ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

何がメッセージとして”来ている”のかは、その人が解釈したことでいい

2018-04-30 09:01:31 | 身辺雑事
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皆さん、GW楽しんでますかぁ~?
私は久しぶりに昨日ゴルフに行っただけで身体がたがたですわ・・・
運動不足がここへきて一気に露呈しはじめました。
いかん、いかん、こんなことじゃあ。
やっぱり身体を動かすことを習慣にするって大事なことですね、ってことをいま痛感しております。



さて、ワイス博士の退行催眠により以前に見た過去世と同じ過去世が出てきたのだけれど、以前のときにはその過去世から何を学べばよいのかわからなかったことが今回明確になった、ということを先日書きました。
そうかぁ、私はだから動物に対してすごく愛を感じるんだな、ということ。
そういえば、最近すごくそんなメッセージが降りてきているんです。



私は、1年ほど前かな、自分のサロンメニューから「アニマルコミュニケーション」を外しました。
それは、「潜在意識とつながってそこからきたメッセージを依頼主にお伝えする」という事の中でどうしても自分で消化できないことがあったからです。
その詳細については、メニューから外すことにした記事を書いたときに述べましたので、ここで改めてそれをなぞるのはやめることにいたしましょう。
ただ、いったん私はそこから“離れる”ことを決めたのでした。



なのに、ある日全く見知らぬ方からメールをいただきました。
「アニマルコミュニケーション講座の詳細を教えていただけませんか? 習いたいのですが」
というものでした。
びっくりしました。
え? メニューからおろしたのに、どこでこの方はそれを見つけたのだろう?と。
あとで聞いてみてわかりましたが、いろいろと検索しているうちに私が書いているこのブログのトップに講座案内を載せていた日の記事をご覧になったらしいのです。
載せていたのははほんの数日。
よく検索でひっかかかったなぁ、と思いました。
そしてそのとき、改めて私は天からテストを受けているように思いました。
アニマルコミュニケーション復活させるの? しないの? と。
そのときに私が出した結論というのは、
「動物さんの話していることを通訳して、それを直接クライアントさんとかかわりながらお伝えすることはしないが、アニマルコミュ二ケーターになりたい、という人のためのお手伝いはしよう」
ということでした。
私が消化できないことというのは、あくまでも“私の問題”であり、そこにこだわらないコミュニケーターさんを育てればいいのだ、という私の中での結論に達したからです。



そしてその方と「アニマルコミュケーション講座」をはじめました。
そうしたらそこからまた次々と芋づる式につながっていくのです。
講座を受けられている方が、ご自身の講座での体験をブログに書かれました。
そうしたらまたその読者の方から
「ぜひその先生を教えていただけませんか?」
というコメントが入ったので、教えてもいいですか? と言われました。
そこでまた私はテストがやってきたな、と思いました。
2回目だったので、「これはよほどアニマルコミュニケーターをやれ、というメッセージなのかな」とさらに悩みましたが、悩んだ末、
「その方が私を尋ねたいと思った理由が、ご自分の動物さんをみてほしい、ということなのか、ご自身もアニマルコミュ二ケーターの講座をとりたいということなのかがわかりませんが、もし前者であれば私はいまそれをメニューにしておりませんとお伝えください。練習中だけどあなたがやってあげたらいいんじゃない?」
と、講座受講中の生徒さんに言いました。



やはり、ここでも私はアニマルコミュニケーターをやることはしなかったのです。
さらには、こんなこともありました。
ダーリンが「うちのやつって動物と話せるよ」と何かの拍子に言ったのかいきさつはしりませんが、主人の取引先の関係の方がどうしてもみてほしい、と言っている、という依頼を受けたのです。
その方は今年に入ってから亡くしたワンちゃんがいるのだけれど、その死因について知りたいことがあると言います。
これは引き受けました。
え? と思われるかもしれませんが、メニューから下げたこの1年の間にも個人的に知ってらっしゃる方、以前に私にアニマルコミュニケーションを依頼された方のものはこそっと依頼を受けているんです。
やっぱりコミュ二ケーターを育てる講座はやる、というのならまったく実践から外れてしまっては腕がにぶる、ということもありますからね。
私の未消化な部分というのは、「当たる、当たらないということについての理解」なので、それを前もって話しておくことが出来たり、あらかじめすでに理解していらっしゃる方についてなら良いんですね。



こうして私は2回、3回とアニマルコミュニケーションについて何か自分に“来ているな”というメッセージを受け取ったものの、ストレートに「もう1度アニマルコミュニケーターになれ」というようには受け取りませんでした。
受け取りませんでした、というより、今の私はそれを選択しません、と自分の意志を優先した、という感じですかね。
でもそれで宇宙のエネルギーにそむくか、とか天の意思に反するか、と言ったらそうも思っていません。
天や宇宙はそのエネルギーを増幅させることだけをしてくれる装置だ、と思っているので、私自身がしっかりと意志をもって「こうだもん!」と方向性を決めれば、それでいいのだ、と思っています。
自分の選択、自分の意志で生きるためにこそ、今世はあるのですしね。
今の私にとっては、「潜在意識」というカテゴリーだけが“来ている”感じでして、「アニマルコミュニケーション」が“来ている”とは思わなかったんですね。
逆にいえば、
「アニマルコミュニケーションも、前世療法も、ヒプノセラピーもみんな根っこは一緒だなぁ。潜在意識とつながるってことなんだよなぁ」
と改めて思いました。


ワイス博士のワークショップ ~退行催眠での私の気付き 3~

2018-04-28 08:49:19 | ワークショップ
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さて、今日は我ながら驚いた体験です。
1日目も2日目も、たった1人ですが、選ばれた人が壇上にあがりワイス博士の退行催眠を体験しました。
それ以外の人たちはそのデモを自らの席から見ている、ということです。
しかし、そのとき私はなんと自分の席に居ながらにして自分も退行催眠にかかってしまったのです!
びっくり・・!  そんなことってあるんだぁ。
そこまで私、かかりやすい?
檀上で行われた人の催眠のとき、確かに私は博士の誘導にあわせて自分も軽く目を閉じて博士の言葉を聞いていました。
すると勝手に映像がはじまりだした、って感じなんです。
そのあとはもうただ勝手に映像が暴走していく。
檀上ではもちろん、選ばれた人に対してだけ博士が、
「そのときあなたはどう思ったの?」
「お母さんの視点になってみたことはある?」
など、その人だけのためのごく私的な質問を重ねていました。
でも、もうそれは関係ない。
どんどん私の映像は勝手にフィルムが回っている、という感じ。
昨日か一昨日にも書きましたが、私の場合、勝手に一篇の映画が回り始めるという感じなんです。
それがナレーションを差し置いてどんどん先へ行く、という感じが激しいときほど、私にとっては、それは本当に深く催眠に入れたのだなぁと信じられる感じです。
そういう意味でいえば、この、あるたった1人の別の人のためだけに行われた退行催眠のときが私は最も深く入ってしまった、という感じでした。



そしてその出てきた映像にまた自分でも驚いていました。
なぜなら、それは以前、と言っても10年ほども前になるものですが、私が初めてヒプノセラピーを受けに行ったときに見た映像と同じものだったからです。
このように全く同じ過去世のときに何回も行くことがあるのですね。
ここでちょっと話は逸れますが、皆さんは夢を起きてから書きとめたことってありますか?
私は一時、「夢日記」をつけてみたことがあるんです。
夢を見たと思ったら、頑張ってその時点でいったん目覚めるように意識して枕元にメモを置いておき、書きとめるようにしたんですね。
そうしたら、なぜかしらその夢日記につけた夢については、ものすごくささいな、何の意味があるのかもわからないものであっても、いつまでもものすご~くリアルに覚えていることができる、ということがわかりました。
このときの10年以上も前に受けた映像が、ものすごくリアルに再びよみがえったときも細部にわたる木々の感じまでもが「あぁ、知ってる、知ってる。ここね。」という感じでとても懐かしく思えました。



それは私がほんの5,6歳の少年だったときの過去世です。
場所は日本のどこか田舎。
一家でささやかな段々畑を耕しています。
貧しい小作人の一家のようでした。
以前のヒプノではそれだけだったんです。
5,6歳の少年の私が野山を駆け回り遊んでいる。
だから? って感じでした。
そうしたら今回は馬が出てきました。
その馬は農耕馬でしたが、私はその馬ととても仲良しでした。
しかし、あるときその馬は年を取ってもう労働ができなくなったからということで売り飛ばされてしまいました。
年を取って働けなくなったから売り飛ばした馬がどういう余生を送ることになるのか・・ ただ殺されて馬肉にされるだけではないのか・・ でもそれは想像したくありませんでした。
少年である私は泣いて、泣いて・・。
そしてじぃちゃんに叱られました。
「うるさい! ビィビィ泣くんじゃない! 農家に生まれた息子がそんな弱くてどうする! 馬くらいのことで! もっとそんなことには平気でいられるように強くならなくちゃいかん」



それはしごくごもっともな発言でした。
時代と一家の立場を考えたらよりごもっともでした。
それが幼いながらにもわかっているので、少年である私は一生懸命こんなことぐらいどうってことないんだ、と思おうとしました。
うまく思えませんでしたが、それでも少なくとももうへいちゃらさ、そんなこと、という快活なふりをするくらいのことは上手にごまかせました。
ホントウはすごく悲しいのに、じぃちゃんの言うことに納得し、そのとおりだなと思うしかない自分がまた余計に悲しかったけれど。



そして少年は大人になり、小作人の子は小作人の親になり、ごく普通に結婚し子どもが出来ました。
しかし、子どもの頃の想いから私はできるだけ自分たち人間の一家で手がかけられるような規模の田畑しかやろうとしませんでした。
最小限の馬と牛は飼っていましたが、彼らに対してもよくいたわり、たとえ働けなくなっても最期まで自分の所で面倒をみるようにしました。
そんなやり方だから当然のことながら一家は貧しかった。



そして私がその生を終えるときがやってきました。
ごく普通に死んでいくのですが、私は今度は自分の息子から反感を買っていました。
「おとうみたいなやり方でいたら、いつまでたっても貧乏のまんまだ。俺はもっと上手に農業が出来る!」
と考えた息子たちは、どんどん馬や牛を飼い、繁忙期には他からももう疲弊しきった馬や牛を借りさらに働かせ、使えなくなったら廃馬、廃牛にするということを平気でやりました。
「あぁ、私の想いは息子たちには伝わらなかったのだなぁ。それもまた仕方のないことだ」
という諦念を抱きながら死んでいく、という物語でした。



舞台では、幼い頃に母に叱られたことがトラウマになっている、と泣いている被験者がいました。
でも彼女のそのときの過去世をどんどん進めていくと、母親の気持ちもわかったし、何よりその後の人生がとても幸せなものだったことがわかりました。
それに対して博士がこう言っていました。
「幸せと感じることが成功なんですよ。幸せこそが成功。仕事で何か大きなことを達成するのが成功ではありません。」
その言葉が、私が見た私の過去世にもリンクしました。
「人はコントロールできない。たとえ息子であっても。でも私は私の動物たちに出来る限りの事はしたしそれで幸せだ」
というものでした。
とても不思議な感覚でした。



10数年前にわからなかった私の過去世が今日この場で結びを見た。
まさかそれが動物に関する学びのものだったなんて思いもよらなかった。
だから私は今世でも動物たちが好きなんだなぁ、特別の愛情を感じるんだなぁ、と納得しました。
この退行催眠デモが行われる前は、博士に対するQ&Aコーナーでした。
そのときにある1人の女性がした質問がとても私は心に残っていました。
その女性は、
「私はとても動物たちが好きで、彼らが殺生される目に遭っていることに日々心を痛めています。それと過去世とは何か関係がありますか?」
というものでした。
そのとき、その女性は質問しながら動物たちへの愛に胸が詰まってしまったのでしょうか、声を震わせながら、嗚咽しながら質問しました。
わたし、実はこういうのがとても苦手なんです。
その人が1人で勝手に自分の世界に入っちゃっていく、っていうか、(え・・? ここで泣く?)みたいな、自分の感情としてはそこまではとてもついていけない、っていう感情をあらわにされると逆にさーっと冷めちゃうんですね。
でもこのときはなぜか、この女性の痛みがとてもよくわかりました。
自分もいっしょになって涙がこみあげるまではいきませんでしたが、(わかる、わかるよ、その感覚)と思いながら聞いていました。
だからそのときの感覚が大きく残っていたのかもしれないとも思いました。
私が10数年前にはただの農家の息子だった、ということしか出てこなかった人生のドラマチックなものを、それも動物がらみの学びだった、ということを今回見た、ということは。
でもたとえそうだとしても、それだってやはり偶然ではない。
私が出会うべきもの、私の身に起こるべきことが起こったんだ、と思えます。

ワイス博士のワークショップ ~退行催眠での私の気付き 2~

2018-04-27 09:01:09 | ワークショップ
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昨日は最後に、「こうして何回もヒプノセラピーを受けることによって薄紙をはぐように1枚ずつラクになっていくのだろうなぁ」と書きました。
そうです。
ワイス博士は、
「何回も受けることによって、催眠に入りやすくなる」
とおっしゃいました。
だからもし、1度だけ「前世療法」(過去世セラピー)などのヒプノセラピーを受けたことがあるけれども、そのとき全然自分の前世を見ることが出来なくてなぁんだ、とがっかりした、という方。
たぶん、そんながっかりした体験をしてしまわれたら2度、3度と受けてみようとはなかなか思わないでしょうね。
私も思わないと思います。
でも、それはもったいない。
私はヒプノについての知識がまったくなかったとき、催眠にかかりやすいか、かかりにくいかというのは“体質”の問題だと思っていました。
だから「かかりやすい」人というのは1度目からも深く入れるし、ダメだったという人は何度受けても結果は同じだ、と思っていたのです。
けれど、何度も何度も受けることによってより深く入っていきやすくなるのであれば、そんな楽しみなことってないと思いません?
私はとてもヒプノを受けるのが楽しみになりました。



そんなわけで、今日は2回目の博士による退行催眠で私に出てきた過去世についてです。
それは、地球儀を思い浮かべて自分にとって縁のある国(地域、場所)だと思うところが光って見えます、そこへ行ってみましょう、という誘導から始まりました。
私は位置的には「これはアイスランドかな?」と思うところへ降り立ちました。
なんでぇ、こんな寒いところにぃ?と思いました。
私は寒いのが大の苦手だからです。
もうあらゆる筋肉が凝り固まってしまう感じがする。
温かいところへは旅行に行きたいと思うけれども、寒いところへは全く行きたいとは思わない。
それなのに過去には寒いところにも縁があったんだなぁ、と思いながら映像が進むのを見ていました。



あ、そうなんです。
私はとてもヴィジュアル派で、たいていは1本の映画を観ているかのようにどんどん映像が進んでいきます。
もはや、誘導のナレーションを置いてけぼりにして、かってに自分の映画だけがどんどん先に進んでいく、という感じなんです。
でも、どんどんナレーションを置いてけぼりにして進むときこそ、「言われたからそれが見えた」という感じではないため、余計に信頼性が高いような気がしています。



このときには険しい山が見えました。
私は毛むくじゃらの男性で、この山の断崖絶壁に、たった1本のワイヤーロープを使って登山をしています。
そして何があったのか、私は丸一昼夜、そこに宙ぶらりんになった状態で取り残されてしまいます。
なんとか救助されましたが、私はそのときに凍傷にかかり、右手の指を2本か3本か失ってしまいました。
「さぁ、それからどうなった? そのときの最期の場面に行ってみるよ。」
とまたナレーションが、そのときの死に誘導されました。
私はごく普通に死を迎えていました。
もっと年をとっていました。
毛むくじゃらの髭は白髪になっていました。
だから、あ、あのときの凍傷がもとで死んだ、とかではないんだ、とわかりました。
そしてどうやら私はあの凍傷が癒えてから、また山に登ったようなのです。
懲りもせずようやるわ、と我ながら思いました。
仲間とかも全然出てきませんでしたので、たぶん私はたった1人で山に挑戦することが好きだったのだと思います。
最期のシーンのところでは、(ようやるわ・・)と思った現在の私に対して、とても穏やかな笑みで
「どうして? 好きなことをやるって幸せな人生だったよ」
とそのときの私が言ったような気がしました。



ワークショップの最初にワイス博士が、
「出てきたものはすべて受け容れることが大切です。分析しない、考えない、編集をかけない、ようするに左脳的なことは一切禁止です」
とおっしゃいました。
しかし、たまに“現在の自分”がひょっこり顔をだし、過去世の自分に対して感想を抱いてしまうことがあります。
その瞬間「いかん、いかん」と思うのですが、「いかん、いかん」と思うこともまたいかんじゃないのか、と思い混乱します。
こういうことも慣れればよりスムースにいくようになる気がします。



このときの私の気づきとしては、最期に過去世の私が言ったように、
「他人から見たら、そんなことの何が楽しいんだ?と思うようなことでも自分が心から楽しいと思えたらそれでいいんだよ」ということでした。
たった1人でやる、誰も仲間はいない、だから誰に評価されることもない、けれども幸せな人生というものだってある、という学び。
その毛むくじゃらの男性(私だけど)は、最期穏やかな顔をしていました。



このワークが終わって休憩時間になったときに、今回ワークショップにご一緒した不二子さんに自分の気づきをシェアしたら、不二子さんが、
「それって、困難を乗り越えることが好き、ってことじゃないの?」
とおっしゃいました。
その前日にたまたま不二子さんとは
「お互いにまだまだお金に関するブロックは外せていないところがある」
という話をしていて、
「あるある、やっぱり稼ぐには多少の苦労とか困難を乗り越えてこそ手に入れられるものだ、という思い込みとかありますね~」
と言った覚えがあります。
不二子さんの中にもその話が残っていて、私にはそういうところがあるから“困難乗り越え好き”ってところがその過去世からひきずっているんじゃないの?とおっしゃりたかったのかもしれません。



でも不思議と私はそう言われても、そのときには全然ピンとこなかったんです。
ん~、それとは違うな、やっぱり今回の気づきとしてはあの男性の最期の穏やかな顔の死だなぁ、と思ったんです。
だから、やはり
「誰に評価されることでなくとも、自分が満足していたらその人生はそれで万事OK」
という学びだったというほうがピンときました。



このように気付きというものは、本人がピンときたものを選び取ればいいだけのことだと思います。
ストーリーだけを聞いたら10人が10人、「その話から考えられることはこうじゃない?」と言っても、当の本人が「いや、こういう事だと思う」と言ったらそれが正解です。
また、本人が気付かなければ、本人が「これだ」と思わなければ、セラピーの意味がないっていうか、癒しにはなりません。
ワイス博士もおっしゃいました。
「人に指摘されるより、自分で体験したこと、自分で気付いたことのほうが癒しの効果が高い」と。



これは本当にそう思います。
学生時代、難しい数学の問題の答えを友人が教えてくれて検算して「あぁ、ほんとにそのとおりだ」という気付きに比べて自分でその答えが導き出せたときの喜びは比ではないでしょう。
こんなことも思い出しました。
あるときカルチャーセンターの1日体験教室でソープカービングに行ったとき、その先生は「きれいに仕上がった完成品を持って帰りたいっていうのが1日体験講座に来る人の目的でしょ」と言わんばかりに、半分以上を生徒さんのものを取り上げて自分でやってしまわれるのです。
そのとき私は何にも楽しくなくて、「自分が完成させて仕上げたものだ」という愛着も持てなくて、その本講座に申し込む気にはとうていなれませんでした。
でも、「綺麗に仕上がったものを手に入れたいんでしょ」というこういう勘違いをしている先生は世の中に多いと思います。
そうじゃなくて、自分で、自分の力でやったものじゃないと意味がない。
ヒプノもまさにそうなんですよね~
だから、チャネラーやサイキックの人に、
「あぁ、あなたって○○ね」
みたいなことを言われても「へぇ、ほんまかいな」と眼を見張ることはあっても、そこに感動したりはしませんし、私はそういう指摘を受けるのも好きではありません。
このときはそんな自分の感覚に自信をもつことができました。


ワイス博士のワークショップ ~退行催眠での私の気付き 1~

2018-04-26 09:01:46 | ワークショップ
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さて、今日はワイス博士が施してくださったグループ退行催眠で、私が得た気付きについて書きたいと思います。
3つもやりましたからね、まずは1つめ。
「足もとを見て下さい。そこはどんなところですか? あなたはどんな靴を履いていますか? 」
と言われたときに出て来たものは、小さなテラコッタのようなタイルで模様が作られたその家の玄関先のようでした。
私はピンヒールのハイヒールを履いていました。
内心で、(へっ、私らしくない・・)と思いました。
今世では生まれてこのかた、ピンヒールのハイヒールなんて履いたこともないからです。



そこから映像が家の中へ移って行きました。
なかなか豪華な家です。
「そこはいつの時代ですか?」
と言われ、ガレージにある車が「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に出てくるような車だったので、
(これはアメリカの1950年代とかかな? いずれにしてもそんなに遠い昔ではない・・)
と思いました。
小さな男の子が走り回っており、ご主人らしき人もいます。
どうやら私はなかなか裕福な家の主婦のようです。
ガレージの車は誰かがピカピカに洗車しており、その人は専任のドライバーのようでした。
(使用人までいるなんてますますリッチなお宅ね)
と思いました。



「そこはどんな場所ですか?」
と言われ、周りを見回してみると、すぐそばにかなり切り立った崖のような山が見えました。
よく映画でみる「HOLLYWOOD」の文字がみえるような、あんな山です。
まさしくハリウッドの近くなのかもしれません。



「その人生で1番重要なことはなんでしたか? そこでは何が起こりましたか?」
と言われたとき、その山がバン!と爆発するような音がして、大きな火の手があがりました。
次のシーンではジープのような車で真っ黒になりながら命からがら逃げる私がいました。
顔も煤だらけになっています。
どうやら山火事か何かが起きて、その家も炎に包まれてしまったようです。



「その人生での死の瞬間にいきます。大丈夫です。痛みも苦しみも何も伴いません。ただ見ることができます。」
と言われて立ち会った私の臨終のシーン。
それはまるで幽体離脱かのように天井から眺めた景色でした。
立派なお屋敷の、重厚で立派な調度品が揃えられた部屋の大きなキングサイズほどもあるベッドに寝かされているわたし。
そこで現実の私が、
(ふぅん、あんな山家事で家を失ったのに、またこんな豪華な家で最期を迎えるなんて、どうやってその後立ち上がったのかわからないけれど、なんとかなるものねぇ)
と思いました。
わたしの周りには大勢の人たちがいます。
どうやら子どもや孫や甥っ子、姪っ子たちのようです。
何十人もいます。
孫や甥っ子という血のつながり的には少し遠い子どもたちは幼いこともあって、
「ちぇっ、つまんないなぁ。お外で遊びたいよぉ。なんでこんなところにずっとおとなしくいさせられてるんだよぉ。」
という態度をとっています。
それを見たとたん、その過去世のなかの私か現在の私かどちらか区別がつきませんでしたが、たぶん、どちらもでしょう。
私が思いました。
(だからイヤなんだよ! 子どもは! 臨終の場にあって心もなく居ようとするくらいなら出て行ってほしい。どうしてこんなにも大勢の人がいるの。私は死ぬときまで安らかにはしてもらえないの。もっと本当に私が逝くのを心から見送りたいと思っている数人の人たちの間でだけ私は逝きたかった)



そして目覚めました。
そこから得た私の学びは2つ。
1つめは、
「人生、なんとでもなるものだ。案ずるに及ばず。あんな山火事が起こるなんてことはどのみち想定できるものではないし、あれを想定してあんな場所に住まないほうがよかったとか、その先のぶんまで蓄えておかなくては、と思う必要があるものでもない。私は事実、また裕福になり最期を迎えた。大丈夫。」
というもの。
2つめは、
「私の子ども嫌いの理由の1つがわかった。」
というもの。
特に臨終のシーンでの「最期のときくらい安らかに逝きたかったのに。大勢の親族に見送られて旅立つというのを誇りや慰めと思う人もいるけれども、私は違う」という思いはとても強烈なものでした。
すごくリアルに感じられました。
腹立たしいような、悲しいような気持ち。
あとでワイス博士がおっしゃいましたが、
「ほんとうに自分が過去世を見たのか、自分の思考が創りあげた産物に過ぎないのかに戸惑う人も多いが、少なくとも、“感情”が伴うものがやってきた場合、それはあなたの想像が創りだしたものではない。」
それでいくと私が見た臨終のシーンはホンモノの過去世だということになります。
臨終だけがホンモノということもないだろう、そこがホンモノならその前のシーンなどもすべてホンモノだろうと考えたほうが自然だから、そうなると私は近い過去に裕福なたぶんアメリカ人だったことがあるのだなぁ、ということになります。



「最期くらい静かに逝かせてほしい」という思いがリアルであるのには、もう1つ強烈な記憶があります。
ゲーテだかパスカルだか忘れましたが、偉人が最期のとき、嘆き悲しむ見舞にきた友人に向かって、
「悪いが、死ぬのに忙しいので、出て行ってくれんかね」
と言った、という話を昔、何かで読み、
「なんていいセリフ! 私も病室で自分の感情ばかりを爆発させるような人がいたら、これ、使お」
と心酔したことを思い出しました。
これはブラックユーモアなのかもしれませんが、私にとっては真実の魂の叫びだ、と思いました。
そしてもし私が母より先に死ぬようなことがあったとしたら、たとえ相手が母であってもあまりうろちょろされるようであればこれを言いたい、と思っていたのです。
それはこのときの過去世が影響していたのかぁ、と思いました。
よほどこのときは小さい子どもがベッドの周りをうろちょろすることで臨終に不満を残したのだなぁ、と思います。



この死生観が今の私にとってものすごく大きく感情を揺さぶられるとか生き方にかかわるとは思いませんが、私はグループ催眠から醒めながら、
「こうして何回もヒプノセラピーを受けることによって、薄紙をはぐように1枚1枚、楽になって行くのだろうなぁ」
ということを実感したのでした。


ワイス博士のワークショップ ~なぜ過去世を知る必要があるの?~

2018-04-25 09:02:27 | ワークショップ
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さて、今日はちゃんと内容について書きますよ~
昨日もチラと書きましたが、このワイス博士のワークショップは今回、大阪、東京と2回行われました。
で、私は単純に全く同じ内容をどちらか来ることができるほうの会場へどうぞ、ということだと思っていたんですね。
なのに、会場に着いてから渡されたパンフレットで内容が違っていたことがわかりました。
だから会場の受付で、
「大阪―東京両方の方はこちらへどうぞ~」
と言っていたときに結構そちらにも受付があったのを見て、内心、
(へ~、すごいな~、同じことを2回聞くなんて、ちょっと月日が経ってからのリピならわからないでもないけれど続けて2回なんて、よっぽどのワイス博士の追っかけのようなファンなんだな)
と思っていたんです!
内容が違ってたのか~!
とはいえ、事前に知っていたら両方出たのに、と思ったのかと言えば、興味はあるけれど、費用の関係上、そこまでは結局受けられないんですけれどね。



ちなみにリストだけ書き連ねたってしょうがないかもしれませんが、一応、パンフレットに載っていたプログラムを転載いたします。
<大阪、東京共通のプログラム>
・前世両方、退行催眠療法に関する講話
・ワイス博士による前世療法デモセッション
・グループ前世退行誘導
・グループリラクセーション
・サイコメトリー(物の記憶を手繰るワーク)
・病気・症状部位の取り換え
・質疑応答

<大阪固有のプログラム>
・イルカと泳いで癒されるイメージワーク
・スピリチュアルニーズを宝箱に詰め込むワーク
・夢を利用した前世イメージワーク
・フェイスによる前世回帰

<東京固有のプログラム>
・スピリチュアル委員会のメンバーと自分の人生を振り返るワーク
・プレイテクニックによる前世回帰
・自尊心を育てるマウンテン瞑想/心のイメージから前世へ入る
・自分を観察して前世とのかかわりを探る



でも、実際にはこの通りにはなりませんでしたけれどね。
いずれにしてもオーラソーマの授業だと午前中に1つ、午後に2つ、というくらいしか出来ないことが多いことに比べると(それはシェアの時間をたっぷりととる、ということもありますが)、プログラム的にはほんと盛りだくさんでした。



さて今日は、「退行催眠」や「過去世催眠」がなぜ有効なのか、ということについての私の想いを書かせていただきたいと思います。
私自身、初めて前世療法を受けたことがあるのは今から10年以上前だったと思います。
友人の友人のそのまた知り合いが「前世療法をやってるよ」と言われて、ただの物珍しさ、好奇心から
「へぇ~、1度受けてみようかな」
と受けに行ったのが始まりでした。
そのときの私は好奇心で出かけていくくらいですから、まったく前世というものを信じていないということは少なくともなかった、と思います。
けれど、「療法」ということになると懐疑的でした。
そもそも「前世療法」にはナビゲーターの方が、
「あなたの前世にはこんなものが見えましたよ」
とチャネリングのように告げるタイプの人もいれば、自分で自分の前世を見るのだ、ナビゲーターは誘導催眠をするだけ、というタイプもあり、それさえそのときの人がどちらなのか知らずに出かけて行ったくらいなのです。
そんなレベルでしたから「前世」や「過去世」はある、と思っていましたが、自分がどのくらい催眠状態に陥るタイプなのか、そこで本当に自分の前世を見るのか、ということについては半信半疑でした。
受けたあとも半信半疑でしたね。
自分のアタマで考えたことを言っちゃてるだけじゃないのぉ?という思いもありましたから。



そんな程度の私ですから、サロンに訪れる人に過去世や前世の話をすると、
「どうして前世や過去世なんて探らなくちゃいけないんですか? 私は今の自分に満足しているんです。今が幸せなのにどうしてわざわざ辛かったかもしれない前世の人生をほじくり返さなくちゃいけないんですか?」
と言われると適切な解答をすることができませんでした。
そうか、なんでだろ? 私自身好奇心で受けに行っただけでそこ、たいして深く考えもしなかったな~、うん、確かにそう考える人には必要ないんだろうな、というくらいしか。



でも、今は違います。
なんのために前世や過去世を知ることで癒されるのか、がわかります。
私たちは知らぬ間にいろんなことに対して自分自身にブロックをかけていることがあります。
「女は人前にしゃしゃりでちゃいけない」とか、
「苦労してしかお金は稼いじゃないけない」とか。
それは「今世、この世の中で生きて行くなら当たり前のルールだろう」としか思っていないようなことも含まれます。
そしてたいていは、社会環境になじむように生活していくうちに知らぬままに自然に身についていったものだろう、くらいに思っていると思います。
けれど、それだけではなく、前世からのある体験によってそれを教訓として今世には必要ないのに持ち越してしまっていることが多々あるんです。
そんな不必要なブロック、外してしまい身軽になりたくはありませんか? ってことなんですよね。
実際に今回もワイス博士がおっしゃいましたが、ある拒食症の女性が自らの過去世を知ることによって、そのただ“知った”ということだけによって、その症状が治ってしまったということがあるそうです。
なんの努力をするわけでもなく、“原因を知る”だけでブロックが外れてしまうこともあるなんてそんな「おいしい」ことがありえるなら自分の過去世、私は知りたい!って思ったんですよね。
そりゃもうどんどん脱ぎ捨てるものがあれば脱ぎ捨てたいですから。(セクハラだ~ って? それでも脱いでやる~)



ただ、だからといって「知るべきだ」「誰もが知ったほうがいい」とまでは思わないんですね。
先ほどご紹介したように
「どうしてそんなもの、今の私は幸せだっていうのに知る必要があるんですか?」
という人はそれでいいんですから。



さて、今回は3回にわたって「グループ誘導による過去世催眠」が施されました。
2日間で3回もワイス博士自らによる過去世体験ができたんですよ!
それでまた私は「なるほどね~」と知っただけでラクになったようなことが確かにありました。
それを明日はお話ししたいと思います。