ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

次々に起こる奇跡

2008-06-30 20:42:31 | ペット

次々に起こる奇跡

 初デートの日からダーリンとは、1日も欠かさずに会いました。「会いました」と書いたのは、「デートした」とは言いがたいレベルの会い方の日も多々あったからです。

  私はそれまでデートといえば「仕事帰りに一杯飲みにいく」と同義語のような付き合い方しかしたことがありませんでしたので、ダーリンの誘ってくれ方はとても新鮮でした。彼は、「明日の朝仕事何時から?朝マックしてからで間に合うならそうしようよ。」とか、「何時に帰ってくるの?夜一緒にスーパー銭湯行こうか」(銭湯いったって一緒に入るわけじゃなし、玄関まで一緒にいって、出てきてから一緒に帰ってくるってだけのことですわ)とか、ちょっとの時間の隙間を縫って会ってくれようとしました。

  一番すごいのは、私がメールで、「今日はカットしに、美容院にいった」と送信したら、「これから見にいく」と言ってわざわざ往復1時間かけてたった5分、私のヘアスタイルだけを見に来たことです。私は長年ずーっとショートカットで、ヘアスタイルだって変えようもへったくれもありません。どこをこれ以上切るの?っていう髪型なんですから。だからメールで「ちょ、ちょっと待った! わざわざ見にくるようなシロモノでもなんでもないよ。」と言っているにもかかわらず、です。

  えー・・・  おノロケですね。あい、 次いきまっす。

ダーリンとはその後、1週間後にはプロポーズ、3ヶ月後には一緒に住み、8ヶ月後には入籍しました。

  さてさて、オーラソーマが私に与えてくれた数々の奇跡についてです。

とにかくオーラソーマに出会い、人生のパートナーを得てからというもの、私の身には怒涛のように次々と説明のつかない、奇跡としか言いようのないことが起こったのです。それはまるで、何か自分でもあらがえない大きな力によって、1つの方向にぐいぐいと引き寄せられているような感じでした。

040530_204301 まず、最初に起こった奇跡は、20年飼ってきた猫が彼と私が一緒にくらしはじめたとたんに自分の役目は終わりましたとばかりに1週間で死んでしまったことです。

 私は独身の間、2匹のチンチラペルシャを飼っていました。花奴とぽん太という名前でした。ほんとうはそのあとも桃奴、菊之丞、蘭丸・・と芸者のような名前ばかりをつけた、かわいらしいアイラインを引いた顔をしたチンチラをずらりと飼いたかったんです。でも、猫っていうのは一匹が病気になると完全にもう一匹を隔離しないかぎり皮膚病のような伝染する病気は必ず全員がかかってしまよな、ということに気付いてからは2匹でやめておこう、と断念しました。

それはそれは可愛がっていたんですけれど、4年前16歳になったときに、二匹とも時を同じくして腎臓をわずらってしまいました。ある日、水のみ場から離れられない、という感じで異常に水を飲むのでおかしい、と思って病院に連れて行ったときにはすでに腎臓の機能の8割が失われていて、何年どころか何ヶ月も持たないだろう、と言われたのです。それから毎日点滴の生活がはじまりました。私は朝晩の2回ずつゆっくりと30分ほど時間をかけて彼女たちの体にリンゲル液を流し込みました。人間のように透析するわけにもいかないので皮膚から多量のリンゲル液を流し込み、多量におしっこをさせることによって老廃物を強制的に排出させようというものです。老廃物も流れ出るかわりに本当なら体内にとどまってほしい栄養も流れ出てしまうため、食べても食べてもゆるやかに、しかし確実にやせていきました。

「ポン太は手に乗るくらいやせちゃったね。手乗り猫だね。」なんて笑っていっていました。

050816_212558  でも、1ヶ月が過ぎ、3ヶ月が過ぎ、半年が過ぎるうちに、あまりにその状態で落ち着いているので、最初はショックだった私もなんだか彼女たちはこのままずっと生きていくのではないか、と言う気にとらわれていました。

 それでも毎日毎日、この子たちが死んだらいったい私は正気でいられるんだろうか、という怯えも感じていました。きっと、ものすごい喪失感が襲うに違いない。俗にいう「ペットロス症候群」というやつか。しかし、そんなところでも素直でない私は、「覚悟はきめていたはずなのに、ペットロス症候群になるなんでカッコ悪い。」という気持ちがあったのです。

そして、4年がすぎました。

花奴とポン太を見せていた病院の先生も「驚異だ」とおっしゃいました。年をとれば必ず、といってよいほど猫の場合かかってしまう病気ではあるけれど、花奴とポン太の例はほかの同じ病気の患者さんたちの勇気の鑑となっています、とまでおっしゃってくださいました。

  ペットの場合は、人間と違い、自分の飼っている子にだけ医療行為が許されます。私は、仕事の関係上1日おきに病院に連れて行くことなどできなかったので、自宅で自分で彼女たちに針をさすほうを選択したわけですけれど、それまで先生はできればやっぱり病院に連れてきてもらったほうがよい、と思ってみえたようです。「でも、花奴とポン太ちゃんの例で、僕もほかの患者さんたちに最近では自宅介護をすすめるようになりました。」とも。

  毎日毎日の朝晩30分ずつをかけての点滴は確かにたいへんでした。それから注射器の消毒、ペットの場合、保険がききませんから毎月の治療費もかなりのものでした。それでも、ただただ生きていてくれさえすれば、と言う気持ちだったのです。 

 私も、彼女たちがただつらがるような治療は年齢のこともあり(なにせ、人間の年で言えば、90歳くらいです)もうこれ以上に治るという見込みもないのですからさせる気はありませんでしたが、点滴をやっている以上普通に生活できているかぎりはこれだけは続けようと思っていたのです。

そして、ダーリンと出会って3ヶ月後に一緒に暮らし始めたとき。

まず、ポン太が倒れました。いきなり横になって動けなくなったのです。ついさっきまで元気に水を飲んでいたのに・・だけど鳴き声はハリのある鳴き声をあげていたので、人間でいえばいよいよこれから車椅子生活が始まるのかな、くらいの気持ちでした。

  しかし、ポン太は次の日にあっけなく逝ってしまったのです。

それから一週間後。

今度は花奴が同じように倒れました。050524_213815

花奴はポン太よりは倒れてから生きてくれましたが、それでも1週間で逝ってしまいました。最期にサファイヤブルーのポマンダーをほどこしてあげると、安らかに苦しまずに逝きました。

ポマンダーとは私たちのエネルギーフィールドを保護するものです。オーラソーマでは瞑想を大事にしますが、とくにサファイヤブルーはその瞑想のとき「ブルーの球体が私たちを包んでくれるのをイメージしましょう。」というくらい平和と安らぎの象徴なのです。

花奴とポン太が亡くなってもっと腑抜けのようになってしまうか、と思っていた私ですが、意外にも日々の暮らしの忙しさもあり、ちゃんと両足で地に足をつけて立っていました。

今でも「花奴・・」と一言つぶやくだけでドバーっと涙があふれてきてしまうくらい、彼女たちに会いたくて仕方ありません。これを書きながらも今日は涙がとまりません。

でも、だから癒されていないのか、と言うとそうでもないと思うのです。

どこにも持っていきようがないほどのやるせなさ、というのは今の私にはありません。

それはやはり、ダーリンがいてくれるからだと思うのです。

ダーリンは、花奴とポン太が倒れたときも「俺のことはいいから、花奴とポン太にずっとついていてあげろよ。後で後悔するといけないから」と言ってくれました。

「逝ってしまうまでに、少しでも花奴とポン太に会えてよかった」とも。

花奴とポン太に初めてダーリンをあわせた日。

もう老齢で目がみえなくなっていた彼女たちですが、鼻先を近づけ、やけにくんくん熱心に匂いをかいでいました。そして、そのとき、自分たちの私を守ってやらなければならない役目が終わったことを悟ったと思うのです。

そう、そのとおり。長年、私は彼女たちの看病をしてきたつもりでしたが、守ってもらっていたのは私のほうでした。

(やれやれ、ようやく安心して向こうにいけるわ)と彼女たちは胸をなでおろしたことでしょう。

でなければ、それまで点滴をしながらとはいえ、老齢だからとはいえ、よぼよぼしながら元気にご飯を食べ、歩き回っていた彼女たちが急に倒れ、ものの1週間の間に死んでしまうなんて考えられません。

今になっても思います。

彼女たちが逝くのはあのタイミングでしかありえなかった、と。

あのとき以外、私がいつまでもひきずらずに悲しみつづけることがない時はありえなかった、と。それを彼女たちがわかっていて逝ってしまったのだ、としか思えないのです。

オーラソーマはすてきな引き合いの波長で素敵な人やコトに引き合わせてもくれますが、手放すべきときに手放すことも教えてくれます。


ダーリンとの出会い

2008-06-30 00:28:13 | オーラソーマ

こんにちは。

今日は、私とダーリンとの出会いについて聞いてくださいね。ノロケだろうって?

そーです。そういう部分も多分にありますね

レベルⅠのコースが終わってまもなくして、私は今の主人と出会いました。

実はわたしはすんげえオバサンです。(ぐすっ)

でも、ずーっと人生で子供がほしいって思ったことがありませんでした。子供がほしくなければ、特に結婚しなくてもいいんじゃないの?という考えで生きてきたので、この年になるまで結婚せずにいたんです。(この年っていくつだよ、とお思いでしょうが、成人式を2回以上やれる年なんですよ・・)

でもそれも、いま振り返ってみるとそのほうが合理的で理にかなっていると自分に言い聞かせていたように思います。「結婚に憧れをいだくなんていまどきの働く女性の考え方ではない」というように。俗に「クロワッサン世代」と呼ばれる私の世代の女性ってけっこうそういう考えの人いると思うんですけど・・

それは、私の幼い頃からの親の育てられ方にもあると思います。

幼い頃から私は親に「男の子に負けるな」と言われて育ってきました。母は、私が少しでもリボンやフリル、ピンクに興味を示そうものなら「色気づいていやらしい」と拒否反応を示しましたし、男の子の話題にいたってはそれがたとえテレビに出てくるタレントの話でもご法度でした。

母の発言で2つだけ覚えていることがあります。ひとつは、私が自分のぽっちゃりした指を見て「すらっとしていないから嫌だ」と言ったとき、「好きな人ができたら、そういうところまで好きと言ってくれるからいいのよ。」と言ったこと。

 郷ひろみや西城秀樹が好きといっても(最近のジャニーズと思ってもらえばいいです)

「いやらしい」とはねつけた母が、そのときだけなぜ急にそんなことを言ったのか今もってわかりません。でも私はそのとき何か心の中がほんわりとしたのを覚えています。

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もうひとつは、私が何についてだったかは忘れましたが、何か過激な発言をしたとき、母が「お父さんはね、あなたに勉強なんかできなくてもいいから優しい女の子になってほしいって言ってたのよ」と言ったことです。私は混乱しました。さんざん「男の子に負けるな」と言って育てられてきたのに、今になって「勉強はできなくてもよかった。優しい女の子がよかった。」と言われてもでは私の今までの人生はなんだったのかと思った覚えがあります。

今になってみるとわかるのですが、母のその真逆といってもいいような2つの発言だけを象徴的に覚えていると言うのは、私にとっていかに自分が自分らしく生きることに長い間翻弄されてきたか、ということだと思うのです。

私は小さい頃から活発なこどもでした。自分の言いたいこともストレートに発言できるし、一人っ子ということもありわがまま放題に育てられてきた、といわれてきましたし、事実自分でもそう思ってきました。だから親に自分の人生を牛耳られているはずはない、自分がしたいようにしてきているはずだ、と思い込もうとしていたのです。また、そう思わなければ自分の中の自立心としてのプライドが音を立てて崩れてしまうようでした。今までの人生がすべて無駄だった、と烙印を押されるような気持ちになってしまうからずっとその部分には蓋をしてきていたのです。

だから先生のところは体験コンサルテーションに行ったときには自分が何か問題を抱えているとは思っていませんでした。先生も問題を抱えていることをあからさまに語る人に比べればフォーカスしにくかったと思いますし、私自身もそのときには特に何も感じなかったわけです。

  しかし、先生にあの時言われた言葉「男性性と女性性のバランス」「男性性を強く出して生きてきた」という言葉が徐々に染みのように浮かび上がってきていました。まだ自分の中ではそれを認めたくない自分がいましたし、はっきりと言葉にすることもありませんでしたが、「そういえばあのときに言われたあの言葉・・」と思うようになってからは不思議とボトルを塗っても肌荒れを起こさなくなっていました。

そんな時、今の主人と出会ったのです。それも今思うと不思議な宇宙の力に導かれて、としか思えません。

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  彼は小学校のときの同級生で再会は40年ぶりでした。はじめてデートした日、「私、オーラソーマやってるんだ。」と話したら、「ああ、あのイギリス発祥のやつね」という返事が返ってきてびっくりしました。当然「何、それ?」という反応が返ってくるものとばかり思っていたからです。それに、それに、彼は芋洗坂係長に似ているんです!トレンディなものとか美しくきれいなものとは無縁のような人なのに、なんでオーラソーマをそんなあっさりスルーする感じで知ってんの?と不思議でしかたありませんでした。

  そう尋ねると「うん、最近たまたまちょっと勘違いでこんな本読んだからさ。」と言って彼が取り出したのが、なんと私がオーラソーマの道に誘い込まれた「色の暗号」ではありませんか! 彼の言う「たまたまちょっとした勘違い」というのは、彼は建物の外装の塗装を請け負う仕事をしているのですが、ペンキの色の指定があってそのとおりに塗っても「イメージが違う」とかのクレームにあうことがあるそうで、色ってむずかしいな、なんとかクレームを減らすことはできないのかな、と思い本屋でいろいろな色の本を探していて、オーラソーマとは知らずに買った本だ、というのです。そんなところまで似ているではありませんか。

 40年ぶりに出会った男女がたまたま同時期にベストセラーでもなんでもない同じ本を読んでいたなんてことが偶然なのでしょうか。私はこれはオーラソーマの導きなのだ、と確信しました。

私はどちらかといえば理論的に説明のつかないことは納得できないほうで、この世には現代の科学では説明のつかないことがあるのだ、ということをなんとなく容認はしていても、それは特別勘が鋭いとか超能力をそなえた一部の人の身に起こることで、私には無縁のことだと思っていました。でも、この頃から徐々に私の中に変化が生まれたように思います。

 

奇跡は誰の身にも起こるのだ、と。

彼とは初めてのデートの帰り、ふと会話が途切れたとき、彼がじっと私を見て「おかえり、えっちゃん」といいました。普通なら「はあ?なんのこっちゃ」でしょう。でも、私にはわかりました。40年の時を経て、僕のところにようやく帰ってきてくれたんだね、という意味が。私は素直に「うん、ただいま。」と言っていました。

  これが、ダーリンと私との初デートです。


オーラソーマって何?

2008-06-29 15:28:54 | カラーセラピー

やっほー! うふ

やっとお会いすることができましたね。

私は「オーラソーマ」っていうイギリスで生まれたカラーセラピーのプラクティショナーをしています。上下に色が分かれた107本のきれいな色のボトルを4本選ぶだけで、あなたの魅力、まだ気付いていない潜在意識、人生の目的とかいろんなことがわかっちゃうっていうものです。

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「あー!それ、雑誌とかで見たことある」っていう人、増えてきましたね。でも、まだまだ知らない人もいっぱいいます。だから、今日から何日かにわたっては私のオーラソーマとの出会いも含めて、まず、オーラソーマってどういうもの?っていうお話からはじめたいなーって思ってます。

 

 

オーラソーマって何?

一言で言うならば、「オーラソーマとは奇跡のプログラム」です。

私とオーラソーマとの出会いもまさに奇跡でした。今になってふりかえるとそうとしか思えません。

 そのときの私の仕事はファッションビルのスタッフに対する接客やマナーの講師でした。(なにやら、エドはるみさんとちょととダブるような・・・)ファッションビルに勤めている人たち対象ですから、当然みなさん、服装のセンスもよく、コーディネイトや色には興味があります。その日も何か色に関するネタを拾おうと私は、本屋にいました。そして手当たりしだい、色に関する本を無造作にカーとに放り込んでいたのです。そのなかに、泉智子著「色の暗号」がありました。私はその本がオーラソーマに関するものとは全く知らずに本を買って帰ったのです。

家に帰ってすぐ読み始めた私は、内容よりもまずその美しいボトルの写真に釘付けになってしまいました。そして一気に読み終えるとすぐにパソコンに向かい、インターネットでオーラソーマを検索しはじめました。すると会社のすぐ近くにオーラソーマのスクールがあることがわかったんです。それが今の私の先生、梅村幸子先生のHAS(ヒューマン・サポート・アカデミー)です。案内をみていると「体験コンサルテーション」があるのがわかり、すぐに私は電話をとり、申し込んでいました。

その体験コンサルテーションでは、私は決して良いクライアントではなかったと思います。自分の心のうちは知られまい、と堅くガードしていましたし、何より初対面の人に自分の抱えている悩みやら問題やらをいきなり話すなんてことは私にはできないことでした。先生から指摘された数々の言葉もそのときには特に胸に残るようなものはありませんでした。

でも、そんなことはどうでもよかったんです。私は、あの「色の暗号」でボトルをみたときからすでに体験レベルではなく、オーラソーマを一生をかけてのライフワークにしようと決めていたからです。どうしてそうまで思い込んだのか自分でもわかりませんが、後になってオーラソーマの色の知識がついてくると、自分が「本能でよりわけするタイプ」だから、ということがわかりました。

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 とにかくそのときには、そう決めてしまっていた私は体験が終わるとすぐその場でレベルⅠの申込用紙をもらっていました。

そのとき私が2番目に選んで渡されたボトルは93番の「ヘンゼル」。上層部がペールコーラル、下層部がターコイズのとても美しいボトルです。

先生には「男性性と女性性のバランスに気付くもので、あなたは今まで男性性を強く生きてきたかもしれない。でもこれからは女性性をもっと大切にして生きていきていきたい、ってあなた自身が言っているのよ。」というようなことを言われました。

  自分でもなぜそのボトルを選んだのか不思議でした。というのは、私はピンクっぽい色なんて大嫌いで、洋服やアクセサリーなどでも全く持っていない色だったからです。

これが布で選ぶパーソナルカラーのコンサルテーションであれば、私は決して選ばなかったに違いありません。光を含んだ色・・オーラソーマだからこそ選んだ色。私が私の内に秘めていたものにひそかに気付いた最初だったかもしれません。

光を通して見える色・・ということはオーラソーマにとっての生命線でもある大切なことです。オーラソーマの3原色を混ぜるとホワイトアウト、つまり透明クリアになってしまいます。でも、絵の具で塗ったような平面的な色の場合、3原色を混ぜると黒になってしまいます。これだけでもお分かりのように対極のような概念ですよね。

  だからオーラソーマのボトルには無色透明にみえるクリアはあっても、黒および黒を含んだ色はありません。赤にほんの少し黒を落とすとこげ茶になりますよね。こげ茶もオーラソーマのボトルにはないものなんです。

  私は赤も好きな色ではありませんでした。でも、光を通して見る赤は、私が嫌っていた幼稚くさい赤ではなくて(赤が好きな人、ごめんなさい!)、ワインのような高貴な色にみえました。

さて、話が少々それましたが、93番のヘンゼルをもらって家に帰った私は、早速ボトルを体に塗ってみました。

オーラソーマのボトルは上下ばっちりと2層に分かれていて、上部がハーブオイル、下層部がハーブウォーターです。どちらも49種類のハーブからできていて、オロイドという八角形のタンクのなかで時間をかけて丁寧にミキシングされるので非常に分子が細かく、通常のオイルとウォーターの関係よりずっと乳化しやすく、混ざりやすくできています。

さて、それを塗ってみると最初なぜか皮膚が赤くみみず腫れのようになってしまいました。

先生にそのことを言うと「ふふっ」と面白そうに笑われて「それはあなたが信じてないからかもしれないわね。」とおっしゃいました。

「えっ、そんなはずはありません!」と即座に否定したものの、今から思うとやはり先生のおっしゃるとおり、信じていなかったかもしれません。そのときの私は自分が信じて進もうと思っている道を自分が信じていないわけがないと思い込みたかっただけで、実際にはボトルを体に塗ることでなんらかの気付きがある、という話は「そりゃあ、毎日塗るときに<このことで何か気付きがあるって言われたっけなあ>と意識的に考えながら塗るわけだからそのために割く時間で効果があるのだろう」ぐらいに思っていたのです。

  色が具体的に何かしてくれる、自分を変える力があるとまでは思っていなかったのです。

 

さて、今日はここまでにしておきます。

次回は私がどう変わったか、そして、今の主人(今の主人と次の主人とかがあるわけじゃないですけどぉ)と私の不思議な出会いについてお話したいと思いまーす。