ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

刑期満期修了者のための勉強会

2019-09-21 09:01:46 | テレビ番組
<neW !>

   「太陽の自分エクササイズ ~自己受容ヴァージョン~」
                          リリース!  
   「自己受容」「自己表現」を網羅した、「This is Meと言える自分になる」 太陽の自分エクササイズ。
   それに対して、こちらの「自己受容ヴァージョン」は自己受容に特化した凝縮版です。

   今だけの特典あり!
   是非こちらをご覧下さい。

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<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中!  参加費:¥15000(税込)
      ※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

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先日、テレビで刑務所で刑期を勤め終えようとする人には、社会に対応できるようにするための勉強会が行われるのだ、ということをやっていました。
たとえば、10年とか20年とかあまりに刑期が長い人だとスマホとかICカードの存在を知りません。
だから現物を見せながら、
「これはこういうものだよ。こういうときに使うんだよ」
と教えたりするのです。
スイカを見せながら、
「この中にはICチップが埋め込まれていて、改札でこれを通せばいいんです」
という説明には、
「じゃあ、このカードがお金ってことですか!」
と素っ頓狂な声があがっていました。
彼らがカードさえ存在しない仮想通貨の存在を知ったら、もっと目を丸くするでしょうねぇ・・。



このように現実的に浦島太郎になってしまった情報を補う、という講座もあれば、人間性を養うための講座もありました。
刑務官ではなく、外部講師でしたが、こんな授業をされた方がいらっしゃいました。
「朝の8時半、出勤ラッシュでどよめく駅であなたも電車に乗ろうと列に並んでいます。そのとき、あなたの後ろにはベビーカーを押すお母さんが並びました。
この人についてあなたはどう思いますか?」
この問い掛けに、出所まじかの人たちは異口同音に、
「邪魔だなぁ、って思います」
「俺の列じゃなくて、どっかほかへ行ってくれよ、って思います。できるだけかかわりたくない」
と言いました。



この答えに私はびっくりしました。
これが彼らの本音かもしれません。
しかし、曲りなりにもテレビの撮影クルーが入っていることは知っているでしょうから、もっとお行儀の良い答えとか、いかにも人の好さそうな感じの良いことを言おうとは思わないのか、と。
いや、それを意識してでもこれなのか、と。
そりゃまさかここでこんな本音を言ったからといって、刑期満了が延びるとかはありえないでしょう。
それにしても・・・。
彼らの答えはまったく自分本位でした。
「あなたはどう思いますか?」と聞かれて、そのまま思ったことを口にしただけ、それの何が悪い? という開き直っている様子にも受け取れるほどでした。
こういう人間性の人たちだったからこそ、犯罪をおかしてしまったのか、とちょっとゾッとするほどでした。



すると次に講師はこう問いかけました。
「朝の出勤ラッシュの8時半、と言いましたね。こういう時間帯にこのベビーカーのお母さんはどうしてこの電車に乗ろうとしているのでしょう? それを想像してみてください」
すると色んな推理が飛び出しました。
「タクシーは使えないんだ。この人は貧しいんだ」
「どこへ行くのかはわからないけれど、この人は手伝ってくれる旦那さんとか家族がいないんだ。だからきっと全部自分ひとりでやらなくちゃいけないんだ」
「子どもが熱を出しちゃって、隣町の病院へ連れて行かなくちゃいけないんだ。一刻も早く連れて行きたいから、満員電車でも我慢して並んでるんだ」
そして総合して、彼らは彼女を
「気の毒な人なんだ」
と定義づけたようです。
そして講師が、
「もう1度同じことを聞きます。この女の人が自分の列に並んだらどう思いますか?」
と尋ねました。
すると今度は、
「この人を守ってあげなくちゃいけない、と思った」
「先に電車に乗せてあげたい、と思った」
など好意的な意見がバンバン飛び出しました。



これには私はひどく考えさせられました。
人間ってたいていは自分がスタンダード、標準って思っているところがあるでしょう。
だから自分が気付いていること、思っていることはたいてい人も気付いているはず、って思うんですよね。
で、気付いているにもかかわらずそういう行動しかとれないんだ、と思うから自分とは違う行動をとる人を恐いと思ったり排除しようとしたりするんですよね。
この場合だと私なら、自分が乗ろうと思っている電車の列にベビーカーの女の人がいて、その人のことを(ちっ! あっちへいけよ)みたいなうっとおしそうな目つきで眺める男性がいたら、それだけでその人と自分は別の人種と思ってしまいそうですね。(この場合、ベビーカーを電車に持ち込むことの是非はまた別問題として)
そしてその男性が「あっちへいけよ」という目つきをするのは、この女性がどんなに大変な立場にいるのかをわかったうえで、それでもただうっとおしい存在だとしか見なさないんだな、と思ってしまいます。
この女性の背景にはまったく思いを寄せないからそう思うだけで、よぉくその辺を想像力を巡らせたらこの男性もいい人なのかもしれない、とは思いません。
だって、ベビーカーの女の人の背景程度については誰だって一瞬のうちに想像を巡らせるのが当たり前だろうと思ってしまっているから。



それからもう1つ。
この満期予定者に対する講座は「人の気持ちがわかる人間になろう」というテーマだったらしいのですが、彼らは最初はこの女性のことをあっちへいけよ、ぐらいにしか思わなかったのが、この女性はひょっとしたら可哀想な人なのかもしれない、と想像を巡らせることによって親切にしてあげたい、という気持ちが芽生えました。
しかし、現実はそんなことばかりではありません。
このベビーカーの女性はタクシーを選択しようと思えばできるだけの財力の持ち主だったかもしれません。
たまたま幼子を連れて混んだ電車に乗ることもたいしたことじゃない、と思っていたから乗っただけかもしれません。
「自分の境遇より可哀想な人だから親切にしてあげたくなった」気持ちは、実は彼女のほうが自分よりよほど恵まれた境遇である、とわかったとたんに失せてしまいはしないだろうか。
いや、失せるだけのみならず、親切にしてあげようとした気持ちを裏切られたような気持になってカッと頭に血が上るんではないだろうか・・
自分より可哀そうな境遇だから親切にしてあげる、という教えや気付きでいいんだろうか・・
いやぁ、しかし、10年も20年もただただひたすら毎日規律と統制の中に居て、最後の数日のそのほんの数時間でこういうことを教えようとしても、土台無理があるのではないだろうか・・
刑務所というところの努め方を考えさせられました。



なんだか、切ない・・

2019-06-23 09:01:22 | テレビ番組
<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   満席御礼
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
日時: 7/13(土)   13:00~16:30
参加費:¥15000(税込)
[内容]
 ・色が治療として使われてきた歴史と実際
 ・3原色のメッセージ
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

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「カラー&カード会」  えつこ&YUMI
      場所:名古屋市 紹介制会員サロン「GRACE」にて
  自分の持っている最高の可能性は、それを使命とする場合も多いことです。
  自分の可能性に気付き、そしてそれをブロックしている今のテーマに気付くことによって
  あなたの可能性はより広げるでしょう。
 10:00~13:00(※その後、フルーツパーティのランチ付。解散は14:30) 満席御礼
7/11(木)                                       
「オルゴナイトFESTA」 えつこ&RUBBY
            場所:京都市伏見区 サロン「RUBBY」にて
  オルゴナイトって何? 何も知らなくてかまいません。
  ただ、綺麗なものが大好き、波動とか不思議な話も大好き、って方、歓迎いたします。
  自分が、今の自分を取り巻いている運勢についてもお伝えいたします。
6/30(日) 11:00~17:00予定(ランチ付) ¥9000 
満席御礼。追加席設けました。残席2名様募集中chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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 オルゴナイトセラピー モニター様募集!

 
 4/25(木)~  初回1回に限り

   オルゴナイトを使った「オルゴナイトセラピー」をリリースします。
   それに先立ちまして、モニター様を募集いたします。
   詳しくはこちらをご覧ください。  
     ↓
    https://peraichi.com/landing_pages/view/w51w1
   
   レギュラーリリースにあたって  1セッション(60分予定)・・・・¥11000
          を、
                   1セッション(60分予定)・・・・¥ 3000
           にてご提供いたします!

   「オルゴナイトセラピー」でわかることは、

      *あなたを取り巻く今の状態(仕事、恋愛、人間関係etc.などの現状がどうなっているか)
      *あなたの将来は?
      *自分の潜在的可能性のチェック

              などです。

   <お申込み・お問い合わせは>

         chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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先日、夕飯を食べながら、徳光和夫さんとマツコ・デラックスさんが路線バスを乗り継いで旅をする、という番組をぼーっと見ていました。
マツコと言えば、スタジオでロングドレス姿しか見たことがないので、「歩くんだ・・」というマツコを見てみたかった、というのもあります。(へんな言い方ですが、ぬいぐるみの熊がほんとに歩くんだ・・!みたいな感じ)



番組はこういう旅番組がなんの毒にも薬にもならない感じで粛々と終盤を迎えるお決まりのなかで、マツコとゲストだったミッツ・マングローブさんが、「次の仕事が入っているのでここでお別れです」と小岩のバス停付近で去っていく、ということになりました。
すると「じゃあ、ここで」とくるりと踵をかえしたマツコとミッツが、突然、
「夜ごと~ つのる思いに~ 胸を熱くした日々~♪」
という竹内まりあさんの「もう1度」という曲を歌い始めたんです。
ふたりの歌声は打ち合わせたかのようにハモり(いや、ほんとに打ち合わせしてあったのかもしれませんが)、小岩の夜の街に消えていきました・・
その瞬間、私にはこれまでの二人の人生、これからの二人の生き方が透けて見えたかのような気分になりなんだかとてつもなく切なくなりました。



いや、ほんとに今や世の中で1番の有名人と言っても過言ではないであろうマツコさんがそのまま歩いて次の現場に向かう、とかありえないです。
だからくるりと背を向け、歩きながら夜の街に去っていく、というのはこれは演出です。
けれど、突然「もう1度」を歌いだして、それに乗っかってミッツさんも一緒に歌いだし、ハモっていたのは演出ではないような気がしました。
ふたりは私生活でも仲が良いようです。
テレビに出るような生活ではなく、新宿2丁目の「おかまバー」に居た頃からの仲良しだということでした。
この「路線バスの旅」でも、マツコは、
「ミッツとは、誰かのただ、寝転んで酒を飲む、ってだけのパーティで知り合ったのよ。そのときお互いに印象は良くなかったんだけど、私が、ふざけて『こちら衛星放送です』ってやったときに、彼女だけが衛星放送なんだから声が遅れてやってくる(いっこく堂さんの腹話術の芸みたいな感じだと思います)わよね、って受けてくれたのが、あ、この子はわかってるわ、気が合いそうだわ、って思ってからの付き合いなの」
っておっしゃってましたし。



そんなふたりが、もし打ち合わせでなく、どちらかが本当に突然「もう1度」を歌いだしたとき、合わせてハモったんだとしたら
「歴史感じるわ~」
と思ったのでした。
きっとふたりは「おかまバー」に居た時、どちらかがふいに振った話題をどう受けるのが今は正しいのか、1番受けるのか、を常に神経張り巡らせて研究していたことでしょう。
「もう1度」はその頃からのふたりのオハコなのかもしれません。
こう言やああ言う、みたいな暗黙の了解がふたりにはあるのでしょう。
それは楽しそうだな、と思った反面、彼女たちは、
「私たちは今ちょっともてはやされてテレビにも出ているけれど、こんなことが死ぬまで続くわけじゃないってことはよぉくわかってるのよ。年老いたオカマほどつぶしの効かない存在なんてない、ってこともじゅうじゅう承知してる。
その時が来たら、私たちはテレビの画面から去り、誰ももう相手もしてくれない。
世間なんてそんなものだ、ってわかってる。
だけどそれでいいのよ。そんなものでしょ、人生って。ケ・セラ・セラ。
その時まで私たちはただ楽しくやるだけ。別に自分のことをみじめな存在だなぁって卑下しているわけでもなければ、今、おごり高ぶっているわけでもない。
自分の立ち位置はちゃあ~んとわかってますよ」
と言っているような気がしたのです。
そういう知性ってなぜかテレビ画面を通しても伝わってきますよね。



確か、マツコさんってテレビに出始めた当初から自分のことをただの「女装家」だ、って言ってた気がする・・
でも、たぶん、今や世間の人はそんなことも忘れて「オカマの代表」みたいにきっと思ってますよね。
そして実際、もしマツコさんがオフの時に、野球帽かぶってトレーナーにジーンズというスタイルで女の人と肩くんで歩いてたら「ショック」っていう人が現れるんじゃないでしょうか。
「女装家」なだけだ、って言ってたじゃないか、別に男が好きなわけじゃないんだから、と言っても人はマツコと言えば、あのクロネコヤマトの宅急便のCMのように、家でもスタジオと同じようにロングドレス着てて、好きになるのは女性ではなくて男性、か、そもそもそんなことには全く興味がない、って存在じゃないと「騙された」ような感覚をおぼえる人って結構いるんじゃないのかなぁ。
だから、事務所だかプロダクションだか知りませんが、マツコの私生活についてはきっと上手に箝口令をしいていることでしょう。
そしてマツコさんもおとなしくそれに従っていることでしょう。
いくら自分の本当の姿とは違うものをテレビでは売りにしているからと言って、もともと“自分の本当の姿”ってなんなんだ?
それから逃げて来て私はこういう商売をし始めたんじゃないのか? とか。
いったんこういう世界へ足を踏み込んで生きていく、って決めたなら、老後はふつうの人より寂しいものになるに違いないんだから、今のうちにせいぜい貯めておかなくちゃ、とか。
でもただガッチリっていうのも自分のイメージとは違うし、芸風もそれで変わってきちゃったらイヤだから、私の戻るべきところ、居るべき場所はテレビじゃなくていつでも新宿2丁目なんだ、ってことを覚えておこう、とか。
なんかそんなものすべてが透けて見えたような気がしたんですよね。
私の先走りすぎる妄想癖がなしたわざかもしれませんけれど。



でも、「オカマ」と呼ばれる人たちが芸能人にも増えてカミングアウトする人が増えて、市民権を得た、と思うのは甘い想像かもしれません。(「オカマ」っていうとなんか馬鹿にしたようなニュアンスがありますよね。でも「ゲイ」っていうと、それこそクイーンのフレディの後半のように、ひげを生やして黒のレジャージャケットに肉体を誇示するような人ってイメージだけがありますね。オカマとゲイの違いは同性者のカップルのどちらかが本当の性を偽って男女のカップルかのように見えるようにしているか、同性同士の恰好のままか、だけで言い分けているような気がしますが、ま、私の認識はそんな程度のものです)
相変わらず彼らが生きる場所は、ほんとうに小さな世界の中でだけのような気もするし、一歩、売れているわけではない芸能界の外へ出たら差別的な眼がまだまだあるのでは、という気もします。
いずれにせよ、「アウトロー」(世間の大筋からのはみ出し者、という意味で使ってます)だ、と思う人は幸いです。
あなたも何らかのジャンルでは自分がアウトローだ、と感じて生きているかもしれません。
でもそれは、少なくともそうではない人よりそのことをずっとずっと多く考えてきた時間があるはずで、その時間は宝物に違いない、と思うから。





誰もが人生の冒険家

2019-06-11 09:01:25 | テレビ番組
<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   残席 1名様
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
日時: 7/13(土)   13:00~16:30
参加費:¥15000(税込)
[内容]
 ・色が治療として使われてきた歴史と実際
 ・3原色のメッセージ
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

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「カラー&カード会」  えつこ&YUMI
      場所:名古屋市 紹介制会員サロン「GRACE」にて
  自分の持っている最高の可能性は、それを使命とする場合も多いことです。
  自分の可能性に気付き、そしてそれをブロックしている今のテーマに気付くことによって
  あなたの可能性はより広げるでしょう。
6/19(水) 10:00~13:00(※その後、フルーツパーティのランチ付。解散は14:30) 満席御礼
7/11(木)          同上                              満席御礼

「オルゴナイトFESTA」 えつこ&RUBBY
            場所:京都市伏見区 サロン「RUBBY」にて
  オルゴナイトって何? 何も知らなくてかまいません。
  ただ、綺麗なものが大好き、波動とか不思議な話も大好き、って方、歓迎いたします。
  自分が、今の自分を取り巻いている運勢についてもお伝えいたします。
6/30(日) 11:00~17:00予定(ランチ付) ¥9000 
お席あります。chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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 オルゴナイトセラピー モニター様募集!

 
 4/25(木)~  初回1回に限り

   オルゴナイトを使った「オルゴナイトセラピー」をリリースします。
   それに先立ちまして、モニター様を募集いたします。
   詳しくはこちらをご覧ください。  
     ↓
    https://peraichi.com/landing_pages/view/w51w1
   
   レギュラーリリースにあたって  1セッション(60分予定)・・・・¥11000
          を、
                   1セッション(60分予定)・・・・¥ 3000
           にてご提供いたします!

   「オルゴナイトセラピー」でわかることは、

      *あなたを取り巻く今の状態(仕事、恋愛、人間関係etc.などの現状がどうなっているか)
      *あなたの将来は?
      *自分の潜在的可能性のチェック

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   <お申込み・お問い合わせは>

         chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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すでに今年明けてからすぐのニュースでしたが、南極点に徒歩1人で到達した阿部さんという冒険家の方の特集をテレビで見ました。
南極点に到達するにはいろんなルートがあって(それさえ知らなかった)、そのなかでも最難関と言われる「メスナールート」と呼ばれる挑戦によるもの(ますます知らん)で、これは日本人として初の快挙だそうです。



今まで知らなかった「へぇ~!」がいっぱい聞けて面白かったです。
例えば、インタビュアーが
「南極点に向かう冒険の途中では、どんな食事をされていたんですか?」
と尋ねました。
ふんふん、聞いてみたい、聞いてみたい。
するとそれはほとんどが「油」にまみれたものでした。
なにしろ、運動量と極寒による体力消耗で1日6000kcalは最低摂らなくてはいけないそうなんです。
それでも55日間の冒険によって阿部さんは5kg痩せた、とおっしゃっていました。
さて、6000kcalの食事というのがどんなものかというと、1日2箱のバター。はぁっ・・!?
オートミールに、バター半箱分ばかりをどんと入れ、そこにお湯を注いで食べる・・。
ほとんどバターの味しかしないそうです。
そりゃそうでしょうね・・
市販の板チョコを一度湯煎にかけ、そこにサラダ油をペットボトル1本ぶんほどドバドバ~ッと入れ、そしてもう1度固める。うえっ・・。
こちらはクリーミーなチョコの味がするそうです。(阿部さん、今度からせめてアマニ油とかにして。サラダ油じゃなくて、と思うのは、JORAのセミナーを受けた効果? でしょうか・・)



とにかく、いかにカロリー摂取するかしか考えられないんですね、南極探検のための食事って。
食事っていうより、もう単に機械に油さすような感じかしら。
阿部さんも食事は楽しみっていうより、もう苦行でしかない、っておっしゃってましたし。
しかし、ここまでカロリー優先でいいんでしょうか・・
栄養面はサプリとかでなんとかしてたのかしらん?
新鮮な野菜とかもたまにはとらないとビタミン不足で脚気とかの病気を発症してしまいそうに思うんですが・・。



それから、南極っていうと周りじゅう氷だらけですから、つい水分はいっぱいある、って思いがちですけれども、砂漠と同じくらいの乾燥状態だそうです。
だから水分補給も必須。
1日に5ℓ~6ℓは飲まないといけないそうです。
へぇ~! これも確かに意外。


そしてさらに「へぇ~!」は、よく吹雪でホワイトアウトになった、なんて話を耳にしますよね。
あれって、前が見えなくなるだけじゃないんですね。
自分自身の足もとも見えなくなる。
だから、自分が立っているのか、大地をちゃんと踏みしめているのかさえよくわからないので、頭が痛くなってきたり、気持ち悪くなってきたりするそうです。
そうか~
私は単にホワイトアウト状態になったら、なんとかその極寒を耐え抜き、あまり動かないほうがいい、とだけ思っていましたが、ただその場にいるだけでも身体は平衡感覚を失い、そんな風になるなんて・・。



私はま~~~ったく冒険には興味がありませんが(なにせ、小学校のときのはじめてのキャンプ体験で、1日でもお風呂に入れない、顔が洗えないことが耐えられなかった、という記憶しかない。そんなにきれい好きなのかよ、と言われると掃除は苦手なんですけれどね・・)、これを見ていてふと、
「誰もが自分自身の人生の冒険家なんだろうなぁ・・」
と思いました。
右も左もわからないなか、必死に手さぐりで前に進むしかない、ってところも似ているじゃないか。
そして自分なりの「南極点到達」というような目標を決め、それに向かって、達成感を求めて歩くところも一緒。
時に「冒険、冒険♪」とばかりあまり浮かれていると足もとすくわれたり、ヘタしたら死ぬかもしれないところも一緒。



でもね、どうせ「冒険」なら、自分の冒険をきわめて「あ~、楽しかった」と言って死にたいじゃないですか。
だったら思い切り、「冒険」しちゃったほうがいい、と思う。
それでも無茶しない限り、なんとか生きてはいける。
だって、私は冒険家と言われる人たちが、通常の人では到底いけないような南極とか北極とかアマゾンとかエベレストとかに行くためには、多大な費用が必要となる、ということはわかりますが、それがいったいいくらぐらい必要なのかと言われたら、皆目見当もつきません。
「南極」のベースキャンプに到達するだけでも、普通の観光客用のルートや手段では行けないでしょうから、もう想像以上の費用がかかるんだろうなぁ、と思うだけです。
そしてそんな費用を個人でひねりだすことは到底無理だから、スポンサー探しをしなくちゃいけないんでしょうけれども、アメリカンフットボールだの野球だの、その国の国民の大勢がファン、その試合をやっていればテレビにかじりついてでも見る、というものでない限り、そのスポンサーになって企業がどんな得があるのかもよくわからない。
そんな簡単にスポンサーって見つからないだろうなぁ、と思われる。
つまり、スポンサー探し能力のほうが、実際の冒険能力より必要とされるんじゃないかと思うほどにそれはタイヘンなことだろうなぁ、と思うわけです。
つまりね、何が言いたいかっていうと、
「俺はこういう生き方がしたいんだ。そのためにはこれだけの費用が必要なんだけどそれは俺1人ではまかなえないんだ。誰か僕を助けて」
って言えば、その趣旨に賛同すればなんとかお金って集まるものなんだね、ってこと。
すなわち、自分自身でお金を稼ぎ出すわけではない冒険家がなんとか生きていけるなら、たいていの人が自分の好きなことを人生でやる「冒険」ぐらいはなんとかなるんじゃないのか、って思ったんです。
「冒険」って言葉はいいね~
わけもなく少年時代のワクワク感が舞い戻ってくる気がします。
誰もが人生の冒険家。
それで生きていこう。



「金八先生」を振り返る

2019-05-03 09:01:53 | テレビ番組
    オルゴナイトセラピー モニター様募集!

    4/25(木)~  初回1回に限り

   オルゴナイトを使った「オルゴナイトセラピー」をリリースします。
   それに先立ちまして、モニター様を募集いたします。
   詳しくはこちらをご覧ください。  
     ↓
    https://peraichi.com/landing_pages/view/w51w1
   
   レギュラーリリースにあたって  1セッション(60分予定)・・・・¥11000
          を、
                   1セッション(60分予定)・・・・¥ 3000
           にてご提供いたします!

   「オルゴナイトセラピー」でわかることは、

      *あなたを取り巻く今の状態(仕事、恋愛、人間関係etc.などの現状がどうなっているか)
      *あなたの将来は?
      *自分の潜在的可能性のチェック

              などです。

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         chakra@aura-soma.name 坪内恵津子まで


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4月末のことです。(平成のことです、なんて言うとものすごく前のことみたいですけれど数日前、とか4月末のことなんですよねぇ・・)
「昭和を振り返る」というコーナーで、「金八先生」を取り上げていた番組がありました。
たまたま昨日は、「次代を担う子供たちのために!」という合言葉が日本になくなったがためにみんなの心がひとつになりにくい、ということを書いたところだったので、タイムリーかな、と思い、今日はこの話題を取り上げます。
「昭和」の時代にはとてつもないオバケ番組というものが時々ありました。
視聴率30%越えとかね。
しかし、平成~令和に移るいま、そこまでのオバケ番組ってありえませんよね。
これはテレビというツールがもう娯楽の筆頭であった時代でないから、ということもありましょうが、それも含めて、やはり現代のほうがみんなの心がひとつになりにくい、ということも言えるなぁ、と思いました。



「3年B組金八先生」は、1979年~2011年に渡って放送された人気ドラマです。
多感な中学生たちを主人公にしているわけですが、当時でもこのドラマが話題になっていたことは知っていましたが、私はもうそんな年齢ではなく成人していましたので、
「そんな子どもの番組、見てられっかい」
と言う意識でした。
ですので、この人気ドラマ、まったく見ておりません。
見ておりませんから、まぁ、語る資格もないのでしょうが、改めて「昭和を振り返る」というテーマで断片的ながらでもこのドラマの有名なシーンを番組で取り上げているのを見ていて、いくつか思ったことはあります。



1番思ったのは、
「後から生まれた人間の方が大変だなぁ」
ということでした。
これは逆に言えば、金八先生のなかで取り上げられていた問題が、今から振り返ってみるとごくシンプルなことのように見えるからです。
『15歳で妊娠する』
これは今でもスキャンダラスには違いありませんが、当時のように「当然堕ろすべきだ」という冷たい世間の目からは、「当然本人の意志と胎児の命を考えるべきだ」に変わってきていると思います。
『校内暴力』
今は陰湿なイジメの方が多いと思われますが、当時はまさに身体を使った暴力でした。
だからそんなことはいけないことに決まっているけれども、悪いことをした生徒を単に蠅のように追い払うことではなく、その生徒を決して見捨てず温かい目で見てやることによって彼の心の中心にある温かいものが呼応し、表に吹きだすのを待っていてやろう、という教育。
これについてはもはや即警察に通報されるだけ、というバカなことを生徒のほうがやらない時代だ、ということでケリがついてしまっているようにも思われます。
『陰湿なイジメ』
これは金八先生では、まさか、という優等生が実は1番の黒幕だった、そしてその生徒もまた心に深い闇を抱えていたのだった、という設定です。
これは今でも続いている問題でしょうけれども、このドラマのように首謀者の優等生の兄が引きこもりで両親がその存在を隠していたからこそ、この優等生はそんな闇を背負ったまま、自分ひとりではどうしようもなくてそのハケ口を求めていたのだ、というわかりやすい設定は現在ではそんじょそこいらにはなかなか転がっていない気がします。
むしろ三つ葉ばかりの中で四葉のクローバーを見つけるがごとき貴重な話だという気さえします。
いじめる方もいじめられる方も、「ごくごく普通の家庭だった」と言われることの方が多いように思うからです。



どうですか?
こうして並べてみるだけでも、ドラマ開始当時の約40年前と比べると、当時いかにも感じやすい年代の子どもたちの心をとらえた最新トレンドのドラマだと思われていたものが、いかにも幼稚くさく感じてしまうのは私だけでしょうか?
「世間の目を気にするより、本人の意志や何より命を大切にする、ということが最優先されるのが当たり前じゃないか」
なんてことは今なら幼稚園の子どもでもわかってるわ、ということだと思いますし、人の心は決してみかんのように腐ったら終わりなのではなく温かい心を持っているものだと信じるのも当たり前っちゃ当たり前の結論だと思いますし、人は悪人と善人に分かれるのではなく誰の心の中にも悪と善があるのだ、ということも今じゃ手垢のついたテーマっちゃテーマです。
後から後から、時代が先へ進めば進むほど、目に見えて起こる事象は複雑化してきますし、いろんなことが絡み合ってきますし、一筋縄ではいきません。
そういう意味で、私は
「後から生まれた人間のほうが大変だなぁ」
と思った、と書きました。



これを少し変えた言い方で、
「後から生まれてきた人間の方が確実に賢いなぁ」
というものがあります。
実は私もずっとそう思ってきました。
小学生の教科書なんて見せてもらうと、
「なに、これ!? 私たちの時代に小学校でこんな難しいこと教えてもらったっけ?」
と思うことが多々あった、ということからもそう思ってきました。
しかし、今は少し違う考え方を持っています。
これこそ、「成熟した集団無意識に飲まれて、個人の意識までもがそれに染められ、そのほうが常識となった結果」ではないか、と。
そして次代に生まれてくる子どもたちは、生まれたときからすでにその集団無意識を飲み込んで生まれてきますから、その時代までに成熟した“常識”というものがわかっているのだ、と。
だから、古いドラマを見ても「なに、これ? こんなものが当時はウケたの? バッカみたい」って思うんだろうなぁ、って。
私は古い人間なので、なんだかんだ言っても金八先生のセリフには感動しちゃうところがありますけれどね。



そんな私でも、あまりに浪花節的な「昭和」はちょっといただけません、と思うこともあります。
金八先生を演じた武田鉄也さんがおっしゃっていたのですが、
「生徒たちは、生徒を演じるというよりは本気でその生徒になりきっている。だから、先生役のボクがセリフをトチっちゃったりするとすっと冷めちゃうっていうか、すごくバカにしたような顔をするんです。だから金八先生では、とにかくトチれなかった。もしセリフと違うことを言っちゃったときでも、絶対にカメラを止めさせないように、自分でその場に似合った、金八先生ならこう言うだろうなぁというセリフを考えてとにかくしゃべっちゃうんです。それで乗り切ってきた」
と。
これは昭和だ、浪花節だ、ということ以前に“演じる”ということをどうとらえるか、という問題かもしれませんが、私は“演じる”を、その役になりきるということはセリフをとちらないこと、とは思っていないし、役者に勝手にセリフを変えられた脚本家や監督の立場の方を考えてしまったので、この武田さんの考えには同意できませんでした。



しかし、いずれにしても昭和の時代は学校で、
「ねぇねぇ、見た? 昨日の○○」
というように全員が知っているようなモンスター的なオバケ番組が存在し、そういう番組が日常的に人々の口の端にのぼることによって集団無意識により、みんながひとつになっていった時代だったんだなぁ、と思います。







国民の心がひとつになることがない時代

2019-05-02 09:01:22 | テレビ番組
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新元号元年「令和」誕生で、連日おめでとう!ムードのなか、いきなり暗いタイトルですみません。
1週間ほど前のことですが「奇跡体験! アンビリーバボー」を見ていたら、少年向けの科学雑誌をいかに発行部数を増やすかに苦慮した企業戦士たちの話をやっていました。
話はまるで今はやりの池井戸潤さんがなぜこれを題材にしないか、というような胸のすくものです。(いや、しないよね・・ 銀行とか全然関係してこないし)
出版社の名前は「学習研究社」。
通称「学研」です。
雑誌の名前はたしか「かがくとがくしゅう」だったと記憶しているんですが、さだかではありません。
私もダーリンも、この月刊誌の付録が楽しみで、毎月買っていたので、思わず、
「懐かしい!」
と見入ってしまいました。
「あぁ、この付録、あった、あった!」とか
「これは楽しかったよね」「これはチャチかったね、つまらなかった」
などと言い合いながら。



今からおよそ60年前の当時、科学雑誌はお堅い編集で、編集に寄与してもらっている学識者の意見を取り入れながら作るそれは、まるで教科書に対しての参考書、というような風体でした。
しかし、新しくやってきた編集長はそんなものでは子どもたちが喜んで読んでくれるわけがない! と一大改革を決心します。
しかし、部下たちはついてきません。
部下たちもまた、辞書のようなお堅い出版物をつくるのが好きでこの会社に入ってきた、という人たちばかりだったのです。
それでも編集長は孤軍奮闘します。
「もっとマンガとかイラストを入れても構わないんだぞ!」
「ただたくさんの種類を羅列して載せたってかえって読まれない。1つずつ、キャッチ―なフレーズとともに紹介していくんだ」



しかし、それでもその雑誌は売れませんでした。
そんなとき編集長は「これだ!」というものを思いつきます。
それが当時では画期的だった、「付録付雑誌」だったのです。
これが大当たりで追加注文に次ぐ、追加。
この科学雑誌は2010年にその役目を終えるまで子どもたちに夢と希望を与えましたとさ、というお話です。



この話のなかに感動ポイントはいくつもありました。
サラリーマンで社内でさえ賛成者がいないなかで自分がこうと決めたことは貫く情熱。
そりゃ当たり前のこれまでやってきたことを踏襲しているだけのほうがラクですし、給料変わるわけじゃありませんから、わざわざ自ら苦労を買って出たり、社内で反感買う必要はないわけです。
最初の関門はコストでした。
雑誌そのものの値段をあげずに、どうやって豪華な付録の値段をひねり出せるのか・・?
ヒントは駄菓子屋でした。
確かに駄菓子屋にはお菓子に限らず、子どもたちがそのあたりの路地で遊ぶためのおもちゃなど魅力的なものがいっぱいありました。
今から思えばまさに“子供だまし”とはこういうものか、というつくりはちゃちなものでしたが、子どもがその遊びに厭きる速度とそのおもちゃのつくりがさほどもたずに壊れてしまう速度がちょうどピッタリと合っていたような気がします。
駄菓子屋に商品を卸している業者さんを何軒も紹介してもらい、なんとか付録の製品は予算内で収められるメドがつきました。



次は物流でした。
当時はモノを運ぶ、というのは鉄道がその役割を負っていて、今のようにトラックはありませんでした。(いや、トラックという車はありましたが、物流のために使われてはいませんでした)
そして国鉄に預けてモノを運んでもらう、というには厳しい規定がありました。
本だったら厚み何センチまで、とか。
ただでさえ学研は国鉄と何度も何度も交渉を重ね、ようやく自社の雑誌を取り扱ってもらえるようになったのに、またさらにそんな付録をつけた雑誌をOKしてくれなんて無理なお願いをして、国鉄の機嫌を損ねられたら(圧倒的に国鉄のほうが強い立場だったのですね。なにせ当時は国営ですからね)ヘタしたら、これまでの他の雑誌さえ取引中止になってしまうかもしれない、と学研の物流担当の役員は編集長を怒鳴りつけます。
しかしそのとき、編集長はこう言うのです。
「戦争ですべての希望を失った日本国民ですが、その負債を子どもたちにまで負わせていいんですか! これからの日本を作るのは子どもたちです。その子どもたちが宇宙飛行士になりたい、科学研究者になりたい、という夢の道筋を大人がつくってやらなくてどうするんですか!」と。(セリフそのものはこんなような意味のことを言った、という私の創作)
これに打たれた役員は、「よし、わかった! 全力をつくそう」と知恵を絞った結果、当時としては画期的だった「トラックを物流に使う」という方法を思いついたのでした。
こうしていくつもの社内での試練も乗り越え、付録付の雑誌は発刊にこぎつけ、そして全国の子どもたちに大ウケしたのでした。(そのひとり)



私が今回感動し、そして考えさせられたのはこの“子供たちのために”というフレーズです。
すべての人たちがこの大義名分を囁かれるとまるで魔法にかかったように「よっしゃ、わかった! そういうことならひと肌脱ごう」と言います。
最初は批判的だった部下たちも「3年ぶんのプランを明日の朝までにもってこい」と他部署から言われても「学習指導要綱を知っているのは俺たちだけなんだから」と力を合わせて踏ん張ります。
先述した物流担当の役員しかり、商品管理の役員しかり、社長しかり。
ただでさえ安い値段でたたかれている付録のための駄菓子屋の問屋さんたちも
「子どもたちのためならタダでもいいよ。そこにあるもの、全部もっていけ」
と太っ腹でした。



次代を担う子供たち、というのはいつの時代でも大切な存在には違いありませんが、敗戦を味わった今から60年ほど前のポスト・ウォーと言われた戦後まもない日本では特にそうだったのでしょう。
子どもそのものが日本国民の夢。
彼らに頑張ってもらわないことには、そして大人は彼らのための教育を大切にしないことにはもう日本はここから浮上できないかもしれない、という背水の陣のような気持ちになっていたのでしょう。
その気持ちがひとつになっていた。



当時の大人たちにそうして「教育ほど大切なものはない」と育てられた世代が今の私たちの世代です。
しかし残念ながら私個人のことでいえば、そんなにも教育が大切なものであった、と自覚はして育ちませんでした。
「教育」なんて、当たり前のようにそこにあるもの。
まさに子どもとしての「義務」として受けていただけで、ありがたい、とも何とも思っちゃいませんでした。
親に「これ、勉強に必要だから」と言えば、なんでも買ってもらえる道具、ぐらいにしか教育のことを思っていませんでした。
そしてそんな私たちが味わった高度成長時代とは、「多様化社会」でした。
「3高」(高身長、高学歴、高収入)ばかりが人生じゃないよ、大学出たって勤めたくなければ好きにしていればいいよ、というフリーターが溢れ、外国へ行って「なんでも見てやろう」という小田実の本がベストセラーになり、モラトリアムと言われる人々があらわれ、それが今の大人の発達障害や引きこもりなどに連綿とつながっていっているような気もします。
要は「いろいろな人がいていいよ。いろいろな人生の楽しみ方があってもいいよ」と言いながらも、他人と自分を比較することだけはやめないので、大方から自分がこぼれていくときにどうしようもない寂しさや不安だけは残ってしまう。
これでは「多様化社会」を楽しんでいるなんて言えたものじゃない。
「3高」がなにさ、とうそぶいていた自分を反省したって後の祭り。



そして「精神性」が大切だ、やれアセンションだ、魂だ、といったところで、結局、みんな、何を目指しているの?
何を目指していたって人それぞれでいいんだけれど、そもそも「何か」を目指しているの?
この問いに明快に答えられる人は意外に少ないんじゃないか、と思います。
日本中がそんな状態だから、そりゃこの当時のようにみんなが心を一つに合わせて、何かを成し遂げられるなんてことはないよね、と思ってしまいます。
じゃあ、と言ってよく登場するのが「英雄待望論」。
信長のように「こうなんだ! これでいいんじゃ! ワシの言ってることが正しいんじゃあ~!」という強烈なキャラクターを持った人物が出てくればいいのに、という論旨。
これも違うと思うんです。
そりゃ確かに強烈なリーダーシップを発揮する人間が出てくれば、その人の向かう先が本当に正しいのかどうかは別として、多くの人はその熱意に引きずられてしまうでしょう。(わかっていながら引きずられる、っていうのもこれまたある種快感だしね)
でも、自分が何を目指していいのかわからないから、どれ、ひとつこの人に乗っかってみてやろうか、というのは違うと思う。



日本中が壊滅か、というメにあって「復興しよう!」という気概が高まることほど国民がひとつにまとまることはないでしょう。
今でいったら、東日本大震災でしょうか・・
でも、それでさえ、大きな大きな災害だったとはいえ、どこか東北や関東以外の人間は他人事のようなところがあるような気がします。
それは現代のSNSの発達によってすぐに誰とでも「繋がれる」利点があるとともに、逆に「繋がらない」自由もあるからだ、と思います。
そもそも災害で人々の心がひとつになることが良い方法だ、とは決して言えませんけれどね・・(本末転倒だ、という意味で。人々の心がひとつになる方法がみんなが同様に傷つくことだ、なんてのはあまりにも寂しいことじゃありませんか)
ただ、この番組を見て私自身がこの雑誌のお世話になったから妙に感傷的になりすぎてるんじゃないのか、という気もしないではないですが、
「次代の子どもたちのために!」
という合言葉と同等レベルのものが現代にはないことが寂しいことだ、致命的なことだ、という気がしたのも事実です。