ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

愛着障害という現代病

2019-10-10 09:01:58 | 健康・病気
「東洋経済オンライン」にちょっとドキッとする記事が載っていたので、ここでもシェアさせていただきたいと思います。
記事はこちら→
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191009-00306661-toyo-soci&p=3



そもそもこの記事は精神科医・作家である岡田尊司氏の最新刊『死に至る病 あなたを蝕む愛着障害の脅威』からのもののようですが、どんな記事かと申しますと、現代では「愛着障害」という死に至る病があるというのです。
それは、特別な存在との絆である「愛着という仕組み」がうまく働かないと、生存にも、種の保存にも、重大な支障が生じるのだ、という。
全身傷だらけになりながら、自傷や自殺企図を繰り返すのも、稼いだ金の大半を、吐くための食品を買うためや、飲み代やホスト通いに費やすのも、物や金の管理ができず、捜し物と借金に追われ、混乱した人生に沈むのも、原因のよくわからない慢性の痛みや体の不調に苦しむのもこれらはみな元をたどれば同じで、生存と種の維持に困難を生じ、生きづらさと絶望をもたらし、慢性的に死の危険を増やす“生きる希望や意味を感じられない病”のことだ、というのです。
あぁ、これはいかにも現代病だな、こういう人多そうだな、と思い読み進め、ちょっとドキッとしました。



こういう人はたいてい
「私なんかいてもいなくても同じなんです」
という口ぐせがあるという。
彼らにとって最も大切な存在(たぶん、幼いときならたいてい親)が、彼らをあからさまに見捨てたか、かわいがっているふりをしていたとしても、本気では愛してくれなかった、という原体験を持っている。
自分のことをとても愛しているように見えるときでさえも、実は本当には愛せていない。本当には愛せない自分だから、理想の自分でないとダメだと思い、自分に完璧を求める。自信に満ちて見えても、それは、ありのままの自分を隠すための虚勢にすぎない。
これ、全部自分のことを言われているようでドキッとしたのです。



「私なんかいてもいなくても同じなんです」が私の場合、口ぐせではありません。
でもどこかで大方の人にとってはそうだろうな、と思っている。
もともと1番最初に勤めた会社をやめたのも、ある日突然、
「私のやっている業務なんて、別にいなくても回るようなことじゃないか」
と気付いてしまったからです。
実際、大きな会社になればなるほど、企画のアイデアを出す人間と費用対効果を考えたときにそれをやるのかやらないのか決定をくだせる経営のトップとあとはそれを実行に移す人間がいれば回るはずなのに、それらの間をつなぐようなパイプ役、ようは潤滑油のような役目が必要になってきます。
私はその潤滑油のような役目でしたから。
それで会社をやめ、自分でやることならば、当然のことながら私がいなければ困るわけだから、とそれ以降は少人数や1人でやることをしてきました。
でも、いつでも私の中にはどこか
「私のやっていることはほんとうに私がやらなければいけないことなんだろうか? いてもいなくても同じではないか」
という自問自答が続いているような気がします。



そして幼い頃の原体験といえば、妙に覚えているのが、私が寝るときに母にキスしたら、なんだか興がノッテきてしまって何度もキスしていたら母がうっとおしそうに
「もうやめてよ」
と拒絶したことです。
思えば、当時の母は夜は午前様まで働き、朝は早かったので、もう一刻も早く睡眠をとりたいばかりだったのでしょう。
だからこの一時をして「可愛がっているふりをして本気で愛してくれなかった」ということにはならないし、むしろその逆で、「あれほどの忙しさのなかでもよく面倒をみてくれたほうだ」と言ったほうがよいことはわかっているのですが、このときのなんでもない日常の一コマのようなことを今でも鮮明に覚えているのはやはり、幼い私がそのときは強烈に傷ついた、ということなのでしょう。



そして自分で自分を本当には愛せていないから、常に理想の自分であろうとし、そのためには出来る限り完璧にしようとする・・。



こう考えると病とまでは言わないにしても、誰でも彼でも、多かれ少なかれ経験があるようなことがたまたま重くのしかかってしまった人や、時期的に重なって多大なストレスとなってしまった人がこの「愛着障害」にまで発展するのかもしれません。
現代病の多くが言えるように、この病も、「どこからがホンモノの病か、どこまでが似ているけれどあなたはふつう」なのかが判別つきにくいなぁ、と思います。



そして私は次の言葉にハッとしました。
『 自己肯定感を持ちなさい、などと、いい年になった人たちに臆面もなく言う専門家がいる。が、それは、育ち盛りのときに栄養が足りずに大きくなれなかった人に、背を伸ばしなさいと言っているようなものだ。

 自己肯定感は、これまでの人生の結果であり、原因ではない。それを高めなさいなどと簡単に言うのは、本当に苦しんだことなどない人が、口先の理屈で言う言葉に思える。

 いちばん大切な人にさえ、自分を大切にしてもらえなかった人が、どうやって自分を大切に思えるのか。』



自己肯定感や自己受容は私自身が自分のテーマだと思って1番大切にしてきたことですし、実際に潜在意識や起業のセミナーに行ってもよく言われたことです。
そして確かにあまりに言われると、
「そんなに自己肯定できないってことはいけないことなのだ・・」
とかえって落ち込んでしまいます。
それは、
「自己肯定できないあなたってダメよ」
というストレートなものでなくても、自己肯定できている人をことさらに褒めている場面に出くわしても感じてしまうのです。
その反対に自分は責められているような気がして。
そして、もしそう感じている、ということを言おうものなら、
「ほら、あなたのそういうところがダメなのよ」
と指摘を受けるだけだし、実際そのとおりなのだろうから、と余計に口をつぐむ。
あるいは、自分も一緒になって、その人の自己肯定話を褒めたり、我が事のように喜ぼうとする。



ただ、最近私は以前よりは自己肯定できるようになった自分を確信しています。
この前も、友人とLINEでやりとりしていたら、私とはもともとまったくタイプの違う友人の言動に
「へぇ~、そんなふうに思えるなんてうらやましいことだなぁ」
と思いました。
でも、それだけなんです。
以前の私だったら、「うらやましい」の先に、
「この友人のように思えない、行動できない私はダメな人間だ」とか、
「いったいどうしたら彼女のようになれるんだろう」
とあくせくしたと思います。
でも今は、「しゃあないやん。これが私なんだもん」と思うだけで、自分が「いいかげん」(いいかげんは良い加減であるわけですけどね・・)が嫌いで、なるべくきっぱりと完璧をめざそうとするところもそれはそれで認めてしまいます。


まぁ、早い話が「過ぎたるは及ばざるがごとし」。
どんな良いことでもやりすぎはよくない、ってことですね。

エピデンス

2019-09-04 09:01:56 | 健康・病気
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<今後のワークショップ予定>


「色で暮らしを彩る講座」   
場所:ヒーリングサロン「些々羅」 岐阜市
STEP1 募集中!  参加費:¥15000(税込)
      ※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
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 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
9/11(水)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり) 満席
9/14(土)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり) 満席
9/16(月・祝)10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり) 満席 
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

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KIYOさんの夏から秋にかけての体調管理のための講座を受けた次の日、私はいつもお世話になっている整体接骨院に行きました。
ここにはもうかれこれ1年以上、週1~10日に1回の割合で通っています。
とくに身体が整ってきた、という実感はないのだけれども、少なくともこの1年、「あ・・ ヤバそう。これだとまたギックリ腰になりそう・・」
という感覚は味わっていません。
だから体質改善とか自己管理とかにつながっているのかしらん。



さて、私の番になって、
「今日もお願いしまーす」
と座ったとき、私は同じ業界のことだからこの先生も興味あるかな、と思って単なる世間話のつもりで、
「昨日ね、整体師の人の夏から秋にかけての体調管理の講座に行ったんですよ」
と言いました。
すると案の定興味深そうに、
「へぇ、どんな講座だったの?」
と先生に聞かれました。
それで、
「えーとね、まずは第一腰椎~第五腰椎に関連している季節でいうと、第五腰椎が夏だから・・・」
と言ったとたんに、
「え! なにそれ?」
と言われてしまいました。
こちらこそ、「え?」です。
同じ整体師さんなわけだから、
「うんうん、それで?」
とここはスムーズに流れるところかと思っていました。
こんなところでつまづくなんて。



「腰椎に季節なんて対応しているの?」
と先生。
「はぁ・・ そう聞きましたけど」
「ひょっとしてそれ、東洋医学の先生?」
と聞かれたので、KIYOさんはあらゆるものに精通していそうだから東洋医学ももちろんかじったに違いないと推測するけれども、特にその出身というわけではないと思い、
「いやぁ・・ まぁ、そんなところもあるかも」
と言うと、
「僕、東洋医学は信用していないから。そっちの方の出身の人の考え方とかはわからないなぁ」
とおっしゃいました。
びっくりしました。
この先生は常日頃、どうして整体で患者さんを救ってあげたいと思っているかといえば、
「西洋医学は対症療法一辺倒で、悪けりゃすぐそこを切り取ってしまえばいい、というような考え方でしょ。でもそれはあんまりだよね。体はどこか局所的に症状が出ていても、全体の問題だから全体から見て行かないと。その点、東洋医学はそういう考え方だから、僕はどちらかというとそちらの考え方のほうが好きだな」
とおっしゃっていたので、てっきり東洋医学の考え方には賛成の人だとばかり思っていたからです。
でもどうやらそれは、あくまでも『痛みが出ている局所をみない。全体から見る』ということにおいてのみのことであって、東洋医学のツボとか経絡とかそういうものは全部信用していないから、とおっしゃるのです。
「その先生、どういう先生?」
と聞かれたので、
「たしか整体協会出身とかおっしゃってましたけど」
と言うと、それもご存じないようで、
「ふぅん。だいたい協会なんてすぐ出来るし、あんまり信用しないほうがいいから」
ともうまるで批判一辺倒の体勢に入ってしまったようだったので、え、え、単なる軽い世間話のつもりで放り込んだタマがこんなにかきまわすことになってしまいましたかぁ、と慌てて話題を早く収束に持っていくようにしました。



「先生ご自身もよくセミナーに行くっておっしゃってましたけど、それはどういう団体の?」
と聞いてみると、
「あぁ、それは僕自身の先生のだよ。先生はアメリカで解剖学とかおさめてらっしゃるので、どんどん人間の身体を解剖したことによってご自身で気づかれた新たなことなどがあるとそれを自分の生徒を集めてセミナーを開いてくださるんだ」
とおっしゃいました。
解剖学かぁ。
そりゃ人間の身体を実際に開けてみて、「あぁ、ここは文献ではこう書かれているけれど実際目にしてみると、こうなっているのか」と自分の眼で確かめたことは確実だ、と自信がもてるし、生徒に教えたくなるんだろうな。
つまり、この先生はエピデンス(証拠)がはっきりと提出されているものしか信じないようにしている、ということなんですね。
「あんまり協会だから大きそうとか、それだけで信用しないほうがいいよ」
と言われ、
「はぁ」
と相づちだけ打っておきました。
んなこと知ってら、とか協会だから信用しているわけでなくて、KIYOさんという人をそれ以外の食の講座も受けているので信用しているだけで、なぁんて話まではここでは必要なし、と思いましたのでね。



そうして私の番が終わり、ウォーターベッドで水のマッサージを受けているときでした。(この接骨院では先生のハンドの施術のあと、ウォーターベッドとレッグマッサージャーをやります)
次の人が先生の施術を受け始めて、その声が大きいので私にもその会話が丸聞こえでした。
先生が骨盤のあたりをマッサージしたかったらしく、
「この骨盤ベルト取れない?」
と聞くと、私よりかなりお年を召した様子の女性の声で、
「これねぇ、パンツにくっついちゃってるデザインのやつなの。便利だから買ったんだけど。なんなら脱ぐわよ?」
と言うのが聞こえました。
先生は、
「あ、じゃあ脱がなくていいです」と言いながら、
「ふぅん・・ しかし、骨盤ベルトとかあんまり信用しないほうがいいよ。だいたいなんだろう? 骨盤ベルトって。意味わからないし」
って言ってました。
始まった~! 
先生の、疑り深いっていうかエピデンスのはっきりしないものに対する糾弾が、と思って聞いていました。
でも、確かにあれはネーミングの勝利のような気がします。
ベルトをしているだけで骨盤がきれいに収まる、というよりは、単に締め付けることによってゆるゆるになってしまっているお腹の筋肉の補助になるから、自分の筋肉代わりにがしっと骨盤を安定させることができる、ってだけのことでしょ。
だったら正式には「腹筋補助ベルト」って言ったほうがいいんじゃないか、と私も前から思っていました。
けれど「骨盤ベルト」って言ったほうが売れ行きは圧倒的にいいんだろうなぁ。



先生が、「骨盤ベルトとかあんまり信用しないほうがいいよ」と言ったあとのそのおばあちゃんの返答がキマってました。
「でもさ、先生、これしてるときは実際にラクなんだからいいじゃない」
って。
私は思わず隣室であはは、と声をあげそうになりました。
そう、「証明」とか「証拠」とか言わなくても、自らの身体がラクになればそれでいいじゃないですか。
このおばあちゃんの言う通り、それだけのことですよ。
私は自分がかなりエピデンスを好むタイプだと思っていたけれども、なにもかも、いつなんどきでもそれが欲しいわけじゃない。
もっと自分の直感でそんなものなくても「これはいい!」と飛びつくこともあるし、反対にどれだけエピデンスを見せられても気持ちがノッテこない、あぁ、だったらその通りよね、とうなずく気持ちになれない場合もある。
その差ってなんなんだろうなぁ。なにから来るものなのかなぁ。
ただ、この世にはまず意識ありき。
その意識がどういう方向性をもつかで思考となっていく、と思っている私は、
「これは効くに違いない」
と思う気持ちで施術を受けるのと
「ほんとに効くのぉ?」
と疑いの気持ちをもったままで施術を受けるのとは全然効果に違いが出る、と思っているので、つまるところ究極は、このおばあちゃんのように、
「自分がラクになった、と思えばそれでいいじゃない」
ということに尽きるんだろうな、と思いました。




夏から秋にかけての体調の整え方

2019-09-03 09:01:39 | 健康・病気
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JORAの理事である南清貴さんの「整体講座」に行ってきました。
この講座は不定期に行われるもので、だいたい季節の変わり目の、体調を崩しがちな時期に行われます。
今回は、夏から秋にかけての自分でできる、自分のための整体でした。



KIYOさんは、まずは私たちの第一腰椎~第五腰椎の働きについて述べて下さいました。
この5つが大きく身体を支配している、と言えるからだそうです。
そのなかで第五腰椎が「夏」に対応していて、「呼吸器」に対応している、という話でした。
つまり、夏を乗り切り、秋に向かう身体にするためには、呼吸器がスムーズに動くようにしておけばその季節を乗り切れる、というわけです。
夏から秋にかけての季節を乗り切るには「呼吸器の発動」だ、ということがわかっただけでも「へぇ~」という感じでした。



それから、簡単に自分で整えることのできる呼吸器がスムーズに動くようにできる体操(? 体操と呼べるほどのものでもなく、ほんとにごく簡単な動き)を教えてもらいましたが、ごく簡単なものであったとはいえ、それを文字だけで伝えるのは難しいです。
簡単なもののなかにこそ、「だからこそ丁寧にね」ということもありますしね。
それにこの講座をお金を出して受けた他の人たちのこともありますのでね、もし、ご興味がある方は、今度季節の変わり目の整体の講座がありましたら、私が橋渡しをしてあなたにご連絡がいくように取り計らいますから、ご連絡ください。(場所、曜日は未定。時間はだいたい2時間。講座費用はだいたい¥5000くらいと思っていてくだされば大丈夫かな)



さて、そういうわけでその体操についてはこの場ではお教えできませんが、
自分で意識的に呼吸をする、だけでもいいと思いました。
というのは、呼吸というものは唯一、意識的にも無意識のうちにもやっているものではないでしょうか。
ふだん、私たちが日常生活を送っているときに呼吸を意識することはあまりありません。
それだけに自分の呼吸が最近浅くなっているな、ということにも気付きにくいのではないでしょうか。
それを意識して深くゆったりと呼吸してみる。
あるいはわざと浅く呼吸してみたり、深く呼吸してみたりを交互に繰り返してみて、通常の呼吸に戻す。
これだけで効果は十分にあるように思います。



それから私たちがたいてい夏に体調を崩すことの原因になっているのがエアコンによる冷えですよね。
この「冷え」についての解消法というか、効果的なものとして「半身浴」だ、と思っていらっしゃる方は多いのではないでしょうか。
これをKIYOさんはバッサリ。
「あんなの絶対にやっちゃだめよ。かえって身体悪くしちゃうから」
と言われてびっくりしました。
私自身は、30分~1時間とか根気が続かないのと、半身浴していると肩が寒いのとであまりやりませんけれども、でも、身体には良いものであるとは思っていましたから。
どうしていけないか、というと、
「半身にだけなにかする、ということは身体全体が統一されてコントロールされていないから」
だそうです。
下半身だけ温まった身体を脳はどう思うか、というと「全身温まった」と思うので、半身浴が終わったとたんに「身体全体の温度を下げなくちゃ」という指令を出すのだそうです。
実際には身体全体ではなく、上半身は温まっていないのだけれども・・。
で、かえって冷えちゃうのだとか。
半身浴をやっている最中はいですよ、と。
でもやめたとたんに冷える方向に脳が指令を出すわけですから、あなた、毎日毎日半身浴やってられますか、ということなわけです。
毎日やれる、という人ならまぁ良いですけれども、これを体質改善につながると思ってたまにしかやらないんだったらやめてくださいね、ということです。
こんなもの、たま~にだけやっても意味ありませんよ、ましてや体質の改善にはなりませんよ、ということでした。



これは私の勝手な憶測なのですが、全身ゆっくりお湯につかっていると心臓に負担がかかってしまう、ということを重視した人が「では、心臓のある上半身だけは出ていてもよいのでは? 血流は全身を駆け巡るわけだし、冷えを感じるのはだいたい下半身だしね」ということで半身浴を考案したのではないか、と思いました。(ちなみにKIYOさんは、「これを発案したの、僕の友人なんだよ~ だから僕もあまり大きな声でそんなの間違ってる!って言いにくいんだけどね~」とおっしゃっていました)
私自身、心臓にあまり自信がないので、確かに長い時間全身つかっているのはしんどいし。
サウナもせいぜい5分しか入っていられない体質なのでね。
でもまぁ、温泉行った時などにせっかくだから、とダラダラ入っていたいので、半身浴を楽しんだりするのはまぁレジャーとしてご愛嬌だよな、とは思います。



さて、それではどうしたら冷え症改善に1番よいか、というとKIYOさんが教えてくれたのは、足の指の股を広げることでした。
「冷え」の急所というのは、第三指(中指)と第四指(薬指)の間だそうです。
そこを思い切り手で広げる。
でも、そこだけではなくて、足の全部の指の股に手の指を入れて、全部の指の股を広げるようにすればよいらしいです。(っていうか、多分その方がよいね)
これ、ヨガとか瞑想の前の準備運動などでしたりしますね。
でもわたし、自分がいかにいい加減にしていたかを思い知りました。
ちょこっと手の指が入るくらいではいけないんです。
がしっと指の股の根元から入れないと。
そうしたら、痛い、痛い。
しかも右足と左足とではなぜか痛さや痛い指の股の箇所が違う。
それにはまた対応した臓器など問題のあるところがあるんでしょうが、KIYOさんに言わせると、痛い場所は日替わりで違うそうです。
ま、とにかく、足の裏は第二の心臓というくらいですからね。
できるだけ縮こまらせずによく動かしていたほうが血流もUPするし、刺激するのは良さそうです。
これから毎日、指の股おっぴろげ体操、してくださいね~
私は2,3分やっただけで汗が出てきましたよ。



あっ、そういえば、「汗」についても一言。
やっぱり夏は汗をかかなければいけないそうです。
なぜなら汗として排泄するしかしょうがないものもあるから。
汗をかくと最初のうちはさらさらにただの水分が出てきます。
で、それをじっと我慢して40分くらい汗が出っ放しの状態にすると汗がねっとりしてくるそうです。
それは不要な皮脂が溶け出した証拠だそうで。
そして現代の私たちは食生活で添加物などをどうしても取っていますから、その添加物のなかには水溶性ではなく、脂溶性でしか排泄できないものがあるんだそうです。
だからこのねっとりした汗をかかないと、それらの不純物が出場所を失って、血管の中に入り身体中を駆け巡る。
どんどん体調が悪くなる、って寸法だそうで。
暑い、汗が出始めた、それっ、とすぐにエアコンのスイッチを入れるのではなくて、40分くらい我慢しなければいけないってことですね・・
そりゃそのあと、すぐにシャワーでも浴びれる体勢ならいいですけどね・・
難しいときもありますよね。
でも、汗はかきたいな~って思いました。
以上、本日は夏から秋にかけての乗り切り方でした。





病院つれづれ

2019-08-17 09:01:33 | 健康・病気
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8/26(月)  10:00~15:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席

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さて、昨日はダーリンが何年かぶりにまた結石となり、救急外来を訪れたときのことを書きました。
病院に行くといろんなことを考えさせられます。
今日はそれらのことをつらつらととめどもなく書かせていただきたいと思います。



まず、最初に思ったのは、
「もし1人で暮らしていて自分の身の廻りのことは全部自分でしなくちゃ、という場合はたいへんだなぁ」
ということでした。
今回のダーリンの痛みはどうしようもないほどで救急車をすぐにも呼ばなくては、というほどではありませんでした。
ある意味、このぐらいのほうがタチが悪い。
もし1人暮らしだったらどうしようもなく痛く、電話1本くらいはかけられる、という気力が残っているうちに救急車呼んじゃったほうが後の苦労はないな、と思います。
でももし、自分で車を運転して病院まで行こうとすればそれはそれで気が張るし、万が一すぐにも入院なんて言われたときのために最低限の身の廻りのものは用意していかねば、と考え、実際に準備するのも大変だろうなぁ。
今回も痛みどめの点滴をダーリンは処置してもらったわけですが、その薬のなかにはやはり頭がぼーっとするような成分が入っているらしく、帰りの運転をもし自分でしなくてはならなかったら危険だ、と思いましたし。
そして本人も、
「何にも重要なことは考えられない感じ」
と言っていました。



今回、一連のドタバタが済んだあとに母にこのことを話したときも、母のご近所に車いすで独り暮らしの人がいらっしゃるのだけれど、車いすだ、ということ以外はお元気そうで自分ひとりで車いすを上手に扱いながら、どこへでも外出はされていたそうなのですが、家に帰ってきたら、家の中のつくりがすべて車いす仕様になっていたわけではないので、這いずりながら身の回りのことをしていたのだけれど、ついにそれができなくなったのか先日その人は施設に入ったよ、と母が言いました。
まぁ、1人だと施設にさっさと入ったほうがホッとするかもしれませんが、自分で出来る限りは自分のことは自分で始末をつけて自宅で暮らしたい、というのも本音でしょう。
もし、ほんのちょっとの家族の介助があればその人は引き続き自宅にいることが出来たのだろうな、と思うと考えさせられます。



病院ではとにかく1つ1つの処置の間に待たされました。
そのせいで私はずっと待合室に居て、いろんな人たちが救急外来に訪れるのを見ていました。
急に高熱を出したらしい人、何かで足のつま先を骨折したらしい人、いつもこの病院にかかっているお年寄りでお盆の最中休診だと言われても困るんだよ、ということで救急外来のほうを訪れている人・・・
もうほんとにそれぞれの事情、立場、いろんな人たちでいっぱいでした。
世間ではお盆といえば帰省や家族旅行でレジャーだぁ!と浮かれているなかで、かたや病院にもこんなにも大勢の人たちが淡々と、まるでいつものことと言わんばかりの感じでひしめいている・・
なんていうか・・ ほんと、人生、いろいろだよなぁ、としみじみ思いました。



そんななか、幼児とさえ言えない、たぶん乳児から幼児の境目くらいの年齢の子どもの泣き声が始終やむことなく処置室のほうからずっと聞こえていました。
その子がどんな事情でこの病院に来ていて、いまどんな処置が行われているのかはさっぱりわかりません。
ただ、これだけ泣き声がやまずにいるというのは相当痛いか苦しいのだろう、と思うと可哀想に、と思いました。
小さい子どもの泣き声ってぐずってやんちゃで泣いているのか、そうでないのかは泣き方でわかるじゃないですか。
この子どもの泣き声は決してぐずっているという感じではありませんでした。
いったいこれだけ何時間ものあいだ泣き続けている、ってどんな処置が行われているのだろう、と思うとやりきれませんでした。
私は普段小さい子どもは決して好きではありません。
動物のほうがずっと好きってタイプです。
でも小さい子どもと動物に共通して可哀想だなと心底思うのは、こういう病院にいる姿を見る時です。
彼らには自分がどうしてこんなことをされるのか、その意味がまったくわからないに違いない。
だから愛情があるゆえにこういうことをされているのか、虐待なのかの区別もつかないに違いない。
それが可哀想だなぁ、と思う。
誰もが痛そうだったり苦しそうだったりするのを見るのはほんとにこちらも苦しくなるけれども、私はたまたま持っていたマゼンタのポマンダーを嗅ぎまくり、世界に放ち続け、なんとか気を確かに保っていることができました。



それからもう1つ。
ダーリンが痛みどめの点滴を打ってもらい、それが終わって針をはずしにきた看護師さんが、
「最初にこちらに連れてこられたときの痛みは10段階のうちでいうといくつでしたか? そして今はそれがいくつになりましたか?」
「10段階・・・」
ダーリンがなぜか復唱しながら考え込みました。
看護師さんが
「そう。人生で1番痛かったときの痛さを『10』とするならここへ来たときはいくつでしたか?」
と再び少し丁寧に言い直しました。
するとダーリンは、
「あぁ・・ 人生で一番痛かったときを『10』とするとですか・・ 『7』か『8』くらいですかね」
と言いました。
そしてそれが点滴が終わった今は、『0』だ、と言いました。
すると看護師さんは、そう、それはよかった、と言って去って行きました。



それを肩越しにぼーっと聞きながら、
「ダーリンは人生で1番痛かったときって何のときのどんな痛みのことだったんだろう・・? 女性ならたいていは出産の痛みを思い出すのかなぁ」
と考えました。
そして私自身は、といえば、出産を経験していないから“これまでの人生において1番痛かったとき”っていつの何の痛みだったろう? と考えてみました。
・・たいして「痛み」というものを経験していない気がする。
大きな怪我をしたこともないし、手術も経験していないから麻酔から覚めて縫合したところが痛いだのということもわからない。
“我慢できないほどの痛み”は経験したことがないかもしれない。
“我慢できないほどの違和感”はあるけれど。
自律神経失調症と言われた時の(実際には今ではあれは「パニック障害」だったと確信しているけれども)あの、運動直後でもないのに、緊張してあがっているわけでもないのに心臓がバクバクする「違和感」。
数年前、牡蠣にあたったときもお腹そのものの痛みというより、「また、来るぞ、来るぞ。波が押し寄せてくるぞ」と思いそれに耐えながらいると心臓のほうがバクバクしてきてそちらの方に耐えられるんだろうか、と恐ろしくなったあの「違和感」。
そんなものの方が私はイヤだったな。



「痛み」そのものについては私は案外強いほうかもしれません。
この前もいつもの整体に行った時に
「夜寝ると足がむくむんですよね~」
とぼやいたら、
「それは足から心臓に血流を送り返すポンプ機能が弱いのかもしれません」
と言われ、いつも治療の最後にやる足全体をスーツのようなものの中に入れ、空気圧をかけるやつ。
なんていうんでしたっけ、とにかく下半身の空気圧マッサージ機みたいなやつ。
「あれを今日は1段階、強めにしてみましょうね」
と言われました。
何度も、
「大丈夫ですか? 強すぎたらすぐに言って下さいよ」
と言われましたが、全然平気でした。
むしろもっと強くてもいいくらい。
このくらいの強さでないとふっと圧を抜かれたときさーっと足に再び血が流れるって感覚がない。
そう言うと、
「ふぅん。坪内さんて痛みに強い体質なのかもしれませんね」
と言われました。
ま、この程度のことで本当に私が痛みに強いのかどうかわかりはしませんが、私はこれまでの人生で“人生において1番強い痛み”なんて質問にそもそも該当するような痛みを経験していなんだな、と思ったことでした。



ダーリンの点滴が終わって処置室を出ようとしたとき、お隣のベッドからも同じ質問をしているのが聞こえました。
するとその人もダーリンと同様に
「う~ん、ここに連れてこられた時の痛みは7か8かな」
と言っていました。
なんか思わずくすっと笑っちゃいました。
救急とはいえ、外来に自分で来られる人、という時点で、本人はその痛みを「10」と表現することは憚られる感覚があるのでしょう。
「それが人生で1番か」
と言われたら、なんかもっと他に1番ってあるような・・みたいな。
でも、「5」とか「6」とか答えるのもそれはそれで憚られる。
なんせ10段階の真ん中あたりの痛みってことですからね。
人によってはそれを「普通程度」ととらえるのかもしれない。
「そんなら救急外来じゃなくてもよかったんじゃないですか」
と言われかねない、と思いこみ(実際看護師さんはそんなことは絶対に言いません)、「5」や「6」も避ける、と。
それ以下の数値は問題外。
となると、この救急外来を訪れる人というのはほぼほぼ「7」か「8」って皆さん答えてるんじゃないのかなぁ、と思ったら、それ尋ねる意味があるのか、と思えて来て思わずくすっと笑ったのでした。



お昼になり、気付くと朝から何にも食べていませんでした。
でもとにかく暑くて、ダーリンの様子を見ているとよけいに私まで水分は意識して摂ったほうがよい気がして、「ポカリスエット」だの「グリーンダカラ」だのを飲みまくっていたら、なんだか甘みでお腹がぼ~んとしちゃって、全然空いた、って感じがしませんでした。








ダーリンがまたまた結石に!

2019-08-16 09:01:54 | 健康・病気
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STEP1 募集中!  参加費:¥15000(税込)
      ※どこで、を問わず、色について学んだことがある人は自己申告により参加費が半額になります。
[内容]
 ・色からのメッセージ
 ・色の性質
 ・その色を使ってどんなことが可能になるの? ~五感を使って色を取り入れる~
 座学というより、楽しいワークショップ形式で自然に色のメッセージを自分に取り入れましょう!

STEP2(※STEP2はSTEP1を受講した人のみ受けることができます) ¥20000
8/26(月)  10:00~15:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席

STEP3(※STEP3はSTEP1,2を受講した人のみ受けることができます) ¥30000
9/11(水)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり) 満席
9/14(土)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり) 満席
10/11(金)  10:00~17:00(※ランチ休憩1時間あり)  満席 
 お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name まで

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みなさま、ほんのちょっとのお久しぶりでございます。
まだ今週末までお休みという方も多いでしょうが、私はお盆といえば15日まで、と決めております。
えぇ、もうきっぱり。
というわけでブログも復活。
とにかく暑いので頭がぼーっとしておりますが。



お盆のさなか、亡父の墓参りに行こうと予定していた日の朝でした。
ダーリンが珍しく私より早く起きているのは知っていました。(私は夏になるとどんどん早起きになります。でもまぁ、さすがに3時台、4時台に起きちゃうのは睡眠時間的にも問題あるだろう、と頑張って2度寝しますが、4時半以降に目が覚めるのはもうそのまま起きちゃいます)
でもまぁ、そんなこともたまにはあるだろうと気にもせず、階下にいる気配がするダーリンに声をかけることもせず、私は私で起きるなりパソコンをしていました。



すると7時くらいになってダーリンが
「もうダメだ・・ 我慢できん・・!」
と言って階段をあがってきました。
見ると、顔は鬼の形相。
「ど、どうしたの・・?」
「腰というか背中というか臀部というかが痛くて痛くて」
と言います。
痛みに耐えかねての形相だったようです。
「え? いつから? どんなふうに?」
「5時くらいに痛みで目が覚めてそれからだんだんひどくなってくる・・ たぶん、あのときと同じ痛みだ」
と言います。



“あのとき”とダーリンが言うのは、5年以上も前のことになろうかと思いますが、結石で救急車を呼んだときのことです。
そのときには、
「今までに感じたことのない痛み」
と言っていました。
「今までに感じたことのない」というのは、痛みの種類的に初体験という意味で、かつて味わったことがないほどに大層痛い、という意味ではありませんでした。
確かあのときは、
「虫歯が腰にとりついたみたい」
とか言ってたっけ。
虫歯ってズイズイと始終痛みながらも、時に何かの拍子に(冷たいものを食べるとか)それがズキィ~ン!に変わるときってありますよね。
あんな感じだったらしい。
ともかく人間という生き物は“かつて味わったことのない”ものに恐怖を感じます。
だから痛みの程度こそ今回のほうが先回のときよりラクだ、ということはないのかもしれませんが、少なくとも今回は“あのときと同じ”と言えるだけダーリンは焦ってはいない様子でした。



「どうする? いつものかかりつけの病院は休日診療はやっているけど、9:00~だよ。我慢できそう?」
と尋ねると
「なんとか大丈夫そう。我慢してみる。救急車を呼ぶほど緊急じゃない」
と言うので、ハァ、ハァ、と苦しげに息をしている様子が可哀そうではありましたが、なんとかあと2時間頑張れ、と励ましました。
そしてふと思い立ち、早めに電話してみよう、9:00~だけどオープンのために8:00過ぎくらいから看護師さんたちはもう出勤しているに違いない、そうしたら事情を話して、先生も8:30くらいには出勤されているなら、なんとか早めに診てもらうわけにはいかないか、と交渉してみようと思いました。



そしてまんじりともせず1時間を耐え、8:00になったとたんに病院に電話してみました。
すると、やはりすでに出勤していた看護師さんが電話口には出てくれましたが、
「先生は朝の往診に行ってらっしゃいますので、早めにこちらに戻って来られるということはありません」
と言います。
「そうですか・・ そうしたら早めの診療はあきらめますが、なんとか9:00前にはそちらに伺って待たせていただき、1番に診察していただくというわけにはいきませんか?」
とすがる思いで聞いてみましたが、
「残念ながらうちは予約制ではありませんので、1番に、というお約束はできません。すでに2,3人の方が駐車場で待機していらっしゃいますし・・。我慢できないようでしたら救急車を呼んでいただいたほうがいいと思います」
と言われてしまいました。
ま、看護師さんの言うことの方が正論なんだけどさー、救急車を呼ぶほどではないけれども、なんとか早く診てもらえないか、という思いがかかりつけのクリニックなら多少は融通きくかと思ったけど、全然融通なんて効かなかったわ。



それであきらめ、今度は以前に救急車で運ばれたときに利用した「総合医療センター」(元の県立病院のこと)に電話しました。
こちらは以前運ばれたときの経験から24時間救急外来があるのは知っていたからです。
すると、
「ではすぐにお越しください。ただ、救急外来は別途5400円(うろ覚え)を頂戴しますがよろしいですか?」
と念を押されました。
ハイ、結構です、では今からすぐに参ります、と言って電話を切りました。
一刻を争う感じで痛がっているんです、と訴えながら、
「あ、5400円かかるんですか? じゃ、やめます」
と言う人もいるんだろうか・・
そりゃいろんな人がいるからそういう場合もあるんだろうなー
ない袖は振れないからなー
ふとアメリカは救急車が来ても自分で救急車代を払わねばならず、その場で「払えない」と言うと、救急車はどれだけ緊急性を認めてもそのまま去って行く、というのを聞きましたが、そんなことを思いだしたりしました。



そして救急外来に行くと、受付で初診の問診カードを書かされ、
「3,4,5番のいずれかでお呼びしますからそちらの番号の前あたりでお待ちください」
と言われました。
なんだ、これなら「救急」ではなく、ごく普通の診察と同じではないか、と思いました。
確か以前に救急車で運ばれたときは、いきなりベッドが並んでいる場所へ連れて行かれ、点滴を打って初動捜査じゃないわ、初期措置(?)をしながら、先生が問診を始めたもんなぁ。
あのときと比べるとえらい違いだわ。
そう思うと我慢できないほどじゃなくても救急車を呼んじゃったほうが早く処置してもらえるってことか・・
でも、むやみに救急車を呼ぶことが戒められている昨今、それはやっぱりいかんのだろうな~なんてつらつらと考えていました。
ダーリンは、
「遅いな・・ まだ呼ばれないのかな」
とゴリラのように立ってうろうろしたり、長椅子に寝転がってみたり、坐り直したりしていました。
痛いので、かえって立って動き回っていたほうが気が紛れるというので、なんだか全然健康そうにも見えたりします。



そしてようやく呼ばれたので、一緒に診察室に入りました。
いろいろ聞かれたあと、
「ではちょっと左右両方の腕で血圧を測らせてください」
と言われたので、
「?? どうして左右両方の腕なんですか?」
と聞くと、
「大動脈解離も疑われるからです。大動脈解離だと左右で血圧の数値がえらくちがって出るんです」
と言われてびっくりしました。
もうてっきりダーリンが“前と同じ痛み”と言った時点から、結石以外のほかの病気を疑ってみたことなんてなかった。
けど、「だいどうみゃく」が「かいり」ですとーーー!!!
それだったりしたらえらいこっちゃおまへんかーーー
じぇじぇじぇ(懐かしいでしょ)



「幸い、左右の血圧はほぼ同じで、血圧からだけでは大動脈解離を疑うことはないようですが、大きな病気が潜んでいる可能性もありますので、これからいろいろ検査しますから奥さまはあちらの待合室でお待ちください」
と言われ、ダーリンは車いすに乗せられ、去って行きました。
この間、待った、待った。
長かったわ~
“大きな病気が潜んでいる可能性もありますので”と言われたことによる心理的な長さもありましたし、実際にも長かった。
すべてが終わったのは朝8時に行って、ちょうどお昼12時でした。
幸い、やっぱり結果は立派な結石でした。
私にはよくわかりませんが、大きな結石だと手術ということになるはずです。
小さめの結石だとより小さくして尿道からおしっこと一緒に体外に排出させるための薬を処方されると思います。
で、そんな薬を処方するまでもなく大きさは小さいんだけど、数が多いか、どっかでその結石が動くときに痛いのは我慢するしかないんだよねぇ、という場合は放置って感じです。
ひたすら石が動いて排出されるまでの痛みは我慢しながら、水分を多めに取ってできるだけおしっこするしかないみたい。
ダーリンはそれみたいで、痛みどめだけを処方され、帰宅しました。
ドタバタのお盆の幕開けになってしまったことでした。