まずは何も言わずに次の文章を読んでみてください。
原っぱ 長田 弘:作
原っぱには、何もなかった。
ブランコも、遊動円木もなかった。
ベンチもなかった。
1本の木もなかったから、木陰もなかった。
激しい雨がふると、そこにもここにも、おおきな水溜りができた。
原っぱのへりは、いつもぼうぼうの草むらだった。
きみがはじめてトカゲをみたのは、原っぱの草むらだ。
はじめてカミキリムシをつかまえたのも。
きみは原っぱで、自転車に乗ることをおぼえた。
野球をおぼえた。
はじめて口惜し泣きした。
春に、タンポポがいっせいに空飛ぶのをみたのも、
夏に、はじめてアンタレスという名の星をおぼえたのも、原っぱだ。
冬の風にはじめて大凧を揚げたのも。
原っぱは、いまはもうなくなってしまった。
原っぱには、何もなかったのだ。
けれども、誰のものでもなかった何もない原っぱには、ほかのどこにもないものがあった。
きみの自由が。
この詩を読んで、私は自分自身が小さい頃にはそういやあ、原っぱというものがあったなぁ、と思い出しました。
原っぱとは、この詩にも書いてあるとおり、文字通り「何もない」ところです。
「何もない」からこそ、子どもの創造力をかきたてる。
カミキリムシをつかまえたり、野球をおぼえたりしたこの詩の主人公はどうやら男の子のようですが、私も幼い頃には男の子も女の子もなく、いろんなことを原っぱから学び、原っぱで発見しました。
友達と秘密基地をつくりました。
それはさながら「20世紀少年」のあの世界です。(物語の発展があんなおどろおどろしいことにも何もならず、たいていは計画だけで終わったものですが。)
ただもう“秘密基地”という言葉の閉鎖的な世界にもうそれだけで酔っていました。
鈴虫がいっぱい生息している原っぱを見つけて、親しい友達だけにそれを教えてあげました。
しかし、その友達がまた「おまえにだけだぞ。」と言って教えるので、結局、2、3日もすれば全員に知れ渡り、鈴虫は獲り尽くされましたけれど(笑)
「ねぇねぇ。誰にも言わないからさ。好きな男の子の名前教えてよ。」なんて会話をしたのも原っぱでした。
それも次の日にはクラス中の全員に知れ渡っているのですけれどね。(笑)
ところが今は、純粋培養された「原っぱ」というものがまず、ない。
公園とは絶対的に違うんです。
広い公園には芝生しか植えてないような、何もないスペースってあるよ、とおっしゃる向きもあるかもしれませんが、とにかく行政なり大人なりが、子どもたちに向かって「どうぞ、どうぞ。ここは何して遊んでもいいところなんだよ~」ともろ手を挙げて許可してくれているところなんて、原っぱじゃあ、ない。
子どもは「いけない。」と言われていることがしたいんですよね、なぜか。
だからもし見つかったら、「こらぁ! そこで何してる! ここには入っちゃいかんって書いてあるだろうがぁ!!」と叱られる場所で、ひそかに集まり秘密の遊びをするのがドキドキワクワクするんです。
今では子どもが入ることが出来るようなところで万が一子どもの身に何かあったら、多少「ここで遊んではいけません。」なんて看板が立っているくらいでは責任を追及されてしまいますからね。
だから絶対入らせちゃいけないんだ、という固い意志が感じられる場所には、何が何でも絶対に入ることができないような高い塀や鉄条網などが張られていますものね。
それに比べると私の小さい頃なんて、もっと世の中がいいかげんでした。
ビルが壊された跡地、工場の跡地、行政のものだけれどまだ何が造られるとか決まっていないような宙ぶらりんな土地、そんなところはただ放ったらかしにされていて、草がぼうぼうに生えたままで手入れもされておらず、立ち入り禁止の塀も鉄条網もなく、子どもたちの恰好の遊び場だったのです。
ここはこういうことして遊ぶといいよ~
ほぅら、下からは噴水のように水が吹き出るところがあって、楽しいでしょ~
ぐるぐる回る遊具、ゆらゆら揺れる遊具、とびこえるべきもの、ぶら下がるべきもの、またぐべきもの・・・
そんな風にオトナの思惑が読み取れて、まるでレールに敷かれた人生を歩むがごとくに遊べ、と言われるほどつまらないものはありません。
まさしくこの詩のごとく、「何もない原っぱには、どこにもない自由」だけはあったのです。
どうしてお膳立てされたオトナの思惑の中で遊ぶことが自由でしょうか。
いまや、ただの河川敷の、誰のものでもないスペースさえが、必ずサッカーゴールがしつらえられ、どこかに使用許可を申請するのでしょう、土日などはきちんと練習や試合が行われています。
ただぶらっと川べりを訪れてぶらっと遊ぶ気になることは許されないありさまです。
でも、それでも私たちは誰もが自分の真ん中に「誰にも侵されない自由なスペース」を持っていますね。
たとえ人ごみに居たところが、グリーンのポマンダーを施せばスペースが生まれてホッとしますし、なにかグループで居て全体の質を上げたいと思えば、アークエンジェロイエッセンスという強い味方もいます。
プロダクツの力を借りながら、私たちはたとえ今この瞬間に地球が最期を迎えようと自由でいられるはずです。
それを信じられる私でいたいです。
・・・それにしても、原っぱ、なつかしいなぁ。
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