ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

マズローの欲求5段階説

2014-08-31 09:00:00 | うんちく・小ネタ

 

ある方が、

 

「私は小さい頃からずっと仲間外れにされることを恐れていた。

 

学校で休み時間になると何人かの友人がグループになっておしゃべりをしている。

 

その中に入れないかもしれない恐怖に比べたらなんだって耐えられた。

 

もし、そこで『○○が大好き! ステキだよね~』という話で盛り上がっており、私は○○が全然好きではなくても、一緒になって『いいよね! 私も大好き!』なんて言うことは苦痛でもなんでもなかった。

 

でも、そんな人生をずっと歩んできたせいか、ある日ふっと気付くと、本当に自分の好きなものが何なのか、自分が望むことが何なのかがわからなくなっていた。」

 

とおっしゃいました。

 




なぁるほどねぇ。

 

私は自分と全然違う人生を送ってきたこの方の気持ちが痛いほどわかりました。

 

これまでは、

 

「何が好きなのか言ってごらん?」

 

「どれが欲しいのか指さしてごらん。」

 

と言っても「・・・う~ん、わかんない。」という子どもや、いつまでたってもどうしても自分の主張を言えない人に「なぜだろう?」と不思議に思うだけでどうしてそういうことになったのか、というプロセスに思いを馳せることはありませんでした。

 

私は小さい頃から主張するほうでしたので。

 




私の母がむしろこのタイプかもしれません。

 

母は11人兄弟姉妹の末っ子だったので、母から主張するまでもなく、年の離れた兄弟姉妹たちが「よしよし、この子はこうだろう、ああだろう。」と据え膳上げ膳で推し量ってくれたために特に自分から主張を申し立てることをしなくても周りが自分より先に自分の思い通りに動いてくれた、という人生を送ってきました。

 

そのため大きくなってからの母の口癖は「どっちでもいい。」「私は何でもいい。みんなのいいようにして。」でした。

 

絶対に自分から希望を述べない。

 

あるときから私は母のことを「この人は“希望を述べない”のではなく、“希望がない”人なんだ。なんて淋しい人!」と思ってきたほどです。



家族で外食するようなときでも「どこへいく?」「今日は何腹?」とか聞いても、

 

「う~ん、私は何でもいい。あんたのいいものでいい。」というばかりで絶対に「私は今日は○○がいいわ。」とは言いませんでした。

 

それは私の方に「私は是が非でも今日はこれがいいんだけれどな。」という希望があるときはしめしめでしたが、みんなでああだ、こうだ、とテーブル上に出し合って決めようよ、と思っているときには実に腹立たしい態度に映りました。

 

希望を言わないということは責任がない。

 

アンタの意志に従ったにすぎない、という顔をできる。

 

だからもし行った先のレストランが今イチの場合でも母だけが、

 

「なんだ、たいしたことなかったわね。」という権利があり、そこがいい、と主張した私は「それはすみませんでしたね。」と言う役回りとなる、という気がしていたからです。

 




ずっと私はそれを母の“戦略”だ、と思ってきて、「だから母は汚い。」と思っていたのですが、単に母は成長期にそういう経験をさせてもらえなかっただけだ、ということに気付きました。

 

こうして段取りを経て話してもらうと、全然違うタイプだなぁ、私とは真逆だなぁ、と思っている人の人生の1つ1つがとても愛おしく、短い間に走馬灯のように私もその人生を味わった、というような気持になるから不思議です。



さて、そんな話を聞いてふいに私が自分から話したのかどうだったのか忘れましたが、「マズローの欲求の5段階」というものを思い出したのです。

 

これはふる~くからある説で、私は会社勤めをしていた頃から社員のモチベーションUPに、顧客の購買心理学に、とやたら聞かされていた説なので、もう耳タコというものでした。

 

だからつい誰もがご存じのものだと思い込んで話し始めたのですが、その方から

 

「マズローってなんです?」と聞かれたので、ここでも簡単にだけご説明しておきますね。



これはアメリカの心理学者、マズローが「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生き物である」と仮定したことによって、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものです。

 

人間の基本的欲求を低次から述べると以下のような順となります。

 

  1. 生存・生理的欲求

 

 生命維持のための本能的欲求のこと。

 

  1. 安全の欲求

 

 より安全や安定を望む気持ち。

 

  1. 所属・帰属欲求

 

   どこかに属していたい、自分が社会に必要とされている、自分にも果たす

 

べき役割がある、という感覚を味わいたい、という欲求のこと。

 

  1. 承認・尊重の欲求

 

 自分が集団から価値ある存在と認められ尊重されたい、と願う欲求のこ

 

と。

 

  1. 自己実現の欲求

 

 自分のもつ能力・可能性を最大限に発揮し、自分がなりえるものにならな

 

 くては、という欲求のこと。

 




これって、原始時代の暮らしを考えてみたら、わかりやすいと思います。

 

厳寒や酷暑のなかでも人類はくふうをして何とか生き延びようとした。

 

生命を維持するだけの食べ物もその都度捕獲するしかなく、その日その日が常に飢えとの戦いだったと思います。

 

とにかく命をつなぎたい。

 

この「生存欲求」は何にも代えがたいものだったでしょう。

 

それが叶うと「なんとかこの食べ物を保存して、明日は何も狩りに出かけなくても大丈夫だぞ。」というようなことはできないか、という生活の安定をはかろうとします。

 

あるいはより獣に襲われる心配のない洞窟はないか? そういうところに安心して身をゆだねたい、という気持ち。

 

これが「安全の欲求」。

 

そしてこれが叶うと1人よりは2人、2人よりは3人、とある程度固まって集団になって生活した方が役割分担できるし、心理的負担も減るぞ、寄り添いあって暮らしたい、という欲求が生まれます。

 

これが「所属・帰属欲求」。

 




冒頭で述べた方は、「とにかく仲間外れにされるくらいなら自分の好みなんていくらでも押し殺せた」というわけですから、この願望を強く抱いていたということになります。

 

そして私は、「人間が生きていくうえで、この『どこかに属していたい』という欲求は相当強い欲求だったんだなぁ、ということを思いました。

 

そして本能的なものに近いわけですから、より人間らしい欲求だ、ということが言えるでしょう。

 

「え~、たとえ仲間ハズレにされたって、嫌いなものは嫌いって言える自分でありたいな。」

 

なんて言うのは人としての欲求の流れから考えると特殊な人間、ということになるわけです。



私自身は集団行動が苦手なほうで、どちらかといえば1人っ子で育ったせいもあって、「おひとり様」が好きです。

 

これまでの人生でも我慢してまで何かのグループに所属していた、という経験はありません。

 

我慢するくらいならひとりでいいやい、と思って行動してきました。

 

けれど、それは徹底的な仲間外れにあったことがないからなのかもしれません。

 

もし徹底的に無視されたり、ネグレクトされたりするようなことがあれば、私も何が何でも、どこのグループでもいいから、とにかく所属していたいと強く願ったかもしれません。



マズローの欲求の5段階をよぉく眺めてみると、4つめの「承認欲求」というのは「自分が集団から価値ある存在だと認められたい」とありますよね。

 

「自分がほかのだれか、たとえたった1人からでもいいから、価値ある存在だと認められたい」ではありません。

 

あくまでも“集団から”認められないと気が済まない、というように私たち人間はできているんですねぇ。

 

そしてそれは「所属欲求」の次のレベルなんですねぇ。

 

「たった1人からでもいいから認められたい」ということならば、所属欲求より前の2.「安全欲求」の次に来るのかもしれないなんて私は思うのだけれど、それよりもとにかく何かに属したくて、その集団から認められたい、というように私たちの基本的欲求のレベルは進んでいくんですね。

 




久しぶりにじっくりとマズローの欲求5段階に感じるところがありました。

 

私たちはそんなにも何かに「属していたい」という気持ちが強いのだ、ということを認め、許し、その気持ちに少しだけ添えたような気がしました。









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B43「クリエイティビティ」

2014-08-30 09:07:00 | オーラソーマ

 

いま、私はB66「アクトレス」を使っています。

 

これは少し前にあまりにアルケミーを起こしたものを棚から下げて自分使い用にしようと思ったもののうちの1つです。(「アルケミーを起こしたものを棚から下げてはいけません。」というヴィッキーさんの教えに忠実でいるつもりなので、“色が変化する”アルケミーなら下げないのですが、“色を失う”アルケミーはさすがに元の色のメッセージが失われてしまうと思って、自分で使うようにしています。)

 

ようやくB111「大天使ダニエル」の「夢に向かって一直線に進む」気持ちにYESという!と言うことに対して素直に向き合える気がしたので、よし、ならば「自分の舞台にあがろうではないか」と次に使うものにB66を選んだってわけです。



このB66「アクトレス」、あまりにサクサク塗れちゃうので、使い始めて10日間足らずですが、もう半分以上減っちゃったわん。

 

ダブダブ使っているつもりはないのですが、なぜかすごく減りが早い。

 

不思議な感じです。

 

抵抗なく塗れる、っていうのはこういうことか!と久しぶりの感触を楽しんでいる感じでもあります。

 

2本続けてB111を使い、やっとこさヒィヒィ言いながら使い終わった、というような時間が長かったもので。

 




そしてすいすい塗れるということは私が「自分の舞台に上がるときも近いぞ。」ということなのか、というとそうではない、という気がしています。

 

そんなに早くはないのでは・・ということではなくて、「ボトルがすいすい塗れる」=「自分の舞台に上がるときも早い」ということではないのでは、という関連性としての意味において、です。

 

というよりはむしろ、自分の舞台にあがる覚悟ができた自分だからこそ、このボトルを受け容れることがスムーズになっている、というような感覚。

 

この感覚というのは、このところ私がボトルとワークすること自体に対して、「このボトルを塗ったからこういうことが起きた」ということではなくて、「そういう自分になっているからそういうことも起きる」ということなんだろう、という感覚になっているからでもありましょう。



つまり、自分に何の用意もできていないのにただボトルを塗ったことによって、ボトルがこの事態を招いてくれた、ということではないのでは、というのが最近の私の感覚なのです。

 

それよりは自分のなかに何らかの準備が整ったので、その意識がボトルのエネルギーと呼応して起きたのでは、という感覚です。

 

これは似ているようで違います。

 

“ボトルが主体”か、“自分が主体”か、という点において。

 

でも実際にはボトルが主体かのように思っていたことだって、自分で自分の潜在意識の広大な可能性に気付いていなかっただけのことで、やっぱりちゃんと自分が主体だったのかもしれませんけれどね。

 




さて、なんでB43「クリエイティビリティ」というタイトルをつけておきながら、ちっともB43の話にならないんだよ、って思ってるでしょ?

 

まぁまぁ、ちゃんとつながるから待ってて。



これまで私はこのB43「クリエイティビリティ」のことを「単細胞な体育会系のヤツ」というように見ていました。

 

このボトルは上下ともターコイズカラーですが、「ターコイズ」という色そのものに「クリエイティビリティ」というメッセージがあるんです。

 

つまり、上下ともブルーの色のボトルだったらその名前が「コミュニケーション」だった、上下ともレッドの色のボトルだったらその名前が「エネルギー」だった、というのと一緒でなぁんだ、そんだけのことかぁ、というようなあまり興味がわかないボトルだったんです。

 

このように色の持つメッセージとボトルの名前が一致しているというボトルが数本ありますね。

 

ターコイズはすごく好きな色なのにもかかわらず、ボトルとしてはどーにも単純だなぁ、という感じで惹かれなかったんですね。



だけど、ターコイズにはもう1つ大きな意味、「個性化のプロセス」という意味があります。

 

私は「個性化が進むと創造性も増す。」と言うようにとらえています。

 

「創造性」がある人というのは、懐疑的な人でもあるでしょう。

 

「これはこのままでいいのか?」

 

「もっと工夫の余地があるのではないか?」

 

現状をよし、としない人が問題意識を抱いたときに「創造性」が生まれることが多いのではないでしょうか。

 

同じように、「個性化のプロセス」とは「自分は誰なんだ?」「自分と他人とどう違うんだ?」「私の私らしさってなんだろう?」ということを突き詰めて考えることです。

 

だから「個性化のプロセス」と「創造性」というメッセージは手を取り合って行く仲間みたいなもんなんだ、と思います。



「自分は何者なんだ?」と考える人からはきっと創造的なものが生まれることでしょう。

 

「自分は何者なんだ?」と考える人は創造的な人生でないと我慢ならないに違いない。

 

創造性を突き詰める人は、きっと一番創造的で神秘的で探求しがいのあるものは自分自身だということに気付くでしょう。

 

創造性を突き詰める人は、きっとすべては変容しつづけ、自分自身も変容しつづけ、進化をつづけているということに気付くでしょう。

 




そういう間柄というのは、私がボトルワークをしていて「ボトルが先か、私が先か?」でもないですが、その関係性のことで最近変化が生まれてきた、というのと似ているなぁ、と思ったのです。



半導体研究で有名な工学博士の西沢潤一氏は、創造性のことを「当たり前のことに人より先に気付くこと」とおっしゃいました。

 

逆に言えば、創造性への最大の賛辞は、「こんなにも当たり前でわかりきったことに、どうしてこれまで自分は気付いてこなかったんだろう!」と言われることだ、ということになります。

 

コロンブスの卵みたいなことでしょうか。

 

当たり前のことに気付くのは意外に難しいらしい。

 

当たり前のことを見過ごすのが「賢くなった」と勘違いする我々人間の成長の過程において当然のようにして起こることらしい。

 

「当たり前のこと」とは、きっとシンプルなことでしょう。

 

だから、そのシンプルなことに気付くと自分の魂への信頼も培うことができて、ターコイズには「ハートのコミュニケーション」という意味もあるのかもしれません。

 

「ハート」はきっと当たり前でシンプルなことしか知らないでしょうから。



B043_2 B43「クリエイティビィティ」

 

キーノートは、「存在の感じる側面を通しての創造的なコミュニケーション。個性化のプロセスが開く。」

 

アファメーションは、

 

「私は流れのなかにいます。わたしは人生の流れの中に気付きを制限するすべてのものを外します。」

 

特項として、

 

*自分を知るのを助ける

 

*大勢の前でもリラックスして話せる。

 

*胸腺のバランスを保つ。

 

*言語障害にもよい。

 

*身体をセクシュアリティに目覚めさせる。



このボトルとワークすると、これまで見過ごしてきた当たり前のことに「そうだったのか!」と気付き、自らの存在の神秘に気付き、それをそっとそのあるがままでいいじゃないか、と思える境地に至る究極の創造性を味わえるかもしれません。







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駄目だし

2014-08-29 09:09:00 | 身辺雑事

 

朗読教室では1年に1度、3月に行われる発表会のほかにも9月にミニ発表会があります。

 

これはまぁ、言い換えれば「お楽しみ会」と呼んでもよいようなもので、発表会が先生から役を振り当てられるのと違って、このミニ発表会は自分で「読んでみたい」という作品を5分以内で披露する、という会です。

 

いわば5分の持ち時間は自分のもの、もうなにしたっていい、みたいな感じです。



先日、この9月のミニ発表会に向けての練習会がありました。

 

1人ずつ自分の作品を読んで、先生から“駄目だし”を受けるのです。

 

この“駄目だし”が私はとても楽しみ。

 

ふつう、「ダメ!」と言われるとシュンと萎縮してしまいますが、これは単に「いけない! なってない!」と叱られるだけで救いがない、というものではない、という感じがするのです。



それは1つには、この先生の「駄目だし」が、

 

  1. 聞く方の身になって考えたとき、もう少しこうしたほうがわかりやすく

      なるよ。

  2. この作者がこれを書いたときどういう気持ちであったかに添ったら、も 

     う少しこうなるはずだよ。

 

という視点がものすごくはっきりしているから、ということがあります。

 

逆に言えば、「アクセントの講座も受けた」「発音の練習もしている」にもかかわらず、その点はどうなってんの!? なんて指摘は受けない、ということなのです。

 

この2つの視点以外からの駄目だしは、ない。

 

そこは今回は「お楽しみ会」なんだから、まぁ大目に見るよ、ということなわけです。



そしてこれが大きいのですがもう1つには先生がもともと劇団の方なので、「駄目を出す」ということが、「悪い箇所を指摘する」ということにとどまらず、「もっと良くするためにはそぎ落とす部分があって当然」という視点に立ってらっしゃる、ということがあります。

 

これは劇団用語なのか、たまたま先生の所属する劇団だけがそうなのか私にはわかりませんが、

 

「○○さんは後で△△さんから駄目をもらって。」というような言い方をするんです。

 

“駄目”とはもともと囲碁用語で、「そんなところに打ったって何の意味もないじゃないか。」というものを「駄目」と呼びます。

 

先生に、

 

「駄目をもらってちょうだい。」とか、

 

「駄目を出すわね。」とか言われると、「そんな策を弄しても仕方がないわよ、という箇所を指摘するわね。」という感じなわけです。

 

これだと

 

「ダメ!」と全否定されたようなピシャリ! ハイ! シャッターがらがら~という感じではなくなりますよね。

 

むしろワクワクしてきます。



朗読ですから、当然感情をこめて読むのですが、それがtoo muchな感じだな、と思われると先生から、

 

「駄目を出すわよ。それは詠嘆しすぎ!」と言われたりします。

 

朗々とあまりにも感情移入して読み過ぎ、って感じですかね。

 

読んでる本人があまりにも感情移入しちゃうと聞いてるほうは逆に冷めちゃったりしますからね。

 

一番わかりやすい例でいうと、悲しいお話を読んでいて、読んでいる本人が泣き出しちゃう、というような場合です。

 

面白いでしょ。

 

こういう業界用語(?)って時にその言葉のもともとの意味に忠実だったりするから新鮮です。



そぎ落として、そぎ落として、本当に必要で意味のある表現しか残さない、っていうのが練習。

 

そのために“駄目”をもらう。

 




でも一方で、「起こることにすべて無駄なものなんてない。」という言い方もありますよね。

 

どんなことであれ、それはすべて自分の学びのために存在しているのだ、すべてははじめから最高の状態に調整され、起こるべきことが起こっているんだよ、という考え方。

 

特にオーラソーマに親しんでらっしゃる方はこういう考え方が得意かもしれません。

 

自分の周りで起こっていることは、すべて自分がそもそも望んでいたことを反映しているに過ぎないのでしょうし。

 

それは自分が引き寄せたことに違いないのでしょうし。



朗読の「無駄がある→だから駄目だしを受ける」ということと、日常生活のなかでのことを一緒に語る必要はないでしょうが、私はふと「“起こる”ことすべてに無駄なものはないかもしれないけれど、自分から“起こす”ことにわざわざ無駄なものを紛れ込ませる必要もない。」と思ったのでした。

 

傷ついたり、迷ったり、落ち込んだりということを経験することは学びとなるけれども、そんな経験をしなくても自分のなりたい人生に向かってまっしぐらに突き進める人はそうすればいいわけで。

 

なにも順調すぎることに不安を抱く必要もないし、“無駄に”試練を求めに行く必要もない。

 

けれど、いま、この“無駄に”傷ついて苦しんでいる人が多いような気がしてなりません。

 

それはほとんどが情報過多によるものだと思います。

 

ちまたのメディアにいろんな情報が溢れすぎているのもそうですが、人間関係だって情報過多です。

 

「情報」は1つのエネルギーですから、振り回されまい、としたってどうしたって影響を受けます。

 

「情報」ばかりを自ら求めに行ってそれに振り回されまい、と必死になるよりは、最初から「そんなにたくさんの情報は必要ないよ」と、自分で自分に“駄目だし”をしてそぎ落としていくことも大切なことだと思います。

 

 

 

 

 

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ノンフライヤー調理器

2014-08-28 09:01:00 | 食・レシピ

 

今、話題の(?)ノンフライヤー調理器を買いました。

 

油を使わずに揚げ物ができる、っていうアレです。

 

テレビCMを見てたら、あまりにもおいしそうに出来上がっていたので、ついその気になり・・

 

だってぇ~

 

街頭インタビューで「ふつうに油を使ってあげたから揚げと、ノンフライヤーで調理したから揚げとでどっちがおいしい?」と食べ比べしたらなんと全員が、ノンフライヤーで調理したほうがジューシーでおいしいって答えてたんですよぉ!

 

見た目にも油であげたものと何ら遜色がないようにみえたし。



このノンフライヤー調理器、前から興味はあったんです。

 

やっぱり揚げ物をするとキッチンだけではなくて、部屋中の壁や床が油っぽくなって、埃がべたっと張り付くようになって気持ち悪く、それをきちんと綺麗にしようとすると毎回掃除が大変だし、ダイエットにも一役かってくれそうだな、と思って。

 

でもやっぱり仕上がりに不安があったんですよね。

 

でもこのときたまたま見ていたTV通販のものは「返品OK」でした。

 

これだ!と思って注文しました。

 

使ってみていざ「全く思ったような出来ではなかった」となれば返品すればいいや、と思って。

 

これまで百貨店やホームセンターで見かけたものはさすがに使ってから返品はできないですからねぇ。



注文したのはお盆前でしたが、人気商品からなのか到着はお盆過ぎになると言われていました。

 

そうしてようやくおととい届きました!

 

ワクワク、早く使ってみた~い。

 

梱包をあけて中をあけて取扱説明書の最後についているレシピを見てがっかり・・

 

そこには「からあげ」と「コロッケ」と「グリル野菜のハニーマスタードソース」と「チョコチップクッキー」の4つしかレシピが載っていませんでした。



前にも1度、ここのTV通販でキッチン家電を買ったことがあるけれども、そのときにも

 

「+○○○○円(いくらだったか忘れました。3~5000円くらいだったと思います。)されますとレシピ集と1年保証がつきますがいかがされますか?」

 

と聞かれました。

 

このお値段なら安い!と思って注文しているのにレシピと保証で+5000円も出したらちっとも安くないじゃないか、と思ってそのときもレシピ集は買いませんでした。

 

今回も当然、スルー。



注文時に一応、

 

「それ買わないと、取扱説明書にまったくレシピは載っていないんですか?」

 

と尋ねました。

 

すると、

 

「いいえ、基本的なものは載っていますから大丈夫ですよ。」

 

とのことでしたので、+αのお金を出して買うレシピ集は「応用編」のようなものだと思っていました。

 

しかし、たったこれだけしか載っていないとは!

 

不親切すぎやしないか。

 

これ以上の使い方が知りたければ、+何千円かを出してレシピ集を買え、というやり口も腹立たしい。

 

なんでそんなものが何千円もするんだ、と思う。

 

商品本体はお値打ちだよ~んと見せかけておいて、こういうところで儲けようとするなよ、セコイぞ、やり方が。



私はまずはエビフライを作ってみよう、と思っていたんですよね。

 

いったい何度で何分に設定したらいいのかわからない。

 

「フライ」という種類だと思えば、コロッケに準じればいいのかもしれない。

 

けれどコロッケは180°で15分加熱、となっている。

 

海鮮は火を通しすぎると堅くなってしまうからもう少し短い時間でいいのでは、と思ったり、コロッケなんてそもそも中身はもう火が通ったものを揚げるんだからそれに比べたらやっぱり同じくらいでいいのかな・・と思ったり。

 

そしてふと「から揚げ」の方を見ると、こちらは200°で10分になっている。

 

う~ん、鶏肉のように火が通りにくいものでも10分でいいのか。

 

だったらやっぱりもっと短くていいよな、と思ったり。

 




迷った私は結局、180°で8分に設定してみました。

 

ま、それで時間が足りないようならまた時間は足せばいいんだから。

 

この点は便利なところですが、途中でバスケットを開けて中を見ても全然問題なし、とあるし。

 

そしてえびフライに挑戦。

 

結果、大失敗。

 

8分ではまったくコロモが揚げ色になっていなかったので、まだなんだな、と思って時間を足しました。

 

5分足してまだ色づいていないなぁ、と思ってもう5分。

 

そのときにはすでに遅し・・

 

中はカチカチになり、コロモも色づいていないままカラリを通り越して、ガチガチになっていました。



食べられないわけではないけれど・・・

 

これはもう「エビフライ」を通り越して、「エビのミイラ、鎧がため」というようなシロモノになっていました。

 

もうこんなもの捨てて別の料理を作り直したいくらいだったけれど、まさかここまでの「失敗」があろうとは思っていなかったので別の材料もないしで、断腸の思いで「大失敗だった・・」と白状し、その「エビのミイラ」をテーブルに並べました。

 




つい口数が少なくなっていたのか、ダーリンが私に、

 

「おっ、久しぶりにエッコちゃんが怒ってる~」と茶化しました。

 

(久しぶりじゃねーよ。つい先日もアンタの帰りが遅かったことで怒ったろうが。)と内心では突っ込みつつ、(ふぅん。あれは私が怒った数には入ってないのか・・?)と黙っていました。

 

「いや、こんなもの食べさせてケンちゃんに悪いな、と思ってさ。」と言うと、

 

「俺は全然気にしてないよ。」

 

と言いました。

 




お腹が減っていたのか、残したら「やっぱり気にしてたんだ。」と私が思うといけないと思ったのかわかりませんが、ダーリンはそれを平らげました。

 

でもいつもなら、

 

「あ~ うまかった! ごちそうさん。」と言って席を立つダーリンが、この日はさすがに何も言いませんでした。

 




1食がムダになった・・・! と思いました。

 

死ぬまでに何回食事できるかわからないけれど、その1回1回を私はすごく大切に考えています。

 

特にダーリンと一緒に摂る食事は。

 

「もう今日はこれでいいよね。」ってスーパーで買ってきた惣菜をそのまま並べるだけ、という食事はしたことがありません。

 

「あんまりお腹すいてないから今日はこれだけ。」とお茶漬けだけで済ませる、とかそういうこともしたことがありません。

 

とにかく私にとっては、「ほぉ、これ、何? どうやって作ったの?」と言われながら、きちんとものを何回か噛むという咀嚼をし、バカみたいなことでもいいけれど会話を楽しみ、温かい時間が流れるのが食事だ、ということを大切に考えたいのです。

 

その1食がムダになった、と思いました。



自分がしでかしたことなら反省もしようが、今回は「このノンフライヤーのせいだ!」という気持ちが強いものだから余計に腹の虫がおさまらない。

 

何回かチャレンジして温度と時間の設定のちょうどいい折り合いという地点を見つけることができたら上手にできるようになるのかもしれません。

 

けれど、そのためにまた何回も失敗するなんて我慢できな~い!

 

「やっぱりレシピ集を買えばよかった・・」とも思わない。

 

こんな揚げ物のなかの王道のような料理すら基本セットのなかに入れておかないほうがおかしい!と思う。

 

絶対これはすぐに返品だ~!

 

ほかの料理なんて試すまでもなく、明日にはすぐに返品してやる~!と息巻く私なのでした。



そして、私ってこんなにも「食べること」「食べる時間」を大切に考えていたんだな、と改めてこんなことにこんなにも腹立たしい思いをした自分にびっくりしました。

 

「まぁ、1回のことぐらい」って気持ちになれないんですね。

 

貴重な1回の食事を無駄にされた、って気持ちの方が強くて。

 




そして改めて「日常のなかの何気ない一コマ」を人はそれぞれ大切にして生きているんだろうな、と思いました。

 

私にとってはそれは夕食だけれど、ある家庭にとっては子どもが一言もらす、「ねぇねぇ、お母さん聞いて! 今日学校でこんなことがあったんだよ。」という報告かもしれない。

 

ある家庭にとっては朝の「おはよう!」という元気な挨拶がなかったら、と思うとやりきれないほどの思いになるのかもしれない。

 

それぞれそれは違うだろうけれど、「あたりまえの日常がこんなにも大切なことだったのか」ということに気付かせてくれた、という意味においてはこのノンフライヤー調理器には感謝しなくてはと思いました。

 

感謝しつつ、ま、今日、返品しますけれどね・・







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マインドコントロール

2014-08-27 09:04:00 | テレビ番組

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OGED(On Going Education Day)開催のご案内

 

 

 

コンサルテーションの現場における

 

       コミュニケーションスキル

 

 

 

開催日    : 2014年 10月11日(土)

 

時間     : 10:00~17:00

 

講師     : 坪内恵津子

 

場所     : オーラソーマヒーリングサロン 「些々羅」

 

  岐阜県岐阜市西園町24 ショウエイビル2Fにて

 

 

 

参加費    : ¥11000

 

参加資格   : どなたでもOK

 

 ※特に人と接するお仕事をされている方には           役立ちます。

 

             ※プラクティショナー更新対象

 

 

 

 お問い合わせ・お申込みは  chakra@aura-soma.name  まで

 

先日、こちらのブログでも紹介いたしましたが、以下のHPにて、開催内容について詳しく

記載いたしましたので、ご興味のある方は、下記のページをのぞいてみてくださいね。

       ↓

http://sasara.info/index.html

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先週の金曜日、XJAPANのToshiがマインドコントロールされていた期間の様子を細かく語っているテレビ番組を見ました。

 

この方は一時、自己啓発セミナー的なものを取り扱う集団の一員となり、その教祖的男性のマインドコントロールから抜け出られなかったという経験を持ちます。

 

それはいま、「一時」と書きましたが、なんと12年にも及ぶ壮絶なものだったようです。

 

番組がどこに焦点をおいてマインドコントロールのことを取り上げようとしているのかはわかりませんでした。

 

ただToshiがこれだけ詳細にあのときのことを語るのは初めてなので、まずはそれを時系列的にそのまま電波にのせてみよう、という試みだったように思えました。

 

それ以外のことは二の次、というような。



私自身は、「マインドコントロールは恐ろしいものだ。」「マインドコントロールから抜け出るにはどうしたらよいのか?」「抜け出ること自体がそんなにも大変なことになる前に、まず罠に落ちないように気を付けよう。」という趣旨のものなら見なかったと思います。

 

実際、Toshiの場合はこの団体が“インチキ”なものであった、という見定めはものすごくわかりやすいことでしたし。

 

この団体の代表は、Toshiに「XJAPANなんかやめろ! 悪の権化だ。」と言いながら、解散した彼に音楽業界のあるプロデューサーが「3億出すから復活しないか? 1億5000万ならすぐに即金で出せる。」と持ちかけたとたんに、「やれ。」と言い出したというのです。

 

そこでToshiも「あれ? おかしいな。言ってたことと態度が違うぞ。結局は金か。」ということで目が覚めた、というのです。

 

そりゃあ確かにわかりやすい例でしたよね。

 

それで気付けてよかった、よかった。

 

彼が失ったものはあまりにも大きかったようですが。



ただ私がこのとき一番知りたかったのは、「マインドコントロールとマインドコントロールではないものの見定め、すなわちボーダーラインはどこなんだ?」ということでした。

 

実際、Toshiがこの団体のセミナーに初めて参加したときの様子も細かく紹介されていましたが、そこに多少の違和感は感じたものの、それがすぐに“偽”の教団がやるようなことだ、とは思わなかったです。

 

oshiは最初のセミナーで、「ここにいる参加者の方々と会場を自由に歩き回って“出会って”ください。そして第一印象で、『付き合いにくそう』『付き合いやすそう』『わからない』の3種類の言葉をお互いに投げかけあってください。」と言われたそうです。

 

「いいですか。決してお愛想で『付き合いやすそう』と言っておけばいい、という態度をとらないでくださいね。本当のことを相手に言ってください。」と釘を刺されて。

 




oshiはここでたいていの人に自分からは『付き合いやすそう』と言葉をかけたそうです。

 

しかし相手から返ってきた言葉は、たいてい『付き合いにくそう』でした。

 

そこで彼はが~ん、俺ってそんな風にみえるのか、とショックを受けます。

 

そこに追い打ちをかけるように主催者が、

 

「いいですか。今、相手から投げかけられた言葉があなたの真実なんです。」

 

と言います。



私はこの番組を見る前から彼が、マインドコントロールを受けていた期間、「あご男!」とか「キモイ!」とか団体の主催者やメンバーから罵倒されて、じっとそれを受け容れていたというのは知っていましたが、それについて「なんで? どうしてそんなひどいことを言われてただ耐えているっていう風に人はなっちゃうの?」と不思議な思いでいました。

 

けれど、彼のこのセミナーの出会いを聞いて、「なるほど。」と思いました。

 




マインドコントロールをする教団というのがまずやることは、その人のこれまでの価値観や自信というものをとにかく突き崩すことから始めるんですね。

 

そして新たな価値観を植え付ける。

 

しかし、オーラソーマでも表現アートセラピーでも、何に関わらずたいていのスピリチュアルな教えというもののコアは、「ありのままの自分を受け容れる」ということだったりします。

 

じゃあ、ありのままの自分って何なんだ?という探究がそこから始まっていくわけですがその過程では、「自分がこれまでありのままの自分だと思っていたものは、社会から制限を受けていることだったり、鎧のように着せられた役割演技だったりして、決してありのままじゃないよ?」ということを気付かせられる、ということがあったりします。

 




ここでもToshiが受けたセミナーというのは、

 

「他人の受けた印象がつまり、自分ということなんだよ。自分で自分はこうだ、と思い込んでいるよりも、まずは他人の評価を素直に受け取ろうよ。」であったり、

 

「他人というのは自分と同じことなんだよ。みんなワンネスだから。それに他人は自分を映し出している鏡でもあるよね。だったら他人の第一印象はイコール自分だと思っていい、ってことだよね。」

 

ということが言いたいがための導入だったのではないか、と思います。

 

この考え自体が間違っているわけでもなんでもない。



けれど初対面の相手にいきなり、「付き合いにくそうだな」と思ったらそう言え、というのは失礼だし、そう言われたほうは不愉快になるに決まっているし、まともな自己啓発セミナーではそんな投げかけはしないように思いますが、多少やり口としては荒療治的なものではあっても、「今まで自分ってこんな人間だよね。」って思っていた自分の価値観を一瞬にしてひっくり返すことになるかもしれない他人からのストレートで辛辣な第一印象というのは「自分にはそういう部分もあるかもしれない・・」という気付きを得るには十分なものですし、これ1つをとってこの団体はおかしい、と決めつけることも出来ないのでは、と思ってしまいました。

実際私もビジネスの啓発セミナーやエンカウンターワークショップで似たような内容のものを受けたことがありますし。

 

そしてこれが後の「あご男!」「キモイ!」につながって行ったのか、と思うと主催者側から言わせれば、ずっと長い時間をかけてToshiはありのままの自分を受け容れようとしているところなんですよ、ボクたちはそのお手伝いをしているだけですよ、ということになるんだろうか、と思ったらどの段階で「それは行き過ぎだろう。」「ハイ、さすがにここからはおかしいです~ ボーダーライン超えました。ここの団体はマインドコントロールが目的だった、ってことを断定しても差し支えないと思います~」と気付けるのか、決めていいのか、と言ったらこれはひとりでその場に置かれたら誰だって判別できないかもしれない、と思いました。

 

少なくとも私は自信ないなぁ。



番組では再現VTRのとき、効果音として後から入れてあるのかもしれませんが、会場のゲストなどから「え~」とか「うっそ~」とか、それはさすがにおかしいって気付くだろ、みたいな声が漏れていました。

が、実際にはそんなこと当然だろ、って人たちの中にひとりで放り込まれたらひとりだけ「おかしい!」って言えるか、と思うと怪しいと思いますよ~

 

殴る、蹴るなどの暴力、言葉の暴力があった時点で確実にそれはおかしいとは思うけれども、逆に言えばそれだけ明白な「暴力」がなければわからないような気がします。

 

だから恐いんだよね、マインドコントロールって。

 

そして、こういう団体のためにすべてのスピリチュアルな学びが「怪しいもの」としてとらえられてしまい、「ぶるるっ、そんなものには触れないほうが身のためだわ。」と思ってしまう人がいるというのもまた悲しいな、と思います。



そのためにも冒頭でも述べましたが、私は「どこからがマインドコントロールでどこからがマインドコントロールではないのか。」が知りたかったのですが、そこには明確な定義は見つけられないようにも思いました。

 

だって100人のうち99人が「それはマインドコントロールだろ。」と思っても、1人は「いや、私はこの教義は正しいと思う。」と依存の気持ちで傾倒していったらその人にとってはそれはマインドコントロールではないんだものね。

 

あくまで自分の意志でその団体にとどまったり、どんどん傾倒していってるだけですものね。

 

あえて言えばマインドコントロールはそこに傾倒した人がどこかの時点で「やっぱりおかしい。」と気付いたときだけ、それがマインドコントロールだった、ということになるということではないでしょうか。

 




ゲストではやはりある新興宗教に一時期傾倒してマインドコントロールを受けていた飯星恵子さんが、

 

「マインドコントロールをするような団体の恐いところは、入るのは簡単だが、抜けさせてくれないところ。」

 

と言っていました。

 

それはすべての怪しい団体に共通することかもしれません。

 

なぜなら彼らは自分たちの団体の利益しか考えていないから、そのためには何かしらその人を抜けさせては困る、という事情があるということでしょう。

 

oshiのように金づるになるとか、飯星さんのように広告塔として利用できるとか・・。

あるいは外にあることないこと自分たちのことをバラまかれるのはかなわん、という思いもあるのかもしれません。実態がバレたら困りますから。



あえておかしい団体とそうでない団体とをどう見分けるのか、と言ったら、陳腐な言い方になってしまいますが、「愛があるかどうか」ということに尽きるんではないでしょうか。

 

身勝手で団体本位の愛ではなくて、ちゃんと1人ひとりに対して自由な精神を尊重する愛があるかどうか。

 

自由な精神を尊重するということは、言い換えればヴィッキーさんが言うように、「それぞれの人の中にこそ教師はいます。」という信念があるかどうか、ということだと思います。

 

いつなんどきも私たちは自分のなかにある大いなる存在(それを天といっても、神といってもいいでしょうが)を信じて行動しなければなりませんね。

 

そして自分にはどんな選択や決断をする権利もあるんだ、ということも覚えておかなくてはならない、と身をひきしめました。



最後にToshiが、

 

「今、僕はこうしてそのマインドコントロールから抜け出せたとはいえ、そこにいた期間のことを忘れ去ることは永遠にできません。

 

これからもそういう時代があったな、という十字架を背負ってずっと生きていきます。」

 

と重苦しく語っていたのがとても印象的でした。









 

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