ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

自分の話をしない人

2013-01-31 09:05:00 | コンサルテーション

コンサルテーションで時々「自分のことを語らない人」に出くわします。

それはまだ自分のことを語る準備ができていないからなのだな、と思い、私は無理にしゃべってもらおうとは思いません。

クライアントの方の内側ではいっぱいいっぱい自分との対話が始まっていて、実は内面ではおしゃべりなんだろうなぁ、という場合もあります。

そういう方は表情を見ているとわかります。

視線は下方を見たり、斜め上方を見たりして(あらぬところを見ているのは自分の内面を見ているとき)、時々苦悶の表情を浮かべたり、唇が今にも何かを語りだしそうにぴくぴく動いたりします。

こういう方の場合は、「話したくない」わけではないのです。

ただ、そのタイミングを見計らっている、という場合と、自分をこれまでオープンにしてきたことがなかったためどうしてよいかわからない、という感じだと思います。

ところが、こういう人とは別にもう1つ一風変わった(?)タイプとしての、「自分のことを語らない人」というのがいらっしゃいます。

自分のことはこれっぽっちも語らないのに“ほかの人のことで妙に雄弁”、という方々です。

一番最初にこのタイプの人に出会ったとき、私は戸惑ってしまいました。

自分がこういうサロンを訪れたとき他の人の話ばかりをするというタイプでないからというのもありますし、私の周囲にも、これまでコンサルテーションしてきたクライアントさんのタイプにもなかったタイプだったからです。


いつ、自分の話を始めるのだろう?

いつ、自分の話に戻るのだろう?

お金を払って自分の内側を見に来たのではなかったのか? こんなことで時間を費やしてしまってもいいものだろうか?

そう思いながら耳を傾けていても、彼らの話はいつまでたっても自分の話には戻りません。

永遠に“ほかの人の話”を続けます。

「で、ご自身はどうなんですか?」と時々、その方のことに話を引き戻そうとするのですが、それに気付いてか気付かずにか、話はするりとマジックのようにいつも”ほかの人の話”に舞い戻っていきます。


そして、いくらなんでも私も気付くようになりました。

彼らは、“ほかの人”の話をしているようで、それが実は“自分の話”なのだ、ということに。

“ほかの人”とは、自分の身近な家族であることもあれば、友人であることもあれば、先日出会ったばかりの人であったりもします。

そして、その“ほかの人”に対する評価はぼろくそにけなすだけのこともあれば、すごく褒めることもあります。


でも、聞いていればわかります。

自分の身近な人のことをぼろくそにけなすときには、「そんな人にいかに私が苦労させられているか。」「そんな人をいかに私はもてあましているか。」「そんな人にこれまでいろいろと変わってほしいと努力してきたが、万策つきて今はもうあきらめているか。」そんなことを語ります。

つまり、”どうしようもない人”に対して、私はやるべきことはすべてやってきた、というわけですね。

すごく褒める場合は、こちらがその褒められている人のことを「でもそういうけれど、それほどでもない部分もあるんじゃないのぉ?」などと疑ってかかっているわけでもないのに、口角泡を飛ばすほどに一生懸命褒めます。
まるで、「誰も気付かないその人の良いところに私は気付いたわけよ。」「この人の良いところっていうのは、誰にだってマネできないことだと思うわよ。」と言いたげな感じです。

こちらについてはつまり、そういうことに気付いた私って実はすごいでしょ、ということなわけですね。


それらはすべて語っているその人自身を“投影しているのだ”ということに気付いていないのはご本人ばかりなり、っていう感じです。

つまり、こういう方というのは「私はパーフェクトなのだ。」と言いたいわけですよね。

ぼろくそにけなしている場合には、

「こんな苦労は私にしか出来なかったと思う。」

「(完璧な私でさえもてあましているんだから)誰にもこの人は矯正できないと思う。」

ということが訴えたいのであり、褒めている場合は、

「ねぇ? この人の偉いところに気付いた私はすごいでしょ?」

「(完璧な私でさえ)この人のこの部分には感服した、って言ってるんだから誰もこの人のこの部分のようなことはできないはずよね。」と言いたいのだな、とわかります。

私は自分の母が「自分は完璧だ。」と言ってはばからない人でしたし、私自身も長年「その完璧さを上回るほどに自分もまた完璧でないと、人から認められないのだ。愛されないのだ。」と思ってきたこともあって、こういう人を見ると、その人が陥っている穴がよくわかる気がします。

ラハシャ博士のカウンセリングスキルコースを受けたときに、実際のカウンセリングにおいて、誰かが質問したときがありました。

「我を忘れて話し込んだり、ときには私の腕をつかんだりして離さないって言うような人はどうしたらいいですか?」

これに対してラハシャ博士は、

「私なら、『あなたが今、私の腕をつかんでいることをお気づきですか?』と言います。」と答えました。

この方式でいくならば、こういうクライアントの方には、

「あなたはずっと自分以外のほかの人の話ばかりをしていることにお気づきですか?」と言えばいいのかもしれません。

そしてそれがひいては、実は自分を投影している話であり、全然関係ないことを話しているわけではないということにお気づきですか?とまで踏み込んでもいいのかもしれません。
けれど、私にはどうしてもそれが言えない・・・


言えない、というより、言うことが良いという確信が得られない・・・

だって、そのクライアントは自分のことを完璧だ、と思っているわけです。

そういう人は他人から自分のことを指摘されるのが好きなはずはありません。

だから私が、「あなたはさっきからずっと自分以外のほかの人の話ばかりをしていることにお気づきですか?」と言ったとしたら、もし内心ではハッとしても、

「ええ、わかっていますよ。それが何か?」と言うのではないか、と思ってしまうのです。

そういうふうに壁をつくらせてしまったらおしまいだ、と思うのでどうしてもそれを言うには慎重になってしまうのですね。

しかも自分が動揺したことを顔色にも表さない、というほどの完璧さを身につけているからこちらにはどれほどその人の内心に踏み込めたのか、うかがいしれない。

でもね、こういう人は実はとてもとてもナイーブな人が多いのだ、ということにも私は気づきました。

自分が暴かれることが恐いのかもしれない。

自分の内面を見ることに恐れを抱くということは、面白半分でやってきているわけではない、実に真面目で繊細な人だということが言えると思います。

私はこういう人にこそ、オーラソーマやアートセラピーに親しんでほしい、と心から思うのですよね。

こちらから何か言ったことに対して心を開く、という必要がないから。

自分が選んだ色が物語っているだけだから。

自分の感覚を通して気付けるから。


そして幸いなことに、そういう人は意外にちゃんと来てくださるのですよね。

あれ? この前あんなに他の人の話しかしなかったからここへ来ても何も得られるものはなかった、と思っているのかな、と思いきや、せっせと来てくださる。

そして変わらずまたほかの人の話に終始しようともまた来てくださる。

きっと本能的に、自分の奥のほうでは気付いてらっしゃるんでしょうね。

オーラソーマは意識の成長を見ていくものですから、そしてボトルはその意識に通じるカギですから、カギを使ってドアを開けたら、そこに踏み込むしかないこと、踏み込んだらそこから歩き出すしかないことがきっとどこかでわかっているから続けて来てくださるのでしょう。

私はそういう人たちがとっても愛おしいと思います。

なんか、上から目線のように聞こえてしまったかも知れませんが、本心です。

わたしも、自分を見るようです。

これからもそういう人たちにいっぱい来てもらいたいな、と思います。

そして時間がかかってもいいから、いつか“自分の話”をしてもらいたい、と思います。

そして、その時に感じた解放感から気付きとはこういうことか、と感じてもらえればなお嬉しいな、と思います。





メニュー、料金、オーラソーマってどういうもの?ということをもう少し詳しくお調べになりたい方は、「HP 些々羅」をクリックしていただき、「オーラソーマ」のナビゲーションから、お知りになりたい項目をご覧になってください。

そこに直接「予約フォーム」に入れる表記があります。

ブログ左肩の「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」をクリックしていただきますと、最新の「営業案内」を見ることができます。

ご予約はメールにて受け付けております。

「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」は、岐阜市中心街にあるサロンです。(岐阜市役所南庁舎すぐ近くです。)


シナジー・リーディング

2013-01-30 09:05:00 | オーラソーマ

*********************************

ふたりの相性をみてみませんか?


 2月~3月限定キャンペーン

 

            シナジーリーディング

   90分 ¥10000    →    ¥8500

    通常シングルでのオーラソーマセッションとは違い、ボトルはついていません。

    お二人揃っていらしていただかなければ出来ません。

*********************************



オーラソーマには「シナジー・リーディング」というものがあります。

これは2人以上の人たちの関係性を見るものです。

レベル2で習いますが、プラクティショナーの方でもなぜかこれをサロンメニューに加えていらっしゃる方は少ないようです。

たった今、“なぜか”なんて言いましたが、実はわたしもそうでした。

そして、その理由も何となくわかります。

というのは、オーラソーマというのはとてもパーソナルな性質を持ったものだからです。

その方個人の意識の成長を見ていき、プラクティショナーとクライアントが二人がかりでその意識の成長の地図をつむいでいく、という作業はなかなかに大変なことです。

そこにそれ以外の他人の介在する余地はない、といっても過言ではありません。

だから、「2人の関係性をみる」と言っても、セッションしているうちに相手には聞かれたくないような内容に触れる部分が出てくるのではないか、とか何もかもをオープンにして話しづらくなる、ということからクライアントさんもおっかなびっくりの部分というか、二人揃ってみてもらうことは敬遠される方も見えるようなのです。

事実、これまでシナジーリーディングではなくて、通常の個々に対するセッションで、仲の良い親友同士の方とか、親娘さんとかおふたりでいらして、「私たちの間には何も秘密はないから、お互いのを聞いていてもいいの。」と言って双方が納得済みでお互いのセッションのときに横で聞いていらした方も見えました。


そして、実際に私のサロンでも、そういう了解済みで進めたセッションの途中で「やっぱり、ちょっとあなた席を外してくれる?」ということになったことが1度となくあります。

皆さん、自分の内側を見るにつけ、これは他人に聞かせるような部分ではない、自分とだけ向き合うことなのだ、ということになるようなんです。

それは「相手に対して秘密があるかどうか」という問題とはまた別物です。

ですから私は、おふたりでいらした方には途中でこういうことになる事例もある、ということを伝えることにしています。

するとたいていの方は、「・・・じゃあ、やっぱりお互い別の場所で待っていようか。」ということになることが多いです。

しかし、そういうこととはまた別にこのシナジーリーディングというものは本当に美しいのです。

創始者のヴィッキー女史も2人の選んだボトルを比べることに大変興味を持っていました。

私が印象深かったのは、ある老夫婦でした。

おふたりはツインフレアーでした。(おふたりが選んだボトルを見ていくと、ツインフレーム、ツインフレア、ダイアディック・リレーションシップなどがわかります。)


ツイン・フレアーは一緒にいるといつも心地よく感じる関係です。それぞれの持つエネルギーがお互いをより明るくします。

このお二人の場合はお話していて性格的には似たようなお二人の気がしたのですが、ボトルを見比べてみるとむしろ補色としてお互いを引き立てあっている、という感じでした。

・・というようにお伝えしたところ、奥様のほうが「ふふっ。」と笑われて、「私たちはお見合いで結婚したし、最初の頃は心地よいも何も、結婚しても緊張しっぱなしだったわね~ そしてお互いも明るくなかったと思うわ。」とおっしゃいました。

それがあることをきっかけにふたりの関係性が変わっていったんだそうです。

“あること”とは、信仰でした。

おふたりはカトリックの信者だったのです。

何がきっかけでふたりでカトリックの信者になったかということについてはお話くださいませんでしたが、それはどうやら非常に辛い体験をなさったからのようでした。

老婦人は感慨深げにおふたりが選んだボトルをしげしげと見て、

「ここまで来たのよねぇ・・・  そしてこれからも二人の道を歩んでいくのよねぇ・・・」とおっしゃいました。

このときはたまたまおふたりでいらして別々に見るはずだったのが「ふたり一緒でいい。」とおっしゃるのでお二人の関係性も見ていったらこういうことになったのですが、これをきっかけに私は「やっぱりいつかシナジーリーディングもメニューに加えよう。」と心に誓ったのでした。

またあるとき、こんなこともありました。

そんなつもりではなかったらしいのですが、子どもを家に1人で残しておくわけにも行かず連れてらっしゃった若いお母さん。

娘さんは、小学校低学年ぐらいの感じでした。

娘さんにオーラソーマをやらせてみる気はなかったようですが、私が、

「色を選べる年齢であれば、どなたでもできますよ。」とお話したら、「じゃあ、この子にもやらせようかしら。」ということになったのでした。

そうしてセッションをして、最後にこのお母さんはこうおっしゃいました。

「今まで何だかこの子のことをどこかでどうしても心底可愛いと思えなかった部分があるのですが、今日この子の選んだ色のメッセージを聞いて、何だかとてもこの子が愛しくなりました。」

このときにも私は、やっぱりシナジーリーディングはメニューに入れよう、と思ったのでした。

ヴィッキー女史はこう言っています。

『シナジー(synergy)のsynは、sunchronous(同時の)synonymous(同義の)と同じです。つまり、シナジーは同じエネルギーという意味です。しかし、この言葉はそれ以上のものを意味します。それは似たエネルギーが出会うことによって、個々が作り出すよりも、より大きなものを創り出すということを意味するのです。』

魂が出会うときにはいつでもお互いの長所や才能を伸ばして活用するようサポートしあう可能性があります。

ちょっとわかりやすいように冒頭には、「ふたりの相性をみてみませんか?」なぁ~んて書いてしまいましたが、実はオーラソーマのシナジーリーディングは、占いのように「あなた達は相性的にはぴったりのはずだから結婚してもうまくやっていけると思いますよ。」というような軽いノリのものではないんです。

もっと魂のレベルからの出会いの美しさを見ることができるものです。

だから、是非夫婦でも、恋人同士でも、親友同士でも、親子でも、この人とは!と思った方と一緒にいらしてください。

お待ちしています。

あ、補足しておくと、「うわ、なんて合わないふたりなんだろう・・」なんてことはぜ~ったいに出ませんから安心してください。

オーラソーマは「合う」「合わない」というようにこちらが判断を下すものではありませんし、あなたが信じた人は、必ず魂が引き合うように出来ているものです。





メニュー、料金、オーラソーマってどういうもの?ということをもう少し詳しくお調べになりたい方は、「HP 些々羅」をクリックしていただき、「オーラソーマ」のナビゲーションから、お知りになりたい項目をご覧になってください。

そこに直接「予約フォーム」に入れる表記があります。

ブログ左肩の「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」をクリックしていただきますと、最新の「営業案内」を見ることができます。

ご予約はメールにて受け付けております。

「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」は、岐阜市中心街にあるサロンです。(岐阜市役所南庁舎すぐ近くです。)


レベル4再提出

2013-01-29 09:02:00 | オーラソーマ

去年の6月にレベル4を仕上げて提出し、1ヶ月で補足や修正が必要な箇所があります、と戻ってきてからなんと半年が経過してしまいました・・・

なんと放っておいたことよ。

1つには、最初「審査には3ヶ月ほどかかります。」とどこかに表記してあったので、戻ってくるのはもっと先だろうと安穏としていたら、ものの1ヶ月で戻ってきて、その頃なんだかとってもバタバタしていたので、「これを片付けてから。」「あれが終わってから。」と優先順位を後回しにしているうちにどんどん日が経ってしまったのでした。

なにせ私の中には、「これは自分の勉強であり、仕事ではないんだから、優先するのは仕事。寝る間を削ってやるのがレベル4」という頑固な思いがあったので、どうしても後回しにしてしまっていたんですねぇ。(しかも寝ることは削らないし。あはは)

そして日が経っていくにつれ、どんどんやり直すのが億劫になり・・

これは大掃除とかと一緒ですね。

いやなことを後回しにすればするほど、もう何をどうするんだったかもわけわかんなくなっちゃって、「見なかったことにしておこう!」とその場所をふさぐ。

そんな感じでした。

2つめには、あまりにもチェック箇所が多かったので、これはまた時間かかるぞぉ~とげんなりしてしまった、という精神面の問題。

1箇所や2箇所ぐらいは覚悟してたけれど、そのままでいいですよ、って箇所のほうが少ないじゃないの!


なかには、設問が「5つ答えなさい。」と言っているのに、私が勝手に6つも7つも答えてしまったので、「5つにしなさい。」というようなケアレスミスもあったり、自分でも「ここは気付かれるかな~ よく考えたらこのBを答えるためには、まず先にAという説明をしなければいけないはずだけれど、その説明を私はすっとばしているもんね。」と思っていたところをちゃんと指摘されていたりと実にきちんと細かい部分まで読み込んで審査してくれているのだなぁ、とわかるようなものもありますが、そのほかの諸々の訂正を指摘された箇所をもう1度考察しているうちに私は1つのことに気付きました。

それは、このレベル4が10個の設問があるとはいえ、その1つずつがまるで論文のように自由に考察しなさい、と言われているので、自由課題かと思っていたけれど、違うんだな、ということです。

これはやはり、「正解!」という明確な文言を求められているテストなんだな、ということがようやくわかりました。

このレベル4の審査については、何人のティーチャーがかかわっておられるのか知りませんが、たとえばAという審査ティーチャーが「これはよし。」と合格の判断をしたものが、Bという審査ティーチャーが見たら、「これはまだダメでしょー。」と否の判断をするようなものではあってはいけないでしょう。

そのためにきっと1つ1つの設問については、事細かなチェック基準があるのです。

「○○についてはちゃんと触れてあるか。」というようなチェック項目がたぶん、軽く10個くらいあるのでしょうね。

そして各審査ティーチャーはそれに基づいて「これは満たしている」「これは満たしていない。」という審査をするのだと思います。


つまり、自由課題のような体をとりながら、やはりこれは確実な答えを求められているテストなんですね。

ある範囲のなかでのテーマに沿っていれば、その考察の深さに対して加点する、というものではなくて、論文のなかにいかに必要な単語がちりばめられているか、なければ減点(というか合格には満たない)という形式なんですね。

それをしみじみと感じました。

そしてちょっとやる気を失いました・・・

これを一番如実に感じたのは、設問8.についてでした。

設問8.は、「食物としての色、色としての食べ物について」述べなさい、という10問ある設問のうちでも最も自由に述べてもいいような設問のうちの1つです。

しかし、今回戻ってきた私の審査にはこう書いてありました。

「今回記載された内容は、とてもよくまとまってはいますが、どちらかというと設問5.に該当する内容となっています。」

だから、全体的に違う内容にしてちょ、ということです。


正直、がっかりしました。

この設問の簡潔すぎるほど簡潔な言い方からは、「色と食べ物との関係について述べなさい。」ということしかうかがえません。それしか問うてはいないように思えます。

「食べ物を“色”から捉えた場合、どんな要素があるか、どうぞご自由に論じてください。」ということではないんですか?

色についても何色以上に触れよ、とか決まりはありません。

けれど実際には私は、触れている色数が少なすぎる、もっとオーラソーマの色数全部に触れよ、というように添削されてしまいました。

こんなところで及第点をもらえないような人なんていないと思ってた~という1番の先鋒のような設問じゃないですかぁ。

そこでダメだしをされる私って・・・

打ちひしがれてしまいました。


私はもっとその人の考察の深さを採点してもらえる、と思っていたからです。

そしてそれについては正直、自信がありました。

私は日本人がいかに色にこだわって食事をする民族か、ということ。それは食べ物だけにとどまらず、盛り付けの際、ほんの少し色みのために添えられるはじかみやあしらわれた菊の花弁やらにもあらわれている。

それのみならず、お皿の色などにも非常にこだわる・・・というようなことを書いたのです。

盛り付けやお皿のことは余分と言えば余分です。食べ物そのものじゃありませんからね。

しかし、そういった「+α」の部分こそがかえってその人の考察の深さをあらわす部分なのだ、と思っていました。

でもそんなことは求められてはいなかったんですね・・

レベル4は落とすための試験ではない、といいます。

だから、どうにかこうにかして受からせてあげよう、と審査ティーチャーからはちょっとしたアドバイスが添えられていたりします。

例えば、

「○○について補足してください。その際にはグラフや絵をそえるといいでしょう。」などと言うように。

それはまさに親切のために行われているのですが、それに添うように訂正すると結局自分の深いと思った考察の部分は削らなければならず、きっとみんな一様の顔をした提出回答になっていくのでしょうね・・・(ほかの人のは知りませんが)

しかぁ~し!

それでもレベル4に取り組むということは、オーラソーマをやっている者としては、絶対的に、圧倒的に、後々の人生にとっての大きな財産となることは間違いありません。

自分の興味の範囲も広がること請け合いです。

オーラソーマ誕生からの足取りをたどることが、改めてとっても新鮮だったりします。

どれだけ苦戦してもこれに取り組むということは、これまでオーラソーマをやってきての集大成といえるようなシロモノだからです。

なので、レベル3まで終わった方は、カラーケアコンサルタントの資格まではいいや・・とかティーチャーになるわけじゃないから・・・ということを別としても、ぜひぜひ、自分のために取り組んでみてほしいなと思います。

1月中には何が何でも再提出! というのが今年度初頭にあたっての目標でしたので、昨日再提出の書類をアザイアクトに送り、とりあえず何とか目標にこぎつけることができたことは幸いでした。





メニュー、料金、オーラソーマってどういうもの?ということをもう少し詳しくお調べになりたい方は、「HP 些々羅」をクリックしていただき、「オーラソーマ」のナビゲーションから、お知りになりたい項目をご覧になってください。

そこに直接「予約フォーム」に入れる表記があります。

ブログ左肩の「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」をクリックしていただきますと、最新の「営業案内」を見ることができます。

ご予約はメールにて受け付けております。

「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」は、岐阜市中心街にあるサロンです。(岐阜市役所南庁舎すぐ近くです。)


常識を打ち破った二刀流

2013-01-28 09:05:00 | スポーツ

4,5日前の話になりますが、今年日ハムに入団した岩手花巻東高校出身の大谷くんが、投打二刀流を目指すことが発表されました。


野球に興味のない方はまったく話が見えないと思いますので、ちょっと大谷くんのことをご紹介いたしますと。

彼は高校時代から注目を集めていた選手でした。

投げればプロも顔負けの160kmをマークするわ、打てば4番打者で3割以上の成績を残すわ、そんな彼に各プロ野球の球団も目をつけていました。

しかし、彼はずっとメジャーリーグを目指し、日本の球団には指名してもらっても入らない、と公に宣言していました。


ここでドラフト会議というもののことにまで話を言及するとちょっと長くなってしまうし、ややこしい問題にも触れてしまうのでさらっと行きますが、各球団は彼の発言を受けて、「彼は指名しない。」ということをお互いのなかでの暗黙のマナーとしたのでした。

しかし、日本ハムだけがそれを破り、ドラフト会議でいきなり彼を指名しました。

別にルール違反ではないんですよ。

けれど、道徳的に「本人がメジャーにしか行かないって言ってるのに、指名したら可哀想だ。」という思いで各球団は見合わせたのに、おまえんとこだけ抜け駆けしてどういうことだ!とそりゃあ、日ハムはほかの球団から総攻撃を浴びました。

楽天の星野監督なんて、カンカンでしたからねぇ。

あ、まぁ、そうでなくてもよく瞬間湯沸かし器のようになる監督ですが。

指名されたって大谷くんにはもちろん断る権利はあるんですよ。

でも、日本の球団から指名されてそれを断ると何年かは日本のプロ野球界ではプレーできない、というきまりがあるのです。

日ハム以外の球団は、「せっかく伸び盛りの若いときを無為にするのは可哀想だ。あれだけメジャーにしか行かない、とはっきり言ってるんだから我々がそれでも強行突破して指名するのは彼に空白の何年間という重荷を与えてしまうだけだ。それでは可哀想だから指名するのはやめよう。」と申し合わせたわけです。

しかし、大谷くんはメジャー挑戦をひるがえし、何と日ハム入団を決めてしまいました。


実は私も心の中では、「あれっ、あんなにメジャーにしか行かない、って公言してはばからなかったのに、彼の意思とはそんなものだったのか。」とちょっと拍子抜けではありました。

と同時に、日ハムはあんなに強固だと思われた大谷くんをどうやって落としたのだろう、という興味も湧きました。

それがわかったのです。

日ハムは交渉の当初から大谷くんにピッチャーをやりながらバッターとしても4番打者を目指さないか、と言い、それに対する具体的なトレーニング方法やメニュー、プログラム、などの綿密な計画書も見せていたというのです。

そういうことだったのか~!!

これには私も驚きました。


確かに高校球児のうちは「ピッチャーで4番」というポジションはありえます。

天性の才能だけで突っ走っちゃっても勝負できちゃうんですねぇ。

けれど、プロになればそれはありえない。

プロ野球史をひもといてもピッチャーで4番という人はいないそうです。

それはやはり専門的に自分の役目を極めようとすればするほど、その練習だけで手一杯になるでしょうし、使う筋肉も根本的に違うので、両方ともを生かす、ということは無理だ、とされてきたからです。

筋肉のことや、プロ野球の練習メニューのことについては私も全くわかりませんが、とにかくそういうものだ、と思ってきました。

だって、「ピッチャーで4番」ということを一般の会社に置き換えたら、例えば食品会社に就職したら、「営業しながら、工場のラインで製造もやってくれ。」というようなものでしょう。

時間的にも能力的にもそんなこと不可能じゃん!と思いますよねぇ。

しかし、日ハムは大谷くんになら前例のないそれが可能である、というデータやメニューを提示したんだそうです。


そりゃあ、18歳の若さでそんなものを見せられたら、俄然、メジャーで活躍する以上のやりがいと興味をそそられますわなぁ。

これで初めてどうしてあんなにメジャー、メジャーと言っていた大谷くんがあっさりと日ハムに入団を決めたのか、日ハムがどうして大谷くんを落とせたかの秘密を知ることができました。

そしてやられたぁ!と思いました。

この「ピッチャーと4番打者の両方をやらせたいと思っている。」という日ハムの提案は、とんでもなく破天荒で型破りで誰もの想定外だったと思ったからです。

大谷くんが日ハム入りを決めたのは、「今までにはない破格の契約金を用意するから。」「通常新人には与えていない個室を用意するから。」というような条件面での優遇が提示されたからだとばかり思っていました。

だけどそんなレベルでは若者はメジャー入りする、という自らの夢をあきらめるわけはなかったでしょうね。

考えてみたら、ロンドンオリンピックのボクシング ミドル級で日本人としては48年ぶりの金メダルを獲得した村田選手も、大谷くんとは違うかたちで破格の提示のプロ転向を蹴って、「お金じゃない。」と現役続行を決めました。

彼の金メダルを獲ったときの発言が秀逸です。

「日本人にこの階級は無理だ、と言われていたけれど、僕に無理だ、とは聞いたことがなかったので。」というヤツです。

これなども、これまでの常識的なその世界での見解や思い込みを軽々と蹴って、「そんなありきたりの基準なんか俺には通用しないぜ。」というすがすがしい話ですよね。

私もオーラソーマをやっている間に、いつの間にかへんな常識的な思い込みを身に着けすぎてはいないだろうか・・・?

カラーセラピーはいつまで経ったって医学界からお墨付が出るような「治療効果がある」とは認められやしないって。

だからリラクゼーションの一貫としてやっていくしかないんだって、とか。

何かわからないけれど出だしの段階ですでに刷り込まれているような思い込みでそもそも躓いているようなことはないんだろうか。

すごく以前に、「リミッティング・ビリーフ」ということについて書いたことがあるのを思い出しました。

限界は自分がそう信じていることによってそこに存在してしまう―――――という意味です。

自分が「そんなこと無理だよ。」「できるわけがない。」と思っていることは本当にそうなんだろうか・・・?


そんなことを考えながら、先日、美容院に行き、髪をカットしてもらってからそこの美容師さんと一緒にランチに行きました。

彼女にはもうかれこれ20年以上髪をカットしてもらっています。

けれど、私って意外に(?)お店の人と一気に仲良くなってしまう、っていうのは苦手なんですよ。

それがどんなに行きつけのお店の人であっても。

それが飲食店の人であれば、食べ物の話ばかりをする。

ファッション店の人であれば、おしゃれの話ばかりをする。

そして美容院の人とは髪型とかヘアケアの話ばかりに終始する。

あまりこちらからはその人の個人的な話には踏み込まないようにしています。

だからいつまで経っても「お店の人とお客さん」という関係。

そして別にそれがつまらない、とも思いません。

そんな節度ある関係が結構好きだったりします。

そして長い歳月をかけて、じわじわとお友達になっていくのが好きです。


しかし、それでも彼女とのように20年以上の付き合いともなれば、さすがにお互い私生活のことも知るようになり、特に彼女が独立して自由がきくようになったここ1年くらいの間にこうして仲良くなって一緒にランチに行ったりするようにもなりました。

イタリアンのお店に行き、そこで彼女が、

「なんていう名前だったかなぁ・・・ ここでピザのパイ生地の上にこれでもか、ってほどの山盛りの野菜が乗っかってるのを食べたことがあって、それがとってもおいしかったんですよ。お腹いっぱいになっちゃってからでも食べられたくらい。」と言うので、ためしにお店の人に聞いてみると、

「あぁ、ありますよ。ランチどきでも出来ますよ。」とおっしゃったので、ランチとは別にさらにそれも二人でシェアしようと1つ頼みました。

それが、ハイ、こちら。Photo

見た目どおり、「生野菜とアンチョビのピザ」です。

これなんかも発想の転換つーか、常識にとらわれなかった料理だろうなぁ。

ピザであるかぎり、上に具材を載せてから窯で焼く、とか、これはピザじゃなくて、「野菜サラダ」と名づけるべきなんじゃないか、とか思ったらメニューに載らなかったり、受けなかったりしたでしょうねぇ。

なんでも工夫だよなぁ、と思いながら、「もう食べられな~い」と言いつつ、すべて平らげて参りました・・・





メニュー、料金、オーラソーマってどういうもの?ということをもう少し詳しくお調べになりたい方は、「HP 些々羅」をクリックしていただき、「オーラソーマ」のナビゲーションから、お知りになりたい項目をご覧になってください。

そこに直接「予約フォーム」に入れる表記があります。

ブログ左肩の「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」をクリックしていただきますと、最新の「営業案内」を見ることができます。

ご予約はメールにて受け付けております。

「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」は、岐阜市中心街にあるサロンです。(岐阜市役所南庁舎すぐ近くです。)


98%の信頼

2013-01-27 09:07:00 | 本と雑誌

ゴルフのレッスンプロから毎日送られてくるメルマガを読んでいるのですが(そのプロからレッスンを受けているわけではありません。せめてメルマガだけでも・・ってしがない私は考えているわけです。)、昨日のメルマガで、「プロというものは10年、20年ゴルフのことばかりを考えて生きてきた人間だ。それにはやはり一日の長がある。だからシロウトの方は、こんなやり方でいいの?などと疑うことをせず、まずはそのプロの言うことを素直に実践してみてほしい。」というような内容が書かれていました。

ふむふむ、なるほど。

やっぱりそうだよなぁ。

ああだこうだいろんな人の言うことのあちこちを聞きかじったり、我流はいけないよなぁ。

素直さが一番、と私はこの話に合点したのでした。


そして今日。

その内容は、「ある生徒さんが、『実は別のレッスンプロにずっと習っているのですが、どうしてもうまくならないのでこちらで1ポイントレッスンだけ見てもらえないでしょうか。』と訪れました。正直、そういう生徒さんはやりにくいのですが、申し出を受けその方のスイングを見てみると、グリップがおかしい。おや? どうしてこんなグリップなのだろう、と思い聞いてみるとその方が受けているレッスンプロに『このグリップがいいよ。』と言われたからだという。私は『ためしにちょっとこういうグリップでやってみてもらえませんか。』と言うとたちまちのうちにナイスショットが飛び出すようになった。」という話でした。


昨日と今日。

話が矛盾してるじゃないかよぉ、と思いました。

昨日は、「プロたるものの言うこと、絶対にシロウトよりは正しいのだから、まずは疑わずにすべて受け入れろ。」というような内容で、その舌の根も乾かぬうちに今日の記事では、「別のレッスンプロがその人に教えたグリップがなんでこんなことを教えたのだろう?とそのメルマガのレッスンプロには全くわけがわからないものだった。実際、その生徒さんもそのグリップで悩んでしまっていた。」という話なわけでしょう。

これではプロの言うことをやっぱり疑ってかかるときもあっていいわけだ、ということになるではありませんか。

このメルマガのレッスンプロは最後に、「プロの教えることを続けてやっていてもどうしてもうまくいかないときにはちょっと見直してみてください。そこにしがみつきすぎるのもいけないかもしれませんよ。」というようなことを書いており、あくまで“ずっと続けてやっているのに、どうしてもうまくいかないときは・・”というエクスキューズがありました。

今日この人が一番言いたいところはそこなんだな、とわかっても、やはり読者としては「昨日と今日と言うことが矛盾してるじゃないかぁ。」と言うところばかりが目だって受け取れてしまう。

このときにまた私はハッと気づきました。

このところ、渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」という本をご紹介することが多いのですが、私はこのブログで紹介するにあたって、もう1度この本を読み直してみました。

前は人に薦められて、なんだかさらーっと読み終えてしまったのでした。

そしてこれを機会に、渡辺和子さんのほかの著作も手に取りたくなり、アマゾンで何冊かを注文してしまいました。

そして、「置かれた場所で咲きなさい」で気になっていた言葉を思い出したのです。

それは、「信頼は98%。あとの2%は相手が間違ったときの許しのために取っておく。」という言葉です。

これは、この世に完璧な人間などいない。心に2%のゆとりがあれば、相手の間違いを許すことができる、という意味です。

渡辺和子さんは今は理事長で教壇には立っておられないかもしれませんが、以前生徒たちを教えていらした頃には、たいてい学生達はこれを聞いて「えっ?」という顔をするそうです。

そうでしょうね~

「シスターは不信感を植え付けるのですか?」

「シスターのことだから120%相手を信頼しなさい、と言うと思っていたのに・・」と。

でも、2%は相手を許すためなのだよ、と言うと学生たちは納得してくれるのだそうです。

信仰、信念という点から見たら、120%相手を信頼せよ、という方が正しいのかもしれません。

けれど、人間である限り、誰だって間違いを犯すときはあります。

そのときに「信じていたのに・・」「この人でもこんな罪を犯すことがあるんだわ。」と嘆くより、「この人も人間だからこそ、そりゃあ罪だって犯すでしょうよ。」と2%の部分で思ってあげたほうが、相手も自分もラクです。

ラクなほうを選んで優しくなれればそれでいいじゃありませんか。

私は毎日メルマガを送ってくれているレッスンプロに対して、「ん? あなたには一貫性がない。」とその矛盾点を突くようなことを思いました。

以前の私ならこれだけで「もうこのプロは信用できない。」「この人の指南書を読むことはやめよう。」としていたかもしれません。

けれど、人間は毎日毎日顕在意識が認知できないほどいろんなことを考えています。

いろんな考えがふっと消えては浮かび、浮かんでは彼方に消えていきます。

毎日メルマガを書いているような人は、その浮かんだときをそれっ!と掴んで書いたかもしれません。

そして次の日、またふわっと浮かんだことをそれっ!と掴んでみたら、結果的に昨日書いたことを否定しているようなことになることも中にはあるでしょう。

しかもこのプロは「じゅうぶんにプロの言うとおりにやってもどうしても成果が出ないときは一度離れてみよう。」とちゃんと言っているのですから、全然矛盾さえしていません。
それでも私は心の中で、「いやいや、それをじゅうじゅう承知のうえで、でも読者にしてみれば納得できませんよ、あーた。」と勝手にジタバタしているわけです。

私はプロではありませんが、毎日ブログをUPしていて自分でも(今日の話題って、ずっと以前には違うこと書いたような気がする・・)と思うようなことってあります。

矛盾にうっすらと気づきながらも、ええいっ、まぁ、いいや、と毎日つれづれに思うことをパッパパッパとUPしちゃう。

それに文句のコメントも寄せず、毎日のように読んでくださっている方にはホントに申し訳ない限りです。

もっと私も2%の心のゆとりを持とう、と思いました。

そして私は、これは相手に向けられた言葉だけれど、自分に対してでも同じことだな、と思いました。

オーラソーマでは「自己受容」や「自己信頼」が大きなテーマとしてありますが、なかなか自分のことって許せなかったり、信頼できなかったりします。

自分のことだからこそ余計に出来なかったこと、いつもやってしまうことに目が向いてしまうという部分もあるでしょう。

そんなとき自分に対しても「私は自分自身を98%信頼している。でも2%は間違いも犯すことがある、という部分にとっておこう。」と考えればいいではありませんか。

どうして自分の出来ないことばかりをあげつらったり、反省しきりになったりしてそうも許せなかったのかしらん。

まぁ、大方のところは一生懸命生きているつもりだけれど、弱い人間ですから2%程度は「あんた、そりゃあおかしくね?」ということもやらかしますよ~ ハイ、はなからその2%は見込んであります、と構えていたほうが自分もラクです。

それで十分に「自己受容」も「自己信頼」も出来ています、ってきっぱりと言っていいと思いますよ。
皆さんも、そんくらいに考えたほうが悩みが減りますよ、きっと。

えっと・・

自分に対しては2%じゃなくて、5%くらいでもいいかな・・・





メニュー、料金、オーラソーマってどういうもの?ということをもう少し詳しくお調べになりたい方は、「HP 些々羅」をクリックしていただき、「オーラソーマ」のナビゲーションから、お知りになりたい項目をご覧になってください。

そこに直接「予約フォーム」に入れる表記があります。

ブログ左肩の「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」をクリックしていただきますと、最新の「営業案内」を見ることができます。

ご予約はメールにて受け付けております。

「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」は、岐阜市中心街にあるサロンです。(岐阜市役所南庁舎すぐ近くです。)