ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「健やかなるときも、病めるときも・・」とはなかなかいきません

2019-09-30 09:01:03 | 身辺雑事
<neW !>

   「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
                          リリース!  
   「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
   それに対して、こちらの「自己受容ヴァージョン」は自己受容に特化した凝縮版です。

   今だけの特典あり!
   是非こちらをご覧下さい。

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<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中!  参加費:¥15000(税込)
      ※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

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最近、季節の変わり目のせいか、どうも体調が思わしくありません。
最初はある日突然、股関節がやたら痛くなりました。
「痛い」っていうか、厳密にいうと伸びきったゴム紐をそれでもまだ伸ばされるようないや~な重だる感っていうかな・・
どういう姿勢をとっていてもとにかくすぐに違う姿勢にしてみたくなる。
違う姿勢をとってみても結局そのイヤな重だる感は変わらないのだけれども、少しでもラクにならないかな~なんて淡い期待とともに動き回ってみたりする。
そのうち、腰もヤバくなってきた。
そしてある日、突然に腰は大丈夫、となったら今度は喉が痛くてたまらない。
こりゃ風邪か、と風邪薬を飲むのですがいっこうに効きません。
それどころか風邪薬の作用かやたら眠くてたまらない。
くっと15分か20分昼寝でもしてあとは爽やかならいいけれども、どれだけ寝ても寝てもまだ眠れる・・という怠惰な感覚。
いや、これも厳密に言うと「眠い」という感じよりも、むりやり心臓の拍動だけ抑えられている感じで身体が疲れて眠い時の感覚ではないので、なんか気持ちが悪い。
そしてついには風邪薬の飲み過ぎで胃腸がやられました。
こうなると今度は眠れない。
眠れないので、今度は入眠剤を飲む。
もうこんな有様で、薬漬けの日々。
ついに喉の傷みだけではなく、ひどい肩こりの傷みとともに頭痛までするようになってしまいました。
こうなってみて、「そうだ、痛いんだから痛み止めだわ」と思い、ロキソニンと前に医者でもらってあった、筋肉弛緩剤のチザニンを飲んだら一発で治りました。
なんだったんだ・・
西洋医学はしょせん症状抑えだから、と敬遠気味でしたが、出ている症状を抑えている何時間かのうちにそこを自ら治す免疫力が働いて、その薬が切れたはずの時間にももう治っているってこと?
だったら、対症療法の西洋医学も捨てたもんじゃない。
結局は、自分の免疫力で治してる、ってことなんだからね。



さて、そんな感じで私が体調不良で苦しんでいる間、今度はダーリンが指を切ってしまいました。
毎日の皿洗いはダーリンの家事分担となっているのですが、ダーリンは皿洗いのときに包丁も研いだりしてくれます。
そのときによく切れるようになった包丁でスパッとやっちゃったらしい。
「シンクが血の海だったんだぜ!」
とアピる、アピる。
絆創膏を貼っても痛くてたまらない、指が曲げられない、とギャアギャアうるさい。
「どれ、ちょっと見せてみ?」
と見ると、全然たいしたことない。
こんな程度のもの、台所仕事してりゃあ1年に1回か2回はやるわさ、という主婦にしてみれば口の端でへっ、と笑い飛ばしたくなるような程度のものでしたわ。
まったく男って血を見ることに弱いんだなあ、とつくづく思いました。
しかし、ダーリンは
「これでもう当分、洗い物はできないな」
となぜか目を輝かせてのたまうのでした・・



そしてある日、今度は、
「えっこちゃ~ん! ちょっと来て! たいへん、たいへん!」
と2階から私を呼ぶ。
もうぉ、だから急いで動くのも私は悪寒と熱でしんどいんだって、という風邪がまっただなかだった日のこと。
なにかと思って行ってみると、
「足が曲がらん! 痛い」
と言う。
そう言いながらも、すでに自分でロキサニンハップを足首に貼り終えていました。
だったら私を呼ばなくても、もうそれ以上にやることなんてないじゃないの。
私なら、自分で出来ることはしたあとにどうしても自分ひとりじゃ出来ないことがあるときだけ人を呼ぶわ。
こっちだって風邪がひどくてしんどい、ってさっき話したばかりのときなのに、こっちの都合はどうでもいいのか? 自分のしんどさだけをアピっていいのか?とちょっとイラッとする。
そして、
「どうするの? 病院いく?」
それで私に運転して連れて行ってほしいのか? という意味で聞いてみる。
「・・・いや、そこまでじゃないみたい。もう少しこれで様子みるわ」
と言いました。
どうやら、久しぶりにゴルフに行って足首を使い過ぎたらしい、とのことです。
そのあともちょっとした動きで、
「ああっ!」とか、
「痛いっ!」とか
さんざ騒いでいましたが、全然見向きもしてやりませんでした。



それでね、つくづく思ったんです。
「健やかなるときも、病めるときも・・」って教会では誓いの言葉を言いますが、健やかなるときはいいですよ、そりゃ、自分が健康なら相手を思いやる気持ちも湧きます。
けれど、自分も病んでいるときに相手をそんなに思いやれますか、っつーの。
そりゃ入院だの手術だのってことになったら、そのときは「相手のほうがひどいんだな」ってわかりますけれど、日常生活のなかでちょっとしたことくらいだと、
「私ならそんなことで相手を呼びつけたりしない」
「私ならひとりで耐える」
「私ならそれでも家事をする」
とか思うと相手を思いやるどころか、相手の神経を疑うほうに気がいっちゃいます。
もう神経戦なんですよ。
相手と自分とどちらのほうがひどい状態なのかを見極めよう、ていう。
でも、どれだけ自分では見極めたつもりでも相手の態度がそれに準じたものでなければ腹が立つだけで一緒のことですしねぇ。
これからどんどん年齢を重ねていくわけですから、どんどんあっちが痛い、こっちが痛い、ということも増えていくと思われます。
そうなったとき、ほんとうに相手を思いやれるのか? ・・・疑問です。
これも1つの修行ですかね。

「サイゴンから来た妻と娘」を読んで  ~番外編 ベトナム人の食に対する貪欲さ~

2019-09-28 09:01:57 | 本と雑誌
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   「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
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<今後のワークショップ予定>


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場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
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[内容]
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 ・色の性質
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STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

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昨日で、この本を読んで感じたことをブログにするのは終わりかな、と思ったんですが、最後に1つ、番外編として、ベトナム人の食に対する貪欲さにたまげたいくつかのことをシェアしようと思います。
3日前の、「豊かさの概念について」のときにも書きましたが、ベトナムという国はメコンデルタの自然の恵みを享受した国です。
海外旅行に行くと、ステーキやフリットなどの動物性たんぱく質料理には事欠かないけれど、どうにも野菜不足になって困る、という声はよく聞きますし、私もそう思いますが、ベトナムは野菜も豊富ですし、肉ひとつとっても日常的に食卓に上るものして一般的なのは、日本なら牛肉か豚肉か鶏肉かぐらいですよね。
それがベトナムでは鹿肉、鳩、七面鳥、イノシシ、うずら、トカゲ、コウモリ、アルマジロ、亀、食用ネズミなどもかなり一般的だと言います。
これ1つの事実をもってしても、ベトナムがいかに食に対して貪欲で華やかであるかわかろうというものです。



こんなシーンがありました。
日本へやってきたベトナム人の妻が、
「あぁ、ベトナムが恋しい。あれが食べたい・・ あれを食べるためだけに一度ベトナムへ帰りたい・・」
とまで焦がれていたものがあります。
それはカー・ロックという名前の魚を蒸したシンプルな料理だという。
あるとき、夫婦は横浜の中華街をドライブします。
そのとき奥の細い道で、彼女は眼を輝かせて、
「カー・ロックがいた!」
と声をはりあげます。
それはなんと、雷魚のことでした。
雷魚・・・。
これです。


岐阜には「川島淡水魚水族館」というところがありまして、そこに「メコン川の仲間たち」というフロアがあります。
まぁ~、どいつもこいつも何を考えて生きてるんだか、いや、ていうか何んも考えてないだろうな、という顔をして、しかし獰猛そうな、いかにも古代魚って感じです。
なかでも雷魚は模様がアナコンダみたいで、まさに川の蛇って感じで薄気味悪いんですよね・・



それを喜びいさんで買った妻、店先のおばあさんがビニール袋に入れてくれただけだったので、生命力の強い雷魚は暴れて道路に投げ出されてしまいます。
それを棒でひっぱたき、夫も加勢して殺して持ち運ぶのかと思いきや、妻は鬼の形相で、
「絶対に殺しちゃダメよ! 味が落ちる!」
と叫んだのでした・・
私は最近では、刺身の活造りにも「しっかり殺してやれよ・・」(いや、あれは生体反応なだけでおまえはすでに死んでいる状態なのかもしれませんが)と眉をひそめる好々爺ならぬ好々婆ぶりですので、人間が食べるために命をいただくことになる動物たちはできるだけ速やかに苦しめず殺してやって欲しい、と思うのですが、この妻はおいしく食べるためにはそんなこたぁ、全く意に介さない。
そして気絶だけさせて車のトランクに放り込んで(水もないんですよ!)、なんと五時間。
ようやく家に帰ってからバスタブに水を張り、そこへ放り込むと雷魚は何事もなかったかのようにスイスイと泳ぎ始めた、というではありませんか。
いやもう・・ この生命力がついていけない、っていうか気持ち悪いんだって・・。
で、さらにそこから1週間、砂を吐かせるとかで餌も与えないまま生かして置いてようやく調理、それを
「おいしい、おいしい! あぁ、生きてて良かった」
とほうばれる強さは私にはないな、と思ってしまいました。



それからこれはほんとにショッキングなシーンだったのですが・・
あるとき、妻がうさぎをペットとして飼い始めたんだそうです。
いや、わかりやすいように「ペット」ともう言っちゃいましたが、著者いわく、ベトナム人の動物の飼い方は日本人が考える「ペット」とは違う気がする、だそうです。
もっと「家族」って感じなんだとか。
家族だからすごく可愛がるときもあるけれども、冷たく突き放すときもあるって感じなんだそうです。
ただ猫っ可愛がりするわけじゃないそうで。
そのうさぎを妻はたいそう可愛がり、うさぎも妻にたいそう懐いていたそうなんですが、あるときかじっちゃいけない布(妻の洋服だったかソファだったか忘れましたが)をかじっちゃった。
それを死ぬほど妻は折檻しました。
そして最後には、
「いい? 今度2度とこういうことをしたら、おまえを食べちゃうからね」
と言い聞かせました。
でも、またかじっちゃったんです・・ そのうさぎ・・
どうなったかはわかりますよね・・
妻は言ったことをちゃあ~んと実行しました。
ある日、夫が帰ってくると、血の海となったベランダから妻が明るい声で、
「今日はおいしいうさぎ料理つくるからね!」
と言っているのが聞こえましたとさ。



これは・・
日本人の感覚が甘すぎるんでしょうか。
よく牛や豚を育てている牧場の人が、「可愛くてたまらない」と言いながらも、出荷するときには、「おいしい肉になれよ~」と言って送り出す、というあの感覚に近いんでしょうか。
放牧民がヤギなどを連れ歩いて一匹ずつつぶしながら移動していく、というあの感覚でしょうか。
私にはこのベトナム人の妻の感覚は理解できません。
できませんし、理解できるようになりたいとも思わないんですが、こういうまったく民族として感覚が違う、というものを頭から否定するつもりもありません。
ただ、
「これくらいでないと、自分自身も何があっても生き抜く、というサバイバル能力は育まれないんだろうなぁ」
とはぼんやりと思ったのでした。



「サイゴンから来た妻と娘」を読んで  ~彼らのその後~

2019-09-27 09:01:04 | 本と雑誌
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場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
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[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
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STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
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この本を読み終わったあと、さて、この家族たちは今はどうしているのだろう? ということが気になりました。
というのは、最後にベトナム人の妻が夫である日本人の著者にこう問いかけるシーンがあるのです。
「ねぇ、私たち、これからどこで生きて行くの?」と。
それは、日本人である著者はベトナム人の妻と結婚した時点で、ずっとベトナムで生涯過ごそうと思っていたのだけれど、戦火でとてもそんな状態ではなくなったために日本へ来ただけだったからです。
だから妻もきっと日本は一時避難の場所であって、このまま一生この国で住み続けるわけではないのかもしれない、と思っていたふしもあります。
そして、
「国際結婚がうまくゆく秘訣は、妻の国で暮らすことだ」
と誰かに言われ、著者もそのとおりだと思ったし、なにも著者自身がずっと日本で暮らしたい、と願っているわけでもないので、いずれ落ち着いたら老後はベトナムに帰って暮らそうかな、と考えていました。
だから、著者は妻に
「おまえ、死ぬときはベトナムで死にたいか?」
とたびたび聞いています。
そういうことを何度も聞かれたら妻としては、「この人、私を連れてゆくゆくはベトナムに帰ってくれるのかな」と思うじゃないですか。
著者もあの肥沃なベトナムの地を愛しており、まんざらでもありません。
そして娘は、というと、日本に来てからは日本人になりきっており、将来は日本かパリで暮らしたい、と言っています。
これも著者を悩ませたことの1つでありました。
なにせ自分と妻はベトナムの血が騒ぐ、と言っているのに娘だけがベトナムで生まれたのに、完全に日本人になっており、ベトナムに帰る気持ちは毛頭ない、というのですから。
それならそれでまた諭しておくこともある、いずれ彼女とはじっくり話をせねばな、と著者は思っています。



さぁて、だからどうなったのかなぁ? その後のお話ってないんだろうか? と思ってちょいと検索したら、なんと! 
この著者である近藤紘一さんは、胃がんのため45歳という若さで亡くなっていました。
それは、この「サイゴンから来た妻と娘」が著された次の年でもありました。
その早急な展開にびっくりしたのでした。
まさか本人もこんなことになるなんて思ってもみなかったろうなぁ・・無念だったろうなぁ・・ いや、特派員としていろんな国を見て回っていると、逆に人の命の儚さが平和ボケした日本人より身に染みてわかっており、
「あぁ、俺の人生はここで終わりだったのかぁ」
ぐらいの感慨だったのかなぁ、とか色々考えてしまいました。



なんと言っても一番驚いたのは、彼がこの著書を著したのが、44歳だった、というその年齢についてでした。
15歳になるミーユンという妻の連れ子のことを全く子ども扱いし(当たり前かもしれませんが・・)、父親ならではの思いを馳せ、ろうたけた文章ときっちりとした視点を持った人物が、今の私よりずっと年下だったなんて! という驚き。



そして、妻と娘はその後パリで生活しているようです。
娘は希望どおりの人生を歩んだわけですね。
そして母として、著者の妻はその娘について自身もパリへ飛んだのでしょうか。
なんだか、人生ってほんとに不思議だなぁ、面白いなぁ、どこでどうなるかわからないなぁ、と感慨深く思いました。
いやね、私自身、これから先、どこで生きて行くかわかりませんよ、というつもりはありません。
やっぱり、どこに住みたいか、ということは本人の意志ですからね、私はフットワーク軽く地球上であればどこででも生きて行ける、どこへ行っても構わない、とは思っていませんので。
まぁね、そりゃあ難民にでもなって否が応でも、となればどうなるかわかりませんが、根がずぼらなので、自ら腰をあげて根無し草のように色々な土地で暮らしてみたい、いろんな国を見てみたい、とは思っちゃいないんです。
私はこの先もきっとこの岐阜の地で生きて行くことでしょう。



そして最近では、東京や大阪へさえ、セミナーや講座などで出かけることも少なくなってきました。
以前は、オーラソーマのティーチャーになるためにイギリスまでひとりで行けたんだったら、日本国内なんてどこへだってへいちゃらだわ、という感覚だったのですが、最近めっきり腰が重くなってしまいました。
それは何が何でもこの講座を受けたい! どこでやっていようが行きたい! と熱望するようなものがないからかもしれません。
いや、世の中に魅力的な講座が少なくなったなぁ、と言っているわけではありません。
そういうものはいっぱいあると思いますよ。
ただ、今は私の魂が騒がないだけです。
この先、またオーラソーマのように出会いがしらにハートを持って行かれる、というようなものに出逢ったら、またどこへでも出かけてそのことについて深く知りたい、と思う時があるのかもしれません。
でも、なんとなくね・・ 
なんとなくですが、もうそういうことは私には起こらないような気がします。
なぁ~んて言っておいてまたキャピキャピとどこへでも受けにいくような生活していたら今日書いたことが恥ずかしいので、書かずにおいたほうが身のためだったかもしれませんが、まぁそのときはそのときで素直に撤回いたします。



以前にこんなひとりよがりなブログでも楽しみに読んでくださっているという方から、
「えつこさんのどんなところが好きなのか考えてみたんですが、いろいろなところへ出かけてそれを血肉としているところ」
というようなことを言われたことがありまして、それも1人ではなく、複数の方に言われたんですね。
そのとき私は、
「え・・ 私の魅力ってそこなのかぁ」
と少し意外でした。
自分ではむしろ、1つのところに落ち着かず、いろんなセラピーやらヒーリングにハマって行く自分をたしなめなくちゃ、と思っていたくらいでしたから。
ですので、今後はもうそんなに講座を受けにあちこちいかないでしょうね、なんて書くとそういう人たちをがっかりさせちゃうなぁ、なんてその方たちの顔がチラと浮かんだりもします。



ただ、思ったのはね、人は自分の内面と向き合おうとしていろいろともがき、そしてその都度「今の時点ではこれが答えかな」というものに出会っていくのだけれども、自分の内面と向き合うのだから、毎日ひたすら瞑想でもしていればよい、人と会う必要もどこかへ出かける必要もない、としてほんとうにそれで気付くことのできる人というのは、それまでに相当修行を積んだ人でしょうね。
多くの場合は、自分の内面と向き合うために自分ひとりだけ精進しようとしていると煮詰まり、そして外へ出ていき、
「こんな世界もあるのか!」
と驚愕し、そこで初めて自分がよく見えるようになったりして気付き、そしてまた外の世界に疲れ、少し自分だけの世界に入り・・というような繰り返しではないのかなぁ、と思います。
私の場合でいうと、自己探究や自己受容のためにストレートにそれをセラピーという形で吸収し、発信することについては1つの時を終えた、という感じがしています。
また私は全然違うことから気付きたくなっている。
それが何なのか?
だいたい自分の中では答えが出ているのですけれどね、なぁ~んて思わせぶりなことを書いて今日は終わります。
ただ、旅は死ぬまで終わらないのだ、ということだけは身に染みてわかるような気がしています。





「サイゴンから来た妻と娘」を読んで  ~日本は後進国~

2019-09-26 09:01:20 | 本と雑誌
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さて、昨日は「サイゴンから来た妻と娘」 著:近藤紘一 を読んで、自然環境の違いがもたらす国民性について考えさせられたことについて書きました。
では、それほどに価値感の基準が違う人たちが同じ土俵で話し合うためにはどうしたらよいか? というと結局は国連などのグローバルな公の場での基準に従うしかないのでしょう。



私は実は、(実は、などと別にもったいぶらなくてもいいのだけれど)、鎖国論者です。
いや、鎖国にしてしまえばいいじゃないか、と言ったとて、それは現実的ではないし、そうしたらデメリットもあることもわかるし、これからの世の中、生きて行けないだろうからしょうがなく外国とは付き合っていかざるを得ないのだろうけれど、もし日本が豊かな資源を持っていて、いや、少なくともオーストラリアやカナダのように食料自給率が高い国であれば、マジで北朝鮮やら韓国やらのキケンでエキセントリックな輩とは付き合わずにもっとバシィ!と彼らをぶったぎり、鎖国でもなんでもかまわないじゃないか、と思っているくらいなのです。
しかし、それって品格の高い国がやってこそカッコいいわけじゃないですか。
でも、昨日も書きましたが、
「日本に比べたらベトナムは民度が高い」
とかそんな考えは驕りだな、とつくづく思いました。



本の中ではサイゴンが陥落して、
「自分たちはこれからどうなってしまうのだろう?」
「殺されてしまうのではないか?」
「もうこの国では生きて行けない」
と思ったベトナム人たちが、外国へ逃げようとしました。
そのとき、著者の周りのベトナム人たちは口々に
「日本へ行きたい。日本人は親切だから、きっと日本にたどり着きさえすればあとはなんとかなるだろう」
と言った、といいます。
こう著者にベトナム人たちが漏らしたのには、ひとえにこの著者の人格に打たれてひいては日本人全員が親切で優しい人たちなのだろう、と勘違い(?)してくれた、ということが大きいでしょう。
しかし、難民たちが日本に来て、実際どうなったか――――。
私は彼らのその後の行く末を思うと、ほんとうにすまなかった、もうしわけなかった、という気持ちになりました。



ご存じのとおり、日本ほど難民たちに冷たい国はありません。
難民そのものを受け容れることについての是非をここで語るつもりはありません。
記憶に新しいところでは2015年から難民を積極的に受け容れることにしたドイツの苦悩やらそのひずみについての問題もありますし、ますます日本政府は難民を受け容れることに対しては引け腰でしょうしね。
これで万が一北朝鮮と韓国が手を結んだりしたら、あぶれた韓国国民がどっと日本に来るのではないか、という戦々恐々もありましょう。
それらの問題はひとまず脇へ置いておいて、私がここで問題にしたいのは、日本政府のその難民を受け容れない理由について、です。
この本では『公式筋が口にするのは』という書き方をしているので、あくまでも特派員という立場にあった著者が大使館筋などとも懇意にしていて得た情報ということで、正式に公文書となっているものではないでしょうが、びっくりしました。
① 日本には従来難民や亡命者の取り扱いを規定した法律がない。
② 仮にどこか一か国の難民を受け容れたら東アジアや東南アジアの強権国家からも人がどっと押し寄せ、ただでさえ人口が多い日本はあっぷあっぷになってしまうのではないか。
③ 日本は古来単一民族、単一文化の特殊な国なので、たとえ難民を受け入れたとしても彼らが日本の社会に溶け込めず、かえって不幸を強いられるようなことになりはすまいか。



この、①と②はまぁ置いておくとして③の理由はあまりにもひどすぎやしないか、と誰もが思いませんか?
詭弁を弄するにもほどがある。
てか、ほっとけ、そんなこと。今、我々は亡命せざるを得ない状況なんだからそのあとその国に溶け込めるかどうかなんて、アンタたちに心配してもらうようなことじゃない! と難民は言いたいでしょうね。
日本が言っていることはあまりにも卑怯だ、と思いました。
現在私たちが享受している文化の多くは、多民族社会の異なる文化や価値観の血みどろの戦いの中から生まれ、養われたものです、そして私たちはこの上澄みだけを輸入し、近代国家を名乗っています、子どもたちにも「これからはグローバルな眼をもった国際人になれ」とことあるごとに教えています、としながらその一方で単一民族、単一文化の特殊性を口にするのは、
「私たちはこの世界からおいしいところはいただきますが、苦しいこと、辛いことは分担いたしません」
と堂々と世界に向けて言い放っているようなものだ、ということを本のなかで著者も書いておられます。
日本の世論はベトナム戦争中、熱烈に他国の解放闘争を支持し、その反面、武器の部品やモーターバイクや電気製品をしこたま輸出して得た繁栄を直接間接に享楽することに何ら疑問を感じませんでした。
おまけに戦争が終われば、すべてを米国と旧政権の腐敗ぶりに押し付け、
「私たちは単一文化国家ですから他人の事は知りません」
では、諸外国もそりゃ
「この国とはまともな外交なんてできないな・・」
と口をあんぐりして日本を経済的には先進国の仲間入りと認めても、ほんとうの意味での世界のなかでリーダーシップをとれる一員の国として認めたくなくなっても当たり前でしょう。
いや、もうはっきりと言います。
日本は先進国なんかじゃありません。
後進国ですわ。



私はこの著書のなかの次の言葉にハッと胸を打たれました。
「国民は自分のレベル以上の政府をもてない。逆にいえばそれ以下の政府だって持てない」
つまり、政府の役人たちが井の中の蛙で世界では通用しないな、とため息をついているのは、まさに自分そのものの鏡である、ということです。
安倍政権を批判したって、
「結局、でも誰がやったって同じでしょ?」
と知ったかの顔をしてしたり調で言うのだけはやめたいな、と思ったのでした。






「サイゴンから来た妻と娘」を読んで  ~豊かさの概念の違い~

2019-09-25 09:01:29 | 本と雑誌
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「サイゴンから来た妻と娘」 著:近藤紘一
この本、友人が、
「この人の筆致が一番好きだ」
と薦めてくれたので読みましたが、ま~、ぶったまげた。
陳腐な言い方ですが、“あまりのカルチャーショックで”。
著者については「サイゴンの1番長い日」を書いた人だ、と言えばあぁ~、とわかる方がいらっしゃるかもしれませんが、この著者のファンだ、という人はたいていこちらの「サイゴンから来た妻と娘」のほうを挙げるようですね。
この本はベトナム戦争のさなか、サイゴン特派員だった著者がベトナム人の女性と結婚し、ベトナムに住み、その後東京に住み、という間にあった日常生活を描いたものですが、ベトナム人のものの考え方やベトナムという国の風土、政治などについて深く考えさせられました。



本の最初の頃に、ベトナム人たちの生活ぶりの一端がうかがえるような箇所があります。
それがまぁすさまじい。
ベトナムでは生活力のある家長が一族郎党を養ったり面倒をみる、という風習があります。
うへぇ、コバンザメのような奴らがくっついてくるのかよ、と思いますが、その代り家長の権限はものすごい。
言っておきますが、この家長とはあくまでも一族のなかでもっとも“生活力がある”と認められた人のことですので、なにもそれは男性であるとか一番年長者であるとかとは限らないのです。
女性で、年若の人間かもしれない。
でも、いったんその人が家長となったら、年長者であろうが、男性であろうがこてんぱん。絶対服従です。
家族がなにかやってはいけないことをしたり、家族としてのルールを犯そうものなら「殺す気か・・」というほど文字通り打ちのめします。
自分の腕力では足りないとなったら、なんでも使います。
本のなかではナタを持ち出す場面があり、それには本当にびっくらこきました。
なんとか他の人間がとめて事なきを得たのですが、これ、止めなかったらマジでそのナタ振り下ろしていたのか、と思うとぞっとします。
いやいや、それは「お決まりの儀式」のようなものじゃないのぉ? と疑う方がほとんどでしょうね。
止めに入る人間がいることを見越してのナタではなかったのか、と。
でも、本を読み進めていき、ベトナムの人の気質を知るにつけ、いや、それはないな、と思えます。
本気でそのナタ、振り下ろす気だったんだろうな、と。
もちろん、それで自分が殺人の罪を着ることになるのは望んではいないでしょうが、死ぬほどそいつを打ちのめしてやりたい、いや、結果的には死んだってかまわない、と思っているのは間違いないだろうな、と思えます。
この熱さ、日本人にはないものだよな~と思うと恐くなりました。



と、同時に私は本のはじめ、そのあたりを読んでいるときには、
(こりゃ、民度が低いんだわ)
と思っていたのです。
まぁ、この本自体が、1978年、今から40年以上前に書かれた本ですからね、その当時のベトナムは今のベトナムより確かに民度は低かったかもしれませんし、私のなかにベトナムより日本の方が文化的にも人のマインド的にも進んでいて当たり前、という奢った気持ちがあったのですね。
事実、著者の近藤さんさえ、特派員としてベトナムに訪れた頃はベトナムやベトナム人のことをそう思っていた、という記述があります。



けれどそれは次にこんな箇所を読んでふっとびました。
ベトナム戦争のさなかに特派員として赴任した著者は、ベトナム人たちの生活はさぞや疲弊し、食べ物もろくに食べていないのだろう、と思った、と言います。
そりゃそう思って当然でしょう。
日本が第二次世界大戦によってどれだけ国土が荒れ、庶民は食べ物に困ったか、を知っていますから。
私自身も身を持って経験しているわけではありませんが、両親がよく
「あの頃は食べ物がなくって、芋のツルの薄い味噌汁ばかりを飲んでいたねぇ」
などと言っていたので、いったん戦争というものが起こったらいかに物資に不足するかということは当たり前の当たり前、常識のなかの常識だと思っていました。
日本がほんの数年の戦争でそうなったのだから、四半世紀も戦乱のなかにあるベトナム人はさぞや食うや食わずの生活をしているのだろうと著者も思っていたわけです。



ところがいざベトナムに来てみるとベトナムの人たちは芋のツルの取り合いで殴り合いの喧嘩なぞしていませんでした。
それどころか、それはどう見てもまだ食べられる部位なのでは、というものまで、相当な貧乏人であっても
「ここはまずいから」
と言って平気で捨てていました。
都会でも地方でも米も肉も魚も野菜も果物も山のように売っていました。
どう見てもベトナムは戦争と飢餓は一蓮托生の道連れではありませんでした。
むしろこれほどまでに食べ物が豊富だったからこそ、これほど長い間の戦乱にも耐えられているということなのか、と思わせられるほどでした。
とにかくメコン・デルタの自然の恵みは圧倒的でした。



あるときなぞ、1人の知人が著者に
「俺の村では釣らなくても寝ていれば魚は獲れる」
と言うのでどういうことだ? と著者はその様子を見せてもらいに行きます。
すると小さな川に網をひっかけておいて、彼はその横の道端で寝そべり、昼寝をはじめました。
かれこれ30分ほど寝るとおもむろに起きて、網を引き上げました。
するとその中にはナマズ、小魚、エビなど彼の一家が1日では食べ切れないほどの釣果がありました。
こんなことを2,3度も繰り返せば1週間ぶんほどの食い扶持はすぐに調達できます。



働かなくても十分に食べることができる、という自然環境のなかで生まれ育つということは日本人の価値感やものの考え方とは相いれないものがあって当然でしょう。
これは厳然と「違う」というだけのことであって、どちらが良い悪いではありません。
ただ、もう歴然と「違う」のです。
日本人は「労働は美徳」だと思っているところがあります。
げんに「働かざる者、食うべからず」という言葉もありますね。
日本は労働を美徳とするから、汗水たらして必死の思いで稼いだお金を大事に使わなくては、という概念もあります。
だからこそ節約や質素が美徳とされるわけですが、ベトナムでは働かなくても食べるくらいは何も困らないわけですからそもそも労働が美徳ではありません。
働かなくても食べられるということは怠惰にもなります。
でも、だからベトナムでは怠惰も悪徳ではありません。



この決定的な概念の違いを前に、「ベトナムは民度が低い」なぞと日本的価値基準で断罪して良いわけがなかろう、と思いました。
もし、戦争や政治的な侵略などで国が疲弊した云々が関係なかったとしても、この自然環境の圧倒的な違いが人の心に及ぼす影響を考えたら、日本人の価値判断などただの貧乏性だ、ということなだけかもしれません。
現に地域的にみても、人口的に見ても、アジアのなかで日本のほうが少数派なのだ、ということは肝に銘じておいた方が良いのではないか、という気がしてきたのでした。



ベトナム人はこれだけ豊かな自然の恵みの恩恵にあずかり、しかもその侵略が支配の歴史からフランス料理も中華料理も、世界のあらゆる美食と呼ばれるものがあるなかで、当時、日本人を見ると、
「俺たちは貧しい。苦しくてとてもやっていけない。日本人は金持ちなのにどうしてもっと俺たちを援助してくれないのか」
と議論を吹っかけてきたと言います。
そう言う当の本人が日本の金持ちよりよほど豊かなものを食べていても、です。
もちろん豊かさとはそこが食材の宝庫かどうかだけで判断するものではありませんから、それをして、
「何を言う、あなたたちの方がよほど豊かではないか」
と切り返すことはできないにしても、もうこれは「豊かさ」に対する価値基準が日本人とは全く違うところに設定している人たちの話なのだ、ということを踏まえて議論しなくてはいけない、と思いました。
では、どこに公正な価値基準を置くのだ? と言われれば、それは国連など世界のグローバルな場での常識を持ち出さなくてはしょうがないという話になりましょう。
その点について、また思ったことがありますので、それはまた明日にいたします。