皆さん、こんにちは。
GWに入りましたが、まだまだ不安定なお天気が続きますね・・・
ちっとも春らしくポカポカとした陽気にならなくて、私も冬物が完全に片付けられずに何だかすっきりしません。
皆さんは、GW、いかがお過ごしでしょうか?
テレビを見ていると、旅行は昨年の6割になったとか報道されていますが、皆さんのなかにもどうしても何泊もの旅行はする気になれず今年はとりやめた、という方がいらっしゃるかもしれませんね。
私も、今年はGW期間中に2日ほどゴルフに出かけるくらいで、あとは暦どおりに休んだり、営業したりしてさほど普段と変わりない生活をしております。
さて、そんななか、先日は「香りレイキ」の1stディグリー講座を受けに豊田まで行ってまいりました。
かねてからよく言っているように、私は本来、かなり左脳派の人間でして、目に見えないものとか不思議な世界のことにはとんと縁遠い人間でした。
オーラソーマをやり始めて、そのあたりのことはアタマでは「そういうこともあるかも」と納得できるようにはなったけれど、まだまだ自分で自信を持って、見えないものを自分が発している、とかコントロールしているとか、ましてやそれにプライスをつけて、自分のサロンのメニューに加えるなんてとんでもない!って感じでした。(その割には、オーラの色は時々見えるときがあるんですけれどね。でも、あれはちょっとトレーニングすれば誰にでも見えますよ。別に不思議なことでもなんでもありません。あ、このことは今日はいいか。)
だから、「レイキ」なんて、何のツールも介さずにただ手をかざして「ハイ、今私はパワーを集めてあなたをヒーリングしてます。」なんてものには全く興味はありませんでしたし、まさか自分がそれを習ってみようなんて思いも寄りませんでした。
けれど・・・
なんででしょうね。
パステルアートを習った先生から、「香りレイキ」講座のお知らせを頂いたとき、(いま、私はこの機会を逃したら、一生、ツールを介さないで行うヒーリングのものには手を出さないでいることになる。)という気がしたのです。
ですから、そのときにもレイキというものに以前とは違って非常に興味を抱くようになっていた、とか、是非とも習いたいと思っていたところだった!というほどのわけではなかったのですが、よし、とりあえず受けるだけ受けてみよう、それでどういう気持ちになるかで、その後はまた考えればよい、と思ったのです。
ひとつには、ツールを介さないで取り扱うものなんて!という気持ちは相変わらずあるものの、以前よりは柔軟になっていて、ま、それもありかなという気持ちが多少私自身にもぐりこむ程度のポケットはできた、ということと、もうひとつには、レイキ単独だけでサロンメニューに組み込もうという度胸はないものの、オーラソーマのコンサルテーションの後などにサービスでしてあげることができれば喜ばれるかな、ぐらいの気持ちはあったからです。
さて、そうして受けに行った「香りレイキ」。
私は、“レイキ”そのものについて正式に講義をきくことも、してもらうことも、してあげることも全くの初めてです。
だから、逆に変な先入観というものもなかったのですが、「レイキ」とはもともと日本の鞍馬山発祥のもので、臼井饔男(うすいみかお)さんという方が始められたものだということです。
で、そこまでは知ってらっしゃる方は逆に、その臼井式ともいうレイキでは21日間、決められた12ポジションの1ポジションにつき各5分ずつ手を当てなければ(合計1時間かかることになる。)浄化が行われず、エネルギーがチャージできないものなので、それが続かずについ断念してしまう人が多いということでした。
けれど、「香りレイキ」では香りを使うため、一瞬にしてナチュラルアセンションが可能となり、実にシンプルでかつ形式にとらわれずにレイキを行うことができる、というものです。
そこをある程度力を入れて先生は説明されましたが、オーラソーマをやっている私としては、ポマンダーやクイントエッセンスの理論を学んだとき、香りというものがいかに一瞬にして本来の自分に立ちかえらさせてくれるものか、ということは十分に承知していましたので、そこはすぐに納得できました。
しかし、テキストで次の表現に触れたときには改めて香りのすばらしさを再認識し、なんだか嬉しくなってしまいました。
そこにはこう書いてありました。
『香りレイキでは純粋なアロマ精油の1本1本を“宇宙のシンボル”として扱ってゆきます。この世に存在するすべての自然の香りは、私たちの意識の“何か”の象徴です。好きな香りも、苦手な香りも、すべて自分自身の内側にある“何か”の写し鏡なのです。これは、自分と言う存在のなかにあるものしか、現実に見ることができないという、タオ(道教)の捉え方でもあります。』
いろんなスピリチュアルなことを学ぶツールや方法が世の中にはありますが、それらの究極の目的がすべて「自分の中にある宇宙を知る。そしてそれによって自分自身の本質をより輝かせて生きる。」ということであるような気がします。
であれば、そのつながり方の方法のなかで最もシンプルなことは「自分の直感を信じる」ということにほかなりません。
自分の直感を信じる、ということがなかなかできないので、人はツールに頼りながら、そのツールがそう指し示しているのであれば、そりゃ、その通りなんだろう、とようやく自分の内に潜むものについて信じることができる、という方法をとっているのだとしたら、ツールを何もつかわずに行うレイキのようなものこそ、ストレートにスピリチュアルな目的に向かって一直線に、シンプルに、つながっていることになるでしょう。
そのことを理屈ではなくて(それこそ直感で)、最初から信じることが出来る人にとってみれば、かえってペンデュラムであったり、タロットであったり、オーラソーマのようにボトルに反映してだったり、ツールを使うものの方が、せっかくの自分の直感がどこかで少し捻じ曲げられたり、間違って降りてきたりするのではないか、と懐疑的になり、信じがたいものなのかもしれません。
スタートが私とは全く真逆な、ハナから直感が開かれた人たちだとそう思われるかもしれませんね。
そりゃ、そうですよね。
世の中に目に見えて存在する商品であっても、メーカー直売でなくて、卸をいくつも介在させると本来のメーカーの意図が伝わりにくくなったりしますものね。
それと同じことのような気がします。
先生も、いろいろとスピリチュアルな講座を受けられるようになってから、最終的には「結局、直感が大切なのよ。」ということがようやく体感としてわかってきた、とおっしゃっていました。
この日は何度もいろんな精油の香りをかいでは瞑想したり、レイキをしたりしましたが、目を閉じ、そして再び目を開けるたびに自分がクリアになって新しい自分に生まれ変わっていくような気がしました。
先生にも、「えっちゃんは、本来もっと第三の目が開いている人のような気がする。」と言われました。
私はスピリチュアルなことに対して感覚が開いている人よりは、少し歩みが遅く徐々に徐々に少しずつ感覚が開いていっているのかもしれません。
でも私は自分がもともと全くそういうことを否定しているくらいのカテゴリーに属する人間であったことを全く残念には思っていません。
むしろ、オーラソーマに出会ってから自分のゲートが開き、よりハートがオープンになっていくそのじわじわとした過程を楽しんでいます。
今のところ、まだまだ「直感でいいのよ。」と言われるだけでは納得しない自分がいるのをわかっています。
例えば、今回のレイキであれば、「なぜ、手をかざすことによりそこからパワーが伝わるのか?」「人間の“手”とはどんな使命をおびた器官なのか?」などについては、多少科学的な見地からみるとどういうことになるのか、という部分についても知りたいと思ったりします。
「手当て」というように、痛いところに手を当てるとその痛みがやわらぐというのは事実ですし、理屈なんかじゃなくて、昔から誰でもが経験する、この手を当てたら痛みが和らぐ、という1つの事実をもってしても、科学的に、なんてこむつかしいことをぐちゃぐちゃ言わなくてもいいじゃないか、と言うもうひとりの自分もいたりするのですが、私はそういう自分と、いやいや、やはり理屈も欲しい、と思う自分のぶつかり合いが結構好きだったりします。はは。
しかし、「手当て」に「お手当て」と「お」がつくと、お金のことを意味する場合がある、というのは面白いですね。
やっぱり、マツコ・デラックスがCMで言うように、愛とはお金なのかしら・・・
オーラソーマヒーリングサロン「些々羅」では、メールにてコンサルテーションのご予約を承っております。
PCにてご覧の方は、左肩上の「オーラソーマヒーリングサロン些々羅」をクリックしていたきますと、「4月の予約状況」を見ることができます。そちらでご希望の日時をお決めのうえ、メールを下されば幸いです。
携帯でご覧の方、あるいは予約状況の確認が見られない方は、どうぞご遠慮なく直接、メールにて空き日時からお問い合わせください。
メールアドレス chakra@aura-soma.name
住所 〒500-8105
岐阜市西園町24 ショウエイビル2F (駐車場1台あり)
岐阜市役所南庁舎より徒歩3分のところです。
なお、オーラソーマ製品も販売しております。全国どこへでも送料無料にてお送りいたします。こちらもご希望の方は、メールにてお問い合わせください。(恐れ入りますが、代金の振り込み手数料は、お客様ご負担をお願いしております。)