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つまり、ボトル込などのメニューは実質値下げです!
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先日、テレビを見ていたら今は親許から独り立ちした20代の子どもにそっと内緒でお母さんが学生の頃に彼(または彼女)のために作っていたお弁当を届ける、という短い番組をやっていました。
一様に彼らは喜び、
「これこれ! これがおふくろの味なんだよなぁ。」
とおいしそうに平らげていました。
そして
「いつもこれ作ってくれ、っておふくろにリクエストしてたんだよなぁ。」
とも。
それを見ていて(私にはおふくろの味って言われても思い浮かばないなぁ。)と苦い思い出を思い出しました。
私の母はとくに料理が下手なわけではありませんでした。
けれど、“母の味”といって特に「懐かしい」とか「またあれを食べたい」とか思うようなものは何もありません。
どうしてかな~
すべてが平均的な味や見た目だったからかなぁ。
それどころかお弁当と言われると私には苦い思い出しかないのです。
忙しい母は、それでも「自分で作っていきなさい!」とか「お金渡すからパンでも買いなさい。」と言ったことはありませんでした。
ちゃんと毎日作ってくれました。
それでも私は不平たらたらでした。
なぜかといえば、お弁当箱をあけたときふっと一番に匂う香りがおいしそう~とは程遠いとてもイヤな匂いだったからです。
あれは・・
なんなんだろう。
今でもそのにおいを思い出せます。
いろんなものが交じり合って食べ物じゃなくて、ゴミのようになってしまったようなにおい。
たぶん、あれはお弁当を作って温かいうちにすぐに蓋をしてしまうからああいうにおいになったんじゃないのかなぁ、とか、白いご飯の上にいつもかけてあるふりかけがそういうにおいを放ってるんじゃないかなぁ、とか思います。
一度、一緒にお弁当を食べている友人に聞いたことがあります。
「ねぇ、お弁当って蓋をあけた瞬間に、いやぁな匂いだと思うことってない?」と。
私は誰もが同じような思いでいるのだとばかり思っていました。
しかし友人の返答は意に反して、
「へぇ? そんなこと、全然思ったことない。」
でした。
その友人の返事がショックで、母に、
「いつもお弁当を開けるとき、変な匂いがして嫌だ。私だけみたいだよ。なんでだろ? 1回、私と同じものを朝作っておいて、それをお母さんもお昼に食べてみてよ。」と言ったこともあります。
けれど、母は「ふぅん。」と言っただけで、そういう実験をしてみようとはしてくれませんでした。
だから改善されることはなく、私は高校を卒業するまで「嫌なにおいがするなぁ。」と思いながらそのお弁当を食べ続けました。
相変わらずぶぅぶぅと不満を言いながら・・
今にして思えば、いつもイヤだと思うにおいがしていようが母に一度くらい「いつもお弁当つくってくれてありがとう。」と言えばよかった、と思います。
それは私が今、毎日ダーリンのためにお弁当をつくっていて、ダーリンはことあるごとに「いつもおべんと、つくってくれて、ありがとね。」と言ってくれるからです。
それがどれだけ励みになることか。
っていうか、そう言われなくちゃ「んじゃ、勝手にそこいらでなんか食べればいいでしょ。」って言って私は何も作らないかもしれません。
そう思うと、いつもいつも感謝どころか私にぶぅぶぅ言われながらもよく母はお弁当をつくってくれたよなぁ、と思うのです。
“手をかけてくれた”ということに対する感謝とともに、もう1つ大切なことは“一緒に食卓を囲む”ということです。
うちは小さいころからずっと両親が食堂をやっていましたから、親と一緒に食卓を囲むという経験がほとんどありません。
食事は1人でするもの、でした。
あまりにもそれが当たり前だったからなのか、それを寂しいと思ったことすらありません。
むしろわずらわしくなくていいや、とさえ思っていました。
そしてそれはやはり親が食堂を経営していたダーリンも同じだったのです。
私は母が作っておいてくれたごはんを1人でテレビを見ながら食べていましたが、ダーリンはたいてい500円を渡され、
「ほら、なんでも好きなもの、食べてきな。」と言われていたそうです。
(そんな店の1つに40年ぶりにこの前連れて行ってもらったことがありました。
そうしたらなんとその店のおばあちゃんはもう“おじさん”になったダーリンのことを覚えていました!
「あの頃、毎日のようによく食べに来てくれたものねぇ。」と言って。)
だから、その頃のぶんを取り返すかのように私とダーリンは、とにかく“一緒に食べる”ということを大事にしています。
少し前にはある飲食店の知り合いの方から、
「ねぇ、夜だけ手伝いに来てくれない?」(ランチの人手というのはどこも十分足りているんだそうです。ですが、夜に勤めてもいい、っていう人がなかなかいないんだ、と言われました。)と誘われましたが、よくよく考えてやっぱり出来ない、とお断りしました。
やろうと思えば、身体はあけられないことはないんですよ、夜は。
ぱぱっと自分の分をすませて、ダーリンの分は作り置いておいて、「帰ったら、チンして食べてね。」と言っておけばいいわけです。
けれど、それをするようになったら私たちは離婚することになってしまうかもしれない、と思いました。
いや、大げさではなく。
毎日夕食を一緒にとり、そのときにゆっくりとお酒も飲みながら、「今日は何があった?」と話す時間の大切さは何ものにも代えられません。
そこをはしょったら、きっと私たちは「何のために一緒にいるの?」と疑問に感じ始めてしまうでしょう。
夫婦によってきっと“大切にしたい時間”とか“これだけは関係性維持のために譲れない”という箇所は違うでしょうが、それがうちの場合は「夕食を一緒にとる」なんですよねぇ。
それはまるで、小さいころに親との団らんを経験してこなかったふたりが肩寄せあって、その時間を取り戻そうとしているかのようです。
先日は私たちより少しだけ若い、子どものいらっしゃらない夫婦の方が、
「この前さ、あんたたちって仲いいねぇ、って人に言われたけど、そりゃ、そうでしょ。
子どものいない夫婦で仲悪かったら、なにもしがらみないから、すぐに別れればいいだけじゃない、ってそういう人たちは離婚しちゃうんじゃない?
だから残っている人たちはみんな結果的に仲のいい人たちってことになるんじゃないの、って言ったらなるほど、って言われたわ。」
と話していました。
そういこともね、あるかもしれませんね。
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