ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

エネルギーは思考に従う

2013-06-14 09:05:00 | 身辺雑事

昨日はDV加害者に対して同情のかけらもないボロクソの記事を書いて、時計を見たら、「あら! 出掛ける時間」とあたふたと家を後にしました。

朗読教室の日だったのです。

場所は家から程近いので、自転車で出掛けます。


必死になって自転車をこいでいると、細い道の真ん中で女性が1人歩いていました。

その女性の右側をすりぬけようとしたとたん、その人が右側に向かって、バッとジャンプ日傘を広げました。

「わっ!」と思って一瞬たじろぎました。

その人も気がついて一瞬左側によけてくれたので、そのまままた右側をすり抜けようとしました。

するとまたほぼ同時にその人が右側に身体を寄せたので、また私はたじろぎました。

内心、(なんでぇ~? 今ので私が右側を通っていこうとしたのがわかったはずじゃなかったのぉ。)と思っていました。

その人は憮然としたままようやく左によけ、私もなぜか「すみませ~ん。」とか言う気にならず、そのまま走り去りました。

すると後ろから、「チッ、チッ!」と聞こえよがしに舌打ちをしている音が聞こえました。

一気に気分が悪くなりました。

だけどこんなちょっとしたことなどはよくあることだ、とそのときは気にしていないつもりでした。


そして朗読教室につき、授業が始まりました。

するとそこでも何かイラつくことばかりが起こるのです。

1つ1つは大したことではないことばかりです。

誰かが販売活動まがいの言動をする・・・(こういう場所でセールスや宗教勧誘などを行うのはご法度です。)

私が手をあげたのを見過ごされた・・・

講師の先生がいつまでたっても私の名前を覚えてくれない・・

だけど何だか今日はそういうことの1つ1つがささくれだったキューティクルを刺激するかのように私の心に突き刺さる。


(なんか私、今日どうかしてんのかな? それとも私と同じようなことがあったら誰でも軽くイラッとくるようなことなんだろうか?)と自問自答する。

そうして私は何か心当たりは・・と考え、ハッとするのです。

そういえば、DV男のことを怒りに任せてブログに書いてきたところだったな、と。

私の考えが間違っているのかどうかはわからないけれど、それは別としても「今んとこ、私はそう思ってるよ。」ということを公のものに書いて悪かった、とも思っていない。

感情的になることを自分に制御してもいない。

ときにはいーだろーと思っている。(ときには、か・・?)

それでもやっぱり、何かに対して“怒り”という強い感情を抱いたまま、次の行動に移ろうとすると何かそこの場に悪い“気”を持ち込むことになるのだなぁ、ということを身をもって体感しました。

穏やかではない、ギラギラとした、決して前向きではない“気”を持ち歩けば、誰だってそんな“気”は受けたくないですから、瞬間的にブロックしようとします。

ブロックされて跳ね返された“気”はまた自分に戻ってくるのですから、結局、自分が“穏やかでない”“ギラギラした”“前向きではない”ものを受け取ることになるんですよね。

だから、自転車で道行く人とぶつかりそうになったのを皮切りに、いろんなイラつく出来事を自分自身で引き寄せてしまっていたのでしょう。

だから、これからはどんなにイヤなことがあっても、強い感情を持つことはやめよう、っと。・・・とこういうことがあると決意される方もいらっしゃいますよね。

でも、わたしゃ、そういう決意はしません。

あるいは、自分自身の体験を通さなくても本能的にそういうことをしたって何らいいことがあるわけではないということをわかっていて、ハナから強い感情をもつことを自制しようとなさる方もいらっしゃいますよね。

これなど、ますますわたしにゃ、できません。(そんな、神の領域のようなこと・・)

せいぜい私が今回思ったのは、強い感情をブログで発散させたなら、そこできれいさっぱりその感情を違う場に持ち越すのはやめよう、ということだけです。

あるいは強い炎のような気持ちが消せなければ、どうやったらそれを前向きに使うことができるだろう?ということだけに力を注ごう、ということです。

だから、ね。

私が強い感情を吐露したときの記事は、そのまま読んだ皆さんにもふりかかるかもしれませんからね、

「あ、かなわんなぁ。こういうのはヤダ。私の信条に合わない。」と思う方は、そういう日のものは、そう思ったとたんに読むのをやめてね。

じゃないと、エネルギーを受けちゃうかもしれないから。

「そうだ、そうだ! そのとおりだ!」と思ってくださる方がいらしたとしても、私が決意したように、そのときに生じた穏やかでないエネルギーは、携帯なりPCを閉じたとたん、きれいさっぱり忘れるようにね。

もちろん、前向きに使うことができるから大丈夫、という頼もしいお方は別として。

そんなことをつらつらと内心で考えながら、朗読教室の授業を受けていたら、あるお1人の方が、

「ここへ来ると、毎回、みなさんのいろんな日常に触れることができて本当に良かった、と思います。

なにせ、私は毎日田畑の仕事をしているので、毎日毎日が殺生なんですよ。

今日も害虫駆除とねずみ退治に追われてきました。

出来た作物を収穫することだってそのときで、その植物の命を強制的に奪うってことですからね。

だからどうしても気持ちがささくれだってくるんです。

こういうところへ来てほっとしなくちゃ。」

っておっしゃったんです。

なるほどなぁ、と気付かされました。

今でこそサービス業に従事している人口のほうが圧倒的に多いんでしょうが、昔の日本人はほとんどが稲作に従事してたんじゃないでしょうか。

そういう方々は、自分のしている仕事を「毎日が殺生だ」という思いをどこかしらに抱いているんですね。

だからこそまた、自分たちの命をつなぐために差し出してくれた命たちに感謝する、っていう気持ちも心底素直に湧き出るのでしょうが、自分が一度抱いた「負のエネルギー」をどこかで「正のエネルギー」に転換してこなきゃ、ということをこの方は本能的に知っていた、ということです。

オーラソーマでもポマンダーワークのときによく言うじゃないですか。

「エネルギーは思考に従います。」って。

私たちがそのときそのときに施す色とクリスタルとハーブと香りのメッセージを、地球上の人すべてにバスケットで覆うがごとく届けたい、と思うのと同じように、

「てやんでぇ! DV男なんか!!」と思うと、そういう人を憎むエネルギーが自分に跳ね返ってきちゃいますからね。

情けは人のためならず、ですよ。





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