GWのさなか、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
昨日は朝からずっと雨で、そのことは天気予報で事前にわかっていたことなんですが、寒くて寒くてついにまたガスストーブとホットカーペットを点けました。
もうずいぶん何年も前から「GWごろまで長袖が手放せないな」というようになったことは何となく覚えていましたが、それは自分が年齢を重ねてきて新陳代謝が悪いためにいつまでも寒いのだ、と思っていました。
しかしさすがに今年のようにGWで、まだ暖房器具を使った年はなかったよなぁ、と思うと、異常気象と言われることに慣れてしまったのだろうか、と思いました。
さて、昨日はヌラの「レインボー・ウーマン」のコースでの自身の発見について書きました。
今日ももう1つ別の気付きについて、です。
私は当初このコースでは「母親との関係性についてなどにも触れるみたいよ。」と言われて、それが申し込む動機の1つでもあったけれど、徐々にそれについてはもうどうでもよくなっていた、と行く前にも書きました。
けれど実際にはコースでは結構どまんなか直球という感じで、両親とのことについてワークする時間がとられました。
私は「母親との関係性についても触れるみたいよ。」と言われても、せいぜいふと気づくと「それって母との関係に当てはめてみても言えることだよなぁ。」というワンクッションかませた感じの触れ方ではないかと思っていたので、面くらったほどでした。
これまでにもずっと母親との関係が良好とは言い難いことに対して悩んでいて、どういう態度でのぞんだらいいのか、という答えを求めてコースに参加したこともありましたが、そのどれよりも内角えぐる直球ストレートなワークでした(笑)
自分自身が、もういいや、そのことについては(決して投げやりな意味ではありません。自然に雲散霧消していった、という感じなのです。)と思い始めて、はじめてこのようなストレートで直球なワークのコースにぶち当たった、というこのタイミングをとても面白く思いました。
きっとこれまでの私なら生々しすぎて、まっすぐに向き合う勇気は持てなかっただろうと思うと、だからこそ今だったんだな、長かったな~と感慨にふけりました。
ワークをした後に私の中から浮かび上がってきた言葉は、
「お母さん、産んでくれてありがとう。」
というものでした。
もう、それに尽きる。
それ以外にはない、って感じでした。
それはこれまで生きてきてよく耳にする言葉でもありました。
それを聞くたびに私の上をその言葉は何に触れることもなくさらさらとただ流れていきました。
そして、他人からその言葉を聞くと
「ほんとかいな? ほんとにこの人は心の底からそう思っているのかな? どうするとそういう言葉がわき出るんだろう? わからない。この言葉にはどの程度の思いを込めているんだろうか。」
と不思議な「?」がいっぱい渦巻いていました。
けれど、自分の中からその言葉が自然にわき出てきたときに感じていたことはただただ「感謝」の2文字だけでした。
母に感謝をする。
母にはかなわないな、ということを認める。
それが新たな私の再生における、私の女性性かもしれません。
その感覚を感じることによりこれまで母に感じてきた怒りや嫌悪が消えたわけではないんです。
そのことがまた自分のことを他人事のように言うのもなんなんですが「おもしろいな~」と思いました。
これまで私は、母が死ぬときか私が死ぬときかどちらかまでには(どちらが先に死ぬかわかりませんからね。)、母との今生での関係に対してお互いに納得のいく答えを見出さなければいけない、というような何かしら強迫観念のようなものを抱いていました。
そしてそれが解消される時が来るとしたら、それは私がこれまでに母に対して感じてきたすべての強いマイナスの感情を流し去ったうえに、そこに新たなプラスのものがやってくるのだ、と思っていたのです。
でも実際にはそんな感じじゃなかった。
あるものは、そこにあるがまま。
それらを包含するような形で「感謝」、それも「産んでくれただけでオールOK」という多大な感謝がやってきたのでした。
よく、「子どもは3歳(←ひょっとしたらここは5歳だったかもしれません。)までに全部親孝行をしちゃう。」、だから親はそれ以降の子どもの態度についてはもうあきらめるしかないんだよ、それまでに子どもは十分親孝行しちゃってくれてるんだからそれでいいんだよ、というような言い方がありますが、あれと同じような意味で、私は「親はもう私を産んだ時点で、すでに親としての最大の任務は完了しちゃってるんだから、それでいいんだよ。」と思ったのでした。
心からそう思いました。
そしてそれ以降の私が母に感じてきたものもろのマイナスの感情はワインの底に沈むオリのように沈殿してまだあるけれども、それを覆い尽くすような形で良好な上澄みが注ぎたされた、という感覚でした。
それが私の母に対する「産んでくれてありがとう。」でした。
そうしたらとてもすがすがしくてすっきりしました。
昨晩、帰ってから母に電話をする用事がありました。
私は母に電話するのが嫌いなんですよね・・
店の営業時間中だと特に。
忙しいからか、極端にぶっきらぼうで愛想が悪い。
ひどいときには、母が出たとたんに私が、「あ、もしもし? 私。」と言うと、
「もしもし、あ、恵津子?」とも何とも言わず寸暇を置かずに、
「忙しいから早く要件だけしゃべって。」と言う。
自慢じゃないけど、私が母に要件以外ののんびりとした世間話をするために電話をしたことなんてあったか!と啖呵を切りたくなる。
でも、そう言われると一瞬うっと言葉に詰まる。
「てにをは」を一言一句間違えずにもっとも効率のよい言葉を選ばなくては、と思うからです。
「要件その1.本日私の知り合いが18時半に5名、そちらへ食事に行く。席を確保できるものならお願いしたく電話した候。以上。」みたいな。
で、切ってからはぁ~、なんでこんなに気を張って電話しなくちゃいけないんだ、となぜかむかむかしてくる、というような次第であります。
それが昨日は営業時間中で忙しそうだったにもかかわらず、
「あ~、そうなの。うんうん、わかったぁ~」みたいな感じでえらく人間的。
そうなるとこちらも機嫌よく、「うん、じゃあお願いね~」とか言えるし。
そして電話を切ってから、不思議~、なんだ、ふつうにしゃべれるじゃん。
これってひょっとして私がヌラのコースで母に対して何か1つふっきれた、っていうものが波長として伝わった? なんて思いました。
私はこの先、もう母との関係性改善を求めてということを目的として、何かのコースに出るということはしないでしょう。
考えてみれば母と直接向き合うことなく、自分だけが勝手に悶々としてその解決を何か外側(コースに出る、というような)に求めていたんですね。
けれど、ようやく内側から少し認識を変えることができたので、直接向き合うこともできるようになったような気がします。
あとはコツコツと日常のなかでこの気付きを生かして母と向き合っていきます。
まぁ、それはこれからも「キィ~ッツ! 憎たらしいったらありゃしない。」と思うこともあるでしょうが・・
これが私と両親のボトルたちです。
不思議なことに私が「これが母のボトルだ。」と選んだB59のボトルは、おととし「リスニング・スター・ウィズイン」で4日間ずっと目の前に置いていたボトルと同じだったんですよね。
あのときには最後に「この子たちはあなたたちの話をずっと聞いていたんだから。」と言って、ボトルをそれぞれにプレゼントされました。
けれど私はそのB59をどうしようか持て余してしまって・・
ずっと箪笥の上に飾ったまま、いつしか埃をかぶっていました。
いまこそ、このボトルを「母のボトル」として塗ってみようかな、と思います。
私のボトル⇒母のボトル、母のボトル⇒私のボトルという順序で塗ろうか、父のボトルはそのどこに加えようか、いま楽しく悩んでいるところです。
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