昨日の続きですが、私は自分がようやく重い腰を上げて、「ダイエット」と「掃除」に取り掛かることができたのをB37を使ったおかげだと思っている、と書きました。
それは難しく考えなくても、B37のバイオレットとブルーのメッセージを考えればしごく当然のことだったんだな、ということも。
バイオレットの「変容」というメッセージ。
ブルーの「手放し」というメッセージ。
なかでも特に「手放し」というメッセージについては、自分のなかでわざわざ難しく考えすぎていたようだな、ということにも気づきました。
「手放す」ということは、眼に見えないもののことで悩んでいたり、問題が発生していると思っているときには特に難しく思えてしまいます。
オーラソーマでも「手放しなさい」ってことはよく言いますが、
「呼吸のように手放しなさい。」って言われたって、どうしやあいいんだか。
「人間関係を手放す」とか・・
「思い込みを手放す」とか・・
「手放す」とは「捨てる」とか「あっちへ追いやる」とか「放り出す」とかとは違うんだよなぁ、でも実際にはどう違うの?なんて考え込んでしまって。
でも、眼に見えないことで考え込む前に眼に見えることで自分がまだしていない「手放し」を実際にやってみたらどうなの? ってほうが、解決が早いように思いました。
今回の私の例で言えば、「ダイエットする」「家の掃除をする」(掃除とともに不要なものはどんどん捨てたり、人にあげたりして手放す)ということです。
実際にはそればかりが100%正解!ってことではないと思いますが、少なくとも自分の身辺において“眼に見えるもの”で余分なものがいっぱいあるなぁ、と思ううちはだまされたと思ってそちらから先に手をつけてみてください。
こちらなら「手放す」はストレートに「捨てる」ことであったり、「どこかへ追いやる」ことであったりしますから悩みません。
それからまた眼に見えないことでは悩み続けたって損はしませんよ。
バタフライ&シーエッセンスのバタフライエッセンスにしても、グループ3,2,1とより高次の身体から離れたエリアで感じる繊細なエッセンスになりますが、では、私は敏感でそうした繊細なエネルギーを感じられるはずだから、ということでいきなりグループ1のブレンドばかりでいいか、というとそうではないんです。
やはり3,2,1という順序で使っていったほうがよりわかりやすく、感じやすいんですよね。
だからスピリチュアルなことにはある程度精通なさっている方でも、エッセンス初体験の方は最初のうちはいきなりグループ1のものばかり、というような使い方はせずに、むしろグループ3のものを使ったほうがいい、と教わりました。
これと同じようなことで、私たちはこの世で肉体をもって生まれているんですから、「眼に見えて」「実際に身体の感覚で感じられるようなこと」から始めていくほうが結果的には精神的な気づきに到達するのも早いのではないか、と思います。
「手放す」ということの精神的な意味がわからなければ、まずは自分のこと、自分の身の回りのことで実際の眼に見える“モノ”を手放せば、それでも十分に精神的にだったり、魂レベルでだったりにも学びはあると思います。
何でも物事はわざわざ難しくせずに、考え込まずに、こだわりすぎずにやってみればいいんだ、というように思えること請け合いです。
なんだ、「手放し」ってこんなシンプルなことでよかったんだ~ってね。
これは普段、どうしても頭で考え込みすぎたりするタイプの人には特に有効だと思いますよ。
反対に普段から「私は考えるより先にまず身体が動いちゃうのよね~」という人には当たり前にすぎて“気付き”にはならないかもしれません。
これもそれも結局はバランスなんですかね~
それにしても今回、自分がここまで辿り着いた流れを改めて振り返ってみるとすべてが私に気付かせてくれるために調えられていたな、ということを思わずにはいられません。
一番はじめのきっかけは、コンサルテーション中に私のバースボトルであるB37が“変容”したことでした。
ピシッと音を発したかと思うと、下層の部分からいきなり竜巻が起こったように渦を巻きながらブルーのエッセンスが立ち上ってくるのを目撃しました。
お客さまとともにびっくりして「なに、これ・・・! 初めて見た、こんなの。」と言いあっているとお客さまが「あなたのバースボトルなら、あなたに対して何かメッセージを訴えかけているんじゃないの?」と言われ、「いえいえ、そんなことないですよぉ。お客さまとのコンサルテーション中に起こったことなんですからふたりともに、だと思いますよ。」とは言ったものの、それが気になって気になって、結局はB37とワークすることにしたのでした。
それからは、自分が気にかけているテーマに関して正面から向き合わされるようなことがあったり、現在気にかけているテーマというよりはこれはきっと私の一生をかけてのテーマでしょう、ということに対して(それは当然ですよね。バースボトルなんですから。)「こういう姿勢で立ち向かえばいいのよ。」と背中を押されるような感じがする気付きがあったり。
それは決して甘いものではなく厳しくもありましたが、深く幸せなワークでした。
そうしているうちにもともと仏教については多少の興味は持っていましたが、オーラソーマとのかかわりのなかでもっと追究したいという気持ちが高まっていた折、たまたま禅の本に出会いました。
そしてその中に書いてあった掃除に対する考え方の、「掃除とは部屋をきれいにしよう、ということではなくて、自分の心を掃き清めるもの。」というフレーズにいたく感じ入り、「そうだ、こういう考え方をしたほうが私はもっと掃除ができる人間になるかもしれない。」と思いました。
そしてそのことをブログにUPしたら、これまた私のブログを読んでくださっていたことがきっかけでお知り合いになった珠実さんからコメント欄にカレン・キングストンさんの本をご紹介していただきました。
カレンさんの回し者か、っていうくらい強烈に薦めてくださったので(笑 珠実さんが自分でそうおっしゃってます。)、最初は、「いやぁ、どうしようかな。わたし、風水に関してはもうこれ以上はいいや、って思ってるんですけど・・」(「オーラソーマ風水」という本を読み、オーラソーマは風水とも関連しているのか~と興味をもち、オーラソーマと風水のシェアリング・デーも受けたのですが、いまいち、それ以上に追究してみようとは思わなかったんですね。)と引き気味だったけれど、その強いお薦めで読んでみる気になりました。
するとこれまた風水、ということは置いておいても、一皮剥けさせられた、というか浄化やスペースクリアリングについてもはもちろんですが、人生に向き合う姿勢にも開眼させられた、という感じがしました。
珠実さんいわく、「カレン本は書籍界のセラピス・ベイ」だ、とのこと。(うまい! 座布団1枚!)
それから私には毎日隅々まで掃除しよう、という気構えと習慣がつきつつあります。
よく「部屋を片付けると人生が変わる」という言い方をしているHow To お掃除本がありますが、この言い方をこれまで私は冷めた目で見ていました。
お掃除本が必要な人は、「ゴミ屋敷」と呼ばれるような家に住んでいる人だろうと思っていました。
そしてそんな人であれば、そりゃあトラック何台分というようなものを片付けて整理すれば人生も変わるでしょうよ、とちょっと斜めに見ていた感じです。
私がいくら掃除苦手と言ったって、とりあえず毎日掃除機はかけているし、そんな人と一緒にはしないでちょうだいよ、って思ってました。
あ、ここでお断りしておきますが、サロンはね、いつも綺麗にしていますからご安心くださいね。
むしろ、私はサロンはいつも綺麗にしておく、っていうことのほうが自分の家を掃除する、っていうことよりも上位にくるので、家はちょっとおろそかになったってしょうがないじゃないの、という気持ちもありました。
2軒分、ひとりで掃除しているようなものなんだから、って。
そんなゴミ屋敷に住んでいるわけではない私が多少今より掃除をするようになったって、し終わったあとは「あ~、気持ちいい。」ぐらいは思うでしょうけれど、人生変わるなんて、んな大げさな・・ そんなことまでは思うわけがない、って高をくくっていました。
しかし、本当に人生は変わりました。
っていうか、変わりつつある自分が実感できます。
もっともっと整理整頓して、必要なものしか持ちたくない。
それは無味乾燥なほどにシンプルにしたい、というのではありません。
カレンさんの本にも書いてありますが、異常なほどにシンプルを好む人はそれはそれで病んでいるんだ、と私も思います。
「いや~ん、これ、必要じゃないけれど、あまりにもアイデアが面白いんで、つい買っちゃったわ~」というようなものにはこれからも手が伸びると思います。
けれど、いつも「死に場所をつくらない」っていうか、「死んでいる物たちをつくりたくない」とは思います。
何十年ぶりに物置を掃除してみたら、「あった、あった、そういえばこんなものが。」というようなものは作りたくない。
たまには触れて、使って、いとおしんで。
そんなモノたちだけに囲まれていたい。
ガラクタがある、ということはエネルギーの渋滞が起こっているということだ、とカレンさんの「ガラクタ捨てれば自分が見える」という本には書いてあります。
眼に見えないフィールドでのエネルギーの流れを感じる方、理論的にも「そういうものは確かにあるでしょうね。」と信じている方なら、そう言われただけで自分がいつもいる場所がどよ~んとエネルギーが淀んでいるかも、って思うだけでぞっとしてきませんか?
まぁ、こんなことをえらそうに語る私になった、っていうことは当の本人である私が一番びっくりしています。
この一連の流れのきっかけは偶然ボトルがピシッと音をたてたことに端を発するものですが、そのあとの流れをみても何だか自分から積極的に意志を出してここまで来た、っていうよりはあれよあれよという間に運ばれてきた、っていう感じがするんですよね。
それにしてもその人にとって必要なことしか起こっていない、というのは実感できますけれども。
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