ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

エネルギーの渋滞はイヤですよねぇ

2012-10-31 09:02:00 | 本と雑誌

昨日の続きですが、私は自分がようやく重い腰を上げて、「ダイエット」と「掃除」に取り掛かることができたのをB37を使ったおかげだと思っている、と書きました。

それは難しく考えなくても、B37のバイオレットとブルーのメッセージを考えればしごく当然のことだったんだな、ということも。

バイオレットの「変容」というメッセージ。

ブルーの「手放し」というメッセージ。

なかでも特に「手放し」というメッセージについては、自分のなかでわざわざ難しく考えすぎていたようだな、ということにも気づきました。

「手放す」ということは、眼に見えないもののことで悩んでいたり、問題が発生していると思っているときには特に難しく思えてしまいます。

オーラソーマでも「手放しなさい」ってことはよく言いますが、

「呼吸のように手放しなさい。」って言われたって、どうしやあいいんだか。

「人間関係を手放す」とか・・

「思い込みを手放す」とか・・

「手放す」とは「捨てる」とか「あっちへ追いやる」とか「放り出す」とかとは違うんだよなぁ、でも実際にはどう違うの?なんて考え込んでしまって。

でも、眼に見えないことで考え込む前に眼に見えることで自分がまだしていない「手放し」を実際にやってみたらどうなの? ってほうが、解決が早いように思いました。

今回の私の例で言えば、「ダイエットする」「家の掃除をする」(掃除とともに不要なものはどんどん捨てたり、人にあげたりして手放す)ということです。

実際にはそればかりが100%正解!ってことではないと思いますが、少なくとも自分の身辺において“眼に見えるもの”で余分なものがいっぱいあるなぁ、と思ううちはだまされたと思ってそちらから先に手をつけてみてください。


こちらなら「手放す」はストレートに「捨てる」ことであったり、「どこかへ追いやる」ことであったりしますから悩みません。

それからまた眼に見えないことでは悩み続けたって損はしませんよ。

バタフライ&シーエッセンスのバタフライエッセンスにしても、グループ3,2,1とより高次の身体から離れたエリアで感じる繊細なエッセンスになりますが、では、私は敏感でそうした繊細なエネルギーを感じられるはずだから、ということでいきなりグループ1のブレンドばかりでいいか、というとそうではないんです。

やはり3,2,1という順序で使っていったほうがよりわかりやすく、感じやすいんですよね。

だからスピリチュアルなことにはある程度精通なさっている方でも、エッセンス初体験の方は最初のうちはいきなりグループ1のものばかり、というような使い方はせずに、むしろグループ3のものを使ったほうがいい、と教わりました。

これと同じようなことで、私たちはこの世で肉体をもって生まれているんですから、「眼に見えて」「実際に身体の感覚で感じられるようなこと」から始めていくほうが結果的には精神的な気づきに到達するのも早いのではないか、と思います。

「手放す」ということの精神的な意味がわからなければ、まずは自分のこと、自分の身の回りのことで実際の眼に見える“モノ”を手放せば、それでも十分に精神的にだったり、魂レベルでだったりにも学びはあると思います。

何でも物事はわざわざ難しくせずに、考え込まずに、こだわりすぎずにやってみればいいんだ、というように思えること請け合いです。

なんだ、「手放し」ってこんなシンプルなことでよかったんだ~ってね。

これは普段、どうしても頭で考え込みすぎたりするタイプの人には特に有効だと思いますよ。

反対に普段から「私は考えるより先にまず身体が動いちゃうのよね~」という人には当たり前にすぎて“気付き”にはならないかもしれません。

これもそれも結局はバランスなんですかね~

それにしても今回、自分がここまで辿り着いた流れを改めて振り返ってみるとすべてが私に気付かせてくれるために調えられていたな、ということを思わずにはいられません。

一番はじめのきっかけは、コンサルテーション中に私のバースボトルであるB37が“変容”したことでした。

ピシッと音を発したかと思うと、下層の部分からいきなり竜巻が起こったように渦を巻きながらブルーのエッセンスが立ち上ってくるのを目撃しました。

お客さまとともにびっくりして「なに、これ・・・! 初めて見た、こんなの。」と言いあっているとお客さまが「あなたのバースボトルなら、あなたに対して何かメッセージを訴えかけているんじゃないの?」と言われ、「いえいえ、そんなことないですよぉ。お客さまとのコンサルテーション中に起こったことなんですからふたりともに、だと思いますよ。」とは言ったものの、それが気になって気になって、結局はB37とワークすることにしたのでした。

それからは、自分が気にかけているテーマに関して正面から向き合わされるようなことがあったり、現在気にかけているテーマというよりはこれはきっと私の一生をかけてのテーマでしょう、ということに対して(それは当然ですよね。バースボトルなんですから。)「こういう姿勢で立ち向かえばいいのよ。」と背中を押されるような感じがする気付きがあったり。
それは決して甘いものではなく厳しくもありましたが、深く幸せなワークでした。

そうしているうちにもともと仏教については多少の興味は持っていましたが、オーラソーマとのかかわりのなかでもっと追究したいという気持ちが高まっていた折、たまたま禅の本に出会いました。

そしてその中に書いてあった掃除に対する考え方の、「掃除とは部屋をきれいにしよう、ということではなくて、自分の心を掃き清めるもの。」というフレーズにいたく感じ入り、「そうだ、こういう考え方をしたほうが私はもっと掃除ができる人間になるかもしれない。」と思いました。


そしてそのことをブログにUPしたら、これまた私のブログを読んでくださっていたことがきっかけでお知り合いになった珠実さんからコメント欄にカレン・キングストンさんの本をご紹介していただきました。51h8fh6ss4l__sl500_aa300_

カレンさんの回し者か、っていうくらい強烈に薦めてくださったので(笑 珠実さんが自分でそうおっしゃってます。)、最初は、「いやぁ、どうしようかな。わたし、風水に関してはもうこれ以上はいいや、って思ってるんですけど・・」(「オーラソーマ風水」という本を読み、オーラソーマは風水とも関連しているのか~と興味をもち、オーラソーマと風水のシェアリング・デーも受けたのですが、いまいち、それ以上に追究してみようとは思わなかったんですね。)と引き気味だったけれど、その強いお薦めで読んでみる気になりました。

するとこれまた風水、ということは置いておいても、一皮剥けさせられた、というか浄化やスペースクリアリングについてもはもちろんですが、人生に向き合う姿勢にも開眼させられた、という感じがしました。

珠実さんいわく、「カレン本は書籍界のセラピス・ベイ」だ、とのこと。(うまい! 座布団1枚!)

それから私には毎日隅々まで掃除しよう、という気構えと習慣がつきつつあります。

よく「部屋を片付けると人生が変わる」という言い方をしているHow To お掃除本がありますが、この言い方をこれまで私は冷めた目で見ていました。

お掃除本が必要な人は、「ゴミ屋敷」と呼ばれるような家に住んでいる人だろうと思っていました。

そしてそんな人であれば、そりゃあトラック何台分というようなものを片付けて整理すれば人生も変わるでしょうよ、とちょっと斜めに見ていた感じです。

私がいくら掃除苦手と言ったって、とりあえず毎日掃除機はかけているし、そんな人と一緒にはしないでちょうだいよ、って思ってました。

あ、ここでお断りしておきますが、サロンはね、いつも綺麗にしていますからご安心くださいね。

むしろ、私はサロンはいつも綺麗にしておく、っていうことのほうが自分の家を掃除する、っていうことよりも上位にくるので、家はちょっとおろそかになったってしょうがないじゃないの、という気持ちもありました。

2軒分、ひとりで掃除しているようなものなんだから、って。

そんなゴミ屋敷に住んでいるわけではない私が多少今より掃除をするようになったって、し終わったあとは「あ~、気持ちいい。」ぐらいは思うでしょうけれど、人生変わるなんて、んな大げさな・・ そんなことまでは思うわけがない、って高をくくっていました。


しかし、本当に人生は変わりました。

っていうか、変わりつつある自分が実感できます。

もっともっと整理整頓して、必要なものしか持ちたくない。

それは無味乾燥なほどにシンプルにしたい、というのではありません。

カレンさんの本にも書いてありますが、異常なほどにシンプルを好む人はそれはそれで病んでいるんだ、と私も思います。

「いや~ん、これ、必要じゃないけれど、あまりにもアイデアが面白いんで、つい買っちゃったわ~」というようなものにはこれからも手が伸びると思います。

けれど、いつも「死に場所をつくらない」っていうか、「死んでいる物たちをつくりたくない」とは思います。

何十年ぶりに物置を掃除してみたら、「あった、あった、そういえばこんなものが。」というようなものは作りたくない。

たまには触れて、使って、いとおしんで。

そんなモノたちだけに囲まれていたい。


ガラクタがある、ということはエネルギーの渋滞が起こっているということだ、とカレンさんの「ガラクタ捨てれば自分が見える」という本には書いてあります。

眼に見えないフィールドでのエネルギーの流れを感じる方、理論的にも「そういうものは確かにあるでしょうね。」と信じている方なら、そう言われただけで自分がいつもいる場所がどよ~んとエネルギーが淀んでいるかも、って思うだけでぞっとしてきませんか?

まぁ、こんなことをえらそうに語る私になった、っていうことは当の本人である私が一番びっくりしています。

この一連の流れのきっかけは偶然ボトルがピシッと音をたてたことに端を発するものですが、そのあとの流れをみても何だか自分から積極的に意志を出してここまで来た、っていうよりはあれよあれよという間に運ばれてきた、っていう感じがするんですよね。

それにしてもその人にとって必要なことしか起こっていない、というのは実感できますけれども。





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バースボトルとワークした後の置き土産

2012-10-30 09:12:00 | オーラソーマ

自分のバースボトルであるB37を使い終わってから、私としては珍しく1週間ほど次のボトルをすぐ使いませんでした。

なぜかその気になれなかったのです。

B37を使っている間も、いつものようなペースではなく、ちょっとゆるゆるにしか使いたくないような感じがあり、いつもなら1本のボトルを大体3週間ぐらいのペースでワークしてしまう私が、今回は2か月近くかかった、ということは前にも書きました。


そして、使い終わったあともなぜかすぐに「はい、お次」っていう感覚にはならなかったんですよね~

以前に、ボトルとのワークの仕方の話をいろんな方としていたときに、

「ボトルは使い終わったあとにそのボトルの気付きがやってくることもあるので、私は1本を使い終わったあとも、あえてすぐ次のボトルにはいかないようにしている。だって、すぐに次のボトルに移行したら、どちらのボトルのことでこの気付きがあったんだろう?ってわからなくなるし、前の使い終わったボトルの気付きがどんどん自分の肌の奥のほうから浮かび上がってきそう、ってときに次のボトルを塗ると、なんだかせっかく浮かび上がりかけていた気付きをまた塗りこめちゃうような気もして・・」とおっしゃっていた方がいらっしゃいました。

なるほど、そういう考え方もあるか、と思いました。

私はどちらかというと、これまではボトルを使い始めてそうですね~、半分の分量がなくなるまでくらいに「あ、このボトルからのメッセージがやってきた。」っていう感じになり、あとの半分はもう惰性っていうか、その訪れた気付きをさらに強固なものとするためにあるっていう感じなんで、もうスイスイ使っちゃってました。

そして、塗り終えたと同時に次の日からはもう次に使うボトルにいっちゃってました。

しかし、今回のバースボトルで大きな気付きを得た私は、なんだか名残惜しいっていうような感覚が尾を引いていて、「これ以上に何か気付きがまた訪れる」っていう予感はしないですが、「この余韻を楽しみたい」っていうような感じでなかなか次に移れなかったのでした。

そうしたら!

なんと!!

私にとっては初めての経験!!!

使い終わってからさらにワークし終わったボトルの気付きがやってきたのでした。

それは何かと言うと、「デトックス」「浄化」「手放し」・・・

どう呼ぶのが一番ふさわしいのか、あるいはどれもがその通りだ、と思えるのですが、要するに「とことん、こざっぱりする」ってことです。

もともと「ちょっと痩せなくちゃ・・」と思っていました。

しかし、人間“見た目”というものに対して「まぁ、いいやぁ~。」と妥協してしまうととことん行ってしまいますね(笑)

食べることが好きということもありまして、我慢するのが苦手ということも重なりまして、なかなか一歩が踏み出せないでいました。

ジムに行こうか、ひとりで家のなかで気ままにダイエットのDVDでも見て体操しようか、せっかく近いんだから毎日金華山に登ることにでもしようか・・

あれこれと考えてはみたもののどれも一長一短があるようで決められませんでした。

そしてついに「私は誰かの監視の目がないとダメな人間なんだ。」と自分の弱さを認めることができ、流れ作業のように数台のマシンをこなすというまるで自分がブロイラーにでもなったような気分になるだけではないか、と二の足を踏んでいたカーブスに体験に行ったことで入会を決めました。

そしてさらにはその様子を逐一報告しあう仲間もできて、体制は万全です(笑)

そうなったら今度は掃除がしたくてたまらなくなってきました。

自分の掃除、つまり必要でない脂肪の排除。

家の掃除、つまり必要でないモノたちをどんどん処分してそもそもが掃除しやすい環境をつくること。

これらに踏み出すことができました。

この1週間で70?のゴミ袋にたんまり7袋は洋服を捨てました。
そして、これまでは掃除で必ず毎日やることといったら、掃除機をかけることと風呂場(それも浴槽のみ)、トイレ(それも便器のみ)でした。

そして、それ以上に汚れてきたな、というところはそう気付いたときにすればいい、って感じでした。

そのようにしてたまに徹底的に掃除するとすごく疲れてしまって、余計に掃除が嫌いになっていました。


けれど、毎日するようになるとどんどん掃除がラクになるから不思議ですね。(不思議でもなんでもないか)

例えばフローリングの拭き掃除をする。

拭き掃除っていうのは態勢が低くなりますから目線も普段の動線とは違うところから見ることになります。(ちなみに私はクイックルワイパーのような立ったまま拭ける、という道具は使いません。自分の手ではいつくばって拭き掃除をしています。)

そうしているうちに窓の桟とか、家具の下とか、流し台のシンクの下とかいろんな細かいところにも「うわ・・! ここ、こんなに汚れていたのか。」と気付くようになります。

気付けばやらないと気持ちが悪いですから、そういうところも拭きます。

ですから、やたらと時間がかかるわけです。

でも、次の日もまた同じように拭き掃除をする。

すると、もう昨日発見して徹底的に綺麗にしたところは、さーっと拭けばいいだけだから昨日よりは時間がかからない。

そのようにして毎日毎日、「発見→新たな場所の掃除→次の日から簡単になる」ということを繰り返していると、だんだん、「こんなにもあらゆるところを掃除しているのにもかかわらず、こんなに短時間でそれができるものなのか!」ということが嬉しくてたまらなくなってきます。

そしてより時間短縮をめざして、“汚れきる”うちに“常に汚れないようにしておこう”と簡単に拭いておく、ということをするようになる、という良い循環が生まれるようになりました。

今の目標は、年末までに家じゅうがぴっかぴかになることです。

換気扇とか、排気口とか、タンスの奥とかも。

そして本当に必要なもの以外は何も置いていない、という状態にしたい、と思っています。


カーヴスに通うことだって、はじめは「そんなヒマないよぉ~」と思っていました。

けれど、カーヴスに行くことによって結果体が軽くなり、家に帰ってきてからもなんだか気持ちも身体もリフレッシュして次の仕事がはかどる、ということになれば、結果的にカーヴスに行っていた時間なんて簡単にとりかえしがつく、ということを感じるようになりました。

家で「あ~、あれもやらなきゃ。これもやらなきゃ。」と思いながら、どうしてもうだうだしてしまい、「これは自分にヤル気が欠けているのか、それとも本当に身体からしんどいというシグナルが送られてきているのだから休んだほうがいいのか。」なんて悶々としていたのが嘘みたいです。

これらのことはほんの偶然の一致のように思えます。

もともと考えていたことにようやく重い腰をあげただけのことですから、“気付き”とは呼べないようなことかもしれません。

けれど、B37のバースボトルが、バイオレットとブルーという色であることを考え ると、やはりこのバースボトルとワークしたことの置き土産だったのかなぁ、と思ってしまうんです。B037

バイオレットには“変容”のメッセージがあります。

ブルーには“手放し”という課題があります。

ダイエットも掃除もいろんなものを手放すことです。

そしてそれによって身体や考え方や場所が変容します。

これがB37のシンプルなメッセージでなくてなんでしょう!

矢のように早くワークしたくなったものはそのスピードで駆け抜け、すぐさま次のワークするボトルに移るのもよし。

何となくこのボトルとはじっくりお付き合いしたいなぁ、と思ってゆるゆるとワークしたときには、やはり実際にボトルの中にはもう目に見える液体はすべてなくなってしまったあともそのボトルとはまだ少しの間ワークは続いているんじゃないかなぁ。

今回、そんな気がしました。





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ボトルとワークされている方は、そのときの直感でかまわないと思いますが、そのボトルから置き土産のようなメッセージがやってきそうかどうかで次のボトルにすぐに移るかどうかをちょっと待ってみるのもありかと思います。

直接感じるエネルギー

2012-10-29 09:04:00 | 身辺雑事

きのうの日曜日は、岐阜では朝から雨でした。

予報でそれはわかっていましたので、この日はどこへもお出かけせずに家でまったりすごそうと何も予定を立てていませんでした。

ダーリンは、土曜日に取引先のコンペで疲れていることはわかっていましたしね。

あ、余談ですが、ちなみにお天気に関してぶぅぶぅと不平を言ったり、評価のようなことを下したりするのはいけないそうですよ。

なぜなら、お天気はまさに“天”の“気”ですから。

“天”の“気”について人間である我々がとやかく言うようなことではない、ってとこでしょうか。

・・・しかし、そうはいってもねぇ。

出掛ける予定が立ててあったときに思わぬ雨にあったりしたら、ついチェッと舌打ちしたくもなっちゃいますよね。

まぁ、そんなレベルではなく、ひどい災害にあったりする地域を見ると“天”に対してでさえ、「どうして!」と言いたくもなりますが・・


私はずっと接客を教える仕事をしてきて、「なるべくお客さまとくだけた話題ができるようになりなさい。なぜなら店内のお客さま滞留時間がそのまま買い上げ率にもつながるんだから。」とか、「その場合、一番さしさわりのないことではお天気の話題よ。だって、いきなりその人の宗教とかを尋ねる人なんていないでしょう?」とか言ってきたのですが、考え直さなくてはなりませんねぇ・・

「気軽にお天気の話題を出してはいけませんよ。」って。

さて、ダーリンはまったりできる日曜日の場合でも、ひとまず7時くらいに起きちゃう人です。

とりあえず目が覚めちゃうんですって。

老人か。

私はそこいくとまだ若いかしらん。

寝ててもいいとなると、9時くらいまでは寝てられるもん。


で、ダーリンが7時に起きて何をするか、というと。

朝食からビールをかっくらってもう1度寝るだけ。

私はその間、いつものように洗濯をしたり、掃除をしたり、お化粧したりしていると再びダーリンが起きる時間とだいたい同じくらいになるからいいんですけどね。

さて、ダーリンが2度寝に入って洗濯物を干そうとしたとき、アッ!と大変なことに気づきました。

私のバタフライ&シーエッセンスのすぐ横になんとダーリンが自分の携帯を置いているではないか!!

「もう~~~~!!! やだぁ~!!!」という言葉が思わず口をついて出ました。

するととなりの部屋で寝ていたはずのダーリンが、

「えっこちゃん、えっこちゃん」と呼びます。

「何?」とそっとドアを開けて聞くと、

「いま、なんかもう、やだ、とか言ってなかった?」と聞きます。


こういうとこ、ダーリンは鋭いんですよねえ。

私の機嫌に対して異常にアンテナ張ってるっていうか(笑)

よく寝るけど、眠りも浅いタイプなんでしょうね。

ちょっとした物音や言ったことにすぐに反応する。


それで仕方なく、事実を認めました。

「うん、言ったよ。」

「どうしたの?」

「いや、私がケンちゃんに言っておかなかったから悪いんだけどさ。私のエッセンスのすぐ横に携帯置いてたでしょう。あれ、エッセンスにとっては最も良くないことなんだよ。その部屋に携帯もって入ることさえ、授業では禁じられてるくらいだからね。」

「そっか~、すまんなぁ。」

「いいって。私が言っておかなかったのが悪いんだから。」

―――とまぁ、こんなやりとりがありました。

そして私はハッと気づきました。

昨日も書きましたが、人がキレるときっていうのには何かしら理由があるはずで、それがキレさせた側が気付いていないだけかも、ってこと。

思わず発した「あっ、ダメッ!」というような感情的な言葉にいきなり心を閉ざして反応してしまうこともある、って話。


これでいきますと、昨日は私は思わず、「もう~~ やだぁ~~~!!」という言葉を発してしまいました。

それに対していきなりダーリンはキレはしなかったわけですが、今後虫の居所によってはどうかわかりません。

くわばら、くわばら。

気をつけなくっちゃ、と思いました。

それから今日はもう1つ別のことで書きたいことがあります。(っていうか、こっちがほんとに書きたいこと。)

土曜日には、海外からわざわざ友人が訪ねてきてくれました。

さすがに海外からうちを目指して来てくれたわけではありませんよ(笑)

でも、岐阜に用事なんてないわけですから帰国の際にうちへ来てくれたっていうことはやっぱりわざわざには違いないんです。

彼女とは不思議な縁を感じています。

2年前か3年前にラハシャ博士の「カウンセリングスキルコース」に出たときにお知り合いになったんですが、そのとき、1日目の最初のワークで組んだのが彼女でした。

そのときに打ち解けたものの、なぜかそれから6日間を通してほかには一緒に組むときはありませんでしたし、休憩時間などもお話した記憶はありません。

なのに、それからブログなどを通してずっと関係が途切れることはなく、友情を育んできました。


普通、何かコースに出て、ジャブのような開始早々の何分かのワークで一緒になっただけなんて、それきりになってしまうほうが当たり前って感じじゃないですか。

けれど、人との縁というものはそういうものじゃないんだなぁ、ちゃんと後々も続く人と言う人とは続くもんなんだなぁ。

天はそのためのきっかけを与えてくれるに過ぎないんだよなぁ、とつくづく思います。

さて、午前中から会って、ちょっと一緒にお買い物に行って、ランチに出掛けて、それからサロンに来てもらい、としていたらもうすぐに彼女が次のお友達のところに行かなくてはいけない時間になってしまいました。

でも、短い1日でしたが、直接会うことによってより彼女という人間の奥に少し触れたような気がしました。

何ってことはない、とりとめのない話がほとんどでしたけれど、それでもやっぱりメールや電話のやりとりだけではうかがい知れないその人の繊細な部分に触れることができた、という感じがします。

会ってみなくては決してわからないオーラフィールドに触れた、っていうか。

やっぱり、人間、直接会わなくちゃ、と強く思いました。

そしてそこからひいては、オーラソーマのコンサルテーションが必ず直接対面で行わなくてはならない、ということになっていることについても本当にその通りなんだよな、という思いを強くしました。

コンサルテーションが必ず直接対面で行わなくてはならない理由について、私は「やっぱりボトルのもつエネルギーに直接触れなくてはいけないからね。色を見るだけではなくて、ボトルは“生きたエネルギー”“生きた宝石”と呼ばれていて、パワーストーンのエネルギーもあるし、ハーブのエネルギーも入っているからね。」と言うのですが、友人に久しぶりに会って、そのことを実感いたしました。

ですからネットで「お試しリーディング」とあるものだけで済ませている人はもったいないと思いますよ。

あれは文字通り“お試し”ですからね。

実際にボトルを目の前にして選ぶと印刷物や写真などで選んでいるボトルとは違うものを必ず選ぶと思います。

“生きている人間”と“生きているボトル”がお互いに波長をからませあって、そこで巻き起こったエネルギーによって、自分が選んだ、というよりは何だかボトルのほうに選ばせられてしまった、と感じるようなセッション。

それがホンモノです。

もし、まだ雑誌や写真などでしかボトルを見たことがない方は、「コンサルテーションを受けます!」という強い意志をもっていなくてもいいです。

一度、「ちょっと、ホンモノのボトルを見せていただきたいと思いまして~」だけでもいいですから、是非、実際のサロンにお越しください。

待ってますよ~





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他人の話の言葉尻をとらえる

2012-10-28 09:09:00 | 身辺雑事

少し前、橋本大阪市長と朝日新聞社との対決が、橋本市長が公の場に姿をあらわすたびに話題になっていたことがありました。(っていうか今もなってる? まだ終結したわけじゃなさそうですもんね・・)

私は「週刊朝日」の記事を読んでいないので、内容と2者間のバトルについてはどーでもいいや、とも思いつつ(なんか出自のことを暴露したようなレベルの低い話だったようです。)、こういうときのコメントについてちょっと気になることがありました。

バトルに終止符を打とうとしたのか、ついに「週刊朝日」側が謝罪記事を載せたことについて、橋本市長はこう言い放ちました。

「もう朝日は話にならない。論外! 立ち直れないね。」と。

私はその謝罪記事も読んでいないのですが、謝罪されて何を怒っているんだろう?と思ったら、こういうことでした。

謝罪なら、直接自分に謝るか、自社のHPに載せればいい。それを週刊誌の記事にして、それを買う人からお金をとって(もちろん、他の記事の分量のほうが圧倒的に多いですけれどね。)それでまた一儲けしようなんて太い輩だ、というわけです。

なるほど、一理ある、と思いました。

そうしたら、この部分についてテレビでキャスターの方が「橋本さん、論理的に責めてきますね~」と言ったら、
評論家の方がこう言ったのです。

「橋本市長はいつもセンセーショナルな言葉を使いますが、言っていることは一見論理的に聞こえるので、みんな納得しちゃうんですよね。」と。

ん?

“論理的”なのではなく、“論理的に聞こえる”だけ?

ちょっとカドのある言い方ですよね。

「みんな納得しちゃうんですよね。」という言い方にも、“言いくるめられちゃうんですよね”的な「ほんとうは論理が抜け落ちている穴はいっぱいあるんですけどね・・」という言い方に聞こえました。

私は維新の会も橋本市長も応援していません。

けれど、謝罪広告についての見解についてはなるほど、と思いました。

あれのどこが“論理的”なのではなく、“論理的に聞こえる”だけなのか、この評論家が何を意図していたのかよくわかりません。

けれどそのときテレビのスタジオではそこのところを問題にすることはなく、スルーされました。


こういうちょっとした言い回しでその人の本心がわかったり、それによって相手を傷つけたり、腹をたてさせることってあるよなぁ、と思いました。

もしこの評論家が意図的に橋本市長の言うことを丸ごと全部信じちゃいけませんよ、というメッセージを視聴者に植え付けたかったのだとしたら、少しは成功しているかもしれません。

そして私がもし橋本市長で、このスタジオにいたのだとしたら、このちょろっとした「論理的に聞こえるだけ」という部分にこそ、一番腹を立てて、論戦を吹っかけるかもしれませんね。


言葉ってつくづく恐いなぁ、と思いました。

使い方ひとつで、言っている内容とは別の印象のほうがよほど相手には伝わったりする。

そしてこれを戦略的に使えば、大衆をマインドコントロールすることも可能かもしれません。

ちょっと話しが変わってしまいますが、少し前にSCで小さなお子さん連れの若いお母さんが、飲食をしながら入店してきてベタベタの手で洋服を触るわが子に注意しないので、販売員が注意したら逆切れされた、ということについて書いたことがありましたが、これだって、両方の言い分を聞いてみないと一概にこの若いお母さんの逆切れを常識のない人、とは言えないんですよねぇ・・

販売員は優しく注意しただけのつもり、と思っているかもしれませんが、最初にお子さんが手を伸ばした瞬間にとっさに、「あっ! ダメっ!」というような声を発しているかもしれません。

いきなりの「ダメ」とか「やめて」とかいう強い拒否の言葉には、やはりいきなりキレる人もいらっしゃるんです。

思わず出ちゃうかも、って気持ちはわかりますけどねぇ。

けれど、最終的にはこのお母さんが相当に怒った、という事実だけが残ります。

そしてこの販売員自身が店長なりにクレーム報告するわけであって、第三者が報告するわけではないのですから、どうしても自分目線となります。

自分のどこに相手がキレたのかわかっていないわけですから、きっと報告では「私が思わず『ダメっ!』と言ったことにキレられたのだと思います。」なんてことは闇に葬られます。

「優しく注意したつもりなんですが、いきなりキレられちゃったんですよねぇ。わけがわかりません。」という報告になるのでしょう。

橋本市長の朝日の謝罪広告についての発言についてもあのテレビを見ていた人は、その大筋よりも「橋本市長と言う人はいつも論理的に聞こえるような詭弁を弄する人である。」ということだけが頭にインプットされてしまうように思いました。

SCでのクレームにしても、橋本さんのことにしてもこのように他人の言葉尻をとらえるのってよほど気をつけないと後々大変なことになるよなぁ、と思いました。

インターネットが発達してから、1億総評論家になっちゃった、とも言われたりします。

物事の大筋に目を向けるのではなく、他人の言葉尻だけをとらえてそこを糾弾したりするのってそんなに楽しいでしょうか?

少し前には、こんなことがありました。

バドミントンの潮田選手が結婚を発表しました。

すると、彼女がまだ結婚前のオリンピックに旅立つ前に書いたブログで、そのご主人となる人に「私が頑張ってこられたのはあなたのおかげ」みたいな記事を書いたことについて、五輪前にそんな浮かれた記事を書いていて練習してんのか、みたいなツィートがすごくあったそうです。

それに対して潮田選手は、「こういう批判が出るだろうことはわかっていた。けれどどうしても私は感謝の気持ちをブログに書き綴りたかった。」と冷静に言っています。


・・・なんで人の幸せに水差すようなことを言うの?

そんなことをつぶやくような人が日本中にわんさかいるなんて信じられない。

日本代表とまでになるような人が、そんなブログを書いたことによって練習をさぼっていた、とか浮き足だっていた、なんて言われる筋合いはないと思います。

そんなに日本中、人心はささくれだってんのかしら?

そういう人はオーラソーマでボトル選んで、ちょっと内観してみてちょうだい、とおススメしたいわ。

ついおとといにはドラフト会議で、我が阪神タイガースは大阪桐蔭の藤浪くんを獲得することができました!(これで12年にわたるドラフト貧乏から抜け出せた、と阪神ファンは皆喜んでおります。)

これは4球団の競合となったわけですが、和田監督が見事に交渉権利のクジを引き当てました。

これに対して各社マスコミは一様にこう言いました。

「和田監督の今季いちばんの良い仕事ですね。」って・・・

気の毒に・・

このケンのある言い方!(・・・しかし、事実かもしれない。座布団1枚!と言いたい気持ちも、いなめない・・)


かくいう私も言葉には敏感なほうで、他人の言葉尻をとらえたくなるようなときがよくあります。

実際に捉えちゃうことが多いのは圧倒的に母親に対してです。

ダーリンに対しては比較的寛容になれるんですけどねぇ。

もともとあまりに性格は違う、と思っているからそんな小さな言葉尻とらえるより、大枠のところよしならそれでいいじゃん、と思えるんです。

でも母親に対しては「私を産んでおいて、わたしと言う人間と何十年も付き合ってきて、まだわからんのかぁ!」と言いたくなってしまうんですよね・・

気をつけよう、っと。









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"自分”は”自分”を巧妙にだます

2012-10-27 09:09:00 | 身辺雑事

友人が付き合っている男の人のことを「どう思う?」と聞いてきました。

私はその男性には1度、それも短い時間会ったことがあるだけですが、友人には正直な感想を言いました。

「いい人だけれど、あなたの今後の一生を預ける人ではないと思う。」と。

友人も長いつきあいなので、耳障りの良い言葉を羅列してほしいだけではない、ということがわかっていましたから。

友人は1度離婚していて、今度結婚するなら、あるいは結婚しないにしてもパートナーとして一緒に暮らすなりするなら、もう後はただ安らかにいてほしいと私は願っています。

まぁこれが若いふたりであれば、波乱万丈かもしれないけれどそれでもあなたたちふたりなら乗り越えて行けると思うからがんばってみてちょ、と言いたくなる場合もあるかもしれませんけれど、人生半分以上過ぎた年齢ならあとは安らかに、と願いたいではありませんか。


でも、自分で“安らかでいてほしいから”“そのためには、あなたを安らかでいさせてくれる人ではないと思ったから”とその友人に言ってから、ふと私は「ほんとにそうかな?」と首を傾げました。

相手の男性が私の友人を安らかにしてくれないのか?

ひょっとしたらその友人がその男性を安らかでいさせないのでは?

どっちなんだろう・・と思ったのです。

1度離婚してから、彼女は「もう結婚はこりごり。」と言っていました。

パートナーはいたほうがいいけれど、結婚というかたちにはとらわれない。

自由に付き合っていくだけでいい、というようなことを言っていました。

けれど、本当にそうなんだろうか?

ひょっとしたら彼女は「結婚がしたい」のではないだろうか?

私は自分がそうだったから、ふと彼女ももしかしたら・・と思ったのです。

私は、何度かこのブログにも書いたことがありますが、自分のことを「結婚したがらない女」だと思っていました。

その1番の理由は「全然子どもを産みたいと思わないし、育てたいとも思わなかったから。」です。

子どもがいれば、やっぱり今の日本、まだまだ正式に婚姻している男女のもとのこどもの方が法律の保護をいっぱい受けられる。

けれど、子どもがいらないなら、何も結婚という制度にこだわる必要はないのでは、と思っていました。


けれど、ダーリンと出会い、何やらあれよあれよという間に結婚することになってしまったわけですが、結婚してから私は、「あぁ、私って結婚したかったんだな。」ということに気付いたんです。

それは決しておいしいとこだけ取りたいわけではなくて、責任も含めて私は背負いたかったんだなぁ、ということであったり、「結婚指輪をいつもしていたい。」と言う男なんて気持ち悪いなんて思っていたのに、実際にダーリンがそう言うとなんだかほほえましいような気になったりというしょーもない部分であったりしましたが、とにかく私は自分が結婚したかったんだ、ということをしてみた後からではありましたが、素直に認めることができました。

しかし認めることができた後になってみて思いました。

実に私と言う人間は巧妙に自分自身をだましていたものだなぁ、と。

無理していた、とか自分に嘘をついていた、とかいう意識なぞないものですから、そりゃあなかなか気付きませんわな。

だから彼女も、1度離婚をして、ひょっとしたら離婚をした自分を正当化するためにどこかで「もう結婚生活なんてこりごりだ、と思おう。」と自分をだましているようなことはないんだろうか、とふと思ったんです。

もし、これが当たっているとしても、それは“本当の彼女”に聞いてみないことには「YES」とは言わないはずですから、簡単には本当なのかどうなのかわかりません。

彼女も自分自身を巧妙にだましている可能性もあるわけですからね。

でも、もし当たっているとしたら・・・


お互いを尊重し、付き合っている男女がお互いに対する気持ちの部分では何の問題もないのに、どちらか片方が「これから先、どうなっても結婚はしたくはない。」というのは、ある意味不自然です。

その理由がお互いきちんと確認できていないとどこまで踏み込んでいいのかわからない、という根無し草のような付き合いが続く、ということになります。

「1度離婚しているから。」というだけでは、その「から・・」のあとに続く言葉を聞いてみないことには相手にはほんとうの理由はわからないことでしょう。

「1度離婚しているから、もう1度結婚してもまたどこかで破綻してしまうのではないか、と臆病になっているの。」ということであれば、そう言われた相手としては、その気持ちはわかるけれど、そんなことはない、大丈夫だよ、お互いフォローしあっていこうよ、とプッシュすればいいでしょうが、「1度離婚しているから。」に続く言葉が、「だから、もう結婚なんてこりごり。あんな制度にとらわれないでもっと自由に男と女でいることを楽しみたいわ。」という意味だとしたら、これはいわば永遠に恋愛という状態を楽しみたい、非日常感だけを味わいたい、と言っているということでしょう?

非日常ということにはワクワクする要素もありますが、非日常がたびたびや毎日であれば疲れてしまいます。


私は「あの男性は、あなたを安らかにはさせてくれないと思う。」と言ったけれど、男性にしてみれば「俺こそ安らかじゃないよ。」ということなのかもしれません。

付き合っている女性が、愛してくれているみたいだけれど、結婚はしたくなさそうだ。あるいは実際にごめんだ、と言っている。

ならば・・と非日常感にあふれた付き合いだけを求められているのか、と決め込んでいるのかもしれません。

その感覚がまたはねかえって女性のほうにも受け取れるから、そんな彼女を見ていて、私は「あの人はあなたをくつろぐようにはしてくれない人だと思うよ。」と言うことになったのかもしれません。


もし、私の憶測が当たっているとすれば、このままでは彼女はどんな人と付き合ったって「私を癒してはくれない。くつろがせてはくれない。安らかにはしてくれない。」と言い続けることになってしまうと思います。

それは実は彼女から発信しているシグナルなんですからね。

でもそうだとしたら、こればかりは彼女自身が気付いてくれないことにはどうしようもないんですよね。

彼女が自分から「私はこれから付き合う人とは、ちゃんと結婚したいと思っているの。」というシグナルを発信しないことには男性もどう受け取っていいかわからなくなってしまうでしょう。

何も婚活の色合いを濃くしろ、と言うわけではありませんが、できるだけシンプルなシグナルを発したほうが人間関係もうまくいきますよね。

「結婚したい」ならそれに向けた関係にする、「したくない」ならないでもかまいませんが、なぜしたくないのかという理由を、正直に話してちゃんとお互い確認しあって、納得しあって、2人にとってのベストな状況をつくる。

まぁ、あわよくば、私のこんな勝手な推理が間違っていることを祈りましょうか。





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