昨夜は満月でかつ地球に一番月が接近するという何十年ぶりだかのスーパームーンの日でしたね。
しかし、残念ながら岐阜では空を見上げても朧月夜どころか月は完全に深い雲のなかに隠れてしまっておがむことはできませんでした。
その少し前の時間にはたまたまそのダーリンの実家から
「笹もちをたくさん頂いたからあなたたちにもおすそ分けするからいらっしゃい。」と言われて訪ねていたところでした。
そこでいつのまにか自然に義母と私だけになったときがありました。
そうしたら義母が、
「最近、足がむくんでむくんで・・・。ほとんど立ってられないぐらいのときもあって、この前は2日間寝込んだのよ。」という話をし始めました。
そして話は、自らの足で歩いていけるうちに広島の自分の故郷にご先祖様のお墓参りに行きたいのだが、じいちゃん(旦那さん、私にとって義父のことです。)がなんだかんだと言って全然連れて行ってくれないのよ、もう3、4年も前からお願いしていることなのに・・と言うので、
「じゃ、お母さん。スーパームーンに向かってふたりでお祈りしましょうよ!広島にお墓参りに行けますように、って。月は見えないかもしれないけれど絶対伝わるから。」と言って月が出ているはずの方角に向かってふたりでお祈りしました。
通常の満月なら、新月にお祈りしたことに対して感謝を述べる日ですが、このスーパームーンの日ばかりは特別で新たなお願いごとをしてもいいんだとか聞いたことがあります。
私はどうしようかな~、何を祈ろうかな~と思っていたところでしたが、このお母さんのお墓参りのことを祈ることができてよかった、よかった、と帰途についたのでした。
さて、おととい「世界一受けたい授業」を見ていたら、日本ミツバチがスズメバチを追い払う映像を流していました。
「DASH村」の撮影で偶然に撮ることができた、非常に珍しい映像なんだそうです。
身体も小さく、まともに戦ったらとうていかなわない日本ミツバチがスズメバチをどうやって追い払うのだろうか?
興味を持って映像を見つめていると・・
なんと、びっくり!
巣を襲おうとやってきたスズメバチに、おとりの一匹が巣からのそのそと(多分わざとのろく・・)出てくるのです。
まぁ! 文字通り「飛んで火に入る夏の虫」とスズメバチがそのおとりの一匹を襲うと・・
その一匹に夢中になっているスズメバチめがけて巣からわらわらわら・・と無数の日本ミツバチが出てきてスズメバチを取り巻いてしまうのです。
スズメバチは体温が46℃になると死んでしまうらしいのですが、日本ミツバチは自らの身体をそれ以上にしてスズメバチに押し当て、殺してしまうのです!
すごいでしょー!
番組ではいまや「探偵! ナイトスクープ」の放送作家からベストセラー作家へと転身をとげた百田尚樹さんの「風の中のマリア」という蜂の生態を描いたものを紹介するための一環として蜂の生態を紹介していたので、そのシーンはそれで終わりましたが、私は最初におとりとなった蜂はそのまま死んでしまうのか・・? スズメバチは体温が46℃になると死んでしまうということらしいが日本ミツバチは自らの体温を命をかけて上げやはり死んでしまったのか・・? そこが気になりました。
自らの巣や女王蜂を守るためには命も賭さない彼ら。
アリもそういうことをしますよね。
確かハムスターのような小さいねずみもそういうことをします。
例えば集団で引越しをするようなとき、自分たちでは到底渡れないような幅の川を渡らなくてはならないとなると、彼らは最初に進む者たちが躊躇なく犠牲になっていきます。
なにせ小っこいので、どんどん川に突っ込んでいけばいつのまにか彼らの屍骸が橋となり後続の者たちが渡れるようになる、というわけです。
確か「ハメルーンの笛吹き」にもそんなシーンがありませんでしたっけ?
こういう自らの命をなげうって自分たちの種の保存のために行動する生き物たちのことを小さい頃は、「単にバカなんだ。そういうふうに本能にインプットされてるだけなんだ。」と思っていました。
そうでも思わなければとても説明がつかない行動だったからです。
このような彼らの行動に学者の方たちがちゃんとした納得できる理由を探してくれているのかどうか知りませんが、今の私ならこう考えます。
「動物行動学的に見るなら、単純な脳の構造をしている動物こそ、生存本能だけは強いはずだから、こうすると死んでしまう!という危険察知能力は優れているはずだ。
それなのにも関わらず、彼らは自らの命をなげうつことをなんの躊躇もしない。
それは単に本能にそう行動しろ、とインプットされているということではなく、これこそ『生命の暗号』の著者、村上和雄氏の言うところの“サムシング・グレート”という遺伝子のなせる業ではないだろうか。
サムシング・グレートは通常では機能しない。けれど、何か自分にとっての一大事、種の一大事を察知するときだけ働く。(村上氏は人間のヒトゲノムを解き明かすのにはDNAのほんの10%の情報しか必要ではなく、あとの90%はジャンクDNAと言われていることに疑問を抱き、それらは普段は眠っているけれどここぞ!というときにだけ働くように出来ているのではないか、という仮説を立てたのです。)
そのときの働きは、常識的に考えたら『死にたくない』『恐い』という当然の本能を超越したものとなるのではないか・・」
そして“本能さえ超越したもの”とは何かといったら、それは“魂の情報”なのではないか、と思うんです。
「生き物として肉体をもってこの世に生まれたら当然湧き起こるであろう本能を超えて、魂は永遠なのだから何も恐れる必要はない。」とか、
「自分と仲間は別の生き物なのではなくて、実は一緒なんだよ。魂としてはひとつの大きなぶどうの房の一粒同士みたいなものなんだ。」という事が瞬時に理解できれば、自分の肉体としての命がそこで終わりを告げようとも、ほかの房の一粒たちに自分の命をも託すことができるのでしょう。
そう考えたら、サバンナやツンドラのようなこの地球上では過酷と言われる環境のなかで生きている生物こそ、肉体を離れた精神世界の学びを受け取る機会が否が応にもあるのかもしれないな~なんて思いました。
私たち人間のほうが、文明社会で身の危険を日々感じるでもなく安穏と生きていられるがゆえに、あーでもない、こーでもない、と思考を使って何年も何十年も死ぬまでかかって精神世界のことを学んでいる。
けれどそれもまたいいのかもしれない。
頭を使う、ということは人間の特権だと思えば。
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