スペインの片田舎にあった伝説のレストラン「エル・ブジ」。
ミシュランの三ツ星を3年か4年連続して獲得した世界一のレストランとしても名高かったところです。
そしてここは世界一予約のとれないレストランでもありました。
確か予約のとれる確率は250分の1ぐらいでした。
今では、レストランはやめてしまって「料理研究所」としてのみ、その形を残しています。
この伝説のレストランのことが、今度ドキュメンタリーとして映画化されるそうです。
その映画の紹介というかたちで、この前テレビでこのエル・ブジの裏側と称して普段お客側からは垣間見ることの出来ない彼らの舞台裏を見ることができました。
エル・ブジは毎年4月~9月までの半年間しか開業しませんでした。
10月から翌年の3月までは何をしているかというと、ひたすら新しいメニューの開発をしているのです。
それはエル・ブジでは1度出したメニューは2度と出さないために、常に次年度のメニューを考えなくてはならないからです。
それはオーナーシェフの強い意志と信念からきているものでした。
「お客は何を求めて、うちのレストランにやってくるのか。そもそも食に対して何を求めているのか?」と考えたとき、彼はそれは“驚き”だ、と結論付けたのです。
もちろん、それはクラッカーをパンパンはぜさせて「きゃっ!」と驚くような驚き方のことではありません。
そこには常に「感動」というスパイスが添えられているサプライズでなくてはならないのです。
そのためには同じメニューを出していては感動させられない、ということなのでしょう。
ですからエル・ブジの1つ1つの料理は、もはや芸術です。
有名になったものでは、カレースプーンのような大き目のスプーン1つ1つに料理を盛り付けることによって、一口で口に運べて食べやすく、かつ見た目にも可愛らしいという前菜や、エスプーマという素材をムース状にしてしまう機械を使うことによって、それまで固形で提供されることがありえなかったもので新たな食感を提供するとかです。
映画でも、そのレストランを閉めている間の6ヶ月間の間の各担当シェフたちの奮闘振りは事細かに描かれているようでした。
きのこを切り方を変え、全然今までとは違う食感をつくることによりまったく別物のようなメニューにすることはできないか、とか時には食材では使われないようなものまで利用することによって革新的なメニュー開発をしていました。
例えば飲みにくい薬を包むのに使われるオブラートでスープを包み、口の中でオブラートが破けるときに最高のフレッシュな風味を味わえるようにする、とか。
びっくりしたのは半年もかけて練りに練られたメニューを、レストランをオープンさせてお客様に提供するほんの数分前に変えてしまうことがある、ということです。
オーナーシェフは常にお客様に提供されるものを少し早く自分のテーブルで味見しています。
その瞬間、ひらめきの天才でもある彼には「もっとこうしたほうがよくないか。」というアイデアが降りてくることがあるらしいのです。
ここいらが研究を極めた、といっても生きた食材を扱う料理というものの真骨頂だな、と思いました。
何十人もの腕利きのシェフを雇い、半年間も店を閉めたうえに世界中の食材をふんだんに集めて新メニュー開発のためだけに時間を費やす、そんな悠長なことができるのは、ここがミシュランで三ツ星を取って有名になったからだ、と言う人もいるでしょう。
でも、私は違うと思います。
私はこのオーナーシェフが本当に「世界でまだ誰も見たことも試したこともないような、それでいて飛び切りおいしい料理をつくりたい。」という思いが強く高じて、ただそれだけのためにしていることだ、と思います。
このシェフがミシュランで三ツ星をとるんだ、ということを当面の目標において、そうすれば放っておいても世界中からお客はわんさかと来るはずだから、とそれからどぅれ、とおもむろにメニュー開発により力を入れるようになったのだ、とは思えないのです。
この世界に飛び込んだときから、きっとこの人は「誰もがあっと驚くような料理をつくりたい」と思っていたのだろう、そしてそのためには手間もヒマも私財をなげうつことも厭わなかったのではないか、と思いました。
「よそよりちょっとばかり盛り付けには気を配り、わぁ~! きれい! ステキ!と言ってもらえるようになろう。」
「その食材の持ち味を決まりきった料理法ではなく、ジャンルにとらわれず試していこう。」
「帰る人がいつもおいしかった~と笑顔になってもらえるレストランをやりたい。」
このくらいのことはオーナーシェフになろうという場合は、目標にかかげる人はわんさかいそうな気がします。
では、それをやりきることによって、
「世界のどこからでも足を運んでくれるレストランになろう」(事実、エル・ブジはスペインでも片田舎の辺鄙なところにありますが、世界中から自家用ジェットを飛ばしてでも食べに来るセレブたちでにぎわっていたようです。)
「世界の誰もがいまだ食べたことがないという斬新な料理をつくろう」(エル・ブジの料理はそういうものばかりで構成されていた、といっても過言ではありません。)
「一皿を提供したときに驚きがあり、一口食べたときに感動があるものしか作らない」(結果として、これも達成されていますね。)
というところまで目標を発展させる人というのはそうはいるものではない、と思います。
結局、どこまでこだわり続けるか、どこまで妥協を許さないか、ということに尽きると思うのですが、自分なりに他の追随を許さないところまでやった、と思えれば、それはそのジャンルではオンリー1の存在を獲得しているはずです。
後はそこについてきてくれる客がいるかどうかということですが、そこまでこだわればほかとは比べようがないのですから、必ず賛同者が現れるのだ、と思いました。
実際には、「そこまでこだわりたいけれど・・・ それをやりきって、お客様がついてきてくれるところまでお金がもつかどうか・・」というのが大方の人が心配することだと思います。
その気持ち、とてもよくわかります。
先立つものは・・・ってやつですね。
でも、そういう心配をしながら「本当はこの程度ではなくて、もっとこだわりたいんだけどね。」というやりたいことをやりきっていない人が提供したものは、料理に限らずどこかその人の哀しみや妥協の産物が提供されたものになってしまっているように思います。
「そこまでもつかどうか・・・」を心配する前に、もつかどうか、じゃあ、やれるところまでやりきってみたらどうなんだろう?
生計をたてていくことと芸術を追究することはいつも裏腹のように思われがちですが、裏腹にしてしまっているのは、本当は自分なのかも・・・
そこでいつまでもうじうじと悩んでいるくらいなら、ひとまず本物のオンリー1になってしまったらいいんじゃないか。
このエル・ブジがどうしてレストランを閉めてしまって、料理研究所になってしまったのかを考えたとき、きっとオーナーシェフは、料理を提供することそのものより、メニューを開発することそのもののほうに喜びを感じる人だったからではないか、と思いました。
それはその部分において彼がオンリー1を目指したわけですから誰にも文句を言われる筋合いのものではない。
でも、もし私だったら、自分が「おいしいものを食べて喜んでくれる人の顔を見るよりも、私は誰にも会わずに開発することのほうが好きだったのか」という気付きに対して「それでいいんだろうか?」と考え込んでしまいそうです。
これを今の自分に当てはめたら、「私は世の中の人に、もっともっと本来の自分に気付いて欲しい。そしてそのための自己探求のツールとしては素晴らしいものが世の中にはあるよ。」ということが伝えたいし、私の使命だ、と思っているのですが、もしかしたら「伝えたい」ことそのものよりも、「自分自身が探求をし続ける」ことそのもののほうが好きなだけかもしれない。
でもそれでは広がりのない目標となってしまうから・・ と自分を押さえつけているだけなのかもしれない。
でも、本当は自分の気持ちに素直になれば、どちらでもいいんだよね。
それはそれで形を変えて最終的には人々に提供されるんだろうし。
手品でもマジシャン自身がネタを考えるばかりではなく、プロのマジシャンにネタを提供する人というのがいるらしい。
そういう人は、自分が人前で披露することより、新しくネタを考えるほうが好きだし、使命だって考えただけだもんね。
自分がこだわることをとことん突き詰めて、探求して、その結果、そのオリジナリティに誰も賛同してくれなかったところで初めて嘆いて、自分の歩み方はこれでよかったのか、と考えればいい。
そんなことを自分に言い聞かせながら、この番組を見ていました。
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