ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

自己評価の低い人のために

2013-06-21 09:11:00 | うんちく・小ネタ

今日もおとといご紹介した「心に響くことだけをやりなさい」の著書の中からご紹介したいことです。


この著書に限らず、“自己啓発”的なノウハウ本って、その広告の仕方といい、中身の論調といい、ポジティブを通り越してあまりにもイケイケな感じがついていけない、と感じる方はいらっしゃいませんか?

そして「ついていく必要もないや。」「別に自分がネガティブなわけでもないし。」「こういうやたらと煽り立てるようでいて、このノウハウを知らない奴はみんな損をしている!というような語り口はどうも性に合わない。」と思い、そもそもこういうノウハウ本をむさぼるように読む必要もないはずだ、それは砂漠の中に何の身を守るツールもなくごく軽装で放り出されたようなもので、余計に咽喉が渇くだけに違いない、と本屋に行っても一切そういうたぐいのコーナーからは背をそむけることにした、という方はいらっしゃいませんか?

それ、私です(笑)


しかし、おとといも書いたようにこの本の著者ジャネットが、スコーン!と抜けたような青空のようなストレートな情熱で講演家に話したのと同様、私もむき出しの素直さを発揮してみると(え? もう十分?)、「“こういう広告宣伝のやり口をのぞけば”本の中身は自分にとって勉強になることはいっぱいある。」ということに改めて気付いたのでした。

でもなぁ・・とハテとちょっと私は立ち止まりました。

私のような理由ではなく、いくら良いことであってもどうしても素直になれない、という人もいるよなぁ、と思いました。

そういう人は何がネックになっているんだろう・・?


この本のなかにも書いてあったんです。

「私たちは何千万人もの方たちをコーチングしてきましたが、『自分はパッションを実現できる』と信じることが出来ない人は、セルフイメージ(自己評価)が低い、ということがわかりました。」と。

確かに自分のことが好きでない人に対して、その人にどれだけ「そんなことはないよ。」「どうしてそんな風に思うの?」「あなたはこういうところがとても素晴らしいじゃないの!」「あなたはあなたであるだけで価値があるのよ。」とどれだけ伝えたところで、どうしても自分ではそう思えない、を繰り返すばかりです。

それはその人が、“自分の出来ないところ””至らないところ“ばかりに目が行っているからですね。意識がそこにばかりフォーカスしているからです。

エネルギーは思考にともないますから、自分のマイナス面ばかりにいつも思考が及んでいたら、そりゃあ、そういうことばかり余計に引き寄せてしまいますよ。

だから、ね。

良いことのほうに目を向けていようよ!

・・・と言うは簡単ですが、「わかってる、わかってるって。」「あなたの言うことは百も承知だけど、それでもどうしても、自分は価値がない、っていう思考から抜け出せないんだって。」と言う人にはこちらとしてももうそれ以上のすべはない、という感じに、ふつー、なってしまいます。

しかし、この本では丁寧にそういった人が自分に価値を持てるようになるための方法が述べられているところがあったのです。

それは、「感謝ゲーム」です。

毎日その日1日にやったことを振り返り、自分自身に感謝する事柄を見つけます。

どんなに小さく見えることでもかまいません。

最低でも10個は見つけます。

そして次の日、前の日の10個とかぶるものがあってはいけません。

必ず違うことで見つけます。

「自分に感謝できること。」

「その日成し遂げたこと。」

「その日自分の生活で勝ち取った小さな成功。」など。

どれだけの日数やってみろ、とは書いてありませんでしたが、少なくとも1週間はやってみるとよいでしょう。

著者のジャネットは意外にも、自己評価がとても低い人間だった、と白状しています。

そしてこれをやってみたことによって彼女は、どうして自分に感謝することができず、その代わりに自分には「価値がない」とか、「無能である」とか、「愛されない」と感じるほうを選ぶのか、その理由を探すうちに面白いことに気付いたそうです。

それは、「被害者でいるメリット」に自分は溺れていたんだな、ということ。

被害者でいると、「人々の注目を集めることが出来る。」「彼らの同情を得ることが出来る。」「あきらめることができる。」など。

そしてそれに気付いた彼女は、感謝ゲームを始めたり止めたりを何度も繰り返して、やっと自分のセルフイメージの低さに依存する状態を抜け出すことができたんだそうです。

私自身は、自分の評価を低く見積もっているということはないと思います。

むしろ、その傲慢さを何とかしろよ、ってほうじゃないか、と思ってきました(笑)

なので、この「感謝ゲーム」をやる必要は感じなかったのですが、それでもやってみると何か発見がありそうな気がして、ちょっと日記風に毎日付けてみたんです。

意外なことがわかりました。

まず、自分のことを傲慢だ、と思っていた私なのに、「その日自分に感謝すること」が全く思いつかない・・

え? どういうこと・・?

誰それさんに感謝とか、人でなくても何か生き物であったり、事象であったり、天であったりと自分以外のものに感謝して「あ~、よかった。これで私は生かされている。」と感じることのほうがいかにラクか、と意外にも感じました。

最初の項目は、しょーもないことを書きました。

「今日も体重計に乗った。」とか・・

でも、これって別に“自分に感謝”って感じでもないよなぁ。

なんか収まりが悪い感じ。

そしてとても10個も書けそうにもありませんでした。

そしてそのうち、気づきました。

あ、そうか。

ほかの人に感謝する事ならたやすいなら、「ほかの人に感謝することができる自分」に感謝すればいいのか、って。

そうして書き出したら、すらすらと書ける、書ける。

「○○会社から企画を提案してくれ、と言われて感謝したけれど、○○会社にもっとよくなってほしいとを思って企画を立てようとしている“私”に感謝。」とか、

「ダーリンが今日は弁当はいいよ、って言ってくれてやったぁ!と感謝したけれど、そもそも別に義務でもないのにそれに感謝を感じた“私”に感謝。」とか、などなど。

要するに、“私”という人間をみている別の第三者の目になってみれば、“私”に感謝できることもそこそこ見つかるんですね。

私って、自分のことを傲慢な奴だと思ってたけど、意外に人に感謝することができるヤツじゃん、という新たな自己評価が加わったのでした。

こういうクセづけができると、自分がやった正しいこと、うまくいったところ、頑張ったこと、勇気を奮い立たせて行動したことの方に注目できるようになります。

すると自然に自己価値も高まる、ってわけです。

自分の間違っているところを正そうとするよりも、よほど健全だと思います。

2,3日で効果がわかるってものでもないかもしれませんし、多大な期待を持ちすぎて、「これでようやく私は自己評価の低さから解放されるのか!」と他力本願的におんぶに抱っこの気持ちを抱くのもどうかとは思いますが、セルフイメージが低いことに苦しんでいらっしゃる方は一度トライしてみてはいかがでしょう?

そして私のようにセルフイメージは決して低いと思っていない、という方にとっても必ず何か新しい発見があると思いますよ。






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