ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

携帯ショップって・・・

2011-02-28 09:18:00 | 身辺雑事

先週、携帯の充電器のアダプターが壊れました。

携帯電話に差し込むところがなんかぐにゃっと斜めになっちゃって、充電が終わって引き抜こうとすると引き抜けなくなっちゃった。

なので、先週の金曜日、近くの携帯ショップに行きました。

すると、「あぁ~、これはこのまま無理に引き抜くと中のデータが失われる可能性があって危険ですから、このままお預かりしてメーカーに修理に出すことになりますが。」と言われました。

「どのくらいかかりますか?」と尋ねると「1週間ほどですね。」とのこと。

そんなにかかるのかぁ。

「ということはですね。今日、金曜日ですが、今日このままお預けしたら、来週の木曜日あたりにはできます? それとも土日をはさむことになるので、23日余分にかかっちゃいます?」と重ねて尋ねると、

「あぁ、そうですね。メーカーさんは土日休みなので、23日余分にかかるかもしれません。」

「だったら、月曜日に出直します。」とショップを後にしました。

このときも実を言うと、内心、かるぅ~く、イラっときたんだよねぇ。

私の方から切り出さなければ、「1週間」と言っていた修理期間が、「すいませ~ん。土日はさんだものですから、10日になりました。」とか、向こうは言わなくちゃならなくなったはずでしょ。それも預けてからあぁ、そういうことが発覚しちゃった、ってことになったわけでしょ。

今日が何曜日かなんて基本的なこと、踏まえて商売しろよ、と思いましたもん。

みっともないけど、アダプタをつけたまま持ち歩けば用は足せるわけだから、預けなかったのは慣れない代理の携帯で過ごす期間を少しでも短くしたかったんです。

というわけで、土日そのままの状態で持ち歩いていたら、バッグのなかでいつのまにかうまい具合に外れていました。

やれやれ。


しかし、今度は充電ができないわけで。

差込口のところが変形して抜けなかったのだから、無理に差し込んで充電しようとしたら、またおかしなことになっちゃう可能性大だし。

というわけで、乾電池の残量が少なくなってきているのを見た私は月曜日の朝イチにまた携帯ショップに駆け込みました。


するとえらく混んでいました。

混んでいました、といっても、小さな携帯ショップで店員が1名か2名しかいないところです。

その日は2名いらっしゃり、その2名ともがカウンターで接客中でした。

私が入っていっても、「いらっしゃいませ。」の一言もなし。

いつもショッピングセンターで、「どんな状況であっても、入ってらしたお客様には一瞬でもそちらに視線を投げて、元気良くいらっしゃいませ、と言いましょう。」と教えている私はここでちょっと気分を害します。

見ると、その2名とも新しい機種をお買上の方のようです。

こりゃ、時間かかりそうだわ。

そしてさらに椅子には2名の方が腰掛けていらっしゃいました。

その方たちが、次を待っているお客様なのか、2名いらっしゃるけれど友人同士で用事はどちらか1名なのか、はたまたカウンターに今いらっしゃる方のうちのどちらかのご家族なのか判別がつきませんでした。

つまり、このカウンターの人たちのどちらかが終われば次に私の順番が回ってくるのか、それともさらに次の2名が終わってからになるのかよくわからないのでした。

どうしようかな~と思いながら、接客中の店員の人に「どれくらいかかりそうか?」ということだけを尋ねようと思って、椅子にも腰掛けず、間合いを見計らってそのままカウンター近くに立っていました。

それでも、店員は一切私の方を見ようとはしない。

ゆえにもちろん、「あ、そちらで掛けてお待ち願えますか?」のアプローチもない。

そばに立っていることぐらいは自分の正面のお客様を接客中でも気配でわかっているはずです。

彼らはその接客を一瞬でも止められることに拒否反応を示しているように見えました。

コミュニケーション拒否。

ひとりの人のほうが、とりあえず会話は終わったようです。

なにやら店員の人のほうが、パソコン上で処理しなくてはならないことがあるみたいでそのお客様の方は別の携帯でも見て待ってようかな、と思ったのか立ち上がりました。

その瞬間を逃さず、私は尋ねました。

「あの、ちょっとお尋ねだけしたいんですが・・」と話しかけると、なんとその私が口を開いた瞬間にその店員は、手で「待て」のポーズをして、私を制するようにしたのです。


そして、見りゃあ、わかるだろう、この状態でよく話しかけられる人がいたもんだな、というようなちょっと驚いたような表情さえ浮かべました。

そのポーズと表情にこちとらがびっくりだわ。

それに臆せず私は続けました。

「あの、どれくらい時間が掛かりそうかだけ教えていただきたいんですが。」

すると、なんとその店員は、

「さぁ、あとそちらのおふたりもまだ待っていただいておりますので・・ 15分か20分くらいでしょうか。でも、用件にもよりますし、何ともこちらでは・・」と言いました。


椅子に座っていた2人がカウンターの人たちの家族でもなく、2人同士が知り合いでもないことがわかれば十分です。

今まだ2人が接客中で、そのあとに2人の人が控えていて15分か20分程度で私の番が回ってくるわけがないことぐらい、どんなド素人の私にだってわかりますわ。

何が「用件にもよりますし、何ともこちらでは・・」だ。

目の前にその人たちがいるんだから、どんな用件かぐらい聞いてみればいいだろうが。

どちらにせよ、こんなところで長居は無用だ、と思いました。

黙って店を後にしましたが、このときも、「すみませんでした。またのお越しをお待ちしております。」だの「またよろしくお願いします。」だの、「ありがとうございます。」だのなぁ~んにも声がけはなし。無言のまま。

つまり、私が口を開かなければ、店のほうからは一切の声がけが行われない店だったのです。

ひどい店だね。

この店は家からほんの数分のところにあるから行ってみたのだけれど、月曜日にそれほど携帯ショップがどこも混みあっているとは考えにくい。

そこで、私は車で行かなければならないけれど、別のショップまで出かけてみました。

ここも車ならほんの5分ぐらいなんですが、立駐への出入りが面倒だし、いったん車を出すとなぜか5分や10分の用事ではすまなくなるんだよね~

まぁ、そう思いながらも、あの店に2度と行く気はしないし、と思いながら、車で訪れた店をのぞくと、なんと、客はひとりもなし。店員の女の子がヒマをもてあまして、自分のロングヘアの枝毛探しをしているではありませんか。

しめた! とすぐに飛び込みました。

そして、「あの、充電器が壊れちゃったんですが、これ、見ていただけます?」と差し出すと、

「あぁ、これはもうどうにもなりませんね。ポイントをお使いにもなれますが、現金払いだと945円で、すぐに新しい充電器をお渡しできます。どうされますか?」

「現金でお願いします。」

「はい。こちらです。」

私は945円を支払って、その店を後にしました。

その間、きっかり140秒。(ほんとだってば。その店についていた大きな壁時計を見てたんだもの。)

たった140秒で済む用事をいったいあの家の近くの店であのまま待つことにしていたら、何時間かかったことだろうと思うとぞっとしました。

私は、そもそもせっかちなほうでもありますが、特に、ただ無駄になるだけの時間と言うことに対して、異常に敏感で、それを避けたい、と思うのです。

家でぼーっとしてテレビ見てたりするのはいいの。

自分で意識してぼーっとしてたり、何時まではと割り切ってこのテレビ番組みよう、っと思ってやってることだから。

でも、ただ待つ、っていうの、しかもそれだけ待ったあとに、その待ち時間がただの無駄なものだった、ってことになるのは耐えられないんです。
何でだろう、普段それほど有効に時間を使っているわけでもないのにね。

土台、携帯ショップというところはものすごく非効率的な時間が多いのではないでしょうか。

スーパーに行っても、クイックレジと言って、5品以下の買い物のお客様はこちらのスムーズに清算できるレジをお使いになることができます、というシステムがあります。

役所に行ったって、銀行に行ったって、番号札をとって、確実にお客が前後することのないように管理されています。

そして、全体の流れを見ているロビーマンのような人がいて、困った様子の人がいたりすれば、「いかがされましたか?」「どういうご用件でしたか?」と尋ねてくれます。

しかし、携帯ショップは客の利便性をはかるこれらのシステムが一切ない。一切ないにもかかわらず、人によっては初めて携帯を買ったり、機種変更などで、住民票が必要ですとか、ここにこういう記載が必要です、とか「はい、これ買います。」と言ってからも1時間の余、時間がかかることがあります。

なのに、1分で用事が済む人でもひたすらおとなしくその人の後まで待っていなくてはならない。

私はよほど仕方のない用事でもないかぎり、携帯ショップなどはのぞきませんが、日曜日などに携帯ショップの前を通りかかると、すごく大勢の人でにぎわっています。

あれは、効率的に客をさばけないから、たむろしちゃってるだけなんじゃないの?

もう少し、カウンターの店員には、挨拶の徹底と客の側の利便性を考えた対応をするように教育してほしいものだわ。

これからも携帯ショップなんて、よほど行かなくてはしかたがないときにしか行くものか、と心に固く誓うわたしなのでした。


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オーラソーマ パーミストリー講座5

2011-02-27 09:15:00 | オーラソーマ

はぁ~、たった1日の講座を受けてきたことによって、こんなにも書くネタがあるとは自分でも思っていませんでした。

でも、それも今日が最終回です。

昨日は、自分が受胎前の魂の段階のときの気付きの話を書きましたが、今日は、スピリチュアルラインではなく、もうひとつ、フィジカルライン(生命線)での気付きのことをお話しようと思います。


わたくし、パソコン音痴ゆえに写真以外の画像をどうやって挿入したらいいのか、また自分で作りこんだらいいのかわかりません・・・(そんなことばっかり言ってないで、勉強しなくちゃね!)

で、生命線などの手相を見るときに必要な有名な線がどの線のことを言っているのか、ということは皆さん、ご存知の上の話、ということで進めさせていただきます。知らない方は申し訳ありませんが、何かほかの資料で確認してみてね。

この生命線がまず単純に深く堂々と1本の線となっているかどうか、弱く細い線かどうかでわかることがあります。

あとはどの辺りから出ていて、どんなカーブを描き、どのあたりで終点を迎えているかでもむろん、わかることがあります。

そして、その線にあらわれている染みだとか、島と呼ばれる円だとか、その線から派生している細かい線とか傷のようなものだとかでも見て行きます。


そしてもうひとつ驚いたのが、金星丘と呼ばれる親指の付け根のふっくらとした手のひらの部分の中心点と指の付け根を結ぶ線をつくり、その線が生命線とどの時点で交わっているかで、何歳の頃に何があったか、これからどういうことが起こるか、ということがわかるのです。

ちなみに私は終点に向かう最後のところになって、生命線が二股に分かれているのです。

これは、海外に移住するだのとか、生活の大きな変化、とくに居住地の変化を表すものだそうです。

ええぇ~っつ!

こんな人生の終末を迎えようというときになってから大幅に生活が変わるのって不安じゃん!

そう思っていくつのときにそれが起こるのか、詳しく出してみたら、だいたい77歳付近でわたくし、そういうことになるらしいです。

で、この時点ではそれが良い意味でそうなることなのか、悪い意味でなることなのかまではわからないのですが、ふと私の脳裡をよぎったのが、昔、ダーリンのことを四柱推命で見てもらったときのこと。

ダーリンは、60歳過ぎてからいったん、今の生活に終わりを迎えるのだそうで。(仕事の破綻!?)

で、その一大事を乗り越えてまた70歳過ぎてから何かを築き上げる、ということを言われたのですが、それに関係しているのかしら・・?

ダーリンに何かあれば、一緒に生活している私も当然影響を受けるはずだから。

このフィジカルライフラインのマッサージはまた使うプロダクトも使う指も動きも違います。

実習では、される側が「ここが気になっている」ということを話して、「・・・だからこの辺を念入りにやってください。」というようにリクエストできるという話でした。

やはり、この二股のことが一番気になった私は、「ここんとこを重点的にお願いします。」と言いました。

そして、マッサージをしてもらっていると・・

なんと、そのあたりに差し掛かったあたりで、まぶたの裏にものすごく明確なビジュアルが見えたのです。

それは、高校生ぐらいの男の子が短距離走のゴールを切るシーンでした。

とても苦しそうな顔をしてやりきった!というように子供たちはテープを切りました。1位の子は明確に1位とわかりましたが、それほど差がついての2位、3位という着順ではなく、結構団子状態だったのです。

1位になった子は、中東の人のような顔立ちをしていました。

その子の顔をめちゃくちゃ鮮明に覚えています。

もし、道ですれちがったら、「あ、あの子よ。」と確実に大勢の人のなかからでもその子を指し示せるくらいに。

「スラムドッグ・ミリオネア」の主人公の男の子にとても似た顔立ちです。

私には、時々こういうことがあります。

夜眠りに落ちる寸前くらいのときに、まるで人種のるつぼ図鑑か、というほどいろんな人の顔が見えることがあります。

どの人もめちゃめちゃ個性的な顔の人ばかりです。

それがすごくリアルなのです。

あれは一体何を意味するんだろう・・?

このときもそんな感じでした。

単純に考えれば、人生、終点を迎えるあたり=ゴールを切るシーンというのは、その比喩として現れただけなのだ、ということのようにも思えます。

でも自分の人生なのに、どうして自分じゃなく、ダーリンでもなく、見知らぬ中東の高校生みたいな顔ぶれを見たのだろう・・?

苦しそうに、ようやく1位をつかみとったということは、人生の最後の最後にきても、平穏で安楽な生活を送っていない、ということだろうか。

気になってしまいました。

なので、ここもプロダクツを使ってせっせ、せっせとケアしております。

先生によると、手相は変えることができるし、そのスピードは、速い人だと23時間で変わっちゃうこともある、というぐらいらしいですから、私の老後に対するわけもない不安感というのがどこから来ているのか、という脳の地図が書き換えられることができたら、この線は変わるはずです。

変わったら、またUPしてお知らせしたいと思います。

どちらにせよ、そのなかに私の魂の学びがあることは間違いないのです。

だから気になってはいますが、恐れてはいません。


面白いわ~、パーミストリー。

オーラソーマの要素のなかでもじっくりと取り組みたいものの1つとなりました。

こうして、もっと知りたい、と思うことが増えるのって幸せな人生だと思います。感謝、感謝。


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オーラソーマ パーミストリー講座4

2011-02-26 09:26:00 | オーラソーマ

さてさて、私が親指のマッサージ拡大版としてのスピリチュアルライフラインのマッサージを受けて感じたことですが。(もう、こうやっていきなり書き出さないと、また前段が長くなっちゃうからさぁ)

私は中指の頂点から人差し指の頂点までのその股のマッサージをしてもらったときに一番感じることがありました。

このラインは、受胎前の前の「行動の自立」の時期です。

それは、中指が土星と関連していて、人差し指が木星と関連していることと関係しています。

土星は別名サターンとも呼ばれ、冷たいエネルギーをもったカルマの帝王です。

木星は別名ゼウスで、発展、野望、暖かな叡智を持っています。

この両極の星が会話しているところに魂は宿っていると考えられているのだそうです。

そして、今度生まれていくために魂はまだ学ぶべきレッスンがあることをそこで認めるのだそうです。

ここで使用するプロダクツは、レディポルシャのクイントエッセンスです。

ここで先生はちょっといたずらっぽい表情を浮かべ、私たちに尋ねました。

「どうして、レディポルシャなんだと思う?」と。

いきなりそんなこと聞かれても、全くわかりませんでした。

先生は、「レディポルシャのメッセージって何だっけ?」と今一度尋ねました。

私が、「汝、裁かれたくなければ裁くなかれ、です。」と答えました。

そう答えても、だからそれがどう関係してくるのか、自分でもわかりませんでした。

すると先生は、「そう。あまりにも厳しいレッスンを自分自身に課すと、その人の人生は大変なものとなってしまうでしょ。だから、ここでまずは厳しすぎるレッスンにしないために、裁くことなく識別していく必要があるの。」とおっしゃいました。


そっかあ~!

なるほどねぇ。とっても納得だわぁ~

このようにして、すべての指の股のワークに使用するプロダクツはそれぞれ違います。

そしてそれぞれの時期に必要なそれぞれの学びのために、そっかあ~! なるほどねぇ、そりゃ理にかなっているわ、というプロダクツが対応しています。

やっぱり素晴らしいわ、オーラソーマって!

で、私はこのレディポルシャを使って中指と人差し指の間をマッサージされ、もう少しで終わりだ、という地点に差し掛かったとき、

「待って! もう終わっちゃうの! まだよ、まだ。もう少しゆっくり行って。まだ待って欲しい。」と叫びたくなるような感じがしたのです。

それはとても切ない気持ちでした。

去りがたい地から、自分が行かねばならないことはわかっているけれど、次に向かう地にはまだ自分はそこまで準備が整っていないの、というような感じでした。

それは、マッサージが気持ちよかったから、そこんとこ、もうちょっとやってて、というような純粋なマッサージ治療院でそう言いたくなる感じとはちょっと違います。

これは何だろう・・・?

何を意味しているんだろう?

自分なりにシェアのときに考えました。

自分が書き込んだテキストを見て、ハッとしました。


指にはそれぞれ第一関節と第二関節があります。

つまり、部分としては3つのパーツに分けることが出来ます。

第一関節から指先までの部分は、どの指でも、「理想」を表している部分だそうです。私は何か達成するものを持っている、ということに関係している部分。

そして第一関節から第二関節までの間の部分は、どの指でも、「その理由」を表す部分です。どのようにしたらそれを達成することが出来るのだろうか、ということに関係している部分。

そして第二関節から手の平にいたる指の付け根までの部分は、その「実践」を表しています。ブループリントの智恵に関係している部分です。

そのなかで私は中指から始まって、人差し指の指先の頂点までで終わるこの部分の最後のへんで「待って!」という感覚がしたわけですから、「理想」に関する部分で躊躇を感じた、ということです。

私は何か達成するものを持っている、という理想。

それが何であるのかまだはっきりしないうちに次の受胎に向かうほうへ行かないでよ、と私の魂は生まれる前に叫んだことがあったのか・・?


実際にこの世に生れ落ちてからも私は今、ターコイズ好きの、4.5チャクラのメッセージに基づいた自己探求好きとなっています。

それは魂の段階のときにはっきりとよし、前にすすんでよし、肉体をもってよし、という準備が整わないなかで生まれてきてしまったから、現世で魂の段階で済ませておかなければならなかったことをまだやっているということなのだろうか・・?と思いました。


それとも、何か私は、自分で自分の人生に裁きが必要な厳しい課題を与えすぎたのでしょうか?

だから、ちょっと切ない、悲鳴に近いような声をあげたのだろうか・・?

いずれにしても、私には少しの間、レディポルシャが必要なようです。

このマッサージは自分でやってももちろんいいわけなので、せっせとレディポルシャで癒してあげたいと思いました。


・・・というわけで、日曜日帰ってきてから毎日のようにせっせせっせとレディポルシャで受胎前の魂の私を癒し続けてあげていた結果、昨日ふとまたも人差し指の先端に行こうとする地点で、「その魂は立派だったんだよ。すごく自己犠牲をいとわない立派な魂だったんだよ。」という声が聞こえてきました。(実際に声が聞こえたんではなくて、そう言われたような感じ。)

そぅなの・・?

私の魂が立派だった?(ま、魂のときのことだからね。)

しかも自己犠牲をいとわない?(全然違うと思うけど)

でも、だから初めのとき、切ないような気持ちになったのかなぁ、と納得するような気持ちになりました。

しかも、私のこの人差し指の中指側の内側の部分たら。

すべての指のあらゆる部分のなかで、一番柔らかくて、皮膚が薄いって感じです。

生まれたばかりの穢れのない赤ちゃんに触れているような感じがします。

とっても無垢な魂だったんだなぁ、と思えてきます。

ちなみに先生いわく、私たちの魂というのは、何もなければすべてストレートにその使命を本来果たせるものなのだそうです。

そこに「人生、そんなうまくいくことばっかりのはずないって。」と波紋を落としているのは自分自身なのでしょうね。

素直にすべてがうまくいく、とどうして信じてあげることができないんだろう。

もう一度、信じてみようかな、という気になる、この木星と土星の会話の地におけるレディポルシャ体験なのでした。


ちなみにレディポルシャ、今まではさほど好きでもなかったんですが、今、マイ・ブームです。

この中指と人差し指にかぎらず、ふりかけまくってます(笑)

ちょっと自分に優しくならなきゃね。

今まで、自分に優しく、というのを「自分を甘やかす」と勘違いしてきた私。

あんまり甘やかすと増長するヤツだけど、優しくしてあげるのはどれだけ優しくしてあげてもいいんだよ、と自分に言い聞かせてます。


それから、最後のシェアしたときに嬉しいことがありました。

私の指をマッサージしてくれた役の人が、「誕生」の位置のあたりで、パアッと虹が見えたんですって。

だから、この人、何者なんだろう?と思った、っておっしゃいました。

はい、私はオーラソーマをやるべく生まれてきた「虹の戦士」です、と堂々と胸を張りたいと思いました。


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オーラソーマ パーミストリー講座3

2011-02-25 09:19:00 | オーラソーマ

さて、今日こそは絶対に講座そのもののことについて書くのだ。

パーミストリーは奥が深いので、1回の授業で1つの線(生命線とか頭脳線とかの線)について学ぶくらいで精一杯です。

だからこの講座もパーミストリーの全貌を学ぼうとするとほぼ1年がかりになっております。

すべての講座にその線を癒したり、改善したりするためのハンドマッサージの実践授業が入ってくるので、1年がかりで全貌を学んでもまだそれは基礎編に過ぎず、それからまだアドバンスコースがあるようです。

はぁ、道は遠いわぁ・・

けれど、必ず学んだことはまた自分のサロンでイベントやワークショップなどでシェアしたいと思っています。

また準備が整った際には、皆さんにご連絡しますので、待ってて下さいね!

私が先日参加した回は、「オーラ・スピリチュアルライフライン」と「フィジカルライフライン(生命線)」でした。

このオーラ・スピリチュアルライフラインは、オーラソーマのレベル1の最初の方で、「親指のマッサージ」として登場するものです。

これの拡大版をやりました。

このレベル1のときの親指のマッサージについて、たいていのオーラソーマ受講生は奇異に感じると思います。

私もそうでした。

教科書では、1つ1つの色についての解説があったあと、いきなりこの親指のマッサージが登場します。

オーラソーマが色を解読するもので、その各色についてまずは真っ先に学ぶ、というのはわかります。

で、その次になんでいきなり、おやゆびのまっさーじぃ? なんじゃ、それ?って感じです。

マッサージといっても、気持ちいいぐらいに揉みほぐす、というものではなく、そろぉ~り、そろぉ~り、となぞる、という程度のものです。

だから、マッサージと言う言葉から受ける、肉体の気持ちよさを想像した人にとっては、物足りないことおびただしい。しかも、時間は結構長い。

親指の頂点から横のラインをなぞり、手首におりてきて、反対側の手首のはしまでをこのそろぉ~り、そろぉ~りで15分ほどもかけるのです。


その意味については、簡単な説明は受けます。

「子供の頃の記憶が詰まってるから、それをもう一度なぞって、思い出して、癒すのよ。」ぐらいの。

だけど、そう言われたって、レベル1のそんな初期の頃、肉体のほんの少しの刺激で何かに気付く、っていうような土台も出来ていなかったので、(うわぁ、なんだかくすぐったいなぁ)ぐらいの感想で終わってしまいました。

あとで皆で何を感じたかシェアをする、と言われても、内心(困ったな。何も感じなかったけど・・)と思っていました。


しかし、なんだかその重要性だけはおぼろげながらにも感じていました。

というのは、教科書というのは、隅から隅まで同じような丁寧さで教えなくてはいけないものではないらしく、ある程度本国オーラソーマ社からかアザイアクトからか、「ここは絶対押さえなさい。ここは時間が足りなければ、飛ばしてもよし。」という指示がティーチャーにあるらしいのです。

この親指のマッサージには、きちんと時間を取りましたから、あぁ、ここは重要なんだな、ぐらいは当時オーラソーマを学んで日の浅い生徒である私にもわかりました。

そしてここは重要なんだな、と思いつつも、これまた内心(うっそ~、なんで、ここそんなに重要? ここにこんなに時間を取るくらいならもっと他に時間をかけてやるべきところがあるんじゃないの?)なんてパラパラと教科書を見ながら、生意気にも思っていました。

今回、このパーミストリー講座を受けて、初めてあのときの親指のマッサージの意味がわかりました。

まず、初めに皆さんに知ってもらいたいのは、「手相とは、脳の地図だ。」ということです。

手の線や相そのものはその現象として最終的に現れているものなのです。

だから去年、おととしあたり、自分がこうなりたい、と変えたい線にはその上に変えたいようにマジックで書いちゃうとほんとにそうなるよ、という方法が流行しましたが、あれは末端の現象を先に変えることで、脳にすりこまれた情報を変える役目がある、という意味において正しいんですね。

同様に、過去のラインを癒すと脳にその指令がいくので、ほんとうに癒される、というわけです。

手にはこの位置が誕生の位置で、このあたりが青年期でこのあたりが老年期で、という場所があるので、親指のマッサージとは受胎から死までの一生を癒したわけでした。


レベル1のときに、手のどの位置が何を表す、ということだけは聞いたけれど、だからそこをなぞると癒されるということがどうして起こるのか? については深く講義されなかったように思います。

でも、今、改めて「脳の地図」と言われただけで、そういうことだったのかぁ!とピンと来る自分がいます。

このようにあとになってすとんと腹に落ちる、って感じ、気持ちいいですねぇ。

私の思い違いかなぁ、と思って今、改めてレベル1の教科書を見てみましたが、やはりこんな風に書いてあるだけです。

「ライフタイム体験」。「このエクササイズの最中に与え手としても、受け手としても感情や思考が沸き起こってきたら、それに気付いているようにしてください。それが、手のどのポイントにつながりがあるかにも気付いているようにしてください。」


このときというのは、まだ「タイムラインのヒーリング」についても、その意義や重要性については何も知りませんでした。

そんな状態なのに、親指のこの位置は誕生を表す、ここが死、だからここからそこまでをマッサージしていって、気付いたこと、感じたことがあったらシェアしあいましょう、ではそりゃあ、ちょっと乱暴なんじゃないの、って思います。

だけど、レベル1の教科書のこんな最初の方に出てくるなんて、マイクもやっぱりパーミストリーの重要性は感じていたんじゃないの。なぁんだよ、マイク。そう言ってくれよ。(友人気取り。とはいえ、正式なコースにしない、という疑問や多くの財産をマイクはないがしろにしているのではないか、という怒りは消えていません。)

はっきりと「オーラソーマと手相はこういう関連をしている。」「それについてオーラソーマのプロダクツを使って、癒しと気付きのワークを行うことができることは素晴らしいことだ。」「その中でも特に、こども時代を癒すことは大切だ。こう言う意味がある。」「さぁ、ではそれで何かしら気付きがあるか、体験してみましょう。」と言ってくれたらよかったのに。

その方が意識的に授業を受けられたわ。

ときどき、オーラソーマの授業では、その謎めいた思わせぶりなティーチャーの発言にドキドキワクワクしたり、イラっとしたりしたものです。

というのは、やたらと、「今はまだわからないでしょう。今は、まだわからなくていいの。でも、これが後になるとわかるときがくるのよ。」と言われたからです。

今、わからないかどうかをどうしてそちらから決められるのか、ということにイラっとしました。わかるかもしれないじゃん。言ってみてよ、って。

教えてくれたっていいじゃないの。そんな思わせぶりなこと言わなくったってさぁ。

理解できなければできないで、そこで初めてやっぱり、レベル1の今じゃ無理なんだな、ってあきらめるから。

そしてその反面、そのすとんとわかるときというのがいつ自分に訪れるのか、ということにドキドキワクワクしました。

「今、わからない。」ということに対する処置は2通りあると思います。

例えば、こどもに「○○産のミネラルたっぷりの自然塩」というのをなめさせて、「このなかにはしょっぱいだけじゃなくて、ほのかな甘み、海の生物に含まれるうまみ、っていうものがあるはずなのよ。その味が今のあなたにはまだわからないはずだけど、どう?」と言われるのと、初めから、「今のあなたにはこの複雑な味はわからないはずだから、こっちの塩でいいわね。」となめさせてもらえないのとでは、違いますよね。

前者なら確かにその複雑な味は理解できないけれど、大人と同じものを味わわせてはもらえた、という満足感が残ります。そして、大人になって「ん! この塩、うま~い。」と思ったときに、単にしょっぱいだけと思っていたあの子供の頃の味覚もまた体感としてよみがえるかもしれません。

しかし、後者のようにわからないに決まってるからハナからこっちのわかりやすい味のほうの塩にしなさい、とされたら、「あっちの塩はどういう味がしたんだろう?」という味わえなかった不満だけが残ります。

大人になってその塩を初めてなめて、おいしいと思っても、「ふぅん、でもあの頃の自分には確かにこの塩のおいしさがわからなかった、っていえるのかなぁ?」という疑問が残ると思います。

オーラソーマの授業ってこの後者のようなところがあるんですよね。

わからないかもしれないけれど、味わうだけは味わわせてくれたっていいじゃないの、と今でもこの親指のマッサージを思い出してそう思います。

さて、この親指のマッサージ拡大版を教えてもらった、と言いましたが、拡大版とは、私たちが魂のレベルだったときも含める、と言う意味です。

人は魂の存在だけだった時期がある。

その言葉が不思議なことでもなんでもなく、当然のことのように受け取れるようになった今の私があるからこそ、かえって魂だけだった自分が何を感じ、どう受け止めていたのかの方をより知りたい、癒したい、という思いがしました。

さて、そのとき私が何を感じたか、というと・・・

ああ~っつ!

また、長くなってしまった。

いったいいつまで続くんだ、このシリーズ。

でも、明日も続くよん。

                  お知らせ

2月の営業日すべてのお日にちが埋まってしまいました。

ありがとうございます。

近日中に3月の営業案内をUPいたします。

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オーラソーマ パーミストリー講座2

2011-02-24 09:09:00 | オーラソーマ

さて、昨日は前段だけで長くなってしまって、本題に入ることなく終わってしまいました。

えーと、オーラソーマ パーミストリー講座というものがそもそも今の学長であるマイク・ブース氏自身が作ったものだ、とわかったことが驚きだった、というところまででした。

鈴木先生はこうおっしゃいました。

「私はティーチャー1のときに、初めてデヴ・オーラに行きました。そのとき、デヴ・オーラの片隅にあったこのテキストを見つけて、日本に持ち帰って、自分で翻訳しながらこの講座をはじめました。たぶん、日本でこの講座をやっているのは私だけじゃないかしら。」と。

デヴ・オーラというのはオーラソーマ発祥の地であるイギリスの、ヴィッキーさんの生家を改造して行われている本校のことですが、「デヴ・オーラの片隅にあったテキストを日本に持ち帰って・・」というのは、たぶん、デヴ・オーラでもこのパーミストリーの講座については、埃をかぶった状態になっていたのでしょう。

「このテキストって、いただいてもよろしいですか?」と鈴木先生が尋ねたら、

「え~と、どうなんだろ。誰も使ってないし、ずっとそこにあるからいいんじゃない?」ってなもんだったのか、どうかは知りませんが、何だかオーラソーマ特有のいいかげんさによって鈴木先生が持ち帰ることができたのではないか、という気がいたします・・

そして鈴木先生はこう続けられました。

「これは、もともとマイク・ブースの数秘での先生であるジョン・ディロイ・ガイという方が作ったものなの。私もお会いしたことがあるけど、マイクの先生だから、もうかなりのおじいちゃんですけどね。でも、ほら表紙のここをみて。一応マイク・ブースも共著になってるけどね。ふふっ。」

もう、私はここまで聞いただけで、マイク・ブース氏がいかに多くの財産をないがしろにしているのか、とまたまた怒りに燃えてしまいました。

オーラソーマには現在、オーラソーマのシステムを系統だてて学ぶレベル1、レベル2、レベル3以外にコースと言えば、「バタフライ&シーエッセンス」と昨年新しく新設された「オーラソーマとカバラの72 天使」があります。(それぞれのレベルをつなぐPPSとかブリッジコースとかはありますけれど)

けれど、実際に機能しているものは、と言えば王道のレベル1、レベル2、レベル3ぐらいです。

「オーラソーマとカバラの72 天使」については、まだまだ多くのティーチャーも様子見、ぐらいの感じの方が多いように思えます。

「バタフライ&シーエッセンス」に至っては、ティーチャーの方でもこれをコースとして取り入れられている方は少ないように思います。

で、それ以外にはシェアリング・デーと呼ばれる1dayのものがありますが、これはコースとは違います。

時間の違いもさることながら、各ティーチャーがそれぞれテーマや教え方を考えて提供するのがシェアリング・デーで、正式にイギリスのオーラソーマ社からテキストが発行されていてこれを使ってしか授業を行ってはいけない、というものがコースです。


そして、その後者のコースについて、どの程度マイク・ブースがかかわっているのか私は知りません。

レベル123のテキストはほとんどマイク・ブースが中心となって自らつくりあげたものなのか、それとも誰かほかの人が中心となって作ったものにマイク・ブースは後で、「うん、これならよし。」とお墨付きを与えたものなのか。

ここからはあくまでも私の憶測に過ぎませんが、たぶん、レベル1~3の教科書については、マイク・ブースが執筆までを行ったかどうかは別として、その作り上げるプロセスにも深くかかわっているでしょう。

けれど、「バタフライ&シーエッセンス」については違うような気がします。

なぜなら、バタフライ&シーエッセンス自体を作り上げたのはエリックという方だからです。それをどう人に施すのか、というテキストもやはりエッセンス自体を作り上げた人が作成したのではないか、と考える方が自然です。
このパーミストリー講座の英語版テキストも、表紙にいちおう共著でマイク・ブースの名前こそ記載されているけれど、ほとんど名ばかりのもので、実際にはジョン・ディロイ・ガイ氏が作り上げたものなのではないでしょうか。

そう考えたとき、世の中に「バタフライ&シーエッセンス」コースがあまり行われていなかったり、「パーミストリー講座」が正式なコースになっていないことの説明もつきます。

簡単なことです。

マイクが自分自身があまり関わって作り上げたものでないから、力が入っていないのでしょう。


人間、誰だって、自分自身が1から作り上げたものの方が、監修やらでちょいと関わっただけのものより愛着がある。それはいい。

けれど、だからといって、それが良いものだ、と認めているならば、世に送り出すことに躊躇したり、宣伝しないことの言い訳にはならないでしょう。

オーラソーマのレベル2の教科書には、いかにオーラソーマというシステムがほかのものとも関わっているかが語られています。

マヤズム、ヨガ、アーユルヴェーダ、占星術・・

それらは多岐にわたります。

療法からとらえた場合は、マヤズムとも関連してくるよ、精神から考えると仏教やヨガとも相通ずるものがあるよ、究める部分から見ると占星術や風水ともつながりがあるよ・・

そして、それらの見地からまた探求することによって、よりオーラソーマそのものへの見解もまた深まるでしょう、という語り口となっています。

納得します。


では、どうしてそこまで紹介しながら、関連していることを認めているものについて深く極めた人たちのテキストを、コースに組み入れ、世に広めようとしないのでしょう。

バタフライ&シーエッセンスを考案したエリック氏は、エッセンスの世界で最も有名なバッチ博士のバッチフラワーレメディに居たのを引き抜いてきたのだ、と聞いたことがあります。

そうまでして招聘した人の素晴らしいプロダクツとその使い方を「そういえば、オーラソーマにはバタフライ&シーエッセンスというものもあったよ。」という程度の扱いですませてしまっていることについてマイクは心が痛まないのでしょうか。

自分がメインで表にたって広めていくつもりがなかったり、時間がなかったりするのなら、その人たちに任せればいいじゃないですか。

でも、そんな様子もない。

私はオーラソーマのプロダクツの1つであるビーマライトペンにも興味があるのですが、こちらもただ「そういうもの一応、ある。」というレベルにとどまっているように思います。(ビーマライトペンとは、ボールペンの少し大きめのようなもののなかにバイアルと呼ばれる、ボトルを小さな試験官にしたようなものをはめ込み、直接からだの特定の部分に照射していく、というものです。色が治療に役立つ、ということの典型的な象徴です。)

ビーマライトペンというのはもともとドイツ人の医者によって開発されたもので、オーラソーマオリジナルのものではなく、ただバイアルの色みにオーラソーマ社がお願いして、オーラソーマオリジナルの、ボトルと同じ色のものを作ってもらったのだ、と聞いたことがあります。

オリジナルじゃないから力が入らないってこと?

色がその人の肉体と精神のバランスの安定に作用するということを認めているのなら、これもコースになってもよさそうなものなのに、とかねてから思っています。

オーラソーマプロダクツ取り扱い日本最大手の和尚アートユニティの質問コーナーにもこのビーマライトペンのことを「どのようにして使えばいいのですか?習うことができるのですか?購入したいのですが。」という質問がありましたが、この質問に対する答えは、「サナルアナトミー(微細体のことです。)や解剖学のことを詳しく勉強されたティーチャーの方などなら応用して使うこともできるでしょう。」というようなものです。

いったい、どの立場から答えてんだ?というような答えぶりですよね。

販売に力を入れてるなら、「そんで売る気あんのかよ?」と言いたいところですし、オーラソーマを教えるということに力を入れているなら、「だから、そのコースはいつ、どこで開催してるか具体的なことを教えてよ。」と言いたいですし、早い話、一言で言うならば、“他人事”というような匂いがぷんぷん漂ってくるようなお答えぶりなわけです。

今まで私は「西洋占星術」にしても、「易」にしても、「風水」にしても、ちょこちょこかじりつつ、オーラソーマとそれらが関連しているのだ、ということだけは理解しました。

世の中のティーチャーたちには、それをもっと深めるためにそれこそ一生捧げているような奇特な方もいらっしゃいます。

けれど、そういう方が本を出版されるにあたってマイク・ブースが推薦の言葉を書いていたり、シェアリング・デーとして認可されたり、という現象は見てきましたが、そういうものから正式なコースが生まれる気配はない。

ましてや、そしてこの今回のパーミストリーです。

マイクが自分で共著としている“教科書”があった!

著者はマイクの数秘の師匠である。

そんなすごいものまでマイクは片隅に埃をかぶらせたままにしている。

それにすごく腹が立ったのです。


あ・・・

また今日も、パーミストリーそのものについて書くとこまで行かなかった・・

授業そのものを受けて、私が何を体験し、どういう気づきがあったのか、明日こそ書きます。


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