次々に起こる奇跡
初デートの日からダーリンとは、1日も欠かさずに会いました。「会いました」と書いたのは、「デートした」とは言いがたいレベルの会い方の日も多々あったからです。
私はそれまでデートといえば「仕事帰りに一杯飲みにいく」と同義語のような付き合い方しかしたことがありませんでしたので、ダーリンの誘ってくれ方はとても新鮮でした。彼は、「明日の朝仕事何時から?朝マックしてからで間に合うならそうしようよ。」とか、「何時に帰ってくるの?夜一緒にスーパー銭湯行こうか」(銭湯いったって一緒に入るわけじゃなし、玄関まで一緒にいって、出てきてから一緒に帰ってくるってだけのことですわ)とか、ちょっとの時間の隙間を縫って会ってくれようとしました。
一番すごいのは、私がメールで、「今日はカットしに、美容院にいった」と送信したら、「これから見にいく」と言ってわざわざ往復1時間かけてたった5分、私のヘアスタイルだけを見に来たことです。私は長年ずーっとショートカットで、ヘアスタイルだって変えようもへったくれもありません。どこをこれ以上切るの?っていう髪型なんですから。だからメールで「ちょ、ちょっと待った! わざわざ見にくるようなシロモノでもなんでもないよ。」と言っているにもかかわらず、です。
えー・・・ おノロケですね。あい、 次いきまっす。
ダーリンとはその後、1週間後にはプロポーズ、3ヶ月後には一緒に住み、8ヶ月後には入籍しました。
さてさて、オーラソーマが私に与えてくれた数々の奇跡についてです。
とにかくオーラソーマに出会い、人生のパートナーを得てからというもの、私の身には怒涛のように次々と説明のつかない、奇跡としか言いようのないことが起こったのです。それはまるで、何か自分でもあらがえない大きな力によって、1つの方向にぐいぐいと引き寄せられているような感じでした。
まず、最初に起こった奇跡は、20年飼ってきた猫が彼と私が一緒にくらしはじめたとたんに自分の役目は終わりましたとばかりに1週間で死んでしまったことです。
私は独身の間、2匹のチンチラペルシャを飼っていました。花奴とぽん太という名前でした。ほんとうはそのあとも桃奴、菊之丞、蘭丸・・と芸者のような名前ばかりをつけた、かわいらしいアイラインを引いた顔をしたチンチラをずらりと飼いたかったんです。でも、猫っていうのは一匹が病気になると完全にもう一匹を隔離しないかぎり皮膚病のような伝染する病気は必ず全員がかかってしまよな、ということに気付いてからは2匹でやめておこう、と断念しました。
それはそれは可愛がっていたんですけれど、4年前16歳になったときに、二匹とも時を同じくして腎臓をわずらってしまいました。ある日、水のみ場から離れられない、という感じで異常に水を飲むのでおかしい、と思って病院に連れて行ったときにはすでに腎臓の機能の8割が失われていて、何年どころか何ヶ月も持たないだろう、と言われたのです。それから毎日点滴の生活がはじまりました。私は朝晩の2回ずつゆっくりと30分ほど時間をかけて彼女たちの体にリンゲル液を流し込みました。人間のように透析するわけにもいかないので皮膚から多量のリンゲル液を流し込み、多量におしっこをさせることによって老廃物を強制的に排出させようというものです。老廃物も流れ出るかわりに本当なら体内にとどまってほしい栄養も流れ出てしまうため、食べても食べてもゆるやかに、しかし確実にやせていきました。
「ポン太は手に乗るくらいやせちゃったね。手乗り猫だね。」なんて笑っていっていました。
でも、1ヶ月が過ぎ、3ヶ月が過ぎ、半年が過ぎるうちに、あまりにその状態で落ち着いているので、最初はショックだった私もなんだか彼女たちはこのままずっと生きていくのではないか、と言う気にとらわれていました。
それでも毎日毎日、この子たちが死んだらいったい私は正気でいられるんだろうか、という怯えも感じていました。きっと、ものすごい喪失感が襲うに違いない。俗にいう「ペットロス症候群」というやつか。しかし、そんなところでも素直でない私は、「覚悟はきめていたはずなのに、ペットロス症候群になるなんでカッコ悪い。」という気持ちがあったのです。
そして、4年がすぎました。
花奴とポン太を見せていた病院の先生も「驚異だ」とおっしゃいました。年をとれば必ず、といってよいほど猫の場合かかってしまう病気ではあるけれど、花奴とポン太の例はほかの同じ病気の患者さんたちの勇気の鑑となっています、とまでおっしゃってくださいました。
ペットの場合は、人間と違い、自分の飼っている子にだけ医療行為が許されます。私は、仕事の関係上1日おきに病院に連れて行くことなどできなかったので、自宅で自分で彼女たちに針をさすほうを選択したわけですけれど、それまで先生はできればやっぱり病院に連れてきてもらったほうがよい、と思ってみえたようです。「でも、花奴とポン太ちゃんの例で、僕もほかの患者さんたちに最近では自宅介護をすすめるようになりました。」とも。
毎日毎日の朝晩30分ずつをかけての点滴は確かにたいへんでした。それから注射器の消毒、ペットの場合、保険がききませんから毎月の治療費もかなりのものでした。それでも、ただただ生きていてくれさえすれば、と言う気持ちだったのです。
私も、彼女たちがただつらがるような治療は年齢のこともあり(なにせ、人間の年で言えば、90歳くらいです)もうこれ以上に治るという見込みもないのですからさせる気はありませんでしたが、点滴をやっている以上普通に生活できているかぎりはこれだけは続けようと思っていたのです。
そして、ダーリンと出会って3ヶ月後に一緒に暮らし始めたとき。
まず、ポン太が倒れました。いきなり横になって動けなくなったのです。ついさっきまで元気に水を飲んでいたのに・・だけど鳴き声はハリのある鳴き声をあげていたので、人間でいえばいよいよこれから車椅子生活が始まるのかな、くらいの気持ちでした。
しかし、ポン太は次の日にあっけなく逝ってしまったのです。
それから一週間後。
花奴はポン太よりは倒れてから生きてくれましたが、それでも1週間で逝ってしまいました。最期にサファイヤブルーのポマンダーをほどこしてあげると、安らかに苦しまずに逝きました。
ポマンダーとは私たちのエネルギーフィールドを保護するものです。オーラソーマでは瞑想を大事にしますが、とくにサファイヤブルーはその瞑想のとき「ブルーの球体が私たちを包んでくれるのをイメージしましょう。」というくらい平和と安らぎの象徴なのです。
花奴とポン太が亡くなってもっと腑抜けのようになってしまうか、と思っていた私ですが、意外にも日々の暮らしの忙しさもあり、ちゃんと両足で地に足をつけて立っていました。
今でも「花奴・・」と一言つぶやくだけでドバーっと涙があふれてきてしまうくらい、彼女たちに会いたくて仕方ありません。これを書きながらも今日は涙がとまりません。
でも、だから癒されていないのか、と言うとそうでもないと思うのです。
どこにも持っていきようがないほどのやるせなさ、というのは今の私にはありません。
それはやはり、ダーリンがいてくれるからだと思うのです。
ダーリンは、花奴とポン太が倒れたときも「俺のことはいいから、花奴とポン太にずっとついていてあげろよ。後で後悔するといけないから」と言ってくれました。
「逝ってしまうまでに、少しでも花奴とポン太に会えてよかった」とも。
花奴とポン太に初めてダーリンをあわせた日。
もう老齢で目がみえなくなっていた彼女たちですが、鼻先を近づけ、やけにくんくん熱心に匂いをかいでいました。そして、そのとき、自分たちの私を守ってやらなければならない役目が終わったことを悟ったと思うのです。
そう、そのとおり。長年、私は彼女たちの看病をしてきたつもりでしたが、守ってもらっていたのは私のほうでした。
(やれやれ、ようやく安心して向こうにいけるわ)と彼女たちは胸をなでおろしたことでしょう。
でなければ、それまで点滴をしながらとはいえ、老齢だからとはいえ、よぼよぼしながら元気にご飯を食べ、歩き回っていた彼女たちが急に倒れ、ものの1週間の間に死んでしまうなんて考えられません。
今になっても思います。
彼女たちが逝くのはあのタイミングでしかありえなかった、と。
あのとき以外、私がいつまでもひきずらずに悲しみつづけることがない時はありえなかった、と。それを彼女たちがわかっていて逝ってしまったのだ、としか思えないのです。
オーラソーマはすてきな引き合いの波長で素敵な人やコトに引き合わせてもくれますが、手放すべきときに手放すことも教えてくれます。