ある方が、
「私は小さい頃からずっと仲間外れにされることを恐れていた。
学校で休み時間になると何人かの友人がグループになっておしゃべりをしている。
その中に入れないかもしれない恐怖に比べたらなんだって耐えられた。
もし、そこで『○○が大好き! ステキだよね~』という話で盛り上がっており、私は○○が全然好きではなくても、一緒になって『いいよね! 私も大好き!』なんて言うことは苦痛でもなんでもなかった。
でも、そんな人生をずっと歩んできたせいか、ある日ふっと気付くと、本当に自分の好きなものが何なのか、自分が望むことが何なのかがわからなくなっていた。」
とおっしゃいました。
なぁるほどねぇ。
私は自分と全然違う人生を送ってきたこの方の気持ちが痛いほどわかりました。
これまでは、
「何が好きなのか言ってごらん?」
「どれが欲しいのか指さしてごらん。」
と言っても「・・・う~ん、わかんない。」という子どもや、いつまでたってもどうしても自分の主張を言えない人に「なぜだろう?」と不思議に思うだけでどうしてそういうことになったのか、というプロセスに思いを馳せることはありませんでした。
私は小さい頃から主張するほうでしたので。
私の母がむしろこのタイプかもしれません。
母は11人兄弟姉妹の末っ子だったので、母から主張するまでもなく、年の離れた兄弟姉妹たちが「よしよし、この子はこうだろう、ああだろう。」と据え膳上げ膳で推し量ってくれたために特に自分から主張を申し立てることをしなくても周りが自分より先に自分の思い通りに動いてくれた、という人生を送ってきました。
そのため大きくなってからの母の口癖は「どっちでもいい。」「私は何でもいい。みんなのいいようにして。」でした。
絶対に自分から希望を述べない。
あるときから私は母のことを「この人は“希望を述べない”のではなく、“希望がない”人なんだ。なんて淋しい人!」と思ってきたほどです。
家族で外食するようなときでも「どこへいく?」「今日は何腹?」とか聞いても、
「う~ん、私は何でもいい。あんたのいいものでいい。」というばかりで絶対に「私は今日は○○がいいわ。」とは言いませんでした。
それは私の方に「私は是が非でも今日はこれがいいんだけれどな。」という希望があるときはしめしめでしたが、みんなでああだ、こうだ、とテーブル上に出し合って決めようよ、と思っているときには実に腹立たしい態度に映りました。
希望を言わないということは責任がない。
アンタの意志に従ったにすぎない、という顔をできる。
だからもし行った先のレストランが今イチの場合でも母だけが、
「なんだ、たいしたことなかったわね。」という権利があり、そこがいい、と主張した私は「それはすみませんでしたね。」と言う役回りとなる、という気がしていたからです。
ずっと私はそれを母の“戦略”だ、と思ってきて、「だから母は汚い。」と思っていたのですが、単に母は成長期にそういう経験をさせてもらえなかっただけだ、ということに気付きました。
こうして段取りを経て話してもらうと、全然違うタイプだなぁ、私とは真逆だなぁ、と思っている人の人生の1つ1つがとても愛おしく、短い間に走馬灯のように私もその人生を味わった、というような気持になるから不思議です。
さて、そんな話を聞いてふいに私が自分から話したのかどうだったのか忘れましたが、「マズローの欲求の5段階」というものを思い出したのです。
これはふる~くからある説で、私は会社勤めをしていた頃から社員のモチベーションUPに、顧客の購買心理学に、とやたら聞かされていた説なので、もう耳タコというものでした。
だからつい誰もがご存じのものだと思い込んで話し始めたのですが、その方から
「マズローってなんです?」と聞かれたので、ここでも簡単にだけご説明しておきますね。
これはアメリカの心理学者、マズローが「人間は自己実現に向かって絶えず成長する生き物である」と仮定したことによって、人間の欲求を5段階の階層で理論化したものです。
人間の基本的欲求を低次から述べると以下のような順となります。
生存・生理的欲求
生命維持のための本能的欲求のこと。
安全の欲求
より安全や安定を望む気持ち。
所属・帰属欲求
どこかに属していたい、自分が社会に必要とされている、自分にも果たす
べき役割がある、という感覚を味わいたい、という欲求のこと。
承認・尊重の欲求
自分が集団から価値ある存在と認められ尊重されたい、と願う欲求のこ
と。
自己実現の欲求
自分のもつ能力・可能性を最大限に発揮し、自分がなりえるものにならな
くては、という欲求のこと。
これって、原始時代の暮らしを考えてみたら、わかりやすいと思います。
厳寒や酷暑のなかでも人類はくふうをして何とか生き延びようとした。
生命を維持するだけの食べ物もその都度捕獲するしかなく、その日その日が常に飢えとの戦いだったと思います。
とにかく命をつなぎたい。
この「生存欲求」は何にも代えがたいものだったでしょう。
それが叶うと「なんとかこの食べ物を保存して、明日は何も狩りに出かけなくても大丈夫だぞ。」というようなことはできないか、という生活の安定をはかろうとします。
あるいはより獣に襲われる心配のない洞窟はないか? そういうところに安心して身をゆだねたい、という気持ち。
これが「安全の欲求」。
そしてこれが叶うと1人よりは2人、2人よりは3人、とある程度固まって集団になって生活した方が役割分担できるし、心理的負担も減るぞ、寄り添いあって暮らしたい、という欲求が生まれます。
これが「所属・帰属欲求」。
冒頭で述べた方は、「とにかく仲間外れにされるくらいなら自分の好みなんていくらでも押し殺せた」というわけですから、この願望を強く抱いていたということになります。
そして私は、「人間が生きていくうえで、この『どこかに属していたい』という欲求は相当強い欲求だったんだなぁ、ということを思いました。
そして本能的なものに近いわけですから、より人間らしい欲求だ、ということが言えるでしょう。
「え~、たとえ仲間ハズレにされたって、嫌いなものは嫌いって言える自分でありたいな。」
なんて言うのは人としての欲求の流れから考えると特殊な人間、ということになるわけです。
私自身は集団行動が苦手なほうで、どちらかといえば1人っ子で育ったせいもあって、「おひとり様」が好きです。
これまでの人生でも我慢してまで何かのグループに所属していた、という経験はありません。
我慢するくらいならひとりでいいやい、と思って行動してきました。
けれど、それは徹底的な仲間外れにあったことがないからなのかもしれません。
もし徹底的に無視されたり、ネグレクトされたりするようなことがあれば、私も何が何でも、どこのグループでもいいから、とにかく所属していたいと強く願ったかもしれません。
マズローの欲求の5段階をよぉく眺めてみると、4つめの「承認欲求」というのは「自分が集団から価値ある存在だと認められたい」とありますよね。
「自分がほかのだれか、たとえたった1人からでもいいから、価値ある存在だと認められたい」ではありません。
あくまでも“集団から”認められないと気が済まない、というように私たち人間はできているんですねぇ。
そしてそれは「所属欲求」の次のレベルなんですねぇ。
「たった1人からでもいいから認められたい」ということならば、所属欲求より前の2.「安全欲求」の次に来るのかもしれないなんて私は思うのだけれど、それよりもとにかく何かに属したくて、その集団から認められたい、というように私たちの基本的欲求のレベルは進んでいくんですね。
久しぶりにじっくりとマズローの欲求5段階に感じるところがありました。
私たちはそんなにも何かに「属していたい」という気持ちが強いのだ、ということを認め、許し、その気持ちに少しだけ添えたような気がしました。
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