ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

私たちはエントロピーの法則に逆らって生きている

2012-03-31 09:00:00 | 本と雑誌

少し前に「奇跡を呼ぶ100万回の祈り」という本を紹介しましたが、同じ著者の「生命の暗号」という本を読みました。

私は、直感でこれだ!と思う本があると、1冊読んでからまた買えばいいのに、最初から3,4冊同じ著者の本を買い込む、というクセがあるんです。

この村上和雄氏の著書は、だいたいどれを読んでもすこぉし視点を変えてあるだけでほぼ同じ内容を語っているようです。

だから「またかぁ。」と思うか、「余計に理解が深まってよい。」と思うかは、読み手の自由ですね。

この「生命の暗号」は、村上氏の本業である遺伝子研究のことについてちょいと詳しく触れられています。

なので、科学的な見地から見て、科学とスピリチュアルの融合ということについて深く考察してみたい、という方はこちらのほうがヒットかもしれません。

私はまぁ、そこまで遺伝子のこと知らなくてもいいやぁ、という感じなので、最初にそのへんについては平易な「奇跡を呼ぶ100万回の祈り」のほうを先に読んでよかったなぁ、という感じです。

さて、この著書のなかでまた考えさせられたことがありました。

それは「私たちはエントロピーの法則に逆らって生きているのかあ。」ということです。

エントロピーの法則・・ ちょっと懐かしくありません?

もう何十年も前になってしまうと思いますが、この言葉、その当時の経済をひもとく言葉として登場したんじゃなかったかな。

当時は、初めて聞く言葉で「なんじゃい? それはぁ!」という感じでしたが、言葉こそ「はいはい、久しぶりに聞きましたよぉ。」と思っても、結局、どういう原理だったかはまったく覚えていない・・

ま、そんなものですね。自分に特に関係のない分野の流行りモノの言葉って。

というわけで、改めて「エントロピーの法則」について簡単にご紹介いたしますと、『物質世界では、一般に秩序のあるものは、秩序のないものへと向かう方向性がある。』というもののことです。

これをエントロピーの増大と言います。

わかりやすい例でいうと、洗面器に水を張って、そこに1滴水を落としたとします。するとインクは当然のように拡散します。

あれがエントロピーの増大です。

私たちは、なぜインクは中央に集まって固まらないのだろうか、とは考えることもなく、洗面器いっぱいの水にうっすらと広がって溶けていく、ということをごく当たり前のこととして受け入れていますが、あれは科学的には実はものすごく深い意味をもつことらしいです。

さて、ここからが私を考え込ませてしまった部分です。

エントロピーの法則にあてはめて考えるならば、人間が生まれた瞬間から、崩壊と死の方向へと向かうのは、秩序のない方向へ踏み出すような遺伝子が身体のなかに存在しているとしか考えられない、ということです。

事実、身体のなかには細胞死のプログラムも備わっているということが科学では明らかになっているそうです。

しかし、いきなりそういう遺伝子が私たちがこの世に産まれ出ると同時にガンガン働いたら、産まれると同時にすぐに死んでしまうでしょう。

ですからふつう身体は生きるための遺伝子が活発に働いて、エントロピーの増大を防ごうとします。

つまり、生きているということは、自然にほうっておくと死と無秩序へ向かおうとするのを秩序だった方向へと誘導するはたらきだ、ということができるのです。

これをエントロピーの減少といいます。

エントロピーの減少のことをさきほどの洗面器のインクのようにほかの例にたとえるならば、ここに1冊の辞書があるとします。

この辞書をびりびりと細かく破ってしまい、部屋中にばらまいたとしたらどうでしょうか。

“辞書”というものを構成していた物質の総量は何も変わっていませんが、もう“辞書”としては機能しません。

そしてこの破かれ散り散りになった紙の断片を拾い集めて、丹念に糊付けして、元の使える姿へ戻す、という作業を行うことがエントロピーの減少ということになるのです。

この世で生きている以上、宇宙の法則に逆らうことが出来ないのであれば、私たちは、ほうっておいたら死に向かうに過ぎない法則に一生懸命さからって、さからって、自らの細胞の働きにさえさからって生きている、ということになります。

うへぇ、と思いましたが、これは納得できる話でもありました。


というのは以前私はインドのストリート・チルドレンについて書いたことがありますが、彼らは自らの肉体を売買されるような目にあい、社会の底辺、うぅん、社会に存在するということさえ抹殺されたようなところで、それでも「死んだほうがましだ。」とは思わずに、何とか生き延びようと、必死に生きています。

たぶん、もう「こんな目に会うくらいなら死んだほうがましだ。」という思考も麻痺して考えられないような世界でただ生きています。

思考が働かないような状態にまで肉体的に追い詰められると、人間は「もう死んでしまおう。」と思うのではなく、ただ「一瞬でも生き抜こう。」と思うのだな、と痛感しました。

このストリート・チルドレンの話には、「生き抜こう」と思うのだから、彼らはポジティブ発想、とは一概に言えないほどのすさまじさを感じますが、「生命の暗号」の著者の村上氏は、結局、私たちのDNAには、追い込まれると宇宙の法則であるエントロピーの増大にまで逆らってでも生きよう、とするスイッチがオンに入るというプログラムが組み込まれているのではないか、と言うのです。

私はこのくだりを読みながら、再び、「あぁ、だから生きる、ということは葛藤が多くて当たり前なんだなぁ。」とつくづく思いました。

前に表現アートセラピーで、「肉体だけが“今ここ”に存在するしかないけれど、感情や思考は未来や過去をさまようことができる。この一事をもってしても、すべてが自分の思うとおりにならなくて当たり前。肉体とスピリチュアルは一致しなくて当たり前。だからこそ、葛藤とは一生付き合っていかなくてはならないものなのだ。」ということを学びました。

しかし、今日はこの「生命の暗号」のエントロピーの法則によっても、またそれが裏付けられたことを感じました。


私たちはそもそも宇宙の法則にさえ逆らって生きていこう、としている存在なのだから、純粋無垢な産まれたての存在のときから矛盾を抱えている、だから葛藤はあって当たり前なんですね。

こういう話を聞いて、だからこそ自分の命が愛おしく思えるか、あるいは人間て厄介な存在だなぁ、とため息をつくか、で遺伝子のスイッチがどこでONに入るタイプか、というのがわかるのかもしれません。

わたしはどちらか?

    ・その両方を感じますね。

やれやれ、またここでも葛藤ですかね。







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ペガサス

2012-03-30 09:07:00 | オーラソーマ

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「ペガサス」誕生!

~オーラソーマから、世界で初、唯一の100%オーガニック香水発売~

         全8種類  50ml \12180

            お取り寄せ、承り中

           chakra@aura-soma.name

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少し前にオーラソーマから「ペガサス」シリーズの香水が発売されました!

ちょっとご紹介が遅くなってしまいましたが、今日はこのペガサスについてのお話です。

「ペガサス」の香水自体は、今から5年前のレベル1の教科書を改めてひもといてみても、あらら、実はもうそこに名前は載っている・・・

最後のほうのページにオーラソーマの全プロダクツを紹介しているページがあるのですが、そこに記載されているのです。

当時はボトルとポマンダー、クイントエッセンスどまりで精一杯でしたから、気にも留めていませんでしたが、あらためて見ると気になります。


これは実は開発そのものはその頃からもう出来ていたのだけれど、いろいろな法律のクリアやらなにやらで発売そのものが今になった、ということなのか、当時のものと最近発売されたものとでは中身そのものに改良が加えられて別物なのか、そのあたりの情報が私にはよくわかりません・・・

ま、それはいいとするか。

おいおいわかったことがあればまたこちらでご報告しますね。

まずはなんで「ペガサス」というのか?というお話からです。

これは、創始者であるヴィッキー・ウォール女史そのものに由来します。

彼女はロンドンで救急車の運転手をしていたことがありました。

そして、運転手仲間の間では、彼女が実に的確にクライアントがいる場所にいち早く駆けつけピックアップすることから、適切なときに適正な場所にいる、という意味をこめて、彼女に「ペガサス」というあだ名をプレゼントしました。

ヴィッキー自身、このあだ名をいたく気に入り、自分の車のボンネットに常にそのモデルをつけていたそうです。


Photo デヴ・オーラの教室にも実はひそかに、ほぅら、こんなところにペガサスがいましたよ。

「正しいときに正しい場所にいる。」

この香水を身にまとうと、そういうことも可能になるような気がします。

そして、このメッセージは、私のガーディアン・エンジェルであるB46「放浪者」のメッセーでもあります。

だから特に“ペガサス”というネーミングと、そこに秘められた意味は気になっていました。

しかし、私はずっと香水というものが苦手でした。

いや、正確に言うと、“苦手にさせられて”きました。

母が香水に対して異常ともいえるほどの拒否反応を示すので、香水をつけるということは、なんだか禁断の世界に踏み込むような気持ちになってしまうのです。

母は、少しでも香水が香っていると、「うわっ! なにっ、これっ!!」と眉をひそめました。

それが自分が苦手な香りだから、ということではなくて、“香水”ということだけでその瞬間に自分の前にシャッターを下ろす感じでした。

彼女にとっては「香水」というだけですべてが忌み嫌うものであり、好きな香水、嫌いな香水なんてもので区別されている、という話ではないのです。


私が香水どころか、コロンでもつけていようものなら、「なに、それ、くさいっ!」と生ゴミでもにおったように言うのです。

その言い方に私は、香水の香りうんぬんではなく、香水の影に「この子は女として色気づいたのか。」ということに対する歯止めをかけたくて言っている、というニュアンスを感じていました。

アンタはそれをなにやらフェロモンとして“メス”を“オス”に対してふりまきたくてやっているんでしょ、いやらしいったらありゃしない、という極端なものを感じていました。


そしてそれに対して「そんなことじゃない。」と反論するより、あまりの剣幕に戦闘前に戦意喪失してしまって「母の前では決して香水をつけまい。」というふうになっていったのでした。

それがいつのまにか香水そのものが苦手となってしまった理由です。

そして、オーラソーマを知ってからというもの、ポマンダーやクイントエッセンスに出会ったため、特に香水の必要性を感じていませんでした。

もちろん、このブログをごらんになってくださっている多くの方が多分、改めて語らなくてもご存知のように、香水とポマンダーやクイントエッセンスは全く別物です。

でも、人に香ってもらうためのものでなく、自分のために香る、ということが私の母からの長年の「香水はいやらしいもの」というブロックを簡単に外すことができた、ということもあり、ポマンダーやクイントエッセンスをつければ、もう満足でしたので、それ以上に香水をつけたい、とも思わなかったのです。

実際に、日に3度ほどクイントエッセンスを手首につければ、そのうえに香水もつけたら香りもおかしなことにならない?と思いました。

そんなことでペガサスがいよいよ発売になる、ということを知ったときにもさほどワクワクすることはなかったのですが、この前イギリスに行ったときにマイクからペガサスの説明を受けて、ちょっと興味を持ちました。

実は、このペガサス、「世界で初で、唯一の、“100%オーガニックの香水”」なんです!

私はこの情報ひとつだけをとっても、へぇ!と感動し、母から与えられた香水に対するブロックのことも忘れ、そしてポマンダーとクイントエッセンスという自分自身が香るためのものだけで十分に満足していた、ということもあっちへ置いておいて、「使ってみたい!」と思いました。

そしてそのあとマイクからはこんな話を聞きました。

皆さんは、ディオールの「ポアゾン」と言う名前の香水をご存知ですか?

もう、今から20年も30年も前に流行った香水ですが。

矢沢栄吉が「ポアゾンのぉ~、香りだけが手がかりの女さ♪~」と歌ったことで有名でもあります。

この香水は実にヒットいたしました。

それまで香水といえば、フローラル系でブーケを思わせるような華やかで女性らしいものが主流だった時代に、ちょっとオリエンタルで神秘的な香りがしたからです。

私も実はこれを手に入れました。

しかし、実際にはちょっと私には香りが“重すぎて”、あまり活躍はしませんでしたが。


とにかく特徴的な香りなので、街でふっとすれ違った女の人がこれをつけていると一発でポアゾンだけはわかりました。

そしてこのポアゾン。

名前のとおり、「毒」そのものであって、ディオール社にとっても社運をかけた一大テストマーケティングだった、というのです。

成分的には化学物質ばかりで「毒」そのものだけれど、これがマーケットに受け入れられれば、まだわが社はこの路線でいいんだ、ということで化学物質をたっぷり使った香水でやっていく。

しかし、もしマーケットがこれを受け入れなければ時代は変わったのだ、ということでわが社も変わらなければならない、というわけです。

そして、このポアゾンは先ほども述べたように大ヒットした。

だから、マーケットの動向についてはシャネルもサンローランもディオールに右へならえで当分香水市場については化学製品でいく、ということになったみたいです。

だから香水の市場では、スキンケア商品と違って非常にオーガニックの開発が遅れた、というわけです。

現時点でも遅れている、というのが実体だ、ということですね。

しかし、オーラソーマではそこに果敢に取り組み、世界で初、唯一の100%オーガニックの香水を実現しましたぞ、ということが言いたいわけでございます。

私はイギリスから帰ってきてから、さっそく全8種類が出ているうちのB11「ピンクPg011_2 ロータス」を注文してみました。

ちなみにこの「ペガサス」、全8種類とも50ml   ¥12180です。

私の感覚で言えば、25mlで半額にしてくれよ~と言いたいところですが。

香水というのは一度、「これぞ私の香りだ!」というお気に入りに出会うと、もう変えない、毎日同じものを使い続ける、という香水=アイデンティティの象徴というタイプの方と、その日に着るものや気分に合わせて洋服を着替えるように違うものをつけたい、という方がいらっしゃると思います。

私はどちらかというと後者なので、50mlという1サイズオンリーなのは、ポーチに入れて持ち運ぶのも難儀だし、使い切るのに相当かかりそうなのでハーフサイズも、と願うのですが、あなたはどちらのタイプですか?

そいで、ここがまたオーラソーマの片手落ちなところだと思うんですが・・

この香水を私たちプラクティショナーを通じて、ぜひ一般の方にも知ってもらいたい、使ってもらいたいと紹介し、販売して欲しい、というなら、なぜサンプルサイズを用意しな~い!!

ディストリビューターにも「サンプルサイズはないのですか?」と質問したら、

「ですよね~ 私たちもそう思って、今、イギリスに是非、サンプルセットを作ってくれ、っていう要望を出しているところです。」という返答でした。

今のところ、私たちプラクティショナーはお客様にペガサスをご紹介したいと思ったら、この50mlのレギュラーサイズを全8種類、自分で用意するしかない状況なわけですよ~(泣)

せっかく素晴らしい商品なのに、それだけを一気にそろえてお試しいただく、というだけの財力が私にはない・・・

残念です・・・

なのでまず試しに、というわけで、自分の乙女座のボトルでもあるB11に関連した「ピンクロータス」を買ってみた、というわけです。

そうしたら、これが私的には大ヒット!!

だぁ~いすきな香りです。

もうほかを試してみよう、と思わないくらい。

皆さんにこれをお試しいただく手立てが、私自身が全種類をそろえること以外にないことが本当に残念です。

以下に全8種類の対応するボトルとそのボトルの色と名前、そして「ペガサス」の香水としての名前、主に使われている成分を記しておきますので、それで何とか香りをご想像ください。

そしてレギュラーサイズでかまわないから使ってみよう!とお思いの方はご連絡ください。

お取り寄せいたします。

  「ペガサス」 全8種類 50ml  ¥12180

Pg011_3 B11
「エッセネボトルⅠ」(クリア/ピンク)・・・ピンクロータス

<成分>ハス、すずらん、ローズ、ジャスミン、水生植物

Pg030 B30「ブリンギング・ヘブン・トゥ・アース」(ブルー/レッド)・・・ウードゥインセンス

<成分>ベルガモット、オリバナム、ウードゥ、ジャスミン、パチョリ、シダーウッド、アンバー、バニラ、サフラン、ベチバー、ムスク

Pg039 B39

<成分>レッドベリー、アラビアンジャスミン、ハニー、トンカ、バニラ、アンバーのノート、オポポナッス、ビャクダン

Pg044 B44

<成分>ニオイアヤメ、シダーウッド、バイオレット、プレシャスウッド

<成分>ナツメグ、バイオレット、イランイラン、ジャスミン、パウダーのノート、ビャクダン、アンバー、ムスク

Pg058 B58

「オリオン&アンジェリカ」(ペールブルー/ペールピンク)・・・アクアティックフラワー

<成分>ジャパニーズシーウィード、レモンのノート、野生のアンゼリカ、ジャスミン、ハス、ローズ、アンバー、ムスク

Pg075 B75

「ゴー・ウィズ・ザ・フロー」(マゼンタ/ターコイズ)・・・フランジパニ

<成分>オレンジフラワー、ガーデニア、ジャスミン、チューベローズ、ローズ、スズラン、バニラ、アンバー(トンカ、トルバルサム、オポポナックス、バニラ)、ムスク

Pg080 B80

「アルテミス」(レッド/ピンク)・・・ダチュラ

<成分>イランイラン、ジャスミン、ユリ、カーネーション、シナモン、安息香、ローズ、バニラ

ペガサスのどれもが、ただ香りが心地よい、というだけではなく、対応したボトルの意味とも関連しています。

そしてもちろん、「正しいときに、正しい場所にいる」ということを助けてくれます。

あなたはそのボトルからのメッセージも香りにのせて感じながら、日々過ごすことができることでしょう。


Pg056 B56

「サンジェルマン」(ペールバイオレット/ペールバイオレット)・・・バイオレットパウダー

「ガーディアン・エンジェル」(ペールバイオレット/ペールブルー)・・・イリスフロンティーヌ

「エジプシャンボトルⅡ」(バイオレット/ゴールド)・・・ネフェルティティ


祈りの夜2

2012-03-29 09:09:00 | オーラソーマ

昨日の続きです。

あっというまに1時間以上がたってしまって時刻は日付が変わり、午前1時をまわりましたが、私はそのままオーラソーマのブルーグローブメディテーションがどうしてもやりたくて、自分でナレーションしながら、かすかに半眼をとじながら、なんとか瞑想をいたしました。


このオーラソーマのブルーグローブメディテーションは本当にいいですよ~

大好きです!

何回やっても飽きません。

そして、何度聞いても、このナレーションには感じ入ります。

あ~、お許しがあれば、全文をここで紹介したいところですが、はっきりと著作権がうたわれていて、どんな場合であれ複写はいけません的なことが書いてあるのでご紹介できないのが残念です。

私はこの日、このブルーグローブメディテーションで幾度となく繰り返される次のセリフ、「~すべてのものたちが恐れから自由でありますように。」という言葉が本当に身にしみました。

どんな悩みでも、すべてこの一言に集約されるのではないか、と思えました。


う~ん、いいわ~

来月の新月の日にも是非やりますよ~

え~と、4月の新月の日は、っと。

21日の16:18です。

また呼びかけますから、志のある方はよろしくおねがいいたしま~す!


・・・と、その前に昨日、アザイアクト(オーラソーマの教育機関)から各プラクティショナー宛てにメールが来ました。

なんと!

オーラソーマの第一人者でもある武藤悦子先生も東北の被災地に関しては寄付と瞑想を欠かさず行ってらっしゃったようで、今回は日本にマイク・ブース氏がコース開催で来日するときのわずかな隙をみはからって、東北のためにいっしょに祈ってくれることになったので、是非、ご参加ください、とのこと。

日時は4月3日の18:3019:30です。

遠方からでも効果は変わりませんので、東京に来られない方は是非この同じ時間にマイクといっしょに祈りましょう、という呼びかけでした。

おぉ! すごい。

なんかこのタイミングっていうのが、つながっている感じがするわ~

当日の予定は、とみると、東京までこの1時間のために行けませんが、岐阜の地からいっしょに祈りを捧げよう、と思いました。

これも是非また、志のある方はいっしょの時間帯に祈りましょうよ。

さて、そんなことで次の日の朝は、ちょっと眠い目をこすりながら起きることになりましたが、反面、心は爽やかでした。

そうして、いつもの1日が始まる、と思ったそのとき・・・

携帯にメールが入りました。

「なんだろう・・?」と思って見てみると、なんと10年以上前に接客研修でいっしょに仕事をさせていただいた方からでした。

その方が会社を変わり、引越しもして、ここ数年は年賀状だけのお付き合いになっていましたが、あるショッピングセンターの研修の仕事をお願いできないか、というお話でした。


なんと、次の日という恐ろしく早いスピードで願いが叶ってしまったわ・・

と言いますのも、私自身の願いとは、「オーラソーマを存分にやっても十分にあまりある生活費を稼ぎ出すことができますように。」だったからです。

ひゃっほ~い!!

この単発での仕事が決まったからと言って、すぐにもろ手をあげて私はもう十分にオーラソーマ費用を捻出できる、というわけではありませんが、とにかく突破口には違いない。

これもいっしょに祈ってくださった方々のおかげだわ。

ほんとにみなさま、ありがとうございます。

祈りの強大さを身をもって体験いたしました。

そして、またまた次の日。

私はやはり長年接客研修でお世話になっている会社に仕事でお邪魔していました。

そして、この話を担当の女性に話しました。

すると彼女が、「祈りが実際に効果的だっていうのは、育てている観葉植物も毎日話しかけたりすると生育がいいっていいますもんね。それといっしょのことかしら。」と言いました。

これ、祈りが効果的だ、というスピンドリフトの実験の話をすると、たいていの人に言われます。

だから、「そうですよね~ 多分、関係あると思います。」とすでに何度か繰り返したセリフを言いました。

そうしたら、次の彼女の言葉に私はまたハッとさせられたのです。

「私たちの身体は60%~70%は水分で出来ている、っていうじゃありませんか。“水”だからきっとエネルギーが乗りやすいんですね。だから祈りも通じやすいんでしょうね。観葉植物も同じことですよね。毎日、根っこから水を吸い上げているわけですから。たいてい話しかけるときは水やりのときでもあるでしょうから、だからそれに育てよ~っていうメッセージが乗っかるんでしょうね。」って・・・

なぁるほど!

水はエネルギー転写しやすい、っていうのは、水がどんなものにも形を変えられるからだ、と聞いたことはあったけれど、私たちの身体がそもそも60~70%水分で出来ているから、わたしたち人間が祈ると通じやすい、というふうには考えてみませんでした。

ほんとにあらゆるところに気付きはありますね~

この日はこの担当の女性に感謝、感謝です。

そしてそして。

私は今、B21「ニュービギニング・フォー・ラブ」とワークしています。

このボトルの「新しい愛の始まり」という名前を聞くと、たいていの人が「きゃっ! 新しい恋に出会うのかしらん。どんな人かしらん。」などと胸をときめかせるのですが、水を差すようで悪いですが、このボトルの名前の意味は、決して新しい異性との恋に出会う可能性を占っているわけではありません。

ここで言う“愛”とは自分自身のための愛のことです。

そして、「新しい視点で何か物事を見られるようになる。」という意味があります。


このボトルとワークしているときに、私は本当の意味でのメッセージの発信、ということがどういうことかわかったような気がしました。

私は元来ターコイズが好きですが、ターコイズブルーには「1対多数」のコミュニケーションの意味があります。

それに対して、ブルーは「1対1」のコミュニケーションを意味します。

たとえば、対談が好きだったり、得意だったりするのが「ブルー」の人だとすれば、ターコイズブルーは大勢を前にした講演のほうが得意だったり、展示会や発表会をして、多くの人に自分の作品を見に来てもらうことのほうが得意、ってわけです。

これは確かに当たってるな、と思っていました。

そして、私は自分がこうしてブログを毎日更新して、多くの人に訪問してもらえることが私らしいんだ、と思ってきました。

けれど、これはまだ共鳴板を立てたに過ぎません。

こちらからこれで何かメッセージを発信しているとか思うのはお角違いだ、ということに気付いたのです。

さらにこちらから“働きかけたり”、“仕掛けていったり”ということがないと、人は行動を起こしてまではくれません。

それが今回、「いっしょに祈りませんか。」と呼びかけたことで大勢の人が声をあげてくださった、というのは、私が“私もやるけど、皆さんもいっしょにどう?”という働きかけをしたからだ、と思います。

メッセージを発信する、というのはこういうことなんだろうな、ということがわかった気がします。

毎日つれづれなるままに自分の感じたことをただ書き散らかしているだけのことで、「どうだ。私はもう自分にやるだけのことはやったぞ。あとはこれをどう受け取って煮て食おうが、焼いて食おうが、勝手にしてくれい。」という態度では、誰も動き出してはくれませんよね。

「奇跡を呼ぶ100万回の祈り」という本に出会い、それをきっかけに「新月の日にいっしょに祈ってもらえませんか?」という呼びかけをしたことに対して、たいへん多くの方が反応してくださった。

そして私は自分に多くの協力者がいてくれるんだ、という勇気と元気をもらいましたし、そういう視点に気付くことができたのは、このB21「ニュー・ビギニング・フォー・ラブ」とワークしていたおかげだ、と思います。

もっと言えば、B21に秘められたメッセージを知りながら、そのことを常に意識して生活していたおかげだと思います。

こういう感覚がつかめるようになってくると、ボトルとワークする、ってことは本当に楽しいんですよぉ。

ぜひ、ボトルとのワークは何となく気が乗らないなぁ、とか最初から興味なかった、という方は、その人にとっての出会うべきタイミングがあるのだ、とは思いますが、これを読んでくれた方が少しでも、「なんか面白そう・・・ やっぱりボトルとワークしてみようかな。」という気持ちにチラとでもなっていただければこんな幸せなことはありません。





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祈りの夜

2012-03-28 09:07:00 | 精神世界

さて、この前の新月の夜に私は「みんなで祈りましょう。」と呼びかけました。

その呼びかけに応じてたくさんの方々が祈ってくださったようで、ほんとに改めましてここでお礼申し上げます。


あの夜、私が何を感じたかお話しましょう。

23時を少し回ってから、私はサロンを祈りの準備のために整えました。

サロンはいらっしゃる方が口々に、「ここは何だか良い“気”で満たされている、って感じがするね。」とおっしゃってくださるのですが、それでもさらに良い“気”で整えようと、ホワイトセージのミストで浄化し、エンジェルチューナーの音の振動で浄化し、ありったけのキャンドルに灯りをともしました。

ちなみに“祈り”自体はいつなんどき捧げても良いものでしょうが、“新月の願い”ということで言えば、「新月」に突入してからでないと意味がないそうです。そのちょっと前とかでもダメなんですね~

突入してからは、以降8時間が新月の影響が一番強いとき。

その時間帯に願いを書いたり、言ったりすると効果的だそうですよ。

そしてちょっとだけパワーは落ちるけれど、新月に突入して24時間以内なら“新月の願い”として効果はあるそうです。

私はずっと新月の8時間以内に毎月願い事をピンクのペーパーに書いていましたが(書けばあとはその存在すらも忘れてよい、と言われています。)、あまりそれで願いが叶った!という記憶はなかったんです。

ちなみに私の名古屋に住む友人は、わが子を保育園に入れるのに新月の願いで叶った!と言っていました。

ご存知のように、名古屋は全国一待機児童が多い街です。

なかなか保育園に入れることができず、2年待ちとかざらみたいですが、彼女の場合もこれまで1年間どこに問い合わせてもダメ、ダメで断られてきたのが、今回すっと入れる保育園が見つかったんだそうです。

よかったね~


さて、話が少しそれましたが、新月の時間がちかづき、私はダーリンとともにサファイヤブルーのポマンダーを施そうと思いました。

というのは、祈りのあとにオーラソーマの「ブルーグローブメディテーション」をしようと思っていたので、あのなかに登場する「ブルーの球体に守られ・・」というビジョンともよりマッチして何か感じやすくなるかな、と思ったからです。

しかし、あいにくサファイヤブルーはサロンではなく、私が自宅のほうに持っていってしまっていることに気づきました。

今更とりに上がるのも、と思って、クイントエッセンスのエルモリアで代用しようと思いました。

ま、おんなじブルーだし、という軽い気持ちです。

しかし、そのとき私はなぜか、最初から今日はパラスアテナを施すつもりだったことを思い出し、頭の中がこんがらがって、パラスアテナを先に施しながら、ダーリンには、

「はい、これエルモリアだよ。」と言ってしまったのでした。

そして、自分でもエルモリアを施したつもりになっていました。


そうして嗅いだパラスアテナは実に不思議な香りがしました。

なんていうか・・

色で言うと、ペールブルーとペールピンクを混ぜたような香り。

私はエルモリアだ、と思い込みながら、実際にはパラスアテナを嗅いでいたわけですから、まさに見たまんまやないかぁ~!

更に不思議なことに、いつも私がパラスアテナを嗅いでいることを知っていて、「どれ、ちょっと俺にもくれ。」と言ってつけてあげると、「うわっ。これ、俺あんまり好きじゃない。」というダーリンが、このときばかりは、

「あれ? とてもいい香りだなぁ。これ、好き。」と言ったのです。


ダーリンは、あまり名前とかにこだわらないので、私が「エルモリアだよ。」と言ってつけてあげたことにとらわれているとは思えません。

けれども、自分がいつも「あまり好きではない。」と言っているパラスアテナではない、という意識はどこかにあったのでしょうか・・


人間って不思議ですね~

思い込みや事前情報によって、こんなにも香りが違うものに変わってしまう。

前にテレビで実験を見たことがありますが、まったく香りをかげないようにしてトマトジュースやオレンジジュースを飲ませると、たいていの人が、「??? これが何の飲み物かわからない。」と言うのです。

まさに人間て五感を駆使してすべてで感じているのですね。

さて、時間になり、私はまず被災地の方たちが「一刻も早く、自分らしい生活ができている、と心から感じられるようになりますように。」と祈り始めました。

そうすると、どなたかは知らない被災地の方々の顔が浮かんでは消え、浮かんでは消え、しました。

私はもともと五感のなかでは圧倒的に視覚派です。視覚によってほかの感覚を補っているというか・・・

このとき、私は自分が強く念じたからビジュアルが浮かんだのか、ビジュアルを思い浮かべればより祈りやすくなるだろう、と思ったのか、この卵が先かにわとりが先かみたいなことについては、まさにその論争のとおり、どちらが先なのか、自分でもよくわかりませんでした。

そうしてひとしきり祈り、ビジュアルが現れなくなったのを見計らって、次に今回の祈りについて「いっしょに祈りましょう!」と誓った仲間の人たちの名前やそれぞれの幸せについて祈りました。

不思議なことにやはりお名前を知っていたり、友人で顔も知っていたりすると、とても祈りやすいのです。

祈るのが楽、というか。


いつのまにか私はとても幸福感に包まれていました。

人のために祈ると自分の悩みなんか、なんてちっぽけなことか、と心底思えました。

これまで私は「人のために何か役にたつ人間になりたい。」とか「自分の周囲の人たちというだけではなく、広く社会のためにということも考えられる人間になりたい。」と思っていましたが、では具体的に行動は、という段階になると、「待て待て。自分の身さえもてあますほどの私が、何で人のため、なんてことができるんだ。まずは自分のことがちゃんとできてからそれからだよな。」なんていう考え方をしてきました。

でもね~。

お気づきのように、こういう考え方だと、いつまで経ったって、“自分のことにはケリがついて”“人のための時間がやってきた”なんて思えるときは来ないのですよね。

それよりも逆に先に人のため、を思って行動を起こすと、それがひいては自分のためともなって跳ね返ってくるものだ、ということが何だか実感としてしみじみとわかった気がしました。(ちょっとおこがましいんですが)

気付けば手を合わせて祈っていた手のひらと、後頭部がなんだかジンジンしてきました。

文字通り、電気風呂に入ったときみたいにジンジン。(いまどき、皆さん、知りませんよねぇ・・ 電気風呂なんて・・ あ? たまにはスーパー銭湯にあるところもある? それそれ、それのことです。あんな感じ。)


何だかとても良い気が満ち満ちた気がして自然と「よし、このあたりで今日は終わりにしよう。」と思えた瞬間がやってきました。

ふと時計をみやると、あっというまに1時間以上が過ぎ去っていました。

でも、不思議です。

自分のなかでは10分くらいのことだったかな、という感覚なんです。

実際、頭の中でこの祈りの夜のことをシミュレーションしていたときには、わたしゃ、せいぜい10~15分くらい祈れるくらいかなぁ、と思っていました。

オーラソーマの授業を受けに行くときにでも、必ず瞑想はしますが、先生によってその瞑想の長さはまちまちで、誘導もさまざまです。

でも、「ではしばらくの間、この静寂のなかにいてください。」と言われて無音の瞬間が訪れると、たいていは「まだかなぁ。長いなぁ。」なんて目を閉じながらもその邪念ばかりでいっぱいでした。

しかし、不思議とこの日は、あっというまに時間がたったのでした。


私が静かにふっと目を開けると、その気配が伝わったのか、しばらくして、ダーリンもふっと目を開けました。

「どうだった? 何か感じた?」とダーリンに尋ねると、

「う~ん・・・ 悪いけど、いま、仕事が大変で、明日の段取りのこととかそんなことばかりが頭のなかを渦巻いちゃった。」とダーリンは答えました。

よしよし。

その正直さもよいことですよ。

それはそれでよし。でも、またいっしょにたまにはやりましょうね、ダーリン。

夜は更けいきましたが、私は何だかノッてきちゃって、「わたし、これからもうちょっと瞑想していく。ダーリンはどうする?」と言うと、

「悪いけど、俺はもう眠くってこれ以上は無理だ。」と言いました。

「うん、いいよ。じゃあ、先に寝てて。」と言って、私はひとりサロンにもう少し残りました。

もう少しだけこの続きをお話したいことがあるんですが、また長くなってしまいましたので、それは明日にします。





メニュー、料金、オーラソーマってどういうもの?ということをもう少し詳しくお調べになりたい方は、「HP 些々羅」をクリックしていただき、「オーラソーマ」のナビゲーションから、お知りになりたい項目をご覧になってください。

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「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」は、岐阜市中心街にあるサロンです。(岐阜市役所南庁舎すぐ近くです。)


無垢な心に対するアプローチ

2012-03-27 09:05:00 | オーラソーマ

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  「1coin  オーラソーマ アフタヌーンお茶会」     

        ~自分の命に改めて恋をしよう!~         

 日時:4月14日(土)  13:30~ 

詳しくは昨日の記事 最後をごらんください! 

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イギリスに行ったとき、「あ~ぁ、マイクはオーラソーマボケになっちゃわないのかなぁ。」と他人事ながら心配に思ったことがありました。(お前なんかに心配してもらわんでもわしゃあ、十分すぎるほど大丈夫じゃわ! 余計なお世話はやめとくれ、と言われそうですね。)

それは何か、と言うと。

彼が直接教える対象と言うのは、オーラソーマのプラクティショナーかティーチャー。

つまり、すでにオーラソーマにある程度精通していて、オーラソーマにどっぷりとハマっている人が相手。


けれど、普段私たちプラクティショナーというのは、「オーラソーマって、それ何ですか?」という人たちと日々出会うわけです。

そのことがまた新鮮であったり、自分がオーラソーマ仲間とばかり話しているとついついその素朴な疑問にどう対処してあげたらいいのだろう、ということを忘れておったわい、ということに出会ったりしてとても勉強になります。

私はそんな刺激が大好き。

でもマイク・ブースはきっと日々、どっぷりの人ばかりが周りにいるのだろうから、ついオーラソーマボケになっちゃわないのかなぁ、と思ったものですから。

私はついこの前も、「オーラソーマって、雑誌でチラッと見たことはありますが、あれ何ですか?」と言われたので、あぁ、この人はひとまずボトルがどんなものかは見てるんだ、と思い、

「あの100本以上あるボトルの中から、自分が惹かれるボトルを選ぶだけなんですよ。」と言いました。

すると、次にその人は、

「ふぅ~ん。で、そのボトルの色をいつも身に着けるといいとか? そういうこと?」と重ねて尋ねられました。


これは、明らかにパーソナルカラー的な利用の仕方を想定しているのだな、と思いましたが、ボトルはそれを身体に塗って使うわけですから、“そのボトルの色をいつも身に着けるといい”というのはあながち間違いではありません。

「うぅ~んと・・・ 確かに自分の選んだボトルの色を身に着けるのはいいでしょうね。でも、オーラソーマはパーソナルカラーみたいに自分に似合う色を見つける、というものではないの。」と言いました。

しかし、こういうときって人間って人の一瞬の躊躇を見抜きますよねぇ。


私が“そのボトルの色をいつも身に着けるといい、というのはあながち間違いではない”と思い、ではどうやって説明したらいいのかな、と一瞬迷った隙を見て、その人は自分の指摘がそんなに的外れなものでもないのだな、微妙な違いだけなんだな、と判断したみたいなんです。


「自分に似合う色を見つけるわけではないというと?」とまた重ねて尋ねられました。

「似合う色というよりは、ちょっと大上段に構えた言い方に聞こえちゃうかもしれないけれどその人の魂の色がわかる、ってことかな。」と私は言いました。


「はぁ~ん。ステキですねぇ。魂の色かぁ。」とその人はふんふんとうなずきながら、再び、

「で、自分の魂の色なら、その色をやっぱり身に着けたりするのはいいことなんでしょ?」と尋ねました。

「まぁ・・ いいこと、ですよねぇ。」とだんだん歯切れが悪くなるわたくし。

どこまでもその人は“色を身に着ける”というほうに話を持っていきたいみたいなんですよねぇ。

なんでかなぁ、と思っていると、その次の質問で謎が解けました。


「つまり、オーラソーマは、4本のボトルを選んで、コンサルテーションを受ける、と。で、それは何のためにやるのか、って言うと、そこで出た自分の魂の色をそれからは日常生活の中に取り入れたり、身に着けたりするといいですよ、ってことが結論なんですよね?」とお尋ねになったのです。

あ~、そうか、と初めて私は彼女がなんでその色を身に着ける、ということに固執していたのかがようやくわかりました。

つまり、“何のためにオーラソーマのコンサルテーションを受けるの?”“何が目的でオーラソーマをやるの?”っていう根源的な質問だったんですね。

彼女は、コンサルテーションそのものの中身も、こういう色を選んだということは、こういう色をこれから日常生活のなかで使っていくと、気分が晴れやかになるよ、とか運気が開けるよ、ということのために行うものだ、と思ったみたいなんです。

そう思うのも無理はない。

たまたま話の雑談のなかでそういう話に移っていったところだったので、私としてもあまりオーラソーマとはなんぞや、ということについてとうとうと語るのもなぁ、と思い、できるだけ簡潔に、聞かれたことのみに答えようとした結果、オーラソーマが自分の人生をより意識的に生きるためのものだ、という一番大事なところをすっぽりと説明していないからでした。

そこでようやく私は、「オーラソーマでボトルを選んで何がわかるか、っていうとね・・」といういつもの説明に移ることができたのでした。

そしてその人と別れたあと、でも、ちょっと待てよ、と思いました。

彼女は最初勘違いをしていた、と思ったけれど、それは別に勘違いではないのではないか、と考えたのです。


オーラソーマではコンサルテーションで4本のボトルがその選ばれたそれぞれの位置においてどんな意味をもっているかのリーディングをしますが、「はぁ~、それで自分がいまどんな状況にいるのか、がようやく確認できました。」とか、「自分にとっての課題が明確になりました。」とか、「自分のことなのに、私は将来そういうことを望んでいたんですね。」とかそういうことがわかって、それでOK、はい、しゃんしゃん。だけではなく・・・

その人の言うとおり、例えば1番目にソウル・ボトルとして選んだボトルのカラーは、「あなたにとって今の使命や一番の自分の良い部分をあらわしているものだから、いつも身に着けておくといいわよ。」とか言って送り出してあげるほうがいいんじゃないか、理にかなっているんじゃないか、と思ったのです。


つい私たちオーラソーマのプラクティショナーは、オーラソーマとは何ぞや、ということを説明するとき、ほかのものとの差異を際立たせるとその本質が明らかになるような気がして、「オーラソーマは決して占いではないから。」とか、「オーラソーマとパーソナルカラーは全然違うものだよ。」とか言いますが、似て非なるものであると同時に、非なるものであるけれど似ている部分もあるのではないか、ということにもっと温かい目を向けてもいいのではないだろうか、と思いました。

ボトル、ポマンダー、クイントエッセンスとその人が取り入れると良い色をラインナップしながら、それはあくまでオーラソーマのプロダクツに限ってのことだからね、オーラソーマは特別なんだから。オーラソーマ以外のものでその色を取り入れたって別に意味なんてないんだから、という閉鎖的な態度ではいけない、と思いました。

早速明日からは、「ソウルボトルのカラーを洋服でも身に着けると、あなたの良さがいっそう表に引き立つ、と思いますよ。」というアドバイスも忘れずに言ってあげよう。




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