ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

根源音

2008-10-31 07:39:59 | 精神世界

この世に一番最初に出来た音が「AUM」(オウム)だというのは聞いたことがありますよね?

では、そのAUMとキリスト教でお祈りのときに使われる聖音AMEN(アーメン)が同じ周波数の音だということはご存知でしたか?


この音は両方とも一種の真言(マントラ)で、インドでもエジプトでも音そのものが元来神であったわけです。

周波数というのは、波動と置き換えてもいいと思います。

周波数というのは「波動や振動の周期の逆数」を言います。

逆数とは「0でないある数aに対して、a×b=1となる数baの逆数という」ので正確には周波数が波動とイコールではないですが、まあ、物事の事象を逆から捉えた数というような意味合いで同じものを言い現すための便宜上別の単位、というぐらいにとらえてもいいのではないでしょうか。

ですから、最初に述べたAUMAMENが同じ周波数の音だ、というのは、AUMAMENが同じ波動だ、と言い換えてもいいでしょう。

AUM
の根源音から32オクターブ低いと地球の1年の周期となり、一方42オクターブ高いと青緑という色彩光線の周波数となります。

これらはそれぞれ時間、音、色と全く異なった領域に存在しているようにみえますが、実はオクターブの原理によってしっかりと結びついているのです。

万物は目に見えないオクターブと言う結びの仕組みで相互に影響しあっており、その結びを目に見える形であらわしたのが象徴(シンボル)であって、シンボルを駆使してこの結びの仕組みを使いこなす技術が儀式魔法を取り入れたカバラだ、とカバリストの本に書いてありました。

「魔法」というとおとぎの国の話のようでピンと来なくても、このように万物の仕組みを解き明かすためのシンボルをとりいれて使いこなすテクニックのことだ、と言われるとなんだか急に身近に感じますし、科学とは相容れない世界だと思っていた精神世界が実は科学と表裏一体のものだったのだ、と思えてきてなんだかほんわかとうれしくなってきます。

そして、本にはこうも書かれていました。

オクターブの原理は単純な整数比で構成されているから、「万物は数である」であると言ったピタゴラスの原理がここでぴたりと当てはまってくるわけだ、と。


このオクターブの原理のことは周波数を指して言っているわけだから、これをまた「万物は波動である」と言い換えてもいいわけで、そうすると「すべての源は思考という目に見えない物質だ」と言った「引き寄せの法則」のウォレス・ワトルズの説もまたぴたりとはまってくるわけで、(思考も波動の一種だ、と言っているので。思考を質量化せずに人間の頭のなかにぼんやりとうかんだ考え、というぐらいの解釈でいるとわかりにくいですが、『思考を目に見えない物質』と言い切ったことにより、では思考もまた波動で出来ているのだ、とわかりやすくなりました。)こうしてすべてのパズルがぴたりぴたりとはまっていくときの感覚ってとっても快感です。

さらにAMENとは地球の周波数と同じだそうで、人が年に1回、誕生日や記念日を祝うのはこの地球の1年という根源音に同調するためだそうです。

春分、夏至、秋分、冬至の4点は地球の1年と倍音系列で調和する重要な時点であって、ほかの日と明らかな差異があるんだそうです。

ですから、このような特別な時点は、自然や神々や精霊たちと交流する絶好のチャンスだったわけです。

こう考えると改めて、日本古来から大切にされてきた節目節目の行事などにちょっと今までとは違う目がいくようになってそういう記念日やら行事やらの日が待ち遠しくなってなんだかわくわくしてきませんか?

何でも意味がわからないと、それにともなって行われてきた慣習も失われていきます。

お年寄りが一生懸命守ってきた風習なども「なんでそんなめんどくさいことしなきゃいけないの?」という若者の無邪気な問いに答えられる大人がいないと「だったらそんなかったるいことやめりゃいいじゃん。」の一言で終わってしまったりします。

春分の日や秋分の日におはぎを食べるのはなぜか?

夏至の日にタコを食べるのはなぜか?(関西だけの風習のようですが)

冬至の日にかぼちゃを食べるのはなぜか?

「なぜ?」という疑問をもつことが「気づき」のはじまりだ、と以前にも書いたことがあります。

わからないことならやめちゃえばいいじゃん、ではなく、どうしてそういうことが根付いたのかを自分なりに調べてみると思わぬ発見があっておもしろいかもしれません。

そして、なかにはそれが唯一の神と交流しやすくなるための日だったことがわかったりして感慨深く、自分もその儀式や風習を大切にしよう、とかそういう気持ちになってそういった節目の日をすごしてみるのもいいかな、と思います。

例えば夏至の日なんて単に「1年でいちばん昼が長い日かあ。」というだけではなく、一番長く太陽に接していられる日であることを感謝するとともに祝おう、という気持ちになれば、太陽の化身といわれた天照大神についてちょっと想いをはせてみよう、なんてことになるかもしれません。

根源音の話からずいぶんそれてしまいましたが、音もまた波動であり、波動が宇宙の節目、節目で神と交信するための時点を設けてくれている、と思うとさしずめ24節気あたりでもちょっと調べてみようかしらん、という気になりました。




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チャクラセットの謎

2008-10-30 06:24:26 | オーラソーマ

先日、jynちゃんとchieちゃんと第二回目の勉強会をしました。

勉強会といっても堅苦しいものではなく、そもそもただのおしゃべりのつもりで喋っていること自体がオーラソーマや精神世界のことだったりするので、ほかの人からみたらそれってタダの井戸端会議じゃん、っていうものでも私たちにとっては十分な勉強会なんですっ!ってノリなんです。

そこで、なんでだったかチャクラセットの話になりました。

チャクラセットとは、ヴィッキーが人体の7つの大きなチャクラに対応させたボトルで、通常ボトルとワークするものとは違い、肉体の不調などに対応します。

例えば、第一チャクラは人体のもっとも基底部に位置するチャクラで、下腹部から下のエリアに影響を及ぼします。それに関連したボトルとしてB5の上がイエロー、下がレッドのものが選ばれており、これは腰から下の不調に塗ると効用があるといわれています。寝る23時間前までに塗るとぽかぽかして眠れる、とか。

で、そのときにjynちゃんが、第三チャクラに関連付けられたボトルを見て、「イエローに対応するなら、どうして上下ともイエローのB42とかが対応ボトルじゃなくて、下がゴールドのB4が対応してるんだろう・・」とつぶやいたことに端を発して、そういえばどうしてだろう、とケンケンガクガク見解を出すことになりました。

私はけっこういいかげんで、「ボトル自体がヴィッキーのインスピレーションで生まれたものだから、これも理屈じゃなくてヴィッキーのインスピレーションなんじゃないのぉ。んで、被験者にいろいろやってみて、これが一番いいみたいだ、ってことで決められたんじゃないのぉ。」で満足してしまっていたんですが、ひとたび疑問が沸き起こると自分が本当に納得するまで決して後に引かない探究心旺盛のjynちゃんと、自分に興味があるエリアのことについてはすごいパワーを発揮するchieちゃんのふたりのエネルギーに圧倒されて、私もついあ~でもない、こ~でもない、こうかな?などと真剣に考えました。

で、このときには、第一チャクラと第三チャクラに対応したボトルが両方とも、上部が黄色なのは「わかった!神経は黄色だから、神経を伝わって基底部に成分が運ばれるんだよ。」と言うことで納得し、第二チャクラは上下ともチャクラカラーであるオレンジだからハナから問題ないし、第四チャクラが上下ともグリーンじゃなくて上がブルーで下がグリーンなのは混ぜてシェイクするとターコイズブルーになるから、4.5チャクラにも対応しているからだよ、と納得し、第五チャクラの対応ボトルはそもそもブルー/ブルーだからいいとして、第七チャクラも上がブルーで下がピンクなのは、混ぜてシェイクすると バイオレットになるからしぶしぶ納得したものの(しぶしぶというのは、混ぜてバイオレットになるものはほかにもあるけれどなんで、あえてB20のスターチャイルドが対応ボトルなんだ、という点ではよくその理由がわからないからです。)、

どうしてもわからないのが第六チャクラ。

第六チャクラに対応したボトルはB1のブルー/ディープマゼンタなのですが、第六チャクラとは「第三の目」のあたりのこと。であれば、どうしてロイヤルブルーが入っているB0であるとか、上下ともロイヤルブルーのB96とかでないのだろう?ということです。

結局うやむやのまま、この日はお開きになってしまったのですが、夜になってCHIEちゃんからメールが入りました。

B0B1の違いはB0の上部にはほんの少しレッドが入っていることですよね。私はなんとなくですが、納得できました。いかがですか?」と。


CHIE
ちゃんはとても感覚的な人です。

なにか言葉にはできないけれどピンときたのでしょう。

だけど私は論理の人・・ 残念ながらCHIEちゃんのようにはピンとこない。

で、MIEちゃんにどう思う?とメールしてみました。

するとMIEちゃんは感覚と論理のバランスがとれた状態でこんな意味のメールを返してくれました。

「言われてみればそうだけど、今まで私はチャクラセットの対応ボトルに違和感を感じなかった。で、どうして違和感を感じなかったという自分がいたのかを今度は頭で考えてみようと思いました。このように私にとっては考えるということと感じたり感覚的にわかるってこととはつながってるの。

 で、私の感覚では第六チャクラ(ロイヤルブルー)で感じたこと考えたことは、そこから全身(マゼンタ)へと繋がっていくと言う感じ。マゼンタは私たちのソウルスターがある場所でもあるからスピリチュアルな感覚だし、ブルーは最初にブルーありきで出来た色だから私たちの体そのもののような気がして。

つまり第六チャクラはブルー(思考とかを作り出す肉体的なもの)とマゼンタ(スピリチュアルなもの)が出会う場所というか・・ だから違和感ないんだ。」

こんな内容のものでした。

このメールで初めて私はピーンときました。

そして、オーラソーマのボトルに関して解説してある本をあらためて読んでみたら、さらに腑に落ちる表現に出会いました。

B1の解説です。

「この名前のもうひとつの側面は・・・身体性を超えて私たちがもっと自由になり、本来の自分になって自分を受け入れることができるようになれば、私たちはもっと内に安らぎをえることができます。」

そして、これが肉体を忘れもっとスピリチュアルになればいいという意味ではない証拠に次のように続きます。

「これが起こると私たちはさらに平和になり、人生や身体性が私たちに与えるものにもっと関われるようになります。」

「スピリチュアリティは私たちの身体の状態にその基盤を置くことを覚えておくと面白いです。」

以前にタロットカードの「ハングマン」を説明したときにもカバラで似たような教えがありました。

「いつまでも吊り下げを喜んでいてはいけない。地に足をつけなさい。」というような教えです。

第六チャクラの活性化のためには、地に足がついたまま行うことがいかに大切か、ということなのでしょう。

またこれは逆に言うと、チャクラボトルなどに頼らなくてもより精神世界のことばかりを考えるようになるにはなんの助けもいらずにできちゃう、ということかもしれません。

これだけのことに1日かけて気づくことができた、というのは至上の喜びです。
この日1日だけでも私は実に多くの人に助けられ、励まされて生きているのだな、ということをしみじみ思いました。

みんな、ありがとう~!




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我が家のお助け調理グッズ

2008-10-29 10:05:26 | 食・レシピ

 我が家のメニューを助けてくれているタイヘン重宝している料理器具を今日はご紹介いたします。

Photo それは、陶板焼き。

ホームセンターで800円ほどで見つけました。
鍋物のカテゴリーとなるので、冬のものだと思われているきらいがあって、夏から秋にかけてはアウトドア用品の売り場にしかないかもしれません。

しかしこれを冬だけのものにしておくのにはあまりにももったいない!

我が家では年間を通して大活躍しております。

まず何がいいって、

    ①料理が豪華に見える。

ほら、旅館に泊まると1人用鍋とかがついてくるでしょう? あの感覚なんですよね。だから、内容がたいしたことなくても一品、豪華なものが着いているな、って感じに見える。豪華にみえる、ってことはおなかもそれにともなって満足感が得られるので、ダイエットにも最適よ!

    焦げ付かない。

これは、陶板焼きだから、というよりもたまたま購入したものがテフロン加工がほどこしてあったから、というだけのことかもしれませんが、油をひかなくてもいいし、全体が満遍なく狐色になる。ほうっておいて全然オッケーだし、フライパンでやるときのようにまだいいかな、いいかな、なんて裏返してみなくても大丈夫。

    調理の手間がかからない。

材料を乗っけたら、ふたをして加熱するだけですから、料理の手腕を問われません。あとはかってにいい仕事してくれます。


というわけで、今までやってみたうちのベスト3の料理を堂々紹介!

第一位  お好み焼き

  ま、定番ですけど、生地を山芋た~っぷりにして干しえびなんかもふんだんにいれて、お好み焼きというよりは薄焼き風に。こんがりいい感じに焼けます。

第二位  野菜タ~っプリ焼肉

  焼肉といっても、豚肉の細切れなんかをちょっと入れるだけでいいんです。

  あとは、もやし、キャベツ、韮などお好みの野菜を天に突き抜けるか!というぐらいたっぷりと入れてぎゅんぎゅんに押し込んでふたをして待つだけ。自然に野菜がしんなりしてちょうどよいぐらいのボリュームに。

   焼いた、というより蒸した感じになって、野菜の栄養をあますところなくいただけます。

第三位 魚の切り身のムニエル

  白身の魚とかに薄く粉をまぶして、焼くだけ。もちろん、旬の野菜も忘れずに。少しバターを入れると、きのことかとすごく合います。

  我が家では夏の暑いときには、粉にカレー粉を入れてやりますよ。


このほかにも早い話が、焼き物ならなんだっていけちゃいます。

我が家では朝、ベーコンエッグをつくるのもこれです。

もう、陶板焼きさまさまです。ぜひ、お試しください。そして、あなたの家ならではのレシピを開発してくださいませ。 

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身勝手な考え

2008-10-28 06:53:46 | 身辺雑事

昨日、ある会社の人と話をしていたら、最近、2度続けて採用の面接でこんなことがあったんだよ、と困った顔をされました。

それは、採用を決定して、「じゃあ、明日から来てください。今日はこれでお引き取りください。」となったとき、その若者が「あの、帰りのバス賃がないんですよ。貸してもらえませんか?」と言ったそうです。たいして悪びれた様子もなく。(ここで、採用決定したことに一抹の不安を抱きはしなかったのか、とも思うが・・)

帰りのバス賃も持たずに来たのか、と少々驚いたものの、バス賃のみというのも万が一なんかあったら心細いだろうと思い、「じゃあ、明日来たときに返してくれよ。」と言って2000円貸してあげたそうです。

次の日。

出社せず。

携帯に連絡しても着信拒否で出ない。

ど~よ、これ・・  新手の面接詐欺か!?

もう一人の話は、面接に来て差し出された履歴書をみたら、金髪でヤマンバのようなメイクだった。

目の前にいる女の子はショートカットで薄いメイク。

「面接に際して、身だしなみを整えてきたと言うのは認めるけれど、またどうしてこんな写真貼ったの?」と言うと、

「それしか写真なかったから。新たに撮りなおす600円、ないんです。」と目の前にそうではない実物がいるからいいでしょ、と言わんばかりの態度だったらしい。

「でも、本当ならこれは履歴書としては不備ですよ。この写真どおりの人だったら、採用していないわけだからね。」と言うと、「そうですか。じゃ、もういいです。」と無表情で帰っていったそうな。


これだけの逸話のなかからもいろんなことを感じる人がいるのでしょうね。

ちなみに我がダーリンは、この上記の2つの話をしたとき、

「ふーん、今の世の中、よっぽどお金がない人が増えているんだなあ。」と言いました。

私は・・・私は、ものすごく「バランスの悪さ」を感じました。
この話を聞いた私もなんだかお尻の座りが悪いって言うか、居心地の悪さを感じたし、この話に登場する若者ももちろんバランスが悪い、と思う。

たとえば、最初の面接詐欺まがいの話で言えば、「バス賃ないんです。」までは帰りのバス賃もなくて面接に来たのか!という驚きはあるものの、次の日に約束どおりあらわれ、2000円を返したのならバランスの悪さを感じることはなく、

それこそダーリンが言うように「最近のワーキングプアと呼ばれる若者たちの現状では、ほんとうにお金のない人が増えているのだな」くらいの感想で終わったと思います。

後の金髪ヤマンバ履歴書写真の話にしたところが、「何?この写真は」と言ったときに本人が、「はい、それが履歴書に貼るにはふさわしくない写真であることは十重に承知しています。しかし、恥ずかしながら撮りなおすお金がありませんでした。今はこのように身だしなみも改めておりますし、やる気はありますので、採用していただけませんでしょうか。」とでも言えば、「そういうことか。まあ、人にはそれぞれ事情があるだろうし、やる気を全面に見せていることだし、まあ、使ってみようか。」と言う気にもなるでしょう。

何かがおかしい。

彼らの身勝手さはいったいどこから来るのだろう?
人前で自分という人間をアピールするとき、「ありのままの等身大の自分を見せる」ということと「このままでいいや、という自分を垂れ流す、ということ」を履き違えているように思います。

オーラソーマは、その人にとって「バランスの良い状態」にしてあげるものです。それが一番幸せなことだから。

肉体と精神のバランス、男性性と女性性のバランス、社会的動物としての人間性と個人としての人間性・・・

あ~あ、バランスを崩している人たちにオーラソーマをやってあげたいなあ。




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ちょこっとお出かけ3

2008-10-27 07:58:31 | まち歩き

この前の3連休には(ちなみに私もダーリンも3連休ではありませんでしたけど・・ 世間的に「3連休」と呼ばれていたので・・)、ほんとうは飛騨の古川と高山に行ってみようか、と話していました。しかし、高山祭の最中でとてつもなく人が多そうなので(どちらかといえば、古川のほうに興味があったんです。そば祭とかやってたみたいで)、あきらめて、逆にあまり人が行かなさそうなところを選び、ちょっとお出かけしてきました。

014 鞍ヶ池公園です。

そこそこの人出はありましたが、がまんできないほどのものではない。

ちなみに私もダーリンも人混みが苦手なんです。

人混みが大好き、と言う人はあまりいらっしゃらないとは思うんですが、どのくらい苦手かと言うと、せっかくそこに出かけても、その良さがすべて帳消しになってしまうくらい、と言えば、おわかりいただけるでしょうか・・

お休みは世間の大勢の人もお休みであることが多い日曜日だけなので、人があまり行かなさそうで、かつそこそこの規模で、くつろげるところで、自然に触れられて、でも未開の秘境と言うほどの山奥はいやで、と条件がうるさいのでなかなか大変なんです。

鞍ヶ池公園は近年、高速道路のパーキングエリアから直接アクセスできるようになったため、これでも人出は増えたのかもしれません。

でも我々が好きな規模の公園で、ぶらぶらしてきました。012006

お花がいっぱい咲いていて、きれいでしたよ。

イングリッシュガーデンと名づけられているところもあったりして。

まだこれからラベンダー畑なんかもできるみたいです。

008 ちっちゃな動物園もあって、久々に懐かしい思いがしました。

というのは、ここの動物園のつくりが昔の岐阜公園にすごく似ていたからです。

岐阜公園は家からも歩いていこうと思えば頑張れば歩けるところで、岐阜市民の気軽な憩いの場でもあり、小さい頃は写生大会とか遠足とかの学校行事では必ず利用されていました。(でも、悲しいかな時代の移り変わりにともなって、いまでは動物園はありません。)

昔の小さな動物園というのは必ず大きなドーム型の檻があって、そこには水鳥たちが集合で飼われていました。カモ、アヒル、マガン、オシドリ、クロサギといった大して珍しくもない、一羽ずつ官舎に入れて展示するほどでもないような鳥たちが仲良く同居していました。そこにはコブハクチョウが「ここでは私が一番ボスで主役よ!」という感じでちょっと胸を張ってる感じの・・

それがまさにここにはあったんです!

なんだか感激!

そして、いろんな種類のサルたちがひとところに並べられて展示されているところも同じ。(これは1種類ずつ柵があります。)

そして、なぜかこのサルたちと同列のかたちで孔雀の檻があるところなんかも同じ。

なんだかデジャヴーみたいだわ。

001そして、少し広い牧場では馬が放し飼いにされていました。

牧場で見る馬はサラブレッドでもかなりメタボな体型で、競馬で走っている馬のようにスマートでかっこよくはありません。

でも、これが本来の姿なんだよな~

お食事タイムのようで一心不乱に干草をほおばっていました。

なんであんなものがおいしいのかさっぱりわからん。

生しいたけもいいけれど、干ししいたけはまた別の味わいになってうまい!っていうようなことなのかな~ 


・・・なんて私が考えなくてもいいようなこと、結論ださなくてもいいようなことを一生懸命考えてみるのって、なんだか脳がとってもリフレッシュできるような気がします。

てなことを言い合いながらぶらぶらと園内を探索してまいりました。

びっくりしたのは、ゴミ箱がどこにもない、ってこと。013

そして園内がとってもきれい。誰もポイ捨てなんてしていない。

今は、こんな公共施設が増えているようだけれど、うーむ、まったく考えさせられるなあ。

そこにゴミ箱があるからゴミが増えるのか。

なければないで、ゴミにならない。持って帰ることを考えると最初からゴミになりそうなものは持ってこない、というのもあるでしょう。

これは発想の逆転だよなあ。


前に読んだ本にも書いてありました。

ゴミ箱はゴミだしの日には必ず空けて捨てなさい、って。

空っぽにすることによって、部屋も心も必ずリフレッシュできますよ、って。

つい、あふれるほどいっぱいになってないともったいないから次のゴミだしの日までまっ、いっか、って思っちゃってた私。

これを読んでからは必ず心も浄化するためにゴミは捨ててます。

結局、いつまでもそこに停滞するものをあまり溜め込んでちゃだめ、ってことですね。

マゼンタからのメッセージでもあります。

人生でもっとも大切なことは変わり続けることだ、って。

本当は、「変わる」ことよりも、「変わるためにそれまでにあったものの何を捨てるか?」を考えることのほうが大切なのかもしれませんね。




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