわけないじゃない。」と重ねて言うと、素直になるほど、という顔つきになりました。


しかし、びっくりしたなぁ。

これがゆとり教育を受けてきた、という産物の、いまどきの「ゆとり世代」の特徴ってやつかなぁ。

保守的、親や上司からはちやほやされてきて叱られ慣れてなくて、腹を割った話とかもしてきていない、そのせいでいい子ちゃんなんだけど、正体不明のところがあるっていうか、自分視点しか持っていない若者・・・

別の研修では、「人の気持ちになってどうしたらいいかを考えろ」と言ったら、

「先生、人の気持ちってどうしたらなれるんですか?」と聞いてきた子もいましたよ。

やれやれ・・・

こういう質問にびくっとしてしまうのは、その子の質問に深い背景があるのでは、と勘ぐってしまうからですね。

人の気持ちになれ、ってそういう言葉をそうそう軽々しく使うんじゃないよ。

私はね、今までこういう血反吐をはくような体験をしてきましたけどね、それでもなかなか人の気持ちになんてなれるもんじゃござんせん・・・ってことが言いたいのかなぁ、なんて思うと、ぜーんぜん、そんなことはなく、ほんとにただただ純粋に「どうやってなれるの?」って無邪気に聞いてきているだけなんです。

だってぇ~

わからないことは何でも聞きなさい、って小さいときから言われて育ってきたよ?

自分にわからないことは知ってそうな人に聞いたほうが手っ取り早いでしょ?

どうして聞いちゃいけないの?

と目をくりくりさせて聞いているだけなのです。

別の時には「先生、先輩ってどうして尊敬しなくちゃいけないんですか?」と聞いてきた子もいました。

このときもそういうことを言うかぎりには、その子の先輩っていうのがよっぽど出来の悪い奴で、わたしゃいつも先輩の仕事の始末の尻拭いをしてますわ、そんな先輩でもちょっと早く産まれたってだけで尊敬しなきゃいけないものなんですかねぇ、っていう意味なのかな、と思ったら、ぜーんぜんそんなことはなく、「いや、ほんとにどういう人を尊敬して、どういう人を尊敬しなくていい、っていうその色分けがわからなくて聞いてみただけ。」っていうことでした・・


正直、疲れます・・・

悪気がないだけに疲れます・・

いっそ、ワルイ奴のほうが可愛い、って思うくらいです・・

でもね~

私はあんまり人を10年ごとぐらいに区切って「○○世代」と十把ひとからげにタイプ分けすることを好みません。(ずっと小売業界ではマーケティングをやってきたにもかかわらず)

自分がそんなふうにくくられるくらいなら、はみ出し者になってやる~というあまのじゃくだからかもしれません。

でも最近さすがにこの「ゆとり世代」と呼ばれる若者の特徴を実に目の当たりにすることが多くって、ちょっと面食らってます。

1人ずつじっくりと話すと「あぁ、全然変人じゃなかった~」ってことがわかるんですが、血の巡り方がどうも私の世代とは違うようで、感情の持ち方っつーか、感じ方っつーかがさっきの「なんとも思いません。」の彼のように欠落してるのか!?と思わせられるようなところがあるんですよね。

こんなとき私はとてもジレンマを感じます。

なにに、っていうと、接客講師としてじゃなく、プラクティショナーとしていきなりオーラソーマでボトルを選んでもらえば、この人が感情豊かな人である、ってことがすぐにわかるのにな~と思って。




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他人事に介入する勇気

2012-01-28 09:16:00 | 身辺雑事

少し前に、テレビで、原発再稼動に反対する市民団体が、経済産業省の会議に抗議を申し立てているところをニュースで映し出していました。

ちょっとそのニュースだけではわからなかったのですが、市民団体の人が怒っているのは、そもそもその会議は私たちにも開放してくれるはずだったのが途中からいや、我々だけですることになった、と言うことに対してなのか、「出来レースじゃないか」というその会議の方向性についてなのか、私には不明確でした。

そしてニュースでは、「中に入れろ!」と怒っている市民団体の一部の人に対して押し返そうとする役人の様子が見て取れました。

そのとき私がびっくりしたのは、やたら熱くなっているその押し合いへしあいの人たちの向こうで、会議のためにすでに席上に座っているそのほかの役人の人たちが、醒めた様子で、まったくその騒動に関心を示すでもなく、資料をぺらぺらとめくりながら、我関せず、という様子で座っていたことです。

まぁ、ニュースの一部の映像に映し出されていたことをすべてだと思っていいわけはないことは承知しています。

ひょっとすると彼らがそういう様子だったのは、その前に、誰かから「皆さん、席についてください。冷静に。」という声でもかかったからなのかもしれません。

・・・けどね~

これはないだろーと思ってしまいました。


抗議して怒鳴り込んでいる一部の市民の人だけが妙にエキセントリックになってんだろーとつい写ってしまいますが、それもたぶん違うでしょう。

第一自分が幼い子どもでも抱えて原発の近くに住んでいたとしたら、そりゃあちょっとでもいいかげんなお役人なんて許さないわ!と思うでしょうし。

そういう市民に対して、どうしてこのお役人たちは他人事という顔で座ってられるんだろう、と思いました。

さて、話は変わり。

その日は、ちょっと人とあるショッピングセンターの前で待ち合わせをしていました。

かなり早くその場所に着いてしまった私は、中をぶらぶらと見ていることにしました。

ウィンドウショッピングのつもりが、「最終セール」の文字に躍らされて、つい、\15000\3900となっているバッグを買ってしまいました・・

包んでもらっている間に、レジカウンターで待っていると、そこに置いてあったおしゃれな懐中電灯付ストラップが気になって手に取りました。なんで、こんなもの売ってるんだろう?と思いながら・・

するとそのお店のママらしき方が、

「ショッピングセンターの従業員駐車場に向かう道が暗くてね~ この前わたし、そこで転んじゃったんですよ。そんなとき、すぐに取り出せるようなストラップに懐中電灯がくっついていたら便利だろうな~と思って、置き始めたんですよ。」と説明してくれました。


そしてさらにママはこう言いました。

「膝を思い切り打ち付けて、痛くて痛くてね~ しばらくは起き上がれないくらいだったんですよ。ほんと、そのときは骨折したんじゃないかって思うくらい。そいでショックだったのはね、私がそこに倒れているほんのしばらくの間に、3台車が横を通りかかったんですけどね。誰も大丈夫ですか、と声をかけてくれるでもなく、ましてや止まって降りてくれる人なんていなかったことですよ。まったく転んだくらいだからよかったですけどね。これが例えば心臓に障害を抱えていて一刻を争うようなことで倒れていたんだとしたら、どうすんだ、って思いましたよ。」と。


このときも、え~、確かにそれはちょっとひどいんじゃないの、と思いました。

車を運転していて、ライトに照らされて道の端に倒れている人がいたら、誰だって止まって「大丈夫ですか?」の声ぐらいかけるもんだと思っていた。

どうして行き過ぎちゃうのかがわからない。

何か事件性でもあったら、と変なことにはかかわらないに限る、ってふうに考えるってこと?

それとも倒れている人が単に酔っ払いとかで、「うるせ~、ほうっておいてくれ。」みたいに逆切れされてもイヤだから、みたいなこと?


そういえば、昔、こんなことがあったなぁ~と思い出したのは、名古屋の大通りを歩いていたら、すぐ横でバイクの男性が車にひっかけられたのを目撃しました。

私はびっくりして、すぐにバイクの男性に駆け寄り、「大丈夫ですか!?」と言ったら、引っ掛けられた位置はバイクのようで、そのせいで転倒して、ちょっとすりむいたみたいだけど、そんな大きな事故ではなさそうでした。

でも、ひっかけたほうの車はいずこへ・・って走り去っちゃってたんですよね。

なので私は、これは一応警察に言わなくちゃ、と思って周りを見渡すと、公衆電話ボックスがあったので、すぐにそこに駆け寄りました。(誰もが携帯電話を持っているのが当たり前ではない時代の話です。)

そのボックスのなかでは、電話で談笑している女性がいました。

それでも私は、外からドンドンとボックスを叩いて、「何事?」とドアを開けた女性に、

「申し訳ないけど、ちょっとの間、電話を譲ってもらえないかしら? 今、そこで事故があったので、警察に連絡したいの。」と言いました。


その電話ボックスの中からも、その事故は見えていたはずなのです。

それでもその女性は、「はぁ?」とうざいこと言ってくるババァだなぁ、というような顔をしました。

でも、譲ってくれましたけどね。


警察に電話すると、「場所を教えてください。」と言われたので告げると、

「あぁ、その事故ね。もうすでにほかからも何件もそれについては連絡が入っているので、もう救急車とパトカーが向かっています。」と言われました。

それを聞いてほっとすると同時に、なんかちょっと恥ずかしいような気持ちになりました。

あんたはすごい正義感に駆られて電話したかもしれないけど、そんなの、もうとっくに警察は動いてますよ、って言われたような気がして・・・

それでも、その事故を目撃して、何人かの人はすぐに警察に電話をした、というまだ良い時代だったわけです。

ところが、今日は朝からまったく他人事という顔をしている役人と、倒れている人がいてもすーっと横切って行く車ばかりだ、という話を聞いて、ちょっと人の心は以前より荒んできているのだろうか、と思ってしまいました。

それがもし、“なんだ、せっかく良かれ、と思ってやったことなのに”報われなかったとか、かえってとばっちり受けちゃった、という経験となったとしても、ちょっとだけおせっかいになる必要があるんじゃないか、と思いました。


昔は町内に1人や2人、人のうわさ話がやたら好きなおばちゃんとか他人事に自分のことのように介入してくる人がいたもんですが、そしてそういう人を私もうざ~い、と思っていましたが、1日のうちに2件もそりゃないだろ、という件に出くわすと「他人事にわがことのように介入してくる人」というのが、ちょっと懐かしくなりました。

ポイントは、それが自分の好奇心を満たすためだけにやっているのか、その人のためを思ってとった行動なのか、の違いだと思います。

時にはうざいババァと言われても、後者のような人でいよう、と思いました。




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災い転じて・・・

2012-01-27 09:16:00 | 身辺雑事

1ヶ月に1度ほどの割合でお邪魔している豊田市の研修の仕事に出かけました。

豊田にはいつも車で行きます。

先方は駅前だし、電車で行っても不便ではないのですが、出席者全員分のテキストをプリントアウトして持っていくので、かなりの大荷物になります。だから車を使っています。


ETCで高速の出入り口を通り抜けると、「ピーツ!」と音がなって、ガソリン残量がありませんよ、のお知らせランプがつきました。

そう、私の車って「ピーツ!」と警報音が鳴るんですよね・・・

だから、ほんとに「すぐ入れないとえらいことになる!」っていう気にさせられます。

私はインターチェンジを降りてから、最寄のガソリンスタンドに寄りました。


「満タンね~」と言ってから、バッグのなかをまさぐると・・ ない! ない!

どこをどう探してもない! 財布が。

青ざめました。

そういえば、今日はバッグを変えたんだった。

その拍子に財布を入れ忘れたに違いない。


「ちょっと待ってください!」

慌てて私はガソリンスタンドの人を呼びとめ、「すみません・・ どうやら、財布を忘れちゃったようなので、ストップしてください。まだガソリン入れてませんよね? 大丈夫でした?」と言って、変な顔をしている従業員の人を尻目にほうほうのていで(かっこわる~!)とひとりで赤くなりながら、車を出しました。


ま、ランプがついてからだって何十キロは走るだろうから、これから目的地までなんてそれは心配していない。

しかし、さて、問題は帰りだ。

必ずガソリンは入れないと絶対に帰れない。

これは研修でお世話になっているいつもの担当の人にお金を借りるしかない、と腹をくくりました。

事情を話して、ガソリン代だ、と断れば、¥5000や¥10000は気良く貸してくださるであろうことはこれまでのつきあいからわかっていました。


しかし・・・・

小銭もカードもないっちゅーのは、ほんとに不便だなぁ、と痛感しました。

私は研修のように何時間もしゃべりっぱなしになるときには、喉の調子が心配なので、あらかじめ、ちょっととろみのある飲み物の缶ジュースなんかを買っていきます。

喉が渇くから何かを飲みたいわけじゃないんです。

だからお水とかお茶を先方で出されてもそれだけじゃだめ。

どうしても、いがいがになった感じのする喉を癒すために、ちょっととろみのある飲み物をそばに置いておきたい。ネクターとか。


しかし、「\150貸してください。」は、「¥10000貸してください。」よりかえって言いにくいなぁ、と思いました。

きっとそう言ったら、「は? 何に使われるんです? あぁ、缶ジュースですか。それなら結構です。どうぞ、お持ちください。」とか言われるんだろうなぁ。

それがかえって恐縮しちゃうわ。


できればのど飴なんかも用意したかったなぁ。

それもバッグを変えたせいで、今日は持っていない。

ドラッグストアかコンビニでも寄って、どんなやつでもいいからのど飴買いたかったなぁ。

それもせいぜい\200くらいだから、借りにくいよなぁ。


財布を丸ごと忘れて、こうして仕事先に行くことになるなんて経験は初めてでした。

それで、小銭の大切さがよぉくわかりました。

私は財布にクレジットカード類も全部入れているので、どのみち今日はカードでも買い物はできませんが、もしカードがあれば、意外にふつーに欲しいものは手に入っちゃう。

けれど、何十円とか何百円とかいうものがちょっと欲しいとき、こんなに困るものか・・

私はなんだか自分が、世の中にポイとひとりぼっちで放り出された孤児になったように心細くなりました。

さて、そして先方に着くと、私は今日お財布を忘れてしまって、という話をいち早く切り出して、一刻も早く研修が始まる前までにジュースを買いにいきたいのだけれど、先方の人が今回の研修にいたるまでのいきさつを熱く語られるので、それをさえぎるわけにもいかず・・・

結局、開始時間になってしまいました。

というわけで、私は喉の心配をしつつ、からからの喉のまま研修を始めたのでした。

1
回目の研修がすんで、ランチタイムとなりました。

ランチはいつも、研修先の方が経費で落とされます。

だから私はどのみち、ランチ代はいらないんですけれど・・・

ランチでよく訪れる、そのショッピングセンター内のカフェに行きました。

そこはこの1月末で退転が決まっている店でした。

ママさんが先日ご主人を亡くされ、自分ももう年だし、と退転を決意されたようです。

「先生、今までお世話になりました。よく来ていただいて。」とそのママさんは丁寧に挨拶されました。

ほんとに腰の低い方なんです。

「いえいえ・・こちらこそ、残念ですが、お元気で。」と言ったあとにふと、私は(今日、私はお金を持っていないけれど、これでもう会えなくなるママさんに何かしてあげられることはないだろうか。)と考えました。

すると、つい先日伊奈波神社に行って、ダーリンと一緒に買ってきたお守りを持っていることに気付きました。

お守り自体はそれ以外にもいろんな神社に行って買ってきたものがあるし、伊奈波神社は、私にとっては一番近い氏神様の神社だ、ということだけなんだけれど、「全国パワースポット100選」にも選ばれていることだし、遠くの人にとってはそれがパワーを与えられる気がしていいかもしれない、と思いました。


「ママさん・・・ これ、良かったらもらってくださる?」と私は、伊奈波神社のお守りを差し出しました。

「あらあら」とママさんは、とても喜んでくれました。

よかった、よかった。

お金なくても出来ることあるじゃないか。

・・っていうか、ヘタにお金を持っていたら、私はまた改めてどこかのショップでママさんによかれと思うものでも見つけて買って、きちんとギフト用に包装したもののほうがいい、と考えてしまったかもしれない。

もちろんそれが悪いわけではないけれど、そうしたら、結局、時間がとれなかった、とか忙しさにまぎれて忘れてしまった、とかいうことになったかもしれない。

だから、このほうが良かったんだ、と思えました。


それから、2度目の研修も無事終わり、担当の方と次回の研修の打ち合わせをしているときでした。

その担当の方が、

「わたし、年末から体調崩しちゃって、大変だったんですよ~」とおっしゃいました。

何でも、きっかけはオーバーワークによる過労でぎっくり腰になっちゃって、寝ていたら仕事がまたたまっちゃったので、無理してやっていたら今度は扁桃腺になってしまって、とどめはノロウィルスだそうで。

気の毒の三重奏ってなもんです。

そのお話を伺いつつ、私はまた(今日、一文無しの私が彼女に何かしてあげられることはないだろうか?)と考えました。

すると、そうだ、ポマンダーとクイントエッセンスを何種類か持ち歩いているぞ、ということを思い出し、彼女の前に差し出し、

「よかったら、この匂いを少しかいでみて、一番今の自分にとってぴったりくる香り、とか好きな香りがあったらつけてみて。」と言いました。


何種類かあったので、手のひらにとってみてかいでみる、というのではなく、ボトルから直接彼女は香りをかいでいました。

アルコールの匂いがツンとくるはずなので、むしろ、手のひらにとったときよりも香りは強烈じゃないか、と思うのに、彼女は、オレンジポマンダーを手に取ると、

「おや? これは何にも香りがしない・・」と言ったのです。


私はびっくりしました。

え~、こんなによく香る匂いを感じないってことは・・

それほど病んじゃってるのかな。

それまでのお話で彼女は、「イエロー」という色を見たくない、それを前にするとちょっと気持ちが穏やかでなくなる、と言っていました。

オレンジはイエローにちょっと近い色です。

だからなのかな・・

見たくない色に近いから、香りも拒絶してるんだろうか。


でも、その香りを今度は手のひらにとってかいでみたら、

「あぁ、いい香り! 今度はちゃんと匂う。」とおっしゃいました。

私は、「このオレンジ、今のあなたに必要って気がするから、良かったら、半分くらい減ってる使いかけだけれど、少しの間、使い続けてみて。きっと癒されると思う。」と言ってポマンダーを渡しました。

彼女はとても喜んでくれました。

帰り際、彼女から借りたお金でようやくガソリンを満タンにしながら、私は今日という1日をゆっくりと振り返ってみました。

いつも外出するときは、その日に必要となるはずの額よりはちょっと大目の額を持ちあるく私。

そんな私が丸ごと財布を忘れて一文無しで1日を過ごしてみると、かえって、「お金はないけれど、それでも私に出来ることはないだろうか?」という発想をしたことに軽い驚きと満足感を感じました。


きっとお金を持っていたら、私はカフェのママさんに対してにしろ、担当者の女性にしろ、何かしらお金で謝意をあらわそうとしたことでしょう。

でも、お金がなかったおかげで、それでも私に出来ることはないか、と考えることができた。

たまにはお金を持ち歩かないのもいいかもな、なんてちょっと思ったりもしました。

ショッピングセンターでは、最終セールをやっていたけれど、それでいらぬ買い物をせずにすんだ、ってこともあるし。

怪我の功名ってやつでしょうか。

今度は、わざと1日、1円も持たずに出歩いてみようかなんて思ったりもしました。

でもそれは、やっぱり遠出はこわい、って思っちゃうでしょうけれどね・・

近場であれば、何か面白い発見があるかもしれません。




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