ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

黒野レールパーク

2013-06-18 09:02:00 | まち歩き

先週の土曜日、AEOSを習った遠藤友里先生が、「大阪の帰りにちょっと寄るね~」とうちのサロンに寄ってくださいました。

東京の方にとっては、どのみち西の方角へ向かうなら一緒のこと、というノリで、“岐阜に寄る”ことが“大阪”の帰りに“ちょっと”ということになるんでしょうか・・?

そんなことありませんよね・・

これは個人の資質ですよね・・

友里ちゃん先生、とってもフットワークが軽そうでしたから。


でも、私はよくシェアリングデーに行ったときなど「岐阜からきました。」と言うと、「おぉ!」と(そんな遠くから、よく!)という感嘆符を持って迎えられることがありますが、名古屋と岐阜って、JRの特別快速に乗れば17分の距離なんですよぉ。

ちょっとそこいらの地下鉄に乗って2、3駅ってレベルでしょ?

全然近いんですってばぁ。

AEOS
トレーニングを習ったときに、私とダーリンの馴れ初めを話したら「いい話だわ~」とえらく感激してくださった友里ちゃん先生。

このときも、

「いくつのときに結婚したんだっけ?」と改めて聞かれ、

「え~と、5年になるから49だっけかな。」と言うと、

「!!! それはすごいって。だって統計によると40歳になって結婚できる確率って1~5%なんですって。だからそれを引き上げて50歳になって結婚できる確率って言ったらもっと低くてきっと0.何%かなわけじゃない。

そう考えたら、えっちゃんは年をとってから結婚する人の希望の星だねっ!」と言われました。

「そこを売りにしたシェアリングデーやったら?」とまで・・・

でも・・ わたし・・

なんか努力して結婚した、ってわけじゃないので、それはネタが出来ませんよ・・

第一、そこ、オーラソーマ関係なくなってるし・・

てなことで、楽しく色んなお話をして私はすごく刺激を受け、また頑張ろうという気になったひとときを過ごせました。

さて、お話は変わりその次の日の日曜日、岐阜市を西へ車で20分ほど行ったところにある「黒野レールパーク」に行きました。

ここは名鉄電車の元黒野駅だった場所で、今はホームの一部と駅舎部分が残され、あとは公園として開放されているようです。Photo

なぜ、ここに行きたいと思ったか・・?

それはここでこの日、「ぷらっとフォーム」というイベントが開催されていたからです。

そしてそのイベントには数年前に出会ってからずっと気になっていた小林勇輝さんの出店をのぞくことが目的でした。Photo_2

写真が小林さんのブースで~す。


彼は、なんとお呼びしたらいいのでしょうか・・  書家なのですが、ただの書道家でもなく・・ 「言葉の結晶展」などを定期的に開催しておられる、言葉を花束のようにして絵にしてしまう、という方なのです。


最初の出会いは、数年前たまたま訪れた岐阜での「スピリチュアルマーケット」だったでしょうか。

それから、美濃加茂市のカフェでの展示会にも行きました。
いつか、なんかの形でコラボできたらなぁ~というのが私の夢の1つなんです。


小林さんの書には、「いのち」があると思います。

だから「輝いて」います。


この日は私が勝手に再会を喜び(でも、小林さんも覚えていてくださっていたようでした。)、そしてはからずも「父の日」でしたので、私の父のために1枚書いてもらいました。

私の父の名は「力」と書いて「つとむ」と読みます。

小林さんは何行かのメッセージを例えば鳥にみえるように配置したりとか、それを色紙やハガキにデザインしたりとか、そういう作品を売ってらっしゃいますが、最近では現代文字を古代の象形文字みたいな字にして書にしたため、それを陶芸家とコラボして焼き物としても売っている、みたいなこともなさっているようで・・

この日は、父の「力」と言う字を古代の「甲骨文字」として、大変珍しい和紙に書いてもらいました。

父の「力」という名前は、甲骨文字にすると、「〆」みたいな感じに見えます。

それを書いてもらったのですが・・Photo_3

墨のぽたぽたと垂れた感じがことのほかよくて・・・

小林さんご自身も、

「普段、もうこのメッセージを使おう、と決めて書く字は、何百枚も書いてみて、あ、この感じ!と納得できたものを使うんですが、今回のこの『力』は、偶然の成せる産物というか・・ とても自分でも満足する出来となりました。」とおっしゃいました。


裏には、まさに名前の「力」をイメージするような「いつまでも元気でね」と入れてもらい、とても良いプレゼントができました。

一緒に行った友人が、

「小林さんの作品は、基礎がとてもよく出来ていると思ってプロフィールを見たら、もともと書道家としていろんな作品展にも入賞していらしたから、なるほど、と納得した。」と言ってました。

それを聞いて、これまで彼のプロフィールに全く無頓着だった私は、「ア、そうなんだ・・」と初めて納得しました。


そして、

「基礎が出来ているからこそ、そこからアレンジを加えてもステキな作品になるのか」、

「ご本人に、『自分は基礎がしっかりと出来ているはずだ!』という自信がゆるぎないものとなってそこはかとなく作品に漂うから、こちらもその自信に圧倒されて、これはステキだ・・!と感じるのか」、

「基礎が出来た上で、さらにその基礎がしっかりしていることの上にあぐらをかかずにそれを打ち破る作品にチャレンジする姿勢に人は打たれるのか」

一体、どれが本当のところなんだろう・・?と考え込みました。

きっと、どれもあるんでしょうね。


そして自分のことを思い返してみました。

これまでの人生、「基礎が出来ているからこそ、自信をもってやれたこと」もあれば、「基礎が出来ていても、自信がもてなかったこと」もある。


そして「基礎が出来ているからこそ、自信をもってやれたこと」と「基礎が出来ていても、自信がもてなかったこと」の間には何があったのだろう?と自問自答してみました。

それは私の場合、結局「どれだけそれが好きか」という“情熱”に尽きるな、と思いました。

結局、いったん基礎を固めても、好きでなければそこからさらに努力しよう、とかいつも関わり続けて余念のないメンテナンスにいそしむ、ということをしないから自信も失っていく、ということになるし。


しかし「下手の横好き」という言葉があるとおり、そこに好きで好きで自分が下手だとわかっていてもどーしても止められないんだよぉ、という情熱があれば、自分に基礎が出来ているかどうか、ということもそっちのけになるでしょうね。

基礎が出来ている人から見たら、「邪道だろー!」ということがかえって魅力となる、って場合もあるでしょうしね。


例えば、私はジミーちゃん(ジミー大西さん)の絵って結構好きなんですけれど、彼は大きなところに絵を描く場合でも、全然構図をとらずにいきなり中心人物の目の玉から描き始めたりしますよね。

あれはきっと絵を基礎から勉強している人にとっては邪道なんでしょうけれど、では出来上がった彼の絵が基礎から外れているために魅力がないか、っていうとそうではありません。

むしろそれが魅力になっている。

基礎をきちんとやった人はそれに囚われすぎて、デッサンをきちんとしなくちゃ、って思い込むからこういう描き方はできないだろうし。

キャンバスからはみ出るほどの「ボクは絵を描くことが大好きなんだ~!」っていう叫びが聞こえてきそうな絵。

“情熱”ですよねぇ・・

しかもこの“情熱”、素晴らしいことにいくら年をとっても、消えることはありません。

燃え続けさせることができます。

体力のように「さすがに若い人には・・」ってことがありません。


私は“情熱”をもって生きるぞ~!ということを、この日、気温32℃の猛暑のなかで、日傘も日焼け止めも塗ることなく傷めた肌をじりじりさせながら改めて決意したことでありました。






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