ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

B88「ジェイド・エンペラー」~翡翠の皇帝~

2011-07-31 09:14:00 | オーラソーマ

B88 先日「パーミストリー講座」に出たときに、コンサルテーションの練習でこのボトルを選んだので、今日はこのボトルを紹介したくなりました。


このボトル、私は4本選んだとき、たま~に入ってくることがあります。

けれど、「ううむ、今日はこのボトルを選んだか~」と感慨深く考えるというよりは、「あれ? なんで今日はこのボトル選んじゃったかな。」という感じなんですよね。

決して、色合い的には嫌いなボトルじゃないんです。

むしろ、好きです。

けれど、めったに選ばない。

たまに選んでも「なんでこれ選んじゃったかな。」と思うボトルって私にとってどんなメッセージがあるんだろう・・?と思っていた矢先、「パーミストリー講座」のときには「!!!」というほどのメッセージを頂きましたので、急に俄然このボトルを身近に感じるようになったってわけです。

ジェイド、すなわち翡翠のことです。

翡翠とは翡翠が宝石としてよく使われる中国では、五徳(仁・徳・礼・智・勇)の象徴とされ、富豪は正夫人には翡翠を、第二夫人にダイヤを贈ったとされます。ダイヤより翡翠の方が中国では位が高いって感じなのかしら。(ま、わたしゃ、貰えるものならどっちでもいいけど)


わが日本では、縄文時代の遺跡から勾玉が発見されており、護符として使われていたことが多いようです。

また翡翠は閉じた心を解放させるパワーがあるので、閉鎖的な気質の日本人にはぴったりのパワーストーンだと言われる説もあります。


さて、そんな翡翠ですが西洋では海神のシンボルであり、オリエント世界では今生と来世のあらゆる願いを満たすと言われています。


このボトルは上部がグリーン、下部がブルーです。

これが逆になった上部がブルー、下部がグリーンのボトルはB3「アトランティアン」です。

色の持つメッセージは別として、オーラソーマのボトルでは、上下の色が逆になってもボトル自体はお対となっているようなもので、意味も似ているというものから、あまり似ていないものまでさまざまですが、このB3「アトランティアン」とB88「ジェイド・エンペラー」はどこか共通点があるのでしょうか?


コンパクトカードを見ると、B88「ジェイド・エンペラー」も過去世は「アトランティアン」と書いてあるので、やはり、この2本は関連しているのでしょう。

そして、「時間と空間」に関係しているこの2本・・・

B88_2 このボトルの対応しているオーラソーマタロットは、「運命の輪」の第二レベルです。

原因と結果の関係を知るための運命の輪の第2レベルの学びは、カルマとダルマの違いを理解することです。


カルマとは日本語で訳すと「業」(ごう)となりますが、簡単に言ってしまうと「蒔いた種は自分に返ってくる。」ということです。

これは前世や過去に自分が行った結果を自分で始末しないかぎり、必ずそれは自分の身に返ってくる、というように理解している人が多いのではないか、と思います。

だから、「あの人は、業が深いねぇ。」なんて言い方をしたりします。

そして、前世だの輪廻転生だのそんなもの信じるかい、という人にとっては、何で自分が知りもしない、やった覚えもないことまでこの世で引き受けなくてはならないのよ、そんなの割りがあわない、おかしいじゃない、という気持ちになって、それは受け容れがたい法則でしょう。


私はこのことを「すべては魂の勉強のためなのだ。」で無理やり自分に納得させてきました。

たとえ今生の自分の視点だけから考えると、どうしてこんな仕打ちを受けなくてはいけないの、ということであろうとも、私の魂がそれを勉強のためとして望んだのだから仕方がない、というように。

けれど、ダルマの概念を知ってから少し考え方が変わりました。

ダルマとは、カルマの、「善いことも悪いことも含めて自分がどんな行いをしてきたか」という蒔いた種に対しての、その結果のことです。


しかし、「原因と結果」というその2つの相関関係をみるとき、一番大切なのは、“その間にあるもの”ではないでしょうか。

原因って、「きっかけ」に過ぎないようなことだったりする場合もあるじゃないですか。

けれど、それが必ず何らかの結果となって現れるとしたら、そこには、「その結果になるように、自分がどれだけ、どういう気持ちを込めてエネルギーを注いだか」の方が重要ではないでしょうか。

そう考えたとき、カルマとダルマというだけではなく、カルマとダルマの間に連綿と流れているエネルギーのほうに目を向けるべきだ、と思うようになりました。

B10 そして、アウトワードジャーニーのタロットのように運命に翻弄されるのではなく、たとえどんな結果が待っていようともそれを外側からじっと黙って見守っていられるこのリターンジャーニーのタロット、すなわちB88「ジェイド・エンペラー」のようになりたいものです。


・・・って書いてたら、いきなり「ピシーッツ!」と音がして、ボトルの棚を見たら、なんとB108「大天使ジェレミエル」が祝福してくれました。

つまり、割れたんです。

B108 写真ではわかりづらいかもしれませんが、正面からまるで木の幹から右手、左手に分かれた枝があるように大胆に亀裂が走っています。

なんだか、B10を思わせるような大木のような柄の入り方。


そしてまたこのミッドターコイズ/ミッドオリーブという色合いは、B88を逆にしてさらに光を当てたような色ではありませんか。

そしてそしてさらに、大天使ジェレミエルとは、1つの状態から別の状態に移行する際の、同伴者あるいは付添い人ともみなされています。

やっぱり、あの「パーミストリー講座」のときに言われたように、私はいま、変容のときにあるのか・・・

そしてまさにある状態から別の状態に移行しようとしているときなのか。

それにジェレミエルが付き添ってくれるのね。

おお、ありがたや、ありがたや。


なんかこうなるともう、グリーン、ブルー、ターコイズの色合いのボトルたちを束にしてワークしたくなってきたわ。

B3、B9、B88、B101、B108と。

この子たちとずらっとワークするかどうかは別として、B88とB3は近日中にワークしましょ。

もう、これ以上無視していられない。

オーラソーマが常に私の人生と一緒に旅をしてくれているこの心強さ。この心豊かさ!

こんな気持ちに浸っているときが私の至福のひとときです。

B88「ジェイド・エンペラー」~翡翠の皇帝~

「感覚を通しての平和なるコミュニケーション」。

キーノートは、「自分で蒔いた種は自分で刈り取る。しかしどのように種を蒔くかが違いを作り出す。」

アファメーションは、「私は私のなす行いすべて、または何も行わないことで私の内側から内なる質が現れるのを許します。」

特項として、*自分の感情を深く知り、平和への道のりを歩むためのスペース

       をつくる。

    恋愛や人間関係の問題をサポートする。

    胸部、背中の上部、肩にかかわる症状を緩和。


もし、自分の内なる平和に気づきたいな、と思っていらっしゃるなら、是非このB88「ジェイド・エンペラー」とワークしてみてください。

他者もですが、自分のことをもっともっとハートで理解できるようになるかもしれませんよ。

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B109「大天使ザカリエル」誕生!

2011-07-30 09:10:00 | オーラソーマ

B109 2011年7月26日火曜日  12:00誕生(イギリス時間)

大天使ザカリエル(Arcangel ZACHARIEL)が誕生いたしました!

マゼンタとミッドオリーブの組み合わせです。

なんて鮮やかできれいな色でしょう。


この色の組みあわせは補色の関係ですね。だからとてもお互いの色をひきたてあっています。

私はパッと第一印象で、「あ、カナリアだ。」と思いました。

どうしてそう思ったんでしょうねぇ・・・

カナリアといえば、一般的にはレモンイエローの羽根の色のものが多いというのに。

でもなんだか私はそう思ったのでした。

カナリアという鳥はさえずり声がきれいなことで知られている鳥ですが、ひょっとするとオウム真理教のサリン事件で、捜査本部の警官が彼らの本拠地を捜査するときなどにカナリアの鳥かごを持ち歩いていた印象を強くお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。

そう、カナリアは、昔から炭鉱に発生するメタンガスなどの調査にも使われていました。

とにかく毒物であればなんでも敏感に反応するため、毒ガス察知となるとカナリアの出番ということになるのです。

そのカナリアの毒ガス察知は、というと、毒を微量でも吸い込むことによって嗅覚で察知するのでしょうか?

その詳細については私にもわかりませんが、カナリアはとにかく常にさえずっている鳥で、毒ガスを察知するとぴたりとさえずるのをやめてしまうのだそうです。

そこをして、人が目と耳との両方で確実に確認できるから、ということで重宝されているようですね。

目と耳とそして嗅覚と、いろんな感覚を駆使して危険を察知するということは、カナリアは普段、いろんな感覚を使って楽しんでもいる、ということなのでしょう。

それは五感を使って楽しむターコイズの私たちとも合い通じるものがありますよね。


大天使ザカリエルも「苦味を甘みに変えるオリーブ」をして、「マゼンタの天からの愛に気付き」、そのうえで人として五感を使って存分に楽しみなさいよ、と言ってくれているのでしょうか・・

このようにメッセージをとらえると、まさに大震災を味わった我々日本人には意味深いもののように思えます。


以前に私はこのブログで、どうやら今年の8月にまた新しいボトルが1本誕生するらしい・・というしめやかなる噂を耳にした、と書いたことがありましたが、8月よりさらに早く7月でしたねぇ。

そしてこのボトルをして、もうオーラソーマでは新しいボトルは誕生しないのだ、というまことしやかなる噂も耳にしていましたが、このボトルのナンバーやら誕生日やらの数字を改めてを眼にして、なるほど・・・と思いました。


このボトルはB109、この数字にはカバラ数秘でいうと始まりの数字である「1」と終わりの数字である「9」が含まれています。

つまり、始まりは常に終わりとくっついているんだ、ということを改めて思いました。

もし、本当にこのボトルで新たなボトルの誕生は終わりなのだとしても、それは必ず何かしらの新しい始まりでもあるのでしょう。

終わりは文字通りの「The End」ではない。始まりのための集結なのだ、と思いました。

そう思うとそれはそれで新たなオーラソーマが楽しみになってきますね。

そして、誕生日の2011年7月26日。

この数字をひとつずつ全部足していくと「19」になります。

そしてそれをさらに「1」と「9」にバラして足すと「10」。

そしてさらにまた「1」と「0」を足して、「1」。

ほうらね。

やっぱり、何かのスタート、始まりをあらわしているんだぁ。

次のボトルの誕生に対して、私たちプラクティショナーの仲間うちでは、いろんな予想を立てて遊んでいました。

「やっぱりさぁ、日本でこれだけの大震災があったんだから、それを考えてのことだったらマゼンタは外せないでしょうよ。」

「ここんとこオリーブが気に入ってるみたいだから、またオリーブがくるんじゃない?」

「次もたぶん大天使だろうね。」

など。

結構私たちの予想は当たっていましたね。

でも実際にその2つの色を並べてみたこの綺麗さの前には、どんな理屈もふっとんでしまいそうです。

それでは、イギリスから届いたマイク・ブース氏からのメッセージをご紹介しましょう。

「最初の見解」と称されたものをそのまま転記いたします。

いつものように何言ってるんだか、よくわかりませんけどね。

ザカリエルは希望と楽観の新しい感覚をもたらし、創造性を促します。自信が欠けていたところに、今新しい自信が確かになります。

この大天使の誕生は、アーサー王の存在に関連し、私たち自身の太陽の側面を司ります。またクツミと密接に連動し、ピタゴラスのインスピレーションでもあります。両極性のバランスによってひとつであることの感覚がやってくるかもしれません。

隠れている平和、ブルー/ブルー(B2)は平和の大天使としてのザカリエルを裏付けます。
そしてザキエル(B99)にも関連しています。尊厳が失われたいたところに、尊厳の感覚を取り戻させます。

エジプトにおいては、彼はアムン(またはアメン)として知られていました。彼は深いレベルの保護と調和を与え、私たちに新しいヴィジョン、到来する時代のための展望を示します。

この大天使は、配列の中で、そして私たちの思考と発展の中でシンメトリーとハーモニーの両方をサポートします。彼は混乱のあったところに、ハーモニーの感情をもたらし、バランスを取り戻し、思考を明晰にすることを支援します。それによって、バランスを崩していた脳の働きにバランスをとる可能性をもたらします。それは整え直す感覚と言えます。

また木星(ジュピター)とはゼウスのことであり、拡大と創造性、再結合を与え、太陽中心の視点を活性化します。これは永遠へのアクセスとして今の瞬間を尊重する可能性をもたらします。直感に基づいた楽観的感覚をもって「今ここ」に入ることです。内なる教え。



With Love & Light
Mike Booth



なんか、いろんなものに関連しているんですねぇ。

でも、一番いいのはこれらをどう解釈すればいいのだ?と思考するよりは、実際にこのボトルを塗ってみて、自分が何を感じるか、自分に何が起こったかが大切です。

日本にこの大天使が飛来するのは、8月の中旬~下旬になるそうです。

サロンに入荷して、入荷しだい私も早速使ってみたいなぁ、と思っていますので、またその感想はこのブログでご紹介しますね。


パーミストリー講座 ハンドヌメロロジー編を受講して

2011-07-30 09:08:00 | オーラソーマ

先週の日曜日は、東京でパーミストリー講座でした。

この日は、大好きな数秘について。

なんと手の中にも数のエネルギーを宿した部分がそれぞれにある、ということなのです。

それはオーラソーマが手のひらは小宇宙ととらえているため、宇宙のすべては手のひらに宿る、と考えていることからみたいです。

しかし、どの部分にどの数が対応している、ということについての理由はない、というのがいかにもオーラソーマらしいったら、らしい。

もうそういうことには慣れっこなので、理由がないことで落胆なんてしませんよ。

でも、「エッセンシア」の鈴木先生は、「このパーミストリーのテキストを作ったジョン・ディロイガイ氏のものには説明はないの。」と言いながらも、鈴木先生としては多分こういうことではないだろうか、ということは話してくださいました。


その答えは、多分惑星。

別の回のときにも、手のひらのいろんなパーツが、木星やら土星やらいろんな惑星に対応していることは書かれていました。(パーミストリー講座には回が進むとこの惑星についての回もありますが、まだそれは習っていません。けれど、とにかく手のひらのある特定の部分が惑星と関連している、ということだけは資料としてわかっていたのでした。)


例えば、親指の付け根のあたりの手のひらの部分は数としては「1」が対応しています。

そしてそこは「火星」が対応している部分でもあります。

火星のメッセージには、「肉体的な勇気」とか「エネルギー」という意味があります。それは「1」という数のメッセージと捉えても非常に似ています。

だから、「1」をどこに対応させようか、と考えたとき、ジョン・ディロイガイ氏は「1」のメッセージとリンクする火星の対応エリアを「1」と決めたのではないか、というのが鈴木先生の解説でした。


そういう意味でそれぞれのエリアを見ていくと、ほんとにすべての箇所の数字と惑星のもつそれぞれのメッセージがとてもぴったりと当てはまっているのがわかり、面白い、と思いました。

これはディロイガイ氏が当てはめるのでなくとも、誰がやってもそりゃあこうなるでしょう、というくらいうなづけました。

しかも、さらに驚いたのが、そうして各ポイントに振り分けられた数字はなんと魔方陣になっていたのでした・・・

ぞぉつ!

魔方陣とは、マジックスクエアとも呼ばれている縦、横、斜めに配置された数字の総和がそれぞれすべて同じ合計になる、というもののことです。

よく「魔法陣」と間違えられることもありますが、間違えられることにも意味があるように思えます。

というのは、今でこそ、この魔方陣は数学のパズルを解くようなものとしてしか見られていませんが、古くはやはり神秘的なものとして、この魔方陣から占いが作られたり、魔除けやお守りに使われていたこともあったからです。

私が特に面白いなぁ、と思ったのは、中国発祥の易の八卦も魔方陣のようなものがあるらしい、と知ったときです。

八卦のうちの先天図、帰蔵易、連山易の3図は魔方陣的な図だそうです。

連山は風水の羅盤に記載され使用されるものだし、ここでも東洋と西洋のかかわり、オーラソーマといろんなものがつながっていることを再確認いたしました。


さて、これまでのパーミストリー講座はどちらかと言うと手相を見る、とか読むとかいうことよりも、それに関連した手のラインやポイントをマッサージする、ということのほうに力点が置かれた内容でした。

そのマッサージというよりはタッチと言ったほうがふさわしいほどのライトな感じのするケアを単独でメニューに取り入れるのは難しいなと思っていました。ですが、今回は初めて4本のボトルを選ぶ、という本来のオーラソーマのコンサルテーションに近い形のことを行い、そこからあらわになったその人の課題やら癒すべきところをそのあとでマッサージする、というものでした。

なので、これは単独でメニューに取り入れられるものだな、という初めての講座だなぁ、と思いました。

鈴木先生によると、デイロイガイ氏の元のテキストには、ほとんどコンサルテーションと組み合わせる、という記述はないそうです。

だから鈴木先生がそこを補いつつ、実践的に取り入れられるように考えようと努力されているようでした。

Photo さて、4本ボトルを選んでみると「B38、B24、B20、B88」となりました。

不思議なものですね~

ほんの数日前、シェアリングデーで静岡に行ったときとは、また違うボトルを選びました。バイオレットが多く出ている、と言う点では似ていますけれど。

そして、ここでもやっぱりB20「スターチャイルド」を選んでしまいました。

ということは、静岡のあのボトルに特に意味があったわけではないのね・・・

でもこれだけ繰り返し私に対して発せられるB20は、やはり一度近々ワークしたほうが良いだろうなぁ、と思っています。


通常ならこの4本から色やボトルの名前から来ているメッセージなどでコンサルテーションしていくのですが、今日はあくまでヌメロロジーです。

「数」からだけコンサルテーションしていきます。

授業では、選んだ本人が、自分が選んだボトルから2つ数字をピックアップして、コンサルテーションしてもらう数字を決めます。

私は「2」と「8」にしました。

そう決めて、不思議だなぁ、と思いました。

というのは、その前に「1」~「9」までの数字のもつ意味から考えて、自分自身に当てはめたとき、それぞれの数の分野において伸ばしていきたい質を確認していたのですが、そのなかでメッセージとして捉えたときには「2」と「8」だけがなんだか苦手だな、と思ったのでした。

人が「自分を成長させたい」と思ったとき、2つの方法があります。

自分がもともと持っている良い部分をより伸ばすか、ダメだなぁ、と思っている点を改善するか。

そして、後者のほうがいつのときも大変ですよね。

私にとっては「1」~「9」までの数字のうち、「2」と「8」だけが後者に当たるなぁ、と思っていた数字なのでした。

そして生徒どうしで簡単なコンサルをしたあと、鈴木先生がそれにさらに補足するとよい情報、あるいは先生がそのボトルと数を見たときにはこれをさらに足すわね、ということを付け加えてくださいました。

そのときに言われたことがあまりにもピッタリでかつ発見が多いことにびっくりしました。

自分のことだとあまりに単純な情報にも気付かないでさーっと行きすごしてしまう、ということがあります。

自分のことは自分が一番よくわかっている、ということがかえって見えなくしてしまっているものがあるという場合もあります。


私の場合は今は、ずっと前からやるべきことだったものに取り組んでいる途中で(それはレベル4の課題のことだったり・・)、今が「変容のとき」「変わり目」とは思ったこともなかったのですが、この4本の数のコンサルテーションからはそれがあらわになったのでした。

その理由にも「!!!」というほど心当たりがあることばかりでした。


そうかぁ。

実は今私は結構な人生の節目に立っているのかもしれない。

それに気付いただけでもとても意義深い授業でした。


オーラソーマではよく使うけれど世間では一般的でない表現2

2011-07-29 09:10:00 | オーラソーマ

昨日の続きです。

今日は、「シェアする」「自己受容」の2つの言い回しについて解説を加えたいな、と思います。


まずは、「シェアする」です。

この言い回し自体は、オーラソーマに特有のことではなく、例えば「エンカウンター」などの心理学を学び、児童や学生たちにゲーム的にそれを教えていたり、そういう形式の授業を受けたことのある方には馴染みがあるものでしょう。

私も元々はそちらで知っていました。


でも、その受け取り方はあまりにも浅いものでした。

例えばエンカウンターをやる。正解のないゲームですから、「これによってあなたはどう思った?」「何を感じた?」ということを参加者全員が最後に発表して行くことをシェアする、と言います。

発表しあうことによって、人の体験を自分のことのように感じたり改めて考えたりすることの大切さを「シェアする」と言うのだと思っていました。

確かに「発表する」と言うと「人が発表している間は自分は関係ないし、その内容を通り一遍聞くだけ」という感じがしますが、それを「シェアする」というと、人が発表している間でもより積極的にその発表にかかわっている、という感じがしますものね。

あくまでもそういう気構えでのぞみましょうね、というがために考え出された言葉だと思っていたのです。

でも、実際はそんなレベルではありませんでした。

オーラソーマの授業でも必ず授業の最後にシェアは行われますし、1日の講座については「シェアリング・デー」と名づけられているくらいですのにね。

それに気付いたのはようやく去年。

ラハシャ博士の「カウンセリングスキルコース」に参加してからでした。

「シェアする」ということは、人の体験に真剣に耳を傾け、自分のことのように感じたり考えたりする、という“姿勢”を大事にすることではなくて(もちろんそれは大切なことなんですが)、そもそもほかの人と自分はワンネスで一緒なのであるという“存在”そのもののことだったのでした。

だから、人の体験を自分のことのように感じる、という努力を一生懸命しなくても、もともとその人と自分の魂はひとつだったのだ、という認識に立てば、自然に感じるものがあるはずで、それを分かち合うことこそが「シェアする」ということだったのです。

だから、そのふたつは具体的には何が違うんだ? 目に見えて行われることとして違いが出るのはどこだ? といわれると困ってしまうのですが、本来の理解の立脚のうえに立てば自然ともっと深くその感覚が味わえる、とでも言いましょうか・・・


私はたまたま「カウンセリングスキルコース」に参加してこのことに気付きましたが、どこで気付くのか、はそれぞれだと思います。

それこそシェアしている最中にそのことによって気付く、という人だっていらっしゃると思います。

さて、次に「自己受容」です。

これはオーラソーマにとっては究極のテーマだと言ってもいいくらいのことです。

そして、このブログでも何回か書いたことがあります。

でも、とても大切なことですので、何回でも書きたいな、と思います。


自己受容。

文字通り、自分を受け容れることです。

ときに「自分を受け容れる」と言うと、「自分のすべてを否定せずに肯定してあげる」というように受け取る方がいますが、そうではないと思います。

だって・・・

どう考えたって、それでは傲慢な人間ができるだけだと思いませんか・・?

確かにネガティブに傾くよりは、常にポジティブな姿勢で肯定的であったほうが良いに決まっていますが、「自分のすべてを肯定する」では、“自己受容”ではなく、“自己許容”だと思います。

完全な人間などいないから、どこかで間違いを犯すこともあるはずの自分を常に許していたら、そこに成長はありません。

ましてやほかの人から見たら「許せな~い!」という人になってしまいそうです。

まぁ、それも反省や振り返りがあって、最後には許容というのならいいんですが、無条件許容ではね・・・

自分を無条件に許容する先には「自己欺瞞」があるような気がします。

さてそれでは「自己受容」なんですが、時にこんなこともあんなこともやらかしちゃう自分、というものも含めて、まずは「その事実を受け容れよう」ということだと思います。

日本人というのは特に謙遜の文化があるせいか、何かをやらかしちゃったとき、あまりにもすぐさま反省しちゃう体質があるような気がします。

勧善懲悪のドラマが隆盛していたこともあって、正義の味方とかどっちがいいとか悪いとかをすぐにジャッジして(そういえば、ジャッジという言葉もオーラソーマではよく使いますねぇ。)しまいがちなんだと思います。

悪いとわかったからには反省しなくちゃ、って感じで。

でも、ですねぇ。

あまりにもすぐに反省しちゃうと、そこには自分の言動をゆっくりと味わってみるヒマもないと思うんですよねぇ。

例えばイライラしてて、つい親に暴言を吐いちゃったとする。

それについては誰がどう見たっていけないことに決まってるから、「そういうとこ直さなくちゃ。」とか「次からは気をつけよう。」と思う。

しかし、自分がどうして抑制がきかずに暴言を吐いちゃったのか、という背景に目を向けてあげないと自分もまた可哀想なままでしょう。


それは、過去世セラピーをやっていて、小さい頃親から言われたこと、されたことがトラウマになっていることに気付いて自分を癒そうとしていた矢先に、また親から神経に障るようなことを言われたから、つい・・ということだったとする。

その一言そのものはそれほど気にすることじゃなかった、としても、伏線があるからつい暴発しちゃったんですね。

でも、そのことをわかってあげられるのは自分だけです。

自分しかそのことをわかってあげることができないなら、その部分をまず自分が認めてあげなくては。

そのために私はまず、自分が幽体離脱してもうひとりの自分が天井の片隅から今の自分のやったことを愛ある瞳で見ているとして、なにをやらかしたとしてもまずはその天井の下にいる現実の自分を「よしよし、どうしてそういうことをしたのかを私はわかっているよ。」と抱きしめてあげてください、と言います。

大人になった今、だぁ~れもよしよし、なんて抱きしめてくれませんもんね・・・(って決め付けちゃいけませんね。してもらってる大人もいるかも)

そうすると、気持ちと論理が一体化して、本当の意味の反省もできるんじゃないか、反省はそれからでもいいんじゃないか、と思うんです。

今日は、「やらかしちゃった自分」を例にあげて自己受容を説明しましたけれど、もちろんいろんな自分がいますから、「やらかしちゃった」ときだけ自己受容が必要なわけではなく、常に自己受容は必要だと思いますけれども。

これについても昨日と同様で、私自身じゃあ、ちゃんと自己受容ができているのか、というと決してうまく出来ているとはいえないと思います。

でもまぁ、上手じゃなくったってかまわないんですよね。

誰の前でそれを見せるっていうんだ? 上手にできなくても困ることなんてなんにもないし、あくまで自分のためなんですから、ね。




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オーラソーマではよく使うけれど世間では一般的でない表現

2011-07-28 09:08:00 | オーラソーマ

・・・というものが多々あります。

オーラソーマを学び始めた頃、私にとってはそれが逆に新鮮でした。

「世間では一般的でない表現」とは言っても、言葉そのものが難解な学者さんのようなものを使う、というわけではないので特にそれについてティーチャーに質問したこともありませんでした。

音楽をいちいち分析したりしないのと同じことです。

フーガってなんぞや? コンツェルトはどういうメロディやリズムを指してそういうのだ?なんてことは知らなくても音楽は楽しめます。

自分にとって心地よい音楽に身をゆだねているかのように、ただただその中に身を浸して、わかったような気にだけなり、満足していました。

そして時がたてば「あ! あれってこういう意味だったのか。」とか「こうも受け取れるなぁ。」とか自分の体験を通して気付けばいいのだ、と思っていました。


しかし、私はそれで良くても、クライアントもそれでいい、と決め付けてはいけません。

むしろ、そういう“業界用語”などは使わずにセッションができればその方が良いに決まっています。

なるべく平易な表現を使うように。

ティーチャーからもよくそう言われます。


先日のシェアリングデーでもコンサルテーションの実践の授業があったために、先生が、「コンサルテーションのときによく使う表現で、これはどうクライアントに平易な言葉に直して言ってあげたらいいのだろう?と困っているような表現はない?」と実に丁寧な質問をしてくださいました。

そのとき、わたしは「手放す」と言う言葉について質問しました。

すると先生は、「それは、捨てる、とかではなくて、気にしない、ということなのよ。捨てる、という言葉だとずいぶん積極的に切り捨てる、っていう意志を持たなきゃ、っていう感じがするでしょ。けれど、そういうふうにこだわることすらしない、って感じ。要するに『あるがまま』ということね。」とおっしゃいました。

なるほど。


これはこれで自分のコンサルテーションのときに肝に銘じることといたしましょう。

けれど、私は「平易な言葉に言い換える」ということに少し抵抗を感じていたりもするのです。

「手放す」もそうですが、言葉にはその言葉だけがもつ魔力というか波長というものがあって、ほかの言葉に言い換えたとたん、それらが失われてしまうのが惜しくてできない、と思うときがあるんです。


ずっと前にTVで、日本語と英語の両方を母国語のように操れるふたり、ということで坂本龍一さんの娘さんの美雨さんとBonnie Pinkのおふたりが対談していたときのことです。

ふたりともが異口同音におっしゃったことが、「英語では英語でしか言えないことがあるし、日本語は日本語でしか言えないことがある。訳せない。無理に訳したらその意味がこわれてしまう。」でした。


私は英語はおろか、日本語も正確にはままなりませんが(笑)、その感じってなんかわかるような気がしたのです。

言葉はその土地の文化に根付いています。

イギリスで生まれたオーラソーマについて回る言葉として、日本語ではよく使われる表現があるとしたら、それはよく使われるだけの理由がある、つまり日本にはその文化の土壌があった、ということでしょう。

それをまた違う言葉で言い換えたら、ニュアンスとして伝わらなくなってしまうものがあるような気がしてならないのです。

しかし、オーラソーマ特有の言い回しが、その世界になじんでいないうちはとても奇異なものに感じたり、「?」と質問したりしたくなることがあるのはわかります。

なので私は自分のコンサルテーションでは、それらの言葉を言い換えることはせず、そのまま使いながら、「手放すっていうことはね、こういうことかな。」とその後で注釈を加えたりします。

そんな私が、どういう注釈の加え方をしているのか、今日はオーラソーマ特有だといわれる代表的な表現をピックアップして、それを紐解いてみましょう。

    手放す。

はい、まずは、先述してまいりました「手放す」です。「過去を手放す」とか、「こだわりを手放す」とか「その考えを手放す」とかいうふうに使います。

手放す、というのは文字通り、グーでぎゅっと握り締めていたものをパーでふわりと手のひらを広げてみた、って感じだと思います。

ふわりと広げてみた結果、手の中にあったものがするするーっとかなり遠くのほうまでいきなり勢いよく去ってしまうか、広げたけれどまだまだ自分の手のひらの上にあるか、それは自分にもわかりません。わからないし、関与する必要も無い、ということなのです。

まさに先生のおっしゃった「あるがまま」ということなのですね。

私は「手放す」を説明するとき、よく使う2つの例があります。

1つは、呼吸です。

息を吐いて吸う、ということは私たちは普段意識をすることもなくやっていますが、その呼吸と同じくらい意識をしないで、ということだと。

よく、手放さないと新しいものが入ってこない、と言いますが、それも呼吸と同じです。

息は吐けば、自然に吸うのです。

ヨガや瞑想などの呼吸法でも、「吐き方」については学んだりしますが、吸うのは吐くことができれば誰でも自然にやります。

上手に吐ききることができれば、自然に次の新しい息は入ってくるのです。

だから「集めたり」、「何かを手に入れたり」することよりも、まずは手放すことのほうが大切なんですね。

そして、もう1つの例えはパソコンの画面です。

皆さんのパソコンの一番最初の画面には、「ゴミ箱」というものがありますね。

不要になったファイルなどをここに入れます。

けれど実際には、ほんとうに消し去るためにはさらにそのゴミ箱を「すべて中身を空にする」にしないとなくなりません。

ある意味「ゴミ箱」とは、別のもうひとつの引き出しであって、単なる「ゴミ箱」という名前がついたタンスに過ぎないんですね。

でも、それでいいじゃないの、と。

「手放す」というと難しく感じるし、「私ってば、ほんとうにすべて手放せているんだろうか?」と疑心暗鬼になってしまうけれど、とりあえず「手放す」と決めたら、それを自分の脳裏にパソコンの画面をイメージして、そのゴミ箱にいったん入れる、という程度のことでいいじゃないの、と言います。

しまった~!

やっぱり手放すんじゃなかったぁ、もう一度復活させたい、と思ったときにはゴミ箱をクリックして「元に戻す」にすれば、また復活します。

そのくらいの感じなら気軽にできるでしょ?

なぁ~んて、えらそうなことをほざいていますが、自分がそれをちゃんと出来ているのかどうか、というのはまた別問題でございます。

あくまで一生懸命解説しようとしているだけですからね。

そこんところ、誤解のないように。


ときどき、占い師さんとかがものすごく立派な人に見えてしまうときがありますね。

何もかもを悟った出来た人間だ、と。

しかし、彼ら彼女らも私たちプラクティショナーと同様に何かを代弁していたり、通訳しているだけのことであって、何も言っていることすべてをその人たちは出来ている人ってわけでもなんでもありませんからね。


おっと、今日は3つぐらいの言い回しをせめてご紹介しようと思っていましたが、「手放す」だけで長くなってしまいました。

残りの2つにつきましては、また明日、ご紹介しようと思います。

それではまた明日、お会いいたしましょう!




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