先日、ダーリンとゴルフに出掛けたときのことです。
ダーリンは、結構抜け道とか知っているのでこの日も私にはどこをどうやって走っているのやらわからないような、地元の人しか使わないような道を進みました。
すると前に1台のワゴン車が居て、ずーっと同じ道を選択していくんですよね。
ダーリンが、
「前の車はきっと地元の人だよな。中に草刈機積んでるのが見えるし。」と言いました。
「あぁ、あれ草刈機なんだ。」と言いながら、その少し前から私はちょっとイライラしていました。
その車の運転に、です。
のろのろ運転だからイライラした、というわけではありません。
ずっと同じ速度でのろのろ走っている人に、私はさほどイライラすることはありません。
むしろこんな田舎道なら、(あぁ、こんなところは地元の生活道路としてしか使われていないから、と自分の庭ぐらいのつもりなんだろうなぁ。)と思うだけです。
しかし、この日の前の車は田舎道とはいえ30キロぐらいでのろのろ走っているかと思えば、急に「え? なぜここで?」とブィーンとスピードをあげる。
「わ! ちょっと大丈夫? 酔っ払ってるんじゃないの?」と思うほどの蛇行をする。
そんなこと気にせずにこちらはゆったりとした一定のスピードで常に適度な車間距離をとっていれば問題ないじゃないと言われれば確かにそれだけのことです。
なんでこんなにイライラするんだろ?と自分でもよくわかりませんが、私って車の運転に関してはなぜか結構気になってしまうんですよね。
もし、前の車を運転している人が車の運転と同じような人柄で、『ぼーっとしていてのんびり屋さんかなぁ、と思いきや、急にびゅんびゅんと行動をはじめ、なんだかのらりくらりとしたところがある人』だとしても、別に何とも思いません。
それでイライラもしませんし、こういう人嫌いとも思いませんし、むしろへぇ、面白い習性持ってんな、と興味深く観察することでしょう。
それがどうして車の運転となるとこうイライラするんだ?
それは私がきっと「車の運転とは常に周囲に気を払っていて当たり前」という思いがあるからでしょう。
人の命がかかっていることじゃないか。
それなのにきっと前の車の人はバックミラーを運転中に1度も見ることはないんだな、私たちの存在に気付いていればあんな運転はしないだろうに、と思うから腹が立つんですね。
車の運転をしている最中に自分や同乗者の“身の安全に常に配慮する”以上にやることがあるってぇのかぁ!と思うから。
と、いったんこの話は横へ置いておいて、と。
さて、ゴルフ場についてプレー開始。
日曜日なので適度に混んでいます。
前組のプレーをティグランドからぼーっと眺めることになる時間も多々ありました。
そうしていたら、前組でプレーする女の人は「筋金入りの女王様だな!」ということが見受けられました(笑)
カップルで回っていて、その男の人を使う、使う。
バンカーに入る。
すると彼女は、「サンドウエッジ!」と一言叫ぶだけ。
すると男性がはい、はい、とカートに戻り彼女のキャリーバッグからサンドウエッジを取り出して走りより渡す。
彼女、打つ。
バンカーから脱出。
すると普通は、自分が打って荒れた砂地をならしていくのですが、彼女はそれもしない。
さっさと後ろも振り返らず次の地点へ。
彼氏がならす。
グリーンに行くと、パターをして見事彼女、カップイン。
カップからボールを拾い上げない・・
そのままあなた、打ちなさいよ。
そいであなたのが入ったら、私のも一緒に拾ってくれればいいじゃない、というわけですね。
それはもう、見事なほどに女王様なのでした・・
これを見ていたダーリンが、
「腹立つ女性だなぁ。俺だったら、あんな人我慢できんわ。」と言いました。
「あ、そう? 私は男性が嬉々としてやってるなら別にかまわないと思うけど?」と言いました。
こういうとき、どうして男性って「自分があの男だったら・・」という想像をしてしまうんでしょうね(笑)
安心してよ、ダーリン。
わたしゃ、ちゃんと自分のことは自分でするから。
実際、私は「すごい! 今まで見たことがないプレースタイル! あんな人もいるんだ!!」とは思ったものの、まーったく腹は立ちませんでした。
だって、自分になんの実害もない話だし。
彼らのプレーが遅延行為でもなんでもないし、むしろそれでスムーズに回っていましたよ。
あの彼女だって、彼氏と回っているときは女王様かもしれないけれど、ほかの人たちとプレーするときにはちゃんと自分のことは自分でするでしょうし。(多分・・)
でも、このときまた思ったのでした。
朝、前の車の妙なのろのろ運転や蛇行運転を見て腹が立ったのは、私が自分に対して、
「ここは怒って当然! だってそれは危険なことだもの。」という強い思い込みがあったからにほかなりません。
下手をすれば人の生死にかかわってくることだから怒って当然、というといかにもごもっとものようですが、そんな一見誰をも味方につけることができそうな正義の理論をふりかざす私ってイヤな奴だよな、と思いました。
そんなとき、昨日の朝、フェイスブックである記事を見てうなりました。
それはガネーシャに関することで、いつだってどんなときだって穏やかなガネーシャが、自分の周囲であわただしくせかせかと行動する人にだけは怒った、という話です。
それはどうしてだろう?とその記事をUPした彼女なりの解釈が述べられていましたが、それは、
「私たちは常に潜在意識とつながっている。だから潜在意識とつながっていることを信じて行動している人は、無駄な動きをしないからそんなにせかせかはしないはずだ。ガネーシャは、その人が自分の潜在意識とつながっていることを信じて行動していないことに腹を立てたのではないか。」という見解でした。(・・と、こういうことでいいんだよねぇ? かいつまんじゃったけど、えみるん。)
それを読んで私は、なるほど!と思いました。
私の望みは、「すべての人が“あるがままの自分”でいいんだ、と気づいて活き活きと生きてほしい。」ということです。
であれば、この世で腹を立てることがあるとすれば、その人が自分らしく生きていない、というときではありませんか。
そこには世の中が決めたルールを守ったか守らないかとか、道徳的な善悪さえもありはしない。
実に軽やかなハートです。
私も他人のささやかなミスのような言動を見つけては腹を立てるようなことはよそう、と自分に誓いました。
そんなガネーシャのように大きな存在にはなれませんけれどねぇ。
少なくとも自分にそう言い聞かせれば多少は変われるんじゃないか、と・・
しかもこうしてブログに書いてしまえば人からも「あなた、この前こう言ってたじゃない。それなのにこんなちっぽけなことでまた腹立ててるよね。」と叱ってももらえるのではないか、と・・
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