ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

子どものずるさ

2013-05-04 09:14:00 | 出産・育児

ちょっと昨日の話題から「子どもつながり」の話題ってことで。

私の友人で義務教育の教員をしている人がいます。

そんな彼女が、自分の子どもが小学校3年生のときに毎日身体のどこかにアザを作って帰ってきた時期があった、という話しをしてくれました。

服を脱がせると必ず新しいアザがある。

「これ、どうしたの?」と尋ねても、

「あれ? どうしたんだっけかなぁ・・」とはっきりせぬ返答。

彼女はそのとき自分の息子が何かを隠しているのではなく、本当にぽーっとしているところのある子なので、どこでつけた傷なのかよく覚えていないんだろうくらいに思ったそうです。

けれどあまりにも頻繁なので、あるとき息子の友人のほうに尋ねてみた。

すると息子の友だちは、

「あぁ、それ、○○くんにやられたんだよ、きっと。○○くんは毎日掃除当番をサボっては人にちょっかいを出してるもん。○○くんに追いかけられて突き飛ばされたりしているところを何度か見たことある。」と言ったので、そういうことだったのか!と担任に確認すると、その担任の先生は、

「○○くんを呼んで確かめたのですが、○○くんにはそんな覚えは無い、むしろボクのほうが追いかけられて突き飛ばされたんだ、って言ってるくらいなんです。だからこれ以上は確認のしようがないんで・・」とおっしゃいました。

まぁ、それ以降そうそうアザを作って帰ってくる、ということもなくなり、友人の息子さんが1人標的のようにいじめに遭っている、という話でもなく、コトは丸く収まりましたとさ、という一件落着でよかったんですが、私はこの話のなかで少し本筋ではないところがひっかかりました。

「結局○○くんが嘘をついてた、ってことなんでしょ? いろんなほかのクラスの子どもに聞いても明らかに○○くんがいつもほかの子を追っかけまわして、突き飛ばしたりしてたって話だよね。

そいで不思議なのはさ、そんな小学校も低学年っていう年齢の子どもが、担任の教師っていういっぱしの大人を向こうに回して、敢然と嘘をつき続けるかねぇ?

なんだか恐いよ・・

私たちの小学校の頃には、どのクラスにも悪ガキはいたけど、そんな風に嘘を突き通すっていうようなずるさを感じさせる子どもはいなかったよねぇ?」と友人に言いました。

そうしたら友人はまた別の子どもの話をしてくれました。

あるとき、誰かの持ち物がなくなったそうなんです。

ハンカチだとしましょう。

教師が「どうして無くなるの? 誰か知ってる人は言いなさい。」と言うと、数人の子どもたちが△△さんがやった、という。

そしてゴミ箱に捨てたのを見た、という。

確かめたら、確かにゴミ箱からそのハンカチが出てきました。

そこで△△さんに問いただしたら、

「はい、確かに私はそのハンカチをちょっと見たくて持ってかかげて眺めていました。ゴミ箱の上でこうしてただ見ていたんです。そうしたらハンカチがゴミ箱の中に落ちました。」と答えたんだそうです。

唖然。。。。

小学生くらいの子どもが、「ごめんなさい。私がゴミ箱に捨てました。」と謝るのではなく、“ゴミ箱の上で見ていたら”“たまたまそれが中に落ちただけ”というような言い逃れをするんでしょうか・・

「落としたものを拾わないのか!」という追及はされるとしても「私は盗もうと思ったわけではない。」という主張は通せるはずだ、と頭が働くんでしょうか。

大人でも思いつかないわ、こんなこと。


友人が言うには、

「結局、親がこずるいのよ。だから、そういう子どもになる。それに尽きると思う。教師なんて今は弱い立場だから、家で鍛えられた(?)子どもにとっちゃ、教師の対応なんてそれこそ赤子の手をひねるようなもの。ここは生ぬるくて天国だわ~ くらいに思ってるんじゃないの。」ということです。

もう、もう、びっくりびっくり。

びっくりの10乗くらいびっくり。


これは私の友人の見解ですから、こずるい子どもがいる、子どもが嘘を突き通す、っていう背景がその子どもの親たちがこずるいから、っていうだけではなく、違う理由があるよ、と言いたい人もいらっしゃるかもしれません。

ただ私がニュースになるほどの事件を見たり、自分の身近で起こる子どもたちのことを知るにつけ、ずっと疑問に思っていたこと、

「私の子どもの頃には、ここまでの子はいなかったのになぁ?」という疑問に対して1つの答えである、「その親の世代の大人がこずるくなっているから。」というのはとてもショックな見解でした。

では、その親がどうしてそんなに悪賢くなってしまったのだろう?ということは、またその親の世代がそう学ばせるようなことをしたのだろう、と考えていけばそれは累々と過去にさかのぼっていきます。

そしてそれはどの地点で、「ここが元祖元凶だ!」といえる地点に到達するのでしょう?

そんなところが特定できるのでしょうか?

それともどこかの地点で急にずる賢さが発揮されるようになったわけではなく、まぁ、これくらいならば・・ということが次の世代にちょっと増幅される形であらわれて、また次の世代にはもっと増幅されてあらわれて、ということから現代が出来ているのだと考えたら人間って少しずつずーっと悪くなり続けているってことなんでしょうか・・?


考えれば考えるほどわからなくなってきますが、何事にも原因は必ずあるはずです。

それがバタフライエフェクト(地球の裏側で蝶が羽根をバタつかせたことが、ひいては台風を巻き起こすことにつながっていた、というようなこと。)のように小さな小さな豆粒ほどのことだったとしたら、それを見逃さないように、放置しないようにしないとどんどん私たち人間は悪いことを増長させていってしまうということになります。

ひとりひとりがそういう意識をもたなければいけないのかもしれません。






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突き動かされる”何か”

2013-05-03 09:05:00 | 出産・育児

1週間ほど前になりますかね、自民党の野田聖子議員の出産から871日の息子との戦い、みたいな番宣をちょっとだけ見ました。

その日の夜に2時間スペシャルかなんかで番組はあったはずです。


でもこういう番組はいつもダーリンが、

「可哀そうで見ていられない。チャンネル変えて。」と言うので、私も見られないんです。

というのは、野田議員の息子さんは障害をもったお子さんだからです。

生まれてから何度も手術をしなくてはならなかったみたいです。

野田議員は岐阜1区でいつも我が家からもほど近いところに事務所をかまえておられるので、私は特に野田議員を応援しているわけではありませんけれど、やっぱりよく眼にするからどこかで気にかけているようなところはあります。

余談ですが、私は彼女が県議会議員だった頃(今から20年以上前だと思います。)に1度知り合いの方を介して一緒に食事をしたことがあるんです。

食事のあと、何軒もスナックに連れて行かれ、帰りのタクシーのなかで聖子さんは、

「ふぅ。これで家に帰るとひとり誰にも見られていない部屋で、うさぎのダンスを踊っちゃうんだよね、なぜか。」とおっしゃったことを昨日のことのように覚えています。

(なんで? なんで1人になってやりたいことがうさぎのダンスなんだ??)と当時よほど私の心に残ったんでしょうねぇ(笑)


ま、それはいいとして。

彼女が50歳で子どもを産む、と言ったときもかなりのニュースになりました。

どーしても欲しいといってはばからない彼女は確か体外受精で授かったんですよね。

そしてその頃から、「そこまでして欲しいかね?」「自然にまかせればいいんじゃないの。」「50歳で子どもを産むなんて単なる本人だけのエゴだ。」などとかなり批判の意見もあったと思います。


そしてめでたく赤ちゃんが生まれて、その赤ちゃんが生まれつき障害を持ったお子さんだ、とわかったときにも「そぅれ、見たことか。」とばかりに、「やっぱり自然の摂理に反して、そこまで高齢で出産をすればそういう子どもが生まれてくるんだって。言ったこっちゃない。」というやはり非難するような声があったこともおぼろげながらに覚えています。

どういうメディアを通してそういう声を眼にしたのが覚えていませんが、そのとき私は本当に野田議員を気の毒に、と思いました。

政治や政策のことで批判があるのは彼女だって甘んじて受けるだろう。

けれど、なんでこんな個人的な生き方のことまでさらされて非難を浴びなければならないのか。

これがもし男性議員の奥さんのことであれば、全く表に出る話ではなかっただろう。

けれど、議員が女性であったことから好奇の目にさらされてしまった。

そう思いました。

しかし、彼女自身が、「それでも私は母になりたい」という本を出版していましたから、ある程度は本人もそういう好奇の目にさらされ、批判の意見もあることは覚悟していたのでしょう。


私は、そんな彼女の政策でない生き方の部分や、どうしても母になりたいという強い思いや、体外受精の現実とかについては全く興味の無い分野でしたので、正直、どうでもよかったのです。

けれど、そんなどうでもいい私でさえ、逆に言えばこの程度の情報は自然に知ってしまうというぐらい、彼女はワイドショー的なニュースネタにされた、ってことですね。

さて、そうして冒頭の番宣で初めて野田議員の息子さんを見ました。

2歳何ヶ月ぐらいになっているようですが、生まれてからずっと治療続きのせいか、体の成長的には1歳何ヶ月ぐらいの子どものように見えました。

しかし、なんて可愛い!

また幾度目かの手術のせいで気管支切開をして喉から直接チューブを入れているため、声が出せないとのことでしたが、それでもお母さんである野田議員を見て、ニコーッと満面の笑顔を見せるところなんかは本当にこちらまで癒される。

きっと野田議員もこの笑顔のためならなんだって出来る、と毎日頑張っているのでしょう。

私は、この可愛い赤ちゃんを見た瞬間にずーっとこの生まれたお子さんを実際に見ないままで、「高齢出産についてどう考えるべきか?」とか、「体外受精についていかに考えるべきか?」といういわば当事者不在のままで一人歩きしていたいろんな議論がバカみたいに思えました。

きっとほかの人たちもそう感じたことでしょう。

それくらい、この真輝くんの笑顔はすべてを黙らせる効果があったと思います。


障害児が生まれてくる可能性が高くなる高齢出産に挑むのは大人のエゴではないか、と言ったところで、この真輝くんにとってはそんなことあずかり知らぬことであり、一生懸命輝いて生きている。

生まれてこないほうが良かったとかそんなことは微塵も思ってやしない。

なんていうか・・ そんな次元は関係のないところで生きている。

もう、それがすべて。

それでいいじゃない、って思えました。

また、ある一部の人々は、「そうなることはわかっていた。命というものが誕生してしまえばその強烈な存在としてのパワーから、高齢出産の是非などに対する論議がなりを潜めてしまうことはわかっていた。だからこそ命が誕生するずっと前の段階にこういうことは議論すべきなのだ。それを実際に生まれた子どもをマスコミの前にさらすのは反則技だ。」と言うかもしれません。


そして、またある一部では、「もう生まれたのであれば、それは仕方がない。しかしわからないのは、そういう手がかかる大変な子にずっとついていてやることができない議員という職業を続ける野田議員とはなんなのだ? あれほどに欲しいと願ったのなら引退して完全に母親業に収まったらいいであろうに。」という感想をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。

どれが正しいとかどれが間違っているとかは私にはわかりません。

ただ私がちらっとだけでも、その真輝ちゃんを見て、そして野田議員を見て思ったのは、

「みんな、何かに突き動かされて生きているんだなぁ。」

ということです。

私たちはみな誰もが頭で考えて、「よし、これについてはこういう結論が出ました。」「私はこうするのが正解だと自分のなかで答えを出しました。」ということに基づいて行動する事ばかりではないでしょう。

むしろ、そうではないときのほうが無限のパワーに守られているような気さえします。

理屈だけで考えたら、こうしたら損だよな・・とか思うのに、どうしても何かに駆られてそれをやってしまう。

自分のなかからむくむくと湧きおこってくるマグマのようなものをどうしても抑えられない。

そんな風に感じてやったことが誰にも1度ならずともあることでしょう。

それこそが本当の自分の望むこと、本当の自分の使命なのかもしれません。

私も、オーラソーマをやっているのは理屈じゃあ語れない。

ダーリンと結婚したのも、損得や条件なんかじゃあ、ない。

ご飯食べるよりも前に、どうしても書きたいことがあるとパソコンに向かってしまうのは何かに突き動かされているからだ。

その“何か”が何なのか?を言葉で突き止める必要があるんだろうか?

野田議員も、何が何でも母親になりたいと思った。

そこはもう理屈じゃないでしょう。

それが人よりはうんと遅くて50歳にして思ったとて、それを責められやしないでしょう。

なんで議員をやめて母親業に専念しないんだ、と言ったとて、議員もまた彼女が何かに突き動かされてやっていることなんでしょう。


みんなどうしようもなく何かに突き動かされて生きている。

それはきっとマルクト(生命の樹でいうところの一番下に位置する王国)のパワーでしょうね。

そしてその突き動かされたことに導かれてやったことを、人から非難を浴びたりするのも「それでもお前はやるのか。」と試されているからなのかもしれません。

そう思うと“試される”っていうのは、そのときには辛かったりイヤな思いをしたりして「もうこんなことはごめんだ。」と思ったりもするのですが、“自分の内側にあるパワーの確認ができる、っていうこと”ですからありがたいことですよね。

自分の内側から突き上げてくる思いを持った人だけの特権だと思えばいいのかもしれません。

そう思ったら、私は今回のB101「ヨフィエル」とのワークにはいろんな試された感があり辛かったですが、それにもやはり感謝の念が湧いてくるのでした。





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