ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

ハーブエリクサーづくり

2013-05-31 09:10:00 | オーラソーマ

昨日は気を持たせたところで終わってしまい、すみませんでした。

さぁて、今日はのっけから「ヴィッキーさんごっこ」で作った、ハーブエリクサーのシェアリングデーについてどんどんお話しますよぉ!


早い話がオリジナルのポマンダーをつくってみよう、ということだったわけですが、「ハーブエリクサー」の“エリクサー”とは、「霊液」という意味だそうです。

金属でないものを金属に変えると信じられた霊液・・

まるで錬金術師のようですね!


さて、まずはいろんな生ハーブ、乾燥ハーブ、香木が用意されているところからインスピレーションでボトルのなかにたぁ~くさんのハーブたちを詰めていきます。

こちらがRUbbyさんが用意してくださっていたハーブたち。Photo

あ、クリスタルもあったんですよ!

生のお花とか葉っぱについては、なんだかそれをむしりとるのが残酷なような気がしてちょっと躊躇してしまっていたんですが・・

それもぴーちゃん(※「先生はつけなくていいよ~ ぴーちゃん、ティーチャーじゃなくて、ピーチャーだからね。ふふっ。」と本人が強くおっしゃるので、ここからは「先生」抜きです。)が、

「たぶん、ヴィッキーさんがしていたみたいにね。こうして『ありがとう、ありがとう。いま、私のために役にたってくれる? ちょっともらってもいい?』って聞いてみたりしてさ~ んで、いい、って言ってくれたのを取るとね、ほら、こんなにハラって取れるんだよ~」

と言うように、ぴーちゃんがやるとまるでその花びらや葉っぱたちはその枝やガクにちょっとだけはがれるスティックのりでくっつけられていたかのごとく、優しくハラッと取れるのでした。

「自分が何を取ったか、ちょっとメモしておくといいよぉ。」と言われてそうだよな、と書き留めていきました。

私はハーブの名前は全部わかりませんでしたが、見た目にピンクとバイオレットの色をしたものを多く取りました。

やっぱりB35B36の影響かしら・・

そして薔薇もたっぷり使いたかった。

さらにはミントもあのさわやかな香りをたっぷり嗅ぎたくっていっぱい入れました。

クリスタルはぴーちゃんが、

「ローズクォーツはみんな1つは入れてね~ 愛だからね~ みんなの分あるからさ~ あとは適当にインスピレーションで。」とおっしゃったとたん、私にはなぜかはっきりとした数字が浮かび上がり、水晶を3個、ガーネットは1個入れよう、と思いました。

私の中のどこかに「3」という数字でトライアングルのとてもよいバランスを取りたかったのかもしれませんし、オーラソーマジュエリーのようにガーネット1個というのはエナジャイズの意味を込めたかったのかもしれません。

そして最後フタのパッキンを締めるとき、スパイスとして小粒のターコイズをパラパラと散らしたくなりました。

やっぱりターコイズ好きなのでね。

はい、こちらが私が用意した詰め物たちでございます。Photo_2

ハーブを詰めたら強~い度数のアルコールを入れていきます。

最初のうちこそアルコールそのものの香りなんですが、見る間にハーブたちの色がアルコールに溶け出し、香りも手でそっと自分のほうにそよそよとそよいでみると何ともいえないいい香りがするではありませんか!

いやぁ、楽しみ♪

これはこのまま1年間寝かせておいてから、入れておいたハーブを取り出して熟成されたエリクサーはポマンダーとして使えるようになるらしいんですが、あぁん! 私、それまで我慢できるかしら・・

何度もフタをあけて香りを確かめてしまいそう・・

今、作りたてですでにこんなに良い香りを放っているのですから、これからどのようにもっとまろやかに、もっと香りを放ちながら熟成していくのか想像するだけでもわくわくしてきます。

みんなのも嗅ぎあって、

「どれどれ・・ ふ~ん、これはちょっと甘い香りだね。」とか、

「エキゾチックな香りがするね。」とか、

「何かわからないんだけど、なんだかすごく懐かしい香りがする。」とか感想を述べ合いました。

そうするとそれぞれが詰めたものが、そこからそこはかとなく香ってくる香りが、ほんとうにその人そのものを表しているな~という感じがしてきて不思議でした。

みんなが詰め終わるとぴーちゃんが、

「さぁ、そうしたら、このボトルにあなたは何ていう名前なの?って聞いてみてあげてね。そしてどんなことを話しかけてくるか、何か言ってないか聞いてみて。」と言いました。

私のコは、すぐに「ラツィエル」と言いました。

「え? あのラツィエル? へぇ・・ 全然それっぽくないんだけど、なんでかな?」とそのときは思いましたが、よく考えてみれば錬金術師ですものね。

エリクサーづくりで登場してきて当たり前なのかもしれません。

そしてすぐに

「応援してるよ。」というメッセージをくれました。

一瞬「ありがとう!」とわくっとしながらも、次の瞬間、「応援する、ということは応援されるだけの私でなくてはならないわけであり、そのためには頑張らなくてはいけないよな。自分ではもてあましている感があるほど私はエネルギッシュだとは思っているけれど、そのエネルギーの発露をどこに向けたらいいのかで今は動けないでいるんだよぉ。」とちょっと窮屈なプレッシャーをまた勝手に感じてしまいました。

するとまた追って、

「ささくれだったハートをなめらかにもしてあげるから。」というメッセージもくれました。

それから次々に、

「自然と戯れさせてあげる。」

「変わろうとする心を助けてあげる。」

「妖精たちの存在を感じさせてあげる。」

とメッセージをくれました。

盛りだくさんすぎるぜぃ、ラツィエル! セェンキュ~!

それからまたぴーちゃんが、

「じゃあ、出来上がったら、それを赤ちゃんみたいにゆっくりと大切にあやしてあげて。今はオロイドっていう機械があるから機械でやっちゃうけれど、昔ヴィッキーさんの頃にはそんな機械はなかったと思うんだ。でも赤ちゃんを抱っこするみたいに8の字にこうして揺らしてあげると一緒だよ~」と自分の胸にハーブエリクサーを抱えてゆりかごのようにして揺らしてあげました。

すると本当にますます愛おしく感じてきます。

私はこうして赤ちゃんを育てた経験はないけれど、理屈じゃなくて自分の胸で8の字にゆらしながら抱っこしてたら自然により愛情をかたむけられるようになるんだろうなぁ、という感覚が少しわかったような気がしました。


全員がすべての作業を終えると、「じゃ、エネルギーを注入しようか。」ということになりました。

テーブルの上にみんなのハーブエリクサーで円を描き・・ 残っていた花びらや葉っぱを散らして・・ それぞれが持参したクリスタルがボトルのなかにエネルギーを注入してくれるように先端を向けて・・

まぁ! するとなんということでしょう!(「劇的ビフォーアフター」の口調でお楽しみください。)

そこには何ものにも犯されがたい聖なる空間が出現したではありませんか!Photo_3

そしてそこにぴーちゃんが、

「いぃい? じゃあ、セントラルさんからの光の柱を降ろしてくるね。」と言いました。

この“セントラルさん”っていう響き、なんともあったかくていいですねぇ。

京都の人って食べ物も「おかいさん(お粥さん)」っていうように、まるで生きている人間のように「さん」ってつけて呼ぶじゃないですか。

あれが私は大好きで。

とても心がほっこりします。

最後に手を繋ぎあってみんなで「ハレルヤ」を歌い、ハーブエリクサーちゃんたちの誕生をお祝いしました。

この「ハレルヤ」がシンプルな言葉とシンプルなメロディなんですが、これほど浄化されてほんとうに祝福されてもらっている、という気持ちになれる音はないってくらいの代物でして・・

言葉は言霊といって魂が宿る、といいますが、音にも魂は宿っていると思います。

その最高の「ハレルヤ!」という言霊と、最高のメロディにのせて、もう最高に気分は盛り上がりました。

祝福がすむと、みんなうっすらと目には涙が。

うん、わかるよ、わかる。

その感じ。

それをみんなで味わうことができたのもまた祝福だったね。

天にも昇る心地とはこのことでしょうか。

一生忘れないようなステキな体験でした。






メニュー、料金、オーラソーマってどういうもの?ということをもう少し詳しくお調べになりたい方は、「HP 些々羅」をクリックしていただき、「オーラソーマ」のナビゲーションから、お知りになりたい項目をご覧になってください。

そこに直接「予約フォーム」に入れる表記があります。

ブログ左肩の「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」をクリックしていただきますと、最新の「営業案内」を見ることができます。

ご予約はメールにて受け付けております。

「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」は、岐阜市中心街にあるサロンです。(岐阜市役所南庁舎すぐ近くです。)


ぴーちゃん先生のシェアリングデー

2013-05-30 09:08:00 | オーラソーマ

昨日、おとといと京都に「ぴーちゃん」のシェアリングデーを受けに行ってまいりました~

その元はとたどれば・・・

去年、レベル1の再受講でお世話になった京都のRUbbyさんのサロンで、RUbbyさんが沖縄のぴーちゃん先生に“ぞっこんだ”という話をさんざ聞いていましたので(笑)、そんな魅力的な先生に1度会ってみたい、とだんだん私の興味もつのっていったのでした。


一番びっくりしたのは次のエピソードです。

RUbbyさんが、

「ぴーちゃんのコースはね、最後はもう“ラー”やねん。」とおっしゃるので、そのときは太陽神ラーに祈りでも捧げてコースの最後を締めくくるのかと思い、ふんふんと聞いていると、

「ラーってわかる?」と改めて言われたので、

「いや、実はわかんない。」と言うと、

「裸よ、裸。」と言うので「え~!」とびっくりした次第です・・・

沖縄という開放的なシチュエーションに支えられてのこともあるのかもしれませんが、最後は「裸」で締める、ってこれまでノーマルなコースを受けてきた身としてはちょっと想像できないじゃありませんか!

果たして私はそこまで自己解放できるだろうか・・

とかいろいろと考えてしまい、とにかくそのときから私の想像はふくらむばかりなのでした。

ぴーちゃんに会うためには沖縄にコースを受けに行くしかないんだろうなぁ、そしてそれはもっと先のことになるだろうなぁ、と思っていたら、RUbbyさんが沖縄からこれまで出たことのないぴーちゃんを引きずりだすことに(?)成功し、京都でオーガナイズされたために、私は思いのほか、ぴーちゃんに早く会うことが実現したのでした。

そしてお会いしたぴーちゃんは、想像を超える「オンリー・ワンさ」で私を圧倒し、RUbbyさんが「とにかく一度会ってみてもらわないとその魅力は伝えがたい。」と言っていた意味がよぉくわかりました。

私もこのブログで伝えきれるとは思っていませんが、一生懸命少しでも伝わるように書いてみたいと思います。

まず、会ったとたんからぴーちゃんは太陽のように明るかったです。

そういう意味では私が「太陽神ラーに祈りを捧げるってこと?」と聞いたのはあながち間違いではありませんでした。

有無を言わせぬ明るさってありますよね。

それは太陽にしか許されない“明るさ”でもあると思います。

そこに少しでもわざとらしさを感じたり、人前では明るい自分でいたい、という願望が見えたりするとそれは受け取る側としても辛かったり構えたりしてしまいます。

けれどぴーちゃんにはそういう人を「構えさせる」ということが一切なかった。

「お~! 会いたかったよぉ。」と言ってくれるその姿にはそんなことを考える隙などありませんでした。

彼女の温かさは作り物ではありません。

それはぴーちゃんが沖縄の人だ、ということに由来するのかもしれませんが、思わずどんな人でも微笑んでしまう泣きたくなるような温かさがあるんです。

“泣きなくなるような”とは、先天的にその人の悲しい部分に愛を向けられる能力だ、と思います。

それはマニュアルに添って習って身に着けられる、というものではないんですよね~


さて、そんなぴーちゃん先生のシェアリングデーはなんと、「ヴィッキーさんごっこ」!!

もう、このタイトルを聞いただけでワクワクしちゃうでしょ?

この日は具体的に何をしたか、と言うと、オリジナル・ポマンダーを作っちゃいました~!!

ぴーちゃんいわく、

「ヴィッキーさんが最初にポマンダーというものを作ってみようかな、と思った時代には今のような機械を使ったシステムなんてなかったでしょう? 

たぶん、ヴィッキーさんは7番目の子どもとしてカバラのマスターであるお父さんにいろんな散歩などを通して『この葉っぱは、身体のどこに当てたら働いてくれそうかな?』とか、『この花はこういうところでお役に立ちたいって言ってるぞ。』ということを感じ取っていたと思うんだよね。道端にある花をときには摘み取って、ときには本当にお腹に当ててみたりしながら・・ そんなヴィッキーさんの気持ちになってオリジナルのポマンダーを作ってみよう、っていうものなの。」ということでした。

もうもう、これだけでなんとワクワクすることでしょうか!

自分がヴィッキーさんと同じような体験をして、オリジナルのポマンダーを作ってみるなんて!!

まず私がびっくりしたのは、ぴーちゃんがオーラソーマの授業でボトルをたっぷりととにかく使ってみるぅ♪ということでした。

「さ、じゃあ、今日はさ~、なんかB77って感じがしたさぁ~ だからこれをみんなで使ってみるよぉ~~~」と言うと、

みんなで1本B77を使っちゃうんです!!

「こういうふうにしてさぁ~、みんなでべたべたボトルを触りまくって一緒に1本使うっていうことがいいことなのかどうかぴーちゃんにはわかんないさ~ けど、やっちゃうんだよね~ 気持ちいいからさ~」

なんて言って、みんなで最初は服の外に露出している部分、手のひらとか腕とかクロップドパンツをはいているなら足の先っちょとかに遠慮しぃしぃつけるんですが、そんなじゃあ1本はなくならない!

この日の初日は5人だったんですが、最初に手のひらのくぼみに受け取れる部分でなんとか露出部分につけるものの、まだまだあるので、ネックからブラジャーに突っ込んで胸のまわりとか腋の下とか、シャツをたぐりあげて腹の周りとか靴下脱いではだしになって足の裏とかもう、塗りまくる、塗りまくる・・

その間、激しく踊りまくる、踊りまくる・・・

最初は服に「ヤダ、このボトルの色がついちゃう」なんて思っていたのが、そんなこともうどーでもよくなるんです。

「そんなこと、なんくるないさ~」って感じです。


そうしているうちに不思議な“ワンネス”の感覚が湧き起こるんです。

なんだかこのボトルの持つ意味とかメッセージとかよくわかんないけれど、それでもとにかくみんなで一緒になってこれを塗りまくったことによる一体感、高揚感、そして同じように「なんだか身体がカッカしてくるね。」という同じ体験をわかちあった同志たち、って感じ。

これがもう得もいわれぬいい感じでして・・・

私は一瞬のうちにぴーちゃん先生にハマってしまいまいました。

この日使ったB77は、なぜかぴーちゃん先生がシェイクしたとたんに上部のクリアがダイヤモンドの輝きのよう実にきれいに適度に混ざり、適度に混ざらず・・Photo

それから「ハイ、ハイ!」とどんどん生徒に手渡しながら、それぞれがシェイクしてどんどん小気味よく混ざっていき、よけいに1つの物事を達成した感がみんなに行きわたったのでした。

あ・・・

もうすでに枚数が長くなってしまった。

この「オリジナルポマンダーを作る」っていうことについてもう少し書きたかったんだけれど、明日に持ち越そうと思います。

是非とも明日もご清聴ならぬご清読願います。





メニュー、料金、オーラソーマってどういうもの?ということをもう少し詳しくお調べになりたい方は、「HP 些々羅」をクリックしていただき、「オーラソーマ」のナビゲーションから、お知りになりたい項目をご覧になってください。

そこに直接「予約フォーム」に入れる表記があります。

ブログ左肩の「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」をクリックしていただきますと、最新の「営業案内」を見ることができます。

ご予約はメールにて受け付けております。

「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」は、岐阜市中心街にあるサロンです。(岐阜市役所南庁舎すぐ近くです。)


イベント

2013-05-29 09:07:00 | 身辺雑事

先週土日は、カラフルKの柏村先生とご一緒に岐阜グランドホテルで「世界大宝石展」でのイベントのお仕事でした。

柏村先生は岐阜は初めてとのことで、

「ねぇねぇ、なんで岐阜城ってあんな山の上にあるの!?」と興奮。

・・・そんな子どもが「なんでお空は青いの?」みたいな質問されても私にはとうてい答えられません。

「だって静岡は平地にあるじゃない。」

なるほど。

そこから出た疑問でしたか。

柏村先生は市内バスが信長のラッピングバスになっていることとか、そしてそれがかなりイケメンに描かれていることとか、ホテルのそばにコンビニがないこととかにいちいち新鮮に驚いてらっしゃり、スマホで撮影してみえました。

私は「あ、そうか~ 他府県からみたらこういうことが岐阜って変わってるんだな。」っていうことに改めて気付いて面白かったです。

このイベントは岐阜の宝石店さんが何社も集まっての大掛かりなもので、会場も大きな宴会場の仕切りを取っ払ってのもの。

ここでも柏村先生は「う~ん、岐阜にはもはやアベノミクスがきているのね。」と。

いや、そんなことはないはずなんですけど・・

私が聞くのは不景気だ、って話ばかりなんですがねぇ。

確かにこの会場だけは熱気で埋まっているようでした。

岐阜の人は朝も早いのか、10:00開場なんですが、もう入り口外では待ってらっしゃる方もいる様子。

そして開場と同時にどどっと人がなだれこんできて、各ブースに散っていきます。

ある場所なんかでは人が群がりすぎて、宝石までたどり着けない人も・・

まるでその様子は、スーパーで野菜を買っているみたいで、「何十万も何百万もする宝石を見ているとは思えない・・」勢いでした。

そして場内にはお客さまがいらっしゃると、アナウンスが流れます。

「33番の店主の方、お客さまがいらっしゃいました。入り口までお越しください。」

柏村先生はまたこの「店主の方」というのが「天使の方」に聞こえて仕方がない、と興奮。

私もつい会場を忙しそうに往来する宝石店の営業の方の背中に天使の羽根がはえているのを想像して思わずにんまりしてしまいました。

私は、といえば、この○○番、というブースのナンバーからボトルを想起してしまって、「33番かぁ。いるかのように自由な人が経営している宝石店なのかな。」とか勝手にイメージ遊びしてました。

さて、そんな会場で私たちは、いらっしゃったお客さまに各店主さんたちがサービスでオーラソーマ受けられますよ、とご案内するイベントで1人20分というコンサルテーションをひたすら行いました。

普通そういうサービス的なイベントっていうと会場のはじっこのほうかと思うでしょう?

それがなんと!

ショーなどが行われるステージの上でした・・・

まるで本日のメインイベント、って感じ。

そこには私たちオーラソーマのほかにボディジュエリーと耳ツボジュエリーもありました。

そのステージ上というのが、真上にエアコンの吹き出し口があって、寒くて、寒くて・・・

初日は初夏の格好をしていった私は、「いかん! これは絶対体調を悪くする。」と思って日曜日には、真冬のウールのセーターを着ていったほどでした。

それでも芯から冷え切って寒くて寒くて・・


しかしボディジュエリーのみかちゃんと耳ツボの礼子さんは(会場で仲良くなりました。)、イベントに慣れているのと人間が出来ているのとで、一緒にお昼を食べているとき、

「今回はラクだよねぇ。ありがたいよねぇ。こうしておいしいお弁当も用意していただいて、トイレに行く時間もあるし。」と言うではありませんか。

「え! ふつー、トイレにも行けないの!?」と聞くと、

「行くな、って言われるわけじゃないですけれど、次々にお客さまがみえて、もうとても行っていられる状況じゃなくなって、っていうことは多いですよ。」とおっしゃってました。

柏村先生も

「うち、結構イベントの依頼をよく受けるから、だいたいそんなものよ。」とお手のもの、って感じ。


私は我慢できないなぁ。

そういう生理的現象までをブロックされてもやるべきこと、なんてこの世には存在しない!って思っちゃう。

まぁ、食べてる時間がなくなっちゃったくらいなら1日2日のことだし、って思えるけれど、トイレに行けない、薄着で寒さにひたすら耐える、ってことは無理だぁ・・

イベントには向いてないのかしら・・

私たちにはあらかじめ、宝石展の元締め(?)の方からスケジュール表が渡されていました。

どうやらそれを見ると、時間単位で各小売店さんが抑えているような形になっていました。

見ると、多少空きもある。

10:00~18:00までお昼の1時間の休憩をはさんで、ひたすら20分刻みにコンサルテーションの嵐かしら、と思っていたけれど、そのスケジュール表を見て、「よかった。ところどころ空いているってことはトイレに抜けるヒマもあるじゃん。」と思いましたが、実際には会場にいらしてから「あれ、なあに? やってみたい。」とおっしゃるお客さまが多いので、「今、あいてる? 空いてるなら入れてもらっていい?」ということになり、結果、ひっきりなしに昼以降はやはりトイレに行く暇もない、って状態になりました。

けれど、もう忘れちゃうんですよね。

行きたいのを我慢している、って感じではない。

私はいくらコンサルテーションをしてもそれで疲れることはないので(むしろ皆さんからパワーをもらう、って感じ)、怒涛のような2日間でしたが何とか乗り切ることができました。

たまにはこういう非日常も楽しいですね。

勉強になりましたぁ。





メニュー、料金、オーラソーマってどういうもの?ということをもう少し詳しくお調べになりたい方は、「HP 些々羅」をクリックしていただき、「オーラソーマ」のナビゲーションから、お知りになりたい項目をご覧になってください。

そこに直接「予約フォーム」に入れる表記があります。

ブログ左肩の「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」をクリックしていただきますと、最新の「営業案内」を見ることができます。

ご予約はメールにて受け付けております。

「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」は、岐阜市中心街にあるサロンです。(岐阜市役所南庁舎すぐ近くです。)


本当に伝えたいこと

2013-05-28 09:07:00 | オーラソーマ

先日、朝車を走らせていたら、たまたまラジオから三輪明宏さんのお話が流れてきました。

そのお話に思わず耳を奪われると同時に、三輪さんの的確で辛らつな表現に「なるほど、その通り!」と思いました。

それはどんなお話だったか、と言うと。

「最近は泣くために映画をみるとかお芝居をみるとかCDを聞くとか、泣くため用のものもいくつか販売されているようですね。(私が以前このブログでも取り上げた『涙女子』のお話と同じですね。) で、この前テレビを見ていましたら、そういう泣いている人を撮っているシーンを紹介しているものがあったんですけれど、最近のカメラマンは何?  泣いている人の眼のアップばっかり撮っちゃって。

涙を出す、なんてことそのものは生理現象に過ぎないでしょう。

そんな眼から汁を出している絵なんて撮って、何が面白いの?

もっと泣いている姿にこめられた風情ってものを撮らなくちゃいけないじゃないの。

ぎゅっとこぶしを握り締めているところとか、ふるえる後れ毛とか、そういう情緒を撮ってこそ伝わるものも伝わるってことでしょう?

なによ、眼からの汁だけなんて。」


この「眼から汁」って何度も三輪さんが言うのがおかしくて。

涙をそんなふうに言ってしまったら身もフタもないっつーか。

でも、涙そのものはそれだけのことなんだよ、と突き放す。


もちろん、これだけのお話からもわかるように三輪さんは、涙を流すことそのものを否定したりバカにしているわけではありません。

それを伝える側の姿勢に言及しているわけですよね。

まぁ平たく言ってしまえば「木を見て森を見ず。」ということをするなよ、ということでしょうか。

また、“本当に伝えたいもの”を伝えようとするとき、それは本当に眼に見えているものだけなの? そこをよく考えなさい、ということだとも受け取れました。


私はオーラソーマを通して何を伝えたいのか?

それともオーラソーマそのものを伝えたいのか?

ここにはオーラソーマに携わる者として大きな開きがあると思います。

「オーラソーマそのものを伝えたい」のであれば、忠実にオーラソーマが出しているガイドラインに添ってレベル1,2,3・・・と道を進み、ティーチャーになり、そしてやはり忠実にガイドラインに添ってオーラソーマシステムを伝える。

そこに多少“私なりにどう伝えようか”という工夫はあっても、伝えたいことは“オーラソーマそのもの”なのですから、「あらたに3スターズの概念はレベル1から教えなさい。」とか、オーラソーマの中枢部から出た指示に従って教えていくだけですよね。

あまりにはみでたことをしてはいけません。

けれど、「オーラソーマを通して伝えたいもの」がある場合は、決してオーラソーマの全体像を伝えることが目的ではなくなるので、基本に沿う、というやり方では満足できなくなると思うんです。

もっと伝えたいことを強調するためにほかのツールを使いたくなったり、「そこはそんなにいいや。」とはしょりたくなるところがあったり・・


私は後者のタイプだなぁ、と自分のことを思うのですが、では、私はオーラソーマを通して何を伝えたいのだろう?

ここがブレていてはどうしようもない。

けれど、オーラソーマを学ぶうちにそれが深まるうちにそこも微妙に変化してくるんだよなぁ。


最初のうちは「自己探求」でした。

とにかく潜在意識にひそむ自分をボトルを使ってもっと深く探求してみて。 そうすると今まで気付かなかったことに気付けて、今まで認識できていなかった自分に出会えて楽しいよ、ということでした。


でも今は、「人は誰もありのままの自分でいいんだよ。」ということに気付いて欲しいと思っています。

「ありのままの自分」と言うと、それを今まで家族や周囲の人たちに自分の本当に言いたいことを抑えて生きてきて人は、もっと感情を表に出して言いたいことも言っていいんだよ、というように捉えてすぐに「あぁ、うれしい! そうなんだ。それでいいのね。」とおっしゃいます。

それもいいけれど、「ありのままの自分」って単に言えなかったことを言うようになる自分ってことではありません。

私にもまだよくわかりませんが、ラハシャで習ったように感情や思考のバウムクーヘンのような層を超えてもなお真ん中にすっくとある決して傷つかない自分のことです。

そういうことを少しわかっている方は、

「ありのままの自分でいい、って言われても難しいですよね。」とおっしゃいます。


「ありのままの自分でいいんだよ。」ということが一番私の伝えたいことであるならば、それはオーラソーマシステムというメソッドを使わなくても伝えられる気がする・・

使わないほうが伝えられる気がするときがあったり、いやいや、まさにオーラソーマでしかこれは伝えられないよ、ということがあったり・・

なんだかよくわからなくなっている自分がいます。

そしてそんな私は「オーラソーマそのものを伝えることが使命だ。」「そしてそういう人こそがティーチャーなんでしょう?」と言う人たちにとっては異端児に映ることでしょう。

まだティーチャーとしてなんにも活動していないのでそんな風に映ることはないだろうけれど、ブログを通して考え方を吐露しているので、これを読んでいる人のなかには「この人は違うな。」とか感じる人もいるでしょう。


私は私でいい、と思っていますが、以前「1dayイントロダクションセミナー」を行うときに、アザイアクトに1つ質問をしました。

「伝えるときにオーラソーマ以外のツールを使ってもいいんですか?」と。

このときに“ツール”という言葉を使ってしまったのがいけなかった、誤解を生んだな、と今では思うのですが・・

せめて“メソッド”と尋ねればよかった。

そうしたら、

「それはなりません。PPSのテキストにも書いてあるように、オーラソーマを伝えるときには必ず“オーラソーマハット”をかぶりなさい、とあるでしょう?

あなたの伝えたいことは本当にほかのものを使わないと伝えられないことなのか、オーラソーマのものばかりを使って伝えられることではないのか、ということをもう1度よく考えて御覧なさい。」と言われました。


なるほど。

実にごもっとも。

オーラソーマを伝えるにはすべてオーラソーマで包含するように、オーラソーマ頭になりなさい=「オーラソーマハットをかぶる」っていう表現は実によくできていますね。

ごもっとも、と思いながらも私はなぜかこのときにすごく落ち込んだのです。

どうして気分がこんなにも沈むのかその原因が自分でもよくわかっていませんでした。

けれど、それは自分自身が「オーラソーマハットをかぶる」ことに抵抗を感じていたからなんですね、きっと。

オーラソーマは私が改めて言うまでもなくもちろん素晴らしいものですが、でも私は人生、オーラソーマハットをかぶって生きていく、というほどオーラソーマに対して腹が据わっているんだろうか、と自分に問いかけると「・・・」って感じです。

もっと大きなハットがあるんじゃないか、と思ってしまうんです。

「オーラソーマそのものを伝える」ことが一番したいことなら「オーラソーマハットをかぶる」必要もあるでしょうが、本当に私が多くの人に伝えたいことは「オーラソーマそのもの」なんだろうか・・?

ただ「ありのままの自分でいいんですよ。」ってことではないのか?

いや、まてよ。

何かしら何でもいいから心が動かされることをしなさいよ、ってことかな?


こうして考えていくうちに、何が一番伝えたいことなのか、何が一番しっくりくることなのかわからなくなってくるのでした。

私は「木を見て森を見ず」にならないようにしたい、と思ってきたつもりだけれど、反対にそうなっているのか?

なんだか惑ってしまっている私です。





メニュー、料金、オーラソーマってどういうもの?ということをもう少し詳しくお調べになりたい方は、「HP 些々羅」をクリックしていただき、「オーラソーマ」のナビゲーションから、お知りになりたい項目をご覧になってください。

そこに直接「予約フォーム」に入れる表記があります。

ブログ左肩の「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」をクリックしていただきますと、最新の「営業案内」を見ることができます。

ご予約はメールにて受け付けております。

「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」は、岐阜市中心街にあるサロンです。(岐阜市役所南庁舎すぐ近くです。)






なんにでも意味はあるか?

2013-05-27 09:10:00 | オーラソーマ

先日、いつものようにお客さまのもとに旅立ったボトルの穴を埋め次のボトルを迎え入れるためにディストリビューターに発注しました。

そして届いたパッケージを開封すると、なんと1本ボトルが割れていました。


そのとき私は、(あぁ、夏になったんだな・・)と思いました。

ボトルは気温が急激にあがったときに割れやすいんです。

詳しい科学的なことは私にはよくわかりませんが、ボトルのキャップが力強く締めてあるものほど中の気圧と外気の温度のギャップのせいか、割れることが多いみたいです。

昨年の夏などはペガサスパヒュームがこれで夏に割れて、割れて・・っていう事故が続いたみたいだったので、夏期のみはクール宅急便でのお届けに限る、ということになったくらいです。

第一、どこかにぶつけたとか落としたとか乱暴な扱いを受けたことによって割れたのだ、とは非常に考えにくい。

そのディストリビューターはいつも非常に丁寧な梱包をしてくださっていて、ボトルはエアクッションのパッキンで包み、それをさらにダンボール箱に入れるときにできた隙間にはクッション材が入っています。

こりゃあ万が一宅配業者が投げたって落としたって割れやしないだろ、ってシロモノです。

実際にこのときも複数本仕入れたんですが、その1本だけが割れていました。


だからこのとき私は、「あぁ、夏になったんだな」と思ったわけです。

そこに何ら“意味”は感じませんでした。

棚に置いてあるボトルがピシッと音をたててひび割れることもあります。

こういうときオーラソーマファミリーたちは、

「あぁ、祝福だ!」と言って喜び、「割れたのは何番? あぁ、そこに意味があるのね。」と言ったりします。


けれど、あるとき、シェアリングデーに参加したとき最後に参加者の生徒さんの1人が

「最近、○○番が割れた(何番のボトルとおっしゃっていたかはもう忘れました。)んですけれど、これは○○からの私へのメッセージでしょうか?」とティーチャーに教えを乞いました。

するとそのときのティーチャーは、

「まぁ、そういうものに意味を求めたくなる気持ちはわかるけれど、それは単にキャップがきつく締めてあったってことのほうが大きい理由ね。」と実に冷静におっしゃいました。

今から思うと・・・ ですけれど、そのときのティーチャーは、○○番のボトルが割れたことから何を受け取るか、自分では何も感じないものを他人に尋ねたってしょうがないわよ、という意味も込めたかったのかもしれません。

けれどこのとき私は、(そうだよな~ 科学で説明のつかないようなことが起こったのならともかく、たぶん温度差とキャップの強い締め付けってわかっていることだけにそれ以上の意味を求めてもなぁ。)とそのティーチャーの説明にすがすがしささえ覚えた思いでした。

そしてふっと気づきました。

このとき割れた1本とはB104「大天使カマエル」でした。

カマエルは、つい先日「1dayイントロダクションセミナー」を行ったときにいらしてくださったお客さまがお持ち帰りになったものです。

私が「カマエルは公共の場を守ってくれる天使だから、仕事とかにいいみたいよ。」と言ったので、その方は自らの仕事の成功と豊かさのためにお求めになったのでした。

そのカマエルが割れた、ということは・・

こりゃあ、私にこそカマエルが必要だよ、っていう知らせだろうか・・

そんな“意味”を考え始めた私でした。

そもそも「ボトルが割れる」ってこと自体は科学的に説明がつくことだとはいっても、複数注文したなかでどうして1本だけ割れたのがB104「大天使カマエル」だったのか?という説明はつかない。

たまたまだよ、って言われればそれまでのことだけれど、説明がつかないことは確かです。


そしてさらに考えれば、私は初めてオーラソーマに“奇跡”を感じたのが、ボトルを揃えた直後になぜか鳥の羽根のような形に割れたB94「大天使ミカエル」でした。

そのとき私はそのボトルが割れたことに“意味”を求め、ミカエルに「頑張れよ!」と後押しをされたような気持ちになったからにほかなりません。

あのときには意味を感じておいて、今回はスルーかよ、っていう声が自分の奥から聞こえたりして・・

そしてさらにさらに思い出しましたが、うちのサロンでこれまでに割れたボトルというのは、なぜか大天使のボトルとマスターのボトルばかりです。

おまえに知恵と力を貸してやりに来たよ、っていう感じがしますね~

ここで私は改めて、思う。

人間、それは事実だから信じるとか非科学的だから信じない、とかそんな基準で、信じる、信じないを決める必要なんてどこにもない。

人は、その人が信じたいものを信じればいいんだ。

そうすれば、その人にとってそれが真実だ。

誰がなんと言おうとも。


ただ1つだけ、せっかく自分が信じたいと思うものが、ネガティブなものであってはしょうがない。

“恐れ”を信じることだけはやめようと思いました。

だから、B104「大天使カマエル」が割れたのは、「まだまだ私の仕事が軌道に乗っていないから来てくれたのかな。」なんていう考え方はすまい。

きっとカマエルは、「前に進むつもりのことがあるなら、いくらでもフォローしてあげるよ!」ということで来てくれたんでしょう。

「これからもっと忙しくなるでしょ? だからボクの助けも必要でしょ?」ってことで。

うん、そう思おう。

それを信じよ。

だから、

「起こったことにはすべて意味がある。」

というよりも私には、

「起こったことすべてに、自分が前を向いて歩くための意味を見出したならそれを信じてみよう。」と言ったほうがしっくりきます。(逆に意味を見出せなければ、あるいは“恐れ”にとらわれてしまうような思いを抱くのであれば、それは「なかったことに。」ってことで・・ あはっ。単に調子いい奴です。)







メニュー、料金、オーラソーマってどういうもの?ということをもう少し詳しくお調べになりたい方は、「HP 些々羅」をクリックしていただき、「オーラソーマ」のナビゲーションから、お知りになりたい項目をご覧になってください。

そこに直接「予約フォーム」に入れる表記があります。

ブログ左肩の「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」をクリックしていただきますと、最新の「営業案内」を見ることができます。

ご予約はメールにて受け付けております。

「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」は、岐阜市中心街にあるサロンです。(岐阜市役所南庁舎すぐ近くです。)