ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

優秀がゆえに気づきにくいこと

2018-08-13 09:01:58 | コンサルテーションとカウンセリング
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本を出版しました!

  「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
    ~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~


オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
理解について述べた本。

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*自分と他人を比較して落ち込んだり、焦ったりしなくなります。


*オンリーワンの人生を自力で歩き出すことができます


*自分らしく、ただありのままでいることに誇りを感じられるようになります。


*ほんとうに自分の好きなことを思い切りやって生きていけるようになります。


*目標が明確になります。



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今、「潜在意識書き換えセラピー」のモニターを募集しているところですが、これで今までに10人以上の方にお越しいただき感じたのは、皆さん、何かしらの心の闇を持っているなぁ、ということ。
そりゃあ、そうです。
光があるから闇があるのですから。
それらは常にセット。
闇があるから悪い、とかそういうことじゃないんです。
でも、その闇をいったん日のあたる場所に取り出して日干しのようなことをしてあげるととってもふっくらとした気持ちに生まれ変わる。
それがとても美しいなぁ、と思います。



先日いらした方は現在何の悩みもなく、穏やかな日々を送っておられる方でした。(まぁ、好奇心からモニターを申し込まれたんですね)
誰のことかわからない程度になら書いてもいい、というご本人の了承を得ましたので、詳細には触れない程度に書かせていただこうと思います。
現在はとても穏やかな日々を送ってらっしゃり、幼少期のことを聞いても、いろんな習い事をさせてもらって、とても充実した子ども時代だったように見えました。
それから結婚をして、子育てと同時にご主人の仕事も手伝い、それまた充実した人生。
ふんふん、何も問題なさそうだな、と思っていた矢先、その方が、
「でも今しゃべっていて気づいたんですが、私って常にそのときの周りにいる大人の期待に応えたい、って思って生きてきたんだわ。自分自身からこれをしたい!ってものがなかった・・・!」
とふいにおっしゃったのです。



小さい頃の習い事は全部、お母さんが「これ、習いなさい」って決めてきたもので、自分から「やりたい」と言ったものではなかった。
学生時代にやっていた部活動も全国大会常連の強豪校で、たまたま能力があったものだからその部に勧誘されてやっていたけれど、決して自分からどうしてもやりたい、と思ったものではなかった。
結婚してご主人に手伝ってくれ、と言われた仕事は職種としては大嫌いなものだった。
そしてそれら全部が、彼女の場合、能力が高かったので、嫌々ながらやってもそこそここなしてしまえるものであったり、周囲の大人を満足させる結果を与えるものだったのです。
習い事も嫌いながら、その教室の先生に「あら、あなたは飲み込みが早いわね」と言われる程度にはできてしまう。
部活動もそのスポーツそのものが嫌いだったわけではないけれども、監督の方針が自分が進みたい方向とは違っていて居心地が悪かった、とおっしゃいました。
けれども、それでもレギュラーに選出されるくらいだった。
ご主人に手伝ってくれ、と言われた仕事をやってらっしゃる頃に私は彼女に出会ったのだけれど、それはまさしく天職か、と思うほどで、まさか内心では彼女が嫌々だったのだ、ということにまったく気づきませんでした。
また彼女自身、そんなところはプロとしておくびにも出さない、という能力にたけていたのです。



そしてそれら全部を途中であきらめるとか投げ出すとかせずに彼女は続けてきた。
そして子どもの頃はお母さんの、学生時代は監督の、結婚してからはご主人の、それぞれの期待に応え続けてきたのです。
なぜなら、彼女にとってはイヤなことであっても、期待に応え続けることのほうが大切だったから。
「よくやったな!」という一言さえあれば、疲れもふっとぶ、という奉仕精神。だから続けられたのですね。
聴いていて、あ~、それは辛かったろうな、と思いました。



お母さんも、監督も、御主人も、“彼女のためによかれ”と思ってしたことばかりだったことでしょう。
でもそれがやらせてみてすぐに
「あ、自分の思い違いだった。こんなに出来ないとは・・! これは彼女には向いていない。これ以上続けさせるのは酷だ。彼女のためにもよくない」
とわかれば、それでも続けさせることを選ぶ大人はそうそういないと思います。
(一部にはとにかくなんであれ、「やめない」「続ける」ということの大切さを教えるためにはやめさせない、という方もいらっしゃるかもしれませんが)
けれど彼女は優秀で並み以上の飲み込みの速さだったり、ポテンシャルの高さによる他の人たちより秀でた成績を残したり、ということをしたがゆえに周りの人たちは
「よしよし。自分の見込みは当たっていた」
という思いを抱くことになってしまったのでしょう。
またこのときに彼女のなかで内部崩壊のようなことが起きなくて幸いでした。
「これ、好きじゃない・・」という気持ち以上に、「貢献したい」「せっかく期待をかけてくれているこの人を喜ばせたい」という思いが強かったがゆえに、その期待どおりの働きが出来ていることの喜びのほうを常に優先させてきたのです。



これって、なかなかにこの仮面に気付くのは大変なことのように思います。
「何かを無理やりさせられた」
 ↓
「そのことが全然できない」
=あぁ、やっぱり可哀想だったな、と早めの撤退をさせてあげられる
  けれども、
「何かを無理やりさせられた」
 ↓
「そこそこ出来ちゃう。いや、それ以上に優秀な成績をおさめちゃう」
=やっぱりあれをやらせてよかったな
  と、周囲は思うし、ひょっとすると自分自身でもそう思う人もいるでしょうから、「本当の自分の気持ち」に気付きにくい、ということが考えられます。



そして今、人生の折り返し地点を曲がってから、彼女はようやくこのことに気付いたのでした。
「よく考えてみたら、私のやってきたことは自分がほんとうに望んだことばかりではなかった」
「自分が最も優先させてきたのは、自分の本当の気持ちよりも、周りの人を喜ばせたい、周りの期待に応えたい、だった」
ということに。
この気付きは、「自分という人間の価値は、人の期待に応える、ということからきているのだから、優秀でなくても十分に自分には価値がある」という価値観を形成してくることができなかった、実は自分は自己価値の低い人間だった、ということにもなります。
そうなると、そんなことには気づかないほうが幸せだったじゃないか、というようにも思えますね。
でも、私はそうは思いません。
どんな結果であれ、
“そこに在る、本当の気持ちに気付く”
ことは美しいし、価値があることだ、と思います。
実際に私はこれまでたとえ辛い気付きであったとしても、気付きを得たほうがすっきりしました。
だから自分の”本当の価値観“に気付くことを恐れないで欲しいんです。
それに気づいたからといって、そりゃあ一時的に落ち込むこともあるかもしれませんが、必ずそこから明るい未来に向けてその気付きを生かし、歩いていくことができるはずです。
気付かなければスタートも切れないのですから。



彼女は、
「自分って人間は奥が深いんですねぇ。じっくりとまた来たい、と思います。」
と言って帰られました。

どこまでが占いの結果? どこからがアドバイス?

2016-08-27 09:03:22 | コンサルテーションとカウンセリング
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 <オーラソーマセッション新メニュー
  あなたはどんな人生の旅路を経て、今ここにいるのでしょうか?
  そしてこれからはどんな旅を歩もうと決意していらっしゃるのでしょうか?
  過去を知ることで今の自分を肯定できます。
  今の自分の立ち位置が明確になることで、これからの歩みに自信をもてます。
  それらを明らかにするお手伝いをいたします。


   「3STARS」コンサルテーション」 
         (ボトルなし)   90分   ¥ 7500
                (ボトル付き)   90分   ¥13500


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      < 8月上旬~下旬旬までのご予約状況 >
           
               8月  1日(月)   午前  ×      午後 △  16:00~OK
               2日(火)   午前  ×      午後 ×
               3日(水)       出張
               4日(木)   午前  ×      午後 △  16:00~OK
               5日(金)   午前  ×      午後 ×
               6日(土)     点描曼荼羅ワークショップ開催
               7日(日)   午前  ×      午後 ×
               8日(月)   午前  ×      午後 △  16:00~OK
               9日(火)   午前  ○      午後 △  13:00~14:30までOK
              10日(水)     点描曼荼羅ワークショップ開催
              11日(木)   午前  ×      午後 ×
              12日(金)   午前  ×      午後 ×
              13日(土)       出張
              14日(日)   午前  ×      午後 ×
              15日(月)   午前  ×      午後 × 
              16日(火)   午前  ×      午後 △  16:00~18:00まで1枠OK              17日(水)   午前  ×      午後 △  16:00~OK
              18日(木)   午前  ×      午後 ×
              19日(金)    エリックスエッセンス講座受講出張
              20日(土)   午前  ×      午後 ×
              21日(日)   午前  ×      午後 ×
              22日(月)   午前  ○      午後 ○
              23日(火)   午前  ×      午後 △  16:00~OK
              24日(水)   午前  ×      午後 ○
              25日(木)   午前  ○      午後 ×
              26日(金)   午前  ×      午後 △  16:00~OK 
              27日(土)   午前  ○      午後 △  18:00までOK
              28日(日)   午前  ×      午後 ×
              29日(月)   午前  ×      午後 △  16:00~OK
              30日(火)   午前  ×      午後 ○
              31日(水)   午前  ×      午後 ○

                  
        ※これより先のお日にちのお問合わせの場合は、まだ空いている場合が多いですので、
         ご希望のお日にちとともに下記のメールアドレスにお問合わせください。
   


   午前は  10:00~
        午後は  13:00~18:00(最終受付時間)
           ご都合のよい時間帯をお選び下さい。


       お問い合わせ・ご予約は  chakra@aura-soma.name まで

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  オーラソーマ資格認定コース

     レベル1(ファウンデーションコース)
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  レベル1はすべての登竜門です。
  登竜門でありながら、オーラソーマのすべてのエッセンスを学びます。
  色が意味するメッセージ、数字が意味するメッセージ、
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それらを通して、あなたが霊的な自己成長を遂げ、真実の自分と出会い、解放されることの助けとなります。
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  お問い合わせ・ご質問は、
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昨日書いた内容をちょっと引きずりますが・・
オーラソーマをやってらっしゃる方というのは、「オーラソーマのコンサルテーション」だけで生計を立ててらっしゃる方のほうが多分、少ないのではないでしょうか?
はっきりと統計に出ているわけではありませんが、私の肌感覚的にはそんな気がします。
それは、オーラソーマに惹かれるような方は、もともと占いやスピリチュアルな世界観に対して造詣が深いので、すでに他のツールに出会っており、そちらで生計を立てていた、という場合も多いというのも1つです。
つまり、オーラソーマの方がその人にとっては後妻だった、というような場合ですね。
もう1つは、全くたどる経路としてはその逆で、オーラソーマに惹かれ勉強していたらレベル2でオーラソーマは他のいろんなものとも関連している、ということを学びますので、へぇ、と興味をひかれ、その他のものにも親しんでいるうち、そちらのプラクティショナー(と、呼ぶかどうかはわかりませんが)にもなっちゃった、という場合。



いずれにしても私はオーラソーマを習った時、
「ボトルのリーディング以外の話は、『これはオーラソーマではないですけれど』と断って話すように。」
ということを口を酸っぱくして叩き込まれました。
それは、オーラソーマをやっている人はタロットとか占星術とかいろんなことも一緒にメニューに掲げてやっている人が多いから、どのツールで見立てたことを今クライアントに対して話していることなのかを明確にするように、という意味からでした。
それは「オーラソーマ」というとき「必ずオーラソーマ®と書け」と言われるくらい登録商標マークの存在を意識させられますので、当然のことと思ってきました。



いや、ひょっとするとこのことを何度も繰り返し諭されたとかいうことはなかったのかもしれません。
私の中でそれは非常に重要な事項だ、という意識が強かったため、勝手にそこはきちんとしなくては、と自戒の意味をこめて金科玉条のようにかかげていたのかもしれません。
親が子どもが小さいとき、
「買い食いしちゃダメよ」
ということを頑なに守ってきたように。
親は「買い食い」そのものを戒めたかったわけではない、食の細い子どもがお菓子を食べたせいできちんと栄養を考えて作った食事に手をつけられないといけないから、と考えたに過ぎない。
でも、子どもにはそれがわからないからただひたすらに「買い食いは絶対にしちゃいけないことだ」とだけ胸にとどめ置く。
そんなことだったのかもしれないな、私の「オーラソーマの話なのか、そうではないのかを明確にしなさい」と言われ続けてきた、と感じてきたのも。



オーラソーマは占いではない、ということを強訴していますから、オーラソーマと他の占いをメニューに掲げながら、1人のクライアントの1回のセッションのなかでその両方を使うようなことがあれば、ここからはオーラソーマではないよ、ということを明確にしなさい、というほどの意味だったのでしょう。
けれど私はとにかく先ほどの子どもの買い食いの例えではないですが、「これはオーラソーマ、つまりボトルからのメッセージをリーディングしているところなのか、あなたがクライアントさんにただ個人的にアドバイスを送っているところなのかをはっきりしなさい」と言われているのだとずっと頑なに思ってきたのでした。
そして事実、そうしてきたのでした。
私のサロンでは、オーラソーマ以外に「占い」のカテゴリーに属するようなメニューは今の所ありません。
けれど、オーラソーマのセッションで(これから私がクライアントさんに言いたいことは、このボトルのメッセージだというと飛躍にすぎるな)と思うことについてはいちいち、
「ここからは私の個人的な見解ですが・・」とか、
「これはボトルのメッセージとは別に、ですが・・」とかお断りを入れてきました。



でもね、昨日も書いたように占いだろうが、セラピーだろうが、「感通」と「窮理」から出来ているものはすべてそこが曖昧になって当たり前ではないでしょうか。
そして、第一、断りを入れることがクライアントさんにとって意味のあることかどうかといったら、たいていはクライアントさんにとってはそんなことはどうだっていい、なんですよね。
私の口から出る言葉はすべて同等の響きを持ってクライアントさんに届いている、ってことです。
私が断りを入れることによって、(よし、わかった。ここまでのことは色のメッセージだけれど、ここからはこの人の主観が入っていると警戒して聴くことにしよう)なんて思うわけじゃあ、ないんです。
第一、そういうことでいえば、色のメッセージだって数あるメッセージの中からどうしてそのメッセージを選び出したのか、メッセージそのものにはもっと単純な意味しかないけれど、どうしてそれをそのような表現方法でクライアントに伝えたのか、という事で言えばそこにはすでに「窮理」が入っているわけですしね。
どこまでがオーラソーマの教科書に載っている色のメッセージで、どこからが「感通」でその場でのクライアントさんとの共鳴で降りてきた解釈なのか、そしてさらにプラクティショナーの「窮理」によってどういう伝え方をするのか? どういうフォローを加えるのか? ということはここから、ときっちり色分けできるものではありません。
さすがにもう少し私は肩の力を抜いて、数あるオーラソーマのサロンからわざわざ私のところにやってきてくれたクライアントさんをただ信頼して話せばいいだけなのだ、と思えました。



けれど、これだけはやはり心に留めておきたいと思うこともあります。
私は「教祖様」とか「カリスマ」と呼ばれるような存在になりたいわけではない。
というか、セラピーにやってきた人に対して、そういう人を造っちゃいけないとさえ思っています。
それは依存を産むものだし、人々に「恐れ」や「畏れ」を作ることになるから。
「あの人の言う通りにしないとわたしの人生破滅しちゃうのかも」なんていう恐れ。
それが高じて政治や国家を動かすようなことにもなりかねないから。(私がそうなりそうだ、ってことではないですよ←「誰もそんなこと思ってません。。。」 けれど、何かを志す限りはその頂点の可能性を考えて事に取り組まなければ、という意識が私の場合、人一倍強いのかもしれません。)
そして「畏れ」の方は、そういうものは人間が人間に感じなくてもよい、そこはもっと人間にはなしえない天の力をもった存在だけにしておいてちょ、と言いたいから。
でもそれはとても難しく、デリケートな問題を含んでいるように思います。
だからいっそのこと、そういう問題が介在しそうなもの自体には触れないほうがいい、という気もして、私は「占い」をメニューにすることを文字通り「恐れて」います。
こちらがいくらそこに気を使っても、クライアントさんが感じることは止めようがないわけだし。
まぁ、これに関しては今の所、実践のなかで答えとうか、私としての折り合いをみつけていくしかないのだろうな、と思っています。



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カウンセリングでもいいか・・・

2014-07-10 09:04:00 | コンサルテーションとカウンセリング

 

先日セッションにお越しいただいたお客さまは、リピーターの方でもあったことと、彼女がいまどんな渦中にある方かということはわかっていたということもあり、お越しいただき、

 

「どうぞ、おかけください。」と椅子に腰をおろしていただいた瞬間から、お話が始まってしまいました。



こういうことは決して初めての経験ではありません。

 

最初の頃は(ありゃ、どうしようかしら・・)と思っていましたが、あるときシェアリングデーに参加したティーチャーが、

 

「クライアントがどういう話をされても、それは結局最後にはボトルに、色の話に帰ってくることが大切よ。」

 

とおっしゃり、「なるほど! そうすればそれが雑談に過ぎずそこから何も生まれるわけではない話だったということではなく、意味のあることだった、こうして色を見てもちゃんとそれが現れているでしょう、と確認してもらうことができるわけだ。」と腑に落ち、

 

「そうですね。それはお選びになったこのボトルの下層の色にもあらわれていますよね。」

 

と話して差し上げることができる、と思いました。

そうしてボトルの話に戻ってこなければ、なんのためのオーラソーマのコンサルテーションなのか? 雑談をしにきたはずではなかろう? ということだとも思いましたし。

 




ですからこんなとき今までの私なら、

 

「あ、ちょっと待ってください。

 

まずはボトルを選んでもらいましょうか。」

 

と言うはずでした。

 

しかしなぜだかこのときにはこのお客さまの話をさえぎってそう言う気持ちにはなれなかったのです。

 

(ま、そういう気になれないのなら、それならそれでよしとしよっか。)と思い、続けて話をふんふんと聞いていました。



聞いているうちに私はごく自然に友人の話を聞いているときかのように、

 

「え~、それは私なら、そのときこうするだろうな。」とか、

 

「じゃ、今度こう聞いてみたら?」などと言っていました。

 

通常、コンサルテーションではプラクティショナーは絶対にこういうことは言いません。

 

ジャッジするようなこと、示唆するようなこと、こちらから提案をするようなこと、そういうことはしないはずです。

 

それはオーラソーマが「すべての答えはクライアント自身のなかにある。」ということに基づいているためです。

 

万が一、オーラソーマではこういうことは言わないな、ということをどうしても言いたくなった場合は、

 

「これはオーラソーマとは少し離れるけれどね・・」とか、

 

「オーラソーマは少し横へ置いておいて、私の意見だけれど・・」とか必ず前置きをします。



でもなぜかこのときはそういうことも一切取っ払ってしまって、ふと気付くと自分の“地”を出してしゃべっていたのでした。

 

それは私が、「まだボトルを選んでもらっておらず、コンサルテーションは始まっていない。」と思っているからにほかなりません。

 

けれど本当はボトルを選ぶ前であろうとお客様とオーラソーマのプラクティショナーという立場で対面している限りはそうするべきではなかったかもしれません。

 

それでもこのときはなぜかこれでいい、と思ったのでした。

 




というのは、クライアントにはいろんなタイプの方がいらっしゃいますが、このお客さまはなぜかボトルを前にしてリーディングが始まると、それからは一切と言っていいほど、ご自分からお話されない方なんです。

 

途中で、

 

「ここまで聞いて、何か心に浮かんでいることはありますか?」とか、

 

「・・・というメッセージがこのボトルにはあるんだ、と今聞いて、どんな気がしましたか?」とか振ってみるのですが、ほんの一言、

 

「そうですね、その通りだと思います。」とか、

 

「ハイ、心当たりはあります。」とかお話になるだけであまり続きません。

 

決して極端に人見知りとか、口数が少ないタイプでもないと思うんです。

 

こうしてご自分からお話になるときにはご自身のことを話されるので。

 

けれど、いったんボトルと向き合うと真剣になるがゆえなのか、そこからは私の方がほとんどリーディングで費やすべき時間だと思っておられるのか、あまり話されない。

 

だから私は彼女が饒舌に自分を語られるのをそのままにして見ていました。



ふと気付き、(これが単なる雑談ではなくもうセッションが始まっているのだ、という意識がこのお客さまのなかにもあるのならこれは、コンサルテーションではなくて、カウンセリングではないか・・?)と思いました。

 

こちらから「こうしたら?」「ああしたら?」という提案やヒントを述べるのはカウンセリングですよね。

 

これは、オーラソーマではない、軌道修正しなくては、と思う自分ともうひとりの、ま、いいじゃないか、時にはこれも・・と思う自分とがせめぎ合っている。

 




後者の自分をなぜよし、とする気持ちもあるかと言うと、その方は「私を選んで些々羅というサロンに来てくださっている」からです。

 

オーラソーマが平板な、誰がしゃべっても判で押したようなボトルのメッセージを伝えるだけのものであるなら、それこそネットで行われているお試しの「無料診断」のように、

 

「ハイ、4本選ばれましたね。

 

これから1本ずつその意味をお伝えしますね。

 

まず、はい、1本目。

 

それはこういう意味です。」

 

と紙に書いたものをお渡ししたっていい、ということになります。(実際、私はどこかでそれを推奨しているティーチャーがいると聞いたことがあります。コンサルテーションでは、自分の言葉でしゃべらずにノートを見て、紙に書かれたボトルのメッセージを話しなさい。そのほうがブレがなく、主観が入らないから、と。そんなロボットみたいなコンサルテーションは私は受ける気にはなれないな、と思いますけれど。)



誰から聞いても同じになるボトルのメッセージを聞きたいのではなく、「私の言葉」となったものを聞きたくていらっしゃるお客さまがいらっしゃる限り、私は多少、“わたし”を出してもいいのでは、と思う自分もいます。

 

ただ、完全にカウンセリングになってしまうとそれはオーラソーマではないから、ということで許されないと思いますけれども。

 

要は自制心とバランスを失わないことですね。

 

きっと私が感じたことは、全国のプラクティショナーの方々が1度は感じたことではないでしょうか。

 

そしてみなさんがそれぞれの自制心とバランスで日々こうだったかな、、ああだったかな、という逡巡のもとにコンサルテーションを行っていらっしゃるのでしょうね。

 




そうして話すことは全部話したな、と落ち着いた様子のお客さまは、それからおもむろにボトルをお選びになり、そこからはいつものように比較的寡黙な方に戻られたのでした。

 

(ま、ときにはこういうのもありでいいか。)と私は思っていました。

 

 

 

 

 

 

 

メニュー、料金、オーラソーマってどういうもの?ということをもう少し詳しくお調べになりたい方は、「HP 些々羅」をクリックしていただき、「オーラソーマ」のナビゲーションから、お知りになりたい項目をご覧になってください。

そこに直接「予約フォーム」に入れる表記があります。

ブログ左肩の「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」をクリックしていただきますと、最新の「営業案内」を見ることができます。

ご予約はメールにて受け付けております。

「オーラソーマヒーリングサロン 些々羅」は、岐阜市中心街にあるサロンです。(岐阜市役所南庁舎すぐ近くです。)

些々羅では製品1品から全国送料無料にて承っております。(※製品の大きさによって通常郵便か宅配便になるかはこちらで決めさせていただきます。ご指定はできない場合がありますので、ご了承ください。)

 

 


“肯定”と“承認”の違い

2014-05-23 09:04:00 | コンサルテーションとカウンセリング

 

さて、昨日は「母がしんどい」という漫画で、最後に主人公である著者がついに精神科にまで通うことになり、そこで出会った先生に、

 

「あなたはどこも間違っていない。今まで1人で戦ってきてえらかったね。」

 

という言葉をかけてもらったことにより立ち直ることができた、というところでハッピーエンドとなっているようだが、このことで私は思い出したことがある、というところで終わりました。



このことから思い出したこと、というのは、母のことではありません。

 

オーラソーマのコンサルテーションのことです。

 

オーラソーマに限らず、心療内科やスピリチュアルなセッションなどで、人は見知らぬ他人の前で(その他人とはその道のプロであると認めているがゆえに)、自己開示をします。

 

どうして見知らぬ他人に自己開示ができるのか(いや、見知らぬ他人だからこそできるのかも、ですね。)、といえば、この「母がしんどい」の著者が救われた言葉のように、「あなたはどこも間違っていない。」と肯定してほしいからですよね。

 

でも、実はこれは違うんです。



ひょっとすると「母がしんどい」の著者の記憶違いで、正確にはこのお医者さんもこういう表現をしたかどうか疑問なのですが、「あなたは正しい。」とか「あなたは間違っている。」というジャッジを下すことは、心療内科ではしないはずです。

 

きっとこの著者が「そのように言ってもらえた!」という気持ちになったから、そういう風に記憶が塗り替えられてしまっているんじゃないかなぁ。



私も多少心理学を学んだのでその記憶を手繰り寄せますと、心理学ではまずはクライアントとの良好な関係を築き上げるために、ラポールを作りなさい、と言われます。

 

ラポールとは「共感する」ということです。

 

オーラソーマでやってくるクライアントさんは自らの人生や体験を話されます。

 

聞くプラクティショナーは、全く同じ体験はしているはずはありません。

 

どんな体験もどの人独特のものがあり、1つずつ微妙ではあっても違う顔をしているはずですから。

 

けれど、その違う体験のなかから、“共感を得る部分”はどんな場合も同じ人間であれば必ず見つけられるはずなんですよね。

 

そこに対して、「あ~、気持ちわかるわぁ。」とか、「そう言っちゃいますよね。」というような合いの手を入れるわけです。

 

それはクライアントさんの“気持ちに添う”という行為であって、クライアントさんの言動を肯定したり否定したりするという“ジャッジを下す”という行為ではないんです。

 

“肯定”と“承認”は違う、ということです。

 




けれど、クライアントさんとしては「あ~、気持ちわかるわぁ。」とか言われると自分の話した内容自体を肯定された、という気持ちになるのもわかります。

 

そこをわざわざ再び、「あの、あなたのお話の中身そのものを肯定しているわけじゃあ、ないんですよ。」なんて口を添える必要もない。

 

それはクライアントさんがそう受け取った、ということなのですからそれでいいんです。

 

けれど、プラクティショナー側はあくまでも、「この人の体験話の内容を肯定したわけではない。私はこの人の気持ちに添って、この人の気持ちや考えを承認しただけだ。」という軸はブレずにもっておかないと、ついいつのまにか「肯定」をしちゃっていることになっていたりする。

 

それは間違いかもしれないけれど、お互いに心地よいものなので、つい「承認」ではなくて、「肯定」してしまった、ということを誰も糺してはくれないし、忘れてしまうんですね。

 




実はわたし、そうなっていたときがあります。

 

あるコースに参加していたときのことですが、生徒が自分がそれまでのワークで感じていたことをシェアしたとき、ティーチャーが、「それは違う。」と否定したんですね。

 

確かにその生徒さんのシェアは「え、今、このワークのシェアとしてそれを言う?」みたいなちょっと頓珍漢なところはありました。

 

けれど、「それは違う。」ってそこまではっきりと否定する?ってちょっとびっくりした覚えがあります。

 

たまたま私はその生徒さんの隣に座っていたので、否定された生徒さんは押し黙ってしまいましたが、横にいた私に、

 

「なんで? なんでわたし、こんなこと言われなくちゃいけないの? 

 

もう何もかもイヤになってきちゃった!」

 

と言ったのです。



その生徒さんはそれまでとても温厚な人柄でニコニコとみんなに接していた人だったのですが、そのときには般若のような形相になり、人が変わったようでした。

 

その様子を見て私はぎょっとしてしまいました。

 

そして何だかパニクっちゃって、

 

「大丈夫、大丈夫。あなたは間違ってなんかないよ。

 

とまさにこの「母がしんどい」に登場する精神科医と同じセリフを口にしていたのでした。



でも、それから私は何だか悶々としてしまったのでした。

 

1つには、やはりオーラソーマのティーチャーがはっきりと生徒の発言を否定したこと。

そしてもう1つにはいくらティーチャーが「それは違う。」とはっきりと否定的な文言を述べてしまったとはいえ、そしてそれにショックを受けたとはいえ、コースに参加するということ自体、自分自身に対するチャレンジなのですから、そこで「何でこんなこと言われなくちゃいけないの? もう何もかもイヤになっちゃった。」と自らの扉を閉じてしまうような意識の持ち方はもったいないな、と思ったということ。

 

なんとか「あなたのハートはオープンなままでいてね。」ということをうまく伝える方法はないのか、と思ってしまったのでした。

 

それは私の役目ではない、と思いながらも。



こういうことが起こったとき、「これは彼女の問題だから。私たちはただ見守るしかないのよ。」という措置を取る人がオーラソーマではほとんどでしょう。

 

ここで何か1つ横からアクションを起こすということは出過ぎた真似だ、ということはわかってはいても、私は何とかならないものかと思ってしまったのでした。(実際には何もアクションは起こしませんでした。)

 




そして3つめとしては、あれだけ温厚そうにみえた彼女が、一言意に染まぬことを言われたくらいで般若のような形相になってしまったことについて、それを私はどう消化したらいいというのだろう、と茫然としてしまったのでした。

 

それで私はこのことをある人に話しました。

 

彼女は、私がオーラソーマを始めてからずっとともに歩んできた人です。

 

彼女はこう言ったのです。



「私は、オーラソーマって、肯定や否定をするものじゃないと思ってるよ。」と。

 

そう言われて初めて私は正気を取り戻した、っていうか、「肯定と承認は違うはずだ。」ということを思い出したのでした。

 

彼女はこうも言っていました。

 

「肯定してほしいと、受けている方が思ったならば、

 

なぜ肯定してほしいと思っているのかってところが、大切なところかなぁって、思うんだ。

 

誰かに否定される自分を否定するのは(つまり、肯定するってことですね)、誰なのかって言ったら、結局自分なんだって思うんだ。

 

だとしたら、なんでそんな遠回りなことをしようとするのかって考える。」

 

なるほどねぇ。

 

ラハシャのカウンセリングスキルコースをずいぶん前ですが受けたときにも、さんざんラハシャは「表面的にその人に起こったことに対して、私は全く興味がないんです。

 

なぜその人はそのことをそのように感じるようになってきたのか? どこで愛されなかったのか? そのことに私は興味があります。」

 

とさんざ言っていました。

 

そのことをいま、思い出しました。




さらに、さらに彼女は、

 

「肯定してもらったことで、自分をやっと肯定出来た場合は、

 

他の誰かに否定された時点で、すぐにまた否定し始めるような。。。

 

そうするとまた、肯定してくれる人のところにいって

 

また肯定してもらおうとする。

 

それって、極端なことをいうと依存かなって気がする。」



これを聞いたとき、私は目からうろこが落ちました。

 

いやいや、目からだけじゃないな。

 

身体に張り付いたあらゆる鱗が落ちました。(え・・ 魚類なのかって・・? まさかぁ。)

 

それくらい衝撃的でした。

 

いい加減な“肯定”をしてしまうと、精神的自立を求めてやってきたクライアントをますますの依存者に仕立ててしまうことにつながってしまう。

 

“承認”と“肯定”は似ているし、その場で起きた言動だけをみたら、「肯定していたよね?」というように人には見えても、プラクティショナー側は常に一瞬たりとも「いいえ、肯定ではない。承認です。」という意識を持っていないといけないなぁ、と改めて身を引き締めたのでした。



「母がしんどい」の著者が通った精神科のお医者さまが「あなたは何も悪くない。」と言ったのも、その発言だけを取り上げると承認ではなくて、肯定のように聞こえてしまうけれど、きっとその前後すべてをつぶさに見て行ったら、やっぱり承認なんだな、ということが行われているはず。

 

それによって、この著者もようやく自分と母親との心の距離を取ることができたんだなぁ、と思ったのでした。

 

 

 






 

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わからなくて当たり前

2013-09-20 09:02:00 | コンサルテーションとカウンセリング

毎年、お互いの誕生日には本を一冊贈りあうことにしている友人がいます。

その友人が今年は、「こころの処方箋」著:河合隼雄 をくれました。

この本は私も昔、読んだことがあります。

なにせ、初版は1992年です。

当時私はまだ実家暮らし。

実家にあるか・・ それともたまってゆく本を置いておく場所がないので半年に1回ぐらいは処分していましたから処分してしまったか・・

いずれにしても記憶のかなたに行ってしまっていた本でした。

友人は、

「『こころの処方箋』なんていうと、今病んでいる人にあげる本みたいだけど、そういう意味じゃないからね。これは1つ1つ短い小話風になっているからどこかには なるほど! って響く部分もあるかな~と思って。

そして時が経ってからまた読み返すと なるほど! って響く部分もあるかな~と思って。」

と言いました。


友人は、この本を長いこと本棚に置きっぱなしにしていて、そろそろ私にさて、今年は何を贈ろうかな、と思っている矢先にふとこの本がまるで本棚の中から飛び出すように存在を訴えかけてきたと言います。

あれ? そういえばこんな本あったんだ・・と思い手に取ると今の自分にとても響いたので、そういうことって何か意味があるかもな、と思ってそれをえっちゃんに贈るよ、と言ってくれました。


とっても意味がありました。

この本はユング派心理学の第一人者である心理学者の河合隼雄氏の手になるもので「55」の小話から成り立っています。

本の帯にもあるように「人のこころの影を知り、自分の心の謎と向き合う。」「“私が生きた”と言える人生を創造するために」ですから、“こころ”という正体不明のものを解き明かし、より充実した人生のためにあるはずですが、その「1」がなんと「人の心などわかるはずがない」なのです。

これにはびっくりしました。

一番冒頭にもってきた話ですから、著者が一番に言いたいことがこれに違いありません。

それが「心などわかるはずがない」・・・

でもなぜかそのとき私は、とてもラクになったのです。

「だよね~!」と。

この小話ではわかりやすくこんな例があげられていました。

たとえば“札付き”と呼ばれる非行少年が連れてこられる。

彼は実際にそう呼ばれるのにふさわしいだけのことをいろいろとやってきている。

親も先生もこの少年を立ち直らせることに努力してきたが、それは泡に帰した。

そこで「専門家」に期待がかけられ、連れてこられてきた、というわけだ。

ここで通常親や先生が「専門家」に期待するのは、この非行少年のこころを“分析したり、探りを入れたり”して、非行の原因を明らかにしてどうすればよいか、という対策を考え出すということである。

ここで河合氏は、

「ところが、本当の専門家はそんなことをしないのである。」と書いています。

一番大切なのは、この子は“札付きの非行少年”なのだ、と決めてかからないことだ、と言っておられます。

「果たして周りの言うことはそうだろうか。」「非行少年とはいったい何だろう。」という気持ちをもってこの少年に対することが大切なのだ、と。

そんな気持ちで少年に会ってみると、あんがい少年が素直に話をしてくれることがある、と。


ふむふむ、ここまでは想像がつく話、といいますか、すんなりと理解できますよね。

私が本当にラクになったのはここからです。


例えば少年が素直に話をしてくれるうちに、実は小さいときからお母さんに叱られてばかりで、お母さんが恐い人だった、と言うとする。

これを聞いて、すわ「母親が原因だ。」とすぐに決め付けてしまう人も素人である、と河合氏は書いています。

「少年が、母親が恐いと涙ながらに訴えるとき、それはその少年にとっての真実でもあるだろうし、それをわれわれは尊重しなくてはならない。しかし、そのことはすぐに母親が恐い人だということにはならないし、ましてや、母親が原因などと即断できるはずもない。」

ここに至ると「あぁ、そう言われると、わかっちゃいるけど、やっちゃうなぁ、時々、それ。」と思い至ります。
そして私が「あ、イタ!」と思ったのは次の表現です。

「『わかった』と決め付けてしまう方が、よほど楽なのである。」


そう、それだ・・・

確かにすっと腑に落ちた瞬間というのは快感です。

だから私たちは「わかった!」という瞬間を求めたい。

求めたいからついそちらにばかりベクトルが向いている自分に気付かない。

「わかった。」という答えを出しても良さそうなネタを少しでも拾い上げると、「それだ!」とばかりに「それ」のせいにして「わかった。」と決め付けたい。

でもそれをしちゃあ、いけないんだなぁ。

ではその先、ほんとうの専門家はどうするのか、ということをこのように書いておられます。

「ここで一番大切なことは、われわれがこの少年の心をすぐに判断したり、分析したりするのではなく、それがこれからどうなるのだろう、と未来の可能性の方に注目して会い続けることなのである。

 速断せずに期待しながら見ていることによって、今までわからなかった可能性が明らかになり、人間が変化してゆくことは素晴らしいことである。しかし、これは随分と心のエネルギーがいることで、簡単にできることではない。

    ・・・(中略)・・・・

『心の処方箋』は、『体の処方箋』とは大分異なってくる。現状を分析し、原因を究明して、その対策としてそれが出てくるのではなく、むしろ、未来の可能性の方に注目し、そこから生じてくるものを尊重しているうちに、おのずから処方箋も生まれてくるのである。」

友人よ、確かにあなたの本棚でこの本が浮き出して見えたことには意味があったよ。

今の私にとても響きました。

一番うなったのは、河合氏も言葉を重ねている「未来の可能性」という部分です。

判断せず、分析せず、決め付けず、そして未来の可能性を尊重してそこに焦点を当て続けて、ただ会うこと。

カウンセリングってこれに尽きるな、と思いました。

最近ではアニマルコミュニケーションの練習を色んな方の大切な動物さんでさせていただいておりますが、その感想である方が、

「恵津子さんの鑑定が温かくて嬉しさいっぱいです。我が子がよりいっそう可愛くてたまらなくなりました。」と言ってくださいました。

私は彼女が大事な我が子を私の練習に使わせてくださって、間違っていることでもあったら悪いなぁという気持ちばかりが先立っていたんですが、こんな風に言ってくださると本当にこちらこそ涙が出るほど嬉しかったです。

それもこれも「飼い主さんとその動物さんがより良い関係を結べますように」という“将来”に視点を合わせたのが良かったのでしょうか。(※亡くなった動物さんの場合も同じです。亡くなった動物さんの魂は永遠ですから“未来”はありますから。)
なんだか、「うん! よし、このスタンスでいいんだ。」という後押しをこの「こころの処方箋」が冒頭からしてくれたような気になりました。


あ、以前このブログでお伝えしましたようにアニマルコミュニケーションをご希望の方は無料で行っていますからね~(このブログでしか告知していないのに沢山の方が申し出てくださり、ありがとうございます。)

どうぞ、メールください。

ちょっとスケジュールが詰まってきているので、2週間ほどお時間をいただくことになってしまうときもあるかもしれませんが、それでも良かったら是非、ご体験ください。






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