先日とあるフリーペーパーを読むともなくパラパラとめくっていたら、ある記事が目に留まりました。
それは心理カウンセラーの衛藤信之さんとおっしゃる方の書かれたものでした。
それは「人生には良いときも悪いときもあるものだよ。気を楽にして自分のことを好きになろうよ。」というような内容の記事でしたが(こうして簡潔に主旨だけを述べると、つまらない手垢のついたような記事に聞こえてしまいますね・・ そんなことはなく、なかなか読み応えのある記事でしたよ。)、そのなかで私は「どんなものにも“だましの時期”というものがある。」という部分が新鮮でした。
ダイエット、英会話などどんなものにも「だましの時期」というものがある。
それはどんな時期かと言うと、「何をやっても効果が見えない時期」のこと。
ようは、「停滞期」ということですね。
でも、そこを我慢して乗り越えるとまたグッと伸びる時期が必ずやってくる。
それを信じましょう、というお話です。
例えば雪が降ると、最初のうちは路面にあたってすっと消えてなくなる。
道を濡らすだけで全然積もらない。
それで、あぁ、今日は雪が降っているけれど積もるまでではないのかなぁ、と思っていると、ある段階から突然積もり始める。
それは、積もり始める前に解けて消えていった雪たちがちゃんと“お仕事”をしているからです。
彼らが路面を冷やし、次に降り立つ雪がすぐには消えてなくならないような温度にし、下地をつくっている。
そういう眼に見えない時期を乗り切れる人、あきらめない人が最終的に結果というものを出すのですよ、というお話でした。
オーラソーマでも、「ボトルを使っているけれど、何も感じない。」「ポマンダーやクイントエッセンスを使ってもその場でよい香りだ、とは思うけれど、それ以上に何か感じることはない。」という方は結構いらっしゃいます。
私もそうでした。
でも、そういう時期は誰にでもあるんだ、それは今は自分の基礎を作っている「だましの時期」なんだ、と思うことは出来ませんか?
でも・・としぶる気持ち、わかります。
ダイエットなどでもそうですが、ではいつその「だましの時期」が終わるのか?と言うとそれは誰にも分からない。
お隣のあの方は3ヶ月目からはめきめきと効果が出始めているというのに、私はもう半年たつけれどまだ何も感じない。
いったい、いつになったら私にはそういう時期が訪れるの?
いつまで無駄にお金をどぶに捨てるような真似をすればいいの!? という気持ち。
でも、路面に積もる雪のお話でも述べたように、「だましの時期」はまったく効果が出ていない、ということなのか、というとそうではありません。
着実に次にジャンプするための素地はそのときに作っているのです。
私は、「プロダクツの力を信じて。」とは言いません。
「自分を信じてあげて欲しい。」のです。
ちゃんと感じることのできる自分。
何にも感じない、ということをきちんと感じ続けることができる自分。
それらをひっくるめて自分を信じて欲しい。
でもなかなか自分を信じることができない、という方は多いですよね。
そんなときにもこの衛藤先生は、こういう方法があるよ、とおっしゃっています。
「積極的統合失調症になろう。」と推奨してらっしゃるのです。
どういうこと? って思いますよね。
統合失調とは以前精神分裂症と言われていた病気のことです。
つまり、あえてポジティブに自分を分裂させちゃいましょう、というわけです。
自分のなかで「どういうこと? こんなにもきちんとプロダクツを使っているのに全く何も効果が出ない、ってどういうこと? 私が悪いの? 私の感性が人より劣っているの? もともと直感に長けたほうではないからやっぱりだめなの?」と言う自分がいたとしたら、もう1人の自分を出現させ、その人には自分の応援団になってもらうのです。
「でもさ、そういうけどそれでもきちんとプロダクツを使ってる、っていうのはマメだよねぇ。それがあなたのいいところでもあるんじゃない?」
「毎日、仕事も育児も家事もマメに頑張ってるもの。そんなあなただからきちんとプロダクツも使えるのよ。」
「それに、効果が出ないって嘆きながらもプロダクツを使うことをやめないでいる、ってこと自体があなたの中のどこかではこれはちゃんとしたものだ、っていうことを認めたい気持ちがあるからでしょ? そんな自分を信じてあげればいいじゃない。」
こんな感じで自分を褒めてあげるのです。
自分を分裂させ、対峙させるということは無意識にやっていることも多いですが、それを明らかに2人の人格を登場させたのだ、と意識して行うことは効果的です。
なぜなら、「どうせダメなのよ。私なんて・・」という方の私をすぐに否定して、「そんなふうに思う必要なんてないのに。」というように戒めるのではなく、「どうせ・・」と思うほうの私にも存分に発言の場を与えてあげられるからです。
そもそも人生は足りないことだらけだから面白い。
衛藤さんのお話のなかにも、以前、星野道夫さん(故人)というカメラマンの方と出会ったときに印象深かった、という話が出てきます。
星野さんは、世界中の美しい風景を撮りたい、と思って旅に出ました。
ところがあるときにふと、
「一生かかっても世界中の美しい景色は撮りきれないのだな。」と思い、その瞬間、ものすごく楽しくなったそうです。
もし、カメラのファインダーのなかに世界中の美しい景色をすべて取り込んでしまったら、そのあとの人生に何の楽しみがあるというのだろう、と星野さんは人生には足りないものがある、成し遂げられないほどの無数の楽しみがある、ということに気付きそれを楽しんだのです。
私も似たような経験があります。
私は基本、本は買う主義なのですが、家の近くには小さい頃から図書館がありました。
今もまた図書館の近くに住んでいることを考えると、本に縁があるのだなぁ、と思います。
そして、今度その図書館が移転し(それでも歩いていけるところが自転車で5,6分に変わる、という程度)、大きくてとても綺麗なものに生まれ変わるんだそうです。
それを知ったとき、私は、
「良かったぁ。年をとって体が動かなくなり、なぁ~んにもやることがなくなっても、読みきれない冊数の本だけはあるんだな。」と思いました。
それと似ていますね。
分からないこと・・・
出来ないこと・・・
結果が出ないこと・・・
まさに人生には足りないものだらけです。
でも、そういう足りないものがある、と気付くことによって前に進もうとする力も生まれてきますね。
そして成長の喜び、克服の喜びも生まれてきます。
つまり、足りないことは幸せの種子です。(・・・と、衛藤さんは書かれています。)
どんなときだって楽しめる人っていうのはいいですよね。
人生楽しんだもん勝ちですもん。
私の尊敬するオーラソーマのティーチャーにも、
「私は感覚派ではなくて、屁理屈派だった。プロダクツを使ってもなぁ~んにも感じられなかった。だからこそ、私はそういう人でもオーラソーマに興味を持った人がいたら、そういう人たちの味方になれるティーチャーになろう、と思った。」という方がいらっしゃいます。
ね、出来ないことが武器になるでしょ?
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