ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

ストーリーに介入せず、介助者という立場を貫く

2019-04-30 09:01:11 | コンサルテーション

    オルゴナイトセラピー モニター様募集!

    4/25(木)~  初回1回に限り

   オルゴナイトを使った「オルゴナイトセラピー」をリリースします。
   それに先立ちまして、モニター様を募集いたします。
   詳しくはこちらをご覧ください。  
     ↓
    https://peraichi.com/landing_pages/view/w51w1
   
   レギュラーリリースにあたって  1セッション(60分予定)・・・・¥11000
          を、
                   1セッション(60分予定)・・・・¥ 3000
           にてご提供いたします!

   「オルゴナイトセラピー」でわかることは、

      *あなたを取り巻く今の状態(仕事、恋愛、人間関係etc.などの現状がどうなっているか)
      *あなたの将来は?
      *自分の潜在的可能性のチェック

              などです。

   <お申込み・お問い合わせは>

         chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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平成最後、明日からはいよいよ令和(いま気付いたけど、当たり前っちゃ当たり前ですが、「れいわ」と打ってもこの文字がすっと出てこないんだよね。ストレスだわ~)だという日に、なにをグジグジしたこと書いてんだよ!と自分にツッコミを入れて置いて、と。
ハイ、それでも平成最後話とか令和話とかではなく、ひたすら自分の心の気付きを書いていくんですけどね。



さて、昨日は、友人がたまたま占ってくれたカードリーディングでまたまたショックを受け、混乱もしてしまったということを書きました。
でも、そのおかげで腑に落とせたこともあった、と。



私は自分自身がセラピーをやっているせいか、つい他人がセッションをしてくれて自分が受け取る立場のときにでも、「もし、立場が入れ替わって自分がこのセッションをやっている方の立場だったら・・?」という目でみてしまうときがあるんです。
いやなクライアントですよね~
私ならこういう人にはできるだけ来てほしくないな(笑)
やりずらいことこのうえない。
あ、でも、口に出してそれを言うわけではないんですけどね。
心の中でどうしても湧き上がってしまう。
このときは、
“セッションをやっている方も、クライアントと一緒に、クライアントのジグソーパズルを埋めていく必要がある”
ということについて考えていました。



昨日も書きましたが、私は友人がリーディングしてくれた結果がそもそもなんのことを指しているのかわかりませんでした。
「そこから撤退するべき」というカードが出ても、
占いのこと?
カードのこと?
オルゴナイトセラピーのこと?
それともスピリチュアル全般について?  と。
そしてそれについて、
「後から自分でゆっくりと考えてみる」
と友人には言いました。
お金が介在している正式なセッションではなく、あくまでも話の流れから友人が好意でやってくれたことですし、私が「後で」「自分で」と言ったから、友人はそれを尊重してくれたのでしょう。
けれど、実際にいま“後になってみて”思うのは、その肝心なところを後回しにしては、もうそのセッションの中で友人が言ってくれた大事なことであったろうことも含めて、セッション自体が空中分解してしまって、なぁ~んにも残らないのです。
だから、もし私と同じような人がいらした場合、「それはその人の今直面している人生において、何のことを指し示しているのだろう?」という軸についてはさすがにそのときに一緒にクライアントと考えてあげる必要があるだろうな、と思いました。
まるで、行方不明になったジグソーパズルのピースを探してあげるかのように。



ただ、ここで難しいなと思うのは、オーラソーマの授業でもよく言われた、
「クライアントのストーリーに興味をもつ必要はない」
ということです。
私は当初、この“ストーリー”という言葉の意味がよくわかりませんでした。
でも何度も聞いているうちに、あぁ、これは英語で、「私の人生は・・」などというように語るとき、「My story」という言葉を使うように、その人の「人生」という意味なのだな、ということがわかってきました。
しかも、ただの「人生」というよりかは、「その人の人生のなかにおいて、あるとき起こったエピソード」というほどの意味で授業では使われていたかと思います。
たとえば、セッションをやっている最中に、クライアントが具体的に自分の身に起こったことを話し出すとします。
それを否定するものではありませんが、「ストーリー」そのものが重要な意味をもつわけではないので、そこは簡潔に語ればいいのに、そこをこそ、異常に熱を込めて話す人がいらっしゃいます。
要はただ、聞いてほしいんですよね。
自分がいかに可哀想な人間か、そのストーリーに登場するほかの人間がいかに間違っているか、というその人目線でのジャッジを。
「それまで親しかった人とあるとき言い争いになり、疎遠になってしまったことであれでよかったのか、と悩んでいるところです」
と言えば済むものを、
「Aさんという人がいるんですよ、この人がどういう人か、というところからお話しますとね」とか、
「で、私がこう言ったら、Aさんはこう言うわけですよ。それはさすがにおかしいでしょう?」とかね。いろいろ。



私自身、ラハシャ博士の「カウンセリングスキル」という授業に参加したとき、とても穏やかでこの世に生まれ落ちてから1度も声を荒げたことなどないのではないか、と思われる博士が、授業で公開カウンセリングをするから誰かクライアント役になってくれる人はいないか、とおっしゃり、1人の人がその役を買って出たとき、やはりその人がストーリーを語り出し、ラハシャ博士は穏やかな声と顔のまま、しかしきっぱりと、
「私はあなたのストーリーには興味がありません」
とおっしゃったことがありました。
私は自分がまるでそのクライアント役になったようにのめりこんでそのカウンセリングを見ていたので、ちょっとドキッとしてしまいました。
博士に拒絶されたような気持ちになってしまったからです。
博士は相変わらず優しい目でクライアントを見つめていたにもかかわらず。
いくら博士がクライアントを拒絶したわけではないことをアタマではわかっていても、どうしても「私はあなたのストーリーには興味がありません」という言葉はキツ過ぎる、という気がしていました。



そのときからずっと私はどこまでクライアントのストーリーを聞くか? ということについては難しい問題だな、と考え続けているような気がします。
そして、私が今回陥った「自分の人生に起こっていることのなかで、どれのことを言われているのかわからない」ということになった場合、一緒にバラバラになってしまったパズルのピースを探し当てるための作業はしてあげたほうがいいな、とは思うものの、その作業のなかでクライアントがストーリーを語り始めてしまった場合、どうしたらいいのだろう? と思いました。



私の結論は、「クライアントは語りたければ語ればよい」ということです。
けれど、それがあまりにも微に入り細に入りという場合途中で、
「あなたのためにご用意している時間が、この調子だとたぶんそのストーリーの半分ほどで終わってしまうことになり、それ以降は別料金、あるいは次回に、ということになりますが、それでもよろしいでしょうか?」
ときちんと現実に一度立ち返っていただく必要はあるかな、と思いますが。



いずれにしても、クライアントが「何のことを言われているのかわからない」という迷子ちゃん状態のときにはそれが何の事であるのかを一緒に探し出すお手伝いはするべきだと思いました。
それは決して「その人のストーリー(人生)に介入する」ということではなくて、「介助者という立場を貫く」という立ち位置であることを忘れてはならない、とも思います。
それはとりもなおさず「相談にのる」というような立ち位置でいる、ということでもありますから、そういう意味でいえば、占いであろうとセラピーであろうとすべて「カウンセリング」ではない、とも思ったのでした。



この話はまだまだ続きます。
実は友人はタロットと「和尚禅タロット」以外にも、ルノルマンカードでも占ってくれたのでした。
そのときのことからの気付きの話はまた明日。






私自身のカード占いで

2019-04-29 09:01:19 | 占い

    オルゴナイトセラピー モニター様募集!

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ある日、友人がサロンを訪ねて来てくれました。
オルゴナイトを見に来てくれたのです。
そして何か雑談をしていたときのことです。
私が
「カードリーディングって難しいと思ったことがあったよ」
と一言もらしたときのことです。
そもそも一連の話の発端になった、1週間前にこのブログにも書いたカードリーディングの話です。
もちろん、守秘義務がありますからね、ストーリーとしては何も語ってはいません。
ただ、「改めて難しいことってあるなぁ、って思った」と一言漏らしたに過ぎません。
というのも、たまたまそのとき来てくれていた友人ふたりはカードの使い手だったからです。
それを生業にもしている人たちでした。



すると1人が、ふぅん・・と何やら考え込むような様子を見せたあと、
「えっちゃん、占ってあげようか?」
とカードを取り出しました。
えっ、と驚くわたし。
彼女がいつもカードを持ち歩いていることにも驚きましたが、私は別に「難しいと思った」と言っただけで、そこに私が抱えている問題が潜んでいるのだ、と言った覚えもありません。
なのに、どうして私を占ってあげる、って? とちょっと戸惑いましたが、占ってもらいました。
すると、出たタロットカードを眺めていた友人が、
「やっぱりね、これはえっちゃん自身の問題だわ」
と言いました。
どういうこと?
そのときに出たカードがこちら。
1枚目・・(現状)  大アルカナの「ストレングス」
2枚目・・(未来)  大アルカナの「スター」
3枚目・・(アドバイス)  カップの8



これを見ながら、友人は、
「状況を打破するために、今えっちゃんは一生懸命頑張っているかもしれないけれど、このまま続けても現実の厳しさを思い知らされることになるだけ。感情やお金や時間を注ぎ込みすぎてがっかりしてしまうことになる。このままここからは撤退した方がよさそうね。捨て去ったほうがうまくいく。やってもやってもえっちゃんは、まだ何かが足りないって思っているのね」
といきなり言いました。
これには打ちのめされました。
まずもって、何のことを言われているかわからないという混乱。
しかし、それでいながら「当たっている・・!」というか、「当てられてしまった・・!」というような感覚。
「心当たりある?」
と言われ、私はあたふたして、
「ちょ、ちょっと待って。何のことを指して言われているのかわからなくてちょっとまだ心の整理がつかないでいる」
と言いました。
これはもちろん、正直な気持ちです。
カードなどの占いということからは撤退したほうがよさそうだ、ということなのか、私がまさに始めんとしているオルゴナイトセラピーからは撤退したほうがよさそうだということなのか、それともこれまでやってきたすべてのスピリチュアルな関係のことを捨て去った方が良いということなのか、それともはたまた全然別の事なのか・・
それはもちろん1番自分がピンときたことなのでしょうが・・ このときの私は何が1番ピンときたのかさえよくわからないのでした。
なので、
「・・言われたことを覚えて置いて、あとでじっくりと自分で考えてみる」
と言ったのですが、これは失敗でした。



占いに限らず、セラピーでも、カウンセリングでも同じことでしょうが、その場でピンとこずに持ち越すことにした言葉というのは、後々浮上することなんてないのです。
後から考えたら意外にもその場でドキッとしたあの言葉より、なぜかこの言葉のほうが心に残っていた、ということは確かにあります。
しかし、それとて全く左の耳から右の耳に抜けて行った、という言葉を急に思い出したということではなく、なんとなくくらいは覚えていた言葉、あるいは実は顕在意識でそこまで意識していなかっただけでその場でも結構すでに心に残っていた言葉であることがほとんどなのです。



友人はなにやら動揺している様子の私を見て別のカードでも占ってあげる、と言ってくれました。
今度は「和尚禅カード」でした。
でもそれはやはりタロットと同じ意味のことを少しだけ形を変えて出てきただけだな、という感じがして、もう今度は何1つ心に残りませんでした。
自分でもその残らなさっぷりに驚いたほどです。
友人の名誉のために言っておきますが、彼女のリーディングがよくなかった、ということでは決してありません。
私がそれを受け取る準備が全くできていないためです。
人には起こるべきことが起こるべきタイミングでやってきます。
(言い換えれば、その人が受け取る準備ができたときに、それがやってきます)
今回のことでいえば、私が友人にタロットリーディングを所望したわけではなく、たまたま話の流れから、「ちょっと占ってあげようか」ということになったのでした。
つまり私からお願いしたわけではない、と言うことは私にとってカードリーディングをしてもらってもそこから出たことを受け取る準備が出来ていなかった、ということなのかもしれません。



カードでは(いや、カードだけに限らずどんな占いでも、でしょうが)、必ず悪いカードが出たとしても、それに対する回避するための方法やアドバイスがあります。
友人も最後にアドバイスカードを出してくれました。
それによると、
「あなたはこのままだと同じパターンを繰り返す。そのパターンに気付かなければならない」
でした。
これがアドバイス? と思ってしまいました。
何のことかがわからないでいるのだから、当然、“同じパターン”と言われてもそれはますます何のことかわからない。
なので友人はさらにその潜在意識にひそむものを引き出すカードを出してくれました。
それは、
「流れのままに身を任せろ」
でした。
これもまた、私には「流れのままにと言われても、その“流れ”がなんなのか、どんな流れが今自分に来ているというのか、それがわからない」のですから、全くアドバイスをもらったような気持ちにはなりませんでした。



でも、このときのおかげで「占い」について腑に落とせたことがありました。
それはまた明日。





深く潜水していくわたし

2019-04-28 09:01:57 | 身辺雑事

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      *あなたを取り巻く今の状態(仕事、恋愛、人間関係etc.などの現状がどうなっているか)
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昨日からの続きです。
もし、私たちの魂がのぞんでいる場所というものが、「自分だけで最大幸福を感じることのできる世界」であるなら、そんなものを私は目指さなくてもよい、と思ったら何だか自分がこれまで一生懸命追究してきたものは何だったんだろう・・? という気持ちになって虚しくなり、一気に脱力感をおぼえてしまいました。
そして、いったん悪い方向へ気持ちが流れていくと、どんどん悪いものを引き寄せていきますから次々と気持ちが萎えることが起こりました。



まず、おかしな夢ばかりを立てつづけに見ました。
「駅」の夢です。
3日連続で駅の夢を見ました。
これはなんだろう?とネットで「夢占い」を調べると、
「駅の夢は、あなたがいま岐路に立っていることをあらわしています」
とある。
ううむ、やっぱりか、と思う。
しかし、単に「駅の夢」とはいっても、そのシチュエーションなどで吉夢だったり凶夢だったりするわけです。
私のは、そのどちらととればいいんだろう?ということがよくわからないのでした。
例えば「最終電車に乗り遅れる夢」は、「夢が叶わない」などの凶夢なのですが、私の場合は、「乗り遅れそうになるのだが、結果的に間に合った」だったりするのでした。
「改札口が自分の前で扉が下りてしまい出られない夢」だと「今のままの道には進まないほうがよい」という意味だけれど、私の場合は「扉は存在しないのにこの切符は乗り越しのはずで出られないと思いこんで、自ら進んで改札口の手前で駅員さんを待っている夢」だったりするのでした。
いずれも、何だかギリギリのところで結果的にはこの現状からなんとか命からがら脱出する、と言われているような気がしました。
しかも、どの夢にも必ず亡くなった父が出てくるのでした。
これもどうも私には「おまえひとりだと道を誤りそうだから、危なっかしくて見ていられない」とあの世から私の夢に登場してきた、という気がするのでした。
こういう夢の読み取り方って、どんな解説書を読んでいても結局本人がその夢を見ているときに「良い気分」だったのか、「嫌な気分」だったのか、が重要なんですよね。
そして私にはそれさえわからないのでした。
例えば、アイスランドのものすごく人口が少ない寂しい駅が出てきてなぜかそこに降り立っている私がいるのだけれど、それで「都会から抜け出せて人に会わなくて清々しいわ」と思っているのかと言われたらそこまででもないし、かといって「こんなうら寂しい駅で・・」と何だか悲しくなってしまっているのか、と言われたらそうでもない。
ただそれを受け容れている、という感じ。



また、あるときには「いつまでたっても目的地に着かない夢」を見ました。
もうこれなんて「夢占い」のサイトを見なくても、明確に「あなたは今行き場を失っているんですね」って自分でわかるわ。
また、あるときには巨人が出てくる夢を見ました。
街にいたら、みんなが騒ぎ出して「きゃあ~♡」と黄色い歓声があがるから何かと思ったら、4,5メートルほどもあるガイジンのモデルの男性でした。
「知らないの? いま、人気の○○(○○は外人ぽい名前でしたが忘れました)じゃない」
と友人は言うのですが、
「いくらなんでも大きすぎるわ・・ あそこまで大きいといくらカッコよくてもあんなふうにキャーキャー言う気にはとてもなれないわ。ちょっと怖い感じがするくらい」
と私は言いました。
その巨人のモデルは気よく、まとわりついてくるファンたちと握手をしたりサインをしたりしてあげていましたが、それを見て私はまた、(大変だなぁ。あんなに大きいと逃げ隠れできないものなぁ)と思っているのでした。
ここからうかがいしれることは、私が「何かやろうとしていることに対して準備不足」なのか、「案ずるより産むがやすしでただやればいい」のかどちらかだそうです。
そりゃどちらかだろーよ!
もうわけがわかんない。



いったい私は何を感じて、何がしたいんだ!? と夢のみならず現実の私の感情がどこに在るのかさえ、わからなくなってきました。
精神疾患の人が、「自分が何を感じているのかわからない・・」と言ったのを聞いたことがありましたが、「んなこと、あるわけないでしょう」と思っていました。
「感じる」のは誰だって「感じる」はず。
それがわからなくなってしまう、というのは自分が感じているものをブロックしている何かがあるのか、「何を感じているのか」を読み取る感覚器官の方が麻痺しているのか・・?
そのときにはそれが不思議で仕方がなかったものを、まさか自分自身がそうなってしまうとは・・・!?と自分で自分をもてあまし、どう扱っていいのかわからなくなってしまいました。



あるとき、今、自分が力を入れてやっている「潜在意識を活性化させる」ということについてもふと
「そういえば、昔、α波なんてものが流行ったときがあったよなぁ・・」
とふと思いました。
潜在意識が活性化するときというのは脳が変性意識になるときです。
変性意識とはどういう状態のことか、といえば「脳波がα波でとてもリラックスしているのに集中力は高まっている状態」のことです。
けれど、今から30年ほども前になるでしょうか、「α波」流行りだったときには、その原理も理論もへったくれもなく、ただただ「α波」一辺倒で、「α波になる家電」なんてものがバーッと売り出されたと思います。
それは「脳をα波にすると、とてつもなくリラックスできる」というように「リラックス」だけに焦点をあてたものだったように記憶しています。
だから「α波が出る音楽」なんてCDも売っていたと思いますね。
今なら「不気味だ・・」と感じるような、ニュースでオウム真理教の信者がかぶせられていたような電気が流れる鉄製のヘッドバンドみたいなものも売っていましたよ。
「α波」という言葉だけがひとり歩きしていた時代でした。
リラックスのためだけに「α波」が取沙汰されていたので、いまの「潜在意識を活性化させるには」というテーマとは関係がないのですが、なぜかそのときの私は、
「α波だって、潜在意識を活性化させるに良いキーワードだったのに、どうして
今ではα波の“あ”の字も聞かなくなってしまったんだろう? もう何十年も前から潜在意識を活性化する方法なんて、ごく一般的にやっていたのにね。今更私は何をやっているんだろう?」
と思ってしまったんですね。



このようにして、いったん「これはなかなかに手ごわい根本的な問題だぞ」というようなジレンマに陥ってしまうと、どんどん考え込んで、悪いほうへ悪いほうへ落ちて行ってしまうクセがあるんですね、私って。
それが乙女座の批判的で思考に深く入り込むという特性からきているのか、O型のたいていはおおらかにコトを済まし、落ち込むことも少ないけれどもいったん落ち込むとなかなか這い上がれない、からきているのか、五行の「木火土金水」の要素からいうと「水」を持っていないので、さらりと流すことが苦手だからか・・ よくわかりませんが。
とにかくいったんこだわってしまうとなかなか抜け出られないんです。
コードに絡みついたホコリをそのままにしてコードを引きずってあちこちへいくと、もっともっとホコリが絡みついてきますが、そんな感じ。
そしてさらに決定的に落ち込むようなことがあったのでした。
それはまた明日。




そのレベルを、私は望んでいません

2019-04-27 09:01:41 | 精神世界

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さて、昨日までの振り返りです。
松久正さんの著書を読んで、集合無意識は個人の潜在意識より絶対数が多いのでパワーがある、ということには納得できたし、パラレルワールドの存在にも違和感はなかったけれども、なぜか私はシンクロのようにであったパラレルワールドを経験したという人たちと一緒にいて寂しさを感じてしまった、というところまででした。
それがなぜかと言えば、私たちのもともとのふるさとである五次元の世界がどんなものなのか? についてそういうことなら私はそれを望んでなどいない!と強く思ってしまったからでした。



五次元の世界とは、松久正さんによると半霊半物質の高次元環境だそうです。
そこは、フリーエネルギーを自由に操作でき、反重力で、時間・空間もない愛と調和に満ちた世界。
他者は必要なく、自分ひとりだけで完全に幸福な宇宙。
このことを松久さんは、「霊性地球の幸せの時代」と言っておられます。
幸せというのは、今までなら、お金がたくさんあって欲しいものが買えるとか、ぜいたくをする、愛情をいっぱいうける、地位が高い、などの状態を指すことが多かった。
けれど、この方が言っていることは
「今、ただここに在るだけで完璧」という幸せです。
それは松果体のポータルサイトから宇宙の叡智が入ってきて、全部のDNAが完璧な状態に書き換えられる、ということ。
自分自身が「愛そのもので、幸せそのものである」というDNAに書き換えられること。
脳が満足するだけではなく、魂が満足する世界。



私は以前にその昔、レムリア大陸の人々は高度な文明を持っていて、身体が半透明だった、という説を信じています。
繊細で高度な波動になればなるほど、現在の私たちの目には見えにくくなることは明らかだからです。
そして、地球だからこそ空間と時間の概念があるのであって、ほかの星であれば、あるいは次元の違う星であれば、そんなものは存在しないのだろうな、ということも理屈ではわかります。
でも、それはなんとなく自分と合うかそぐわないかという感覚の問題であって、理論が科学的に正しいかどうかの検証が大切だとは思っていません。
私はこの部分についてはなんとなくその通りだろうな、と思っただけです。
しかし、これまで私は、もっと魂の望むことが実現するような世界だったらいいな、とかそれは肉体の苦しみのない世界なんだろうな、とは漠然と思ってはいたものの、改めて「他者がまったく介在せず、自分ひとりだけで完全にととのった幸福の世界」と言われるととまどってしまいました。
総論賛成各論反対みたいな感覚です。
ちょっと待ってよ、私はそれを望んではいません、だってそれはもう神の領域ではないですか。
あまりにも崇高すぎる。
今のままの心、感情をもったままでそういう世界に行くのだとしたら、それは寂しすぎる、それは耐えられない、
そう思ってしまいました。
もし逆に五次元の世界に行った私たちなら、もうそれを寂しいと感じる現生と同じような心や感情も持ち合わせなくなるのかもしれない。
それはそれでやはり寂しい。
いずれにしても私はそんなものを目指してもいなければ、求めてもいない。



それは厳然たるものでした。
絶対的なものでした。
そうであれば、私はいったい今まで何をやってきたのだろう? とわけがわからなくなってしまいました。
まがりなりにも自分の魂がより次元の高い場所を目指していることを見つめていくことが楽しいことだ、心が浮き立つようなことだ、と思ってきました。
でも、私自身がそんな場所は求めていないのだとしたら・・?
どうやら私はもっと泥臭い世界を望んでいるらしい・・
いや、もっともっと魂の道を究めたら本気で、それを望むようになるのかもしれない。
けれども少なくとも今、現在の私の理解度では望んでいないことが明確になった。
私はこの先、どこへ進めばいいのだろう・・?
魂が迷子になったような気分になってしまいました。
そんなことで悶々とした気分になっていたときに、パラレルワールドのことを語る人々と偶然出会ったのですが、そこでも
「なんだか、ここは私の居場所ではない・・」
という気持ちになってしまい、そういう気分になったことによってますます、私はやはり崇高な五次元の世界に早く行きたい、と思っているわけでもなんでもないのだ、ということが明白になった、と思ったのでした。



それは私を一気に現実的なものの考え方に引き戻すようなインパクトがありました。
よくいくらスピリチュアルなことをやっていても、地に足つけて生きる必要がある、とか言いますが、それはそんなレベルのことではありませんでした。
私が小さい頃から青春時代を経て育ってきた高度成長時代の考え方を今一度踏襲するようなものとして私に戻ってきた感じがしました。
そんなことを感じていたからでしょうか、余計にメディアを見ていても、そんな部分が浮き上がって自分に迫ってくるような感じがしました。
例えばある朝、テレビをつけていたら真矢みきさんと元サッカー選手の中田英寿さんが対談しているコーナーがあったのですが、そこで中田さんが、
「楽しい日々なんて後でそんなもの、振り返ったとき覚えてます?」
と半笑いしながら真矢さんに問いかけ返したシーンがありました。
彼の深い真意はわかりません。
ただ、中田さんが
「ムダに苦労したりするより、できるだけラクにするする~っと行ける方法があるならそれに越したことはない」
などと辛いことや苦しいことをできるだけ避けたいなどとは全く思ってらっしゃらないことだけはわかりました。
振り返ったとき覚えていないような日なんて、つまりは人生生きていないようなものと同じではないか、と中田さんは言ったのだ、と思いました。
これは一流アスリートして名をはせた人の特例かもしれません。
なにせ、私のような彼の年齢のほぼ倍生きているようなおばちゃんでさえ、
「苦労は買ってでもしろ」
なんて言葉は死語だと思っていましたから。
でも、このときはあれっ!? と思い、この言葉が沁みました。
多少の(あくまで多少の、ですよ・・)苦労をすることによって、そのあとに感じる喜びがとてつもないものであったとしたなら、やっぱりその方が生きがいのある人生だったってことなのかなぁ、なんて思ったのでした。
そしてますます人生そのものが迷路にはいってしまったような気分になったのでした。






パラレルワールド

2019-04-26 09:01:23 | 精神世界

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さて、昨日は集団無意識のほうが個人的な潜在意識より絶対数が多いぶんだけ、圧倒的にパワーがある、ということにしごく納得した、ということを書きました。
でもこれは、あえて「集団無意識」だの「潜在意識」だのを持ち出すまでもなく、ごくごく当たり前に私たちが理解していることですよね。
それをむしろ、それらの意識を持ち出したがゆえに難しい世界観で語ってしまっているだけ。
大勢の人の意見や無言の圧力のようなものに負ける個人がいる、というのはあまりにも当たり前のことに過ぎませんから。



さて、それはよしとして。
昨日は、「潜在意識を眠らせろ」ということを説いている松久正さんの持論とはどういうことか? ということについてもう少しだけ詳しく語らせてください、というところで終わりました。
今日はその続きです。



それは一言でいえば、「パラレルワールドの自分を信じろ」ということです。
その理解のためには「松果体」だの、「ゼロポイント」だの、「ポータルサイト」だの、「シリウス」だの、難しいことがいっぱい出てきますが、もうほんとに一言でいってしまえば、「パラレルワールドを信じろ」に尽きるんです。
私たちはもともと五次元に存在していた。
そこは肉体などというものに振り回されない完全な世界。
しかし、私たちは肉体というスーツを身にまとうことによって、あえてこの地球での、辛かったり苦しかったりすることも含めての体験そのものが味わいたくて、自らの波動を下げて、この地球にやってきた。
だからもともと居た五次元の波動を私たちは持っている。
もし潜在意識を活性化させもっと精神的に波動の高い世界に戻りたいと思ったら、そう思うだけで一瞬で五次元の世界には戻れるのだ、というわけです。



宇宙の叡智に続く玄関のようなポータルサイトと一瞬のうちにつながることは誰にだって出来る。
ただ出来ないと思い込んでいるだけ。
そしてそのポータルサイトを抜けた先には無数のパラレルワールドが存在している、といいます。
例えば今の自分の状況がどうであれ、億万長者である自分だとか、宇宙人の自分だとか、植物である自分だとか、微生物である自分などが同時に存在しているのだ、と。
そのパラレルの中から望む自分を選ぶことができる。
どのように選ぶかと言うと、目標を設定して完全になりきることです。
するとポータルが開いて入れるのだそうです。
それを使えばテレポテーションだって簡単にできます。
これが松久さんの持論です。



そして私はパラレルワールドの存在については何ら異論がありません。
私たちがもともと五次元の世界にいて、どうしても肉体を使って感じることを体験したいからあえて波動を落として地球にやってきているのだ、ということについても証明できる話ではありませんが、なんとなくそうなんだろうな、って思います。
ただ私自身がパラレルワールドを体験したことはありません。
その存在ってもしかしてこれのこと? というような断片的な体験さえしたことはありません。
だから私はこの松久さんの持論については異論がありません、とはいうものの、ほんとうのところではどこかで信じ切れていないのかもしれません。
松久さん自身も、一般的にはすぐにそんなことはありえないと考えて、ポータルの入り口までは行くのだけれども、戻ってきてしまうのだ、と書いておられましたので、私もそんなところかもしれません。



ところが、いったんこういうものに出会って、どうしても自分の中の本質が「これは大切なことだ」「もっと腑に落としたい」と切に願うと、何かシンクロが起きるから不思議です。
あるとき私は以前に知り合ったパワーストーンを使ってアクセサリーやジュエリーやパワーブレスを作っていらっしゃる作家さんが、また岐阜に来て展示会をやっている、という情報を耳にして、ちょっと覗きに行きたいと思いました。
それは揖斐郡池田町というところで、私の住んでいる岐阜市からは車で4、500分ほど西に行かねばならない意外に遠いところでした。
「また、なんで展示会をこんな辺鄙なところで・・」
と思いました。
できるだけ多くの人に見てもらいたいなら、もっと駅前とか人通りの多い繁華街でやったほうがいいのに、といぶかりながら出かけました。
着いたその場所は、想像どおり周りは田畑の辺鄙なところでした。
一棟の古びたアパートの1階が全部お店になっていて、その一角で彼女の展示会は催されていました。
そのほかにはカフェやら、毎日違うシェフが作るという食堂やら、貸スペースとしてのカフェやらイベントスペースなどがあり、それらの顔ぶれはなにやらすべてがスピリチュアルな様相を呈していて、だからこそ街中ではなく、この辺鄙な雰囲気でよかったんだ、と思えました。



ここかしらん・・? と恐る恐る入っていった彼女の展示スペースには、ほかの方々が数名いらっしゃいました。
私はその方たちの紹介も受けました。
やはり、何かその方たちもスピリチュアルな方たちなのです。
こういうときに「スピリチュアル」という言葉を使うこと自体、ほんとうにイヤなのですが、良い言葉が見つかりません。
まぁ、私は“自分の魂が本当に望むことを追究するのに熱心な人たち”というほどの意味で使っています。
そうしたらなんでそんな話になったのか忘れてしまいましたが、その中のおひとりのAiさんという方が、
「そういえば2年ほど前パラレルワールドの体験をしたことがある」
と話し始めたのです。



Aiさんはfacebookをやっているけれどもあるとき自分が2年前にまったく書いたこともない記事を書いているではないか、というものに出会ったと言います。
その場所に行ったこともないし、記事の内容にもまったく身に覚えがない。
しかも、いつもの彼女の記事なら「いいね!」をしてくれる人は軽く100人を超えるのだけれども、その記事にはたった1人だけ(それが私が目指していった、パワーストーンの作家の人でした)しか「いいね!」がついていませんでした。
それも不自然なことだ、と。
しかも、書いた覚えもないのだから当然でしょうけれども、いつのまにかその記事だけが削除されているというのです。
Aiさんは少し遠い目をしながら、
「だからね、あれはパラレルワールドに行っていた自分が書いたのかなぁ、って思ったの」
と言いました。



なにやら私まで異次元の空間に迷い込んだかのような不思議な感覚を味わっていました。
2階はすべて古びたアパートになっているのですが、そのアパートにかつて自分は住んでいたことがあるような気がしてきました。
「かつて」というのは、10年や20年前に、という意味ではありません。
今世の私ではなくて、なんか以前の生を受けたときの私が。
いや、ひょっとしたらそれこそがパラレルワールドなのかもしれません。
ときに私は「こういう家ってすごく懐かしい」と胸がきゅーっと締め付けられるような気がするような家に出会うときがあります。
それは、「ガレージのような家」「昔ながらの、アルコーブも何もない、共同廊下にぽんぽんと玄関の扉がみてとれるようなアパート」「縁側のある平屋」などだったりします。
そしてそれはたいてい憧れるような素敵な家ではありません。
だからこそ、かつて私自身がそういう家に住んでいたことがあるのかなぁ、なんて思うのです。



しかし、その展示会が行われていた1階のスペースで、普通の人たちとだったらちょっと突拍子もなさすぎる話よね、と思われるかもしれないと話すのをためらわれるようなスピリチュアルな話題に全員が、当たり前すぎて面白くもなさそうな顔をしている・・
そのことが仲間を見つけたような喜びだったかというとそうでもありませんでした。
むしろ、私はここに居るべき人間ではないのではないか、という一抹の寂しさを味わっていました。
そしてその妙な寂寥感の理由が私にはわかっていました。
それはまた明日。