ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

居てくれるだけで、その存在だけでよかった

2019-01-31 09:01:45 | ペット
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正直、チャワンテが亡くなって自分がこれほどまでに打ちのめされるとは思ってもみませんでした。
チャワンテはいつもべったりと甘えてくるタイプではありませんでしたし、私もつい付いて回ってくるアクアの方がだんだん可愛くなってきたりして。
でもチャワンテはその放任主義を楽しんでいるように見えました。
とてもリラックスして、「私はこれくらいの距離感のほうがいいのよ」と言っているように思えました。
もちろん、可愛くないわけはないけれども、生活のすべてを共にしてきた、というような意識が低かったので、そういう意味では私はチャワンテが亡くなってもそんなに悲しまずにすむ、と思っていたんです。
ところが、チャワンテがいなくなってみると、この喪失感はどうだ。



昨日まで確実にここに、居た。
確実に居たものが、今は、いない。
この空虚感はいくらアクアが可愛くたって埋められるものではない。
とにかくチャワンテがいないのだ。
しかも永遠に。
2度と現実のチャワンテを目にすることはないのだ、というこの暗闇のなかをかきむしるような思い。
ぐあ~~~っ!と叫びたくなる。
そうでもしないとやってられない。
子どもの頃、ディズニーの映画を観て、あれが現実だったらいいのにな、と思い一歩映画館を出るといつもの街の風景が襲ってくるときのあの何ともいえない虚しさと焦りにも似たような気持ちと似ています。
どれだけ努力したって、泣き叫んだって、映画は終わったんだ、現実はこの世界なんだ、ということを受け容れざるを得ないのだけれど、それを受け止められるだけの心の状態になっていない、っていうような感じ。
それがまだチャワンテが亡くなってから続いています。
ここ3か月ずーっと24時間チャワンテがいる部屋のエアコンはつけっぱなしでした。
それをようやく昨日切りました。
表へ回ってみると、室外機がシン、としている。
いつも「ビビビビ・・」と音をたて続けて、その前に来ると寒いから、そこは足早に立ち去るようにしていた。
そこから音がしない。
音を立てない室外機を初めて目にします。(※去年の9月というちょうどエアコンをかけなくても良いような時期に引っ越してきたので、まさに冬になってからチャワンテのために24時間エアコンをつけっぱなしにしてからは、初めてシンとした室外機を見たわけです)
不思議な物体を見るような気がします。
ただそれだけのことが耐えられなくて涙します。



特に人間の動向を気にせず、われ関せず、で寝ていることが多かったチャワンテ。(まぁ、お年ですから仕方がないですが)
抱っこが大嫌いだったチャワンテ。(野良猫時代のトラウマかららしいですが)
そのくせ、自分から要求してくるときは“おねだり”というような甘い声では鳴かず、「ぎゃー」というような威嚇にも似た上からだったチャワンテ。(最後のへんは「にゃあ」と鳴いていましたから、これは声帯の問題でもなんでもなかったわけですね)
なんかこうしてチャワンテのことを思い出しても、可愛らしいところなんて何1つなかったような気がするんだけど、「居る」と「いない」のとでは大違い。
そう、ただいてくれるだけでよかったんだ・・・
ただいつもそこに居る、という安心感。
それがどれだけ私を支えてくれていたか・・・。
チャワンテが亡くなってみて、ほんとうにそのことがしみじみと私を襲います。



そして、改めて自分がチャワンテに対して抱く思いが、
「ただいてくれるだけでよかったんだよ」
という気持ちであることを揺るぎなく確認できたのと同じように、“わたし”という存在だってそうに決まっている、ということもまた、揺るぎなく確認できたような気がしたのでした。
なんか大きなことを成し遂げられるわけではない。
誰かのために居なくてはならないほど大きな存在なわけでもない。
でも、確実に“わたし”はいたほうがいい。
存在したほうがいい。
それはなぜなら“わたし”だから。
この世を、この地球を形成している成分が「100」で完璧なものとなっているのだとしたら、“わたし”が欠けてしまったら、それは「99.999・・・」(このあとどれだけの「9」が続くかはわかりませんが)の不完全なものとなってしまう。
不完全なものとなってしまったとき、その代わりは誰にもできない。
だってそれは“わたし”だったんだから。
“わたし”以外の存在が“わたし”にはなれないんだから。
そんなことがしみじみとわかったような気がしました。
そして、そんなことを教えてくれたチャワンテがとても愛しい。



それと同様に、何もかもが私にとって必要な経験なのだと心から思えるので、すべての経験が愛おしい。
例えば、チャワンテがいよいよダメかなぁ・・となってきたときには1日にチャワンテの部屋を覗く頻度が増え、まぁ、放っておけばなんとか自分で水は飲めましたが、かがむのがしんどそうに見えたので、チャワンテが水を飲みたそうにすれば、「はいはい」と口元の高さまでボウルを捧げ持ってやるようにしていました。
あまりに暖房をつけっぱなしなので乾燥しきってるだろう、と床置き型の加湿器をつけるのだけれど、それとて上手に部屋全体がどの場所も同じ湿度になるわけではないだろう、と置き場所を少しずつ変えたりする。
「このメーカーのレトルトパウチのスープならちょっとなめた!」
となれば、どこで売っているのかを調べ、遠くのホームセンターまででも買いに出かけた。
それらのすべてのチャワンテの世話は私の役割でした。
ダーリンは、頼んで
「あれ、買ってきて」
とか言えば買ってきてくれましたが、基本、身体を使ってチャワンテの世話を買って出る、というようなことはいっさいしませんでした。
それを当初は、口に出しこそはしませんでしたが、不満に思っていた時期もありました。
(なにさ、何もかも私にやらせて!)と。



でも、途中から考えが変わりました。
チャワンテがゆっくりと、しかし着実に衰えて死に向かっていくありさまを見せ続けてくれていることによって私に与えてくれている気付き、これはどんな宝物よりも貴いものだ、という気がしたからです。
毎日、介護、介助している者にしか見えてこないものがある。
こんな大きな学びの学校が自分の家のなかにあるというのに、それに手を出さないなんて勿体ないことよ、私はそれを全部やらせてもらえちゃってなんてありがたい、と思うようになったのでした。
これは決して強がりじゃありませんよ。
ほんとに心からそう思いました。
(そして、今後のために言っておきますが、人間に対してはそうは思わないと思います・・)
そういう意味では、私は父が死んだときより、今回チャワンテが死んだほうが参っています。
父とは生活を共にしていたわけではないから、自分が介護や介助をしていたわけではなかったから、ということに尽きます。(そりゃ、交代で病院には毎日通いましたが、あくまで私メインではなかった。母でした)
だから、今になってみて、私は母が父が亡くなったあと、どれほどの大きな虚無感、喪失感に襲われたであろうかを身に染みて感じました。
すごいなぁ、それをよく乗り切ったなぁ、母は、と。
亡くなったあとだって、ちょっとの間はなるべく気にかけて一緒の時間をつくったほうがいいよなぁ、なんてしてあげなかったものなぁ。
ひとつひとつがチャワンテのおかげで気付かされることばかりです。












チャワンテが亡くなった日のこと

2019-01-30 09:01:53 | ペット
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チャワンテが亡くなった日はたまたま日曜日でした。
お昼までは生きていたので、私は午後スーパー銭湯に出かけました。
結果的にはそうして家を空けていた時間に亡くなっていたことになりますが、それについては特に悔やんではいません。
冷たいようですが、ずーっと枕元についていてやっていたわけではありませんから、まぁ、そんなところかな、出張とか旅行とかの日でなくて良かった、と思っただけでした。



さて、それでも私の心はいつもいつも最近では大半がチャワンテで占められていました。
スーパー銭湯の露天風呂に入りながら、空を見上げると青い空のなかを白い雲がゆっくりと流れていくのが見えました。
なんてことはない、冬の晴れた日のよくある風景でした。
格別にエンジェルラダーがかかっているわけでもない。
格別に見かけない雲だったわけでもない。
格別に日輪が出ているわけでもない。
要するに騒ぐほどの珍しい光景がそこに広がっているわけでもなんでもなく、ただ青い空にいくつかの断片的な白い雲がゆっくりと流れ、その合間から太陽の光が漏れているというだけのこと。
けれど、その日の私にはそれがことさら美しく見えました。
そして父が亡くなったときのことを思い出しました。
父が亡くなったのは、8月29日、とてつもなく暑い日でした。
その日も、残酷なほどに晴れやかな空が広がっていました。
「暑いですねぇ」
と葬儀屋に言葉をかけながら私は、
(こんななんでもない風景なだけだけれど、この空を父はもう1度だけでいい、もう1度だけでいいから見たい、と願っていたかもしれない)
とふと思いました。
そのようにして人間というものはどんな死ぬ間際であっても、生に対する執着が捨てられないのかもしれない、と思ったのです。
その日のことを思い出しました。



そして露天風呂から青い空に流れる白い雲を見ながら、
「そういえば、チャワンテは窓辺のよく日が当たる場所で、いつまでも空をぼーっと見上げていることが好きだったなぁ。
もう1度、もう1度だけ日当たりのよい窓辺に自分の脚で歩いて行って、エアコンやホットカーペットの人工の温かさではない自然の温かさを自らの身体で感じたかったかもしれない。」
と思いました。
帰ってから抱っこしてそういう場にチャワンテを連れて行ってやってもいいのだけれど、もともと抱っこが大嫌いだったチャワンテは虫の息のなかで、あんなにイヤだった抱っこを今は声をあげて拒否することもできない、と身を固くするかもしれない。
そのショックで死んでしまうかもしれない、と考えるとやっぱりそれはできないなぁ、と思いました。



結局はいまやっている以上のことは何もできないとわかっているのに、なにかを悔やむような気持ちがあって、そして元気だったころのチャワンテの姿を思い浮かべて、私は空を見上げながら涙をこぼしました。
幸い、その涙はもし他の人に見られても汗か水滴と思ってもらえるだろうなぁ、と安堵しました。
よかった、温泉に来て、と。
そんな感傷的になりながらも、頭の片方の隅では、
(チャワンテが亡くなったらあの部屋、臭いもこもっているし、完全にチャワンテだけの養生部屋になっていたけど、片づけなくちゃな)
なんて現実的なことも考えているわけです。
人間ってそんなものだよなぁ。



そして帰ってみるとチャワンテが亡くなっていたわけですが、まだそのときには半信半疑でした。
すでに少し硬直が始まっているようにも思いましたが、それはもうチャワンテが骨と皮だけになってゴリゴリの身体だから堅く感じるのか、死後硬直なのかよくわかりませんでした。
ピクリとも動かないし、鼻に手を寄せても息を感じないし、もちろん腹も波打ってはいない。
しかし、ひょっとしてかすかにまだ生きているのかも、とも思いました。
「チャワンテが死んだかも」
と私はダーリンを呼びに行きました。
「えっ」
と言いながら、すぐに部屋にかけつけてくれたダーリンでしたが、一目見て、
「これは死んでるだろ」
と言ったあと、
「もう死んでるならホットカーペットとエアコンは切ったらどうだ」
と冷徹な一言を投げかけてきました。
わたしがさぞや人を見るような目をしたからでしょう。
「いや、そういう意味じゃなくて、死んだのに温かくしておくと腐敗が早まっちゃうかな、と思っただけだよ」
と慌てて言いました。
それでも私はひょっとしたらかすかに生きているのかも、と思うと暖房を切ることはできませんでした。
そんな無慈悲なこと。
結局最期に亡くなったのは凍死だった、なんてことだけはさせたくありません。



このときふと「植物状態」で脳死判定をされ、臓器提供を求められる、ということがもし身内にあったら・・という想像をしてしまいました。
少し前にロードショーをやっていた「人形の眠る家」がまさにそのテーマの映画でしたね。
私自身は、脳死が万に1つもそこからよみがえったということがありえないなら、そういうデータ的なことを聞かされることによって頭で判断できると思っていたんです。
つまり、どうしても可能性は「0」だ、となったら提供もできるかな、と考えていたんですが、いざ、自分の家の猫が死んだとは思うけれどもいつまでも身体が温かいというだけで、もうそれは無理なことがイヤというほどわかりました。
いつも私はこのように自分の身にそのことが起きなければ、本当のことはわからないのです。



その日はそれから何度もチャワンテの様子を見に行きましたが、まだ身体は温かいままでした。
ホットカーペットをつけているからかもしれませんが、それでも、マットについている部分は温かくても、全然マットに触れていない部分の肉体は、もう亡くなっているのだとしたらもっと冷たくなってもいいのじゃ・・? と思うのだけれども、全体的に温かいのです。



そして次の日の朝。
まだチャワンテは温かかったけれども、昨日から1mmも動いていないのだから、やはりもう亡くなっているのだな、と思いました。
それから1時間おきぐらいにチャワンテの様子を見に行きましたが、全然冷たくなってこないし、それ以上に硬直が起こってきている、という感じでもありませんでした。
私があまりにチャワンテに寄り添っているので、アクアが
「なになに? 今日は何が起こっているの?」
とチャワンテの部屋を覗きに来ました。
私はアクアに、
「アックン、お姉ちゃんにさよならを言いなさい」
と言いました。
するとアクアは何かを察したかのようにへっぴり腰でチャワンテに近づいてきました。
しかし、クンクンと匂いを嗅いだかと思うと、
「恐い~」
という感じで、脱兎のごとく踵を返して逃げて行ってしまったのです。
この肉体はただの何かのかたまり、これはもうあのチャワンテではない、ということがアクアにはわかったのだな、と思いました。



その日は岐阜市は天気予報に反して、雪が降り出しました。
予報では雨程度だったのに。
雪は2日ほど前にも降りましたが、その日は雪が降るぞ、降るぞというので結構かまえていたのにチラっと降っただけで、拍子抜けするようなレベルでした。
そのときに比べたら、この日の雪のほうがよほど本格的で積もりそうな気がしました。
(雪はどこから雪となるのだろう・・?)
そんなことを思いながら空を見上げました。
目の前に降ってくる雪を横から見ているより、見上げたときの雪は、かなりのスピードで降り落ちてきているように見えました。
目の中に雪が落ちてきたら、きっと痛くて開けていられないだろう。
チャワンテは1日違いで今年の雪を見ることなく死んだんだなぁ。
そのことをチャワンテはどう思ってるんだろう?
今年も1回ぐらいは雪が見たかったなぁ、と思っているんだろうか。
そして昨日の露店風呂で見た青空と雲を思い出しました。



そうしてまたチャワンテの様子を見に行きました。
今度は確実に冷たくなっていました。
これまで温かかった身体を触っていたときにも、もう亡くなっているのだ、この温かさはただホットカーペットの温かさを伝えているだけなのか、あるいは内臓のもつ温かみはゆっくりとゆっくりと時間をかけてしか冷えて行かないのかだけで、この子は確実に亡くなっている、ということはわかっていたつもりでした。
何にも希望を持っていたわけではなかった。
けれども、確実に冷たい身体を触ったとき、突如としてものすごい悲しみが私を襲いました。
チャワンテが死んだ・・・!
チャワンテが死んじゃった・・・!!
もう2度と戻ってこない。
昨日までそこに居て、力弱くではあったけれども「にゃあ」と言って、自分からハウスを出て歩いていたものが、もう、いない。
その120%確かな事実で私は打ちのめされそうでした。
そして私は初めて号泣しました。





チャワンテが光に還りました

2019-01-29 09:01:09 | ペット
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1月27日、昼下がりの未明、チャワンテが肉体のスーツを脱ぎ捨て光に還りました。
お疲れさま。
見事な死にざまでした。
こんなに死に至るまで手をかけさせなかった子って知らない。
チャワンテは1度もトイレ以外で粗相をすることもなく、1度も食事の介助を必要とすることもなく、よろよろとしながらも淡々とトイレで済ませ、自分の口で食べられなくなった、飲めなくなったらきっぱりと
「もういらない」
「もういらないんだから、無理にくれなくていい」
という態度を貫き、そして死んだのでした。
でも、考えてみれば、これはチャワンテと私の最初からの約束でした。
当時も私にはほかに飼い猫がおり、
「おまえには寝床とご飯があるだけでももうけもの、と思ってもらうしかないよ」
と言うと、チャワンテは
「それで十分」
と言ったのでした。(というように感じた)
それから私とチャワンテの共同生活が始まりました。



チャワンテが弱ってきていて、もう長くはないのではないか、ということは、ちょうど亡くなる10日前の17日に記事にしました。
あれから10日。
相変わらずほんの一口のスープを口にするだけでしたが、それでも私がチャワンテの部屋を覗くと自分のハウスから嬉しそうに「にゃあ」と鳴きよろよろと出てきて、そしてそのときだけは水を飲み、スープを口にする、という日が続いていました。
私はチャワンテのゴリゴリになった頭蓋骨を撫でながら、
「チャワンテ、大丈夫だよ~」とか、
「チャワンテ、無理しなくていいよ~」とか、
「チャワンテ、頑張らなくてもいいんだからね~」とかいろいろと声をかけていました。
でも、そんな言葉をかけながらも、何か私は違和感を覚えていました。
親切ごかし。
おためごかし。
きれいごと。
そんな気がしました。
私がチャワンテにかけるべき言葉はほんとうはそんなものではないはずだ、という気がしていました。



それが亡くなる2日前。
チャワンテが水を飲んだあと、ついによろよろどころか自分のハウスにまでたどり着けず、畳の上でペタリと座り込んでしまったのです。
そのとき、私はゆっくりとチャワンテを抱え込み、その喉を撫でながら、
「チャワンテ、ありがとうね。今までほんとうにありがとうね」
と言いました。
それが思わず私の口から出た本音でした。
それだけが私が言うべき言葉であり、ただ一言、チャワンテに伝えたかったことだったのでした。
それは私の口からごく自然に出てきました。
マジックのように、口からするするとつながった万国旗が出てくるかのように。
まるで私とは違う別の意志を持った生き物かのように。
チャワンテ、ありがとう。
18年間、ずっと私のそばにいてくれてありがとう。
私を見て来てくれてありがとう。
いつも見守ってくれてありがとう。
そして自分の生きざまも見せてくれてありがとう。
約束を守ってくれてありがとう。
とにかくすべてがありがとう。
全身全霊をこめて、私は「ありがとう、ありがとう」と言い続けました。
色んな出来事が走馬灯のように思い出されました。
18年前の私は、まだダーリンとも出会っていなかった。
18年前の私は、まだオーラソーマにも出会っていなかった。
18年前の私は、まだ以前の会社に勤めていた広告マンだった。
考えてみれば、この20年ほどは私にとって激動ともいえるほど人生の中でいろんなことがありました。
そのすべてにチャワンテは立ち会ってくれているわけです。
するとチャワンテは最後の力を振り絞るようにして、ゴロゴロと喉を鳴らしました。



動物ってほんとにすごい、と思いました。
人間がもう余命いくばくもない、というひょろひょろの身体になって病院のベッドに横たわっているとき、誰か会いたかった人がお見舞いに来てくれたとします。
いくら嬉しくたって、
「やぁ・・」
と力なくベッドから微笑み返すのが精いっぱいのことでしょう。
それをチャワンテは自らの足で歩いて、ドアのところまでその人を迎えに行くわけです。
毎日、毎日、毎回、毎回。
そして意識が半分朦朧としながらも、嬉しいという態度を表すわけです。
なにか苦しかったり痛かったりするのかわかりませんが、とにかくそうするのが当然かのように。



ありがとう、ありがとう、と言った私は次に、
「チャワンテが1番好きだよ」
「チャワンテを1番愛しているよ」
と言いました。
正直、私が自分の一生を終えるとき、
「おまえが飼ったペット、出会った動物たちの中でどの子を1番愛してた?」
と言われたら、それはチャワンテではないでしょう。
やっぱりそれは花奴(以前飼っていた猫)だという気がします。
それは折に触れてチャワンテ本人にも伝えてきたことでした。
そしてチャワンテは常に自分の位置がセカンドであったり、末席であることを受け容れてきました。
でも、だからといって、そのとき、その瞬間には私にとってそれが真実だったのです。
「チャワンテ、お前が一番だよ」
と言うことが。
するとチャワンテはなおのこといっそう喉を鳴らしました。
そして今、チャワンテは1番とか2番とかそういう順位づけから解放され、私にとって永遠の存在となったのでした。



その次の日の朝から、チャワンテは水も口にしなくなりました。
私が部屋を覗いても、ハウスから出てこなくなりました。
「もういい。もう堪能した、人生は」
と言わんばかりに。
そしてチャワンテが水も口にしなくなってから2日目の朝、明け方に私は不思議な夢を見ました。
それは、友人が妊娠する夢でした。
友人は私と同年代の子です。
そんな年齢の友人が妊娠なんてするわけないのです。
でも、彼女は、
「あ、きたきた。ヤバい。ここで産んじゃうかも」
と言い、私はなぜか周囲の人たちに
「ま、ま、お祝いごとですからどうぞご一献」
と言って、お酒をついで回っているのでした。
夢から覚めて、そのリアルさにぼーっとしながら起きたとき、私は瞬間的にこれは逆夢かも、と思いました。
つまり、「生まれる」夢だから、チャワンテが「死んだ」のかも、と思ったのでした。



急いで、チャワンテを見に行きました。
チャワンテはもう脳内麻薬が出始めているのか、痛くも辛くもない代わりに何の感情もない、という様子ではありましたが、そのときはまだかすかに生きてはいました。
私はほっとしながらも、「もう長くはないな・・」と思いました。
その昼過ぎにチャワンテは亡くなったのです。
ほんとに1つ1つの段階を地道に着実にふまえながら、1つずつチャワンテはある意味、健康的に、まっとうに衰えていきました。
弱ってきたときには、
「朝覗いたら突然、チャワンテが死んじゃっていたらどうしよう」
と何か恐いものを見るような気になって部屋を覗いたものですが、チャワンテはそんな突然死ぬようなことはありませんでした。
昨日まだ歩いており、少しだけれども何かを口にしたのであれば、わたし、当然まだ生命力あるってことだよ、と言わんばかりに「にゃあ」と鳴いて、ハウスから出てきました。
そして食べ物を口にしなくなり、水も口にしなくなり、動けなくなり、ついにすべての臓器が活動を停止したので、ハイ、生きることをやめました、という感じの死に方でした。
私もチャワンテのように死にたい、と思いました。
すべての機能を使い果たしたので、ハイ、終わりです、という感じで。
どれかの機能だけは立派なのに、どれかだけが著しく衰えたので、それに引きずられるようにして他の健康な臓器ももう停止するしかないわけですよぉ、残念、という死に方ではなく、同時にすべての機能を使い果たしたので、終わる、という感じ。
それが理想的だな~と思います。



私はしばしの間、チャワンテと2人きりの時を過ごし、少し泣き、それからダーリンと2人で、チャワンテのために祝杯をあげ、チャワンテの思い出話をしながら酔いました。

(写真はまだ若き日の元気なころのチャワンテ)







働く高齢者の問題

2019-01-28 09:01:58 | 社会・経済
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先日、新聞の家庭欄にこんな記事が載っていました。
長いコラムだったので、全文掲載はできませんが、内容は、
「働く高齢者が増えるなか、シニア層の労災事故が目立っている。そしてそれを会社が労災として対応してくれなかったり、契約を更新せず、解雇されることもある。」
という話でした。
論調としては、
「泣き寝入りしてはいけない。これは由々しき問題だ」
という働く高齢者の立場に立って書かれた感じでした。



記事ではある女性の例が取り上げられていました。
69歳のその方を仮にAさんとしましょう。
Aさんはあるビル管理会社に契約社員として入社し、ビルの清掃業務にあたっていました。
ところが、ある日、階段の清掃中に下から2段目の段で足を滑らせて転倒しました。
床や壁に身体を打ち付け、Aさんは歯を3本折り、救急車で病院に運ばれました。
首の捻挫と診断され、仕事を1か月休んだのち、復帰しましたが、1か月ほど働いたある日、急に動けなくなり、また救急車で運ばれました。
するとなんと首の骨にはひびが入っており、太ももも骨折していることがわかり、3か月ほど入院。
その間、会社からは1度も連絡もなく、Aさんが電話で労災申請を相談すると、民間保険で対応する旨を説明されました。
労災だと休業中の補償があるけれども、ほかの扱いだとないこともあるため、労働基準監督署に相談し、労災申請し、間もなく認定されたけれども、会社からは、
「周りの人が有休をとれないので、いったん辞めてほしい」
とお願いされたといいます。
女性と会社は今まだ係争中だそうです。
そして、冒頭で書いたように、記事は、
「泣き寝入りせず、会社が対応してくれない場合は労働基準局に相談してください」
で結ばれています。



日本は法治国家です。
だからそこだけに基づいて言えば、Aさんには辞めるような勧告をせず、ちゃんと休業補償を支払い、この先も治ったら働きつづけられる環境を整えてあげるべきだ、そしてその通りになったなら、ハイ、しゃんしゃん、ということになるのでしょう。
けれど、私は高齢者が働く、ということはもっと深い問題が潜んでいると思いました。
労働者の権利ばかりが通ったら、そのうち、民間の中小企業はみなつぶれてしまう事でしょう、という懸念です。
Aさんが働いているこのビル管理会社がどの程度の規模の会社かはわかりません。
わかりませんが、「ビル管理」を仕事としている限り、1棟だけ、とかありえないですから、やはりまぁまぁの大手なのでしょう。
相手が大きいと労働者も戦いやすくなります。
権利を主張しやすくなります。
それは当たり前のことだし、大きいところは弱者に優しくしろよ、と言っても心も痛みません。



けれど・・・
これが中小企業だったら・・・?
Aさんを雇いつづけるために割く経費でマジ、つぶれちゃいますよ。
現に、私は身近でそういう会社を知っています。
ある会社に勤めていた若者がそこを辞めたあと、いきなり弁護士を通じて、残業代の未払い代を払え、と請求してきたのです。
その額は何百万というかなりのものでした。
それだけの金額になる、ということは相当悲惨な労働環境にあったのだろう、ということもできますが、週5日働いて、毎日1時間の残業があったとして、5年間勤めたとしたら150万にはなりますからね。
毎日1時間程度の残業なんて、そりゃそれを我慢しろ、とは言いませんが、悲惨な労働環境とは言い難いですよね。
いきなり、150万を要求されたら資金繰りからいって、つぶれてしまう会社だってある、ということです。



話をAさんに戻します。
私はAさんが歯を3本折ったのみならず、首も足も実は骨折していたのだ、なんて大けがを負っていたのは実に気の毒だとは思いますが、もし、これが20代や30代の若い人だったら・・? ということを考えてしまいました。
高齢者は症状がバーン!と出にくいから骨折までしていることに気付かなかったけれども、これがもし若者だったら1度目のときにすぐに判明していたのでは?
これは医者の落ち度もあるかと思いますが、義母も昨年足を骨折していたのにもかかわらず、
「ちょっと最近、足腰が弱くなったわぁ。年だからこんなものかしら」
で済ませていて、だいぶんと経ってから骨折が判明した、ということがありましたから。
そして入院期間も最初の1か月+後半の3か月でこの人は復帰までに4か月もかかっているわけですが、若者だったらもっと早く治ったのではないか、とも思います。
会社にしてみれば4か月も働いていない人に休業補償をしなくてはいけないわけですから、痛いですよねぇ。
しかも、4か月まるまる休んでいたら仕事の勘というものも、高齢者ほど戻りにくいのではないでしょうか。
もっとさかのぼれば、そもそも若者だったら階段から足を滑らせて落ちても、反射神経が高齢者よりはすぐれているからとっさに身をよじるなどして、骨折までには至らなかったのでは? とか、そもそも足を滑らせるということもなかったのでは? とかまで考えられます。
要するに、「雇う」側の身になってみれば、高齢者が働き盛りまでの年齢の人に比べたら生産性が低いという存在であることは間違いないのに、補償についてだけは同様にしなくてはいけないなんて痛い、だったら最初から若い人を雇いたい、となっても致し方がないのでは、と思うのです。
だって、こういう人に補償しつづけていったら、会社はつぶれちゃうかもしれないのだったら、まともに働いてくれているほかの従業員たちに会社としても、申し開きのしようがない、ってことになっちゃうじゃないですか。
このAさんの会社も、
「申し訳ないけれど、いったん辞めてもらえないか。ほかの人があなたが一応会社にいる、ということになると有休をとれないものだから」
というのは結構本音じゃないか、と思います。



私は、だから高齢者は使い物にならないと思われてもしょうがないよ、と言いたいのではありません。
なにせ、私自身が「前期高齢者」に近い年齢になってきていますからねぇ、いかにまだまだやれる、という部分と衰えて来てるなぁ、と思う部分があるのかよぉくわかっているつもりです。
問題は、高齢者であるにもかかわらず、若者でさえ「そんなキツイ仕事はイヤだ」と言ってやりたがらない、だから募集しても集まらない仕事に安い給料でこきつかわれるということにあると思います。
もっと年齢やキャリアによる適材適所による雇用が行われないと根本的な解決にはならないと思います。
そのためにも、こういう事実に対して
「労災を使わせない悪徳会社があるから泣き寝入りせず戦おう」
という論調ではなくて、企業だって生き残らなければ取るものもとれないんですから、両者の立場を踏まえたうえでどうしたらいいのかを考えていく記事にしてほしかった、と思いました。
私がブログで好きなことほざいている、というものではなく、新聞は公器なのですから。

サービスについて考えさせられたこと

2019-01-27 09:01:21 | 身辺雑事
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2019年度より オーラソーマ可能性探究の会    はじめます!

  毎月  第四土曜日  14:00~15:30
  どなたでも参加いただけます。  定員4名
  参加費   ¥2000

 <2019年度のテーマ>  ※テーマは予告なく変えることがあります。ご了承ください。

1月  2019 イヤーボトル    終了いたしました
2月  天命を知る 第一弾ネームボトル
3月  天命を知る 第二弾バースボトル
4月  天命を知る 第三弾星座ボトル
5月  天命を知る 第四弾3STARS
6月  オーラソーマタロットで読み解くコンサルテーション
7月  守護天使を知ろう
8月  生命の樹から読みとくボトル
9月  感じるオーラソーマ
     カラーエッセンスとポマンダーから色を感じる
10月 親との関係を考える
11月 色を音で聴く
12月 2020 イヤーボトル 

 
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昨日は、映画「マスカレードホテル」を観てきたことで、サービス精神ということについて考えさせられたことについて書きました。
しかし、最も考えさせられたのは実は今日、これから書こうとしていることです。



映画の後半、フロント係である長澤まさみがこんなことを言うシーンがあります。
「私たちがどうしてお客さまを御見送りするとき、どうぞ、気を付けて行ってらっしゃい、と言うかわかりますか?
それは私たちは、お客様が一歩このホテルから出て起こったことに対しては、何も責任をもてないからです。
だからこそ、このホテルのなかでお過ごしいただく時間についてはカンペキなサービスを提供したいのです」
一言一句同じかどうかと言われたら若干違うところもあると思いますが、まぁ、こんな感じです。
私はこのセリフのなかの、
”一歩、このホテルから出て起こったことに対しては、お客さまに責任を持てないからです”
という部分にとても考えさせられました。
それは自分が今やっていることについてつらつらと考えが流れていったからです。



ホテルはある意味、「”場”提供業」です。
だから、このセリフのように、「一歩ここを出られてからのことには責任をもてない」というのはしごくまっとうな考えのように思います。
逆に言えば、お客さまがホテルを出られた後であっても、ホテルという”場”で起こったことについては責任をもつ、ということも言えるかと思います。
たとえば、チェックアウトしてしまってから、お客さまから連絡が入り、
「部屋に大事なネックレスを置き忘れてしまったと思う。探してほしい」
と言われたとき、
「それはお客さまの自己責任でしょう。もうチェックアウトされた人のことは知りません」
などというホテルはないと思います。



これが世の中で最も多い物体を伴う「商品」を取り扱う職業だったらどうでしょう。
お客さまが買ったりんごが中を切ってみたら腐っていた。
それをお客さまが電話をして、
「ちょっと、あなたのところのスーパーでさっき買ったりんご、腐ってたわよ」
とおっしゃったとき、
「そうですか。でもうちを一歩出てそのあとに起こったことについてはいっさい責任をもちません。それが本当にうちで買ったりんごだという証拠はありませんからね。」
とはなりません。
そりゃ、1週間も2週間も放っておいて腐ったと言われても、というのはありましょうが、その日のうちに起こったことであれば、
「それは失礼いたしました。お取替えいたします」
となるのが普通かと思います。
つまり、これは「商品」についての責任がある、と提供側が自覚しているからですよね。



さて、それでは私のような”目に見えないサービス”を提供している職業の場合は、どこまでが責任がある、ということになるのだろう?ということをふと考えたのでした。
特に「心」の問題を扱うセラピーというジャンルは難しいよなぁ、と思いました。
「サロンにお越しいただいている間だけが私の責任の及ぶ範囲」
というのは間違いないかもしれません。
けれど、クライアントさんが家に帰ってからの気付きなどがあった場合、
「ぜひ、メールでもいいからシェアしてくださいね!」
と言って私は送りだします。
気付きの喜びは分かち合ったほうがいいだろう、と思うからです。
では、クライアントさんが家に帰ってから
「また落ち込んじゃったんですけど・・」
みたいなシェアだったらどうするのか?という問題が出てきます。
嬉しいご報告ならしてくださいね、と言って置いて、落ち込んだ報告はしないでね、というのは虫が良すぎやしないか、と思ってしまうからです。
そしてさらに踏み込んで、
「こういう場合私はどうしたらいいんでしょう?」
というような相談をメールで受けたらどうしたらいいのか?という問題もあります。
それはカウンセリングになってしまうからフィーが発生するのならいいけれども、タダでその相談には乗れませんよ、と言うのが本筋なのかもしれません。
まぁ、私の場合、たいていはメールでも詳しく返事しちゃいますね。
本当は来ていただきたいんですよ。
でも、”今”苦しんでいる人を無碍にはできないし・・とか思ってしまう。
自分ならするか?と言われたら、絶対にしない。
だってメールを書くということは、実際に費やす時間以上に時間を使うわけだから、それは「時間泥棒」じゃないか、と恐縮してしまうから。
だったら、自分で出来ないことをしてくる人なんて放っておけばいいじゃないか、と言われたらそうなんだけど・・・。
う~ん、難しい。
ホテルのように、
「ここから一歩出たら、私どもの責任が及ぶ範囲ではないわけですから」
ときっぱりとしていればいいのかもしれませんけれども。



そんなことをつらつら考えていたら、この前こんなことがあったんです。
私が起業に関するコンサルタント受けた先生から、
「少し電話で相談したいことがあるんだけれど、いい?」
という連絡を受けました。
その先生が自身のコンサルをより良いものとするために以前に受けたことのある私の意見を聴きたいのだ、ということでした。
快く引き受けました。
私の感想が役立つことがあるなら、と意気揚々と電話を受けました。
すると話していくうちに、私の近況を尋ねられ、それに答えているうちに、まるで私がコンサルを受けているような感じになってきてしまったのです。
その先生もサービス精神旺盛な方ですから、つい教え子の現状について、
「もっとこうしたほうがいいよ」
「これもやってみたら?」
などアイデアやら情報を提供してくださったんですね。
それはとてもありがたいことだ、と思いながらも、私は感情ではこう思っていました。
「なんか嬉しくない・・」



それはなぜかというと、その先生が教えて下さるスキルやメソッドを試す、試さない以前に、今の私は”ビジネス”をしよう、とかビジネスを目的地にしよう、という考えがなかったからです。
行く気もない場所のことで、
「飛行機に乗ってみたら?」
とか、
「時間的にロスのない乗継ぎ電車を教えてあげる」
と言われても、まったくムダな情報に過ぎません。
それが私にはわかっていたのですが、そもそもの立ち位置がちょっと違うのだ、という説明はうまくできないまま、電話口で時が流れていきました・・



そしてつくづく思ったのです。
クライアント(お客さまと言い換えてもいいです)が望んでいないことまで提供してもそれは夏炉冬扇です。
馬の耳に念仏、犬に論語、のれんに腕押しです。(もうそんな並べなくてもいいって。ハイハイ)
でも時々セラピストとして私もやってしまいます。
とうとうと「サービス」のつもりで、本人が聞いてもいないことまで話しちゃうことが。
道端に転がっている石でも大切に持ち帰り、磨いてビロードの布の上に飾ったりすれば宝石ですが、単なる石ころにしか思えない人にはただの石ころです。
そしてそれは受け容れ側にとってのみ、決める権利があることなんですよね。
提供する側がいくら「これは宝石なんだって」と押し付けたって、石ころにしか過ぎない人にとっては、その時点ではどこからためすつがめつしても石ころは石ころです。
そんなことにやっと私自身気付きました。
「サービス」、それは受ける側にとって価値があるかどうかだけを考えて提供しなくては意味をなさない、ということを。
提供側の論理ではないのだ、ということを。
そして、いつでも24時間私はサービス体制にいますよ~と訴えかけるよりも、クライアントさんが一歩自分のサロンを出たら、確実に自分の足で歩いていくのだ、ということを信じてあげなくてはいけないな、と思いました。