ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

プレッシャーを味わう

2010-09-30 08:01:00 | スポーツ

先日テレビを見ていましたら、去年の「コカコーラ東海クラシック」で石川遼選手が優勝したときのものを、1Hずつ振り返り、本人がそれについて解説、コメントをつけてちょっとドラマ仕立ての番組に編成してある、というものをやっていました。

スポーツって生は生でライブの興奮を味わって、後でまたじっくり解説を聞いて楽しむっていう楽しみ方が出来ていいわねぇ。

半月ほど前にもこのブログで遼くんはやっぱりすごい、って話を書きましたが、この日もまた再び遼くんに感心し、教えられ、すごい、と思いました。

それは、18番で、190ヤードを7番アイアンで打ち、ピンそばにビシャっと寄せ、バーディをとったときのものです。

あの東海クラシックでは最終組の3人が72ホールを戦ってきて、最後のホールでも並んでいて優勝を争っていました。

その緊張感あふれるなかで、相手の選手が第二打をピンそば1.5メートルくらいに寄せて大歓声を浴びました。

その後に打った遼くんが同じライン上のさらにその内側につけたのです。

遼くんはこれを見事に沈めバーディを奪いました。

これが優勝を決めたショットと言ってもよいものでしたが、そのときを振り返ってのインタビューを受けているときのことです。

インタビュアーに、「あのときの1打はどんな気持ちでしたか?」と聞かれた遼くん、何と言ったか、と言いますと、

「はい、すごいプレッシャーでした。しかし、このプレッシャーを味わうために僕は今まで頑張ってきたんだ、と思って自分を信じて打ちました。不思議と7番アイアンを持つことに迷いはまったくなかったです。」と語ったのです。


すげぇ。

すごすぎる。この19歳は。

「プレッシャーをできるだけ感じないようにリラックスしようと心がけた」とか「プレッシャーを払いのけようとした」とか「プレッシャーは気にしないで置こうと思った。」とかじゃないんですよ。

“このプレッシャーを味わうために今まで頑張ってきた”なんてセリフは、そんじょそこらの一般人に吐けるものではありません。

こりゃ、まいった。

1本取られた、って感じ。

頭をガーンとハンマーで殴られたぐらいの衝撃。

私は今から15年前ほど、めまい、視野狭窄、動悸、微熱・・いろんな症状に突如見舞われたときがありました。

病院で精密検査を受けてもどこも悪いところは見つからず、結局、自律神経失調症ではないか、と診断されました。

寝込むほどのひどさでもなく(第一、寝てたって治らないし)、そんな状態でも毎日仕事をしていましたが、人前で話さなくてはいけないセミナーや研修の仕事のときにはほんとにドキドキしました。

何十人、ときには百人以上の人が、わざわざ時間を割いて私の話を聞くために集まってきてくれている。それなのにもし、動悸やめまいがひどくなって話が続けられなくなったらどうなってしまうのだろう・・? 誰も代わりに立ってくれる人がいるわけでもない。

そう思うと余計に動悸やめまいがひどくなってきてしまって、困ったことは1度や2度ではありません。


けれど、不思議と始まる前にそうなったらどうしよう・・?と思っているときよりも始めてしまえばそこまでの不調に見舞われることもなく何とか勤まったのでした。

これらの症状はあるとき何かをきっかけにふっつりと治まったということではなく、薄紙をはぐように何年も何年もかけて治まってきました。
けれど今でも、ときどきふっと「あ、この感じ。これ、やばい。この感じがひどくなると一番ひどかったあの頃になっちゃう。」と思う予兆のようなものを感じるときがあります。

そういうときはたいていそのときの仕事にプレッシャーを感じていて、そのプレッシャーに押しつぶされそうになって、そこから逃れたくてなっちゃうんでしょうね。


どうしてそんなにプレッシャーを感じるかというと、結局自分の実力以上に自分を大きく見せよう、見られたい、と思うからです。

それは思わないようにしよう、と思っても人間の性としてどうしても思ってしまうのなら、それに見合う自分になれるように精一杯努力して、もうこれ以上のことはできないと言う極限まで事前準備を整えて、本番に向かうことです。

遼くんはそれができている、という自覚があるから、「このプレッシャーを味わうために自分は頑張ってきたんだ。」と堂々と胸を張って言えるのでしょう。

プレッシャーとは確かに「0」であってもいけないものです。

適度なプレッシャーがないと、「ない」ということがまたプレッシャーになってしまう、というように人間は出来ている。

であれば、その心地よい適度なプレッシャーを感じながら、プレッシャーを楽しむ、味わう、という心意気を持ちたい。

その人に必要なことしか人生には起きないのだから、私がこれでいいのかな~なんて思いながらも、何十年も続けて人前に立って講義をする、ということを職業としてやってこられたのも、私にはそういう使命があるからなのでしょう。

であれば、それを積極的に味わう、という心構えでのぞみたいものだ、とまたまた19歳の青年におばちゃんは教えられたのでした。




オーラソーマヒーリングサロン「些々羅」では、メールにてコンサルテーションのご予約を受け付けております。営業受付時間は月~土(AM10:00~PM18:00)です。

刻々と予約状況が変わるため、まずはメールにてご希望の日時をお聞かせください。(現時点での詳しい予約状況をお知りになりたい方は、ブログ左肩の「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」に入っていただきますと、「10月の予約状況」を見ることが出来ます。)

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意志ある表情の美しさ

2010-09-29 07:55:00 | 身辺雑事

先日、TVで、高校生のチアガールたちの全国決勝大会の様子を見ました。

私はチアリーディングというものには全く興味もなく、何も知りませんでしたが、番組が進むほどに思わず引き込まれてふむふむ、とTVを食い入るようにみてしまいました。


何にそれほど惹かれたのか?

それは、彼女たちの意志ある表情の美しさにほかなりませんでした。

チアリーディングって元気のよさだけが売り物の応援団というぐらいの認識でしたが、あれはハードなスポーツですね~

昨今では演技もどんどん高度化しているようなので、トップの人は空中2回転に更にひねりを入れたりぐらいのことをしてます。それじゃあ、体操じゃないの!ってくらいのレベル。

それを受け止める人たちとちょっとでもバランスが狂おうものなら、床に叩きつけられてしまいます。

だから彼女たちは始終怪我との戦い。

ドラマは決勝での10連覇を狙う箕面自由学園高校というところと、初優勝を狙う梅花高校の間で起きました。

梅花高校のコーチは、箕面自由学園高校のコーチの教え子なので、いわば師弟対決ですね。


決勝で先に演技をした梅花高校はミスなしの完璧な演技。

終わったとたんに会場じゅうからすでに優勝を手にしたかのようなものすごい歓声と拍手が沸き起こっています。

その興奮さめやらぬ中に出て行って演技をする箕面自由学園にとってはものすごいプレッシャーだったことでしょう。

でも、こうなることもありえると見越してか、あらかじめコーチは演技する生徒たちに言い聞かせていました。

「いい? あなたたちが出て行くときには会場は割れんばかりの拍手かもしれない。それでも、臆することなくちゃんと笑顔で出て行くのよ。」と。


言われたとおり、教えを守り、次の演技者となる箕面自由学園の生徒たちは満面の笑顔で出て行きました。

しかし、実際の彼女たちの胸中を思うととてもそんな笑顔ではいられないような切羽詰ったものがあったことでしょう。

だって、相手は完璧なんです。

完璧なんてことはチアリーディングではまずないみたいです。

完璧にするために演技のレベルを下げると、それでミスなしでも今は高い得点が出なくなっているようなんです。だからどうしてもミスするかもしれない危険なワザ、高度なワザにもチャレンジせざるをえない。

箕面自由学園高校の9連覇の歴史のなかでも最高得点だったものをさらに超える得点を出さないと優勝できないことは彼女たちにはわかっている。

そんななかでの笑顔での登場です。

そして演技がはじまりました。

最初のうちは順調でしたが、途中の演技でトップにいるピラミッドの人がぐらついて、こらえきれず崩れ落ちました。

この時点で、もう優勝は無理だな、と彼女達メンバーの誰もが思ったことでしょう。

だって、何度も言いますが、相手は完璧なんです。こちらも完璧でそれで初めて互角の得点が出るかどうか、というところなのにミスってしまったところがあれば追いつくはずがありません。


そのとき、彼女たちはどうしたか?

なんと、キャプテンの子が、「最後まで笑顔でいくよ~!」と声をかけたんです。

その気概はほかのみんなにも伝わりました。

彼女たちは最後まであきらめることなく、梅花高校との勝負というよりも自分との勝負にだけは負けるもんか、とハッスル(久々に使ったぞ!この言葉)した演技をつづけ、必死の笑顔を繰り出していました。

わたし、不覚にもここで涙がこぼれました。(もう、最近ほんとに涙腺ゆるくなったわ~)

正直、いままでエアロビクスの人たちが、踊りながら張り付いたような笑顔をしているのを見て、「きしょいわ~ あの固まった笑顔。こんな演技ラクラクさ、って見せたいがためにほんとは必死なのに笑顔出してるのか知らないけど、いただけないわね~」なんて言っていたのです。

しかし、このときの彼女たちの笑顔は美しく、感動的でした。

ほんとは泣きたいぐらいのシーンで、一生懸命笑おうと努力する。

気持ちがしょぼんとしたところでそのまま素直にしょぼんとした表情をしていても、それは人の心は打ちません。

けれど、彼女たちは、自分たちが最高の演技を見せるべき表舞台で、その舞台を汚さぬよう、自分の誇りを汚さぬよう、最後まで笑顔であり続けた。

この意志の力に感動したのです。

落ち込むのはあとでいい。泣くのはあとでいい。それはいつでもできることなのだから。ときにこのように優勝という晴れがましくも、もちろん一番頑張ったのだから優勝という栄誉を手にすることができた人たちよりも、負けたほうの、スポットライトが当たらないほうに感動を感じる、というのは何なんでしょうね~ 人というものは自然に光と影を見ようとするものなのでしょうか・・・

実際に演技が終わって、得点が出て、優勝を逃したとわかったバックヤードではみんな涙、涙でしたけどね・・

そのバックヤードでは優勝した弟子のコーチが、師匠である優勝を逃したコーチに抱きつきました。

「あんたぁ! 見ておいでよ。来年はまたうちが優勝させてもらうからね!」と師匠がいい、

「いやいや、来年もまたうちがもらいますよ。もうコーチ業を辞めるとか言ってたけど、うちが優勝できたおかげでこれからも頑張ってコーチを続けてもらえるといいな、と思います。」と弟子。

こういうシーンは男のスポーツの世界にありそうな絵であり、ウエットな女子の世界ではないもののように思われていましたが、ふたりはからっとしていてとても気持ちがよかった。

こういうところでも女性の男性化が進んでいそうだなぁ、と思いました。

さて、話は変わりまして、私は接客マナーの講師をしています。

つい先日、私はこのチアリーディング大会に感動した、という話をあるショッピングセンターの販売員の皆さんの前でしました。

というのも、このごろの販売員の人のなかには「いらっしゃいませ」とお客様にお声がけをし、そのときににっこりと笑顔でいる、ということができない、という人がいるのです。

販売員歴が浅くて恥ずかしくて言えない、という人は昔もいましたが、最近はそうではなく、「こっちが笑顔で声かけたって、あっち(お客様のこと)は無表情で無視なんだもん。無視する人たちにそんなことできないよ。」って言うのです。

どうして販売員である自分とお客様を友達のように同じフィールドで考えてしまうのかわかりませんが、「それはあなたがそれでお給料もらってる販売員だからでしょーが!」とそう言って叱るよりも、プロとしてどんなお客様にも公正で公平に同じテンションで接することが求められており、そのためには自分の気分とは関係なく常に意志で笑顔をこちらから投げかけていかなくてはいけないのよ、ということをこのときはチアリーディングの高校生の笑顔に感動した、という話を持ち出して説いたのです。


すると、みんなの顔がピッと引き締まり、とても強い意志をもって私の話を聞いているのがわかりました。

やっぱり、伝えるほうが心から感動した、という話は人の胸を打ちますねぇ。

表情は心のなかを表すものですから、素直なほうがいいと思いますが、ときにぐっと自分の本当の気持ちをこらえてでもそれとは逆の表情を表に出す、ということは非常に強い意志の表れであり、その意志から何が言いたいのか、ほんとうはどんな気持ちなのかまで、かえって透けてみえるときがある。それが人の心を打つのだ、と思いました。

私も感情にまかせたまま、表情を垂れ流しにするのではなく、時にはそれがどんな影響を人に及ぼすのかを考えたうえで、意志の力でぐっと表情をつくりたいな、と思いました。



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音楽を描いたパステルアート

2010-09-28 07:50:00 | カラーセラピー

早いもので、パステルアートに通いだしてもう6回目となりました。

今回のパステルアートでは、「CDをかけて聞き、そこから受け取ったものを描く」ということをやりました。

今までに、アロマオイルの香りをかいで描く、ということはやってきましたが、

音楽を聴いて・・というのは今回が初めてです。

かといって、いつもバックグラウンドミュージックとして何かしらの音楽はかかっていますし、ごく自然にその音楽からインスピレーションを受けて、ということはあるので、考えてみれば格別目新しいことではなかったかもしれません。

でも意識して、とやったことはなかったので、また面白い経験となりました。

まず最初にいつものように香りを選んで先生のナレーションで瞑想し、そこから受け取ったものを描く、ということをしました。

先生のアロマオイルはまた本数が増えていました。

「全部そろえると30万円くらいになっちゃうから、徐々にそろえているのよ。」と先生はおっしゃいましたが、ン十万円のアロマオイル!と聞いただけでビビりそうでした。

今回私が選んだのは、「フェンネル」でした。

フェンネルがどういうオイルかわかりませんでしたが、私はこの香りをかいで、鮮烈なグリーンを想いました。

Photo 笹のように先端が鋭利なシャキーンとした葉っぱ。

そしてその葉っぱの中には実がついていて、空から降り注ぐ光の筋に向かって実からはじけた種が飛んでいく、というものを描きました。

なぜか今やっているタイムラインのヒーリングを思い出し、オレンジとコーラル、ピンク満載の絵です。

あとから聞いてまたびっくりしたのですが、「フェンネル」とは、種子からできたアロマオイルだそうです。

自分が選んだアロマオイルがどういうものか知らなくても必ず毎回ちゃんとシンクロを起こしているから不思議です。

さて、2枚目からは各々が持ってきたCDを聴いて描く、という新技の出番です。

まず最初は、私のCDから始まりました。

私が持ってきたCDは・・・ そう! ジェームス・アッシャーの「Rivers of Life」です。

「何でもいいからお気に入りのCDを1枚持ってきてください。」と言われて私がこのCDを持っていくのは当たり前でしょう。

このブログでも以前に、いかにこのCDがお気に入りで、毎日毎日サロンで流しているけれどちっとも飽きない、と書いたことがありますが、ほんとに飽きないんです。


でも、この音楽に対する私のイメージは固まっていたので、何か自分のなかから新しいモノが出てくるはずはない、という気持ちもありました。

私はこのCDが流れるといつも宇宙の銀河を想うんです。

どうしよっかな~と思っているところへ、先生がふと「なんかこの曲聴いていると、どっか行っちゃいそうだね。」とおっしゃいました。

そこでふと、そうか、行っちゃいそう、ということは、まだ宇宙には旅立っていないんだ、と思いました。

Photo_2 行く前、というのはどこかのゲートの前だ、と思い、「変容の扉」というタイトルで描いたのがこれです。

扉の前にはまだ何も生えていないむき出しの土が広がっているだけだけれど、扉の向こう側にはお花畑が広がっている。

それが何かはわからないけれど、変容したことはたしか。

そして、そこへ行くための鍵は自分だけが持っている・・・そんな気持ちをこめた絵です。

びっくりしたのは、「うたたね」さんが(あ、毎回ペンネームで描きますので。ちなみにこの日は全員が自分のサロンの名前を自分の名前としました。だから、私は些々羅でした。)、滝から流れ落ちる川のようなものを思い浮かべた、とおっしゃって実際にそういう絵をお描きになったことです。

もちろん、「うたたね」さんは、このCDのタイトルが「Rivers of Life」とはご存知なかったのです。ぞぉーっつ!

3枚目は、今度は「うたたね」さんが持ってきたCDです。

ジャズがお好きだとかで、ルイ・アームストロングとエラ・フィッツジェラルドのデュエットを収めたCDを持っていらっしゃいました。

私はどんなジャズでも、ジャズと聴いただけですぐに「酒とタバコの日々」という感じを思い浮かべます。要するに大人の男と女の世界です。

夜の世界で繰り広げられる粋な男と女の騙しあい、そのなかに見え隠れする本気・・

そんな虚実ないまぜの人生を経験した男女はきっといろんな恋を経験するでしょう。けれど、それがどんなほろ苦いものであっても、きっと彼らは最後には「すべて良かった。自分の人生はYESだった。」と言うのではないでしょうか。そんな気がします。


Ok だからそんな気持ちを絵にしてみました。

わかりにくいですが、下の茶色い丸いものは、タバコの先端です。そこから立ち上る煙はろうそくの炎のようにゆらゆらと天に昇り、いつのまにかハートを形作ります。そしてそのなかには自分の人生にYESと言った人がいる、というイメージです。

タイトルは「すべてOK」。

なんだか「Life is  beautiful!」と叫びたくなるような、狂おしいけれどどこかほのぼのとした雰囲気が出せたな、とわれながらお気に入りの1枚となりました。

今回のなかで一番の自信作です。


あとでシェアしたとき、それぞれが今日の一番のお気に入りと、ほかの人たちがその人の絵で一番気に入ったものを発表するのですが、全員の方が私と同じくこの絵が一番好きだ、と言ってくださいました。

実は、自分が一番好きな絵と、ほかの人が一番好きだ、と言ってくださった絵が一致したのは今回が初めてです。

だから何だかその一致をとても嬉しく思いました。

4枚目と5枚目は、素直に私がいつもジェームス・アッシャーの曲に対して抱いている「宇宙の銀河」的なものをそのまま描いてみました。

Hand to Heart」さんが、「昨日平原綾香のコンサートに行ったのよ。ジュピターのときなんてめちゃ盛り上がった!」という話をされたので、よけいに宇宙というものに気が行きました。


Photo_3 4枚目のタイトルは、「世界の中心は自分」というものです。

これは、「自分本位」という意味ではなくて、世界がどうであれ、自分軸をしっかりもっていて、常に世界の中心にはブレない自分がすっくと立っている、というようにしよう、という気持ちをこめたものです。

Photo_4 そう考えたとき、人間だけではなく、動物にだって、植物にだって、命のあるものには皆、そのなかに小宇宙が宿っているのかな、とふと思いました。

なので、今は亡き花奴をモデルに、「猫の中の宇宙」というタイトルで5枚目を描きました。

私が「これは前に飼っていた猫なんですけど・・」と言ったら、「Hand to Heart」さんが、「え~! これ、えっちゃんかと思ってた。だって、似てるよ。」と言い、ほかの人も「うん、うん、そうだ。」というようにうなづいたので、びっくりしてしまいました。

ペットは飼い主に似る、と言いますが、いつのまにか私のほうが、猫に似ていったのでしょうか・・

花奴と私は一心同体だと思っていたので、何だかまた花奴のことを思い出して、一瞬ぐっと切なくなりました。
いつまでたっても、たった一言その名前を呼ぶだけで、一瞬のうちにただただ切ない感情がこみあげる、というものを今までの私の人生では、花奴をおいてほかにはありません。

でもこれからこういうモノや人が増えていくんだろうな、と思うとまた切なくなりました。

Photo_5 これが皆さんの作品で~す!

いろんなところでシンクロが起こっているのがわかるでしょうか。

3枚目なんて、全員がハートモチーフで描いているし(一番右側の「Hand to Heart」さんのだけわかりにくいかもしれませんが、実は小さく片隅にハートが描かれているんです!)、4枚目の私と「うたたね」さんのなんて、もうまるでうりふたつじゃありませんか!

Photo_6 そしてこの日はなんと先生の誕生日だったそうで、お祝いということで私まで一緒にケーキをごちそうになっちゃいましたぁ!

おいしかった~♪

さて、お開きとなり、「Hand to Heart」さんのサロンを後にしたとき、外がびっくりするくらい涼しくなっているのに驚きました。

昨日、今日と続いた秋雨前線による大雨と雷の影響からか、空がなんともいえない色に染まっていました。

ターコイズとコーラルが織り成す神秘・・

まるでB93「ヘンゼル」です。(すぐにボトルで考えちゃうのが職業病ってやつでしょうか!)

「わぁ~! 写メにとろう。」と言いながら、サロンを後にしたのですが、自分の車のところまで行くと微妙にターコイズとコーラルのバランスが悪くて、なんだかちっとも魅力的に感じませんでした。

このようにちょっとした角度やタイミングで美って去ってしまうんですね・・

だから愛しくて美しいのかなぁ。

なんだかこれもまた切ないようなしゅんとした気持ちになりました。




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「待つ」ということについて少し感慨にふけってみました

2010-09-27 07:53:00 | 身辺雑事

昨日、ゴルフ場ですごく混んでいて待った、という話を書きましたが、それについて「待つ」ということについてしみじみ青春時代を思いだしました。


「待つ」ということは、「待つことそのもの」がイヤなんじゃない。「何が起こっているのかわからずに待っていること」がイヤなんです。

だから昨日のゴルフは気の短い私に対して、スタートホールでのキャディさんと前の組の人たちとの会話は天使のプレゼントだったと思います。

「ここはいつも休日はこれくらい詰まるんですよね~」というキャディさんの言葉。

それによって心の準備ができました。

つまり、「何が起こっているのかわからずに待っている」状態ではなくなったわけです。これは特別なことじゃなくて、休日にはいつも起こることなんだ、ということと、このホールだけじゃなくて、どうやら今日は1日こういう状態らしい、ということを覚悟しなくちゃいけないことを。

それがわかっただけですごく助かりました。

じゃなければ私は、「いったいどうなってるの!? どこかに詰まるホールがあって、そこさえ抜ければあとはスーッと行くのか、それとも前のほうに極端に遅い組がいるとか?」とイライラしてしまって、ダーリンにも当り散らしていたかもしれません。

そう思ったとき、昔、私の青春時代というのは、わけがわからないまま待つだけのことが多かったよなぁ、と感慨深く思ったのでした。

私は東京の大学に入学したとき、最初は寮に入りました。

寮では、一応身内からだけの電話は取り次ぐ、ということになっていました。

でも、携帯電話の無い時代、それしか連絡手段がないのですから、友達でも彼氏でも「いい? 誰だ、って聞かれたら、身内の者です、って言ってよ。」と言い含めて、電話してもらいました。

寮監さんもそれはわかっていて、「こんなの絶対彼氏だろー」という電話でも取り次いでくれました。


しかし、寮生は全員で200人くらいだったかな、いたんです。

それに対して寮の設置電話はたったの3本。

毎日回線がパンク状態でした。

かけてもかけてもお話中ばかりでほとんどつながることがないような電話だったはずです。

「でも、それでもかけてね。」と彼氏の愛情を確かめるかのようにわがままな女子大生は言うわけですよ。それで、相手の気持ちをはかる、っていうか。

そしてその電話をひたすら部屋で待つ。

かかってくる保証は何もありません。

相手は必死になって何度も何度もダイヤルしているのかもしれない。していないのかもしれない。

それでも電話が使える22時までは、もしその間にお風呂に入っていたりして出られなかったら嫌だから、お風呂にも行かずに待つ。

22
時になってもうかかってくることはありえない、という時間になるとどっと張り詰めていた肩のラインが落ちて、疲労を感じる。

そして次の日に、「ねぇ、どうして昨日電話くれなかったのよ~」なんて言う。(なんだ! 次の日に会うなら、電話なんかどうでもいいじゃん、ってそら、そこはあ~た、若いときっていうのは、毎日でも連絡とりたいんですよ。)

「いやぁ、何度も電話したんだよ。でもつながらなくてさぁ。」なんて言われると、

「どれくらいチャレンジした?」とさらに突っ込む。

「・・・100回くらいかな。」なんて言われると「ふぅん。」とま、それなら許してやるか、と納得する。

「いや、23回だけど・・」なんて言おうものなら、「それくらいで何度もって言わないでよ! そんなくらいでつながるわけないじゃん。」なんてブチ切れる。

そして、内心、(こいつ、あんまり、私のこと、好きでいてくれるわけじゃないな。早いうちに別れたほうがいいかしら。)なんてことまで思案しだす。

だから、ましてや「ねぇ、どうして昨日電話くれなかったのよ~」と言って、

「あ、ごめん、ごめん。忘れてた。」なんて相手が言おうものなら、その瞬間に別れることを決め、

「ふぅん。ま、いいけどさ。どうせ、私も出かけてたから。」なんて見栄を張ったつもりのことを言ったりする。

あ~

すべてが若かりし頃のちゃちなドラマだと思うと懐かしいわぁ。

今はこんな気持ちわからないでしょうねぇ。携帯電話があるから、いつまでも連絡とれない、なんてことがないですもんね。(それはそれで、連絡がとれちゃうはず、で起こるドラマがまたあるんでしょうけれど)

ちゃちなドラマだとはおもいつつ、「待つ」という時間の間にこみあげてくる自分ではどうしようもないさまざまな感情、その間に振り返る自分のこと、行く先のこと、そしてその間にする決断、というものはそれはそれで美しくも可愛いものだったなぁ、と我ながら思うのです。

ああいう寄せては返す波のような感情の満ち潮、引き潮を「待つ」という行為では味わわない今の人たちは、そうした感情をどういうところで培うのだろう、とふと思いました。




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ゴルファーのマナーとゴルフ場のマナー

2010-09-26 07:57:00 | 身辺雑事

先週のお休みにダーリンとゴルフに行きました。

このところダーリンはゴルフに夢中なので、ふたりのお休みといえば、何はなくともまずはゴルフ、という休日の過ごし方をすることが多くなっています。


この日は、瑞浪にある「中仙道ゴルフ倶楽部」。

楽天GORAでとって、食事付で2サム保証を取られずに休日で、8880円という安さだけで飛びついたところです。

まったくどんなところなのか、評判も知らずに行きました。

私たちのホームコースは高富ですが、ときどきこのようにして「ここはどんなところなのかな?」とあえてコースも調べずに人の評判も聞かずに行ってみるというのも好きなんです。

自分の目で確かめたい、つーか。

だって、私たちが気に入ってよく行く高富ゴルフ倶楽部にしたところが、人の評判を聞けば、良くおっしゃる人はまずいらっしゃらない、というゴルフ場です。

私も最初行ったときは、フェアウェイにアンジュレーションが多いというか、でこぼこしているなぁ、と思いました。

でも人が言うほどの山岳コースでもないし、まぁまぁじゃん、と思いました。

何よりお気に入りなのが、食事!

何を食べてもおいしい。全メニュー制覇したいくらいです。

ちなみに今まで食べておいしかったものは、「皿うどん」(具沢山で1番のお気に入り)、「チャーシューめん」、「スープカレー」、「うなぎの白焼き丼」。

それからクラブハウス、ロッカールーム、お風呂がとてもきれいで広い。

ゴルフを「いくつで回ってくるか」だけが問題でスポーツと捉えれば、そんな付帯施設のことなんかはどうでもよくて、ひたすらコースがどういうものかが問題だ、となるかもしれませんが、しょせん私たちは休日ゴルファー。

スコアはいいにこしたことはありませんが、休日を楽しみたくてやっているのですから、半分はレジャー。

レジャーであれば、食べることとゆったりできる施設部分が良いのは絶対条件となってきます。

さて、私たちは954分のスタートでした。

頃合の時間になったので、出て行くと、なんとまだカートが4台も詰まっているではありませんか。「うわぁ、混んでるなぁ。」と思いました。

でも、日曜日や祭日はこういう事態になることもままあるので、まぁ、スタートするまでの我慢だ、スタートしてしまえば後は流れるんだろう、と高をくくっていました。

スタート地点だけにはキャディさんがいらして、待っている組の人たちに、「はい、もういいですよ~、打ってください。」とか声をかけています。

すると私たちの前の組の人たちが、キャディさんに、

「ここはほんとに詰まるなぁ。この前来たときなんか、2時間半待ったぞ。」とおっしゃるのを小耳にはさんでしまったではありませんか!!

ん!? 2時間半?

2時間半てどういう意味よ?

スタートするまでに2時間半待った、ということなのか、1つ1つのホールでつっかえつっかえして18H上がってみれば、全Hで少しずつ待った時間を足せば2時間半くらいになるぞ、という意味なのか・・・

前者はありえんだろー。私ならフロントに文句言ってもう帰ります。

だって、2時間半あればハーフ回って来れちゃうじゃない。

「ここはね~、ほんと詰まりやすいコースなんですよ。日曜日は大体こんなもんなんですよ。」とキャディさんがおっしゃってます。

「それでもINのほうがまだましだから、今日も1組、OUTの方ですごく待って見える方をこちらのINのほうに回したのよ。」

いつもいつもそんなに詰まるなら、組と組との間隔をエントリーのときからもっとあけるとか改善しないといけないでしょうに。

ただただエントリーがあれば、たくさん入れるだけ入れて儲けたい、っていうゴルフ場のわがままでこういうことになってるんじゃないの?

そしてようやく30分遅れて、前の組の方たちがスタートしました。

ちょっと涼しくなってきてこの日は天候も曇りだったのでよかったですが、これが真夏のかんかん照り(もしかして死語?)だったら、スタート前にもうへばっちゃいますわ。

しかもこのゴルフ場は近くに養豚場があるとかで、豚のふんの臭いが風に乗って漂いまくってます。

そのスタートホールで30分待ちっていうのは、これは辛いわぁ。

キャディさんに「慣れますか?」って聞いたら、「こんなもの、慣れませんよぉ。アタマ痛くなっちゃいます。」っておっしゃってました・・

臭いって、本能に直撃だから、嫌いなもんは嫌いで慣れないわなぁ。

しかも臭いってそれそのものを形成している分子を体内に取り込んでいるんだ、って思えば、私の体内に何mgかは、豚のふんそのものが取り入れられたんだ、と思うと気持ち悪~い!


前の組も私たちと同じくご夫婦二人連れでした。

ご主人は結構飛ばし屋でお上手そうなご様子。

スタートホールでは奥様が、右のラフに打ち込んでしまったようです。

ご自分の球を打ったあと、まだ同じあたりを何か探しておられるようです。

その様子を後方から見ていて、キャディさんが言いました。

「あれ、きっと球が見つからなかったんだわ。で、ご主人がいいからそのへんから打て、っておっしゃったんだわ。でも、納得できないから打ったあとも探してるのね。もう、いいから納得してちょうだいよ~」


つまり、キャディさんとしてはプレーヤーに一刻も早くスムースにプレーして欲しいので私たち以上にイライラしちゃってるわけです。

すると今度は、ご主人がグリーンの空くのを待っている様子を見て、

「うっそー。パー5だよ。あそこからまだ270ヤードはあるっていうのに、いくら飛ばし屋だって、届くわけないわよ。打ってちょうだいよ~」とまた独り言のようにイラついてます。

だけど、このコース、自分でも回ってみてわかりましたが、ドッグレッグになっていないホールはほとんどが左右はよく開けていて、グリーンが真正面に見えるんです。

だからどうしても近く感じて、万が一打ち込んじゃったりしたらイヤだから、と待ってしまうんですね。そのプレーヤーの気持ち、わかります。

だっていくらキャディさんが「もう大丈夫ですよ。」と言ったって、じゃあ、キャディさんがそう言ったから、と打って打ち込んで、前の組のプレーヤーを怪我させてしまった、ということになったとき、全責任をキャディさんがとってくれるんですか、と言うとそうではないでしょう。やはり、打った本人の責任だと思います。

それともうひとつは、遅延の連鎖。

自分だけが早くしたってどうせ、もっと前の組から詰まっているんだから今の1打を早くしようがしまいが、そんなことぐらいでは変わらないさ、という気持ちがどんどん積み重なっていって余計に遅れるんでしょうね。

それにしても、後ろからほかの人のプレーを見ていると、こうして遅れているときは特にマナーが気になって仕方がない。


前の前の組の人は、やっぱり男女二人連れだけど、女の人はコースデビューなのかな、っていうくらいの初心者みたい。

それを丁寧に1打ずつ男の人がその場で打ち方を教えている。

そういうことは練習場でやってきてほしいわ。

私がゴルフを始めた頃は、キャディさん付しかなくてセルフで回れる時代じゃなかったからそれはキャディさんに厳しく仕込まれたものですよ。

マナーを教えてくれるのもキャディーさんだった。

今はほとんどキャディさん付でプレーすることはなくて、セルフばかりだから一緒に回る人がよほどきちんとゴルフのマナー、ルールを教えてくれなければ初心者は知らないままになってしまう。

そして、バンカーはならさない、グリーンの上を走る、グリーンのディポットは直さない、ホールアウトしてからもいつまでもそこでスコアを記入したりしてカートを発車させない、などのマナー違反者が出現しちゃいます。

私が若いときは(出タッ! これが出るとたいてい若者への説教だよ)、レディスティーはたいていレギュラーティよりちょっと前にあるので、先にそっちへ自分だけクラブ持って行って待っとけ、って言われましたもんね。

そして、前の組がいる場所によっては、「俺らはまだ打てないけど、飛ばない女の人なら打ってもいいから、少しでも時間短縮のために先に打て。」と言われました。

今なんて、たいていが一緒のグランドに立って、ぼーっと待ってますよ。そしてレギュラーティーで男の人が打ち終わってから一緒にカートに乗って、ちょいと前にあるレディスティーに行って、それからティアップして、コースの方向確認して、素振りして、でしょ。そら、時間かかるわ。

でも、今日のように混んでいて、後ろから人のプレー見ているとそういうアラばっかりがよく見えるけれど、自分でも気をつけなくちゃな~と改めて思いました。


そして、ゴルフ場もお客様を「待たせてる」ってことは事実なんだから、「待つことになるのは、あんたらのプレーが遅延気味だから」みたいなプレーヤーのせいにしないで、もう少しサービス精神を発揮してほしいわ。

何分以上遅れたときは、次回のサービス券を発行するとか、スタートホールで冷茶のサービスをするとか、なんでも考えようはあるでしょうに。

それどころか、ハーフを3時間かかって回ってきて、ようやく休憩となり、(それも1時間も!)後半のスタートとなったとき、私たちに告げられたスタート時間の5分前に館内放送がかかり、びっくりしてしまいました。

「坪内さま、坪内さま、スタートのお時間となっております。スタート地点まで急いでいらっしゃってください。」というものです。

はぁ? まだ5分あるじゃないの。

早くスタートできるようになったのかしら?と慌ててカートに向かうと、なんのことはない、しっかりまだ1台、前が詰まっているではありませんか!

結局私たちがスタートできたのは、前半のときほどの遅れではありませんが、やはり最初に告げられていたスタート時間よりは10分遅れてでした。

なのに、なんで5分前に着てないからって、館内放送かけられなくちゃいけないの!? 館内放送かけるときなんてよほどのときじゃないんですか? 

恥ずかしいったらありゃしない。

こんなのゴルフ場が客を管理したいから、だけのことだよね。

客志向でないことはなはだしいわ。

結局、私たちがホールアウトできたのは5時半。

お風呂にはいって出てきたら周りはもう暗くなっていました。

その頃にはもう家についていて「どうする? そのあと映画でも見に行く?」なんて言っているはずでしたが、とんでもありませんでした。

「ここはさすがに、休日には来れないね~。常にこんなに混むんじゃ。」とぶぅぶぅ言いながらも、「でも、ごはんはおいしかったね~、あのマツタケご飯。インチキかと思ったけど、ほんとにマツタケだったね~ あんなに入っていて、1000円はお値打ちだわ~ さすが東濃。」とここでも食べることを評価して、

「ま、たまにはこういう遠くに来るのもいいよね~」と能天気に高速を使わずに帰っていったのでした。




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