1つだけ、なんて言いながら、今日も昨日の続きで、島田紳助さんについて、です。
私の人生には別に影響ないしぃ~とか言いながら、結局結構わたし、彼の引退のことについては考えさせられてるじゃないの。
私は島田紳助さんという人物をテレビで見ていた限りにおいては、別に好きでも嫌いでもありません。
でも、「何も感じない人」ではありませんでした。
「う~ん、今のたとえは面白~い!」とその発言に喝采したくなるほどのときと、「なんかイヤな感じ!」と嫌悪感を抱くときが激しく交錯し、ならすと「好きでも嫌いでもない」というふうにしか言いようがない、という感じでした。
もし、彼のような人が一般人として自分の身近に存在していたら、決して親友にはなりたくないけれど、何か結束してやるときとかグループのなかの1人としてはああいう人がいても面白いかも、という感じかな。
しかし、好き嫌いとは別に彼の性格のある部分が自分とかぶってとっても愛おしいなぁ、と思うところがあるんです。
今日はそれについてのお話です。
彼は会見で、元プロボクサーで今は、被告と呼ばれる存在となった渡辺二郎さんのことを「20代前半からずっと友人です。」と言いました。
けれどいまやその友人は、暴力団組織の一員となり、刑事事件を起こすような人となってしまいました。
それでも紳助さんは友人を止めなかったんですね。
暴力団や刑事事件はいけないことだとしながらも、いいところもいっぱいある人だし、それで友人を止めるということは人として違う、と彼は思ったんでしょうね。
芸能人だから彼と付き合うのがルール違反だと言われるなら、芸能人であることのほうをやめるわ、というのが彼の生き方なんでしょう。
私も、そういうところがあるんです。
世間が一様にダメだしをするならば、むしろその逆をいってやろう、とわざとそうするようなところが。
なぜかフライング気味の正義感を発揮してしまうんです。
あれは小学校5年生のときでした。
私には同じクラスで親友と呼べる友人がいました。
あるとき突然担任の教師に呼び出され、「あいつとあまり親しく付き合うのはやめろ。お前のためにならん。お前のためを思って言ってやっているんだぞ。」と言われました。
教師がそう言う理由は単に成績だけのことでした。
当時私は成績のよい児童で、彼女は普通って感じでした。
教師は、もっと成績の良い○○や△△と友達になったらどうだ、と言うのです。
子どもながらに(この教師はおかしなことを言っている)と思いました。
そして、その場こそ教師には反発しませんでしたが、全くそんなことには聞く耳を持ちませんでした。
彼女と友達をやめるくらいなら、その教師の覚えが悪くなって結構、と思いました。
時は経過して中学2年生のとき。
同じことが起こりました。
小学生のときとは別の友人のことですが、クラスでもちょっと浮いている感じのあった子で、でも話してみるといいところもあるな、という子がいました。
以来、私はその子とほかの子と分け隔てなく仲良くしていました。
すると担任の教師にまた呼び出されました。
「あの子は危険だから、あまり付き合わないほうがいい。あなたにはふさわしくない子よ。」と。
そのとたん、胸のなかで、(だったら誰なら彼女にふさわしいんだよ。あの子はひとりぼっちにしとけよ、とでも言うのかよ。)と毒づく私がいました。
確かに彼女がクラスのなかでちょっと浮き気味だったのも、本人は悪戯のつもりでやったことが度を越しているだろー、それでは誰も笑って許すわけにはいかんだろーということがままあったからです。
でも、それは受け容れられないからついとってしまう行動であったり、家庭の複雑さがなせることであったりしたわけで、こちらが偏見なく付き合えば普通の子だったのです。
このときは、その場で反抗心むきだしにしました。
「ふさわしいとかふさわしくないとかって成績がつりあうかつりあわないか、ってことで言ってるんですか? 友人てそういうことで決めるんですか?」
教師は適切な回答ができませんでした。
それみたことか、と私はその教師が見ている前では、わざと彼女と仲良くするようになりました。
高校2年ではこんなこともありました。
普段から態度が悪く、成績も悪い男子生徒が授業中になにやら明らかに先生の話を聞いていない、というほかごとをしていました。
すると普段は穏やかなその先生がよほど腹に据えかねたのか、いきなり最前列の席だったその男子に歩み寄り、彼が首にしていたネックレスに手をかけ、
「何をやっとるんだぁ! おまえは。学校にそんなネックレスなんかしてきて! そもそも男だろう。男のくせに!」(男のくせに、というこの怒り方そのものが時代錯誤ですよねぇ・・・)と言いながらそれを外させようとしたのか、引きちぎろうとしたのか強く引っ張りました。
そうしたら、ネックレスが切れて、床にバラバラと珠が散らばりました。
それはネックレスではなく、首に出来るサイズの数珠で、彼の亡くなったお母さんの形見だったのです。
そのとたん、ものすごい鬼のような形相になったその男の子は泣きながら教師に食って掛かり、「拾えよ!」と言いました。
教室は水を打ったようにシーンと静まり返りました。
教師はしまった、そうだったのか、という顔をしました。
生徒たちはみな、悪いもん見ちゃったなぁ、これは完全に教師のやりすぎっつーかミステイクだったぜ、居心地悪いだろうなぁ、どこ見てりゃいいんだよ、という困った顔をして、うつむいていました。
「拾えったら、拾えよ!」ともう一度その男子生徒は、先ほどよりさらに声を荒げました。
そのとたん、自分がやりすぎて悪かったけれど、教師としての最低限のプライドを保つためにはどうしたらいいのかに頭をめぐらせた教師は、
「・・・みんな、拾ってやってくれ。」と言いました。
それを聞いて、さっと最前列と2番目に座っていた女子生徒は全員珠を拾い集め始めました。
最前列で、その男の子の隣の席だった私だけが立ち上がりませんでした。
なんか違う、って思っていました。
私たちも手伝ってもいいけれど、教師は拾わずにふんぞりかえっていてもいい、ってわけはないだろう。引きちぎった本人はお前なんだから。それを何をえらそうに自分だけは相変わらず高い教壇の位置から一歩も踏み出そうとしないんだよ。
そう思ったとたん、私の体は怒りで硬直してしまったのです。
そして、じっとその教師と眼を合わさないようにしてうつむいた子たちばかりの教室のなかでただひとり顔をあげて教師を見つめました。
もしそのとき教師と目があって、「何だ、お前。何か言いたいことでもあるのか。」と言われれば私は「お前も拾えよ。」と言ってやると思っていました。
しかし幸か不幸か教師はまっすぐ自分を見ている私と目を合わそうとはしませんでした。
だから私の人生で教師に対して最低の暴言を吐く、というエピソードにはならずにすみました。
このときも青くさい正義感に駆られていたのでした。
女子生徒が「先生、これ。」と球を手渡すと何事もなかったかのように、
「さ、じゃあ、これ返すからな。これからは学校にそういうものを身に着けてきちゃいかんぞ。・・・授業に戻るぞ。」と教師は言い、授業が再開されました。
長々といくつものエピソードを紹介してしまいましたが、私は小さい頃から親や教師や世間という得たいの知れない化け物のような強大な力には屈しまい!というような、する必要もない戦いをひとり挑んではシャドーボクシングしていたような子どもでした。
それが良いか悪いかは自分で決める、と思っていたし、実際そうしてきました。
今はさすがに無駄な戦いは挑まなくなりましたし(笑)、あまりにも青臭い一本気さも影をひそめてきましたが、それでも自分で考えて出した結論でもないのにただ大勢に流されるという風潮が世間で流れていると思ったときにはむかむかしてきたりします。
そして、世の中には「ここから先は危険」とわかれば、何もすき好んでその先の領域に踏み入る必要なんてないじゃないか、という人間と「危険な匂いはするが、それは自分で判断した結果NGまでではない。」と思えば、あえてその領域を侵そうとする人間がいるのだよなぁ、と思いました。
たいていの人は前者でしょう。
確かにそんな必要ないですもん。
必要あるかどうかを考えたら明らかに「ない」んだったら、そこから先そのイエローゾーンがレッドゾーンかどうかを確かめる作業をするのは自分じゃないでしょう、と思いますわな。
むしろしゃしゃり出て、当事者でもないのに自分でレッドゾーンかどうかを確かめる人がバカに見えるでしょうね。
でも、私は後者のタイプの人間なんだよなぁ。
まだイエローゾーンなら、そこに踏み込まないのは、それをもうレッドゾーンと決め付けたことになる。
それはイヤだ。
それならばはっきりとレッドゾーンと決まるまではあえてイエローゾーンには踏み込もう、と思ってしまう。
先日も、「荒々しい感情」という記事のなかで、自分は元々大きな振幅幅のある感情を持っているほうだった。それが良いとは思わないけれど、少なくとも昔はその大きな揺れに耐えられるだけの精神力が備わっていた、今はただ鈍くなっただけのような気がしてどうもいかん、というようなことを書きました。
そんな気持ちを抱いていたところだったので、世間に対して、「俺はこんなこと自分で判断した結果、いかんとも何とも思っとらんかったんじゃ。それの何が悪い。」と風当たりが強くなることはわかっていながら最後まで自分の基準だけを優先し、青臭い一本気を50歳過ぎても通している島田紳助という人間と、昔の自分が重なり、なんだか愛おしい人間くさいやっちゃのう、と思ったのでした。(※ しかしその後、法律違反までではないのかもしれませんが、芸能人としても一般人としても明らかに暴力団との付き合い方としてはレッドゾーンだろう、それ、という付き合い方をしていた、ということが次々と出てきてしまいましたがね。最初の会見のときの十数年で何通かメールをやりとりしただけ、というのとは大きく違ってきているようです。)
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