先日、赤ちゃんが生まれた知人宅を訪ねました。
そして、つくづく子育ての大変さというのを思いました。
私は出産、育児の経験がないので、頭で考えただけの知識しか子育てについては持ち合わせていません。
そして今まで、「赤ちゃんってほんとに大変なのよ~ ちょっとのすきも目が離せないし、2~3時間おきの授乳で夜だって寝られないし。」と聞くと、夜だって2~3時間おきに起きて、途切れ途切れの睡眠しか得られないというのは大変だな、と思っていました。
それが私の想像の域。
しかし、実際はそれだけではないですね。
そんなことは、実際に自分のお子さんを育ててこられた方は、何言ってんの、今更・・というような話でしょうが、まぁ、お付き合いください。
ちなみにその日私が目にした子育ての実態とは・・
まず、赤ちゃんは常にきちんとお腹いっぱいの分量のミルクを飲んでくれるわけではないんですね。
飲む。もういい、という様子を見せる。眠そうに見える。だから寝かせる。ものの5~10分で泣いて目を覚ます。あら、なんで?さっき、飲み足りなかったの?とまたミルクをやってみる。飲む。やっぱりそうだったのか、と思う。今度こそお腹いっぱいに見える。ゲップをさせようとする。なかなかゲップをしない。本人も気持ち悪いみたい。だからぐずる。眠いのも眠そうだけれど、ゲップが出なくて居心地も悪いので、ぐずりつづける。ひたすら抱っこであやす。ようやく寝かせる。また泣く。なんで? あ、今度はおしっこだ。オムツを取り替える。ちょっと落ち着く。 ・・・とまぁ、こんな具合ですね。
ほとんど世話に途切れがありません。
なぁ~にもほかごとなんてできません。
私はもっと「あ~、今、寝てくれたわ。これから2~3時間はやれやれだわ。」と言うものかと思っていた。もちろん、2~3時間でも大変だけれど、もっとそれ以上に大変だ、という様子を眼のあたりにしたわけです。
私は自分で子育てをしたこともなければ、自分自身も一人っ子なので、身近で育児をする人の様子に触れる、ということもなかったのです。
生まれてから何ヶ月の乳児だからこれでもまだ世話としてはゆるいほうなのかもしれない。要求が「おなかすいた」と「おむつ気持ち悪い」くらいしかないですからね。
これがもう少し大きくなって、ハイハイもして、歩くようになって、片言でもしゃれべるようになって、となると感情のヒダも増え、単純な喜怒哀楽ではすまなくなり、要求も増えてくる・・ となるといくら想像力が弱い私にでもそりゃあ大変でしょうなぁ、というのはわかります。
それでもお母さんは「はいはい。」と可愛くて仕方ない、という様子でそれらを何の苦とも思わずに、やってのけます。
ほんとに母はエライなぁ。
私にはとても無理だ。
もう、イライラッとしちゃう。
先日テレビでまた児童虐待についてレポートしていました。
ここ10年で児童虐待はなんと3倍以上にも件数が膨れ上がっているそうです。
どうしてこんなにも児童虐待のニュースが連日TVをにぎわせるのだろう、とただ純粋に不思議に思っていました。
でもこの日の児童虐待にあった児童たちを専門に治療する医師の話でそうかぁ、と少しその謎が解けました。
その医師はこう言いました。
「昔は、育児というのが、絶対的な優先順位1位だった。けれど、時代が変わって、ライフスタイルが変わって、女の人の意識が変わって、育児が優先順位1位では必ずしもなくなってきた。育児とは大変なことです。それが優先順位1位でなくなったとたん、そんな大変なことができるか、ってわけで、いきなり虐待にまで行ってしまうのです。」と。
この説明に私はすごく納得しました。
というか、自分の身に置き換えて切実に考えることが初めて出来ました。
確かに昭和初期から高度成長時代の初めくらいまで、育児とは個人にとっても社会にとっても絶対的な優先順位1位だったに違いありません。
女の人の個人的な意識もクソもなく、社会という大きな鍋のフタのようなものからすっぽりと「そういうものだ」と押し付けられれば、個人の意識なんて鍋の底に沈んでしまうでしょう。
よしんば、鍋の底のふか~いところで、ダシに使った昆布の裏側あたりでひっそりと「私は子育てだけじゃなくて、他にもやりたいこと、あるけどな・・」という声が潜んでいたとしても、「それは、子育てが一段落してから考えればいいことだから。」という正論のいろんな具たちに押しつぶされていたことでしょう。
だけど、一度女性だって社会に出れば、社会はそんなに甘いものではありません。
会社員なら、産休が与えられますが、実態はなきに等しいものであったり、その産休の間にもどんどん仕事は廻っていっているのだ、と思うと自分が置き去りにされてしまう焦りだってわくでしょう。ましてや、自分が好きで選んだ仕事、やりがいを感じていた仕事ならなおさらのことです。早く復帰しなくちゃ、と思う。
そんな気持ちを抱えて行う育児が、切り替えが上手にできずに、育児が決して私にとっての優先順位1位ではないのだ、という気持ちがそのまま育児そのものに反映してしまう人が出てきたとしても、誰がそれを責められるのでしょうか。
でも大方の人は、それでも子どもが可愛いことは間違いないし、優先順位1位じゃないんだ、という自分の本当の気持ちに気付いてしまってもそれを何とか押さえつけて、ちゃんと育児をこなします。
ましてや、虐待にまで発展するという人はほんの一握りでしょう。
「こいつ、殴ってやりたい」と心の中でおもうことと、実際に手を上げて殴ってしまうことの間には天と地との開きがあると同じように、こどもが優先順位1位でなくても育児を淡々とこなす人と虐待までしてしまう人の間にはむろん、天と地との開きがあります。
それでも「私にとって育児は優先順位1位ではなかった」という出発点がもし同じであれば、自分がそこまではいかないとどうして言い切れるでしょうか。
もうひとつ今度は逆のお母さんのことも思いました。
逆、というのは子どもが大きくなってからも子離れできないお母さんたちのことです。
育児は常にこども優先になりますから、それが子どもが成長して手がかからなくなってきてからも、「はい、本日を持ちまして、こども優先でなくてかまいませんよ。こどもの方はもう十分お母さん離れして巣立つ準備が整ってますからね。」と言われたってお母さんの方はそれについていけない、って感じも何となくわかるような気がしました。
だって、乳児のときに「さぁて、寝たみたいだから、じゃあ、ご飯にでもしようか。」という矢先、こどもがすぐに起きて、「まだぁ、まだぁ、まだ飲み足りてなかったぁ。」と泣くとします。
あら、そうだったの、とお母さんは自分がいくらお腹がすいていてもそれは後回しにして、また子どもにミルクをやります。
これがほんの5分、とかで済むことなら我慢もできるでしょう。
しかし、こどもはときに遊びながら飲むこともありますし、吸い自体が弱くて、本人も一生懸命飲もうとしてる割にはなかなか飲めていない場合もあります。
だからゆうに3,40分たってしまうときも往々にしてあるわけです。
このようにして生まれたときから常にわが子優先でやってきたのにあるときから「お母さん、もういいよ。放っておいてよ。」と言われて、納得できないお母さん、切り替えがうまくいかないお母さんがいたって責められないでしょう。
こういうことは一度、実際の現場を目にすると初めて納得がいくところまで自分のなかに降りてきます。
今まで、何かと子ども優先に自分の人生を生きている人を見ると、鼻白む私がいました。
(なによ、何でもかんでもこども、こどもって。自分はどこにあるの?)って。
でも、産んだときからあんなにも優先し続けてきたのに、という思いがあるとそれも仕方がないだろうなぁ、って思えてきました。
私は幼い頃からずーっと一貫して自分の子どもが欲しい、という願望を持たずにきて、実際にそのとおりの人生を歩んだわけですが、それはたまたま私がもうどのみち子どもを持つことは無理、という年齢になってから結婚したからであって、これがもし、女性の機能が十分に発揮できる20代や30代に結婚していたら、「私って別にこどもいらないんだけどなぁ・・」という気持ちを持ちつつも、絶対につくりたくない、というほどのきっぱりとした意志をもって避妊し続けただろうか、と思うと自信はありません。
むしろ、世間並みに結婚すれば、こどもができるのはあたりまえのこと、として巣作りをしていった可能性の方が高いように思います。
そんな私に、親族などの周りの人はたいていこう言いました。
「そんなこと言ってるけど、自分の子どもが出来てみれば、意外に可愛がるタイプのような気がする。」
「出来ちゃえば、それなりにちゃんと育てられるし、子どもっていいもんだって。」
「他人の子は可愛くないっていう人ほど、自分の子が出来ると溺愛したりするよ。あなたもそのタイプじゃない?」
などなど。
そんなお気楽な意見を聞くたびに、私は(そんなこと言ったって、産んでみてやっぱり思ったとおり、な~んにもそれまでの私と変わらずに可愛いと思えずに、育児も嫌いだったら、あんた、責任とってくれんのかよ。)って内心でつっかかっていました。
20代の頃一度、どういう症状だったのかももう忘れましたが、産婦人科に行くはめになって、「こうやって診断された~」という話を会社でしていたら、同僚の女性に、「やっぱり、こども産まないといろんな不調が子宮に起こるんだよね。子宮は産むことを前提にしている器官だから。」と言われたときは、さすがにそこまで産まない私を否定してくれなくてもいいでしょうに、とむっとしましたが、それ以外は、すべてやっぱり産まなくてよかったわ~、私の人生、ってことばかりでした。
でも、改めて思いました。
創造主はちゃあ~んと、それが自分の使命と思える人、それが楽しくこなせる人のところに育児を配置してくれてあるんだなぁ、と。
赤ちゃんは魂のときにすでに天界から「わたし、あの人をお母さんにする。」って決めてくるのだ、と言います。
だから、赤ちゃんの方からお母さんを選んでいるわけです。
私がこれまでの人生で、“偶然にも”自分の子どもを産むことがなかった、というのは決して偶然ではなく、どの魂にもお母さんとして選ばれなかった、ということであり、選ばれる準備を私は整えていなかった、ということであるからやっぱりなるべくしてこうなってるんだ、と思いました。
そして、産む人も、産まない人も、産んで育児優先の人も、産んで育児は後回しの人も、全ての人たちの気持ちが今日はちょっとだけわかって、つながっているな、ということを味わえました。
お知らせ
7月3日(土)、11:00~16:00(延長可能性あり)
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