またまた昔の友人たち2人と久しぶりに再会しました。
遠くから来てくれた彼女たちのために、私はオーラソーマのセッションをほんのちょっぴりやってあげました。
そうしたら2人とも涙ぐんでしまいました。
コンサルテーションを始めた初期の頃はクライアントに泣かれると戸惑ってしまったり、自分のコンサルテーションがさぞやよかったからであろうかと勘違いをしそうになったりしましたが、今は彼女たちがただ自分と真正面から向き合ったんだな、とその状況を喜ぶことができます。
ちなみに許可をもらったので、ふたりのセッションのほんの一端をご紹介しますと、ひとりは娘さんとの関係に悩んでいました。
でもボトルを選んでもらうと意外にも希望に満ち満ちた状況にあり、将来についても彼女が言うほどに憂えてはいないのだな、と思いました。
それはすべてが「愛」に支えられている、ということがわかったからです。
私は言いました。
「私も母親とは何かかみ合わないと思ってきたけれども、それでもどこかでお互いにもうしょうがないな、という“愛”を携えてきていることは自覚している。きっとあなたもそんな感じじゃないのかな。
いくら娘さんと険悪な雰囲気になることがあっても、根底には無条件の愛が常に横たわっている。
家族って家族だからこそ時に他人には絶対に使わないような辛辣な表現を採択してしまうことがあるけれども、それは根底に無条件の愛があるからこそ言えるのだとも思う。」と。
すると彼女は「私と娘の間にも親子ならではの愛があると思う。」と言って涙ぐんだのでした。
もう1人の友人の場合は、順調そうで何も問題のない日々を送っているようなことを言っていたけれど、いざボトルを選んでみると、非常に疲れていて、自分がいつも犠牲になっているというように感じている、というように受け取れました。
そこで私は「正直に言うね。」と言ってそのように彼女に伝えました。
すると彼女は、「えぇ~、そんな心当たりは全然ないんだけど。」と言いました。
以前の私なら、ここで、
「そうですか。オーラソーマのボトルの色たちには単一の意味しかないわけではなく、今は私が感じ取った一番これではないか、という強い可能性のあるものを言ってみたのだけれども、それが少しもピンとこないのであれば当たっていないのかもしれませんね。
では、別の意味を探っていきましょうね。」
と言ってすぐにも別の探求を始めていたところでしょう。
けれどもこのときには友人だということもあって、私はもう少し踏ん張ってみました。
「顕在意識と潜在意識の関係は7:93%なんだよね。だから、自分では気づかない自分の方が圧倒的に多い。けれどもどこかから少し刺激を与えて突っついてやったりすると、あぁ、そういうこともあったかもしれない、という気持ちが少しでも浮かび上がってこればやっぱりそれはあったんだなぁ、ということなんだよね。
93%も表に出してこなかった自分がいる、ということはラクな人生じゃないよね。せっかくここで色によって表に浮かび上がるかもしれない可能性のある自分を見出せたのだとしたら、それはやっぱり表に出してやったほうが楽なんだよね。
1mmもピンとこないということならば話は別だけれども、胸に手を当ててみて、今までそこには触れようとしてこなかったけれども、やっぱり少しはあるかなぁ、とかそんな感じはしない?」
そう言ったら、彼女は、
「犠牲になっている、と思ったことは表現がちょっと過激だったせいもあってすぐには納得できないっていうか、今もよく考えてもやっぱりないかなぁ、って思うけれども、私は頑張ってたのかなぁ、表に出せてない気持ちがあったのかなぁ、閉じ込めていた気持ちがあったのかなぁ、って思ったら、そりゃああるよなぁ、って思えた。」
と言ってそこに気付いたことに泣けてきた、と言って少し涙ぐみました。
そして彼女は、
「自分が今、息苦しいと感じていたんだ、と気付いたことによって癒された。ありがとう。」
と言ってくれました。
これは彼女が「私って、息苦しい思いをしていたんだ。我慢していたんだ。」と気付いたことにより、そのことを認めることができた瞬間です。
そして認めるということは、認めたことによりそれが“今”感じ続けている感情だ、という「~ing」ではなく、「~ed」という“過去”として見つめられることが出来た瞬間でもあるわけです。
だから癒された、という感じがするんですね。
良かった、良かった~!
この2人の友人たちはすごく久しぶりに会ったということもあり、私がやっている「オーラソーマ」と言うものがどういうものかもよく知らないし、ほぼ初めて触れるものでした。
これまでの人生、彼女たちはごくごくまともに生きてきており、それゆえにただ前向きに生きて行かなくては、と自分を叱咤激励し、だからこそ自分とまともに向き合ったことがないんだと思います。
そんな彼女たちが初めて“自分”というものをボトルに置き換えて出会い、それをちょっと離れた第三者かのように見つめることで、「この人(=自分)、こんな風に思ってたんだ。愛おしいよなぁ。」と言う気持ちになれた経験をした。
こんな嬉しいことはありません。
自分と向き合うということは、いつも深刻に思慮深く考え込む、ということではないんです。
ただただ、1人の人間として自分を客観的に眺めることができたとき、「あぁ、この人、頑張ってるじゃん。」と抱きしめてあげたいような気持になるのでしょうねぇ。
最近ではエネルギーワークを信じることができるのであれば、もっともシンプルで手っ取り早いのはストレートに相手のハイヤーセルフや潜在意識と交信することであって、それがチャネリングなどによって可能なのであれば、オーラソーマのように何かいったん別のツールに置き換えることによってその人を見ていく、というものはまだるっこいものに過ぎないのかもしれない、と言う気持ちになっていたところでしたが、改めて今日は「自分というものを別のもの(=色)に置き換えて見てみる」ということのクライアントに及ぼす影響の素晴らしさについて再認識しました。
やっぱりオーラソーマって素晴らしいわ!
彼女たちがこれから自分とどう向き合い続けていくのか、見守るのが楽しみです。
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