ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「香りレイキ」マスター講座を受けて

2011-04-30 09:14:00 | 精神世界

皆さん、こんにちは。

GWに入りましたが、まだまだ不安定なお天気が続きますね・・・

ちっとも春らしくポカポカとした陽気にならなくて、私も冬物が完全に片付けられずに何だかすっきりしません。

皆さんは、GW、いかがお過ごしでしょうか?

テレビを見ていると、旅行は昨年の6割になったとか報道されていますが、皆さんのなかにもどうしても何泊もの旅行はする気になれず今年はとりやめた、という方がいらっしゃるかもしれませんね。

私も、今年はGW期間中に2日ほどゴルフに出かけるくらいで、あとは暦どおりに休んだり、営業したりしてさほど普段と変わりない生活をしております。

さて、そんななか、先日は「香りレイキ」の1stディグリー講座を受けに豊田まで行ってまいりました。

かねてからよく言っているように、私は本来、かなり左脳派の人間でして、目に見えないものとか不思議な世界のことにはとんと縁遠い人間でした。

オーラソーマをやり始めて、そのあたりのことはアタマでは「そういうこともあるかも」と納得できるようにはなったけれど、まだまだ自分で自信を持って、見えないものを自分が発している、とかコントロールしているとか、ましてやそれにプライスをつけて、自分のサロンのメニューに加えるなんてとんでもない!って感じでした。(その割には、オーラの色は時々見えるときがあるんですけれどね。でも、あれはちょっとトレーニングすれば誰にでも見えますよ。別に不思議なことでもなんでもありません。あ、このことは今日はいいか。)

だから、「レイキ」なんて、何のツールも介さずにただ手をかざして「ハイ、今私はパワーを集めてあなたをヒーリングしてます。」なんてものには全く興味はありませんでしたし、まさか自分がそれを習ってみようなんて思いも寄りませんでした。

けれど・・・

なんででしょうね。

パステルアートを習った先生から、「香りレイキ」講座のお知らせを頂いたとき、(いま、私はこの機会を逃したら、一生、ツールを介さないで行うヒーリングのものには手を出さないでいることになる。)という気がしたのです。

ですから、そのときにもレイキというものに以前とは違って非常に興味を抱くようになっていた、とか、是非とも習いたいと思っていたところだった!というほどのわけではなかったのですが、よし、とりあえず受けるだけ受けてみよう、それでどういう気持ちになるかで、その後はまた考えればよい、と思ったのです。

ひとつには、ツールを介さないで取り扱うものなんて!という気持ちは相変わらずあるものの、以前よりは柔軟になっていて、ま、それもありかなという気持ちが多少私自身にもぐりこむ程度のポケットはできた、ということと、もうひとつには、レイキ単独だけでサロンメニューに組み込もうという度胸はないものの、オーラソーマのコンサルテーションの後などにサービスでしてあげることができれば喜ばれるかな、ぐらいの気持ちはあったからです。

さて、そうして受けに行った「香りレイキ」。

私は、“レイキ”そのものについて正式に講義をきくことも、してもらうことも、してあげることも全くの初めてです。

だから、逆に変な先入観というものもなかったのですが、「レイキ」とはもともと日本の鞍馬山発祥のもので、臼井饔男(うすいみかお)さんという方が始められたものだということです。

で、そこまでは知ってらっしゃる方は逆に、その臼井式ともいうレイキでは21日間、決められた12ポジションの1ポジションにつき各5分ずつ手を当てなければ(合計1時間かかることになる。)浄化が行われず、エネルギーがチャージできないものなので、それが続かずについ断念してしまう人が多いということでした。

けれど、「香りレイキ」では香りを使うため、一瞬にしてナチュラルアセンションが可能となり、実にシンプルでかつ形式にとらわれずにレイキを行うことができる、というものです。


そこをある程度力を入れて先生は説明されましたが、オーラソーマをやっている私としては、ポマンダーやクイントエッセンスの理論を学んだとき、香りというものがいかに一瞬にして本来の自分に立ちかえらさせてくれるものか、ということは十分に承知していましたので、そこはすぐに納得できました。

しかし、テキストで次の表現に触れたときには改めて香りのすばらしさを再認識し、なんだか嬉しくなってしまいました。

そこにはこう書いてありました。

『香りレイキでは純粋なアロマ精油の11本を“宇宙のシンボル”として扱ってゆきます。この世に存在するすべての自然の香りは、私たちの意識の“何か”の象徴です。好きな香りも、苦手な香りも、すべて自分自身の内側にある“何か”の写し鏡なのです。これは、自分と言う存在のなかにあるものしか、現実に見ることができないという、タオ(道教)の捉え方でもあります。』

いろんなスピリチュアルなことを学ぶツールや方法が世の中にはありますが、それらの究極の目的がすべて「自分の中にある宇宙を知る。そしてそれによって自分自身の本質をより輝かせて生きる。」ということであるような気がします。

であれば、そのつながり方の方法のなかで最もシンプルなことは「自分の直感を信じる」ということにほかなりません。

自分の直感を信じる、ということがなかなかできないので、人はツールに頼りながら、そのツールがそう指し示しているのであれば、そりゃ、その通りなんだろう、とようやく自分の内に潜むものについて信じることができる、という方法をとっているのだとしたら、ツールを何もつかわずに行うレイキのようなものこそ、ストレートにスピリチュアルな目的に向かって一直線に、シンプルに、つながっていることになるでしょう。

そのことを理屈ではなくて(それこそ直感で)、最初から信じることが出来る人にとってみれば、かえってペンデュラムであったり、タロットであったり、オーラソーマのようにボトルに反映してだったり、ツールを使うものの方が、せっかくの自分の直感がどこかで少し捻じ曲げられたり、間違って降りてきたりするのではないか、と懐疑的になり、信じがたいものなのかもしれません。

スタートが私とは全く真逆な、ハナから直感が開かれた人たちだとそう思われるかもしれませんね。


そりゃ、そうですよね。

世の中に目に見えて存在する商品であっても、メーカー直売でなくて、卸をいくつも介在させると本来のメーカーの意図が伝わりにくくなったりしますものね。

それと同じことのような気がします。

先生も、いろいろとスピリチュアルな講座を受けられるようになってから、最終的には「結局、直感が大切なのよ。」ということがようやく体感としてわかってきた、とおっしゃっていました。

この日は何度もいろんな精油の香りをかいでは瞑想したり、レイキをしたりしましたが、目を閉じ、そして再び目を開けるたびに自分がクリアになって新しい自分に生まれ変わっていくような気がしました。

先生にも、「えっちゃんは、本来もっと第三の目が開いている人のような気がする。」と言われました。

私はスピリチュアルなことに対して感覚が開いている人よりは、少し歩みが遅く徐々に徐々に少しずつ感覚が開いていっているのかもしれません。

でも私は自分がもともと全くそういうことを否定しているくらいのカテゴリーに属する人間であったことを全く残念には思っていません。

むしろ、オーラソーマに出会ってから自分のゲートが開き、よりハートがオープンになっていくそのじわじわとした過程を楽しんでいます。


今のところ、まだまだ「直感でいいのよ。」と言われるだけでは納得しない自分がいるのをわかっています。

例えば、今回のレイキであれば、「なぜ、手をかざすことによりそこからパワーが伝わるのか?」「人間の“手”とはどんな使命をおびた器官なのか?」などについては、多少科学的な見地からみるとどういうことになるのか、という部分についても知りたいと思ったりします。

「手当て」というように、痛いところに手を当てるとその痛みがやわらぐというのは事実ですし、理屈なんかじゃなくて、昔から誰でもが経験する、この手を当てたら痛みが和らぐ、という1つの事実をもってしても、科学的に、なんてこむつかしいことをぐちゃぐちゃ言わなくてもいいじゃないか、と言うもうひとりの自分もいたりするのですが、私はそういう自分と、いやいや、やはり理屈も欲しい、と思う自分のぶつかり合いが結構好きだったりします。はは。


しかし、「手当て」に「お手当て」と「お」がつくと、お金のことを意味する場合がある、というのは面白いですね。

やっぱり、マツコ・デラックスがCMで言うように、愛とはお金なのかしら・・・




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私の決断グセ

2011-04-29 09:27:00 | 身辺雑事

昨日は、バタフライ&シーエッセンスの授業でワークをした際に、自分の出した結論がエッセンスを振りかけられる前と後では変ってしまった、という面白い経験をした、という話を書きました。

そのお話にまつわる結論としては、結局、私って目の前に差し出されたこと、自分の身に訪れたことを振り払えない性質なんだな、と思わざるを得ませんでした。

そう思ったとき、ふと私の脳裏に、そういえば、以前にも似たことがあったな、という自分の身に実際に起きたことを思い出していました。

それは、おばあちゃんが亡くなったとき。

おばあちゃんは94歳まで生きました。

小柄でしたが、最後の最後まで腰が曲がることもなく、いつもシャキッと背筋を伸ばしていました。

そんなおばあちゃんが、特にどこが悪い、というわけでもなかったのに認知症が進み常にあれがなくなった、これがなくなった、お前が取ったんだろ、それともあいつか、というようになったとき、家族は致し方なく老人病院に入れました。


私や母はおばあちゃんと同居はしていませんでしたが、一緒に暮らしている叔母は仕事を持っていたので、昼に寝て、夜になるとたんすを整理しだしては誰からかまわず泥棒扱いして、ののしりだす、というおばあちゃんに対して寝不足にもなるし、耐えられなくなってしまったのです。

叔母さんの体がもつか、おばあちゃんをなんらかの形で拘束するか、という二者択一を迫られる状況でしたので、やむをえない決断としておばあちゃんを病院に入れたのでした。


いったん病院に入って歩くこともなく、ベッドの上ばかりにいるようになったら高齢でもあることだし、足腰がだんだん弱って、このまま病院で一生を終えることになるだろう、というのは誰もが口にこそ出しませんでしたが、暗黙の了解のように納得済みのことでした。

ある早い明け方、1本の電話が鳴りました。

父からでした。

おばあちゃんが亡くなった、という知らせでした。


呆然としました。

少し前におじさんが亡くなりましたが、そのときには徐々に命の終焉を向かえそうだ、という感じが見ていてもわかりました。

呼吸がだんだん荒くなり、ときどき目を開けていたのが、ほとんど寝たきりになり、ということなどから。


しかし、このときのおばあちゃんにはそんな兆候はなかったのです。

まだまだ生きる、と思っていました。

おばあちゃんは末っ子で体が弱かった母を思いやって、ずーっとうちの両親がやっている店の開店前の下ごしらえを手伝いに来てくれていました。

母は私が幼い頃に一時結核にかかり、入院していたときにおばあちゃんとふたりで暮らしていたこともあって、私はおばあちゃんっ子でした。

だから突然の訃報にショックを受けました。

この日、私は23日で仕事で沖縄に行く予定でした。

私が行くのを取りやめたって、回らないような仕事ではない。

どうしよう・・と迷いました。

けれど、結局、私は出かけたのです。


これが、バタフライ&シーエッセンスの授業で語られたような「危篤」ということであればどうしていたかはわかりません。

けれどこのときはすでに亡くなってしまったのだから、今更仕事を取りやめたって何も状況が変るわけではない、と自分に言い聞かせ、出かけました。

3
日間の予定であった仕事は2日間で奇跡的に片付き、同行した全員が「ひゃっほー! あと1日は沖縄観光ができるぜぃ。」とはしゃぐなかで、ようやく私は祖母が亡くなったことを話しました。

だから、今帰れば、最後の見送りには間に合うので、一足早く帰ることにする、と言いました。

もちろん、同僚たちが異を唱えるはずもありませんでしたが、このとき、中のひとりに、

「そもそも絶対来なければならないような仕事じゃなかったのに、おばあさんが亡くなったのに沖縄にやってきたこと自体が信じられない。私なら絶対にそんなことはしない。」と言われました。

(“私ならしない”ならそれでいいじゃないか、ひっそりとそのときには自分はその方法を選択すればいいだけなのに、今この場でこの人はなぜこんなことを言うのだろう? )と冷めた頭で考える私がいました。
この発言は思いがけないものであり、多少は傷つきましたが、それもたいしたものではありませんでした。

この沖縄の仕事には行く、と自分で決めたことなのだから、それにまつわることは全部引き受ける覚悟がこのときにもあった、と思います。

私が沖縄に行くのをとりやめて、亡くなったおばあちゃんの元にすぐに駆けつけ、おばあちゃんが骨になるまでずっと付き添っていた場合と、沖縄に出かけた場合とで、何がどう違ったでしょう?

今考えてみても、仕事も、おばあちゃんの魂やその周りの人たちの思いも、どちらを選んでも何も違わなかったような気がします。

違うのはただ私自身がどちらを選んだほうがケジメがついた気がしたか、だけでした。


ここでも、バタフライ&シーエッセンスで先生が話されたストーリーの場合の結論でも、どちらにしても、どういう結論を出したのが正しかった、という話ではないんだな、ということを改めて思いました。

「何をするか、ではなく、どうやってそれをやるかが大切なのだ。」という言葉が浮かびました。

それにしても私の結論の出し方、選ぶ方向というのはいつも同じベクトルなのだな、ということを思ったのでした。

一度決めたことはまず、変えない。振り返らない。

だからこう、と決めたらやり遂げる力がある、という言い方もできるし、テコでも動かない強情で融通がきかないところがある、という言い方もできる。

逆に言えば、「これが私なんだな。」という決断グセがわかれば、違う結論を出しそうになったとき、おや?と立ち止まって本当にいいのか?ともう一度自分の胸に問いかける、ということをすればいいし、おや?が続けば、「私ってちょっと変ってきたかしら。やり遂げることに固執しなくなり、柔軟でしなやかな考え方ができるようになったんだわ。」って思っていればいいってことかしら。

う~ん、どこまでも良いようにしか考えないってとこは一緒かぁ。




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バタフライ&シーエッセンス  part1 2日目を受けて

2011-04-28 09:13:00 | オーラソーマ

2週間の間をあけて、バタフライ&シーエッセンス part12日目を受けに静岡まで行ってまいりました。

この2週間の間、先生が調合されたエッセンスを振りかけ続け(オーラフィールドに、第三の目に、舌下に)、それで何か感じたことがあったかどうかからスタートです。

私は精神的な面ではこの2週間、非常におだやかでいられたように思いますが、何せボトルともワークしているものですから、それがボトルによってもたらされたものなのか、このバタシーエッセンスによるものなのかがよく判別がつかなくて、それをバタシーエッセンスによる気付きである、とはっきりと言い切る勇気はありませんでした。

しかし、ひとつだけ、これは確実にバタシーによるものだ、と自分で実感できることがありました。

それは嗅覚。

この2週間やけに“そんなはずはない”という場面で、明確な香りをかいだのです。

例えば、ひとりで車を運転しているときに、助手席からふとコーヒーの香りが。

それはダーリンが好んでよく買う銘柄の缶コーヒーだ、ということまでわかりました。

思わず、「え? ダーリン、乗ってなかったよね・・」と助手席をまじまじと見つめてしまうほどでした。

それから、ふとした瞬間にホワイトポマンダーの強烈な香りを感じたこともあります。

そんなに町行く人々がオーラソーマに親しんでいるとは考えにくいので、これもまた幻覚かぁ、と思うんですが・・・

パソコンで仕事をしているときにもサンダルフォンのアークエンジェロイエッセンスの香りをふんぷんと感じたり・・・

そのことを話すと先生は、「香りは記憶とつながっているからね。感覚が敏感になって、何か過去とつながったのかもね。」とおっしゃいました。

そう言われても、そこまでの分析は私にはできませんでした。

缶コーヒーの香りにしても特に思い出深いエピソードとつながるようなものがあるわけではありませんし、ホワイトポマンダーやサンダルフォンにしてもそうです。

それにしても、こういった経験は初めてのことだったので、非常に繊細だと言われているバタシーのエッセンスを使って、自分が何かしら明確な感覚が得られた、ということだけが何だかとても嬉しかったのでした。

さて、この2日目ではちょっとしたワークをする時間がありました。

これがとても面白かったので今日はそのお話をしたいと思います。

先生が、「さて、これから私がひとつのストーリーをお話します。それを皆さんは、自分の身に起こったことだ、と思って聞いていてください。そして最後にひとつの決断をしてください。その後、私が皆さんにあるひとつのエッセンスを振り掛けます。そのあとでその決断について、どういう気持ちになったか、何か変化があったかをまた感じてみて下さい。」とおっしゃいました。

そのストーリーはこういうものでした。

「あなたは今、29歳です。父親はすでに亡くなり、母と子のふたりきりです。その母を故郷に残し、舞台に立つスターを夢見て、上京してきたのが10年前。

いくつもオーディションを受けましたが、そのたびに今一歩というところで落ち続けました。なかなか、夢を追うだけの生活では食べていけません。あなたはいろんなアルバイトをして生計をたてています。そんなあなたをずっと支えてきてくれたのがお母さんでした。お母さんは今でも仕送りを続けてくれています。

今、あなたは自分の身の振り方について、少し考えています。

このまま夢をあきらめずにいるか、それとももう見込みはないだろうから、故郷に帰るか・・・ 

 そんなとき、あなたに今度こそたぶん、あなたがこの役を勝ち取れるだろう、というオーディションの話が舞い込んできました。あなたは、いつも以上にレッスンに励み、万全に体調を整えてその日を迎えました。そして、あなたは決心しています。このオーディションにもし落ちたら、今度こそきっぱりと夢をあきらめて故郷に帰ろう、と。

 出番を待っているあなたにこんな知らせが舞い込んできました。故郷のお母さんが、交通事故にあって、今危篤だということです。

 さて、あなたはオーディションを棄権してすぐに帰りますか?

 それともオーディションを受けますか?」

自分の身に起こったようにして聞く、ということでしたので、先生がこのお話をもう少し肉付けして、まるで目の前にそのドラマが展開されているかのようにして目をつぶりこの話を聞いている間中、私はまぶたの裏に母の顔を思い浮かべていました。

母とはずっと身近にいすぎるせいで、なかなかうまくいかなったけれど、もしこのストーリーのように10代にして一人の母を寂しい片田舎に残して上京してきたのだとしたら、もっと素直に「お母さ~ん!」と甘えたり、いたわったりしてあげられる関係でいたかもしれない。


そしてその母が交通事故で危篤だと言う。

今、私が駆けつけて、一声でも声を聞かせてあげることができたら、母はよし、もっと生きなきゃ!と気力を奮い立たせて、助かるかもしれない。

そんなの、駆けつけないわけがないじゃない。

目をつぶりながら、そう思いました。

もう、ストーリーに入りすぎて、涙があふれそうなくらいでした。

そう思ったときの私に、「でも、ここであきらめたらもう自分の夢は終わりだ。」とか、逆に「いいや、こんなことで終わるわけはない。今度のオーディションはダメでも母の元に駆けつけて母が持ち直してからまたチャレンジすればいいだけのことだ。」とか「しかし、それで母が喜ぶだろうか・・?」とかいろんな考えが浮かび、その結果、決断した、ということではありませんでした。

とにかく一目散に私が駆けつけたいんだ。それだけのことだ、と思いました。

考えはそこからいろんな方向に発展も、つながりもしませんでした。

母がなんと思おうと、私が、この私が、いますぐにでも母に会いたいんだ、それだけのことだ、と思ったのです。


人間は感情の動物なので、理性と感情がぶつかったら、まず常に感情が勝つ、といわれていますが、このときもそんな感じでした。

この先の自分の人生とかそんな理屈よりも、感情としてとにかく母にひと目でもいいから早く会いたい、という気持ちだけだったのです。

そしてそこへ何かはわかりませんが、たっぷりとエッセンスが吹きかけられました。

そして先生の声がしました。

「さぁ、少しゆっくりとこのエッセンスを純粋に味わってから、もう一度決断してみてください。」

すると・・・

なんと不思議なことに、私は一瞬のうちに、「オーディションを受ける。」と翻って決めていました。

え?

自分でもとまどいました。

何でいま、わたし、そう思っちゃったの?

いや、思っちゃった、っていうレベルじゃなく、そう決めちゃったの・・?

わけがわかりませんでした。

しかし、これまた不思議なことに、その決断に対するプロセスがまったくないのでした。

「とにかく私はやはり、オーディションを受けることに決めた。それだけのことだ。」というのが結論でした。


頭の中にはぼんやりとどちらを選択しても、それなりのひずみというものは生じるだろう、ということを考えてはいました。

周りからの中傷、自分で自分を責める、ということもどちらを選択しても少しはありそうな気がしました。

けれど、何が起こっても全部、それらについてはもう腹をくくった。

私はそれらを引き受ける、引き受ける、と決めた限りには何が起こっても、そこで泣いたりはしない。

そう思いました。

「準備ができた方からゆっくりと目を開けてください。」

先生の声がして、それから生徒たちで自分が、自分の思考だけで考えたときにはどんな結論を出したか、そしてエッセンス後にはどんな結論を出したか、をシェアしあいました。

私以外のおふたりの結論は、私とは真逆のものでした。

なので、私は、私の順番が来たとき「私は全く逆でした。」と話しながらも、内心(あれぇ、やっちゃったかなぁ。私だけ、なんかエッセンスを取り違えてるか、その効果をわかってなかったのかなぁ。)と思っていました。

全員のシェアが終わると、先生がそのエッセンスがシーエッセンスの「コモン・トロピカル・オクトパス」であったことを明かされました。

そして、このオレンジがかったゴールドのエッセンスが私たちの内なる強さを増加し、物事を一気に片付けるエネルギーを発揮するものであることを教えてくださいました。

「たこ」は吸盤を持っています。

なので、しばしば他人や何かほかのものに吸い付いてしまい、自分自身が自分自身のためにしなければならないことを見失ってしまい、自分で自分の人生を制限してしまう、というブロックから解き放ってくれるエッセンスなんだそうです。

「だから、結論をどちらにしたか、ということが問題ではないの。ただ、その決めたことによって、それは全部自分で引き受ける、というようなきっぱりとした決断ができる、ということが大切なの。」とおっしゃいました。


あぁ、よかった。

だったら、私が感じたこと、結論だけがぽぉんと先に来て、それが理屈じゃない感じ、なぜ?はなくてもその結論に対して自分はすべて引き受けます、という感じになったことはやはりちゃんとエッセンスを感じていられたからなんだ、と思いました。

すごいわ、バタシーエッセンス!

明らかにエッセンスを振りかけられたとたん、結論が変ってしまったもの。

それがエッセンスの力以外の何物だというのかしら。

でもふと気になったので先生に質問してみました。

「これはエッセンスによって、結論が捻じ曲げられたのではなくて、もともと自分の潜在意識下にあった本当の自分の考え方による結論が表層に浮かび上がってきた、ということなんですか?」

すると、そうだ、という答えでした。


ボトルと毎日ワークしながら、コツコツと気付いていくのもまた醍醐味だけれど、1回ワークしてみただけで、まるでマジックのようにその効果が感じられるバタフライ&シーエッセンスもとても面白い、と思いました。




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イギリス式ティータイム

2011-04-27 09:12:00 | うんちく・小ネタ

オーラソーマの授業は、発祥の本国イギリスにならって、「お茶の時間」というものがあります。

たいてい10:00から始まって、1時間か1時間半ほどするとお茶。

そして午後にももう1回お茶の時間があったりします。

私にはこの習慣がなじめなくて、かつ不満でした。

だって、ですよ。

こっちはお茶の時間をしにいっているわけじゃない。

オーラソーマの授業をたんまり受けたくて行っているんです。

なのに、10:00から始まって1時間かそこいらしたらもうお茶だなんて、たいていはオーラソーマの場合、まずはポマンダーを施して、軽い瞑想を行いますので、これだけですでに30分以上を要します。

そして、初日だと「まずは皆さん、自己紹介しあいましょう。」となりますので、参加人数によっても違いますが、これを行うとたいてい「ハイ、それではちょっと休憩しましょう。」とお茶になるんです。

ちょっと休憩もなにも、なんもまだ本題に入ってないじゃない。

導入のための枕詞みたいなもんなんだから、つまりずっと休憩みたいなもんじゃない。

それをもう休憩?って感じがしちゃうんですよね。

おまけに10:00開始で1時間か1時間半のところでお茶っていうことは11時すぎか11時半すぎくらいですわね。

それって、いつもランチを12:00若干前くらいの早めの時間に取る私にしてみれば、お茶じゃなくてすでにランチにしたいくらいのお腹の状態。

しかも私の場合、岐阜という田舎に住んでおりますので、授業を受けるためにはたいてい東京だの大阪だの出向かなくてはならない。

東京で10:00開始の授業の場合、たいてい家を出るのは6時台です。

起きるのは5時台。

そんな早くから起きて、いつもより早めに朝食をすませているのですでにお腹はぺこぺこなんです。

しかし、私はすきっ腹の状態に甘いお菓子などでお腹をごまかすのが嫌いときている。

空いている腹にはきちんとした食事で満たしたいんです。


だからこの11時半くらいのお茶のときにはたいていそのサロンの先生がクッキーやらお菓子を用意してくださっているんですが、あまり手をつけないようにする。

で、ランチタイムは13:30~とか、14:00~とかです。

もう、ぺっこぺこ。


そして長いランチタイム(たいてい1時間程度ではなくて、1時間半~2時間いただけます。)が終わり、再び授業となって、4時くらいにまたお茶をします。

つまり、10:00~17:00という授業であっても、正味授業に割かれた時間と言うのは4時間~5時間ぐらいじゃないでしょうか。(いちおー、6時間ということになってますけど・・)

よし、これから集中するぞ、というときになると「ハイ、お茶にしましょう。」という感じで、どうも間延びして間延びして仕方がないように感じる。

いったい、本場のイギリス人というのはこんなにもお茶しているんだろうか?と不思議でしたので、ちょっとたまたま数年前イギリスに語学のための短期留学をした、という知人に聞いてみました。

すると彼女いわく、「一口にお茶、といっても、ブレクファストティー、アフタヌーンティー、ハイヌーンティーとかいろいろあるけれど、それぞれの家庭によってどれか1つぐらいを大切にしているぐらいで、そんなにも午前にもお茶、午後にもお茶、というのをたっぷり時間をかけてとっているわけではないと思うよ。」とのこと。

「それよりむしろ、それぞれの時間帯のお茶には必ずこうしなければならない、という作法があって、それをいかにちゃんと知っているか、こなせるかで上流階級かどうかがわかる、という目安のために存在しているようなものだから、一般人の家庭ではもはや形骸化しているようなもんよ。」ですって。

だったら、なんでそんな形骸化したスタイルだけを日本に持ってきちゃったんだろー、オーラソーマ。

これは日本でいう茶道を「道」ととらえず、抹茶と和菓子だけを何度もたらふく食べている外人、ということと同じではないだろうか・・・

まぁ、でもそれがオーラソーマのスタイルなら、と思ってきましたが、最近、やはりそれをおかしい、と思うニュースタイル志向のティーチャーたちも増えてきたのか、同じ5時間なら10:00~ではなくて、13:00開始にして、休憩入れずにずっと18:00まででいいのではないか、というような授業の組み方をしてらっしゃる方もみえるんだとか。


私は、出席してらっしゃる生徒さんや先生との気の張らないコミュニケーションタイムという意味合いもあるから、1回ぐらいティータイムをはさむのはいいと思うんですが、2回以上はいらない、と思います。

そしてその際、ランチタイムも2時間もとってもらわなくていい。

なんかだらだらしちゃうだけみたいでヤダ。

発祥の地のスピリットを受け継ぐのはいいけれど、日本じゃこだわりのない飲み物やお菓子を食っちゃべってるだけだもんねぇ。

ちなみに余談ですが、先ほど登場しました短期留学した彼女。

「イギリスって食べ物おいしくない、っていうけどどうだった?」と聞くと、

「聞きしにまさる、よ。何が一番おいしかったかっていうとファストフードのフィッシュ&チップスだわね。フランス人は味わうために食べる、イギリス人は形式を重んじるために食べる、っていうけどまさにそんな感じ。」ともうボロカス。

なかでも一番驚いたのは・・・ということで彼女が披露してくれたエピソードとは。

ある日、ホストファミリーの奥さんが、「キョーコ、今日の夕食はステーキがいい? それともサラダ?」と聞いてきたそうです。

彼女の頭のなかは????

ステーキにサラダを添えてくれるわけにはいかないのか?

しかし、いろんなことを話せるほど英語が上達していなかった彼女は、野菜不足だし、お肉にも飽きたし、サラダと答えたら、それだけでメインを張る料理っていったいどんなものが出てくるのか興味津々で、「サラダ」と答えてみたそうです。

そうしたら、その晩登場したのは、ほんとに生野菜サラダのみ。

ほかには一切なにもなし。

「え? それでそのホストファミリーの一家は何を食べてたの?」と聞くと、

「一緒よ。ただひたすらパリパリとサラダを食べてたわ。」

「・・ふぅ~ん。それでお腹いっぱいになったのかねぇ?」

「わかんない。私はならなかったけど。食べ貯めでもないけど、ある日お肉をお腹いっぱい食べて、その次の日は野菜しか食べない、っていうやり方で調整してるんだろうか。」とそれは彼女にも、彼女がホームステイした先の一家だけのやり方だったのか、イギリス人全体のやり方だったのかはわからないそうです。

ま、いただけないのは食生活だけで、オーラソーマの世界が色とりどりで華やかな世界であればいいんですけれどもね。




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臥龍桜

2011-04-26 09:29:00 | まち歩き

おとといの日曜日、ダーリンとふたりで飛騨高山にある臥龍桜を見に行きました。

出かける間際、車のボディにどこからか虹が写りこんでいるのを見るだけで、気分が高鳴る単純な私なのでした。

いつもは日曜日となると必ず渋滞を起こしている東海環状線。

しかし、この日はすいすいで車の台数がすごく少ない。

やっぱりみんな、東日本大震災でお出かけを自粛してるのかな・・

それとも来週からゴールデンウィークなので、そこでお出かけするから前週はちょっとお休みって感じだけなのかな。どっちなんだろ。

途中立ち寄った道の駅では「はなもも」というピンクの色濃い花が咲き乱れている公Photo 園があり、その花びらが風に舞い雨のように降ってくるなかに身をおいて、いっとき違う世界に旅に来ているような気持ちになりました。

Photo_2 目を山に移すと、木蓮が咲き誇っていて、一見、山がところどころ雪化粧しているかのように見えます。風流じゃのう。



その道の駅には熊の剥製が置いてあって、キャップがかぶせてあったのですが、説明書きを読むと、あんまりお客さんがこの熊の頭をなでるので、そこだけハゲちゃったんだとか。

こそっとキャップを取ってみると、ホントだ。ハゲてる・・・

臥龍桜がある飛騨一宮までの道筋は、ひたすら41号線の一般道を行く方法と、高山まで一気に高速で行ってしまって、そこから41号を下ってくる方法と、美濃加茂からせせらぎ街道を北上して高山まで行き、そこから41号を下ってくる方法があります。

私たちは、道中ぶらぶらと景色を見ながらドライブするにはもってこいのせせらぎ街道を行くコースを選択しました。

この日は車の台数こそ少なかったですが、オートバイでツーリングをしているチームに何組も出会いました。

確かに車よりバイク、バイクより自転車、自転車より徒歩、といった具合によりバイクのほうが車より体で春の訪れを感じることができるでしょうねぇ。

皆さん気持ちよさげにエンジンを吹かしていました。

しかし、ツーリング軍団はけっこうおっさんが多いんですね。

若者はほとんど見かけませんでした。

せせらぎ街道は、ドライブやツーリングにはうってつけの期待を裏切らない道でした。

ところどころにまだ雪が残っているのには驚きました。

気温は、道中のデジタル計を見ると、11℃。道を進むごとに9℃、7℃と下がっていきます。

「ひぇ~! 7℃なんて真冬じゃん。」と言いながらも、窓を開けていてもなぜか気持ちいい。

ひんやりとはするけれど、同じ気温の低さでもこれから冬に向かう、というときの寒さとこれから春に向かうというときの寒さがこうも違うのはどうしてでしょうね。不思議です。

自称山菜ゲッターのダーリンは、車を走らせながらも「あっ! いま、タラの芽があった。」と言っては、車を路肩に寄せ、「ふきのとうが群生してた。」と言っては、取りに走ります。

私には、なぁ~んも確認できません。

山菜を見つけるために、車のスピードを落として走っているわけではないんです。

普通に法定速度(もしくはそれ以上・・?)で走っていて、どうしてあんなに山菜が発見できるのかほんとに舌を巻きます。

「おれ、山菜に関するときだけはやけに動体視力がいいんだ。」と本人が言うとおり、それ以外のときに特に何かを発見する能力にたけているわけではないんですがね。

そうしてゲットした山菜(主につくし、タラの芽、ふきのとう、破竹)を去年はもう結構、というほど天ぷらにしていただきました。

ダーリンの感心するところは、ちゃんとその日に天ぷらにしてふたりで頂く以上の量はとらないところと、あまりにも若い芽は可哀相だ、と言って取らないところ。生物多様性の理にかなっていますね。

さて、どのみち高山市内を通るなら、と高山ラーメンでお昼にしようということになりました。

ダーリンが推奨したのが「伝七」というお店。

Photo_3 ここのラーメンは高山ラーメンらしいしょうゆを煮込んだようなスープではなく、もっとあっさりした感じのラーメンでした。

ごちそうさま。

さてさて、お目当ての臥龍桜。

私はもっと、山の道を歩いて山奥に分け入った奥深いところにあるのかと思っていたら、意外にも飛騨一ノ宮駅のすぐ脇でした。

「すいてるな~」とダーリンが言うとおり、一応、臥龍桜のハッピを着たおじさんたちが車の整理に出ているのですが、駅前の10台ほどが止められるスペースに止めることができました。

そして、なんと駅の構内をすり抜けて向こう側に渡り、桜を見に行っていいんです。Photo_4

駅に入るための入場券を買うとかそんなもの一切ありません。

たぶん、駅の利用者よりもこの季節の桜を見るために駅を利用する人のほうが圧倒的に多いと思われます・・

「あぁ、残念だなぁ。桜はまだ五分咲きかぁ。」とダーリン。

しかし、私はまったく残念ではありませんでした。

なぜなら、ひとつには、私はもともと葉桜と花の両方の色を見られるくらいの山桜っぽいもののほうが好きだということ。

それはさながらB99「大天使ザドキエル」の色合いのよう。

B99はマイク・ブースが「スリランカの寺院の池に浮かぶ蓮のようだ。」と称した色合いのボトルで、私もそのとおりだ、何かしらこのボトルには鮮やかながら東洋の色合いを感じる、と思っていましたが、最近、この桜の五分咲き、あるいは散り際で、葉がもう出てきているときの色合いだと称したほうがピンとくるな、と思っています。Photo_5

そしてもうひとつの理由とは、「桜の花を見に来たのではない。その幹を見に来たのだ。」という気持ちが強かったからです。

それはちょうど昨晩のこと。

日本最古の桜はどこだ?ということをテレビでやっていました。

それは山梨県にある桜で、樹齢はなんと2000年だそうです。

たぶん、この桜をここに植えたのはヤマトタケルだと言われているような伝説の桜。

その桜がテレビの画面に大写しになったときは、ダーリンと「うへぇ。なんだか妖怪みたいだなぁ。人間でも樹木でも年を取ると妖怪みたいになるんだな。」と言っていました。

けれど、その桜が樹木医の手によって、幹の30%が死んで空洞になっている、とか立ち枯れている部分があるとかが明らかになるにつれ、それを乗り越えて生きようとするすさまじいパワーに圧倒されはじめました。

なんとその桜は、枝が折れて地に着いたところから細い細い根が出て、枯れた部分の根をフォローするようになっていたのです。

その根っこは糸のようにほんとにほんとに細いものでした。

スコップで土を掘って栄養を与えようとすると根を断ち切ってしまう恐れがあるため、エアースコップという、空気を押し出す力で土を吹き飛ばしながら地面を掘っていきその根に栄養を与えるという方法がとられていました。

桜はその幹のほとんどが枯れていても、まず100%に近い満開の花を咲かすそうです。

それはまるで自分の命を食いつぶしてでも、人にはきれいな姿しか見せないぞ、というプロ根性のようにも思えました。


これを知ってから、桜に対するイメージががらりと変りました。

それまでは桜といえば、「華やか」「優雅」「女性らしい」というようなエレガントなイメージだったのが、「パワフル」「力強い」(同じか)、「どっしり」「忍耐強い」というようなイメージに変ったのです。


Photo_6 そして、この臥龍桜にもそんなものを感じました。

以前は、まさに龍が山肌に臥せっているようなその姿を一目みたい、と思っていたのが、伊勢湾台風のときに龍の頭の部分が折れたけれども1100年の樹齢を支えてきたその幹が見たい、と思ったのです。

その幹はもう「妖怪」のようではなく、「風格」さえ感じさせ十分に満足しました。

さて、帰途は、どこか温泉に立ち寄って帰ろう、ということになりました。

以前に行ってなかなかいろんな種類のお風呂があってよかった「美輝の里」にしようか、線質のよい「下呂温泉」にしようか迷いました。

どちらも臥龍桜の場所からは30キロほどあります。

「まぁ、ぼちぼち行こうか。」とまだ時間も早かったので、どのみちどちらも41号を途中まではまっすぐに行くしかないので、走り出しました。

すると途中で「ひめしゃがの湯」という看板をみたとたん、ダーリンが、「あ! ここに入っていこう。」と言いました。

「知ってるの?」と言うと、

「いや、知らん。だからいいんじゃないか。でも、名前がいいじゃないか。『ひめしゃが』って、菖蒲の花みたいなやつだぜ。この時期にふさわしいじゃん。せっかくだから行ったことのないところに行こうよ。」と言います。

ま、それも道理だ、とそこへ立ち寄ることにしました。

行ってみると・・・

「ひめしゃがの湯」は赤銅色をした、少し硫黄の匂いもするお湯でした。Photo_7

外に飲用の湯があったので、それを一口飲んでから、と思い立ち寄ると、一組のカップルがそこのお湯を飲んでいて、男性のほうが一口飲んだとたん、「うへぇ、こりゃかなわん。」というような顔をしました。

おそるおそる飲んでみると・・・

ダーリンが「・・・さび付いた水道管から出てきた水を飲んでいるみたいな気がする。」

・・・はい。これがもっとも素直で言い得て妙な感想だと思います。

しかし、実際に浸かってみたらとってもいい感じ。

お風呂のなかには「このお湯は全国でも珍しい細胞液とほとんど同じもので、等張性にすぐれたお湯なので、細胞膜を通して浸透性がとても良いため、非常に温まります。」と書いてありました。

一瞬、へぇ、と思いますが、よく考えてみたら、そんなに浸透性が良いんじゃ、このお風呂に浸かっていたら、何だか体液が赤銅色になり、どっぷんどっぷんになりそうな気がしてきました。そもそもお湯につかってるだけで、そんなに体のなかにお湯が浸透しちゃうわけってないでしょ?

そもそも人間の皮膚って角質層までしか異物は通さないんじゃなかったっけ?

いくらヒトの細胞液と似ているからって、真皮層までは通さないでしょーとか思うんですが・・・また、固いことは言いっこなし。

実際に私は、温泉からあがっての帰り道、もうとろんとろんで我慢できずに、助手席で夢の世界に行ってしまいました。

ダーリンにも「えっこちゃんは、温泉に弱いねぇ。」といわれてしまいました。

さんざ寝たのに帰ってきてからもまだ眠くて眠くて、市議会選挙の結果をテレビで見る、というダーリンを尻目に、んじゃ、私はお先に、と一足早く寝てしまいました。

あ、でもこれは臥龍桜でオリジナルの日本酒を買ってきまして、そこにまた桜の花びらの塩漬けを浮かべてちびりちびりと飲んでいたら、心も体も桃源郷に行ってしまったせいかもしれません。






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