ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

切れかかった縁がつながるとき

2011-09-30 09:04:00 | 身辺雑事

少し前に携帯を落としたら、蝶つがいになっている部分のプラスチックが壊れ、なかの基盤が丸見えになってしまいました。

こういう繊細な情報を扱う重要な場所に埃がついたりするように直接露出してはまずいだろうな~と思って、ポイントも貯まっていたので、機種変更することにしました。

とはいっても、機械にうとい私のこと。

今はやりのスマートフォンにするつもりは全くありません。

そもそも携帯を使って、移動しながらとか持ち歩きながら、いろんな情報を取りたいという欲求はまったくないのです。

携帯は電話がかけられて、メールが送れて、少々写真が撮れればそれでいい、と思っています。

というわけなので、「今使っているのとキーボードの部分の扱いやすさがほとんど同じのものをください。」とだけリクエストしました。

それは今までのものと同じホワイトで、取り扱い説明書をまったく読まなくても操作もほぼ同じく、で出来そうです。

「あ~、これでいい、これでいい。」とまるで駄菓子やにお菓子を買いに行ったレベルのすばやさで携帯を変更してきました。

家から一番近い携帯ショップに行ったとき、「あ、またあの子・・・」と思いました。

それは、その携帯ショップのスタッフの1人。

この携帯ショップには3度ほど来ているのですが、初めてみたとき、どこかで会ったことがある人のような気がしました。

それはほぼ確信に近い感じはするのですが、風邪を引いているのか目が出ているだけのとても大判のマスクをしていてイマイチ、顔全体の造形がよくわからなかったため、私の記憶の奥底を辿るにもピース足らず、という感じでした。

でも、携帯ショップを出てから、「そうだ!」と気付きました。

以前に接客研修で教えていた会社にいた子だ、と思い当たりました。

しかし、そうだとしたらあちらは私のことを覚えているのか、いないのか・・・?

確かあの子は将来は介護の現場で働きたいようなことを言っていたっけなぁ。

なのに携帯ショップというまるで畑違いのところにいるのはやっぱり違う人なのかなぁ、と自信がありませんでした。

それからショップに行くと2,3人いるスタッフのうち誰もが私の相手になってもいいんだけれど、というとき、必ずその子は一歩引いた感じで私に近寄ってこなかったので、逆に「あ、あの子も私のことを覚えているはずだ。」と確信しました。

けれど、避ける理由はなんだろう・・・?

私にあまり良い印象をもっていないから?

介護の現場に行く、といっていたのとは違うところにいることを知られたくないから?

いろんな可能性を考えましたが、どれも決め手に欠けるような気がして、それでも向こうが避けたがっているなら、無理にこちらから声をかけることもあるまい、と思っていました。

しかし、この機種変更で訪れたときにはあいにく(?)ほかに手すきのスタッフがおらず、彼女が私の相手をすることになりました。

このときもまた彼女は大きなマスクをしており、その顔をみているうちにだんだんまた本当にそうかなぁ?と自信がなくなってきました。

単なる客とスタッフという会話を淡々と続け、機能のことで彼女にもわからないことがあったため、彼女はメーカーに電話をかけました。

「あ、○○ショップの○○と申します。いつもお世話になっております。」と彼女が自分の名前を名乗ったとたん、あぁ、やっぱりそうだったんだ、とわかりました。

そして、目の前で彼女が名前を名乗っているのにこれ以上知らんぷりを決め込むのは逆におかしなものだ、と思い私は彼女がメーカーさんとの電話を切ったタイミングで、少し小声で、

「やっぱり、○○さんだよね? 私のこと、覚えてる?」と言いました。

小声にしたのは、ひょっとして、彼女がこの携帯ショップで働くのに当たってその前身をほかのスタッフに知られたくないという理由だったという可能性もあるか、と気を使ったからです。

そうしたら、腹をくくったように、

「はい、○○です。わたし、最初のときからすぐにわかっていました。」と言いました。


だったらどうして?と思いましたら続けて彼女が、

「坪内先生はずっと○○会社の研修を今でも続けておられるんだと思ったんです。それで辞めてしまった私は、ちょっとバツが悪くて・・・」と言いました。

なぁんだ、そんな理由だったのか。

それから私たちはあの時こんな人がいたよね、そういえば彼はどうしているかしら?とか○○会社の話をして、少し昔話に花を咲かせました。

そして今私は引越してきて、このすぐ近くに住んでいて、オーラソーマというカラーセラピーをやっているから、よかったらまた遊びに来てね、と言ってお互いようやく晴れやかな笑顔でショップを去ることができました。

店をあとにして、それにしても人というものはどこで縁が切れ、どこで縁がつながるかわからないものだなぁ、と思いました。

私は、彼女がどうして私を知っている人だと認めたがらないのか、それならそれでその意志を尊重しようとしました。

まあ、ひょんなことから結局は、「やっぱり、○○さんだよね?」と声をかけることに今回あいなったわけですが、あのまま理由はわからないけれど、彼女がそうしたいなら、とずっとこちらからも名乗りを上げなかったら、一生、彼女と私は再び名乗りあうことなくその関係はそこで潰えていたでしょう。

そして私も彼女も内心、「どうしてあの人は、知っているであろうに、あちらから声をかけてこないのだろう?」と悶々と思っていたかもしれません。

私達は時々、ああかもしれない、こういうことかもしれない、と人間関係に気を使うけれど、そのなかにはそんな必要のない、取るに足らないことで表面的な現象が起きている場合がある。

そして場合によっては、そんな取るに足らないことでそこではかない糸はぷつりと切れ、もう2度とこの世で声を掛け合うこともない関係として終わってしまうことがある。

1度は出会ったのなら、やっぱりそれでは寂しすぎるよなぁ、と思いました。

1人の人間関係を失うことは、その人とつながっている人たち数十人との出会いも失っていることになるだろう。


せっかくこの世で1度は出会ったのなら、やはりそれには何らかの意味はあるはずだと思うから、これからは変な気の回し方はやめて、つながった糸は大切にしていこう、と思いました。

切れ掛かった糸は修復して。

つながりつづけている糸はロープくらいにして。




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生計は打算ではなく計算

2011-09-29 09:19:00 | オーラソーマ

ある夜、車を運転しながらラジオに耳を傾けていました。

すると、放送作家の鈴木おさむ氏の「考えるラジオ」という番組が始まりました。

鈴木おさむ氏というのはお笑いコンビ森三中の大島美幸さんの旦那さまでございます。

つい先日、私は金スマで彼らの「タニタ生活」なるものを見て、その仲の良さにへぇ、いいご夫婦だこと、と思っていたのでした。(ちなみにその後、私はタニタ生活を始めようとその本を買ってきました! その話はまた後日。)

そしてその鈴木氏の本業が放送作家であるということから、どんな人なのだろう?と思っていたところだったので、このラジオ番組をほぉ、何を考えるのだろう?どれどれ、と聞いてみる気になりました。

するとその日のテーマは、お笑い芸人の何とかというグループ(名前を失念いたしました・・・ 逆に言えば、それほど売れてない人たちだ、ということです。)の林さんという人が、売れない芸人生活に見切りをつけ、引退する、ということなり、この番組が彼の芸能生活の最後の仕事だ、ということで彼が引退する、ということについて考えてみたいと思います、ということでした。

申し訳ないけれど、まったくこれまで知らなかった人が引退することに何の感慨もあるわけがなく、一気に興味がしぼみかかりました。

どうやら鈴木氏はこの林さんの才能を買っていたようで、引退を決めるのは本人の自由だけれど、もったいない、と思ってもみえるようでした。

「今まで頑張ってきたのにもったいない、と思う人、いさぎよいと思う人、色々な意見があると思いますが、それぞれのご意見をどうぞ、番組にお寄せください。」と張り切って言われても、どーでもいいもんはどーでもいいんだから、興味ない、って~とチャンネルを変えようとしたそのときでした。

アシスタントの女の人が、「林さんは明日から一般人になられるわけです。みなさま、そのことについてご意見をお寄せください!」と言いました。

ちょ、ちょっと待って、と吹きそうになりました。

私は“芸能人”の反対語が“一般人”となる場合は、その芸能人が“有名人”である場合に限る、と思っていました。

世間の人も当然そう認識していると思い込んでいました。

もともと有名でもないこの何とかの林さんはもともと一般人でしょーが。

それとも芸能人である限り、その職業が持つ側面からしてすべての人間が“特殊”であると世間では認識していたのか?

だから、その“特殊”な職業を引退すると“一般人”ということでよいわけか。

あぁ、なるほど、それならわからないでもないな、とひとりごちてぼーっとしているうちにラジオはそのままチャンネルの変え時を逃しました。

するといつのまにかラジオでは林さん本人がどうして引退するのか、という理由を述べていました。

「僕は最初この世界に入るとき、よっしゃ! お笑いでトップとってやる、という意気込みでいました。この世界に入ってくるような若手は誰でもそうだと思うんですよね。しかし、たいていの人間がものの1年もすれば、トップに立つなんてとんでもない、そんなことは不可能だ、ということを知ることになります。トップどころかこの世界で50位以内に入ることもありえないな、ということがわかってきます。僕は自分の実力やポジショニングやいろんなことを考えると50位どころか500位も難しいな、ということがわかってきました。それではギリギリ何とか食べていける、というレベルに甘んじてずーっと年をとっていくことになるんです。そうすると皆、目標を変えてよっしゃ、トップでなくてもかまわない、サブの位置づけに回ろう、サブでなんとか生き残る方法を考えよう、と思ってしまうんですね。それはそれでいいんでしょうが、僕は、それは何か違う、と思ってしまったんです。トップ取らなきゃ意味がない、と思って入った世界で500位以下でいいけれど、何とかサブの位置づけで生き残ろうを目標にかかげながらそこにいる、というのは自分に対して嘘をついているような気がして・・・ そしてそれが耐えられなくなったのが現在だ、ということです。」

ふぅーん、なるほど、と私は少しこの林さんに感心しました。

何が、ってその世界で自分は今、何番目にいる、そして将来このままやっていっても何位くらいが関の山だな、という数字をはっきりと把握していたからです。

私には働く職場として考えた場合、お笑いの世界がどういう構造になっているのか皆目検討もつきません。

だからこの林さんがてっぺん取っちゃる!と野望に燃えて入った世界で、ものの1年もしないうちに50位も無理だな、このまま続けて行っても自分は500位も無理だな、ということがどうしてわかったのか、というその根拠がどこにあるのかはわかりません。

ひょっとするとその算段は早計ではないか、とか違う尺度のものさしで測ればあなたは30位ぐらいにいることになるよ、という見方もあるのかそれもよくわかりません。

ましてや500位以下から一気に間をすっとばし、1位に駆け上がるという可能性はないのか、ということもわかりません。

しかしこの商売で少なくとも自分がどのくらいのお金を稼ぎ出すことができるのか、を大雑把にみつもろうとしたとき、人気商売なわけですから上から何番目くらいのところに自分は今いるのか、ということを冷静に見つめてみた、という考え方にその見方も一理あるよな、と思ったのです。

そんな計算高い考え方をするような奴はそもそも芸能界には向いていないのさ、というのも一理あるでしょう。

だからがむしゃらにやれないんだ、ということなのかもしれません。

しかし・・・

がむしゃらさが美しいのは、やはり最初の勢いのまま突っ走ることができる3,4年くらいのような気がします。

トップスピードが何年も何年も続くわけがないのは、ものの道理なんですから。

打算と計算は違います。

何年やってても、場末の劇場に出るくらいが関の山なのに、俺はただがむしゃらに突っ走るのみなのさ!と威勢だけいいのもいかがなものか、という気もいたします・・・

この考え方をオーラソーマに当てはめてみるとどういうことになるでしょうか。

今、私はティーチャーを目指しています。

オーラソーマが日本に上陸してからプラクティショナー人口は増え続けているとのことですが、これが青天井で増え続けるはずはありません。

そこには必ず飽和点というものがあるはずです。

いったい人口に対しての何%が、何年の間に、オーラソーマの存在を知ることになり、そのうちのまた何%がコンサルテーションを受けてみよう、という気になり、そのうちのまた何%が自分自身もオーラソーマのコンサルテーションをやってあげる側になってみたい、と思うのか?

そしてそのプラクティショナーのなかからまた何%がそうしたプラクティショナーを育てるティーチャーになりたいと思うものなのか?

それをある程度の地域の人口のなかから割合を導き出したら、自分がばかばかしい努力を続けているだけなのか、実を結ぶ努力をして着実に目的に近づいている、といえるのかがわかるような気がします。

極端なことを言えば、仮に人口が1000人の地域に100人も200人もティーチャーがいたってしょうがないですもんね。

こういう冷静で冷徹な目をもつこと自体が恐くて、ついフタをしてしまっていることというのが人生には時としてぽつぽつと芽を出していることがあるように思います。

そして計算してみなくても、誰がどう見ても無理だ、無駄だ、という事実を突きつけられてようやくあきらめる、ということにならないともはや引っ込みがつかない、ということが・・・


私は少ないお客様と昵懇になって、その人たちの注意をひきつけて離さない、というようなやり方は正直苦手です。

来る者は拒まず、去る者は追わず、という常に門戸開放というのが好きです。

そういう姿勢の場合、いったい裾野を計算すると1度はうちのサロンにコンサルテーションに来たよ、という人がどれくらいいないとサロン経営は成り立たないのかな、と計算してみたことがあります。(つまり、1度コンサルテーションに訪れてくださっても、2度、3度とリピーターになってくださる割合は全体の何割、などというように計算した場合)

そうしたら、最も広い裾野としては岐阜市の人口と同じである40万人くらいいないと無理だな、と思った記憶があります。

ひゃあ~、そりゃ無理だわ、私のやり方では、ということがその時点ですでにわかっているわけです。


でも私は相変わらずほかの仕事もやりながらオーラソーマのサロンのドアを開け、お客様を待っている・・・

それは、そのほかの仕事のおかげで何とか食べていける、ということの上にあぐらをかいて現実を見てみないふりをしてきただけではないのか。

本当ならとうにこの林さんのように見切りをつけなくてはいけないのではないか。


う~む。

そうなのかもしれない。

しかし、今のところ私はそのようにセットバックするような気持ちにはとうていなれず、ただひたすら前を向いて歩いています。

馬鹿なのか?(今頃わかったのか!)

そしてふと先日静岡でシェアリングデーを受けたときのコンサルテーションの練習で私が「恐れを手放しなさい。」と言われ、なにかそれが心に響いたときのことを思い出しました。

そのときは、自分で「今までせっかくやってきたことに費やした時間や思い入れが一番手放せない。」とくしくも言ったこと。

まさか、それがオーラソーマのことなのでは・・・と思ってドキッとしました。

しかし、今のところはまだまだ馬鹿をつづけますよ~

歩けるうちはひたすら前進をつづけ、倒れるときは前のめりに倒れてやる、という所存でございます。




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北京のネズミ族

2011-09-28 09:17:00 | テレビ番組

百貨店のエスカレーターのステップに乗っていたら、私の前に乗っていた見知らぬ人が薄気味悪そうに、私のほうをチラと振り返りながら慌ててまた前をみました。

え? わたし?

何か変なことしました?

顔になんか書いてある?と思いましたが、はっと理由に気付きました。

小さな声で歌をつぶやいていたのです・・・

こんなところでぶつぶつと歌のフレーズをつぶやくか? 誰よ? という感じで振り向かれたのでしょう。

全然自分では気付いていませんでした。

テレビの画面に出ている人に対して話しかけだすと人生終わりだ、と聞いたことがありますが、わたし、ヤバイです・・・

やっていそうです・・・

そろそろ人生終わりなんでしょうか・・・

ま、そんなことはさておいて。

2,3日前にBSのNHKで「ネズミ族と呼ばれて」という番組を見ました。

それは、「さぁ、もう寝るよ~」とダーリンに声をかけたら、たまたまダーリンがその番組をぼんやりとつけていたのですが、思わず引き込まれて見てしまいました。

私はこういう自分が見知らぬライフスタイルを描いた人間模様的なドキュメンタリーが大好物でして。

それは北京に住む最下層の人たちの話でした。

北京には、何箇所かに地下に掘られた防空壕があるらしいのですが、そこは細分化して区切り、部屋として貸し出されているようなのです。

地下に潜む人々ということで、家の下のどこを這いずり回っているかわからないネズミのようだ、ということからネズミ族と呼ばれているらしいです。

家賃は、5000円ほどだそうです。

私には中国の平均収入がよくわかりませんし、中国と言う広大な国を平均化することに意味があるのかどうかもよくわかりませんでしたが、その5000円という金額は、地上で普通に住居を探した場合の最安値のさらに3分の1ほどの値段だということです。

その防空壕住居が映し出されましたが、申し訳ないけれどうへぇ、これはいくら安くても私なら勘弁して欲しいなーという代物でした。

今までにテレビで、映画で、本で、もっと貧しい国のもっと貧しい住居というものはいくらでも見たことがあります。

でもこの地下の窓がなく、永遠に日が射さないという状況は最悪のように思えました。
息苦しくなって、自分で自分の喉をかきむしりそうです。

それは、牢獄のようでした。

大学生のとき、最初は寮住まいでしたが、一人暮らしをしたくなってアパートを探し始めたとき、日当たりの良い部屋と日当たりの悪い部屋とでは間取りの広さが同じぐらいでもえらく家賃に開きがあることがわかりました。

そのときは私もまだ若かったですし、授業に出て、友達と遊んで、アパートになんて寝るだけに帰ってくるようなものだから、どのみち日が落ちてからしか帰ってこないなら、日当たりの悪い部屋で家賃が安いほうがいいじゃないか、と思ったりもしました。

最後まで悩みましたが、まぁ、お休みの日で一日中部屋にいることもあるかもしれないし、日当たりが悪くては洗濯ものの乾きも悪いだろうし・・・と思って、結局少し高くても日当たりの良い部屋を借りました。

これは結果的には正解でした。

光が当たるか当たらないか、というのはその部屋で過ごす時間以外にも影響があるからです。

じめじめしていない、とか、大げさに言うならばその部屋に宿っている“気”の問題とか。(もちろん当時はそんな“気”なんてものに対する知識はありませんでしたが。)


そういうことがわかっているのかわかっていないのか、ネズミ族の部屋にはテレビを通しても悪い“気”がよどんでいるようでした。

テレビを見ながらも、背筋がぞっとし、なにか病気になりそうでした。


コンクリートの壁は汚れているし、トイレや洗面所はもちろん共同です。

洗面所しか水の出る施設はないので、そこでみな、洗濯はするし、歯は磨くし、料理はするし、でそこにはプライバシーのかけらもありませんでした。

窓のない部屋で調理をすれば、メニューによってはたちまち煙がこもってしまいますから、みな、廊下にカセットコンロを持ち出してそこで調理をしています。

つまり、自分の部屋のドアを開けていたら、ほかの部屋のにおいが常に入ってきてしまう状況です。

2,3時間過ごしたら限界のようなところに思えました。

もちろんお風呂なんてありません。

皆、洗面所の水道を使って体を拭く程度です。

しかし、ここに10年も20年も住んでいる人もいるのです。

そういう人というのはたいてい、地方で農業をやっていてもその収入だけでは家族が食べていけないので、故郷の農村を捨てて都会に出てきた、という人です。

都会に出てきさえすれば、どんな職業についても青息吐息田舎で農業をやっているよりは生きやすいだろうと思って故郷を後にした人たちです。

しかし、最近北京では住居の価格が高騰をつづけ、何の頼りもなく田舎から出てきても暮らしていけるものではないそうです。

ある50代の夫婦はもう故郷を後にして20の余年になるけれど、いまだに北京で生きて行くのもようやっと命をつないでいる、というレベルで疲れ果てていました。

中国では子どもが結婚するときの費用は親が出すのが当たり前らしいです。

そこで頑張って結婚式をあげさせてやることによって、老後の面倒は子どもが看てくれるらしいので、そこは必死です。

けれどその夫婦には子どもを結婚させてやる費用もなく、借金するしかないけれどそのアテもなくて・・・と肩を落としていました。

田舎に帰るにしても20余年も農地をほうりっぱなしにしていては、もう荒れ果てて開拓できるものでもなくなっているので、結局その夫婦はトイレに毛の生えたようなスペースの一間にベッドだけがデンと置いてある部屋になんとか居続けるしかないのです。

どこにも行き場がないうつろな怒りに燃えた人の顔がそこにはありました。

ネズミ族はどうやら2極化しているようでした。

この夫婦のようににっちもさっちもいかなくなった年老いた夫婦。

かたや、大学を卒業しても就職先がなくて、いっそ都会で一旗あげてやる、と地方を出てきた若者たち。


若者たちは自分で会社を興したい人、アニメーターになりたい人、教育者になりたい人、とそれはそれはさまざまでしたが、皆、この“ネズミ”としての生活に疲れ果ててはいても、若者らしくその夢は失っておらず、目だけは輝いていました。

トイレも水道も共同で、どこにも空気の抜けるはけ口さえないようなこんな住居でも、インターネットだけは接続しているのです。

それが彼らがここに住もう、と決意する根拠の1つでもあるようです。

最先端のデジタル社会と、誰の目にもつかない排水溝を這いずり回るような住居というこのコントラストがいかにも現代の中国をあらわしているような気がしました。

ディスプレイに映し出される世界の様子は克明に事実をビジュアルで伝えています。

それに対して自分が住んでいるところ、自分の立場をどのように咀嚼し、納得して彼らはパソコンに向かっているのでしょうか。

ここに彼氏と一緒に住んでいる王さんは、児童のための英語教室の講師をしています。

幼いうちから自分の子どもに英語を習わせて、大きくなったときには国際社会に通用するような大人になってほしい、として事実、そのように習わせてあげられる親というものは、北京に住んでいる人たちのなかでも裕福な人々です。

なんと1時間の英語教室にかかる費用が、王さんの1日分の講師代よりも高いということです。

北京のなかでも最高の教育を受けさせる家庭を対象とした教師をやりながら、その授業を終えると最下層の住居に戻るのは複雑だ、と王さんは言いました。

それは複雑、というレベルで済む話なんでしょうか・・・

私なら人生どう生きるべきか? この国はおかしいんじゃないのか? いいや、おかしいわけではなくて激動のはざまにあるからいっときのカオスでこういうことも起こるのか? いっときでなくば一体これから自分はどう自分のあり方を考えればいいのだろう? ここでこんなことをして人間らしくもない生活を送ってくすぶっている場合だろうか? 国外に出ることを考えたほうがいいのではないか? Etc.etc.

実にいろんなことを考え、頭が狂ってしまいそうです。

このネズミ族と呼ばれる人々は、北京市内で約100万人いらっしゃるそうです。

政府は防空壕を細分化してアパートして貸し出すということに対して、保安上の問題もあり、禁止令を出そうとしました。

そうしたら、行く所がなくなる人々から猛反発をくらい、現状は傍観状態らしいです。


中国という広大な国では、貧富の差も大きいだろうし、北と南、東と西では生活慣習や法律にも違いが出てもおかしくないとは思っていましたが、そのほんの一端を垣間見たと思いました。

まだまだ中国には発展途上による大きなひずみや、大国として世界のなかで安定したポジションをつかむまでには国民がいろんな犠牲を強いられながら、ということになるでしょう。

いつでもこのようなときに翻弄されるのは市井の人々です。

でもそんななかでも人々はたくましく生きて行く。

それはみな、幸せになりたいから。

自分がこの世でなすべきことを知りたいから。

しかし、この同じ大地を辿って行くと同じ人間でありながら、いろんな幸せの掴み取り方、いろんな人生に対する模索が渦巻いているのだなぁ、と思いました。

そしてそんななかでまた、誰もが自分の立ち位置というものに対する確認をしていくのだなぁ、と思いました。




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変容のときを迎えている私2

2011-09-27 09:19:00 | オーラソーマ

静岡からの帰り。

前日の台風の影響で、朝から新幹線や駅構内は人であふれていましたが、帰りの時間はもういいだろう、と思っていたらこれが甘かった。

まだまだ通常の1.5倍くらいの人がわらわらしていました。


そんななかで次に名古屋に向かう新幹線を見ると20分後にありました。

それを逃すと1時間以上後になってしまうのですが、残席表示が△になっている!

これは急いで買わなくちゃ、と窓口で切符を買うと、なんと「11号車 11番 C席」でした・・・

どこまで「ゲート」なんだよぉ。

しかも「C」は数字に直すと「3」だから「1」+「1」+「1」+「1」+「3」=7

B7は「ゲッセマネの園」でこれまたテストじゃないのぉ。

また今日のB56「セントジャーメイン」が頭をよぎりました。

わかりました、わかりました。

次必ずワークします、と心に誓いました。

今、10日間ほど前からワークしているボトルがB27「ロビンフッド」です。

これはシェイクするとちょっと濁った「レッド」になるはずなんですが、私のはまったくの「グリーン」。

まるで、B10グリーン/グリーンをシェイクしたかのようにきっぱりとグリーン。

こういうものなんでしょうか・・・

どなたかロビンフッドとワークしたことがある方は教えていただきたいわ。

これだけグリーンというものを見せられたら、グリーンのメッセージである「決断」とか「選択」を迫られているような気がしました。


私は何かを決断、選択し、そして変容するのか・・・

何だかグリーンのあとにバイオレットを使うのはとても理にかなったことのように思えました。

しかも、これがシェイクしても再び2層に戻りにくいったらありゃしない。

全体にもわ~っつとグリーンのままで、じーっといつまで見ていてもその様子に変化がないので、あきらめてその晩は寝ました。

これほど強情な子は初めてです。

なんだか、ハートのフィーリングと地に足付いた感覚がいつまでも統合、一致しないようなものを感じました。

そして翌朝起きて見てみたら、なんとか2層には戻っていたものの今度は上部のレッドがもくもくと下部のグリーンのほうにぶらさがったような形となってあらわれたままになっていました。

こういうことになったこと自体は初めてのことではなくて、何度もほかのボトルでも経験しています。

けれど今回が一番くっきりと激しい感じ。

よっぽど私ってば、地に足つけたがってるのかなぁ。

あ~ぁ、これらの様子を克明に携帯の写メで撮ったのに、これがなぜかパソコンに送れない。

新しい携帯にしたら何だかとっても使いにくいったらありゃしない。

ま、このことはまた別に日を改めてブログに書こうと思ってますけど。
とにかく「一目瞭然」というように写真で皆様にご紹介できないのが残念でたまりません。

正直、このボトルの香りは好きではありませんでした。

だけど、なんだか気分は晴れやかでどんどん体に塗りたくって仕方がない。

この調子だと1ヶ月もしないうちに塗り終えてしまいそうです。

心にゆとりを取り戻したら(って今まで失ってた、とも思わないんだけど)、選択と決断はするーっと早く行くのね、私は。

さて、B27「ロビンフッド」とのワークはそんな感じなんですが、シェアリングデーの次の日、私は先生のサロンで買ったキャンドルをその日は住居である3Fに持ち帰ったのですが、2Fのサロンに置いておこうと袋を取り上げました。

すると子猫のアクアが「一緒に私もついていくぅ~」と鳴きました。

はいはい、とアクアを抱き上げると右手にはショルダーバッグとキャンドルの袋、左手にはアクアと書類でいっぱいになってしまいました。

そこでアクアがちょっとぐずって抱っこされている腕の中から飛び出そうとしました。

「ダメ、アクア! おとなしくしてて。」とアクアを押さえようとした次の瞬間、キャンドルの入った袋を落とし、ガラスの割れる音がしました・・・

あ~ぁ、割っちゃった・・・

Photo_2 見てみると、やっぱりヒビ、というレベルではなくて、大きくガラスが割れてしまっていました。

割れたのはB94「大天使ミカエル」の2層の色になっているキャンドル。

あとほかにも2つ買ったのですが、そちらは無事でした。

不思議と残念という気がしませんでした。

それは、容器さえあきらめればキャンドルとしては使えるから、ということでまったく無駄になってしまったわけではない、というのもあったのですが、何だかボトルが割れると「祝福だ!」というのと同じような感じがしたのです。

それからサロンで、お客様から発注があったボトルを包装していました。

えーと、袋はこの棚だよね、と棚を開けたとき、なぜかジュエリーを入れるようなベルベットの袋が目に付きました。

ん? これ何だっけ? と外から触ってみると、何か入っている。

何だろう?と中を開けてみると、それはボトルの割れた破片でした。

私が前の家のときに、初めてボトルを購入して、これからサロンとしてコンサルテーションをやって生きていくんだ、と決めたとき。

棚にボトルを並べているとカシュン!というような音がして、B94「大天使ミカエル」のボトルが割れたのでした。

その頃はボトルが割れるとそれは祝福の意味と受け取ってもいい、なんてことも知りませんでしたから、あ~ん、せっかく買ったばかりなのに割れちゃったよぉ、これには何か意味があるんだろうか?とちょっと落ち込んでいました。

後日先生にその話をすると、先生は、

「ミカエルがこれから頑張りなよ、僕がここから見守っていて上げるよ、ってあなたのお部屋に住んでくれるようになったのかもね。」とおっしゃいました。

前途洋洋という気持ちになって、それから私はミカエルのことを自分の守護天使のように思ってきました。

そして、ボトルの割れた破片のかたちが羽根のように見えたので、あとは処分しましたが、その羽根の部分だけは記念にとっておいて、ずっとお皿の上に置いたまま、ボトルたちをいつも見守ってくれるような場所に置いておいたのでした。

しかし、やはりずっと出しっぱなしだとガラスが曇ってくるのです。

Photo_3 だから私はその羽根のかたちをしたミカエルをこの厚みのあるベルベッドの袋に入れて、この棚の奥にしまっておいたのだった。

しまってしまうとやはり忘れるものでして、最近ではいちいち取り出して物思いにふけってみるということもありませんでした。

しかし、1日のうちにふたつも大天使ミカエルが私を呼び止めるかのようなこの出来事はなんだろう?と思いました。

ミカエルのキャンドルだけが大きく割れ、昔割れたミカエルのボトルの破片をひょんなところから見つける・・・

選択と決断をしたら、ミカエルがもう後は振り返らなくてもいい、と私がDNA的に断ち切れない恐れをバッサバッサをその右手に持った剣で断ち切ってくれるために再び私の前に登場したのだろうか。

それとも久しぶりに、「よっ! ちょっと立ち止まって俺の話を聞いていきなよ。決して損はさえねぇぜ。」(なんか私の中ではミカエルってこういう不調法な口の利き方をする兄ちゃんなんですよね。)って言ってるのかなぁ。

ロビンフッドからセントジャーメインに行く前にミカエルに立ち寄っていったほうがいいのかなぁ。(しかし、すごい面子だわ。)

まぁ、ロビンフッドとお付き合いするのがまだ数週間はありそうですので、その間に次にワークするのがどちらがいいのか考えてみようと思います。

でも性格(?)的にはセントジャーメインは穏やかにいつまでも待っててくれそうな気がするけど、ミカエルは気が短かそうなんだよなぁ。

いずれにしても、人間から、マスターから、大天使から、あちらこちらから手が伸びてきて私が変容するのを手助けしてくれそうです。




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変容のときを迎えている私

2011-09-26 09:10:00 | オーラソーマ

昨日書いたシェアリングデーのときのことなのですが。

シェアリングデーに行くと、まずどんな内容のシェアリングデーのときであれ、どこのサロンであれ、絶対にまずはボトルを選びます。

選ぶだけでそれにとくに言及することはなく終わる場合もありますが、昨日の場合はコンサルテーションの練習がテーマですから、生徒同士でペアを組み、お互いにコンサルテーションの練習をしました。

Photo 私が選んだのは次の4本。

1本目・・・B34「ヴィーナスの誕生」

2本目・・・B56「セントジャーメイン」

3本目・・・B68「ガブリエル」

4本目・・・B45「ブレス・オブ・ラブ」


どれも好きなボトルではありますが、選ぶと必ずラインナップに入ってくるものたちかと言うとそうではありません。

むしろ、好きな色の組み合わせなのになぜかいざ4本選ぶとなるとあまり入らないなぁとか、最近はご無沙汰していたなぁ、というようなものばかり。

特に1本目の「ヴィーナスの誕生」は、写真はうちのサロンのものなので、上部のピンクが通常の状態で濃いですが、先生のサロンのものはもっとずっとペールカラーになっていました。

私はこのボトルが好きで一時よく選んでいたのですが、あるときからこのピンクがちょっとうっとおしい感じがしてきてどうにも手が伸びなくなったのですが、先生のサロンでペールカラーになっているものを見たら、あぁ、これはとてもしっくりくるわと思わず選びました。

このようにTPOによって選ぶボトルが変わってくるのをいつも感じますが、必要なんでしょうね~ そのときの私に。

ほんとに不思議なもんです。

さて、相変わらずターコイズとバイオレットの多いこと。

そしてコンサルテーションが始まりました。

お互いプラクティショナーですから、言われて「ふむふむ、そうだよね。それはわかっている。私があなただとしてもそのメッセージを言うと思う。」というものばかりかと思えば、そうでもないのです。


「変容のときですね。」と言われました。

内心(それはわかっている。)と思いました。

事実、口に出してそう言いました。

「最近、自分で選ぶボトルもバイオレットがよく出て、変容のときなんだな、ということは薄々感づいてはいたの。でも、それが何のことなのかはわからない。まったく心当たりがない。逆に気にも留めていないようなレベルのことであれのことかな、これのことかな、と言い出せば際限なく複数心当たりが出てきちゃってもう皆目自分では何のことだろうって思っちゃう。」

「そうですか。でも、今日の先生の授業でもあったように、変容とは自分が意識して気づく変わり目ということではなくて、もっと細胞レベルのことですからね。気づかなくても当然かもしれませんね。」

そうなんだよね~

でもね、やっぱりそれは何のことか知りたいじゃない。

知った上で、よし、変わろう、変わってみせるわ!と腹をくくってそれに向かって邁進していきたい。

そう思うのは私が性急にすぎる性格だからなんでしょうか・・・(いやいや、この先そうそう長くはないので、性急に生き急がなきゃ。)

オーラソーマではこの後、実際にボトルとワークし、自分自身で「そうか・・!このことか。」と気づいていくプロセスについてはもう孤独な世界となります。

プラクティショナーはそこまで立ち入るわけではありません。

でもな~

それが私にはイマイチ不満なんだよな~


同じ気付くにしてもこうすると気付きやすくなるとか、気付きが深いレベルのものとなるはずだ、とかそういう示唆があってもいいんじゃないか、と思ってしまうわけです。

スポーツをする前にストレッチを入念にしておくと筋肉をいためたりすることなく大きな動きでスポーツが楽しめるのと同じように、コンサルテーションは気付きの入り口のストレッチにしか過ぎないと思う。

その後に訪れる生きていく日常のなかで起こる気付きをより豊かなものとするためのものにもっと触れたい、導いてもらいたい、そんな欲求がマグマのごとく私の中で高まりつつあります。


それが私にとっては、先日もこのブログで書いた「表現アートセラピー」なのではないか、と思うのです。

あ、ご報告が遅れましたが、あのあと、すぐに表現アートセラピーの定期専修講座というものに申し込みました。

来月から、東京で月に1回、丸々2日間をかけて半年間みっちり学んでまいります。

問い合わせたアトリエの講座メニューがちょっとわかりづらかったので、メールをして「受ける前からもうこんなことを言うのはなんですが、私はきっとアートセラピーをゆくゆくはしてあげる側にもなりたい、と思っています。そのためにはどのコースをとるのがよいのですか?」と質問したら、ちょうど来月から東京で始まるこの定期専修講座がセラピストになるためのプレ講座みたいなもので、これはセラピストになるための必修講座となっているから是非これを受けてください、と言われ、はい、そうします、とその通りにすぐに申しこんだ、というわけです。

セラピスト講座というものもあったので、それを薦められるかと思ったら、セラピスト講座はこの専修講座を受けた人でないと受けられないんですって。

おまけにセラピスト講座を受けたら、すぐにセラピストになれるわけではなくて、その上のファシリテーターコースを受講しないとダメみたいです。

セラピスト講座だけでも初級と上級の2つあるというのに、ファシリテーターコースはさらに基礎、実践、提供と3つもまた細分化されたコースがあるんですよ!

はぁ~

どうしてこう私が興味を持つものというのは、なかなかちょっとやそっとでは学びきれないものばかりなんでしょうかねぇ。

世の中にはお手軽に1日や2日くらいでちょいちょいとすぐに修了証を出すような講座も多いというのに。

いやいや、でもいいんだ。

だからこそやりがいがある、と思います。

でも、皆さんに直接お伝えできるのはいつのことになるやら、ですね~

長い道のりですが、逐一ご報告しながらまた頑張ろうと思います。

さて、ずいぶんと話がそれてしまいましたが、コンサルテーションの練習のときのことに話を戻しましょう。

変容のとき、と言われて、私は「ギフト&タレントボトル」で選んだ2番目のB56「セントジャーメイン」をじっと見やりました。

56かぁ。

「5」と「6」を足すと「11」。

ゲートだ。

ここでもやっぱり試されている、と思いました。

するとコンサルテーション役の方が、

「自分でも気付いていなかったものに変容するのかもしれませんよね。」とおっしゃいました。


そこでハッとしました。

そうだ・・・

細胞レベルからの変容なんだから、自分がマインドやフィーリングでは気付いていないものに私はこれから変容するのかもしれない、という考え方もありだな、と思ったからです。

自分がこれまでなら思いもよらなかったものに変わる・・・

それは「これまでなら思いもよらなかった」だけで、「そう言われるなら心当たりがないわけでもない」と捉えてもいいのだろうか・・・


このように「変容」と一言キーワードを与えられるだけでは、なかなか気付かないことや、同じプラクティショナーなだけに「うん、私もわかってる。」だけで終わってしまうことがちょっと言葉を添えたり、言い回しを変えたりするだけでものすごく意味をもって改めて自分の前に立ちはだかったりします。

だからコンサルテーションを受けることには意味があるんですよね~


そうしてコンサルテーションは終盤に差し掛かり、今回のメインの目的とする5本柱を薦められながら私もその選択と決定に参加していきました。

最後にカラーエッセンスの話になったときのことです。

カラーエッセンスの選択の方法としては、ひとつには、4本のなかで出てこなかった色、一番現れている色の真逆の補色の色を薦めてみる、という方法があります。

私たちはカラーローズという色の色相環の中心に立っていると言われています。

そしてそのときどきによって、ある特定の色に惹かれてその色のほうにぐーっと傾いている。

マイケルジャクソンのダンスのように足は地に着いているのに、体がどちらかの方向にぐーっと引き寄せられているのです。

ならば、逆方向の色を補って、またまっすぐに立っていたほうがバランスがよいだろう、というわけです。


そしてそのために補うプロダクツとしてどうしてカラーエッセンスがいいかと言うと、「見たくない色を見ないままに補うことができる」からです。

カラーエッセンスには色がついていません。

それぞれの色を補うことができるカラーの名前がついたエッセンスがずらりと並ぶなかで、そのどれもが手にとって実際にそのエッセンスを出してみても目では色を確認することが出来ません。

ちょっと黄色みがかった透明の液体を見ることになるだけです。

香りもすべて同じです。

安定させるために入っているブランデーの香りがするだけです。

こうして見たくなくて避けていた色を見ることなく、その色を感じさせる香りをかぐことなく、補うことができる。

それがカラーエッセンスなのです。

さて、私にはバイオレットの補色である「イエロー」とターコイズの補色である「コーラル」が提案されました。

プラクティショナーの方に、両方を説明されながら、「どちらがピンときますか?」と投げかけられました。

そのとき私にはひとつの言葉がビンビン響いていました。

それは「イエロー」の「恐れを手放す」。

プラクティショナーの方はこうおっしゃいました。

「4本目が『ブレス・オブ・ラブ』ですよね。まさに呼吸、手放しですね。イエローで恐れを手放すのもありかもしれません。」

イエローという色に対して「恐れを手放す」というメッセージは普段私もうちのサロンにお越しになるクライアントによく言うことです。

だから手垢のついた言葉か、というとそうではなかった。

不思議と自分ではなく、他人の口から語られたとたん、言葉というものは別の命を持つような気がします。

このときも“恐れ”という言葉が何か私のなかに鉤爪をもった弾丸のように突き刺さりました。

私は何を恐れているのだろう?

そもそも恐れているものなんてあるのか?

あるとしたら、それは何だろう?

それを考えるヒマもないほどすぐに私はこう言っていました。

「わたしって、ブルーを多く持っているから手放すのが下手なんです。私が手放すのが一番下手なものは何だろう?って考えたとき、それは手放すべきものにかけた時間や思い入れかもしれません。せっかくこれまでこんなに時間もお金もかけてこれをやってきたのに無駄にしてたまるか、っていう思い。自分が選んだものは間違っていなかったんだ、と信じたい気持ち。手放さずにそれをある程度上り詰めたところまで行って何かの形として残すまではどうしても手放せない。そんな自分がいたような気がします。」

言いながら、それって・・・ オーラソーマのことかぁ?とドキドキしてきました。


これは私にとって大きな発見でした。

他人にコンサルテーションをしてもらうことによって、そして他人の口から出る見知った言葉を新たな生命として耳にするとき新鮮な気付きがある、ということは前にも経験したことがあることでした。

しかし、コンサルテーションの最中に自分自身が語った言葉によってまた新たな気付きがある、という体験はこのときが初めてでした。

受け取る、与える、そうするとまた受け取る・・・ この繰り返し。

それはまさに4本目の「ブレス・オブ・ラブ」のサブタイトル「愛のギブ・アンド・テイク」でした。

こうして私は「最近私ってボトルを選ぶと必ずブルーやバイオレットばかりを選ぶんだけど、なんか変容のときなのかなぁ?」から、「私は今まで気付きもしなかった恐れを手放し、やはり気付きもしなった変容に向かっていっている。」という確信を抱きました。

その実体が顕わになっていくのはまだまだこれからだと思いますけれど。




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