ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

育児という大仕事

2010-06-30 07:50:00 | 身辺雑事

先日、赤ちゃんが生まれた知人宅を訪ねました。

そして、つくづく子育ての大変さというのを思いました。

私は出産、育児の経験がないので、頭で考えただけの知識しか子育てについては持ち合わせていません。

そして今まで、「赤ちゃんってほんとに大変なのよ~ ちょっとのすきも目が離せないし、2~3時間おきの授乳で夜だって寝られないし。」と聞くと、夜だって2~3時間おきに起きて、途切れ途切れの睡眠しか得られないというのは大変だな、と思っていました。

それが私の想像の域。

しかし、実際はそれだけではないですね。

そんなことは、実際に自分のお子さんを育ててこられた方は、何言ってんの、今更・・というような話でしょうが、まぁ、お付き合いください。

ちなみにその日私が目にした子育ての実態とは・・

まず、赤ちゃんは常にきちんとお腹いっぱいの分量のミルクを飲んでくれるわけではないんですね。

飲む。もういい、という様子を見せる。眠そうに見える。だから寝かせる。ものの5~10分で泣いて目を覚ます。あら、なんで?さっき、飲み足りなかったの?とまたミルクをやってみる。飲む。やっぱりそうだったのか、と思う。今度こそお腹いっぱいに見える。ゲップをさせようとする。なかなかゲップをしない。本人も気持ち悪いみたい。だからぐずる。眠いのも眠そうだけれど、ゲップが出なくて居心地も悪いので、ぐずりつづける。ひたすら抱っこであやす。ようやく寝かせる。また泣く。なんで? あ、今度はおしっこだ。オムツを取り替える。ちょっと落ち着く。 ・・・とまぁ、こんな具合ですね。

ほとんど世話に途切れがありません。

なぁ~にもほかごとなんてできません。

私はもっと「あ~、今、寝てくれたわ。これから2~3時間はやれやれだわ。」と言うものかと思っていた。もちろん、2~3時間でも大変だけれど、もっとそれ以上に大変だ、という様子を眼のあたりにしたわけです。

私は自分で子育てをしたこともなければ、自分自身も一人っ子なので、身近で育児をする人の様子に触れる、ということもなかったのです。

生まれてから何ヶ月の乳児だからこれでもまだ世話としてはゆるいほうなのかもしれない。要求が「おなかすいた」と「おむつ気持ち悪い」くらいしかないですからね。

これがもう少し大きくなって、ハイハイもして、歩くようになって、片言でもしゃれべるようになって、となると感情のヒダも増え、単純な喜怒哀楽ではすまなくなり、要求も増えてくる・・ となるといくら想像力が弱い私にでもそりゃあ大変でしょうなぁ、というのはわかります。

それでもお母さんは「はいはい。」と可愛くて仕方ない、という様子でそれらを何の苦とも思わずに、やってのけます。

ほんとに母はエライなぁ。

私にはとても無理だ。

もう、イライラッとしちゃう。

先日テレビでまた児童虐待についてレポートしていました。

ここ10年で児童虐待はなんと3倍以上にも件数が膨れ上がっているそうです。

どうしてこんなにも児童虐待のニュースが連日TVをにぎわせるのだろう、とただ純粋に不思議に思っていました。

でもこの日の児童虐待にあった児童たちを専門に治療する医師の話でそうかぁ、と少しその謎が解けました。

その医師はこう言いました。

「昔は、育児というのが、絶対的な優先順位1位だった。けれど、時代が変わって、ライフスタイルが変わって、女の人の意識が変わって、育児が優先順位1位では必ずしもなくなってきた。育児とは大変なことです。それが優先順位1位でなくなったとたん、そんな大変なことができるか、ってわけで、いきなり虐待にまで行ってしまうのです。」と。

この説明に私はすごく納得しました。

というか、自分の身に置き換えて切実に考えることが初めて出来ました。


確かに昭和初期から高度成長時代の初めくらいまで、育児とは個人にとっても社会にとっても絶対的な優先順位1位だったに違いありません。

女の人の個人的な意識もクソもなく、社会という大きな鍋のフタのようなものからすっぽりと「そういうものだ」と押し付けられれば、個人の意識なんて鍋の底に沈んでしまうでしょう。

よしんば、鍋の底のふか~いところで、ダシに使った昆布の裏側あたりでひっそりと「私は子育てだけじゃなくて、他にもやりたいこと、あるけどな・・」という声が潜んでいたとしても、「それは、子育てが一段落してから考えればいいことだから。」という正論のいろんな具たちに押しつぶされていたことでしょう。

だけど、一度女性だって社会に出れば、社会はそんなに甘いものではありません。

会社員なら、産休が与えられますが、実態はなきに等しいものであったり、その産休の間にもどんどん仕事は廻っていっているのだ、と思うと自分が置き去りにされてしまう焦りだってわくでしょう。ましてや、自分が好きで選んだ仕事、やりがいを感じていた仕事ならなおさらのことです。早く復帰しなくちゃ、と思う。

そんな気持ちを抱えて行う育児が、切り替えが上手にできずに、育児が決して私にとっての優先順位1位ではないのだ、という気持ちがそのまま育児そのものに反映してしまう人が出てきたとしても、誰がそれを責められるのでしょうか。


でも大方の人は、それでも子どもが可愛いことは間違いないし、優先順位1位じゃないんだ、という自分の本当の気持ちに気付いてしまってもそれを何とか押さえつけて、ちゃんと育児をこなします。

ましてや、虐待にまで発展するという人はほんの一握りでしょう。

「こいつ、殴ってやりたい」と心の中でおもうことと、実際に手を上げて殴ってしまうことの間には天と地との開きがあると同じように、こどもが優先順位1位でなくても育児を淡々とこなす人と虐待までしてしまう人の間にはむろん、天と地との開きがあります。

それでも「私にとって育児は優先順位1位ではなかった」という出発点がもし同じであれば、自分がそこまではいかないとどうして言い切れるでしょうか。

もうひとつ今度は逆のお母さんのことも思いました。

逆、というのは子どもが大きくなってからも子離れできないお母さんたちのことです。

育児は常にこども優先になりますから、それが子どもが成長して手がかからなくなってきてからも、「はい、本日を持ちまして、こども優先でなくてかまいませんよ。こどもの方はもう十分お母さん離れして巣立つ準備が整ってますからね。」と言われたってお母さんの方はそれについていけない、って感じも何となくわかるような気がしました。


だって、乳児のときに「さぁて、寝たみたいだから、じゃあ、ご飯にでもしようか。」という矢先、こどもがすぐに起きて、「まだぁ、まだぁ、まだ飲み足りてなかったぁ。」と泣くとします。

あら、そうだったの、とお母さんは自分がいくらお腹がすいていてもそれは後回しにして、また子どもにミルクをやります。

これがほんの5分、とかで済むことなら我慢もできるでしょう。

しかし、こどもはときに遊びながら飲むこともありますし、吸い自体が弱くて、本人も一生懸命飲もうとしてる割にはなかなか飲めていない場合もあります。

だからゆうに3,40分たってしまうときも往々にしてあるわけです。


このようにして生まれたときから常にわが子優先でやってきたのにあるときから「お母さん、もういいよ。放っておいてよ。」と言われて、納得できないお母さん、切り替えがうまくいかないお母さんがいたって責められないでしょう。

こういうことは一度、実際の現場を目にすると初めて納得がいくところまで自分のなかに降りてきます。


今まで、何かと子ども優先に自分の人生を生きている人を見ると、鼻白む私がいました。

(なによ、何でもかんでもこども、こどもって。自分はどこにあるの?)って。

でも、産んだときからあんなにも優先し続けてきたのに、という思いがあるとそれも仕方がないだろうなぁ、って思えてきました。

私は幼い頃からずーっと一貫して自分の子どもが欲しい、という願望を持たずにきて、実際にそのとおりの人生を歩んだわけですが、それはたまたま私がもうどのみち子どもを持つことは無理、という年齢になってから結婚したからであって、これがもし、女性の機能が十分に発揮できる20代や30代に結婚していたら、「私って別にこどもいらないんだけどなぁ・・」という気持ちを持ちつつも、絶対につくりたくない、というほどのきっぱりとした意志をもって避妊し続けただろうか、と思うと自信はありません。

むしろ、世間並みに結婚すれば、こどもができるのはあたりまえのこと、として巣作りをしていった可能性の方が高いように思います。


そんな私に、親族などの周りの人はたいていこう言いました。

「そんなこと言ってるけど、自分の子どもが出来てみれば、意外に可愛がるタイプのような気がする。」

「出来ちゃえば、それなりにちゃんと育てられるし、子どもっていいもんだって。」

「他人の子は可愛くないっていう人ほど、自分の子が出来ると溺愛したりするよ。あなたもそのタイプじゃない?」

などなど。

そんなお気楽な意見を聞くたびに、私は(そんなこと言ったって、産んでみてやっぱり思ったとおり、な~んにもそれまでの私と変わらずに可愛いと思えずに、育児も嫌いだったら、あんた、責任とってくれんのかよ。)って内心でつっかかっていました。

20代の頃一度、どういう症状だったのかももう忘れましたが、産婦人科に行くはめになって、「こうやって診断された~」という話を会社でしていたら、同僚の女性に、「やっぱり、こども産まないといろんな不調が子宮に起こるんだよね。子宮は産むことを前提にしている器官だから。」と言われたときは、さすがにそこまで産まない私を否定してくれなくてもいいでしょうに、とむっとしましたが、それ以外は、すべてやっぱり産まなくてよかったわ~、私の人生、ってことばかりでした。

でも、改めて思いました。

創造主はちゃあ~んと、それが自分の使命と思える人、それが楽しくこなせる人のところに育児を配置してくれてあるんだなぁ、と。

赤ちゃんは魂のときにすでに天界から「わたし、あの人をお母さんにする。」って決めてくるのだ、と言います。

だから、赤ちゃんの方からお母さんを選んでいるわけです。

私がこれまでの人生で、“偶然にも”自分の子どもを産むことがなかった、というのは決して偶然ではなく、どの魂にもお母さんとして選ばれなかった、ということであり、選ばれる準備を私は整えていなかった、ということであるからやっぱりなるべくしてこうなってるんだ、と思いました。

そして、産む人も、産まない人も、産んで育児優先の人も、産んで育児は後回しの人も、全ての人たちの気持ちが今日はちょっとだけわかって、つながっているな、ということを味わえました。




                               お知らせ 

7月3日(土)、11:00~16:00(延長可能性あり)

岐阜駅前 「じゅうろくプラザ」 2F大ホール  ロビーにて、「ハンドセラピー」を出店いたします。

    15分    \1000

どうぞ、お出かけください。

当日、施術させていただいた方には、新サロン移転オープンメニューでの特典がありますよ!






オーラソーマヒーリングサロン「些々羅」では、メールにてコンサルテーションのご予約を受け付けております。営業受付時間は月~土(AM10:00~PM4:30)です。

刻々と予約状況が変わるため、まずはメールにてご希望の日時をお聞かせください。

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化粧品業界のしくみ

2010-06-29 07:57:00 | オーラソーマ

さて、昨日はオーラソーマから新しく出た「AEOS化粧品」新発売にともなって、その使い方と製品がユニークなので、とても興味をそそられ、使ってみたくなった、というところまででした。

今日は、その後の「私の批判精神がまたむくむくと頭をもたげてきた」ということについて、です。

昨日の最後にも述べましたが、この「AEOS化粧品」はスキンケアとしてだけではなく、色を通してその人の内面に働きかける、という点においてオーラソーマシステムそのものの一環でもある、と思います。

先生も、「顔に塗ることができるボトルが出来た」とおっしゃいましたし、オーラソーマ製品を取り扱うなかで日本で最も大きいと思われる和尚から来た「和尚アートユニティニューズレター」にも、

「このAEOSは、ヴィッキーのビジョンを引き継いで長年にわたり開発されてきたものです。オーラソーマの哲学とポリシーを引き継ぎ、その成分とスパギリック・ティンクチュア(※鉱物を液体化する技術です。)などの生きたエネルギーがこめられています。肌に滋養を与えると同時に、意識にも働きかけ、内なる美しさと健康をもサポートし輝きをもたらす、まったく新しいスキンケアシリーズです。」と書いてあります。


ね?

「肌に滋養を与えると同時に、意識にも働きかけ、内なる美しさと・・~」ってちゃんと明記してありますでしょ。

「オーラソーマの哲学とポリシーを引き継ぎ」とまで書いてある。

つまり、これはれっきとしたオーラソーマシステムの一環なんです。
なのに、この「AEOS」に関しては、プラクティショナー割引がいっさい効かない!
要するに、普通に資生堂やカネボウの製品を買うのと同じように、私たちも定価でこの化粧品を買うしかない、ということなわけです。

自分が使うことに対して、安くならない、というグチを言っているわけではありません。

私たちプラクティショナーは、オーラソーマで生計をたてていこうとしているのですから、当然、自分のサロンに定価で仕入れて、定価で売るしかない製品を置くわけにはいきません。

ということは、いったいこの「AEOS化粧品」って誰を対象にして、どうやって市場を広げていこうと思ってるの?


先生もちょっと口を濁すように、「これ、割引がないのよねぇ・・ でも、化粧品業界ってそういうものらしいわね。売りたいなら何百万という単位の取引を考えてくれ。それだけ在庫持ってくれるなら、割引も考えるわ、ということみたいよ。」とおっしゃいました。

へぇ・・

化粧品業界ってそういうものなんかぁ。

でも、“そういうもの”って“どういうもの”?


「生きた成分」を扱っているから、やすやすと安くは売れませんよ、ってこと?

だとしたら、ボトルだってその製法は同じなんだし・・

いったんラインを稼動させるとすごい量を作らざるを得ないから、何本なんて単位の発注は受けられませんよ、リスクが大きくて、というなら、それもボトルと同じだし・・

いったい、化粧品業界っていうのはどういうところなの?


なにかこれは日本だけの問屋制度に由来する壁なんだろうか、それともイギリスのオーラソーマ社が世界じゅうどこの国に対しても発令した決め事なんだろうか?

そのへんの仕組みをもう少し詳しく知りたくなりました。(ていうか、ご存知の方がいらっしゃれば是非教えてください。)


それにしても、もう一度言いますが、プラクティショナーたちに一切割引をしない、というなら、オーラソーマが全国に直販の店舗をもつべきだと思います。

そうしないと利用者の利便性がはかれないじゃないの。

でも、何度も言いますが、この「AEOS」は、決して一般の化粧品と同じではない、オーラソーマシステムが脈々と入っている内側の意識にも働きかけるものです。

それをオーラソーマのコンサルテーションを受けたり、ボトルを使ったりしたことがない方が、そのコンセプトを理解して使ってくれるのでしょうか?

そんなことがおいそれと店頭で普通の化粧品販売員の口から伝わるとは思えません。

だったら、プラクティショナーから販売するしかないでしょうに。

・・とこのように私の頭は堂々巡りをしてしまった、というわけなんです。

オーラソーマからたまたま発売されたけれど、まったくオーラソーマシステムとは無関係だ、というならプラクティショナー割引はなくて構わない。何の文句も言いません。

けれど、それなら広く、買いやすいようなシステムをオーラソーマ社がつくりあげてもらわなくてはリピートするときの購入方法として困ります。

そして、オーラソーマの精神を継いでいる、と認めるなら、ボトルと同じプラクティショナー割引を適用してください。

それが筋ってもんでしょーが。

今のままだとティーチャーとプラクティショナー達のためだけにある化粧品となってしまうか、心優しいボランティア精神にあふれたプラクティショナーが何の儲けもなくてもサロンに置くか、しかありません。

後者の場合、いま「何の儲けもなく」と書きましたが、実際は「何の儲けもない」どころか、赤字ですわね。

そのための説明に要する時間、包装紙代などを考えたら。

ヘタすると、その化粧品で肌荒れした、というお客様がサロン責任者を訴えるかもしれません。

それでも、そこからとば口が開けて、オーラソーマのコンサルテーションにも来てくれるお客さまになってくれるかもしれないから、というのは、その心優しいプラクティショナーが自分を納得させるために発する自己暗示の言葉であって、それをオーラソーマ社の方から絶対言わせないぞ、と思います。

心優しいプラクティショナーのそんな人情につけこんだような自分を棚にあげたような言い方をしたら許さんぞ、と思っています。(まぁ、実際どう言うかは知りませんけどね)

今、私は、その“心優しきプラクティショナー”になろうか、どうしようか迷っているところです。



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7月3日(土)、11:00~16:00(延長可能性あり)

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オーラソーマから化粧品が発売に

2010-06-28 07:59:00 | オーラソーマ

オーラソーマから7月に化粧品が発売されます。

AEOS化粧品」といいます。

A」は「ACTIVE」、「E」は「Energised」、「O」は「Oganic」、「S」は「Skincare」の略です。要するに、「アクティブで、エネルギーに満ちた、有機のスキンケア」ということですね。


私は少し前から、この化粧品が新発売になるよ、ということまでは知っていました。

そして、化粧品の質よりは“出来栄え”と“使い心地”に重点を置く私は、大してスキンケアにこだわっている人間とは言えないわけで、「ふぅ~ん、まぁ、1回は使ってみようかしら。」くらいの感覚でした。

加えて、「でも、化粧品のラインがオーラソーマに加わるのはとってもいいことね。ボトルやコンサルテーションからは入れないというタイプのお客さまにも入り口が出来るってことだわ。」と思っていました。

しかし。

その概念をひっくり返されました。

良い意味と悪い意味の両方で。


良い意味というのは、自分が「まぁ、1度は使ってみようかしら。」程度ではなく、いきなり使う前からものすごくこの化粧品に惹かれてしまった、ということです。

なぜなら、まず、使い方がとてもユニーク。

五感を駆使して面白いもの探しが人生のテーマのようなターコイズにとっては、「ユニーク」という包装紙を着たものたちは大好物のひとつです。


まず、肌を再生させるために「AEOS」がRenewal(再生)と呼ぶものの第一ステップがあります。通常の化粧品のラインで言うならば、クレンジングとウォッシュ、そしてディープクレンジングに該当する部分です。

それが、まずは、洗面器に「デュウ フェイシャル ウォッシュ」と言うハイドレィティングウォーターを数滴垂らします。

これはお肌をリラックスさせ、毛穴を開かせることでこのあとのステップをなじみよくするためのものです。

それから、メイクをしていない人は、「ジェントル クレンジングローション」で、メイクをしている人は、「クレンジングオイル デマック」を、ほんの少量手のひらにとり、マッサージするようになじませてさきほどの「デュウ フェイシャル ウォッシュ液」ですすぎます。

そして、このステップの最後として、「ジェントル エクスフォリアント」というものをまた少量とり、水を加えて混ぜながらマッサージするようにやさしく角質を除去します。

一般でいうところのスクラブに相当するものだと思います。

「デュウフェイシャルウォッシュ」で作った洗面器の水でこれらの一連のプロセスを全て行う、ということがまずユニークでしょう?

そしてこれらのステップをいちいちタオルで顔をぬぐわずに、水でべたべたのまま行うというのです。

私は思わず、「これだけこだわった成分なのに、普通の水道水を使ってべたべたのままでいいんですか?」って聞きましたが、「デュウ フェイシャル ウォッシュ」液を入れた洗面器の水はそれだけで成分がとても良いものとなっているので、いいんだそうです。

第二ステップ。「Rebalance」(バランスの回復)

化粧水のステップに相当するものだと思いますが、軽くスプレーするみたいです。


第三ステップ。「Replenish」(補給)

「リアライブ セラム」という美容液をつけ、最後に「エンリッチ モイスチャライザー」で保湿して終わりです。

この「リアライブ セラム」という美容液がとっても質がよく、評価が高いものなんだそうで。

使い方としては特に第一ステップがとてもユニークでしょ?

先日静岡の柏村先生に天使の授業の最後のときにこの新発売をちょっと口頭で聞き、先生のところでも「使い方の講習会」を催す、と聞いて興味はあるものの、内心は、(んな、大げさな。そりゃあ、それに出ればこしたことはないでしょうけれど、まぁ、説明書さえ読んで使っているうちにわかっていくでしょ。)と思っていました。

しかし、聞いてみると、これは確かに一度使い方の講習会に出ないと正しく使えないかもしれない、と思いました。

だって、「バシャバシャくらいでいい」とか「べたべたのままでいい」とか、そういう感覚的な表現って、実際にビジュアルで確かめないと程度問題っていうのがわかんないでしょ。

しかも、このスキンケアラインは、ほとんどが「ティースプーンの4分の1~6分の1程度でいい」というようなほんとに少量しか使わないものなんだそうです。

要は、ラインはすべて濃縮タイプだと思っていただいて、希釈して使わなくてはいけないもののようです。

つい私たちは、そんなにお肌に良い成分ならば、バンバン大目に使って早くきれいになって、早く効果を出したい、と思いがちですが、それはNGだそうです。

いくらお肌に良いものでもやはり、適切な量をオーバーすると、肌に相当な負担をかけ、かえって荒れてしまうらしいです。

適切な量を適切な使い方によって、皆さんにすでに多少の講習をしたみたいな先生の左手だけが右手と比べてやけにきれいなのを見て、私たち生徒は、一発ノックダウンでした。

「オーガニック化粧品」というものが巷に出回っていますが、本当の意味での100%オーガニックというものは日本ではありえないそうですね。

しかも、この「AEOS」は、ボトルと同じくバイオダイナミック農法認証(デメター認証)を持つ自社農場のシャイア・ファームで大切に育てられたものです。

このファームは、イギリス国内で、チャールズ皇太子が持つファームの次に土壌が良い、という認定を受けたところだそうです。

「すごぉ~い!」

と私たちは声をあげましたが、先生は、

「チャールズ皇太子にはやっぱり勝てなかったんだ・・」とつぶやいていました。

お値段もほとんどが4000円台で、それが希釈して使うための濃縮液でだいたい半年以上はもつ、と言われたら、とてもお値打ちなものだ、と思いました。


そして、そして!

なんと言っても私が最もこの化粧品に惹かれたのは、ほとんどの製品が「ピンク」「ブルー」「イエロー」という色の3原色が用意され、そのなかから自分自身が私にはこれが必要だ、と感じるものを選べるという点です。

それぞれの色にスキンケアに対しての効果の差異はありません。

「色」として内面の意識に働きかけるためにあるのです。

まさにオーラソーマそのもの!

逆にオーラソーマのシステムを知らない人には「効果に差はないけれど、自分の意識に働きかけるために選んでよい」と言われてもピンとこないかもしれません。

3原色の意味するところだってご存知ないわけだし・・

そこんところ、かえって言い方を考えないとオーラソーマを知らない人には難しいかもね。

ここまでが良い意味でこの化粧品の概念をひっくり返された私の感想です。

でも、このあと、私には「ん? これをどう解釈すればいいんだよ・・」といういつもの批判精神がむくむくと頭をもたげてきたのでした。

それが悪い意味で概念をひっくり返された話なのですが、それについては長くなってしまいましたので、また明日。




オーラソーマヒーリングサロン「些々羅」では、メールにてコンサルテーションのご予約を受け付けております。営業受付時間は月~土(AM10:00~PM4:30)です。

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B0「スピリチュアル・レスキュー」

2010-06-27 07:56:00 | オーラソーマ

B0 いやぁ、いよいよ登場しちゃいました、0番!って感じです。

私にとっては、セラピス・ベイやキリストと同じくらい、このボトルはなんだか畏れ多いっていうか、このボトルのことを語るには畏怖を感じるっていう思いだったんです。

だからボトルをご紹介しはじめて半分以上を過ぎた遅い登場となってしまいました。

なにせ、オーラソーマシステムを形づくった最初のボトルですからね。

そして、オーラソーマが「光の身体へ還るための旅」「深く潜在意識の自己を探求するための旅」であり、そのためには第三の眼が開かれなくてはならない、と思えば、このボトルの上部がロイヤルブルーであることはすんなりと納得できることです。(ロイヤルブルーが第三の眼とどうかかわりがあるかについては、「ロイヤルブルーのポマンダー」をUPした日を参照ください。)


しかし、それ以上に「新・ネーミング・オブ・ザ・ボトル」には面白い記述が載っていました。

オーラソーマの創始者であるヴィッキー・ウォールは「Rescue」という言葉は「Re」と「cue」に分けられると思いついたのです。

Re」は、「再び」という意味です。

Cue」はビリヤードの玉突きの道具のことです。ビリヤードをやらない方でもご存知のように、ビリヤードとは四隅にあるテーブルの穴にどちらが先に玉を落とし入れるかを競うものです。

Cue」が四隅に散らばして玉を落としいれることならば、その「Re」とは、ビリヤードの開始のときのように再びセンターに玉を集めること。

つまり彼女は、「Rescue」を「再びセンターに何かを戻すこと」だと位置づけたのです。

この0番に当てはめて言うと、「第三の眼であるスピリチュアルな世界に再びセンタリングすること」ということになります。

これがオーラソーマシステムの最初に現れたボトルだということについて、しみじみと色んなことを思いました。


最初の頃、イクイリブリアムボトルが人々に何を働きかけるのか、ヴィッキーさんにもわかっていなかった、と言います。

その人の内面を観るというよりは、むしろ肉体的な不調に対応するもの、と思われていました。でもあるときから、ヴィッキーさんは、どうも違うようだ、これは肉体的な不調にも良い場合があるけれど、むしろ、その人の内面の問題により働きかけている、と言うことに気づきます。

ヴィッキー女史は、わけのわからない不調、病人ともいえないような半病人の症状に、精神的なものに由来するあるひとつの定型を見たのかもしれません。

そして、その不調の緩和のためには直接的で西洋医学的な薬よりは、よりその人が“魂の本来の在りかを知ること”だ、という彼女なりの結論に達したのかもしれません。

もし、体の不調をただしてあげるだけですべての問題が解決するという結論であるなら、彼女はハーブのスペシャリストでもあったわけですからよりアロマの道を究めるか、キロポジスト(足療家)として活躍していたのですから、もっともっとそちらの道を究めるかにまい進したはずでしょう。

それが、ハーブの力だけではない、鉱物と色という三位一体となって何かしらそこにはその3つがバラバラに作用するのとは違う+αの力が働く、ということを見抜いたからこそ、この0番を誕生させたのではないでしょうか。

そしてその後に、無数の(とは言い過ぎかもしれませんが、少なくとも今もボトルの数は増え続けているわけですから)ボトルが誕生している、ということは、いかに「スピリチュアルに再びセンタリングすること」というのがあらゆる角度から検証されないと誤解を生みやすいことなのか、狭い解釈だけで捉えてはいけないことなのか、の証明でもあるように思います。

もし、この1本だけで全ての人が“魂のふるさとに還る”ことができるなら、何も100本以上のボトルは必要なかったのではないか、と思うので。

そして、彼女はこの「0」という数字にも意味を見出しました。

ゼロは完全な円をあらわしているからです。

再び、「新・ネーミング・オブ・ザ・ボトル」にはそのことがこう書かれています。

「0は、すべてのものがそこから生まれます。それは存在自体です。この理解はスピリチュアルレスキューに含まれて居ます。すべてと無。」

すべてと無。

「すべてと無」を含むB0「スピリチュアル・レスキュー」。

うぅむ、やっぱり深い、深すぎるわ。このボトル~

B0
「スピリチュアル・レスキュー」。

「直感的な深い洞察を日常に活かす。」

キーノートは、「生きることの感覚に明晰性をもたらす助け。クリエイティブなプロセスに役割を見出す可能性。」

アファメーションは、「私は人生を愛しています。そして人生は私を愛します。」

特項として、*精神的なひどい衝撃を緩める。

    慢性的頭痛の緩和。

    落ち着きのなさの緩和。

    レスキューワークをしている人に。(眠っている夜の間に肉体を離れる人)


このボトルは「スピリチュアルに目覚めるってどういうこと?」というのがわからなくて、とりあえずこのボトルを使ってみよう、っと、という人に対して「そっかあ!」というような腑に落ちる答えを提供してくれるとは思えません。

そんなことがあるならば、この0番だけで完結してしまう話だからです。

むしろ、今起きていることがどうしてそうなっているのかわからない、自分の居場所、状態を自分で正確に把握できているのかどうかがわからない、というような目覚め始めたがゆえに自分の足元がふわふわしておぼつかないような気持ちになる人に有効のように思えます。


「オーラソーマヒーリングサロン些々羅」では、ボトル1本から全国どこへでも送料無料でお届けいたします。

ボトルは50ml1本の価格 \5460です。

お問い合わせ・ご注文などはお気軽に、chakra@aura-soma.nameまでどうぞ。




オーラソーマヒーリングサロン「些々羅」では、メールにてコンサルテーションのご予約を受け付けております。営業受付時間は月~土(AM10:00~PM4:30)です。

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引越し業者の策略

2010-06-26 07:58:00 | 身辺雑事

さて、1週間ほど前に引っ越し業者を選定しました、という話を書きましたが、今日はその後のお話です。


私は、「お宅に決めましたよ。」ということを連絡するために記載されていた電話番号に電話をしました。

その番号は、営業に訪れた担当の方の携帯とかではありませんでしたが、通じるようになっていますから、と言われていました。

「ここに書かれているお客様番号を言っていただければ、対応できるようになっておりますので」

そう言われても、私は2,3確認しておきたいことがありました。

なにせ、2,3日のうちに何社もの人とお会いしたので、「あれを言い忘れたのはどこの業者の人だっけ?」「あそこは、エアコンについては何て言ってたんだっけなぁ?」とか頭がぐちゃぐちゃになってしまっていました。

もうひとつには、私が決めようと思っていた業者さんが見積もりは一番細かく記入してありました。「ガムテープ 1個につき200円」というところまで。

これだけ細かいということは、見積もりはあくまで見積もり。

そのときの状況から変わったことについては、意外に高くなってしまうのかもしれない、とか思ったこともあって。

まぁ、値段だけで決めたわけではない、と先日のときにも書きましたが、それはそうなんですが、やっぱり不安ですからね。

それと、あの感じのよかった営業の人に「あなたの対応が良かったから、おたくに決めましたよ。」と直接言いたかったということもあります。

別に恩を売りたいわけじゃありませんけれど、やっぱり決め手となった人に直接お礼を言いたいじゃありませんか。

というわけで、言われたところに電話すると、「●●は今日はお休みをいただいております。」とのこと。

「では、明日またかけなおします。」と言うと、

「はい、宜しくお願いいたします。」と電話を切られました。

このとき、かすかにですが、違和感を覚えたのです。

「先日見積もりに来てもらった元町の坪内と申しますが、あのときの営業の●●さんにもう一度確認したいことがありまして・・」とクライアントが電話したとき、電話に出る人間はもっとくらいつかなくてはいかんでしょー。

見積もりに来てもらった人間が、「もう一度確認したいことがあって~」と電話してくるということは、悪い話ではない。もう、こんなところには頼まない、と決めたところにそんな電話をしてくるはずはないのですから、これはひょっとしてウチに決めてくれるってこと前提か~!? と思ってもらっていいわけです。

ですからこのときの電話の対応としては、「●●にどういったご確認のご用件だったでしょうか? ワタクシでお答えできることであればさせていただきますし、休みをとらせていただいておりますが、急を要すると判断させていただいたことについては、休みでも本人に連絡をとってみますが」くらい言ってみてもいいんじゃないでしょうか。

だって、決まるかどうか、ってとこなんだよ?

一番大切な最後の「詰め」でしょうが。それを「じゃあ、こちらからまた連絡します。」と言ったら、それをそのまま受けて、「はい、じゃあ、そうしてください。」はないだろー。

それで、ずっと相手からの電話を待つ商売すんの?

それでかかってこなかったら終わり、でそんでいいの?

あのしっかりした営業の人の割りには、本部は意外にもたるいな~、大丈夫かな、ここ、と思ったのでした。

でも、私はもう他の業者さんには断りを入れてしまったあとだし、このくらいのことでいやいや業者選定からもう一度考え直そう、と思ったわけではないので、次の日、もう一度電話を入れました。

すると、「はい、こちらから折り返させます。」と言われて電話を待っていると、電話をくれたのは、またも●●さんではなく、そこの本部の人らしき人。

「●●は本日お休みをいただいておりますが、どういったご用件でしたでしょうか?」と来た。


この時点で鈍い私も、おかしい、と思いました。

営業が2日連続で休みをとるだろうか?

よしんばそうだとしても、引越しを決める詰めにいる、先日見積もりに行った家から電話というものに対して、本部としても、「休みでも居場所くらいはわかるようにして、連絡はとれるようにしておけよ。」と言わないのでしょうか?

そこで、ちょっと探りを入れてみる。

「あの~、まぁ、実際家にいらっしゃって、うちの様子をわかってらっしゃるのは●●さんなので、今後も引越しの日までに確認したいことがあった場合、●●さんにうかがいたい、ということがあると思うんですが?」

すると、

「それは、こちらでもわかるようになっておりますので、大丈夫です。こちらで対応します。」という返事が返ってきました。
この時点で確信しました。

●●さんは、この会社の人間ではない、ということを。

まったく外部のフリーの人なのか、契約社員的なものかはわかりませんが、少なくとも●●さんは、見積もりをとるという名目で相手宅へ営業に行き、その会社をアピールする役目だけを背負った人なのだ、と思いました。

これは、私がはしくれに身をおく広告業界の手ではないか、なぜ、こんなことを早い時期に見破れなかったのか、と思いました。

広告業界では、「プレゼンマン」という人が居ます。

どういうことか、と言いますと、大きなクライアントから「来年度のわが社の広告をどこにお任せしようかというオリエンテーションを行いたい。ひいては、このプレゼンについては、競合であることを申し添えておきます。」と言われたとします。

引越しでいうところの相見積もりですね。

そして、引越し以上に値段だけではない、というのが広告ですから当然おわかりいただけると思いますが、そのクライアントの会社の理念を踏まえ、広告のコンセプトをがっちり抑えたうえで、納得のいく、クリエイティブ性の高いTVCFなり、新聞広告なり、ポスターなり、チラシなりの案をつくり、それを説明しにいくわけです。

その説明に行くことを「プレゼン」と言いますが、プレゼンで大切なのは、実は、広告そのものの出来ではなかったり、します。

そのときの自信と風格に満ちた説明、任せて安心だ、と思わせる経験、よどみなくわかりやすい語り口調などのプレゼンスキルというやつが重要なのです。

まあ、人間ですからね~  当然と言えば、当然でしょう。

そして、そのプレゼンのときの説明だけの役割をおおせつかっているフリーのような人が広告業界にはいるのです。

そういう人を「プレゼンマン」と呼びます。成功報酬でお金をもらいます。


この手法を、引越し業界も取り入れていたのだ、ということに気づきました。

そう思えば、ほかの業者では、「ボクは普段本社にいます。」だの「ボク自身も4トントラックの運転手ですから」とかやたらその会社の正規社員であることを強調していた会社がありました。

そのときは、別にそんな当たり前のこと強調してもらわなくても、と思っていましたが、そういうからくりだったのかぁ。


確かに合理的だわなぁ。

「とって何ぼ」という出来高払いの給料だけを払い、どこで何してようが勝手、というその道のプロに任せたほうがねぇ。

しかし、引越し当日そのものにまでその最初のお客様係の人が現れるとは誰も思ってはいませんが、引越し当日までの事務的な用事はずっと変わらずに1人の人で通して欲しい、というのが誰もが願うことではないでしょうか。

説明だけに訪れ、「決めましたよ」の電話ひとつ、その人がもう受けるわけではない、というのはあんまりのような・・


やられたぁ、と思いましたね。

「やられた」と言ったって、何かを搾取されたとか、そのことで実害をこうむった、というわけではないですが、「その人」が決め手となって決めた以上、決め手となった本人がもうそれ以降1度も登場しない、というのはなんだか、ちょっと向こうの手のひらで転がされたというか、思うツボにハマった、というか、描いた策略のとおりにこちらが動いたことになった、というか早い話がちょっとシャクに触ります。

でもまあ、そこの業者でやりますけどね・・




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