ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

オーラソーマの精霊たち

2011-06-30 09:06:00 | オーラソーマ

またまた、「オーラソーマ・ヒーリング」からの発見ですが、今日は、「オーラソーマのボトルを使ってみたいけど、どういうものなのかよくわからない。」とか「使ってみたけれど、イマイチ効果を感じることができなかった。」という方にとっても耳寄りなお話です。

私は、オーラソーマのプロダクツの一切が、エリック・ペルハムというとても繊細で、生物たちの背後にある精霊(ディーバ)とコンタクトをとることができる1人の男性によって品質管理されている、ということは知っていました。

そんな彼が語りかけてくるかのような文章に出会ったのです。

私たちは精霊(ディーバ)と言われたってたいていの人がちんぷんかんぷんだとは思いますが、何かしら生命体の背後に見えない姿かたちをした、羽根の生えた妖精のような存在がいる、って想像するだけでも楽しいではないですか。

「オーラソーマ・ヒーリング」では、そんな精霊たちがボトルに宿っていることについてこんな書き方をしています。

『現代にも精霊たちは現れました。彼らは四角いガラス瓶のなかにすみかを見つけました。ボトルの精霊たちは、比較的安全であるばかりでなく、見た目も美しいうえにとても役に立ちます。彼らは、はじめから人間と関わっていくようにつくられたので、最初に飼いならす必要はありません。もし、私たちが精霊たちをこれまでとは違って、尊敬と感謝と友情をもって、そして愛さえも抱いて接していけば、彼らは眼を見張るようなすばらしい進化を遂げることでしょう。』

ね?

何だかボトルが個性をもった生きた生命体であると思えてくるでしょう?

そして私たちの役に立ちたい、と一生懸命コミュニケーションをとろうとしているところを想像すると、とても愛おしいものに思えてきませんか?

エリックのデヴ・オーラでの仕事ぶりはこのように紹介されています。

『エリックにとって、毎日の仕事は、まず彼自身が自分の内側のガイドとコミュニケーションを取ることから始まります。それによって、その日の「あちらの世界からやってくる協力者」が誰であるかがわかります。彼は協力者の存在を、自分のアストラル体で感じることができます。次にエリックは精霊たちとのテレパシーの自由な流れの中に入ります。存在たちはボトルの創り方に関して指示を与えます。』

これは私自身があるシェアリング・デーに参加したときにティーチャーから聞いたことですが、オーラソーマのプロダクツに使われているハーブの一部はフランスで加工されるそうです。

その加工に当たって、使わなかったそのハーブの部位、例えばそれが根っこだとすると、それは使わなかったにもかかわらず、ちゃんと加工された製品とともにデヴ・オーラの農場に戻されるのだそうです。

そして、デヴ・オーラの農場の土に還されることで土もそのハーブもまた波長を合わせあって、次の良い実りのために働くことができるんだそうです。

こんなに繊細な神経を使って、心血を注いで創られるオーラソーマのプロダクツたち。

人間のために働かないわけがないじゃありませんか!

さて、ボトルを使って次のようなことが起こる場合は・・・ということで、これまた今までの何よりもクライアントに伝えてあげたい言い方で書かれてある箇所を見つけました。

それはまず、

『オーラソーマのオイル(精霊たち)を体に塗ると、身体、感情、精神、霊的レベルで妨げられていたものが解放されます。その結果、古いもの、抑圧されていたもの、望んでいないものと直面することになります。それはずっと前にあなたが解決しなければならなかったにもかかわらず、避けてきた物事に再び直面するように仕向けられます。どうしても避けたかった決断を迫られるようなことも起こります。問題が表面化したり、好ましくない身体症状が現れる場合もあります。』

このようなことを「ヒーリング・クライシス」と呼びます。

そしてこういった状況に対して、実に優しく、こんな風に書かれているのです。

『そのような状況では精霊の1人が特別に強い力を発揮します。それはB26「ショックボトル」と呼ばれています。』

そしてまたこういった症状についても書かれています。

『それはナッシングと呼ばれる何も起きない状態です。しばらくの間、まったく何の効果も現れないことがあるのです。』

これに対しては、

『こういう場合には、とても友好的な助力者が身近にいます。それはB11「エッセネ・ボトル」です。』

私たちプラクティショナーは、もちろんB26やB11の効果については知っていますし、実際にそれをクライアントに勧める場合もあります。

でも、それについていかに私はこれまでクライアントに対して、無味乾燥な言いぶりで語ってしまっていたことでしょう。

「ショックを受けたときにはエーテル体がずれているから、元に戻すといいのよ。それにはB26だわね。」

「ボトルを使って何も効果が感じられない場合は、間にB11をはさんでみるといいんだって。」

こんな表現には夢も何もあったものじゃありませんよね。

「そういうときには特別の力を発揮する精霊が宿っているボトルがあるのよ。」

「その場合は、とても有効な助力者がいるわ。」

こんな風に言ってあげたら、なんてステキなんでしょう!

私がこんな風に言われたら、今すぐにでも我が家にその精霊たちを連れて帰りたくなってしまうこと請け合いです。

昨日は、まったく反対のように霊感だの何だのいう世界観よりも実利でものを言えよ、みたいな私がいて、今日はこんなロマンチックな言い方に心をときめかせ、理屈じゃなくていいじゃないのぉ!という私がいる。

そのどちらも私なんですよね・・・

どうですか?

今までにボトルとワークしてみて、「かえって辛かった。なんでお金払ってボトル買って、わざわざ辛い目に合わなくちゃいけないの?」とか、「ワークしたって何にも感じないんだもん。」と思っていたあなた、今日のちょっとすてきな表現でボトルの精霊たちに会いたくなりませんでしたか?




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オーラソーマと他のカラーセラピーとの違い

2011-06-29 09:04:00 | オーラソーマ

レベル4課題のクリアのために、イレーネ・デリコフ&マイク・ブース著の「オーラソーマ・ヒーリング」を改めて読み返していました。

この本は以前に何かの拍子に見つけて、「ヴィッキー・ウォール女史やマイク・ブース氏の直接の著がそう何冊もあるわけではないんだから、直伝のものは、ま、とりあえず買っておきましょうか。」という安直な理由で買ったものでした。

・・・で、往々にしてありがちなことですが、「買った」ということで満足してしまって、ろくに読んでいませんでした。

しかし、この前レベル4の勉強会に出たときに、この本は結構キーになっているな、と感じました。

もし課題が数学のようにピチッとした答えを要求しているものであれば、ほとんどその答えはこのなかに秘められているのではないか、ここからそのまま引用すればいいのではないか、というほどレベル4のための宝庫といってもよいような本みたいです。

しかし、そのときにもどなたかがチラッと言ってみえましたが、

「これ、もう、探してもほとんど手に入らなくなっているのよ。この前、何かしらで見つけたら、プレミアがついた値段になってた。」と聞いて、ひぇ~っつ、そんなお宝本になっていようとは、と驚きました。

オーラソーマの本って、もともと刷られた数が少ない、ということもあるでしょうが、時々こういうことが起こりますね。

だからって何でもかんでも買っておく、って言う気にもならないし・・・

困ったこってす。

この「オーラソーマ・ヒーリング」に改めて目を通していると、始めのほうのページで、「オーラソーマと今日ある、ほかのカラー・セラピーとの違いは何でしょうか?」ということが記されている箇所がありました。

ふんふん、何?と読み進めると、

1.オーラソーマは色と光のセラピーが組み合わされていること。

2.盲目で初老の夫人、ヴィッキー・ウォールが祈りと瞑想を通じてその処方

を受け取った、ということ。

3.コミュニケーションの手段として色を理解する、ということ。

という3つが載っていました。

1.と3.はわかるにしても、え!? 2.って、そんな重要なことだったの?とびっくりしてしまいました。

もちろん、オーラソーマというすばらしいシステムを作り上げてくださった創始者であるヴィッキー・ウォールさんには敬意を表していますし、今は代が変わりそのシステムの運用についてはマイク・ブース氏に委ねられていても、いつまでたってもこれは「ヴィッキーさんが作ったものなんだ。」「ヴィッキーさんの思いいれが大切なんだ。」「ヴィッキーさんならこれをどう言っただろう?」とは思っています。

しかし、「他のカラーセラピーとの違い」を掲げたときの最重要事項の3つのうちのひとつがそれなの?とちょっと違和感を覚えたのです。
だって、そんなこと言えば、どこのセラピーだって、誰かしらの創始者はいるわけだから、その人の名前をあげれば、「それが他との違いだ。」と言えば、白けた感じで「そりゃあそうでしょうね。ひとりの人があれもこれも作ったわけはないんですから。名前が違ってくるのは当たり前でしょう。」と言うだけのことのように思っていました。

しかし、これを読み進めると、どうやらこの本が強調したいところは、「ヴィッキー・ウォールという人が創った」というところが重要なのではなく、「彼女がオーラソーマのボトルを作り上げたときには、それが何に使われるものだったか、彼女自身も知るところではなかった。」というところのようなのです。

このことにさらに私はびっくりしました。

オーラソーマに携わる身であれば、誰でも知っていることですが、ヴィッキー女史が瞑想中に受けた「水を分けなさい。」という天からの声によってオーラソーマのイクイリブリアムボトルは生まれました。

それはまさに魔法でした。

ヴィッキーさん自身がのちにそれは「手が何かにガイドされているようだった。」と語っているように、錬金術的に行われたのです。

そして翌日、彼女の友人であり仕事仲間でもあったマーガレット・コクベインが「このきれいなボトルは何に使うの?」と尋ねましたが、ヴィッキーさんはこれに対する何の答えも持ち合わせていませんでした。

ぼんやりと化粧用のオイルに違いないと思っていましたが、彼女がこれを展示会で紹介しはじめると、次から次へと驚くような出来事を経験するのです。

多くの人がそのボトルを欲しがり、それが驚くべきヒーリングを発揮していることがわかっていくのです。

つまり、ボトルそのものがもつ効果については、ヴィッキーさんの知識や経験値を超えたものであり、どんどんそれは後からついてくるもののように解明され、付加されていったのです。

早い話が偶然に偶然が重なって後付けで出来上がっていったようなこのシステムこそを誇りに思え、とこの本では書かれているわけです。

    ・・というように私は理解いたしました。

そう思った表現は次のようなものです。その箇所を転記いたします。

『私たちはこの物質次元には、ある種のスタンダード(基準)があることを信じていて、その基準に固執しています。一方、他の異なる次元からチャネルを通して伝えられる情報は、この基準とは一致しないので、人はこのような情報には注意をはらうべきではないと思っています。しかし、もしそれが基準を満たすようなすばらしい情報であればどうでしょうか。そうであれば、思索を通してやってきた発見、つまり知的活動の結果、当然あるいは自然にやってくる情報とまったく同様に扱われるべきだと思います。知的発見も、結局のところインスピレーション(霊感)にかかわっているのではないでしょうか。』

簡単に言えば、「霊感とかインスピレーションとか言うと、世間ではインチキくさいものだと思われることが多いだろうけど、それが一般世間にも認められるようなものであれば問題ないでしょーが。机に向かって研究を重ねてわかった、というものもあるだろうけれど、そういうことさえ結局インスピレーションが大事なんだからさー。」と言ってる感じですよね?  これ・・・

私はこれまでヴィッキーさんがボトルを作り上げたときには、それがまだ何に使われるものかわかっていなくて、臨床を重ねることによってだんだんどういうツールであるのかという実態が明らかになってきた、ということについては、それがオーラソーマの“恥”とまでは言いませんが、決して世間に対して自慢するようなことでもないと思ってきました。

だって、例えば臨床を100重ねたら、そのうちの80人の人が「これはどうやら自己の内面を表している色らしいぞ。」と言ったから、そういうことにしましょう、というのは、もそもそと外郭から探っていった結果であって、方程式を使ったら、ずばりといきなり中心の答えが出た、というようなものではないので、どうもすっきりとしなかったのです。

じゃあ、残りの20人が「違う」と言ったことについては、無視していいのか?というふうに考えるのがわたしなのでした。

しかし、「オーラソーマ・ヒーリング」では、まさにそここそオーラソーマの真髄なのだ、と自慢せい、という論調で書かれているわけです。

「結局のところ、どんな知的発見だって、インスピレーションが大切なんじゃないのぉ?」というくだりなんて、なんかガクッときましたね。

吉本新喜劇のオチで、全員が舞台に転がるくらい。

それを言っちゃあ、おしまいなんでないの?って感じで。

しかし、こう最初から開き直られたことによって、私自身も開き直ることができました。

よくオーラソーマで「これはどういうことですか?」って質問をすると、「そもそも、オーラソーマはヴィッキーさんがインスピレーションで受け取ったボトルから発祥したものなんだから、理屈じゃないのよ。」と言われたことがこれまでにも何回もありますが、それは質問に対する“逃げ”じゃなくて、そここそが大事な大事な発祥点なんだ、ということをよぉく肝に銘じておきなさいね、ということだったんですね・・・


オーラソーマが1つの“システム”になった時点で、「もともとインスピレーションだからさぁ。」というのは身もフタもなさすぎるだろうと思っていましたが、そこはマイク・ブースとしては厳然として譲れない、ってことなんですね。

わかりました・・・



p.s 「オーラソーマ・ヒーリング」の全くほかの章では、ボトルを体に塗ることがで

  きること、そしてそのヒーリングの力をもった色の波動エネルギーが直接、身体

  に吸収されていくことこそが、オーラソーマがこれまでのすべてのカラーセラピ

  ーと一線を画するところだ、と述べられています。




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天の時、地の利、人の和

2011-06-28 09:25:00 | セラピー

人づてに「クリスタルカラーセラピー」というものがある、ということを知りました。

何だか最近、色を使ったセラピーが実にいろいろ誕生してきているような気がします。

時代が求めているんでしょうね。

しかし、色自体についてのメッセージというものは、ゲーテの時代からもうほぼ確立されています。

だからどれだけ新しいものが誕生した、と言ってもそれが色を使ったセラピーである以上、なんだ、色に関するメッセージはやっぱりどれも変わらないじゃないの、ということが多いのでした。

で、興味本位で早速どんなものなのか、ネットで検索してみました。

それによると、「クリスタルカラーセラピー」とは色だけではなく、形にも着目したものだそうです。

ほほぉ、それは確かに良いところに目をつけたのぉ、と思いました。

しかし、次の瞬間、一気に私の興味はしゅるるる~としぼんでいきました。

というのは、そのセラピーは形の違うクリスタルが11種類あり、それを選ぶことによりセラピーを行っていくんだそうです。

写真を見ると、透明な球体や、グリーンの円錐形や、三角の赤のクリスタルなどがありました。

そして、次の瞬間どうして11種類だけなんだろう?と思いました。

球体に対応するものはどうしてクリアだけなんだろう?

三角はどうして赤だけなんだろう?

などということをすぐに疑問に思ったのでした。

色とかたちの組み合わせ、ということで言うとトーナメントの総当たり戦ぐらいのバラエティがあるかと思ったからです。

球体には七色のバリエーションがあってもいいじゃないの? 三角にも、四角にも・・・と思ったわけです。

そして、コースがどういうふうになっているのかを見てみたら、レベル1、レベル2でカラーセラピストの資格が取れ、クライアントにやってあげることができるようになるのですが、それぞれ6時間、つまり12時間でセラピストの資格が取れるわけです。

この時間はオーラソーマに比べると6分の1の時間です。

だから浅い、と決め付けるつもりはないですが、その時間から考えて、そこに書かれている「知覚心理学」や「造形心理」、「カラーシンボリズム」を学べるのだろうか?と疑問に思いました。

そして、私の素朴な疑問である、なぜ球体に対応する形がクリアだけなのか?ということに対しても納得のいくような説明がその時間でなされるだろうか?と思いました。

これはあくまでHPをチラッと見ただけの私の勝手な思いですからそれらは12時間できっちり、すっきり解消されるのかもしれません。

ですからどうぞ興味をもたれた方はあちらの協会に直接問い合わせてみて下さいネ。

「クリスタルカラーセラピー」で検索すれば、一発ですぐに出てきますよ。

ところで私が一番興味があったのは、実はそんなことではなくて、このセラピーを立ち上げた、という代表の方がどういう歩みでここまで歩んでこられたのかな、ということでした。

色とかたちを組み合わせたセラピーというものができないだろうか?という発想から始まって、そのシステムを構築・確立し、オリジナルのものとして保護するために商標登録をとり、協会を立ち上げ、生徒を募り、講習を行い、広く世間に育てたセラピストたちを羽ばたかせていく・・・

これだけのことをたったひとり机の上のデスクワークで実現できるわけはないことは想像に難くないからです。

よしんば上記の流れのなかで商標登録をとる、というところまでは一人で出来るとしても、協会を立ち上げ~・・・以降の部分は絶対にひとりで出来ることではありません。

それも、ひとりで出来ないからといって、ビジネスライクに人を募集して人手だけを確保すればいいというような心の伴わない無機質なものでは実現できるわけがないのです。

そこには必ず理念に対する賛同者、自分の利益のためだけではないことに力を注ぐ最初に歩みを始めた人に対する支援者が現れないと無理だと思うのです。

それが、天の時、地の利、人の和、ということでしょう。

それは、そんなことを気にも留めていない人のところにはごくごく自然な形で舞い降り、あれよあれよと言う間にことが運ぶのでしょうが、この「クリスタルカラーセラピー」を立ち上げた人の場合はどういういきさつがあったのか、それが知りたいと思ったのでした。

事業の立ち上げだけにかかわらず、何でも物事の始まり、というものは当事者ならずともワクワクするものです。

そこにどんなドラマがあったのか・・・

それは100人いらっしゃれば100通りのドラマがあるのでしょうが、そういうドラマに触れたい、と思ったのでした。

それは1人の人間では1回の人生しか経験できないけれど、小説や映画を見れば幾通りもの人生を、まるで自分が経験したかのごとくに感じることができる。

そんな楽しみと同じ感じです。

そして、ある程度それらが類型化できることでもあれば、そこから学ぶことができる。

私もいつかもし何か社会のために貢献できるかしら?と思いついたときに、天の時、地の利、人の和が訪れるのだろうか?

また、訪れるようにするためにそれらを引き込むようなパワーや知略が私に備わることがあるのだろうか?

そんなことを夢見ます。

今回は残念ながら私が知りたかったことについてはわからずじまいでした。

そりゃあ、誰だってそんな舞台裏というか、メイキング・ビデオみたいなことを語るわけありませんよね。

それは他人を通じて知るようなことではない、ということなのでしょうかね。




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甘えベタ

2011-06-27 09:24:00 | ペット

アクアとチャワンテの対面に失敗して途方にくれ、動物病院の先生に相談すると、

「う~ん、とりあえず子猫のアクアのほうをケージに入れたまま、同じフロアでチャワンテに見せ続けるしかないだろう。」とのことでした。

はい、そんなところしかないとは思っておりました。

たまたまダーリンが仕事の現場でとび職人の人と話していたら、その人のお宅も2匹の猫を対面させることになったとき、そうしたそうです。

そして、2匹を実際に直接同じ家で住まわせるようになるまでには数ヶ月かかったとか。

「そりゃあもう、大変だったすもん。」というのを聞いて、また目の前が暗くなる私でした・・・

さて、そうしていざ3Fにアクアのケージを運び入れました。

とりあえずはずっとアクアをケージに入れたままで置いておくのではなく、夜寝るときだけにしました。

今まで2Fの広々とした部屋で走り回りたい放題だったアクアを急に1日中ケージに入れておくのは可哀そうだ、と思ったからです。

ただでさえ、大きな猫がケージ越しとはいえ、しょっちゅう威嚇するなかでストレスも感じるだろうし。

アクアは私の姿が見えると鳴きます。

「どうしてママがそこにいるのに出してくれないのぉ?」と言わんばかりに。

そしてチャワンテはおそるおそるケージに近寄っては相変わらず「フーっツ!」。

やれやれ・・・

わかってはいるけれど、ここは我慢、我慢。

お互いこれを耐えて乗り越えるしかないのだ、頑張れ、アクア、チャワンテ。と心の中で祈りつつ、わざと知らん顔をしていました。

するとあることに気づきました。

いつも私が仕事を終えて帰ってきて、その場で座ることもなく夕食の準備をし、ダーリンが帰ってきて一緒に夕食をとり、そしてまた後片付けをして、ようやくやれやれとばかりにテレビの前に座ると、待ってました、とばかりに甘えにくるチャワンテがいっこうに姿を見せない・・・

どうしたんだろう?

アクアとケージがやってきて、いつもと違う様子なのに警戒しているんだろうか?

私とダーリンは話し合って、

「いい? アクアを連れてきたって、いくら小さいからアクアが可愛いからって、先住猫であるチャワンテを一番に扱わなくちゃいけないからね。」

「うん、わかった。」と確認しあっていました。

だから、帰ってきてチャワンテの顔を見たときも、

「ただいま~  あ~ チャワンテの顔をみるとほっとするわ~ チャワンテ、可愛いねぇ。」

「チャワンテが一番だよ。」

「いつまでも長生きしてよ。」

「あんたがここに居てくれないとだめなんだからね。」

など、一生懸命チャワンテに話しかけていたつもりでした。

それでもすねているのか、怯えているのか姿を見せないチャワンテ。

もともとチャワンテは甘えベタの猫でした。

私とダーリンがふたりでいるときにはまず寄ってこない。

でもどちらかひとりでいるときには、べったりの甘々状態。


もともとチャワンテは私とダーリンが結婚する前から私が連れてきた猫なので、私のほうに慣れていました。

ダーリンにも最初のうちは今回のアクアのときのように「フーっツ!」とときどきうなるくらいでした。

だから私がひとりのときに私にすごく甘えてくるのは、私に対してだけだと思っていました。

それをダーリンに言うと「やっぱり、俺にはそこまでなつかないのか。」とショックを受け、あまりチャワンテに愛情をそそいでくれる気にならないと困るので言いませんでした。


でもあるとき、ダーリンが「俺がちょっと寝付けなくて夜中にひとりで起きだして一杯やりながらテレビ見てるときなんか、チャワンテ甘々やぞ。」とでれっとした顔で言ったので、なぁ~んだ、ちゃっかりダーリンにもそうしてたんだ、とわかったのでした。

そして、チャワンテはそういうところを私に見つかるとハッと我に返ったような顔をして、すごくバツが悪そうな顔をしてダーリンに甘えるのをやめてしまいます。

それは私のときも一緒。

私に甘えていてダーリンがやってくると、ハッとした感じでやめてしまう。

これはどういう気持ちがチャワンテのなかに渦巻いているんでしょうねぇ。

ダーリンは、「チャワンテのやつ、もうちょっといつも甘えてくれると可愛いんだけどなぁ。」というけれど、私はこのチャワンテの甘えベタというところが愛おしいんです。

小さい頃の自分を見るようで・・・

私も小さい頃、甘えベタでした。(小さい頃、というか大きくなって母親に甘えたりすることはありませんから、つまり、人生通してずーっと甘えベタ、ということですね。)

母親は、スキンシップが苦手な人でした。

私のほうからそれを求めても、「やめなさいよ。」と言って突き放すくらいでした。

確かに11秒も睡眠をとりたいくらい当事ハードだった仕事を思うと、ようやく眠れるか、という頃になって甘えてくる娘に苛立ち、「早く寝なさい。」と突き放したくなるくらいのギリギリの生活だったことは、今オトナになった私にはよぉくわかります。

私も特にそれで母親から拒絶されている、とは感じませんでした。

でも、スキンシップや甘える、ということは見苦しいことなんだな、という風には思い込みました。

ボディランゲージというものは自然に発露するものでしょうから、コトこれに関しては、小さい頃に出来なかったことが大きくなってから上手になるとは思えません。

チャワンテには幼い頃にどんなことがあったんだろう・・・?(チャワンテはたぶん、生後6ヶ月か7ヶ月ぐらいで拾いましたので、それより以前のことはわかりません。)

母猫にスキンシップをしてもらえなかったのか?

兄弟姉妹が多すぎて、引っ込み思案のチャワンテはなかなかお鉢が回ってこなかったのか?

飼い主の人がスキンシップが嫌いな人だったのか? あまりかまってもらえる時間がなかったのか?

チャワンテが甘え上手のアクアから今からでもいいから甘え方を学んでくれるといいのですが・・・




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勝手な思い込み

2011-06-26 09:27:00 | 身辺雑事

あるオーラソーマに携わっているティーチャーの方が、名古屋の松坂屋でオーラソーマとは全く無関係なセラピーのイベントをやる、ということをたまたま知りました。


そのセラピーには私は興味がありませんので、概要はわかりませんが、「松坂屋でヒーリング関係のイベントを行う。」ということ自体について私にはひとつの感慨が浮かび上がりました。

私はかつて3年前くらいに知り合いの広告代理店の方にオーラソーマのセッションをやってあげたところ、その方がいたくオーラソーマを気に入り、仕事で付き合いのある松坂屋の担当者にオーラソーマのイベントをやらないかと話してみてあげるよ、と言ってくださったことがありました。

数日がたち、その方が申し訳なさそうに、

「話してみたらさぁ、こりゃあ、まだウチには時期尚早だよ。ほら、ただでさえ名古屋っていうところは排他的な土地柄だしねぇ、と言われちゃったよ。」とおっしゃいました。

それを聞いて私は、「あぁ、そんなところだろうな。」と妙に納得してしまいました。

松坂屋というのが百貨店のなかでも伝統を重んじ、あまり新しいことにすぐに飛びつく、というタイプではないな、というのと同時に、名古屋という土地柄が排他的、閉鎖的で、ちょっとでも“あやしさ”が漂うものにはいくら興味があっても遠巻きには見るだろうけれど、素直に飛びつくとかはせず、もっと世間で一般的に認知されてからにしよう、という気風があることはうなづけることだったからです。

その話を「今日、こんなことがあったよ。」とダーリンに話したときは、ダーリンが、

「そうやって言われてもさ。その担当者の人にとりあえず、どんなものかだけ体験してみてもらわないとわからないと思うので、ぜひ、ご自身がまず試してみませんか、もちろん無料でいいですから、少しだけお時間ください、ってまずはその人にやってみてもらうように掛け合ったら。」と意気込んでいました。

私もそれはごもっともだな、と思いつつ、結局、私の中で、松坂屋でイベントをやるってこと自体がなぜか醸成できていなかったんでしょうねぇ、たいして情熱も沸き起こらないまま、その話はそれきりになっていました。

あれから3年。

3年という月日が松坂屋の企業体質を変えたのかもしれない、という見方もできるし、オーラソーマが世間で一般的に受け容れられるようになったという見方もできますが、私がふと思ったのは、「あのとき、その担当者がオーラソーマの何をして、『うちには時期尚早だ。』『あやしい』と思ったのかを私が履き違えていたのかもしれない、ということでした。

ひょっとするとごくごく単純に「おーらそーま」という英語とも何語ともつかないネーミングが「あやしい。」「これでは伝わらない。」と思っただけかもしれません。

であれば、よく話し合って「英国式カラーセラピー」とすれば伝統っぽいし、歴史を感じさせる言い回しになるし、OKだったのかもしれない。

ちなみに今回のその方が行うイベントのタイトルには、人が聞いたこともない、というような単語は何も入っていませんでしたから。

またあるいは「星占い」や「タロット」などのように「占い」を名乗ったほうがそれならそれで一般に認知されている、と思っていらっしゃったのであれば、「色で占うあなたの深層心理」とかにしても良かったわけです。

またまたあるいは「心理カウンセリング」的な雰囲気がイベントとしては「重い」という感じだったから、というのであれば、「きれいなカラーボトルで今日のあなたを占っちゃいましょ。」キャピッ!というような可愛い子ぶりっ子的なコピーにすればよかったのか?とかね。

ちなみに今回のその方のイベントは「エンジェル」がらみです。

よく考えれば、「エンジェル」がどこにいるか、とか何をしてくれているのか、なんて確認はできないわけですから、そういうことのほうがよっぽどあやしいのではないか、と言えば言えると思うのですが、でも、「エンジェル」って言うだけで「可愛い!」ってイメージがありますもんね。

さらにさらによく考えてみれば、その知り合いの広告代理店の人が1回オーラソーマのコンサルテーションを受けに来ただけで、いったいどの程度オーラソーマのことを掘り下げて説明してくれたのか、と考えると、そんなところに期待するのはそもそも間違いだった、ということに気付くわけです。

「そうですか。よろしければ、私から直接もう1度説明させていただくお時間を少しだけでもいただけませんか?」と言えばよかったのかもしれません。

いずれにしても、あのとき、私はまったく食い下がるつもりがなかった。

そのことについて、「あのときはあなたにまだそのタイミングが来てなかったのよ。」と自分を慰め、そんなタイミングが来ていない、天の時、地の利、人の和ができていないなかであわただしくイベントを実現してしまい、結果失敗の憂き目にあうより、これでよかったのだ、と思う反面、もう少し勝手な思い込みをせず、深慮するべきだったなぁ、と反省もするのでした。
こういうことの積み重ねでチャンスを失っていく、ということもあるのだから、と。

ものすごく一心不乱に前にすすむ原動力がある人というのは、はたから見ていてどんなに困難でそりゃ無理だろう、と思うようなことでも推進してやり遂げていってしまいます。

それはきっと、勝手な思い込みをせず、あらゆる角度からの可能性を考え、そこに1%でもまだ可能性が残っているのであれば、そこに掛けきる、というパワーがあるからでしょう。

私は自分ひとりの頑張りだけでどうにでもなる、ということに対してはときにそういうパワーを発揮することもありますが、そこにほかの人がかかわってくるとどうしても一歩ひいてしまう、というか妙にあきらめが早いところがあるのが難点です。(わかってんなら改善しろよ。)


でも、今日は、たまたま松坂屋でのイベントを眼にして、過去の自分の過ちに気付くことができました。

まず、そこからだ。

それだけでも今日は収穫があった、としよう。(でも、それを次に生かせよ。)



オーラソーマヒーリングサロン「些々羅」では、メールにてコンサルテーションのご予約を承っております。 

PCにてご覧の方は、左肩上の「オーラソーマヒーリングサロン些々羅」をクリックしていただきますと、「7月の予約状況」を見ることができます。そちらでご希望の日時をお決めのうえ、メールを下されば幸いです。 

携帯でご覧の方、あるいは予約状況の確認が見られない方は、どうぞご遠慮なく直接、メールにて空き日時からお問い合わせください。 

メールアドレス  chakra@aura-soma.name 

住所       〒500-8105 

 岐阜市西園町24  ショウエイビル2F  (駐車場1台あり) 

岐阜市役所南庁舎より徒歩3分のところです。 

なお、オーラソーマ製品も販売しております。全国どこへでも送料無料にてお送りいたします。こちらもご希望の方は、メールにてお問い合わせください。(恐れ入りますが、代金の振り込み手数料は、お客様ご負担をお願いしております。)