いよいよ今年も余すところ本日のみとなりました。
大震災から9ヵ月半。
「まだそれだけしか経ってない?」という気もすれば、「もうそんなに経ったっけ。」という気もします。
どちらも当てはまる感じ。変な感覚。
そして、何があっても時というのは平等に同じスピードで流れて行くんですね。
さて、年末にご縁をいただいたある方に、タロットで来年の私を占ってもらいました。
その方はタロット占いを本業にされているわけではありません。
ほかの方もまじえて話していたところ、「なんか今、悩みってありますか?」という話になり、私が、
「う~ん、・・・・・って考え込むってこと自体、ないってことなのかなぁ。」と言ったあと、
「ま、あえていえばお金に事欠いてる、ってコトですかね。」と言うと、
「わかった。それで見てみる。」とすぐにタロットを取り出したのでした。
そして出た結果は・・・
「う~ん、確かにお金には事欠くみたいですね。」
やっぱりねぇ。わかっていることとはいえ、がっくし。
「しかもね、それはすぐに返って来る、ということはない。結構、回収にはかかるみたいですね。」
さらに、がっくし。
「そして、ことお金に関しては、協力者が非常に少ない。つまり、それ、出してあげるからいいよ、とか申し出るような人がいない、ってことね。何でも自分で切り開いていかなきゃいけないみたい。」
わかってるけど、さらに、さらにがっくし。
オーラソーマもタロットとは関係していて、オーラソーマタロットにはある程度精通しているけれど、普通のタロットについては全く占い方も見方も知りません。
だから、自分が聞いた質問に対して「あ~、ハングマンが出てる。」「マジシャンが出てる。」とかはわかっても、占っている方がそれをどう意味づけて紐解いているのかは、全然わかりません。
でも、ずいぶん前から半年以内くらいのスパンのことなら、タロットが一番当たるって聞いたことあります。
だから、ほんと、この通りになるんだろうなぁ~と思うとさらにさらにさらに何だか肩の辺りが重くなるようでした。
その方がおっしゃいました。
「でもね、その道に進むことそのものは、すごく合ってる。ばっちり合ってる。だからやればいいと思うんだ。やれば、その世界ではナンバー1になれるって出てるよ。そもそも、その道に進むのももうやめたほうがいいっていうほどお金に事欠くなら、合ってる、なんていうふうには出ないものだと思うし。」と。
合うも合わないも、自分でもう進むって決めている道だからやりますけどね~
でもそれでナンバー1っていうのはどうかなぁ。
どういうことをナンバー1って決めるのか、っていうのを自分にとって良いように解釈すればいっかぁ。
そして、その方がさらにおっしゃいました。
「前途多難ってことを言ったみたいに聞こえるかもしれないけど、私なら今の話、ばっちりだね、って喜ぶわ。」
なぜ彼女がそう言うのか、私にはよくわかりました。
なぜなら、こうしてタロットで占ってあげようか、という話になる前に、みんなでお金の話をしていたときにも、その方がおっしゃったのです。
「でもね、世の中にはいろんな悩みがあるけれど、お金がない、っていう悩みが私は一番簡単なことだと思うよ。だって、“ない”ものは“ある”ように頑張ればいいんだもん。でも、“ある”ものを“ない”ようには出来ないなかで、“ある”悩みのほうが大変だって思うな。」と。
その方もなかなかにいろんな経験をなさってきた方なので、その言葉には重みがありました。
そして私は、B33「ドルフィンボトル」にまつわる釈迦の言葉を思い出しました。
「人間の悩みには3つしかない。1つは、手に入らないものがある、という悩み。2つめには、欲しくもないものが手に入ってしまった、という悩み。そして3つめは、手に入ってしまったものが、欲しかったものなのかそうでないのかがわからない、という悩み。」というやつです。
これもほんとに深い言葉ですよね。
ま、こういう話をしたあとの「来年1年は、出て行くお金が多くて確かに大変で、それに対する協力者もいないよ。」という見立ては、がっくしは来ましたが、まぁ、さほど深刻なものでもなく、そうだろうなぁ~と薄々自分でもわかっていたことがはっきり出ちゃったよ、という程度のものでした。
それでもやっぱり気持ちは重いのです。
わかっていることで、どうしてこう気持ちが重くなるのか・・・?
私はもう一度、それがどこから来ているものなのか、きちんと見つめてみることにしました。
来年ティーチャーズコースにかかるお金そのものは、貯金を取り崩すことになるけれど、それですぐに明日のお米にも困ります、ってわけでもない。
それなのにどうして私は気持ちが重くなるのだ?
よぉくそのへんを考えてみると、私の気持ちの重さ、暗さ、というものは、お金そのものの多寡ではない、ということがわかってきました。
問題は、それだけの投資をするのにもかかわらず、ティーチャーになったらすぐに見返りが見込めるというものではない、というところにありました。
いいや、すぐに、ではなくてもいい。
徐々にでもいいけれど、とにかく資格というものを取ったから、やれやれこれで安泰、あとはほかごとに神経をすりへらさなくても、泰然自若としていれば、徐々にではあるけれど、回収がはじまるというものでもない、というところが私を暗くさせるのです。
では何か、といえば、問題は生徒さん集めですね。
HPで「レベル1開催しますぅ~」とかうたえば、すぐにわらわらと生徒さんが集まってきてくれるわけではない、ということがとっても私には気が重いわけです。
そりゃあ、自営であればどんな職業でも一緒だよ、と言われればそうなんでしょうが、私の気持ちのなかのどこかに5万や10万のお金で、1日や3日というお手軽な期間で、すぐに開業できたり資格をとったりすることのできるものが後で苦労するならわかるけれど(そういうお手軽さに乗って、ライバルも多いだろう、という意味で)、オーラソーマのようにこれだけ時間もお金も並大抵はずれてかかるものでようやっとの思いでティーチャーになった、となってもその後が、お手軽な資格を取った人と同じように苦労しなくてはならないのはあまりにも割りが悪いのではないか、といういたたまれぬ憤慨のようなものが沈殿しているからですね、本音を言えば。
その気もない人に、ことあるごとに顔を合わせれば、「ね、オーラソーマ、学んでみない? いいわよぉ。どう? どう?」なんてプッシュしていいかげんにしてよ、なんて引かれるのもやだし、私にはそういうマネは絶対にできない、なんて思ってるから余計に気が重いんでしょうねぇ。
よし、だったらばここで気持ちを切り替えるべし。
私はお金がない、ということに対してさほど気持ちが暗くなっているわけではないのだ、と言うことをまずは喜ぼう。
そして、まだティーチャーになったわけではないけれど、来年1年かけてティーチャーになるために学ぶ間、ずっと並行して、私らしく、1人ひとり、かかわりになった方々を大切にして、徳を積みながら、どうすれば「はぁ、私はできるだけの告知活動はやった。」といえるだけのものがあるだろう、ということを考え、1つ1つ計画し、実行に移していこう、と思いました。
やることもやらずにただただ恐れていたって仕方がないもの。
年末の大詰めにきて、とてもよい気持ちの切り替えができました。
ティーチャーになる、なると言いながら、私の気持ちはずっとローギアに入ったままでした。
ローギアのまま空ぶかししたって、そりゃあたいして前には進めません。
ちゃんと自分の取り組み姿勢の気持ちを立て直して、ローからはいって、徐々にセカンド、サードとあげていき、来年1年が終わるころにはトップスピードでやるだけのことはやったぞぉ! 後は野となれ山となれ、といっていられる自分になろう、と思いました。
タロットを見てくださった方が言いました。
「誰かがチロルチョコレートをくれるとするじゃない。その人がすごくお金持ちの人だったら、なんだよ、チロルかよ、って人は思うかもしれないけど、私みたいにお金のない人間がチロルチョコをあげたら、そりゃあ、喜ばれるわよ。アハハ。だから、チロルかどうかってことが問題じゃないの。チロルですんごい喜んでくれるんだからさぁ、いいわよぉ。」って。
すんごい明るい方なんです。
私も、あの人がチロルくれるんなら、ありがたや、ありがたや、ってみんなが喜んでくれるといいなぁ。
それでは皆様、今年も長い文章につきあって、読んでくださり、ありがとうございました。
来年も相変わらず、長文におつきあいください。
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