ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

クリスタルに魅せられて

2013-11-30 09:04:00 | ヒーリング

1ヶ月ほど前、京都でぴーちゃんのクリスタルについてのシェアリングデーを受けたとき、レムリアンシードのことを聞き、そのお話にも、クリスタルそのものにも魅せられたということは以前に記事にしました。

そのシェアリングデーでは、ぴーちゃんが私たちにレムリアンシードをプレゼントしてくれました。

それは小さいけれどもウィンドウ付きという大変珍しいものでした。

ポイントに向かう面にひし形をした窓のような面があるものを特別にウィンドウ付きと呼ぶらしく、それは心の窓として自分を見つめるに適している石だ、と言われているらしいです。

そしてそのときぴーちゃんは、

「レムリアンシードはレムリアン同士でお話をしてるからね~、なぜか1つ持つと次々にレムリアンを持つことになるだよ。」と言っていたんです。

そして私はその言葉に導かれてか、むしょうにもっとレムリアンを手に入れたくなってしまったのでした。


通常、1つのものを手に入れたとき、同じ種類のものがまた欲しくなるのは自分が餓鬼になったようでその貪欲さを戒める気分になるものです。

そしてその1つ手に入れたものをなぜ自分はそれで満足せずにもっとその子だけを大切にしようという気になれないのか、と思います。

けれど不思議なことにレムリアンシードに関しては、ちっともそんな風には思いませんでした。

もちろんぴーちゃんがくれたレムリアンも大切にするけれど、私にはまだまだ出会うべきレムリアンたちがいる、という強烈な気持ちが沸きあがってきて、どうにもそれを抑えようがないのです。


それをメールでRUbbyさんに伝えると、Rubbyさんは12月に沖縄のぴーちゃんの「エッセンス」で開催されるはずのレムリアンシードの販売会で出店される茨城の「レイシェル」Yukkyさんにすぐに連絡をとってくれました。

すごいわ、この対応の早さ。

お話はまとまるときにはあれよ、あれよという間にまとまるものですねぇ。

なんと!

Yukkyさんは「このたびは何だか京都に呼ばれている気がする・・」と言って、沖縄に行く前に京都に来てくださることになったのです!

それっ!と早速出かけましたよ。

それが25日のこと。

すごくたくさんのレムリアンシードたちがいてびっくりしてしまいました。Photo_2 

見て、見て!

このレムリアンたち。

どれが自分を呼んでいるのかわからないくらいのたくさんのレムリアンたち。

どれもこれも素晴らしい!

そしてそのほかにもいろんなクリスタルたちがいましたよ~Photo_3

こんな可愛いネックレスやシルクリボンも。Photo_4

シルクリボンはこんな感じでします。(写真はえみるんちゃんで~す。)Photo_5

ステキでしょ。


私は最初になぜかこの「ストロベリーレムリアン」というものに惹かれてしまいました。Photo_6

Yukkyさんが、

「これは最近出てきたものなんだけれど、なんでですかねぇ。時代がレッドを求めているのかもしれませんねぇ。」とおっしゃいました。


ほんとだ・・

私も考えてみればタントリックを受けてからずーっと「レッド」に惹かれている。

惹かれているというよりも、なぜかそれを自分の中に取り込まなければ行けないかのような気持ちにさせられている。

不思議。


そして私が手に取ったものを見てYukkyさんが、

「あ、それは・・  ワンドを作ろうと思っていたものだ・・」と言いました。

実はYukkyさんに出会う前からYukkyさんがとてもとてもクリスタルを大切にされるがゆえに、売り物であっても手放したくなくなってしまって、急に「これは、売るのやめる。」と言って下げてしまうこともあるんだよ、ということを聞いていました。

はっ、このことかしら、と思って、

「あ、これは・・・ Yukkyさんのもの・・?」とおそるおそる尋ねると、

「ううん、大丈夫。今回は、もうちゃんと手放そうって決めてきてるから。」とおっしゃいました。

何でも家でも自分のクリスタル以外は、ダンボール箱に入れたまま開けないようにしてるんですって。

見ちゃうといつまで見てても飽きないからつい時間が経つのを忘れて見ちゃうし、手放したくなくなってしまうから。

私がまじまじとこのストロベリーを見ていると、またYukkyさんが、

「あ、これはイシス・・」と言いました。

「何、イシスって?」と尋ねると、こんな感じの五角形をファセットにいただいている石のことだそうです。

クリスタルヒーリングの分野では、水晶の形に意味やパワーを見出し、それらの意味やパワーをもつ形を備えた水晶をマスター・クリスタルと言いますが、「イシス」はこのマスター・クリスタルの中でも、比較的馴染み深い名前だそうです。


私も「女神イシス」は知っていましたが、それが水晶の五角形に冠されるとどういう意味となるのかは全然知りません。

Yukkyさんいわく、

「イシスはとっても力の強い女神だから、たいていのことは自分で解決しちゃう。自分のことは自分で修復しちゃう、っていうメッセージのある石なんですよ。」とのこと。

へぇ・・

何だかそのメッセージってとっても惹かれるわ。

私もたいてい自分のことは他人に頼らずに自分で解決しちゃおう、とするところがあるから、たまには他人を頼ってもいいんだよ、ということを学ぼうとしているところではあるけれど、そんな私をそれでもいいんだよ、と癒してくれそうな気がする・・


気に入った!

この子は連れて帰りたい。

そう思って、本命のレムリアンシードを見つける前に、最初にこの子はずっと握り締めていたのでした。


この五角形の部分のみがちょっとマットな感じにくすんでいる。

それがまた「おまえがこれからこの石とお友達になって、いろんなことを語りかけ、ワークしていくうちに、この部分のくすみがとれていくさまを見て行きなさい。」と言われているような気がして。

それは私の心のくすみもとれていくさまかもしれない、なんて思ったりして。
なんかこんなことを思いながら、ずっと色んな石を見ているのって、ほんとに楽しいな。

Yukkyさんが言うようにあっという間に時間の経つのをわすれちゃう。


ふと気がつくと13時近く。

いつもならRUbbyさんのサロンに来ると、RUbbyさんお手製のランチが楽しみなんだけれど、今日はサロンに入るやいなや、自分の荷物やコートを脱ぐのも忘れて、ひたすら石ばっかり見ていた。

でもさすがにおなかが減ってきたぞ。


そんな私たちを見逃さず、Rubbyさんが、

「どう? そろそろ食べられそう?」と尋ねます。

「うん、おなか減ってきた~」と言ってランチタイム。


今日は、九条ネギのスープとおいなりさん、そして大根と柿のサラダ。Photo_7

おいなりさんは2種類。

梅と志波漬け。

どっちもおいし~い!

スープも九条ネギの甘い香りと優しいお味ですすむわ~

お代わりしちゃいました。

ランチ後のスイーツもまた楽しみなのよねぇ。

すごくおいしかった、このチョコレートのスコッチケーキ。Photo_8

シナモンティーとぴったり。

このときまでにほとんど私は今回自分と縁があったクリスタルを選んでおりました。

ハイ、これが今回私が持ち帰ったクリスタルたちで~す。Photo_9


このオプシディアンカルセドニーはすんごい虹がいっぱい入っていて、と~っても綺麗なんですけど、写真に写らないのが残念です~Photo_10

これもレムリアンじゃないけれどとっても透明度が高くて綺麗なんだけど、写真ではそれが伝わらないのが残念~・・・Photo_11

このクラスターもチッこいけれど、とってもキラキラして綺麗なんだけどな~Photo_12

全部ぜんぶ写真ではそれが伝わらな~い!(私が撮るのがヘタすぎるからか)


そして肝心のレムリアンシードですが・・

すごく不思議なことがあったんです!

それは帰ってきてからわかりました。

そのお話はまた明日にしましょう。


東山動物園

2013-11-29 09:09:00 | まち歩き

先週の連休の1日、娘と孫にせがまれてダーリンと4人で名古屋の「東山動植物園」に行ってまいりました。

ここで私は10年前くらいかな~  ボランティアをしていたことがあるんですよ!

動物たちの生態などについて来園者に説明してあげる、というもの。(もちろん、それについては私たちが職員の方々から事前にレクチャーを受けるんですけれどね。)

それで私の担当は「ゾウ」でした。


ゾウは私のスピリットアニマル。

それがわかってから特に親しみを感じているのだけれど、実はこんな知らぬときから今にして振り返るとご縁があったとは。


このときのボランティアはすぐにやめてしまいました。

そもそもボランティアには不向きだ、と思っていたのが、「動物のことだったらなんとか行けるかも!」と思って応募したものでしたが、行ってみてわかったのは、園側の「ボランティアをやらせてやっている。」というムードでした。

もともと東山動植物園は市営ですから、園で働いている人たち自体がボランティアみたいなものかもしれません。


私が想像していたのは、人手が足りなくてボランティアが来園者に対してプレゼンテーションしてくれると職員は存分に安心して裏方に回って動物達の世話ができるんだけどなぁ、というものでした。

けれどボランティア志願は引きも切らずの感じで、むしろ職員の人たちはボランティアを教育することに時間をとられてしまって「決してこんなこと、俺たちの本意じゃないよ。ったく、上は何をパフォーマンスだけのこと考えてんだろうねぇ。もっと現場を見てくれよ。」という白けており、疲れ果てていました。

わたしはこういう「求められていない」感に耐えられないんです。

それで「別に私がいなくったってどうってことないんだし・・ むしろ、1ワク空いた~!って喜ぶボランティア志願の人がいるはずだし・・」と思ってすぐにやめてしまいました。


思えばこれが「私にはボランティア精神が欠けている」と思ってきた私が勇気を出して一歩を踏み出した最初で最後の経験だったなぁ。

けれど結果は無残だったので、よけいに私はボランティアに対しては消極的になり、亀が首をすくめるようにしてきたのかもしれない。

こういうかたちでのボランティアは私には向いてないんだな~って。

さて、そんなことはいいですが。

その縁のあるゾウさんの展示が新しくなった、というので楽しみにしていました。

まだ途中ではあったけれど、中は確かにとても広くて東山としてゾウをこれからは“売り”にしていきたいんだな~というのがわかりました。


旭山動物園に端を発した、動物園のいろんな工夫は全国に広がっています。

あれは「行動展示」を売りにしたものでしたが、ここ東山ではどうやら「学習展示」とでもいいましょうか、実際のゾウを見るだけではなくて、このゾウの厩舎にくれば自然にゾウについての知識や見聞が深まる、という仕組みに仕立てたいみたいです。

Photo_2

とても開放感があって、これならゾウもストレスなく伸び伸びと暮らせることでしょうね。Photo_3

ただ惜しむらくは、私は「ゾウの厩舎が新しくなった」とは聞いていましたが、それにともなって園全体も今までより綺麗に全面改装されたのだとばかり思っていました。

けれど、その期待は裏切られました。

ほとんどが昔のままでした。

・・・あまりにもゾウ舎とのコントラストが際立っているわ。

仕方ないのかなぁ。

なにせ市営のおかげか入場料 大人¥500だからねぇ。

中学生以下無料だし。

これじゃあ儲からないよねぇ。

倍の¥1000に値上げしたとしても十分に人は納得すると思うんだけどねぇ。


さて、動物園をぐるりと一周した私たちは、植物園のほうにある池のまわりもぐるりと一周散歩しました。

私は娘に、

「ねぇ、あなたたちが学生くらいの年頃には、ここでカップルがボートに乗ると別れちゃう、って言われてなかった?」と聞いてみました。

そう、この池は手漕ぎボートか、あるいは白鳥のかたちをした足でぺたぺたペダルをこぐ乗り物があるんです。

「え~、そんなのない。今初めて聞いた。」と娘。

へー、そうなんだ。

いつからあの伝説はなくなったんだろう、と思っていると、なんとこんなボートを発見!Photo_4

「噂のボート? 僕達は別れません!」とボートの横腹に書いてある!

なんと、「僕達は別れません!」というノボリまで立っている。

・・・このボートに乗る勇気のあるカップルっているの?

そこまでして自分たちをテストしたいのか・・

こんなこと周囲に見せびらかしたいかねぇ・・

「僕達は別れません!」なんて言われたって、まったくの赤の他人がくっつこうが別れようがこっちは知ったこっちゃないよ。

ジョークとして乗ろうとする人がいるんだろうね。


「ほらぁ! やっぱり。こういうのがあるってことはそういう伝説があったのよ。」と私が嬉しそうに言っても、娘は「ふぅん。」とまったく「それがどうした。」って感じで興味を示しませんでした・・

こういうときだわ。

時代を感じるのって。
絶対、東海3県に住んでいて私と同世代の人だったら、この話題はもりあがるんだけどな。






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「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」は、岐阜市中心街にあるサロンです。(岐阜市役所南庁舎すぐ近くです。)

例えばこんな感じで実際のゾウの頭部の大きさってこんなくらいなんだよ~、1日にPhoto 食べる食事の量はこんななんだよ~ということを触ってもらって実際に感じてもらいたい、という実物大の模型がありましたし(このほかにもゾウの足の部分とか、ゾウの皮膚などの展示もありました。)、東山動物園における歴代の展示してきたゾウたちのことがパネルで綴られているコーナーもありました。

”ご縁”からの学び

2013-11-28 09:06:00 | オーラソーマ

知人に誘われて、ある宗教の集いに出かけました。

別に勧誘された、ということではないです。

ほんとにただ「ちょっと付き合って。」ってノリで・・

で、気軽に出向きました。

その日はそこではその宗教の一番おえらいさんがわざわざ遠くからいらしていたようで、その講話を聴きました。

そしてそのあと、その方を囲んでのざっくばらんな席が設けられていました。

司会の方が、

「みなさん、最近の近況でもいいですし、この教えに出会ってからこんな良いことがあった、とかそんなことを是非お話ください。」と言われました。

その言葉に促されるようにして、前列の方が発言されました。

それはこの教えにご縁がついてからご自身の持病がとても軽くなった、というお話でした。

ふぅん。

その次も、その次も、またまたその次の方も・・・

すべての方が、ご自身が、あるいは家族が、あるいは友人が不治の病で医者からは見放されていたにもかかわらずこの教えに出会ってから、症状が軽くなった、いつのまにかガン細胞が消えていた、余命宣告を過ぎてもピンピンしている―――――、そんなお話ばかりでした。

あ、そう。へぇ。ほーそうですか。

と、聞いているうちに段々違和感を覚えてきました。

そしてその教祖さま(? だったのかな? よくわかんないですが・・)が、最後にこうおっしゃいました。

「みなさん、本当に良かったですね。信心された結果だと思います。私自身、より信心された方によりご加護がいくことが世の中として当然のことだと思っているので。」と。

この瞬間、私の中の違和感は完全にめらめらとした怒りに変容しました。

はぁ? ちょっと待てぃ!

なんじゃい、この選民思想みたいな集まりはぁ~!!

結局、この教えを信じている人だけが良い思いをする、すべき、という考え方の宗教なんだね、これは。

しかも同じ信仰を共にする仲間うちでさえ、より信心深い人は助かるけれど、「何にも私はいいことないわぁ。」と言おうものなら、「それはあなたの信仰心が足りないからよ。」と言われるわけね。

そして現世ご利益をうたう「ええじゃないか」教のようなものなのね。

今この場で発言された人以外には、この教えをきちんと守ってきたはずなのに私の家族は不幸にしてガンにかかり、手厚い治療にもかかわらず医者の余命宣告どおりに亡くなりました・・という人だっていらっしゃることだろう。

1人の例外もないなんてありえない。

そういう人を目の前にして、あんたらは今と同じ発言ができるのかぁ~っつ!!と言いたくなるのをこらえました。

誤解のないように申し添えておきますが、私はこのときに「病気が治った。」とか「症状が軽くなった。」と言われる方々に怒りを覚えたわけではありません。

そのことそのものについては、「うわぁ、本当に良かったですね。」という偽りのない共感を抱きました。

けどねぇ。

信心した者だけが助かる、っていうこの教義はねぇ・・ どうなの・・

そしてふっと我に返り、「いかん、いかん。別に全く部外者の私がこんなところで熱くなる必要はない。タントラ、タントラ、自己受容、自己受容。それを思い出そう。

今日、こういう場に遭遇する機会が私にはあり、私はこういう発言に出くわすとこんなにも腹を立てるところがあるんだ~  ・・・という私がいるんだな、ということだけ覚えておこう。」と何とか自分を静めました。

私の中では、先週受けてきたときのTPPSでの学びがまだまだ興奮さめやらぬ形で自分のなかに残っていた、ということもあったと思います。

「そのとき起こったことは、その人にとって最良で最善のことだったのだ。」というクラウディアの言葉。

それを聞いてから、私はすごく人生ラクになった感じがしていたのでした。

だからもし私の身の上に「ガンで余命宣告」という事態が降りかかるようなことがあったとしても、それさえ「そのときの自分には最良で最善のことだった。」と思えそうな気がしていた矢先でした。

だからこそ、やたら反応してしまったのかもしれません。

そして帰り道。

知人に私の感じたことを若干マイルドに伝えさせていただきました。

「今後、誘われてももうこの集会にはご遠慮させていただくわ。」という意味あいで事前に布石を打っておきたかった、ということもあります。

知人の方は、うんうん、とうなづき「分かるよ~ あなたの気持ち」と言いながら、

「それでも私は、こういうことでもないと今の世の中、神さま、仏さまって手を合わせることが少なくなってるでしょう。この教えを信仰することが畏れの存在に手を合わせる機会につながればそれでいいと思ってるの。

あんまり深く考えずに私もそんな感じでやってるだけ。」と言いました。

「だったらそれはこの“教え”ではなく、もっと漠然とした神さま、仏さまでもいいんじゃないの?」と言うと、

「そうかもね。でも私にはこの教えとの“出会い”がたまたまあったから、そうしてるの。」と言います。


んなこと言ったら、私はヴィッキーさんの写真に手を合わせておいたほうがなんぼかましだわ。

もちろんオーラソーマは宗教じゃないけれど、オーラソーマにこれまで触れてきたことによって確実に私は自分をはじめ、いろんなことを受け容れるようになったし、自分が豊かになったのを感じる。

ヴィッキーさんの遺影と向き合うたびに、その1つ1つを思い出し本当に感謝の念が湧き起こる。

そういう意味では、私にとっては“たまたまオーラソーマに出会ったから”、そして“その出会いを大切にしよう”と思ったから、毎日ボトルや何やらと向き合っている。もうそれで十分です。

「でもさぁ、えっちゃんもこうして今日は何かしらご縁があって、この教えに出会ったんだから、そこには何か意味があるはずだからまた来てみよう、っていうふうには思わない?」と知人が言います。

とーんでもない!

生まれてこの方、眼にし、耳にし、出会ってきたものをすべて「これもご縁だ。」と言ってくっつけて生きていたら、そんなの重苦しくてたまりまへんわ。

私に限らず誰にでも“選択する”権利がある。

“決断する”権利がある。

「ご縁を大切にしてみたら?」とプレッシャーをかけることは相手の選択する権利、決断する権利をないがしろにするものではないか。


でもこういうとき一瞬でも「その言葉自体はその通りだよな・・」とひるむ様子を見せると、そういうところに付けこんで来る人っているよな、と思いました。

この知人はそういう人ではありませんが、オーラソーマでも「うっ・・ そう突っ込まれるとそれが出来ない自分がいけないみたい・・」という気にさせられる言葉を投げかけられることがたま~にあります。


「だって私たち、オーラソーマファミリーだから。」

「オーラソーマってジャッジしないもののはずでしょう?」

「それはもう手放せばいいことなのよ。」

                  etc.etc・・・・


これらの言葉は使うときの状況によっては、

「そう言われると・・ つい押し黙らざるをえないけれど・・ じゃあ、私の選択と決断の権利はどうなっちゃうのよ?」と言いたくなるようなことがあります。

私が何を選択し、どう決断するのか。

何を選び取って、どういう生き方をしていくのか。

それはオーラソーマにさえ指示されることではない。

そこをきちんとしておかないとシステムや組織や他人に翻弄されてしまいます。

とはいえ、そのバランスっていうのがまた難しいんですけれどねぇ。


もともと言葉や数字はそのハンドリングによって表情を変えるものです。

けれど私たちはつい、数字などは特にですが、一見「誰の目からみても公平な事実」として受け止めざるを得ない、と思ってしまいがちです。

よく使われる例ですが、

「コップに半分入っている水をどう捉えるかはその人しだい」なのです。

「まだ半分も残っているじゃないか」と捉える人と、「もう半分しかないんだ・・」と捉える人。

そこに使われている数字はどちらも1/2ですが、その表現方法、伝え方によって人に与える印象は大違いです。

そしてその印象が他人をも左右してしまうことが往々にしてあります。


私は知人が、

「でもさぁ、えっちゃんもこうして今日は何かしらご縁があって、この教えに出会ったんだから、そこには何か意味があるはずだから、また来てみよう、っていうふうには思わない?」と言ったことに対して、

「いやぁ、この“ご縁”に対して私はどう感じて、どういう選択をするのか、というのが今回の私の学びだと思ったわ。

ご縁なんだからまた来てみるべきだなぁ、っていうふうには思わなかったの。ごめんね。」と言い、それぞれの帰途につきました。






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ストレス2

2013-11-27 09:03:00 | 健康・病気

身体の不調の話なんてあんまり聞きたくない話ベスト1だと思いますが、しばしご辛抱いただいて、ちょっと昨日の続き、と言いますか詳細をお聞きいただけますか。


TPPSで東京にいる間中、十数年前の自律神経失調症が疑われるような症状が出始め、内心(これはヤバイな。これ以上ひどくならなければいいが・・)と自分の身体のことながらハラハラしていました。

大体わかるんです。

このくらいなら収まるな、とか、これはマジくるぞ~とか。


いま、テレビで鬱病についての理解を求めるようなCMを流していますが、まだまだ心因的な病気については、「気をシャンと持っていればそんな病気にはかからないんだ!」というような明治の男のような意見とか、「え? 気が伏せる、ってだけじゃなくて具体的に身体の不調もあるの?」ということを初めて知った、という方もいらっしゃいます。

そうなんですよね~

私はむしろこの身体の不調のほうが辛いです。


十数年前の自律神経失調症のときもそうでしたが、何が一番プレッシャーになるって言うとそれは「食事」です。

自宅で食べられるものを食べられるだけつまむ、というような場合はいいんです。

外食。

これがとても気が重い。

なぜなら、オーダーしてみたもののいざ料理が運ばれてきたらほとんど食べられない、というときもあるんです。

それでもちゃんとお金を払って店を出るわけですから、店に迷惑をかけるわけではないかもしれない。

けれど、やっぱり悪いじゃないですか。

(この人、どうしちゃったんだろう・・?)みたいな目で見られるのもやだし。

それと店のなかで万が一倒れちゃったら店の人は、「やだ、うちのお料理があたったとでも言うのかしら。」と嫌がるだろうから、倒れるならいっそ道ばたで、と思う。

そのせいで、料理はさっさと出てきて、さっさと食べて、さっさといつも出られる、という状態にしておきたい。

なので、出てくるのが遅かったり、コース料理のように1品ずつちまちまと出てくるものだとそれがプレッシャーになって、どんどんドキドキ鼓動が速くなってくる。

そうなると身体全体が重くてだるくて、動けなくなる。

そうならないためにも店選びは大切です。

同様の意味で一緒に外食に出かける人たちが4人、5人と多くなるに従ってプレッシャーとなる。

みんなで談笑してゆっくり食べるのが当たり前、というムードになるからです。

そんなときに1人だけあまり食べてない、あまり話さない(実際にはしんどくて話せない)となると空気悪くなっちゃうからなぁ、なんて。


ま、このように私の自律神経失調症はきっかけは自分でもわかりませんが、なっちゃってからはとにかく“人の目を気にする”“人の迷惑になるかも、ということを極端に恐れる”ということから余計にひどくなったり、発症したりしていたんですね。

それがTPPSに来て、(いやぁ、あのときぐらいになるかも・・)という感じだったんです。

ランチまでグループになってワークをする事もありますから、そうすると当然そのグループで「一緒にお昼にいこうか。」ということになる。

かなり大勢のはずです。

そう想像しただけでもドキドキしてきました。

会場はランチの間は封鎖。

全員必ず外に出なくてはいけない。

だから会場でそのまま食べずに待っている、という事も出来ないんです。

外をぶらぶら散歩でもしているしかない。

それもしんどいよなぁ。

ほんとなら横になってたいくらいなのに。


しかし、助かったことに私と同じ症状を経験した、という方がいらっしゃって、

「もう、4人とか5人だと無理かも。2人なら何事も起こらず食べられると思う。」と言うので、

「じゃ、その2人になろうか。」とお互いに友を得てほっとしました。

その方なんて、どうしても無理っていう日もあろうか、とその日に備えて、自分ひとりで散歩しながら外を歩いていよう。

そして何も口にしないでは体力がもたないかもしれないから、カロリーメイトでも歩きながらかじろう。

そう考えてカロリーメイトを常備しているそうです。

「ほら。いつもバッグのこのポケットに入れてるの。どうしても無理、って言う日があったらいつでも言ってね。」と言われました。

このように“最悪の事態に備えて準備をしている”と結果として最悪の事態にならずにすむ、というのも経験上わかっています。

だから私たち2人は、最終日までカロリーメイトは使わずにすみました。

帰ってきてから症状はころっと治ったとさんざ書いていますが、今回のことで私はだんだん自分が無理のきかない年齢になってきたんだな~ということを痛感しました。

我慢してもいいことなんて何もない。

できるだけ我慢しなくてもすむ状況なら、一切我慢せずに生きたい。

そのためにはある程度、「ええぃ、なるようになれ。なるようになって最悪でもこの病気で死にはしない。」と腹をくくることも大切だな、と思いました。


それから、昨日書いた胃カメラのお話なんですけれど。

私はかれこれ10年前くらいに1度受けたきりでした。

けれどそのとき、本当にラクだったんです。

なんだ、胃カメラってこんなレベルか。

これなら事前に咽喉に麻酔のゼリーを貼付するので飲み込まないようにしていてくださいね、って言われたあのときが一番辛かったくらいだわ、と思っていました。

けれど、今回は辛かった・・

カメラを入れられるときから、もう胃に到達しちゃっているときも含めて、「おえっ、おえっ。」と何度もえづくんです。

先生はへっちゃらな顔をして、

「ふぅん。咽喉が敏感なんだね。」と言っていましたが、看護師さんはそのたびに私の背中をさすってくれました。

それでラクになるわけではなかったんですけれど、それでもやっぱりその所作は嬉しかった。


私たちはつい辛そうな人や落ち込んでいる人などを見ると、「そっとしておいてあげた方がいいのかしら・・?」とか、「ヘタなこと言ったりやってあげたことが逆効果になるってことはないかしら?」なんて声をかけることを躊躇してしまうときがありますが、このときのラクにならないけれど背中をさすってもらったことが嬉しかったことを思い浮かべて、「いや、逆効果なんてことはありえない。きっとその人のためをおもってやったことはそれでラクにならなくてもきっとその人はしばしでもほっとしてくれるはずだ、と信じて手を差し伸べよう。」と思いました。

辛かったせいか時間も妙に長く感じたなぁ。


後日、たまたま洋服屋さんを見に行ってそこのショップ店員さんと話していたとき、

「私もこの前胃カメラやりましたよぉ。あれはほんとに辛いですねぇ。私は鼻から入れるタイプのでやったんですよ。そのほうがうんとラクだって聞いたんで。」とおっしゃいました。

「え? そうなの? 鼻からのほうがラクなの? じゃあ、おえっってなったりしなかった?」と聞くと、「それは、なった。」と言うではありませんか。

なぁんだ。

じゃあ、一緒じゃん。

先生は、「10年前とかに比べたらうんとカメラの管も細くなってるからだぁいじょうぶ。」なんて言ってたけど、あんなもんだったぞ、10年前も。

太いうどんくらいです。

もっとファイバーくらいに細くならないのかなぁ。

できるはずだと思うんだけどな。

きっとそこには慢心があると思うな。

「このくらい細ければ、もうひどい苦痛は与えないから、多少のことはいいでしょ。」みたいな。

今はカプセルみたいなのを飲み込めば、実はそれが小型カメラで胃の中を撮ってこられるというのもあるらしいけれどそれだとカメラの向きを指示したりするのが難しいのかなぁ。

まだ実用に耐えうる状態じゃないのかなぁ。

でも人を盗撮したりするためのスパイ行為とかでは、「ここまで!」とびっくりするほど日々その手法もカメラも進化しているではありませんか。

その情熱を医療に生かせないものかしらねぇ。

人間は自分の欲望のためならどれだけでも努力するけれど、肉体の苦しみから逃れたい、ということのためには案外努力しないのかなぁ。

ま、胃カメラにつきましては昨日もご報告させていただきましたように「逆流性食道炎」ではありましたが、ガンの恐れとか胃潰瘍とかそんな痕跡はなかったので、ひとまず安心です。

ただ・・

なんか咽喉の奥にポリープみたいなのがあったんです。

これは「うちの範疇じゃないから、耳鼻咽喉科に行ってもうちょっと詳しく調べてもらってみて。」と言われました。

それがちょっと気がかりですけれど・・・






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ストレス

2013-11-26 09:03:00 | 健康・病気

わたし、実はTPPSの間じゅうすんごく体調が悪かったんですね。

それはストレスのせいです。(きっぱり)

今になってみてそれがストレスのせいだった、ということがわかりました。

だって、帰ってきたら途端に現金にもきれいさっぱりいろんな症状がとれちゃいましたもん。

まず私は知らない土地に出かける、というのがストレスです。

それはどなただってそうかもしれませんが、旅行のように知らない土地に出かけるのが楽しみなときと、今回のように講座として出かけるのとでは全然違います。

ましてや、「遅刻をした場合は資格を発行できないこともあるのでご注意ください。」なんて書いてあるとなおさら。

今回の場所は代官山から徒歩で20分と書いてありました。

バス停は近くにあるんですけれどね。

どーしても私は地方の感覚でバスってやつが時間通りにくるってことが信じられない。(これもあとでこの考えは杞憂だってことがわかりましたけれどね。東京はさすがに本数も多いせいか、ちゃあ~んと来ます。)

だから渋谷からバスに乗れば、バス停のすぐ目の前ですよ、と言われても「これでは時間が読めないしなぁ。」と思っていました。

だいたい東京で10:00~10:30開始の授業の場合、岐阜の自宅を出るのはほぼ始発というような5時台に出なくてはならないんです。

そこでもしもたついて遅刻して、「ハイ、アウト~!」ということになったら・・と考えると今回に限っては1泊分の経費を足してでも、前泊することを決断しました。
そのほうが大きなスーツケースを引きずって授業に出なくてもいいしね。

そうして前の晩、代官山に降り立ったわたくし。

ホテルには代官山でなくもっと近い駅があることはわかっていたけれど、とにかく前の日に一度、場所を確認しておきたかったんです。

今回私は、講座が行われる場所からは一番近いホテルをとりました。

一番近いんだけれど、歩いて2,30分かかる。

だから開催場所を確認してさらにそこからホテルまでどのくらい時間がかかるのか歩いてみたかった、ということもありました。


代官山について愕然としました・・

代官山はおしゃれな街だけれど、極端に街灯がない・・

場所を確認するためにプリントアウトしてきた地図が読めないくらいの暗さ。

だいたいおしゃれな街っていうのは、おしゃれな店が点在してるじゃないですかぁ。

○○商店街とか○○ストリートというように、この筋さえ歩いておけばOKみたいな感じではなく、ちょっと訪れた人誰もに「私が見つけたこのお店!」みたいな穴場感、隠れ家的要素を感じさせるような街になっている。

そのせいで、アーケードもないし、大型ショッピングセンターもないし、大きな目印ってものがない。


いや、こりゃ困ったなぁ・・とうろうろしてみましたが、全然その場所がわからない。

またこの日から東京では急に寒波が押し寄せており、ぴゅーぴゅー木枯らしが吹いて寒かったんだよね~

そして代官山は“山”というだけあって、道がアップダウンが結構あってうろうろするのがキツイ。


どこかのお店に入って道を尋ねようにも、表からうかがう限り、ショップ店員さんがいない・・

これはどうしたことか。

入っていくとその気配を察してから、奥のほうから「いらっしゃいませ。」と現れるしくみになっているのか。

いずれにしてもそうして出てきてくれた人に、「あの、お客さんじゃなくて、ちょっと道を尋ねたいんですが・・」というのは言いにくいなぁ、なんて思っているうちに1時間。


もう、限界。

結局タクシーに乗ってホテルに行っちゃいました。

なんだか誰に、ってわけじゃなく腹立たしくなってきました。

なんのために私、前泊にしたんだ。

まったく意味ないじゃん。

場所も確認できず、コース開催場所からホテルまで歩いてみることもせず。

何にも安心材料を持ち帰ることなく、今日ホテルに行かねばならない。

ばかみたい。

そう思いながらホテルの部屋にたどり着くとそこでまた愕然。

寝るためだけの部屋って割り切ってはいるけれど、さすがに狭いなぁ、今回のこのシングル部屋。

もちこんだスーツケースを横に広げることができる場所はベッドの上しかないよ。

はぁ~。

そうため息をついたときから今回の私のストレスは始まったのでした。

わたしって体調悪いと胃腸にくるんですよね。

そしてその胃腸の痛みは、背面からやってくる。

背中から腰、首から肩にかけてひどいコリと痛みで立ってられないくらい。

まぁ、授業はずっと座って行われるからいいんですけれど、今度はその椅子の硬さに尾てい骨から響く感じがして、お尻が凝る。

お尻って意外に凝りますよねぇ。

これも年とってからわかったんだけどさ。


ティーチャーズコースに配られるハンドアウトってものすごくしっかりしたファイルに分厚い量なんですよ。電話帳くらいあるかな。

それを膝の上にずっと抱え持ってノートをとる、っていうのも腕に力が入り肩が凝る。

前のめりになりそうで、また余計に肩が凝る。

そういえばオーラソーマのL1の授業に出て初めて衝撃的だったのが、机がない、ってことだったな。

「え、学校の授業のようなものを思い浮かべてきたんだけど、椅子しかないの?」って。


これは「ノートをとることになんて頼りなさんな。」というオーラソーマ的な考えから伝統になっているのかもしれませんが、私はいまだに「これは決して人に優しくないよ。」と不満です。(といって、自分のサロンでもワークショップをやるときは椅子だけなんですけれどね・・)

確かにちょっと椅子や机を片付けて、みんなで円になってワークをしましょう、とかフリーな体制で床にじかに座りたい、という人にとっては机なんて邪魔かもしれない。

でもすごく重たい机とか、床に直接固定してしまってあるものは別として、普通の机なら、ワークやるときだけ「ハイ、みんなで力をあわせてちょっと横へどけましょう。」にすればいいだけのことじゃない。

それを何だか机のないことのほうが、とても自由な気風で学べるスクールなのよ~と言わんばかりにさ~

机あったほうが絶対ラクだって。

ま、そんなこたぁいいんですがね、この私の身体の不調は胃腸薬を飲もうが、ビタミン剤を飲もうが強固にコース中、まったく取れることはありませんでした。

それが「はー、やっと今日帰れる。」と思った最終日からころっと憑き物が落ちるかのように治っていったので自分でもびっくり。

帰りの新幹線も一度も目覚めることなく岐阜羽島まで爆睡でしたもん。

そうしたらすっきり。

やっぱり「行き」は緊張していたのか、全く眠れなかったんですけどね。


それまではあまりの不調に、

「これ、なんか悪い病気にかかったかな・・」と思い、ついには、

「あ~、もうわたし、このまま死ぬのかな。」まで考えちゃったり。(笑)

それがこれで家に帰れる、と思ったとたんにこんなにころっと治っちゃうなんて!

自分のあまりのストレス耐性のなさに驚きました。

40代まではそんなことなかったんだけどな~

そしてますます「こんなじゃあ、やっぱり2度とデヴ・オーラまでなんて行けないな。」とうなだれたのでした。

ものすごく些細なことが大きなストレスになっている、ということがわかりました。

例えば1週間の荷物を入れたスーツケースは、平坦な道をコロコロやっているうちは何にも問題ないけれど、坂道や階段となるともう自分の力では持ち上げて歩けない。

なので、駅なんかでもエレベーターやエスカレーターのある場所を探してそこから上り下りしなくてはならない。

そんな場所を探してうろうろするだけでも、2,3分は簡単に時間がかかってしまうだろう。

大目に時間をとらなくては・・とか考えてることがもうストレス。

教室で30人以上いるというのに、「トイレは1つしかありません。」と言われたとたん、それがもうストレス。

ランチをもし大勢で行った場合、みんなが楽しそうに談笑しているなかで何かしんどくなって私だけ話さなかったり、たくさん残したりしたら皆「あら、どうしたの?」って心配するだろうな、と思うことがもうストレス。(これは今回、まったく同じ症状の方がいて、「あなたも!」と盛り上がり、「わかる、わかるよぉ。」と慰めあい、その人とほぼ2人だけでランチに行くことが多かったので、助かりました。)

私は15年くらい前に自律神経失調症になりましたが、そのときにほぼ近いような状態に今回なってたんです。

だから「これ以上ひどくならなければいいがな。」と思うことがまたストレスでしたが、なんとか乗り切れました。


行く前からちょっと不調を感じていたので、いつものかかりつけのお医者さんに行ったら、

「胃カメラする?」と言われ、

「えーっ! そこまでやらないとダメ?」と言うと

「そんなに疑わしい、ってわけじゃないけれど原因がわからないからね。前にいつやったの?」と言われ、

「10年以上前かな・・」と言うと、

「じゃあ、1回やっておきましょう。 いつやるんですか、今でしょ!」と日取りを決められてしまいました。

それが帰ってきてから2,3日経ってからだったんですが、無事クリアいたしました~!

しかし、「逆流性食道炎」だと言われてしまいました。

でもこれくらいの大層ではない程度の病名もらったほうがなんだかほっとするわ。

食道から胃の入り口あたりがちょっと炎症を起こしてるんだって。

いいよ、いいよ、そんなくらい。

自分で自分が食べたものを消化するために身体から出している成分のおかげで、自分をまた傷つけてしまい、それを抑えるための薬を飲まなくてはいけないなんてなんだかバカみたい。

自分の身体が必要だと思ってるから出しているものを変に抑制しようとすると、またなんかほかが誤作動起こすんじゃないのぉ。

そんな気がして、もらった薬は飲んでません。ハハ。

だって別に胸焼けというような自覚症状もないしぃ。

なんとかカラーエッセンスとかビーマーライトペンとか、「光の治療」を試みてみますわ。






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