今日も昨日に引き続いてのお話となります。
自分でも昨日のものを読んでいて「なんだか説明しきってないなぁ。わかりにくいなぁ。」と思ったものですから。
ならばいっそ、ええぃ、今年最後の日でもあるし、全然別の話題を書くよりはきちんとこれについては書ききって今年の締めくくりっていう事にしよう、と思いました。
昨日は「心がいつも安寧でいられるためには、何か“絶対的に”畏れ、敬う存在があったほうが良いように思う」ということを書きましたが、要はこの地球上で生きていく限り、私たちがどうあるべきかは自分自身が考えることだ、と思っていらっしゃる方がほとんどでしょう。
けれど本当にそうなのかな・・?と思いました。
例えば会社には社長がいて、その会社の社則やルールがあります。
そしてその会社の従業員として生きていくと決めた以上、その会社の社則やルールを守って生きていきます。
そのときあなたにとっては上司や社長が“畏れ”“敬う”存在ではないでしょうか。
「いいや、そんなことはない。全然上司なんて社長なんて尊敬できない。」という方もいらっしゃいましょう。
でもどこかでその会社が社会に貢献しているサマに納得していないと、その会社の従業員としてはやっていけないでしょう。
時間と身体を売ってるだけだよ、とうそぶく人もいるかもしれませんが、究極的に会社や上司のことを「サイテーな奴ら!」と思うのなら、いつかはそういう人はその会社を辞めることになるように思います。
反対に会社が好きで、社長が好きで、上司が好きなら幸せですよね。
私は学校を卒業して最初に会社に勤めていたときには、まさに「おやじサラリーマン」でして、毎晩のように同僚と会社近くの居酒屋に立ち寄っては、「まったくあの上司はなっとらん!」とか、「今度のあの組織はなんだ? おかしくないか?」なんて口角泡飛ばして語ったりしました。
でも自分でわかってもいました。
ぺーぺーの平社員だから言いたいこといってくだ巻いていられるんだ、ってことが。
会社においては絶対的に上に立つ立場の人のほうが色んな苦悩を抱えているし、辛い。
もうそれは間違いないと思います。
ある意味、愚痴ったり、体制批判したりしてそれを肴に酒を飲んでいられるってことはめちゃくちゃ幸せなことでした。
そして自分でも批判しながらも、そんなことならもうこの会社辞めてやる!というほどの決定的なものでもなんでもない、ということをわかっていました。
どこかで会社は好きだし、上司も好きだったんですね。
この地球上に生きている限り、それと同じことではないかと思うんです。
会社がこの私たちが生きている地球だとしたら、社長は誰にあたるんでしょう?
やはりそれはこの世の創造主、「神」と呼べる存在になるのではないでしょうか。
ならば小さいことでは「は? なぁに? このルール・・」とか「おかしくね?」なんて思う部分もあっても、その「神」を畏れ、尊敬する気持ちが沸き起これば、そこから出される「ルール」については一応守っとこう、と思うのではないでしょうか。
昨日、ムスリムの人が「コーランに書いてあることならひたすら守るだけ」という行動をするとしたら、「なぜ豚肉は食べてはいけないのだろう?」ということについてそんなに詮索することなく、「この会社のルールなら守るだけさ。」ということなんじゃないかな、と思ったわけです。
理由のわからないルールをただ守ることに不自由さを感じることもあるかもしれませんが、それ以上に「ルールがある」「決められたものがある」それに付き従っていさえすれば自分が完璧な存在ではなく、人類以上に賢く絶対的に信頼できる存在がある、ということのほうがその不自由さなんて吹き飛ばすほどの心の平和を生むのではないかと思いました。
日本人には雲や山などの自然にも神が宿るという考え方の道教は受け容れられやすいと言います。
でも、それはあくまで概念上のことであって、現代ではもはや形骸化しているのではないでしょうか。
太古の昔なら豊作を願い雨乞いの儀式などがありました。
それは本心から、そういった儀式をささげれば天に宿る神がそれを聞き届けて下さったときには雨を降らせてくれる、と信じていたからでしょう。
しかし、現代ではもはや雨が降ることはそんな問題ではない、科学的に説明できることさと割り切ってしまっています。
家を建てるときには必ず神主さんを呼んで、ここに家を建てますがこの土地が災いが付いているものではありませんように、と「地鎮祭」を行いますが、本当にこの儀式によって何やら悪い霊が土に宿っていたかもしれないものが祓えるのだ、と信じている人がいったいどれだけいるというのでしょう。
私は本気で雲や山や土地などの自然物にもそれぞれ神が宿ると信じていた昔の人のほうが幸せだったのではないか、と思います。
だって、それらを本気で“畏れ”“敬っていた”のですから。
雷がとどろいたり、嵐が吹き荒れたり、日照りが続いたりしたときには、それは「神の怒りを買ったのだ」と思ったことでしょう。
でも自分たちの行為の何が神を怒らせたのかはわからなかったに違いない。
わからなかったけれども、自分が完全ではないことを知っていたから(これは聖書で言うところのアダムとエバが原罪を背負ったから、それ以降の人間たちはすべて不完全な存在なのだ、という意味ではありません。誰もが自分のやることを常に完璧だとは思わないでしょう、というほどの意味です。)、至らぬ私はもっと努力しなくては、そうすることによって神を喜ばせなくては、と努力したのではないでしょうか。
聖書のペンタチュークと呼ばれる最初の五書の部分には、実にいろいろな「はぁ?」という神のルールが書かれています。
これについてはイエス・キリストの死をもってすべてあがなわれたので、現在では生きていないルールだとは言われていますが、だからといって全く無視してよいというものではなく、神の考え方の原則を学ぶために良いものであって、確かハシディック派のように厳格に昔の通りの生活をしている人たちなどはこの部分に書かれているルールもすべて今でも守っているはずです。
その「はぁ?」というルールのなかには、一昨日の「あるムスリムの食事」にも書いたように「獣のなかでもひづめが分かれているものは食べてよい。豚はひづめが分かれ、完全に割れているが、全く反芻しないので汚れたものである。これらの動物の肉を食べてはならない。(レビ記)」というように「なんで反芻しないと汚れたものなの?」というように意味がわからない律法が山ほどあります。
そしてそれらの中には理由を説明してもらうと「あぁ、そういうことか。」と納得できるものから、理由そのものが解明されていないものから、理由を聞かされても納得できないものまでさまざまな律法が混在しています。
ちなみに「反芻しないので汚れたものである」というのは、雑菌がその動物の体内に入った場合でも、反芻しているうちにこなれるので牛のようにいくつも胃袋があるものは何回も回数をかけて菌さえ消化していくから大丈夫だ、という意味だったようです。
だから雑食なのに反芻しない豚はダメだ、と。
これなどは昔の衛生状態がよくないうえに、治療の方法も確立していなかった時代では律法を守ることにより人間を神が守ってくださったのだ、ということになりますね。
しかし、納得できないものも多い。
納得できないものが多いからといって、「なぁんだ。もうこんなもの読むのはや~めた。」と今のところ、私はなりませんでした。
そうならなかった自分が、自分で本当に不思議で仕方がありませんでした。
いったい何に操を立てて私はいまだ聖書を読もうとしているんだろう、と思いました。
それは聖書に書かれている「神」が、親や信頼できる会社の社長のように、何を言っても必ずその発言は子どもやその部下のためを思って発せられたものだ、ということがうっすら信じられるからではないでしょうか。
そして、何となくですが心が安寧でいられる自分がいることに気付きました。
私はなんの宗教団体の信者でもありませんが、こりゃあやはり“絶対的に畏れ敬う存在”がいるのだ、と常にその存在を意識しながら暮らした方が人間は幸せなのではないのかなぁ、と思い至ったわけです。
なんの根拠がある話でもありません。
なんとなぁく、そう思っただけです。
大げさにいえば、子どもが母親の腕のなかで安心して眠るように、人類そのものが神の庇護のもとに生きているのだ、と思ったほうが心安らかではないか、というほどのことです。
さて、私はそのようにして心安らかにこの1年を終わろうと思います。
皆さまもそれぞれに心安らかにお過ごしくださいませ。
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☆色で健康になる
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パステルアート、表現アートセラピーなど五感を刺激するあらゆる手法を使ってその日のテーマをより深く掘り下げます。
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*自分の記憶につながる香りを作る。
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でも、それはあくまで概念上のことであって、現代ではもはや形骸化しているのではないでしょうか。
太古の昔なら豊作を願い雨乞いの儀式などがありました。
それは本心から、そういった儀式をささげれば天に宿る神がそれを聞き届けて下さったときには雨を降らせてくれる、と信じていたからでしょう。
しかし、現代ではもはや雨が降ることはそんな問題ではない、科学的に説明できることさと割り切ってしまっています。
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私は本気で雲や山や土地などの自然物にもそれぞれ神が宿ると信じていた昔の人のほうが幸せだったのではないか、と思います。
だって、それらを本気で“畏れ”“敬っていた”のですから。
雷がとどろいたり、嵐が吹き荒れたり、日照りが続いたりしたときには、それは「神の怒りを買ったのだ」と思ったことでしょう。
でも自分たちの行為の何が神を怒らせたのかはわからなかったに違いない。
わからなかったけれども、自分が完全ではないことを知っていたから(これは聖書で言うところのアダムとエバが原罪を背負ったから、それ以降の人間たちはすべて不完全な存在なのだ、という意味ではありません。誰もが自分のやることを常に完璧だとは思わないでしょう、というほどの意味です。)、至らぬ私はもっと努力しなくては、そうすることによって神を喜ばせなくては、と努力したのではないでしょうか。
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その「はぁ?」というルールのなかには、一昨日の「あるムスリムの食事」にも書いたように「獣のなかでもひづめが分かれているものは食べてよい。豚はひづめが分かれ、完全に割れているが、全く反芻しないので汚れたものである。これらの動物の肉を食べてはならない。(レビ記)」というように「なんで反芻しないと汚れたものなの?」というように意味がわからない律法が山ほどあります。
そしてそれらの中には理由を説明してもらうと「あぁ、そういうことか。」と納得できるものから、理由そのものが解明されていないものから、理由を聞かされても納得できないものまでさまざまな律法が混在しています。
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