ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

こだわりぬくことで活路が開ける

2011-11-30 09:10:00 | テレビ番組

スペインの片田舎にあった伝説のレストラン「エル・ブジ」。

ミシュランの三ツ星を3年か4年連続して獲得した世界一のレストランとしても名高かったところです。

そしてここは世界一予約のとれないレストランでもありました。

確か予約のとれる確率は250分の1ぐらいでした。

今では、レストランはやめてしまって「料理研究所」としてのみ、その形を残しています。

この伝説のレストランのことが、今度ドキュメンタリーとして映画化されるそうです。

その映画の紹介というかたちで、この前テレビでこのエル・ブジの裏側と称して普段お客側からは垣間見ることの出来ない彼らの舞台裏を見ることができました。

エル・ブジは毎年4月~9月までの半年間しか開業しませんでした。

10月から翌年の3月までは何をしているかというと、ひたすら新しいメニューの開発をしているのです。

それはエル・ブジでは1度出したメニューは2度と出さないために、常に次年度のメニューを考えなくてはならないからです。

それはオーナーシェフの強い意志と信念からきているものでした。

「お客は何を求めて、うちのレストランにやってくるのか。そもそも食に対して何を求めているのか?」と考えたとき、彼はそれは“驚き”だ、と結論付けたのです。

もちろん、それはクラッカーをパンパンはぜさせて「きゃっ!」と驚くような驚き方のことではありません。

そこには常に「感動」というスパイスが添えられているサプライズでなくてはならないのです。

そのためには同じメニューを出していては感動させられない、ということなのでしょう。


ですからエル・ブジの1つ1つの料理は、もはや芸術です。

有名になったものでは、カレースプーンのような大き目のスプーン1つ1つに料理を盛り付けることによって、一口で口に運べて食べやすく、かつ見た目にも可愛らしいという前菜や、エスプーマという素材をムース状にしてしまう機械を使うことによって、それまで固形で提供されることがありえなかったもので新たな食感を提供するとかです。

映画でも、そのレストランを閉めている間の6ヶ月間の間の各担当シェフたちの奮闘振りは事細かに描かれているようでした。

きのこを切り方を変え、全然今までとは違う食感をつくることによりまったく別物のようなメニューにすることはできないか、とか時には食材では使われないようなものまで利用することによって革新的なメニュー開発をしていました。

例えば飲みにくい薬を包むのに使われるオブラートでスープを包み、口の中でオブラートが破けるときに最高のフレッシュな風味を味わえるようにする、とか。

びっくりしたのは半年もかけて練りに練られたメニューを、レストランをオープンさせてお客様に提供するほんの数分前に変えてしまうことがある、ということです。

オーナーシェフは常にお客様に提供されるものを少し早く自分のテーブルで味見しています。

その瞬間、ひらめきの天才でもある彼には「もっとこうしたほうがよくないか。」というアイデアが降りてくることがあるらしいのです。

ここいらが研究を極めた、といっても生きた食材を扱う料理というものの真骨頂だな、と思いました。

何十人もの腕利きのシェフを雇い、半年間も店を閉めたうえに世界中の食材をふんだんに集めて新メニュー開発のためだけに時間を費やす、そんな悠長なことができるのは、ここがミシュランで三ツ星を取って有名になったからだ、と言う人もいるでしょう。

でも、私は違うと思います。

私はこのオーナーシェフが本当に「世界でまだ誰も見たことも試したこともないような、それでいて飛び切りおいしい料理をつくりたい。」という思いが強く高じて、ただそれだけのためにしていることだ、と思います。

このシェフがミシュランで三ツ星をとるんだ、ということを当面の目標において、そうすれば放っておいても世界中からお客はわんさかと来るはずだから、とそれからどぅれ、とおもむろにメニュー開発により力を入れるようになったのだ、とは思えないのです。

この世界に飛び込んだときから、きっとこの人は「誰もがあっと驚くような料理をつくりたい」と思っていたのだろう、そしてそのためには手間もヒマも私財をなげうつことも厭わなかったのではないか、と思いました。

「よそよりちょっとばかり盛り付けには気を配り、わぁ~! きれい! ステキ!と言ってもらえるようになろう。」

「その食材の持ち味を決まりきった料理法ではなく、ジャンルにとらわれず試していこう。」

「帰る人がいつもおいしかった~と笑顔になってもらえるレストランをやりたい。」

このくらいのことはオーナーシェフになろうという場合は、目標にかかげる人はわんさかいそうな気がします。


では、それをやりきることによって、

「世界のどこからでも足を運んでくれるレストランになろう」(事実、エル・ブジはスペインでも片田舎の辺鄙なところにありますが、世界中から自家用ジェットを飛ばしてでも食べに来るセレブたちでにぎわっていたようです。)

「世界の誰もがいまだ食べたことがないという斬新な料理をつくろう」(エル・ブジの料理はそういうものばかりで構成されていた、といっても過言ではありません。)

「一皿を提供したときに驚きがあり、一口食べたときに感動があるものしか作らない」(結果として、これも達成されていますね。)

というところまで目標を発展させる人というのはそうはいるものではない、と思います。

結局、どこまでこだわり続けるか、どこまで妥協を許さないか、ということに尽きると思うのですが、自分なりに他の追随を許さないところまでやった、と思えれば、それはそのジャンルではオンリー1の存在を獲得しているはずです。

後はそこについてきてくれる客がいるかどうかということですが、そこまでこだわればほかとは比べようがないのですから、必ず賛同者が現れるのだ、と思いました。

実際には、「そこまでこだわりたいけれど・・・ それをやりきって、お客様がついてきてくれるところまでお金がもつかどうか・・」というのが大方の人が心配することだと思います。

その気持ち、とてもよくわかります。

先立つものは・・・ってやつですね。

でも、そういう心配をしながら「本当はこの程度ではなくて、もっとこだわりたいんだけどね。」というやりたいことをやりきっていない人が提供したものは、料理に限らずどこかその人の哀しみや妥協の産物が提供されたものになってしまっているように思います。

「そこまでもつかどうか・・・」を心配する前に、もつかどうか、じゃあ、やれるところまでやりきってみたらどうなんだろう?

生計をたてていくことと芸術を追究することはいつも裏腹のように思われがちですが、裏腹にしてしまっているのは、本当は自分なのかも・・・

そこでいつまでもうじうじと悩んでいるくらいなら、ひとまず本物のオンリー1になってしまったらいいんじゃないか。

このエル・ブジがどうしてレストランを閉めてしまって、料理研究所になってしまったのかを考えたとき、きっとオーナーシェフは、料理を提供することそのものより、メニューを開発することそのもののほうに喜びを感じる人だったからではないか、と思いました。

それはその部分において彼がオンリー1を目指したわけですから誰にも文句を言われる筋合いのものではない。

でも、もし私だったら、自分が「おいしいものを食べて喜んでくれる人の顔を見るよりも、私は誰にも会わずに開発することのほうが好きだったのか」という気付きに対して「それでいいんだろうか?」と考え込んでしまいそうです。

これを今の自分に当てはめたら、「私は世の中の人に、もっともっと本来の自分に気付いて欲しい。そしてそのための自己探求のツールとしては素晴らしいものが世の中にはあるよ。」ということが伝えたいし、私の使命だ、と思っているのですが、もしかしたら「伝えたい」ことそのものよりも、「自分自身が探求をし続ける」ことそのもののほうが好きなだけかもしれない。

でもそれでは広がりのない目標となってしまうから・・ と自分を押さえつけているだけなのかもしれない。

でも、本当は自分の気持ちに素直になれば、どちらでもいいんだよね。

それはそれで形を変えて最終的には人々に提供されるんだろうし。

手品でもマジシャン自身がネタを考えるばかりではなく、プロのマジシャンにネタを提供する人というのがいるらしい。

そういう人は、自分が人前で披露することより、新しくネタを考えるほうが好きだし、使命だって考えただけだもんね。

自分がこだわることをとことん突き詰めて、探求して、その結果、そのオリジナリティに誰も賛同してくれなかったところで初めて嘆いて、自分の歩み方はこれでよかったのか、と考えればいい。

そんなことを自分に言い聞かせながら、この番組を見ていました。





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オーラソーマにとっての一大事発生 2

2011-11-29 09:11:00 | オーラソーマ

昨日は、オーラソーマのスクールでは大手の、そして私が今回ティーチャーズコースを申し込んだHMCAが、脱税により刑事告発された、ということを書きました。

そしてそれを知った日には、私は自分が払い込んだお金はどうなるのだろう?このままティーチャーズコースの企画は開催されるのだろうか、という心配が募り、オーラソーマ業界にとってこのことがどれほどの影響を及ぼすのかについてまでは頭が回っていない、というところまででした。

しかし、1日たって少し冷静になってみるとやはり、“今回”払い込んだお金、というレベルではなく、今後長きにわたってオーラソーマで生計を立てていこうと考える人すべてにとって、これはひょっとすると“今後”永きにわたって計り知れないほどの損害をこうむった、という話なのではないか、というところまでは気付いた、という話でした。

昨日は、どんなビジネスに身をおいていたって、そのマーケットに身をおく会社のなかには1つや2つは脱税しているなんてことはある、という程度の話じゃないか、と最初は思ったと書きました。

オリンパスや大王製紙に比べればかわいいもんじゃないか、とも。

しかし、これはよく考えてみれば(考えてみなくても)、刑事事件です。

国税犯則取締法に違反した、というれっきとした法律違反を犯した、という話です。

いくらHMCAが追加申告を済ませたからって、最初に所得隠しをしていて、脱税をしたという事実は消えません。


オーラソーマ業界にとって先駆者である、大手のスクールの社長が法律を犯した、ということが単にマルサから追及を受けた、というだけではなく社会的制裁も受けることになるだろう、というのは想像に難くありません。

自営業者である人は誰もが節税対策に頭を悩ませるのは当然なので、つい、節税に心がけたあまり行き過ぎて法に引っかかるエリアにまで足を踏み入れてしまっていた、ということについて日本は比較的ほかの犯罪とは同じように見ずにそれどころか同情をかうようなところもあるのかもしれません。

しかし、それとて法にうとい中小の自営業者がつい何十万円程度の申告漏れを犯していた、という話とは今回、わけが違います。

なにせ、1億9000万円ですからね。

これはかなり意図的に最初から犯罪を犯すぞ、という意志と覚悟がなければありえない数字です。


オーラソーマに携わっている人は、ティーチャーも含めみな、そこに首を傾げています。

「いったい何をやったら、そんなに儲けることができたんだ?」と。

そもそもが、こつこつとまじめにオーラソーマのスクールを開催し、プロダクツを販売し、というだけでそれだけの利益があげられるわけがない、というのが関係者の見方です。(もちろん、こつこつとまじめにやった結果、オーラソーマではそれくらい皆が潤うものだ、ということになればそれは素晴らしいことですよ。)

いくらティーチャーになっていない私にだって、そんな繁盛しているスクールなんてありえないことぐらいは想像に難くないです。

何かほかのこともやってたのかな?

いずれにせよ、税金をおさめる、ということについてはそれくらいは節税対策の失敗じゃん、可哀想に、同情しちゃうわ、見逃してあげてよ、なんてレベルではなく、“悪質な犯罪”という見解でよいのではないか、と言われても否めないことでしょう。

となれば、ですよ。

私が最初に「これでオーラソーマそのものの評判が下がるなんてこととは無縁だろう。」というのはあまりに軽々に過ぎる見方であるというのが冷静になって思ったことです。

オーラソーマに携わっている人なら、このシステムが創始者であるヴィッキー・ウォール女史の意思を忠実に受け継いでいるものだ、ということは知っています。

だからオーラソーマそのものがこれによって汚されることはない、と思うのは内々の希望的観測であって、世間ではやはり、「オーラソーマってこの前、なんか事件犯したものでしょ。そんな変なもんには、関わりたくないよね。」という評価になっても仕方がないのかもしれません・・・

すごぉく、すごぉく、悲しいことですけれど・・・

東電に対してもそういう反応でしたものね。

そのトップや原子力保安委員会には「何やってんだ!」とは思っても、その下の一般社員の人たちはかえって苦労しているだろうに、と皆、同情的です。事実、そうだろうと思うし。

「かわいそうに。上が悪いことしたからって、社員はまじめに働いていただけなのにねぇ。」と言って。

そして、このことによって会社としての株などは下がるかもしれませんが、市場に出回っているその会社の製品の品質を疑う、ということには直結しないと思います。

今回の事件で、オリンパスのカメラの機能性までが疑われるようになった、とかエリエールテイッシュの不買運動が起こっているなんて聞いたことありませんもの。

しかし、オーラソーマとなるとどうなんでしょう。

そもそもオーラソーマはまだまだ社会的に認知を受けているものである、とは思えません。

カラーセラピーそのものが、世界各国で「確実に色は治療に役立つ、とわかっているのに、医療行為とは認められていない。」ぐらいちょっと虐げられた存在です。

確か最初に「色は治療効果がある」と発表した医学博士は「何、おかしなこと言い始めたんだ?」と業界から抹殺されてしまったんではなかったでしょうか。

そしてカラーセラピーの中では古株であるオーラソーマも「占いみたいなもんでしょ。」「なんかあやしい。」「宗教法人的なところあるよね。」「ああいうものにかぶれている人って信用できない。」なんて一部では思われている部分もあるくらいです。

それが今回のことで、そのトップを走るスクールがそんな刑事事件を起こしたとなると、

「ほうら、みたことか。やっぱりオーラソーマってもの自体がおかしいって思ってたわ。」とか、

「人をだまして儲けてる人たちばかりなんじゃないの。」と思われてしまったかもしれません。


そして、いったんそう思われてしまったものが、再び市民権を勝ち取るためにはそれに関わっている人々は、並大抵ではない努力と時間を強いられることになるでしょう。

いったい、それぐらいの大勢の犠牲を払うようなことをしてしまったんだ、ということをHMCAはわかっていたのでしょうか。

わかっていたなら、出来ないだろうに、と思うんですがねぇ。

そして、今回のこの事件を知ったマイク・ブース氏はHMCAに対してどのような措置をとるのでしょう?

「マイクは“裁かない人”だからねぇ・・」という声も聞こえてきています。

今までにも過去何度も、オーラソーマシステムとして、それはやっちゃいけないことだろうが!ということをしてきた人たちを(刑事事件に発展するようなことではなかったでしょうが)、すべてマイクは、「いいんだ。良いものは残るし、悪きものは自然に消えて行く。自然淘汰の法則だよ。」と見逃してきた、と言います。

だから、先ほどの発言をした方は、今回も何か罰を与える、とかマイクが自らが決断を下す、ということはないだろう、ということをほのめかしているのです。

私は、どういう状況や立場であれ「裁かない」ということが本当にいいのか、と疑問を感じています。

そりゃあ、ワークショップのようなときに参加者が参加者を裁いていたら、誰も自己開示してシェアできなくなってしまいますが、オーラソーマは会社組織です。

そしてマイク・ブース氏はそのトップに君臨する立場の人です。

彼が決断をくださなければ、誰も動けません。あるいは動きません。

そんな硬直した組織が活き活きとするはずないではないか、と思えます。


でも、今回のことでもちろん、私には裁く権利もありませんし、裁くつもりもありません。

私はとても深い悲しみをおぼえました、という「Iメッセージ」をお伝えするのみです。

たまたま少し前まで使っていたボトルがB59「レディ・ポルシャ」であることもとても象徴的に思えました。

「汝裁かれたくなければ裁くなかれ。」

それにしてもオーラソーマのティーチャーになることはますますもっていばらの道を歩むだけのことだ、という気がしてきました。




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オーラソーマにとっての一大事発生

2011-11-28 09:10:00 | オーラソーマ

私は1日に1話しかブログ記事をUPしません。

話が長いものですから、この長さで何個もUPしても誰も読んでくださらないのでは、と思いましてね。

ま、自分自身がそんな何個も書くほどブログに時間を割いていられないことも1つにはありますけれど。


けれど、今日は特にブログのネタにするようなことは何もなかったなぁ、という日と1日に何個も書きたくなるような日とかはあります。

そんなときは書き溜めておいて、1日の間に起きたことだけれど、何日かに分けて順番にUPすることとなります。

平均すると、常に実際の日にちより3、4日分ほどはもう書き溜めてある状態となっています。

だから、大体私のブログは3,4日前に起きたことなんだな、というわけなんですけど。

なんで、こんな前置きをしているか、と言いますと、これを書いているのは、実は23日の祝日です。

でも、今皆さんの眼に触れているのは、実際には28日ですよね。

それを踏まえてお聞きいただきたいのですが、昨晩(22日夕)、オーラソーマ業界において一大事が発生いたしました。

それはなんと、今度私がティーチャーズ特別コースを申し込んだ主催のヒューマンクリエイティブアカデミー(HMCA)が、脱税で刑事告発された、というのです。

NHKの夕方のニュースでやっていたようです。

内容は、「1億9000万の所得隠しをしていて、5000万円の脱税。すでにHMCAでは追加の修正申告はすませている。」というものでした。

私はこのときタイムリーにこのニュースを見ていたわけではありませんでしたが、同じオーラソーマ業界の方が電話で「知ってる? 見た? ニュース!」と教えてくださり、ただちにヤフーニュースを開けてみて知りました。

その方のところにもバンバンメールやら電話やらが関係者からわらわらと入ってきたようです。


ニュースによると「オーラソーマ」という言葉は出てこずに、「100本以上あるカラーボトルで、深層心理を占うカラーセラピー」というような言い方をしていたようですが、イクイリブリアムボトルが棚に飾ってあるところは映像で出ていましたし、第一、カラーセラピーのなかでも100本以上ある・・っていうのはオーラソーマだけですし、オーラソーマを知っている人は、「あ、これ、オーラソーマのことだ。」ってすぐにわかったことでしょう。

もう、もう、もう、私はただただひたすらびっくりしてしまって・・・ 混乱してしまって・・・ 少しの間、何も考えられませんでした。

そしてハッと気付き、次に胸に去来したのは、「ティーチャーズコース、このまま開催されるんだろうか?」ということと、仮に日程が変更になったり開催が中止になったり、主催がほかのスクールにうつる、ということが発生した場合、「テイーチャーズコースに対して払い込んだ私のお金、無事かな・・」ということでした。

ティーチャーズコースの開催そのものについてはどうとでもなるはずだ、と思いました。

コースそのものの開催についてはイギリスのオーラソーマが関わっているはずだし、その案内やら変更があるならそれに伴うお知らせについては日本のアザイアクトにだって責任は生じるでしょうから、変更や中止がありえるとしても何らかの形ですでに申し込んだ人たちに対するお知らせはあるはずだ、と思えました。

けれど、もし変更や中止、主催者の移行があった場合は、それまでの主催であったHMCAに対して私が個人的に払い込んだお金についてはあくまでHMCAと私との間だけで解決しなくてはならない問題です。

「HMCAの社長はすでに追加申告は済ませている。」とニュースでは言っていましたから、スクールはこのまま存続する可能性のほうが高いとは思いますが、追徴金課税についてはこれからの問題でしょうし、どうなんだろう・・・?

実は今回のティーチャーズコースについての払い込み期限は22日(火)でした。

全額ではありませんが、私はT1に対する前金とテキスト代を払い込んでいます。

そしてさらにJTBを通じて航空チケットを買いましたから、万が一日程の変更などがあったら、半額だったか、かなりの金額がパーになります。

今の私にとってはなけなしの貯金をくずして払い込んだ何十万というお金・・・

もしこれが無駄になるようなことになれば、私はもう一度新たな気持ちで仕切りなおす気力が湧いてくるだろうか、と我ながら自分のことが心配になったのです。

この第一報を知った私がまずは自分のお金のことが心配になり、それ以外のことには頭が回らない状態であっても仕方のないことだった、と思っています。

けれど、私にこの知らせを教えてくれた方は、今回のティーチャーズコースに参加する方ではないので、個人的な心配ごとというよりは、オーラソーマの行く末を憂えていました。

私は内心(私はそれどころじゃないよ~)と悲鳴をあげながら、ふんふん、まあ、それもあるよね、程度に思っていました。

どんなビジネスをしていても、どんな業界に身をおいていても、1つや2つ、脱税をするような会社というのは存在するでしょう。

これもそんな話の中のひとつ、という思いもありました。

それがたまたまティーチャーズコースを申し込んだ会社だった、ということでびっくりしただけで。

こんなの、オリンパスや大王製紙に比べれば可愛い話じゃないの、とさえ思いました。(別にHMCAの脱税を擁護するわけじゃありませんよ。)


どこかで私は、だからこんな事件があったって、オーラソーマ業界にとっての一大事というほどのことでもないだろうし、世間の評価もこの1つをして、「だからオーラソーマは腐ってんだよ。」ということにはなりはしない、と思っていました。

けれど、昨晩から一夜が明け、少し冷静になった私は、いや、そんな甘いものではないだろうな、やはりこれは日本のオーラソーマの発展、行く末にとっての一大事だろうな、という気がしてきました。

つまり、私は目の前の払い込んだお金のことだけが心配でしたが、ひょっとするとこれからオーラソーマで身を立てて行こうと思っていた私にとって、あるいはすでにオーラソーマで身を立てている人たちにとって、将来自分の実入りになっていたかもしれない、眼に見えないお金をすべて失う、という話かもしれないのだな、ということがようやくわかってきたのです。

今日はとりあえず第一報を受けたときに感じたことまで、にしておきます。

このことも書こうかどうしようか実は迷いました。

昨夕から一夜明けてみて、私がネットで「HMCA」「オーラソーマ」などで検索して何か新しい情報でもゲットできないだろうか、と思って見ていても、なぁ~んにもヒットしません。

ということはつまり、昨夕流れたニュース以降に何度もニュースで取り上げられる、ということもないみたいです。

世の中は何事もなかったかのように陽はまた昇っています。

昨夕のニュースをたまたま眼にした人でない限りは、オーラソーマに携わっている人たちでさえ、このことをまだ何も知らないままの人のほうが多いのかもしれないとさえ思います。

なんだか一瞬、私の取り越し苦労だったのかな~という気になったほどでした。

そして寝た子を起こすようなマネをして、このニュースを知らなかった人にまで「え~、そんなことがあったの、オーラソーマって!」と思われても、その業界のはしくれに身をおく私にとっても何の得もない話だよなぁ、オーラソーマの評判さげて損をすることはあっても、なんて考えました。


しかし、起こったことは起こったこと、事実には変わりはないはずです。

いくらそこに眼をつぶろうとしても、起こってしまった事実をなかったことにできるわけもありません。

そして日々起こったことに対して私が何を感じるか、どう対処していくか、をありのままに書いていくことが信条の私としては、やはりこのことに口をつむっていることはできない、と思い、苦渋の気持ちを抱きながら、今日はこのお話に触れました。

明日は引き続き、このことがオーラソーマ業界全体にどう波紋を落とすだろうか、ということについて書きますね。





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直感の大切さ

2011-11-27 09:10:00 | 健康・病気

さて、腎臓結石であることが判明したわたし。

昨日の今日ですので、まだ腰、下腹部から股関節、脚にかけての痛みはあります。

けれど、気のせいか軽くなっているような気がします。

1回や2回、薬飲んだからってそんな簡単に石が溶けているはずないのにね。

「病は気のせい」っていいますが、「気のせいで病気にもなっちゃうよ。」っていう意味と同様、この言葉には「病がわかれば、気の持ちようで治ってもいくよ。」という意味でもあるなぁ、と思いました。

ところで、今回のこの病名の判明については、自分でも病院選びがとても大切だったなぁ、と痛感しています。

昨日は名古屋の友人を訪ねていました。

そして、「今日こそ病院に行く決意をしたから、夜の部の診察時間に間に合うように早めに帰るわ。」と友人宅を辞しました。


その時点では私は実はまず「整形外科」に行こうと思っていたのです。

というのも、その前日、「腰痛、背面痛」などで検索して調べた結果、自分の症状に一番ぴったりくる病名は「坐骨神経痛」ではなかろうか、と自己診断を下していたのですね、実は私は。

そして整形外科に行けば少なくともすぐにレントゲンは撮るだろう。

そうしたら、その坐骨神経痛の自己診断が当たっていようがいまいが、背骨やら腰のあたりの異常については確実にわかるわけです。

そうしたら、いくつかの病名がつぶせる。

そうして、周辺からいくつかの可能性のある病名を「これは違った。」と1つずつつぶしていくほうが確実なやり方ではないか、と思っていたのです。

そう思いながら、帰りの電車のなかで私は、「直感のレッスン」という本を読んでいました。

そしてこのなかにはとても興味深いことが書かれていました。

皆さんは“直感”というとどんなイメージを抱いていますか?

その正体をどのようなものだと思っていますか?

ちょっと精神世界のことに詳しい方だと、直感は潜在意識とつながっている、ということをわかってらっしゃるかもしれません。


私は“直感”とは、本当の意味で私のためになる選択を教えてくれる守護天使のような存在だと思っていました。

日々の暮らしのなかで、ある選択をする。

それはお昼には何を食べよう・・・ おそばにしようかな、焼き魚定食にしようかな、というレベルの話でかまいません。

そして頭で考える。

本当はおそばが食べたいんだけれど、おそばでは栄養が偏る気がする。焼き魚定食にしたほうが野菜の煮物もついてるし、栄養のバランスがとれているからそちらにしようかな、と。

そんなとき、ふっと自分の考えとは違う考えがまた頭をよぎる。

「でもさ、これだけおそばを食べたい、って思うってことはよ、今日の私にとっては、おそばのなかに含まれているルチンが必要なのかもしれないわね。」というように。

そして私は“直感”に従って、食べたいと思った気持ちを優先することにしておそばを選択する。

このように、ルチンという成分のことを考え、栄養のバランスというよりはルチンが今の私には必要なのかもしれない、と思っておそばにしたのだ、という結論の導き出し方には直感が働いたのかもしれない、なんて考えていたわけです。

しかし、その「直感のレッスン」にはこう書かれていました。

「直感とは、0.1秒以内にとてもか細くささやく魂の声だ。」と。

つまり、1日の間に何度も何度もふと湧く考えなどは直感ではない、ということです。チャンスは1度きり。

何かを選ぼうとしたその際に、瞬時にピッと入ってくる俊敏でか細い一瞬の声。それが直感。

それをすみやかにキャッチしなければ、その後に訪れるのは怒涛のような「思考からの声たち」にすぎない、と。

そしてそれら「思考からの声たち」のほうが自分が育った環境において、社会や親から教育されたものの見方や考え方の中で培った大きくてはっきりとした声なので、直感の声をかき消すのに十分だし、自分の好みや傾向を熟知したツワモノたちなので、自分を簡単に納得させてしまう、と。

つまり、0.1秒の声をのがすとその後に訪れた「思考の声」を直感の声かもしれないと勘違いしたり、思い込みたかったりする力にねじ伏せられてしまう、というわけです。

さきほどの「待てよ。ルチンが必要だから自分が食べたいと思った声に従えばよかったのかもしれない。」なんてたらたらと考えること自体が、もうすでに「思考の声」にほかならないわけです。

そもそも”ルチン”なんて成分の働きについて知っている、ということは知恵というよりは社会に出てからの思考としての知識ですもんね。
う~ん、難しいですよね~

読み終えはしませんでしたが、その本を読んでいるうちに電車は駅に着き、私は止めてあった自転車置き場に向かいました。

いつも駅に向かうときはたいていバスで行きます。

でもこの日は友人宅から直接病院に向かうことを決めていたので、自転車のほうが便利だな、と自転車を選択していました。

だから自転車置き場からどの道を選択して病院に向かうか、ということは手馴れた、黙っていても体が動く、ということではなかったはずなのですが、私は自転車置き場から自転車を引きだしたとたん、ふっと道を右に折れていました。

このときは何も考えていなかった、と思います。

そして、ひとつ通りを進み、信号待ちの横断歩道にきて初めて自転車を止め、

「あれ? どうしてわたし、こっちへ来ちゃったんだろう? 整形外科へ行くなら逆じゃん。」と初めて自分が何げなくとった行動を不思議に思いました。

そのとたん、私は実は整形外科に一番に行こうとは考えていなかった自分に気付いたのです。

私が一番気になることは、「これが内臓の病気かどうか」であり、たとえ診断に時間がかかったとしても整形外科の範疇のような病気なら後回しでほうっておいてもいい、と思っていたのです。

そのことに気付きました。

内科に行くことも考えの中になかったわけではないですが、内科に行くなら行くで、私は家の近くの夏にも行ったところに行こうと思っていました。

そこは、「季節の変わり目の体調不良がそういう形になって現れたんじゃないの。」という診断をしたところです。

そしてリポビタンDの注射を打たれました。

その診断には私は納得していませんでしたが、あのときと同じ症状であるかぎり、あのときのカルテが残っているはずだから、全く違うところに行くよりはまぁあそこにしておいたほうがまた1から、っていうよりいいんじゃないの、と思っただけです。

しかし、私の自転車が向かっていたのは、その内科でもなく、元のアパートに程近い、元の住まいのときにはよく通っていた内科でした。

今の住所になってからは少し遠くなったので行っていませんでした。

そこは個人医にしては大きいほうで見立てもよく、先生も気さくなのですが、なにせそれゆえによく流行っていて、待ち時間が長いので、風邪などの簡単な症状のときには行かなかったりするところでした。

しかし、結果的にはこれがビンゴだったわけです。

今の家の近くの内科に行っていたなら、きっとまた「ふぅ~ん。またその症状が出ちゃいましたか。でも、結果的に夏のときにはそのあと治っていったなら、今回もまずはその路線の治療にしてみましょうか。」と言われ、またリポビタンDでも打って帰されていたことでしょう。


しかし、ここのお医者さんは私の「押すより叩くほうが“響く”」と言ったたった1つの言葉から数々の考えられうる病名のなかからたったひとつの結石ではないか?という推理にたどりつき、すぐさま超音波検査をやってくださった。

そしてそれが大当たりだった。

そうか~

結石はちょっとしたことで石の場所が移動することによりけろっと痛みは引いちゃったりすることもあるので、今まで私はそのタイミングをそのときにやったことのおかげかと勘違いして、「ビールを飲んだら、かえって治った! だから炭酸系の飲み物をどんどん飲むのはいい。」とか「ホッカイロを貼ったら治った。」とか「運動不足のせいだろうから、動いたらかえって治った。」とかいろんなことを言っていましたが、それらが単に石が動いたタイミングにたまたま合致しただけだったとしたら、かえってそんな情報は医者の判断を狂わすものだったことでしょう。

医者も大変ですよね。患者の訴えから捨てるべき情報と拾う情報を見極めるのが。

私だって、ダーリンが腎臓結石で救急車で運ばれたとき、その痛みのことを「腰にひどい虫歯があるみたい。」と言っていましたが、それはまったく今回の自分のそれと照らし合わせてもピンとこない表現でしたもん。

私にとって一番ピンとくるたとえは、「高熱が出る風邪をひいたときに1日でひどい筋肉痛になることがあるけれど、あの痛み」です。

夏のときには近所の内科医にかかったときにそう言ったのですが、そのお医者さんがご自分では風邪をひいて筋肉痛になることがないみたいで、どうもそのたとえはピンとこなかったようでした。

だからその言葉からは病名にたどりついてもらえなかったのですね。

そういえば、春か夏のときに東京にパーミストリー講座に出席したとき、一緒に組んでハンドマッサージをしてくれた生徒さんが、私に「あのね、体が全然水分が足りない、って悲鳴をあげてるよ。」と言ってくれたことがありました。

そのときは、へぇ~、今日は人のサロンであまりトイレ行くのもな~と思って水分を取る量を控えているからだろう、くらいに思っていましたが、そもそもが何でもない症状も出ていないときから、感じる人には私の結石体質が感じられていたのかもしれない。

そもそも、授業では先生の教えにいろんな気付きがあったり、生徒同士ではシェアでいろんな感動があったりしたのに、なんでまたこんな雑談のなかの一言を今頃まで覚えてるんだ?ってこと自体が、この発言はあなたの体にとってとても大切なことだから覚えておくように、という直感のささやきがあったのかもしれない。

でもそのときには無視しちゃったんだよなぁ~

ま、結果的に今こうして判明したし、必要なときにつながってふっと思い出す、っていうのも直感なのかな。


いずれにしても、今回は、医者選びに直感が働き、命拾い(?)しました。

直感ってほんとに大切です。





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病名判明

2011-11-26 09:09:00 | 健康・病気

実はここ1ヶ月ほどずっと腰から下肢にかけてだる重い痛みが続いていました。

今夏の終わりがけになったあの痛みと同じやつです。

あのときには、腰がガシガシに固まってしまって、一番ひどいときには起きていられないほどでした。

そして鍼から接骨医から内科からお医者さんクルージングをしたあげく、結局原因はわからずじまいでした。

でもなんとか日にち薬で治った、って感じです。

そして、内科のお医者さんに言われた「季節の変わり目の体調不良が年齢とともにそういう形になって現れるようになったんじゃない。」というのが、まぁ、そんなところかなぁ、と自分でも当たりをつけていたくらいでした。

だから、今回のこの1ヶ月にわたる痛みは決して今までに経験もしたことがない初めての痛みってわけではない。

だけど1つだけ気になっていたことがありました。

いつもなら、たいていは温めるとこの痛みは和らぐんです。

だから、腰のあたりにハの字貼りでホッカイロを貼っていました。

しかし、今回はこれがいっこうに効き目をあらわさない。

確かに温めている間は気持ちがいいですが、それで多少なりとも改善していく様子というものが感じられない。

これはおかしい・・・


何より、夜寝て朝起きたときが一番ひどいのがとても不快。

夜の間にひどくなるってことはやっぱり冷えかなぁ、と思ってちゃぁんと腹巻きして寝てもダメ。

朝起きてダーリンのお弁当つくって、と立ち仕事をしてる間に、ずんずんと痛みが神経を伝わってお尻から股関節から太ももからふくらはぎに伝わっていく・・

そうするとこの何ともいえないだるい痛みに耐えられずについ、しばし「よっこらしょ。」としゃがみこむ。

椅子に座っていると楽なんです。

床にじかに座っているとそれほど楽ではない。

ただ座っているのもなんなのでテレビをつける。

そうするとどんなくだらない番組であっても、ついふんふん、と見てしまう。

そしてふと時計をみると「うわぁ、こんなに時間を無駄にしてしまった・・・」と落ち込む。

しかし、夕方になると俄然元気が出てきて「なぁ~んだ、夕方になると治るっていうことは、やっぱりわたし、別に深刻な病気なんかじゃないな。」と思う。

この1ヶ月こんなことの繰り返しでした。

しかし、先週の土曜日、久しぶりにヨガに行き、いちばんゆるゆるの「骨盤矯正ヨガ」ってやつなのに、え・・?! こんなにわたし出来なくなってる、としばし呆然・・・

開脚なんて90度くらいしか開きゃしない。

チャイルドポーズでもおでこを床につけようとするとお尻がかなり浮いてしまう。

その体の凝り固まり具合にちょっと自分でも驚きました。

そして次の日の日曜日。

久しぶりにダーリンとふたりだけでゴルフに行ったのですが、腰を回転させようとすると「ヒヤッ」と痛くて体がねじれない。

そのせいで、一番大きい動きをしなくてはならないドライバーはペシャペシャのミスショットばかりで前半のハーフは一度もスイートスポットに当たらず。

スコアはまぁ、そのせいだ、と思えばいいけれど、ここまで体が言うことを聞いてくれないのははじめてだったので、これはもういかん、明日は絶対に病院に行こう、と思いました。

そりゃあ、コースに出て最初のホール、ううん、3番ホールまでくらいは体がまだあまり温まっておらずに冬だととくにぎこちない動きのせいでスコアにならず、っていうのはわかる。

しかし、前半の9ホールを通してずーっとですよ。

これはひどすぎる。

ダーリンも辛そうな私を見かねて、「大丈夫か? もうハーフでやめて引き上げるか?」と聞いたくらいでした。

夏のときもそうでしたが、いったいこれは神経痛なのか、筋肉痛なのか、内臓の痛みか何なのかが自分でも判別がつかず、何の病院に行けばいいのかがわからない、というのがどうにも私の病院に行く気を萎えさせる大きな原因なんです。

じゃあ、大きな総合病院へ行けばいいじゃないか、と思われるでしょうが、いきなりああいうところへ行って、何時間も待たされて、大げさな検査を繰り返されるとたいしたことではなくても、本物の病気になっちゃうようでなんかやだし・・・

でもまぁ、次の日、意を決して行きました、病院。

自分がどこが悪かったと判明したときに一番いやか、一番すぐに手当てをしなくてはならないか、ほうっておけないと思うかを自問自答すると「内科」だったので、内科の病院へ。


「腰痛なのかね?」とお医者様が言われるで、

「ちょっと自分でもどこから来てる痛みなのか、よくわかんないんです。」と正直に言いながら、「腰痛っていうよかは、胃の裏あたりの背面痛かもしれないし、って気もするし・・」と言うと、

「ふぅん、どぉれ、ではちょっと後ろむいて背中見せてください。」と言って、いろいろなところを押さえました。

私が、「あ、そうやって押さえてもらっても、どこが痛いかよくわかんないです。

こうやってこのへんを叩くと、中に響くって感じです。」と言うと、医者は、私の“響く”という言葉に反応しました。

「ん? 響くの? 筋肉痛なら叩くと気持ちいいだけで、響きはしないよ。じゃあ、内臓かな。」と言いながら、超音波検査へ。

そこで、いきなりビンゴ!

判明しましたよ。この頑固な痛みの原因が・・・

なんと「腎臓結石」でした!!


「ほうら、この白く光ってるヤツ。これが結石だよ。いっぱいあるね~ これじゃあ痛かったでしょう。けっこう大きいのもあるし。痛み止めも飲まなかったの? ふぅん。左にもあるけど、右のほうが数も多いし、大きいから右側のほうが痛かったでしょう。」と言われました。

まさにその通り。

右側のほうが痛かったから、食べすぎ飲みすぎで胃腸も弱っているかもしれないけれど、肝臓にもガタがきていてだから右側なのかと思っていた。

なんと!と私が言ったのは、腎臓結石はダーリンも、だからです。

このブログでもダーリンがこの結石の痛みによって2度も救急車で運ばれたことがあることをリポートしたことがあります。

まさか、そのダーリンと私も一緒の病気だなんて・・・


なぜか私は自分が命にはまったく別状はないような持病持ちになるとは思っていないところがありまして。

結石とか胆石とか腰痛とか糖尿病とか。(まぁ、これらのなかにもひどくなると命にかかわるものがありますけれどね。)

そんなものには無縁だと思っていました。

そして、病気になるならいきなり癌とかで死ぬんだ・・と思い込んでいました。

なんでこういうふうに思うのか自分でもよくわからないんですけど。

ま、人って自分こそは悲劇のヒロインなのよ、と思いたいからですかねぇ。

でも結果は見事な腎臓結石でした、はい。

私はもともと「病名ほしい病」。

原因がわかったら、もうそれで気分はすっきり。

本気で治したい、っていう気持ちのほうが薄い。

だから先生が「じゃあ、今日からこの薬を毎食後に飲んでくださいね。」と渡された薬をいきなり飲み忘れました。


それにしても徐々に投薬で石を尿と一緒に流しやすくするように小さくして、という薬ですから、1回や2回飲んですぐに目覚しい効果があらわれるわけではありません。

ということは、この下肢にじ~んとくるようないやぁな重くだるい痛みともまだ数日かあるいは数週間は付き合っていかなくてはならないわけで、それは正直ゆううつでございます。

帰ってきたダーリンに、「ちょっとぉ。私も腎臓結石だったよ。」と報告しました。

ここ数日、私が痛い、痛いといいながらもちっとも病院へ行こうとしなかったのを見咎めて、ダーリンはさんざ「病院へ行けよ。」と言っていたのです。

そしてさらに、「それ、結石じゃないかぁ?」とまで推理していたのです。

それをハナにもひっかけなかった私。

「結石なんてわけないよ。あんたじゃあるまいし。」と。

そして報告を聞いたダーリンは、にやりと笑って、「おめでとう。同志よ。」と言いました・・・





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