ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

じゃあ~ん!!

2012-05-31 09:08:00 | 身辺雑事

プロアクティブというにきび専用化粧品のテレビCMをご覧になったこと、ありますか?

結構前からかなりの量を流していると思うので、何か特定の番組を見ていないと目にしたことはない、ってモンでもないと思うんですが・・

まぁ、地域によって差もあるかもしれないので簡単にどういうCMかご説明しますと。

髪の長い女の子が、ひとりごとで「先輩、ショートヘアの女の子が好きなのかぁ。でもなぁ・・」とつぶやきます。

彼女はにきびがあるためになるべく顔が隠れるようなヘアスタイルのロングを選択しており、にきびがあるかぎりは髪を切れないなぁ、と思っているからです。

そこへプロアクティブを知り使うとたちまちきれいなお肌に!

そしてショートにし、軽やかに駆け、先輩のいる部室へ。

そして「じゃあ~ん!」と言って登場し、先輩に自分がばっさりと髪を切ったことをアピールするのでした。

CMは先輩が「あ・・」と軽い驚きの声をあげるところで終わりです。

まぁ、なんてことない普通のCMなんですけど。

っていうか、たいていの人にはなんてことないCMのはずなんですが、わたくし、このCMを初めて見たとき、軽く衝撃を受けました。

それは「じゃあ~ん!」の部分に、です。

こういう素直さっていいなぁ、と思って。

若い頃、わたしにこの素直さがあったらなぁ、って。

また人生変わってたかもなぁ、なんて。

先輩はショートヘアの女の子が好き→だから自分は射程外。

髪を切ってショートに!→「どう、見て! ショート好きでしょ?」→だから自分は射程内に。

この単純な図式に対して、みえみえの「じゃあ~ん!」が言えるのって可愛いじゃあありませんか。


いくら単純な女の子でも、先輩がショートヘアの女の子なら誰だっていいとまでは思っていないことはわかっているでしょうから、ここでの「じゃあ~ん!」は、「これで先輩、わたしのこと好きになるでしょ?」というまでの極端なものではありませんよね。

「見てみて、どう、似合ってるでしょ?」の「じゃあ~ん!」ですよね。

「じゃあ~ん!」のテンションは、相手が、「お! ほんとだ。可愛いじゃん。」という返しをして初めて成り立ちます。

「??? それがどうした。」とか「うっそ。きもいなぁ、おまえ。全然似合ってないぞ。」という反応だったらめっちゃ傷つきます。

私が小さい頃からずーっとこの「じゃあ~ん!」が出来なかったのは、そういう相手の反応を恐れていたからなんだなぁ、つまり、自分に自信がもてなかったからなんだなぁ、ということに気づきました。

どこまで自分を卑下してたんだ、というほどに。


「じゃあ~ん!」は何も髪を切ったときばかりではありません。

いろんなシーンで「じゃあ~ん!」はありえると思います。

そのすべてで私は、これは世のなかの人誰がどう見ても100%確かに「じゃあ~ん!でよろしおすな。」という確信がないと、「じゃあ~ん!」はやれない子どもだったのです。

逆に言えば確信犯としての「じゃあ~ん!」はまれにあったので、相手は「すごく自信に満ちた人なのね。」ということになり、周囲の人はみんな私をそういう目で見ていたと思います。

例えば小学校のとき、こんなことがありました。

修学旅行から帰ってきて、「修学旅行記」をまとめてレポートとして提出しなくてはいけない、という宿題がでました。

何かの感想文ではありませんから、これはある程度の分量が求められます。

内容はともかくとりあえずたくさん書いてあったほうが、修学旅行で行った先々のことをくまなく観察し、そこで説明があったとすればそれも聞き漏らしていない、という証拠になるわけですからね。

その宿題に対して当時の私はたいそう長いレポートを書き上げました。

これだけのものを提出したらこれはもうクラスで1番だろう、と思われました。

しかし、誰がどういうものを仕上げているかはわからないのでそれだけでは確信がもてないわけです。

つまり自分がやりとげた!という充実感があればそれでいいじゃないか、という絶対評価ではなく、人と比べてあぁ、確かに自分が一番ボリュームのあるレポートを仕上げたな、という相対評価が欲しいわけです。

次の日学校へ行くと、教室中が「おまえ、どれだけ書いてきた?」とか探り合ってざわついていました。

ひとりのクラスメイトが「ねぇねぇ、えっちゃんはどれだけ書いてきたの?」と尋ねます。

この段階でまだ確信がもてない私は、「う~ん、そこそこ。」というぐらいの返事しかしないわけです。

ここで「じゃあ~ん!」をやるのが可愛い子どもでしょうに。


そしてまた別のクラスメイトが「ねぇねぇ、○○ちゃんは原稿用紙に○○枚も書いてきたんだって!」と報告にきます。

私はそこで初めて確信を得ます。

    ○ちゃんが○○枚なら、それを上回るほかの人はもういないだろう。

そう思った時点で初めて、「じゃあ~ん」なわけです。

それもなんてことない、って顔を装って、「わたしさ、××枚だよ。」ってさらりという。

「え~! エッちゃんのほうがすごいんだぁ。」なんてクラスメイトのほうからその反応を見たいんですね。

やな子ども。可愛くな~い。

周囲の評価は自分の自分に対する評価ともなってはねかえってきて、私は自分のことを「自信に満ちたタイプ」だと勘違いしてきました。

しかし、事実はその逆で、自信がないからこそ、そう簡単には自己開示できないぞ、してはならぬというタイプだったわけです。

その生き方のクセのようなものは今でも続いているように思います。

よほどの自信があることや確信のあることしか、「じゃあ~ん!」はできない。

でもここまで人生折り返し地点過ぎたら、いいかげんもう可愛く生きたい、と思うようになりました。

人にどう思われたっていいじゃない。

「じゃあ~ん!」をやったあとに、「?? 何その程度のことで息巻いてんの? もっとすごい人いっぱいいるよ?」であってもいいじゃない。

絶対評価を大切にすれば。

自分にとってどこからどこまで歩いてこられた結果、自分をほめたいだけだもん。

もっとすごい人、そりゃあいるでしょうよ。

小学校の頃、自分のクラスが世界のすべてだと思っていたように世界が狭いものだとは今は思っていない。

上には上がいる、ってことは十分にわかっている。

だからどこまで行ったって、どのみち相対評価では「じゃあ~ん!」はできなくなっちゃう。

でも自分にとって自分が「頑張ったね」と思えれば、どんどん「じゃあ~ん!」をやっちゃいたい。

そしてその出来はともかく、「じゃあ~ん」をやってるということそのものを、「ふふ、あんたって可愛いわねぇ。」と許してもらえるようなキャラクターになりたい、と思っています。








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教える人が教えられる人より上手である必要はない

2012-05-30 09:07:00 | 身辺雑事

先日、いつものように楽しくパステルアート講座を開講しました。Photo

そのなかの1人の生徒さんは、少し前に「母の日」だったので、仲間が集まったときに「パステルアートを母の日のプレゼントにしない?」という提案をし、「それ、どうやって描くの?」というパステルアートを知らない人たちに、一緒に描きながら描き方を教えてあげたんですよ、という話をしてくださいました。


まぁ、描き方っていったってそんなたいそうなことがあるわけではありません。

パステルをそのまま使わずに、一度カッターナイフで削り取り粉にし、それを指先につけて直接画用紙に描く、というだけのことです。

あと、あえて言えば、すべての基本は「円」ということと、嫌いな色は使わない、ということぐらいですかね~

そして、彼女はまず「円ってこうして描くんだよ。この組み合わせだけでも結構いろんな絵がかけるから。」という1例を見せてあげた。

するとそれだけでそのお仲間達は実に上手に絵を描いた、ということです。


私も見せてもらいましたが、「ほんとにこの人たち、パステルアート、初めてだったの!?」とびっくりするほどの出来栄え。

「母の日」のギフトとして、というテーマだったので、ということもありますが、実に皆さん器用にお花を描いてらっしゃる。

その生徒さんも、

「何だか私が一番下手みたいで、ちょっと愕然としちゃった。私は習ってて、こんな程度なのに~って。」

でも、パステルアートは、「上手」「下手」は問題じゃないんです。

っていうか、どれを見ても「こちらのほうが上手」「こちらは明らかに下手」というような優劣がそもそもつけにくいし、つけることに全く意味がない、っていうことが誰の目からみても明らか、っていうか。

「でもね。」とその次にその生徒さんがおっしゃった言葉に私は目を見張りました。

「上手、下手は問題じゃないんだ、ってことがあらためてわかりました。」

ふむふむ。

「これは、自分の内面を開示するってことが重要ですもんね。」

そのとおり。

「これから資格がとれたら、私も教えていくことになると思うけれど、思うに、逆に私が明らかに上手だったら、生徒さんには変に“目標”ができてしまうものね。『あの上手な先生のものより、うまく描きたい。』っていう。そういうものが目標になっちゃいけないものだと思うから。決して、インストラクターのほうが生徒より上手い必要なんてないんだ、って思った。むしろ、下手なほうが『あんなくらいすぐに私だって描いてみせるわ。』って思ってもらっていいかもしれない。ははは。」

この、「先生よりうまくなりたい、っていう目標を立てなくていいんだよ。」というメッセージに私は、ハッとしたのです。

実は私がオーラソーマのティーチャーになろう、と思ったのも多分にこの種の目標をもってしまったから、という部分があるんです。


あるティーチャーのシェアリング・デーに参加したときのこと。

(この先生は、ご自身のなかでの理解力はきっと私たちに話しているよりずっとおありなんだろうけど、いかんせん、それが伝わってこないなあ。)と思いました。

つまり説明ベタ、プレゼンテーション下手ってやつですね。


そしてそのとき私は、「これなら私のほうがティーチャーになったほうがうまくできる!」と思いました。(うぬぼれだと笑わば笑ってください。)

そしてよし、私はこちらの生徒として座っている人間ではなく、あちらに立つ側の人間になるぞ、と思ったのがきっかけだったのです。


ではもし、私が受けたティーチャーたちがすべて完璧で非の打ち所がないプレゼンテーションが出来るティーチャーばかりだったら、私はどうしていたでしょう・・・?

きっと、(もうこの世界に私の入りこむ余地なんてないな。)とか(私は必要とされないだろうな。これだけ素晴らしい方々ばかりみえるところなら。)と思ってしまい、自分の居場所をみつけられない気がして、ティーチャーになろうとは思わなかったのではないでしょうか。


ある意味、あのくらいなら私だって・・と思うことにより、ティーチャーの道をめざす羽目になってしまった、というわけですね。

これをティーチャーサイドから意識的に操られているとしたらすごいですね・・

そのティーチャーが、どうぞどうぞ、私を超える生徒さんだったり、私とはまた別の角度から授業を行うことのできるティーチャーを育てるためにあえて私はプレゼンテーション下手、っていう顔してるんだも~ん、ということであれば、すごい話だと思いますが、どうなんでしょう?

何も実は出来ることをあえて劣って見せたりする必要はありませんが、そしてもっとわかりやすいティーチャーになろう、という努力を怠っていいよ、そのほうがかえって良い生徒が孵化するかもね、ということを言っているわけではありません。

ただ、「教える人間」がいかなるときも常に「教えられる側」より出来がいい必要もないんだな、と気付いた、ということが言いたかったんです。

教える側があまりに完璧だとかえって気をそぐ、ということだってあるんじゃないでしょうか。

ようは「教える」ということの一番大切なことは、11人の生徒さん達の中に眠っているその人らしさを大切にして、それをいかに引き出してあげるか、ということですもんね。

ものによっては「知識を伝達する」「技術を伝授する」ということが最も大きな部分を占めるものもあるでしょうが、多くは、一定の基準以上の基礎をもっていれば、あとは生徒さんのその人らしさを引き出してあげることのほうが大切っていう場合が多いんじゃないでしょうか。

人は皆、そのままで完全な存在だし。

「ありのまま」が一番美しいのだから。

そのことに気付くことができました。

そしてそれは一番難しいことでもあるな、と改めて気を引き締めました。





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プレ・ショック症候群

2012-05-29 09:05:00 | 健康・病気

今日から、イギリスにT2を受けに行くまで、怒涛の月日が始まります。

29日~63日まで東京でブリッジコース、帰ってきて3日あけて、7日~13日まで京都でレベル1の再受講、そしてそれから10日ほどしてからまたイギリス、というわけです。

帰ってきているわずかの間には、パステル講座やら待ってくださっているお客様もあるし・・

そもそもこれほどに日程が詰まってしまったのは、GWに受ける予定でいたレベル1が中止になったため、T2でイギリスに行く前までにどうしてもレベル1の再受講をすませたかった私が無理無理にその予定を入れ込んだからです。


だから自分でわかっててやったことだ、と言えばそれまでなのですが、はぁ~・・それにしてもハードだ。

いったい持ちこたえられるのかしらん。

そう思ったとたんに事前に体調を崩してしまいました。


まぁ、“そう思ったとたん”というのは大げさかなぁ。

何だか体調を崩してはいたのですが、それが風邪なのか、過労なのか、更年期というものなのか、それ以外の原因なのかよくわかりゃあしない。

もともと少し前からよくくしゃみが出ていました。

しかし、黄砂の影響もあったし、花粉症も私はスギ花粉に一番反応するから、とスギのピークが終わったらもうクスリを飲むのをやめていたけれど、あれは一度何かのアレルギーにかかると次々とそれ以外のものにも過剰に反応するようになっていくので、今がピークのヒノキに今年から過剰に反応しはじめたのかぁ、とかも考えられることだし、ちょっと睡眠不足気味で、私はたっぷりの睡眠をとらないととたんに風邪と同じ症状を呈するのでそのせいかなぁ、と思ってみたり・・

とにかくはっきりとした「これだ!」という原因がわからなかったのでした。


ただ言えることは、何か大きな“イベント”を前にすると、それが済み、やれやれとなってからどっと疲れが出るタイプではなく、事前にあらかじめショックを受けてしまう、という「プレ・ショック症候群」の気があるタイプであることは自覚していたので、まぁ、総合してみてそういうことだと思います。


「プレ・ショック症候群」ってご存知ですか?

文字通り、「事前にショックを受けてしまい、それが体調を崩すなどの具体的な不調となってあらわれること」です。

ここで問題なのは、それが“事前”であり、まだ本番ではないのだから、そのショックは軽いか、というと、医者によればそのストレス度合いは本番とまったく同じだそうです。

私の場合、「初めてのところへ、ひとりで出かける」ということがまずストレスです。

それがどれだけ楽しみで出かけることであっても、電車などの乗り換えを間違えずにできるだろうかと神経使うわ~とかトイレの心配とか大事なことを忘れてきてないだろうかとか、しょーもない些細なことを思うだけでどっと疲れてしまいます。

そういう意味では、初めてのところへひとりで出かける場合でも、ずーっと自分のペースで移動できるマイカーでドア・トゥ・ドアの場合だとほとんどプレ・ショックに陥ることはありません。

これをずっと愛知や岐阜はマイカー社会だから、どうもそちらでの移動手段のほうを好むのだろうな、とだけ思っていましたが、そうではなく、いかに“自分空間”を維持して移動できるか、という部分が問題なのだな、ということがわかってきました。

それから、講座を受けるための宿泊の場合、なぜかすごく疲れる。

1日座ってほとんどティーチャーの話を聞いているだけなのに、このだるさはどうだ、というくらいに。

たぶん、一生懸命神経はって、大事なところを聞き逃すまい、とかない頭を絞ろうと思考を働かせすぎているからでしょうね。


近年、これがとみに激しくなって講座が終わると、もう夕食なんてどうでもいいからとにかく眠い、ベッドに倒れこみたい、と言う感じになる。

しかし、ここが馬鹿な私なんですが、せっかく東京に行くなら、あ、○○ちゃんに会おうとか、京都には知り合いのあの人がいたな、久しぶりに連絡とろう、とか講座終了後の時間に予定を入れてしまうんですね。

友人と会うことは楽しみであり、会っている時間のあいだは疲れを感じることはないんですが、ホテルに帰ってくるとほんとにもう死んだ魚状態。

しかしそれでも絶対お風呂に入って寝る。

すると、お風呂に入ることでいったん交感神経がめざめる。

ちょっと元気になったように錯覚して、また寝られなくなる。

・・・この悪循環です。

そして、はぁ~ようやく家に帰ってきたぁ、と羽根を伸ばそうと思っても、玄関をあけたとたんにたまった皿の山、掃除してない部屋を見ることになる・・

どのみちダーリンに私がやるようなまでの家事は期待していないけれど、現実を眼にして愕然とする。

そして次の日はせっせと掃除婦のようになって、ゆっくりしたかったのに、とぶつぶつ思いながらやるから効率もあがらず、気分もすぐれない、ということになる、というわけです。

以上のようなことが明日から始まる・・とか3日後から始まる・・と思っただけで私は「プレ・ショック症候群」になってしまうわけですね。

意外に弱っちいわたし・・

しかし、私の身体のすごいところは、必ず行く当日には治っている、ということです。

逆に言えば、当日までに治るにかかる時間を逆算したところでプレ・ショックに陥る。


今回の場合ですと1週間ぐらい前からちょっと体調不良でした。

そしてこれはいかん、となったのが、5日前。

しかし、5日間あれば風邪程度の症状なら治ります。

そうして私は逆に万全の体調となって、“本番”にのぞむのでした。

これは身体が自分を守ろうとする免疫作用だと今は割り切っています。

だって、もっとこう考えるようにしよう、とかしたって、なるときゃなっちゃうんだもん。


しかし、私の場合のプレ・ショックはほんとに事前のみに体調を一度崩すと、いざ本番を迎えるときには戻っているからいいようなものの、世間にはプレ・ショックを味わい、さらに本番でももう一度その通りのショックをまた感じ、という人もいらっしゃるみたいです。

そうなると2度も同じショックを味わわなくてはならない。

これはお気の毒ですよね。


というわけで、今これを書いているのは、28日です。

体調は戻りました。

明日から(記事のUPとしては今日から)、万全の状態でのぞむことができます。

明日からUPしてある記事は事前にかきためたものです。

お客様にはご迷惑をおかけして申し訳ありませんが、3日まで商品のご注文の方には発送ができませんので、ご了承ください。

メールなどのお尋ねには返信することができます。





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「年老いた両親へ」

2012-05-28 09:05:00 | 身辺雑事

昨日も母の検査のために車で送ってあげたときのことを書きましたが、そして最終的には「何だ、心配して損した。」みたいな結末だったわけで、なんかいつまでたってもどーしようもない親子ではありますが。

ハートエンジェルとワークしたらやたらと浮かび上がってきた両親のことをおもって、私は彼らへというよりは自分への鎮魂歌のつもりで、最近感動した本「ちいさなあなたへ」をもじって、「年老いた両親へ」を書き綴ってみました。



             「年老いた両親へ」

いつのまにか私より小さくなってしまった母

背筋はぴんと伸びているから気付かなかったけれど、おばあちゃん、だね。


それでも今も朝から晩まで店を切り盛りし働いている。

ずっと立ち仕事で私より肉体を使う仕事。


母は会う人ごとに「甘やかせて育てたから、わがまま放題な子になっちゃって・・」と言っていた。

「甘やかした」というのが、結局最後には何でも私の言うとおりになった、という意味ではそうかもしれない。

けれど、「甘えさせて」もくれなかったね。

母に抱きしめてもらった覚えはない。

母に手を引いてもらった覚えもない。

母はスキンシップを嫌う人だったのだ。

ある日、老いた父が「これ、お前にやろうと思って作った通帳だから。」と私に一冊の通帳を渡した。

え?と中を見てみると7桁の数字が。

80の齢を超える親が人生の半分を過ぎた子どもにお金をあげる、という。

反対じゃないのか・・

それほどまでにしても、いつも、いつまでも私は子どもなのか。

涙が出そうになるのをぐっとこらえ、ただ受け取った。

そんな自分が情けなかった。

父と母が190円、100円という串ものを売ってようやく貯めたお金。

いったい1本の利益は何十円で、それを何本売ったら7桁というお金が貯まるのだろう。

私は父と母が休みもなく、朝早くから夜遅くまで働き続けたのを知っている。

このお金は使えないな・・

そう思っていたのに、私は1度行けばたった1週間で、何十万円というお金がすぐに消えていく、という講座にそのお金を使おうとしている。

そういう考え方をしなくてもいい、と頭では思っても、そして決して無駄使いじゃあないんだ、と思おうとしても、今日も揚げ油の匂いとゆでて処理するホルモンの匂いにまみれて1本何十円の串揚げを売る両親を思うと、私のその使い方はあまりにも軽い、という気がしてならない。

そのお金で得る私の資格なんてホンモノじゃあない、って思ってしまう。

そんな思いにさいなまれてやっている私のヒーリングって何なんだろうな・・


父と母はたまに一緒に食事に行っても、必ず私たちには支払いをさせてくれない。

「いい。いい。そんなもん、お前が出す必要はない。困らんくらいの金ならあるから。」と言う。

なぜかと言うと、「お父さんもお母さんも、店をやる以外、たいして何にも趣味がなかったからなぁ。使わなければ金なんてたまるもんだよ。」

そんな父の唯一でささやかな楽しみ、日帰りのバス旅行に行けなくなった。

理由は、耳が遠くなったから団体行動に支障をきたすかもしれないという引け目と、トイレが近くなったから。

休日の日がな1日、父は窓辺でうつらうつらと本を読んでいる。

「人に気を使うくらいなら、これでいい。」

そう父は言うけれど、まっしろい本のページに目を落とす父の瞳には、ほんとうは私が小さい頃よく行った、家族旅行のあの風景が浮かんでいるのかもしれない。

せっかく連れて行ってもらった旅行だったけれど、正直私には楽しいものじゃなかった。

車ももたない両親が連れて行ってくれるのは団体のパック旅行ばかり。

知らないおじさんやおばさんに囲まれて、学校以上に団体行動を強いられるような休日が楽しいはずはなかった。


おまけに自分が可愛くないことを知っていた私は大の写真嫌い。

「はい、こっち向いて~」とにこにこする父にいつも、「いやだってば。」と背を向けた。

それが何度も何度も繰り返され、しまいには父も、「もう、いい!」と怒ってしまった。

怒るくらいなら最初から写真はいやだ、って言っている私の言うことを尊重してくれればいいじゃないか、と私は私で思っていた。

あの写真たちは今、どこにあるのだろう。

一度もアルバムを懐かしんで見たことなんて、ない。

父や母は、あるのだろうか。

あぁ、あの頃の私はまだ可愛いもんだったなぁ、なんて。

あるいは、この頃からこまっしゃくれて可愛くなかったわ、なんて。

振り返ってアルバムを広げることがあったのだろうか。

それとも、これからこそがそういう日がやってくるのだろうか。

私が小さな頃、うちにはお風呂がなかった。

いつも少し離れた銭湯まで行った。

父は自転車の後ろの荷台に私を乗せて、きぃこきぃこ自転車をこいで銭湯に連れて行った。

夏の暑い夕暮れも、冬の髪がきしきし言うような寒い日も。


ある日突然、父が「もう、あいつとは一緒に風呂には行かん。」と言った。

それは私が近所のおじさんたちもいっぱい入っている銭湯で、父についているものと私についているものが違うことを「ねぇ、どうして? どうして?」とあまりにしつこく聞いたかららしい。

近所のおじさんたちはみんな、「しょうがないよなぁ。珍しいもんなぁ。」と言って笑ってた。

そうして私は父とは銭湯に行かなくなった。

思えばあれが、父とのスキンシップの最後だった。

父の背中にしがみつくようにして自転車の荷台に張り付いていた幼い私。

うちには長いこと、小学校の入学式の日の写真が飾ってあった。

誰だか知らない近所の人が私たちが気付かないうちに撮ってくれたものらしい。

写真のなかの母と小さな私はお互いに見詰め合って、このうえなく屈託のない笑顔だ。

この日以来、母のこれほどまでに一遍のくもりもない笑顔を見たことがない。

母もそれに気付いていて、あの日に帰れるわけではないけれど、あの日の笑顔は確かに自分のものだったのだ、ということを胸に留めておくために、あの写真をずっと飾っておいたのかな。

私が小学校にあがるとすぐに買ってもらった「安寿と厨子王」。

読みながら泣いて、読み終わっても涙が止まらなくて、その頃からすでにあまり泣かないこどもだった私はそんな自分を恥じて、部屋の隅のカーテンに見つからないようにくるまりながら、まだ泣いていた。

そんな私を見つけた母が、「どうして泣いているの?」と尋ねた。

私はああで、こうで、とそのお話を説明した。

母はこのお話を知らないだろう、と思って一生懸命話の筋を話していた幼い私。

知らないわけはなかったであろうに、母は一言も口をはさまず、正座して、「うん、うん。」とじっと私の話に耳を傾けてくれた。


あの日以来、母が私の言うことに途中で口をはさまないことはなかった。

いつも途中で喧嘩になり、私はそれなら最初から母になんて口をきかないほうがましだ、と思うようになった。

あの日以来、自分の胸のうちを母に吐露したことは、ない。

勉強のことなら先生だし、恋愛の相談なら友人にしたし、人生相談なら部活の先輩だった。

大学は東京へ行った。

いつまでも家に居て、家から通学するような大学を選ぶのはばかばかしいと思っていた。

ひとり暮らしをしてみたかった。

時間を気にせず、遅くまで遊びまわってみたかった。

それが自活だと思っていた。

家から仕送りしてもらっているお金なのに、そう思っていた。


初めて大学の寮に入寮するために、入学式より早く、布団一式を抱えて、両親と一緒に上京した。

4人部屋の自分のスペースが何とか整うと、「じゃあ、帰るね。」と両親は帰っていった。

ほかの子たちは、「あ、玄関まで見送るよ。」と一緒に駆けていった。

わたしだけ、「あ、そう。」と部屋から出ずにこれから4年間、両親とはなれて暮らすことなんてなんでもないことなんだ、というふりをした。

でも、本当はたまらなく寂しかったんだよ。

その日は、枕に涙が筋をつくり、よく眠れなかった。

そんな私だったのに、卒業すると結局帰ってきて、地元で就職した。

サラリーマンの常として、会社が終わると同僚たちと一杯ひっかけて帰るのが楽しみになった。

電車の最終は、地元の駅につくのがちょうど12時のシンデレラタイム。

帰りが最終になることを電話すると、いつも父が駅まで迎えに来ていた。

そう、小さい頃私を荷台に乗せて銭湯に連れて行ってくれたあの自転車で。


それが恥ずかしかった。

自転車で迎えになんて来てもらっても、2人乗りして帰るわけでもあるまいし、同じように歩いて帰るだけなのに何のために来てんの?

駅前にハザードランプをつけて停まっているほかのお迎えのマイカーを目にしながら私は憮然として父の前をさっさと歩いた。

父は黙ってその後を自転車を引いて付いてきた。


ある日、そんな帰り道、私は地元の不良にナンパされた。

後ろから自転車を引いて付いてきているのがその娘の父親だとは彼らは知らなかったのだろう。

私は振り切ったけれど、家に着いてから烈火のごとく父に当り散らした。

「自転車なんかで迎えに来て! 変な人にからまれてもそんなときにも一言も口を出さずにじーっと後ろにいるだけなら、何のために来てんのかわからない。意味ないじゃないの!」


少しの間だまっていた父は、「だって、おまえが何もしゃべってくれないから、つまらないじゃないか。」と答えにならないことを言った。

そしてその日以来、父のお迎えはなくなった。

母は私が家庭を持って子どもを産むことに対して否定的に考えているようだった。

いつも「結婚なんかすることはない。」「子どもなんか産むことはない。」というメッセージを私に送り続けた。

それはとりもなおさず、私という反抗的な子どもを持ってしまったことに対する自分の反省を吐き出しているように思えた。


私はそんな母の気質を受け継いだようで、子どもを産むこと、血を受け継ぐことに対してまったく興味はなかった。

けれど、人生も半ばを過ぎてから、良き伴侶にめぐりあった。


ある日親友に、「うちの主人って、父に似てるところがあるってことにこの前気付いたよ。」と言った。

それは、「ビートルズ」のことを「ピートルズ」と言ったり、「キムタク」のことを「チックタック」と言ったりする、濁点や読点をやたら間違える、という言葉遣いのことだったのに、友は私に、

「あれ、今気付いたの? そんなことだけじゃなくて、最初に会ったときから私はおたくのご主人、おじさんに言うこともやることもそっくりだなぁ、って思ってたよ。」とさらりと言ってのけた。

私は愕然とした。

「お父さんみたいな人と結婚するぅ。」と幼い頃言うような可愛い娘では、私は決してなかったからだ。

実際、お父さんみたいな人なんてごめんだ、と思ってたし。


思えば、これまでの人生、親を振り払って、振り払って、ついてくるな、と言って生きてきたような気がする。

それでもずっと見守っていた両親のことを、「見張られている」と思っていた。

これからは私が両親のことを「見張らなくてはいけない」かもしれない。

ぼーっと歩いていて車にはねられないか。

石ころがいっぱい落ちている道ですってんころりと転んで骨折しないか。

階段をふみはずさないか。


親は、「よしておくれよ。まだまだそんな年じゃないよ。」と私の手を振り払うかもしれない。

けれど私はそうして迷惑がられても見張ることをやめない、という子どもになるのかもしれない。



母の検査

2012-05-27 09:00:00 | 身辺雑事

ハートエンジェルのB82を使っていると、やたらと親のことを思い起こさせるようなことがある毎日を送っていると以前に書きました。

それは今も続いています。

なんだかあんまり塗る気になれなくて、ちょっと歩みが停滞気味です。

塗り終わらない、ということはいつまでもこの感覚が押し寄せることになるのか、せいぜい味わいきれよ、まだまだだぞ、と言われているのかわかりませんが・・

先日、母から電話がかかってきて、「県庁のそばの病院まで車に乗せていってくれないか。」と言います。

母は前から逆流性食道炎と診断されているのですが、それがあまりにもひどいのでいつものかかりつけの病院に行ったら、「それなら狭心症も疑われる症状だから、一度心臓のほうも検査してみましょうか。」ということになったらしいんです。

そして、心臓の専門病院である、県庁のそばのハートセンターにこの前検査を受けに行くとき、タクシーを利用したら、2500円もかかってしまった。

それは勿体ないから今度、その検査の結果を聞きに行くときは、あんた、乗せてってくれない?というわけです。

(素直にただ乗せていってよ、と言えばそれですむことなのに、タクシーが高いから、いくらかかったから、という説明をぐじゃぐじゃするところが可愛くない。それだと「あぁ、そうですか。私はタクシー運転手の代わりなんですね。」と言いたくなるではないか。)

という言葉を飲み込み、まぁ、乗せていってあげることにしました。


母を実家に迎えに行き、よっこいしょと車に乗り込み・・・

無言・・・

私はほんと、母とは会話が弾まないんです。

母は母で、もともとしゃべり上手ではないので、私との間に話題が見つからなくて困っている、と言う感じでもなくただ黙っている。

まぁ、黙ってたほうが腹も立てずにすむからそれならそれでいいや、と私も黙っている・・というわけで無言の状態が続く。

すると母が、「あ、あんた、帰りはいいよ。帰りはバスで帰るから。」と言いました。

一瞬、どうしようかな~と思いました。

「いいって。待っててあげるよ。」と言おうか、その日は忙しかったので、これ幸いと帰ることにしようか。

でも少なくとも「どれくらいかかりそうなの?」と聞いてみて、長くかかりそうなら「じゃあ、悪いけど帰らせてもらうわ。」と言うけれど、「結果を聞くだけだからさほどかからないと思うよ。」と言えば、「じゃあ、待っててあげるわ。」ぐらいは言おう、と胸では思っているのに、私の口を突いて出た言葉は、

「そう、ならお言葉に甘えて帰らせてもらうわ。」でした。

なんで母にはこう冷たくしてしまうのか自分でもよくわかりません。

もし結果を聞いて、心臓に何か欠陥がある、ということが判明した、ということであれば心細いし、ひとりでは帰りたくないであろうに。

私も検査結果自体は気になるから早く知りたいんだけど。

でも、なぜかそう言ってしまうのでした。


それから急に母は、

「そういえば、お父さんね。」と父のことに話を振りました。

「この前、内祝いのお返しで、選べるギフトカタログもらったでしょう? あれ、うちが旅行好きだからってことで旅行がいっぱい載っているやつくれたみたいだけど、もうお父さん、そういう旅行には行けなくなったよ。」と言います。

「どうして?」と聞くと、

「トイレにいつ行きたいかが本人もよく感覚がわからないみたいでさぁ。バス旅行なんかでもサービスエリアのトイレ休憩に止まっても、今はいい、まだ全然したくない、って言うかと思えば、急に我慢できないほどしたくなった、って言ってトイレに駆け込むこともあるからさぁ。もう団体行動はできないんだよ。」と言います。

「ふぅん・・」とあんなに日帰りのバス旅行が好きだった父が、と思うと可哀そうになりましたが、ま、ふぅん、そうですか、と言うしかないじゃないですか。

「それで食べ物にした。」

あぁ、それが言いたかったのか、と。


それから母は何を思ったか、「これ・・」と言って紙袋を取り出しました。

何かと思ったら、「今朝、炊いたんだけど・・」と言いながらひじきの煮物が入ったタッパーを見せました。

そして、「それからこれ、おいしそうだったから買ったんだけど・・」と言いながらピーナツの塩茹での封を切っていない、どこかで買ってきたものを見せました。


私は一瞬、母が何を言いたいのかわかりませんでした。

「これ、あげるわ。」と言って取り出したわけでもなかったので、どうしたいんだ? 私に何が言いたいんだ? と ???な感じだったんです。

でもどうやら「あげる」ってことみたいだわ、と思っていると、目的地に着いてしまいました。

すると母は、最後まで「これ、あげるわ。」という言葉を発しないまま、車を降り、「これ、ここに置いておいていい?」とだけ言いました。

私はまたもそっけなく、「あぁ。」と言っただけでした。


そして車をロータリーで回転させながら、何だかやりきれなくなってしまいました。

母は本当に人に物をあげるのがヘタだ。

だから人からお礼も言われない。

私にお礼を言ってもらいたいわけでもなさそうだ。そう振舞っているだけかもしれないけれど・・

逆に私が何かお惣菜をあげたりしても、そっけない。

「あぁ、作りすぎたからくれたのね。」ぐらいの反応だ。

わざわざあなたに食べさせてあげたいと思ったから持ってきたんです、というようには受け取らない。

だからこちらとしてもそうです、その通りですよ、作りすぎたからと思っててもらって結構です、というようなそっけない態度となる。


でも少なくとも、お惣菜を私にくれることによって、それで何かを期待したり、見返りを求めようとしている様子はいっさい見受けられない。

それが母のいいところかな。


どちらにしても、うちの両親は“可愛い老人”ではなさそうだ。

ずいぶん、性格のせいで損をしているだろうなぁ、と思うとまたまた何だか可哀そうになってきて胸がしゅんとしてしまいました。

そして、待っててやろうか?と言わなかったことを後悔していました。

もし良くない検査結果を突きつけられていたら、心細い思いをしているかもしれないのに。


私は夕方になって母に電話を入れてみました。

出ない・・

ひょっとしてまだ時間がかかっているのか?

あれから3時間もたっているというのに。

また新たな検査でもしているのだろうか?

検査の結果またあらたに調べなければいけないようなことがわかって。

なんだか胸がざわついてきました。

それから1時間ほどして、母から電話がかかってきました。

「あぁ、着信があったみたいだったけど、何?」

何って・・ 検査結果のことに決まってるでしょーが。

「あぁ、何ともなかったよ。ちょっと駅前でぶらぶら買い物してたもんだからさ。電話に気がつかなくて。」

・・・だそうで。

なんだ、心配して損した。

さっきまでざわついていたものはたちどころに立ち消え、憮然とする私なのでした。





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