ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

記念日フラワーギフト

2008-09-30 08:11:28 | 身辺雑事

 ダーリンと私は、今年の223日に籍を入れました。(ちなみに皇太子様の誕生日です。四柱推命で、籍を入れるなら220日以降が言い、と言われたので、あんまり私は縁起を担ぐほうではないですが、まあ、そう言われたのなら逆らう手もないか、と220日以降の手じかなお休みに籍をいれに行きました。皇太子様の誕生日ならいずれ祝日になるだろうってことで、覚えやすいかな、ってのもあって。)


ちなみにそのとき私たちはズルをしました。

保証人(?)だったかな、証人だったかな、立会人だったかな、本人たち以外に署名が必要なんですけど、それを知らなくて、直接市役所に行って、婚姻届さえもらってその場で記入すりゃあいいんだろ、というノリで行ってしまったので、ありゃま、署名がいるのってわけで、親にしたわけです。

 だって、普通、その人の生年月日や住所などの個人情報をそこいらを歩いている見知らぬ通行人に頼むわけにはいかないでしょーが。

んで、たぶん、こうだっただろ、ってことでテキトーに記入して提出しちゃいました。本当は本人がちゃんと書かなきゃいけないんですけど。

 そのときは受理されたんですが、次の日に市役所の人から電話がかかってきました。

「お父様の生年月日が違ってたんですけど、ほんとうにご本人が署名されたんですかねえ?」って。

「あ~、年なんで、もうボケてて間違えちゃったんだと思います。はは」ってごまかしました。(もちろん、ほんとはピンシャンしてますけど)

なんだか、市役所の人もど~でもいいや、って感じでまだちょっと疑ってたっぽいけどだまされてやるわ、って感じでした。とほほ。

しかし、婚姻届ってやつは、もっと事務的なものかと思ってましたが、意外に説教くさいでやんの。「いつから同居をはじめているか?」(はじめるつもりか?だったかなあ)を記入する項目があって、え? こんなことまで記入するの、と思いましたもん。だって、そんなこと勝手でしょ。通い婚とか別居婚とかもあるわけだし・・

偽装結婚とかを防ぐ狙いかなあ・・ でも、こんなこと書かせたからってそんなもん防げまへんわいなあ。

でも、もっと驚いたのがこの話を結婚している友人に話すと10人が10人とも

「え? 婚姻届ってそんなこと記入する欄あったっけ?」

って、誰も覚えてなかったですね。なかには去年結婚したての若い友人とか、結婚記念日にはうるさい友人とかもいたんですけど、婚姻届がどうだったかは見事に誰も覚えていない。

みんな、夫が自分の誕生日を覚えててくれるか、とか結婚記念日を忘れてないか、ということには敏感でも、婚姻届を実際に出しにいった日とか内容とかはどうでもいいみたい・・・

これが意外といえば意外でしたね。

ところで。

ここまでは前説です。

長い前ふりになってしまいました。

今日、お話したかったのは、その私たちの実質的な結婚記念日を毎月、花キューピッドで祝ってくれる親友がいるんです。

Chikkoっていう、水泳のインストラクターをしていて年がら年中真っ黒の、私と同年齢だけど、結婚歴は30年にもなるという子です。

Hana 彼女が毎月23日に花屋さんから花束が届くというステキなプレゼントをしてくれています。1年間も!

だから、我が家にはいつも花がある、という潤いのある生活をしています。

また、ありがたいことにこれを届けてくれている花屋さんがいい人で、毎月、

「私からもプレゼントです。」といって、ミニのおまけをつけてくれるの。

鉢植えとかの観葉植物は買うことはあっても、なかなか花束って「貰うもの」ってイメージがあって、自分では買いません。

だけど、もういつも花束が家にあるのが当たり前になってしまっていて、このギフトが終わると家のなかが何かが足りない、って感じがしちゃって自分で買っちゃいそうです。

毎月、毎月花束を眺めながら、「へえー、今月はこういう花が旬なんだなー」とか、「今頃、chikkoは何してるかな」とか「この花はどれくらいの間、楽しめるかな」とかいろいろ考えます。それも楽しいです。

Hana2 お花って「花」というモノを貰ったって感じじゃなくて、「心のゆとり」を貰ったって感じがするよね。

その人のこと、想うし。(ちなみに、「忘れねば思いださじ」という言葉がありますが、まさにそれで、普段、chikkoのことを忘れてるわけじゃありませんよ。だから、必然的に思い出す、ということもないわけです。)
だから、大事にしよう、とも思うし。

以前は、「枯れるからヤダな~」と思ってたときもあったけど、「枯れるからこそ、いのちをまっとうしました感があっていいよな~」と思うようになりました。

花が一輪あるだけで、生活が変わりますよ。

皆さんも、くれる人がいないとしても、ご自分でもいかが?(笑)


カリスマってどういう人のこと?

2008-09-29 07:47:36 | 身辺雑事

 みなさんは「カリスマ」ってどういう人のことだと思いますか?

自分が尊敬している人を挙げる人もいるだろうし、ちょっと不思議さをかもし出している人を選ぶ人もいるだろうし、その世界では有名人っていうような道をきわめた人のことかなあ、と思う人もいるかもしれません。

具体的に自分がカリスマだと思っている人の名前を紙に書いてみて、その人たちに共通点が何があるかを考えてみるとおもしろいかもしれません。自分の志向がわかって。

私なら、(その人物の好き嫌いは別として)大リーグのイチロー、美輪明宏とかがすっと思い浮かぶなあ、と思いつつだから自分はカリスマをどうとらえているんだろう、と考えていました。

そうしたら先日たまたまある本を読んでいたら、カリスマについて定義っぽいことが書いてあったんです。

いわく、カリスマとは、「揺るがない人」のことだ、と。揺るがない人を「他人に不安を微塵も感じさせない人」のこと、と言い換えてもいい、と。


なるほどねー。

そうしてみると、私の人選というのもあながちこの定義からはずれてなかったんでねーの?と悦に入っておりました。

だってイチローなんて毎年調子がいい悪いは必ずあって当たり前のプロ野球界にあって、「揺るがない感」ってありますよね。彼はいつだって3割打ちそう、いつだって盗塁しそう、いつだっていい捕球しそう。そこには並大抵の鍛錬ではないものがあるはずなんですが、そういう感じをかもし出している。

美輪明宏さんにしてもそうです。「ふふん、この世の大方のことなんてもうあたしにとってはどうだっていいことなのよ。」的な感じがありますよね。世をすねて、っていうんじゃなくてあまりにもいろんなことを自分はすでに体験してしまったので、ちょっとやそっとのことじゃ驚かないわよ、っていう感じの安定感。ふたりとも「揺るがない人」。

で、どうして「揺るがない人」がカリスマなのか、というと、「人は人の『気』を感じやすいから」ということなのです。

「風が吹くと桶やが・・」の論理みたいですが、つまり「人は人の気をかんじやすい」となると、もしその人が不安にとらわれていたり、緊張のなかにあったりなどの気を発していると、自分のなかの不安な部分や緊張している部分がやはり同調してしまい、そこが浮かび上がってきてしまう。それはつまるところ「なぜだかはわからないが、いつもこの人を見ていると不安感に囚われる」という羽目になる。そんな人に気持ちよく接したり、いつもその人がテレビに出ていたらチャンネルを合わせたくなるわけないですよね。だから感覚がオミットする。人は自分のマイナスな部分を見たくないわけです。

  反対に、いつも揺るがない人というのは、安定感がある。気持ちが落ち着く。人はそういう人をいつも見ていたいと思ったり、擦り寄って生きたいと思う。そういう人がカリスマだ、というわけです。


これを読んで、「アー、私はとてもじゃないけど、カリスマにはなれないなあ」と思いました。

確かにコンサルテーションの最中には「揺るがない人」がいいかもしれません。

こちらが揺らいでしまってはクライアントが不安になってしまいますもんね。

「オーラソーマを生涯かけて探求する」これも、揺るぎたくはありません。

  だけど、それ以外のことはどうかなあ・・揺らぎがあったほうが心地いいじゃん、と思うこともあるし・・

オーラソーマのボトルのメッセージひとつとっても時代が変われば、それに合わせてまたメッセージが増えていったり削除されたりするものも出てくるかもしれません。

  最近ではプラクティショナーの資格についてもそうです。レベル2やレベル3をとる前の条件が変わってきましたし、レベル4をクリアするとプラクティショナーではなく、「カラーケアコンサルタント」と名乗ることができるようになりました。


オーラソーマは「常に生きている」といわれます。

つまり「揺らいで当然のもの」なのです。

その揺らぎを「心地いい」と感じるか「不安感を増長する」と感じるかは、ただひとつ、オーラソーマが「人が生きていくうえでのブループリントを取り戻すための魂の旅をお手伝いするもの」という部分さえ信じられればあとは多少の振幅幅があったほうが、それは柔軟性と呼ぶべきものだ、とも思います。

うーん、難しいですねえ。

我々プラクティショナーの育成方法や資格を取るためのシステムについてはあまり揺らいでほしくないとも思うし。そりゃあだって、ころころ変われば、そのときは不安になりますもんね。


何は揺らいでもよくて、何については「揺るぎない人」をめざすのか。
自分にとってのそれを許せること、許せないことの境界線は何なのか?

それをみつけることもまたこれ、揺らがない人になるためのハードルかもしれません。

なかでは揺らいでいるけれども、人目には揺らがない人に見えればいい、って場合もあるだろうし。

ぐにゃぐにゃの背骨のないイカのようにはなりたくないけれど、揺らぎながら、ああ、私今このことで揺らいでるな~、と思いながら行くのも結構好きかも。

背骨が何にあたるのかだけはしっかりしとこ。






岐阜駅前「カルチャーアカデミー」にて、10月から第一・第三水曜日の10:30~12:30

 「色」についての講座を行います。ぜひご参加ください。

お問い合わせは、

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強い味方

2008-09-28 08:24:42 | オーラソーマ

 知り合いの人のツテで、某有名百貨店にオーラソーマの提案ができそうだ、ということになっていたのですが、その知り合いの人が事前にジャブを打ったら、百貨店の担当者が、

「そりゃあ、まだこんな田舎じゃ時期尚早ですよ。」と軽くケムに巻かれてしまったそうです。

つまり、百貨店の担当者の人いわく、

「うかがっていると、オーラソーマというのは自分が潜在意識下で考えていることが確認できる、ってことだけど、それじゃあ、弱いね。自分のことは自分でカタがつけられるっていうのは東京や大阪の都会の人の話で、名古屋や岐阜のここいらの田舎じゃあ、まだまだ、で、私はどうしたらいいの?ってところをズバリと言ってほしい、という人たちがほとんどなんだよ。」ということらしいです。

名古屋人ってどうして自分たちをいつまでも「田舎者」扱いするのが好きなんだろうねえ。これって、東京や大阪に対するコンプレックスなの? 

 少し前に「この不況の時代、名古屋だけは盛り上がっている」とか言われて、経済紙などでは「おそるべし名古屋!」なんて持ち上げられていたけど、どれだけ持ち上げられようが、スポットが当たろうが、根強くあるんだね。「田舎者根性論」が。

私自身は、大学生のときに東京に住んでいたし、仕事の出張でよく大阪にも行くけれど、東京や大阪が一口に都会だ、とは思えません。それは、街によってあまりにも顔が違うから。銀座だって、表通りを一本入ったら「銀座にだってこんな裏通りがあるんだあ」ってとこあるしね。だから、東京の人も大阪の人も自分たちは都会人だ、という意識なんてないと思う。そんなところに拘泥していないっていうか、そんなことどうでもいいっていうか・・・都会か田舎かっていう二元論にこだわっているのは名古屋人だけじゃないのかなあ。それもこれもやはり街の規模が小さいから、いろんな顔があるってわけじゃなく「名古屋」って十把一からげでイメージが作られてしまうところがあり、そしてそれがまあ概ね当たっているということになるからこういうことになるんだろうねえ。

ま、そんなことはどうでもいいんですが、私自身はオーラソーマの「無理強いしない」「いちばんの教師は自分の内にいる」という考え方が大好きで、占い師などに上から「あなたは、こうしなさい! じゃないと困ったことになりますよ。」なんて脅しにも似たアドバイスを言われるのは好きではないので、「人は、だからあなたはこうしなさい、と言われるのが好きなんだ」と言われてもピンとこないし、どのみちその担当者の人の勘なので、ほんとにみんなそうなのかなあ・・という素直に信じられない気持ちは今だに持ってはいるんですが、いかんせん、その担当者の壁を乗り越えないことにはチャンスは開けない。

もともと私は私のことをよく知っている身内には、「1を聴いて10を知り、100の裏をかいて、1000の理屈をこねる人間」だ、と言われていますが(笑)

割と対人関係においては、今目の前にいる人のなるべくなら意に沿うようにしてあげよう、という気持ちも意外に強いんです。

なので、それを聞いたときには、オーラソーマのシステムを変えてしまうことはできないにしても、どうしたらいいんだろう、と思いました。すぐに頭に浮かんだのは、アルパックスリングのことです。あれは、単独でもコンサルテーションに使えるものだけど、オーラソーマの補完としてオーラソーマが踏み込むことが出来ない「そういう状況に置かれているってことは今私は、どうしたらいいの?」に答えてあげることができるから、(アルパックスリングの資格をとって出直したほうがいいのかなぁ)とかぼんやり考えていました。

つらつら考えていると、結局、オーラソーマが一言で何、って伝えきれないところがわかりにくいんじゃないかなあ、とも思えてきました。

例えば、これが手相だったら、手相が何かわからないって人はまずいませんけれど、かりに「手相って何?」と聞かれても、「その人の手のひらに刻まれた線から運勢がわかるんだよ。」と一言で答えられます。

ですが、オーラソーマって、いったん対面で説明させてもらえる機会を設けてもらえるなら必ずその魅力にみなさんをお誘いすることができるんですが、体験せずに「一言で答えてみろ」といわれるとなかなかつらいものがあります。

「107本のカラーボトルから4本を選ぶと、いろんな自分の内面のことがわかるカラーセラピーなのよ。」と言っても、

「どうやって選ぶの?」「なんのガイドラインもなく、まず選ぶわけ?」「4本にはどういう意味があるの?」「どうしてそういうボトルから自分の内面のことがわかるわけ?」「カラーセラピーってパーソナルカラー診断のこと?」などの次々に沸き起こる質問がまだ残ります。

それらに最初から答えきる一言、というのがむずかしいわけです。

逆に言えば、そこをクリアできればもっとオーラソーマを伝えられるわけか・・などと悶々と考え、夕食のときに、いつものようにダーリンに今日1日のことを話しながら、それらの私の悶々とした気持ちを話しました。

すると、ダーリン一言。

「とにかく、やらせてもらえばいいじゃん。」

え・・・?

「だからさあ、その百貨店の担当者の人に、『百聞は一見にしかず、ですからいろいろご説明するよりもまずはご自身でオーラソーマのコンサルテーションとはこういうものだ、ということを体験していただいて、それからまた感じたことや思ったことを教えていただけませんか。つきましては、従業員休憩室でもなんでもお借りできるスペースがあれば、1日そこにおりますので、興味のある社員の方にいろいろ来ていただける無料体験会だけでもやらせてください』って言えばいいじゃん。そのほうが速いって。そんな申し出にさえ、何が何でもヤダ、とか理屈が通ってからのことだ、とか言う人いないでしょ。別に悪い話でもなんでもないんだから。それから先のことを考えればいいじゃん。もし、その話がきまらなくったって、いろいろみんなが意見言ってくれればなんらかの参考や勉強にはなるはずだし。」
こうもダーリンは続けました。
「いろんなこと言う人いるだろうけど、みんな、オーラソーマのことわかってないだけだろ。全然理解してない。そんな理解してない状態で言う人の提案なんかにいちいち耳を貸さなくていいんだよ。オーラソーマはちゃんとした素晴らしいシステムなんだから。」
なぁるほどぉ・・・

なんだかもやもやしていたものが、一気に吹き飛んでしまいました。

そのとおりだね。

いろいろ理屈をつけて、こういうことを言われちゃったからできそうにもない、って理由をつけたがっていたのは、私自身かもしれない。


このようにダーリンは、「目からうろこ」っていう言い方よりは、いきなり異次元に連れて行ってくれます。私とは感性とか考え方のベースとなる基盤が全く違うんだね。ひらめきと直感の、誕生数秘学「11」のマスターナンバーの人だから。

私が論理の思考にはまりこんでしまったようなときに、ひゅうっと「なにを小難しいこと言っとんの? 簡単なことじゃん。」と空中ブランコのようなものでさらっていってくれる、って感じ。

まあ、いいコンビだわ。(自分で言うのもなんだけど)

どうしても私は、少しでも挫折感を味わうと、次からは完璧にケチのつけようがない状態にしたいものだから(繊細で完ぺき主義の乙女座なんです。はは)、今回でいえば、「そもそもオーラソーマとは、のそこからの問題点をクリアするには説明時の切り口を考え直さなきゃいけないってことかなあ・・」「それを私が考えなきゃいけない、って状態自体が変だよね」とか、「他力本願なクライアントのためには何かオーラソーマ+別のツールがいるのかなあ・・」とか「オーラソーマ+別のツールで、私だけのオリジナルのコンサルテーションを作り上げちゃってオーラソーマから多少離れてもいいのかなあ・・私自身がそれをのぞんでいるのかどうか、から自問自答して答えをみつけなきゃ」とかまあ、いろいろこねくり回して考えてしまうわけですが、今の段階でそんなとこにハマっててどうすんの、とひょうひょうとそういう状態から救い出してくれるのがいつもダーリンなんです。


さすが、「EKKOちゃん応援隊」を自負するだけのことはあるわ。

私のもっとも強い味方です。






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「ちょせっかい」になりませんか?

2008-09-27 08:27:31 | 身辺雑事

会社の近くに小さなスーパーがあります。

家路につく頃には近所のスーパーはやっていないので、会社の休み時間に夕食の材料を買うためにちょくちょく立ち寄るところです。

小さなスーパーですが、駐車場が7,8台分くらいはあります。

ここでたまたま目撃してしまったんです。

若い男の人が駐車場に止めて、そのままスーパーではなく、その隣の定食屋に入っていくのを。

定食屋さんには駐車場がないので、スーパーの駐車場を利用したんですね。

どうりで、いつもここって駐車場が一杯であることが多いな、と思った。こんな下町のスーパーにいったいどこから車で乗り付けて買いにくる人がいるのかなあ、って。こういう輩が多いからか。

私はカートを片付けるためにその様子を見落としていた駐車場の警備のおじさんに言いました。

「おじさん、今あそこに車とめていった人って、スーパーのお客さんじゃないですよ。隣の定食屋にいきなり入っていったもん。」

余計なことにしゃしゃり出て、と思われる向きもあるでしょうが、最近私はでしゃばることにしたんです。誰かが声を上げないと是正されないもの。

するとなんとおじさん、迷惑そうな顔をして、

「そういうことを言われてもねえ。私じゃどうしようもないんですよ。私だって、まじめにスーパーに買いに来てくださってるお客様のためを思って行動したいですよ。だけどねえ。ああいう人が逆ギレして店長に言いつけると店長から私が怒られちゃうんですよ。私も職を失いたくないですからね。」

と言ったんです。

も~う、びっくり。


この駐車場のおじさんは以前に不法駐車を見咎めて注意したら逆ギレされて、その人が店長に「ここでも買ったのに何でそんなこと言われなくちゃいけないんだ!」

とか何とか言いつけて、店長平謝り、店長は腹いせに「もう、余計なことしなくていい!」と当たったんだろうえ。まあ、駐車場のおじさんの身になってみれば、良かれと思ってやったことを「余計なことするな」と怒られれば、じゃあ、もうやめとこ、となりますわな。

何にも注意なんかしなきゃあ、安泰で勤めてられるんだもん。


世知辛い世の中になっちゃったなあ、と思いました。(年寄りくさい言い方ですけど)

不法駐車の人がいくら「スーパーでも買った」といきまいたところで、買い物以外の時間帯もとめていたことは事実だ、と目視しているんだから、スーパー側はなんでもっと堂々と出来ないんだろう。お客様志向ってどんな理不尽なことにも頭を下げる、ってこととは別でしょうに。

臭いものには蓋をしろ、見てみぬフリ、触らぬ神にたたりなし、ですか・・・

店長も「注意するかしないか」のに二者択一で、ゴタゴタ言われるんだったら、もう注意なんかしなくていい!じゃなくて、もう少し「どういうシチュエーションで、どんな注意のしかたをしたのか?」を尋ねれば、そりゃまずいな、とというところが以前の駐車場の警備のおじさんにはあったのかもしれない。そういうところだけを注意すればいいのに。

今、世間でも問題になり、ついにドラマ化もされた「モンスターペアレント」の問題なども、そこまで権利をかざしてくるのはさすがにおかしいだろ、という時点でお互いに少し柔らかい物言いで芽をつんでおく、ということはできないのかねえ。

同じような問題を含んでいるような気がするんだけど。もうちょっと手前でジャブがあれば、というような。

私が今、仕事で教えているゲームセンターの従業員の子達にも似たようなことがありましたわ。

ゲームセンターの従業員の子達がなかなか客に挨拶が出来ない、ということで指導にいってるんですが、「挨拶しなさい」「いらっしゃいませが言えてないよ。」と言い続けていたら、あるとき、こんなことを言われました。

「お客様がゲームをしている最中に声をかけたら、かえってゲームに集中できなくなるんじゃないですか? 現にそれで、『うるさい!今、いいとこだったのに』と叱られちゃったことがあるんですけど。お客さまは本当にいらっしゃいませ、と言って欲しがってるんでしょうかねえ?」と。


これまた、口あんぐりでした。

お客さま志向に名を借りた逃げです。

ここで、「あ・・・ そうなの? お客さまから怒られちゃったんなら仕方ないわねえ。」などと言えば、すべてのためになりません。

そんなもの、声のかけ方、ってもんがあるでしょーが。そりゃあ、集中して機械ばかり見ている人に、真後ろから気配も感じさせずに近づいて「いらっしゃいませ!」と幽霊アタックされたら「ひゃあ!」とビックリしちゃうのは当たり前です。視界に入るような位置から近づいてギリギリではなく、手前から「いらっしゃいませ」と言えばよいだけのことでしょう。

 それに、この子はいったい何人に声をかけたうちの何人にこういうことを言われたのでしょう? 10人に声をかけたら10人ともがそんな反応だった、というのならさすがに考えもしますが、100人に声をかけてそんなことを言う人は1人いるかいないかのはずです。よほど虫の居所が悪かったのか、逆に常連さんが冗談めいて言ったのか・・ 

 小さい頃もよく使った手ですわ。「みんながそう言っている。」「みんなが持っている。」の「みんな」って誰? というと身近なほんの1人か2人だったりする、ってヤツ。そんなのにいちいちとりあってはいられません。

大体最近、ちょっと反対の意見やら指摘を受けるとすぐに気持ちが萎えちゃって、「そんなこと言われるくらいだったらやめ~」というへなちょこが多すぎるように思います。


「ちょこっとだけボランティア」というのを略して「ちょボラ」って言いますよね。

ボランティアって言うとちょっと荷が重いけれど「ちょこっとだけ」ならできそう、ってことでそれで十分じゃない、いいのよ、という肯定感を打ち出した言葉だと思います。

それと同じで「知らんぷり」や「私には関係のないことだから」「でしゃばるだけ損」じゃなくて、「ちょこっとだけおせっかい」、略して「ちょせっかい」になりませんか?

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こどもは親のために生きる

2008-09-26 07:59:39 | ヒーリング

たまたま一昨日はテレビをつけたら、やけに特番をやっており、それもなぜこんなにかぶるんだろう、というくらい、難病のこどもの話をやっていて、

「やだやだ、こんなの見たら絶対泣いちゃうもん。」と思いながら、テレビのスイッチを切ることが出来ない自分がいました。

そこで、ひとつの話が終わって、とても心に残る部分を抱えながら、CMになったので、別のチャンネルに変えてそれを見ていたら、なんとまたまた全く同じことをやっていた!

これは、偶然ではない・・・

そう思って、このブログで紹介することにしました。

そこで取り上げていたのは、「子供がいかに親のために必死に生きるか」ということです。

ある子は、何度もガンに侵されてそのたびにつらい手術に耐えて頑張っていました。一度は腫瘍が消えて、もうこれで安心だ、と思った矢先、新しい腫瘍がまた発見されて絶望感に打ちひしがれる日々・・ そんななかで、その子は苦しい息のなかで、ベッドサイドに居る母親にこうつげました。

「ねえ、ママ。あたし、がんばってるよね? あたしは、ママにとって自慢できる娘かなあ?」と。これを言うのがたった4歳のこどもです。

「もちろんじゃないの!」と泣き崩れる母。

そんな母親をみて、看護婦さんが声をかけます。

「こどものなかには、通常なら耐えられない痛みにも立ち向かう子がいます。彼女もそんな一人よ。そんなお子さんがなぜそんな恐ろしい痛みに耐えられるかというと、親の悲しむ顔をみたくないからなのよ。」と。

それを聞いたお母さんは愕然とし、自分の態度をふりかえり、意を決して娘にこう言います。

「ねえ? 天国には優しいお友達がいっぱい待っていて、あなたと遊びたがっているわよ。」と。

すると、娘は初めてほっとしたような安らかな笑顔を浮かべて安らかに死んでいったのです。

また、チャンネルを変えたほうのこどもは9歳になる男の子でしたが、骨のガンに冒されていました。骨のガンとは、全身への転移率が非常に高く、また、痛みもほかのガンに比べて強いそうです。

その男の子も痛みにのたうちまわり、形相が変わるほどだったと言います。

そして、

「出来ることなら変わってあげたい。」と言った母にこう言うのです。

「だめだよ。ママには、この痛みには耐えられないよ。だから、僕でいいんだよ。」と。

あまりの痛みに意識朦朧となる息子を見てパニックになった母を見て、

「ねえ、ママ。さっき、このまま僕が死んじゃってたら、ママ、おかしくなっちゃってたでしょ。だから、ぼく、頑張ったんだよ。」とも言いました。


母を悲しませるくらいなら、どんな痛みにも耐えられるというこどもたち。

これほどまでにこどもというのは、親の意に添おうとして生きるのです。

信じられますか?

今まで、私は、こどもは巣立つ側だし、親はそれを見守る側だから、離れていく者に対して、置いていかれる方の側である親のほうがどうしても執着するものだと思っていました。

しかし、こどもは自分を棄ててまで親に尽くそうとするんですね。

これを知ったら、これほどの生死をさまようまでの体験でないにしても、健常者として育っていく過程においても、こどもが「親の顔色をうかがう」というのはごく当たり前のことだと納得できます。

そして、こどもにはその意識がない。

だから、おとなになって、自分もおとなの視点にたったとき、「あのとき、どうしてあれほど自分を殺してまで親の顔色をうかがったのだろう。」ということがトラウマとなっている人も少なくありません。

私のサロンにもときどきそんな方がいらっしゃいます。

「そ~んな、こどものときのことなんて、誰にだって何かしらあるわよ。そんなこと忘れちゃえばいいのよ。いまさらどうなるものでもなし。今が、まあ普通に幸せにやっているんだったら、どうしてそんなこと蒸し返す必要があるの。」

とおっしゃる方もみえますが、一度、自分の子供時代に立ち返り、「ケリをつける」ことでしかもやもやしたものが解消できない、と言う方もみえるのです。


オーラソーマにはそんな人のために「タイムラインのヒーリング」という方法があります。

26番、87番、11番、23番、81番、52番という6本のボトルを順番に使っていくのです。

6本使い切るには最短でも半年はかかるでしょう。

私も興味はあるのですが、このタイムラインのヒーリングを実際にやってみたことはまだありません。

半年かけて何の変化もなかったとき、「自分には癒されなければならないほどの子供時代のトラウマは別になかったんだ・・」と思うのがかえってショックだからかもしれません(笑)

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