ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

ダーリンの気付き

2014-11-30 09:05:50 | 身辺雑事
さて、阿部敏郎さんの講演会にはダーリンと一緒に行きました。
たまたま今回は祭日の開催だったので一緒に行けたんですね。
で、終わったあとのダーリンの第一声。
「宗教ってこういうのがいいよな!」
・・・いや、阿部さん、宗教家じゃないですけど。



ダーリンは2年ほど前からある密教のような宗教の月次祭に行っているんですね。
それはダーリンの仕事関係の人から、
「いいぞ~、あそこを拝んでおくと不治の病からも生還できるし、仕事が苦境に陥っても助けてもらえる。」
というようなことを言われ、根が単純、いや、素直なダーリンはそれを真に受けやがって、いや、すんなりと信じて入信したのでした。
入信といってもキリスト教のように洗礼をうけるみたいなたいそうな儀式があるわけでもなんでもありません。
ただ月に1回催される月次祭に顔をだし、ほんの10分ほどの総帥の説法に耳を傾けお布施をおいてくるだけのことです。
そしてその時にもらえるお札のようなものが36枚貯まると満願成就する、と言われているようでした。



しかし、ここ1年ほどお年を召された総帥の体の具合がことのほか悪くなって、もうその方は表舞台に出られなくなられました。
そして代わってまだ20代も半ばだと思われるその総帥の娘さんが、新たに総帥になられたようで、その方が説法をされるようになりました。
だんだん、この頃から内部的にもいろんな揉め事があったみたいでおかしくなってきて・・
もともとはお年を召した総帥の人柄や悟りの深さに感じ入って入信した人ばかりですからね。
ほんの20代の娘さんがいきなり後を取った、と言われてもどうしてもそのひずみが出るのは仕方のないことでしょう。
私もダーリンに誘われるままに何のこっちゃわからないその月次祭に顔を出したことも何度かありました。



けれど、そこでのその新しい総帥の説法というのはノートに書いてあるものを読み上げるだけなのです。
その読み上げ方もいかにも棒読みで、「ほんとにあなた、内容わかって語ってるの?」と言いたくなるようなシロモノであり、なぁ~んにも心に響かないことおびただしい。
それはダーリンも感じていたようで、今後どうしたものか、と悶々としていたようでした。
そして冒頭の発言とあいなったわけです。
ダーリンが言った、「宗教ってこういうのがいいよな!」というのは、わかりにくい世界観のことを地に足ついた感じで特別のことでもないかのように日常の献立の話をするかのように話し、自分の言葉で語りかけて欲しいよな、ということが言いたかったようなのです。



けれど、溜まったお札が34枚。
あと2枚で満願なのです。
だから私は、
「あと2回顔を出すだけじゃないの。そうしたらもうそのあとはやめてもいいんじゃないの? でも、それまではせっかくだから行ったら?」
と言っていました。
「うん・・」と言っていたダーリンだったのですが、この日阿部さんの講演を聴いたあとのダーリンは、いきなり、
「もう、あそこには行かん! やめた!」と高らかに宣言したのです。



そんな宗教どうだっていいと思っている私でさえ、(第一これ以上あ~た、何が望みなんだよ? このうえなく幸せ者だろうが、と言ってやりたい。)
「え~? あと2回だよ? もったいなくないの?」
と思わず言いました。
するとダーリンは、
「うん! 全然もったいなくなんかない。だって自分は大いなる知性(=神)なんだろ。
だったら自分で決めればいいんだよな。
これからはあそこの月次祭に行っていた毎月第三火曜日に、代わりに黒龍神社(うちの氏神様です)に行って、お参りして、毎月お守り買って、それを36個貯める!
自分で決めて、その自分で決めたことを信じてればいいんだよな!」
と言いました。



・・・まぁ、そういう決断をしたならそれでいいのでは、としか言いようがなかったわたくし。
ダーリンは阿部さんの話のどこに感じ入ったのか、何かが吹っ切れたようで、「ともかくそうする!」と息巻いていました。
ダーリンのなかでこれまではその密教が決めていたことが絶対だったのでしょう。
けれどそんなものはどうでもよくって、でもどうでも良いだけではそれもまたつまらないから自分で勝手にルールを決めて、それに従うことにした、ということのようでした。
ダーリンは「決断」をしたわけです。
そしてその決断が「行動」を産むわけです。
それはどうあれ、素晴らしいこと!
ダーリンが自分で決めたルールに従って満願成就なるといいな、と思いました。
ま、何が満願なのか聞きませんけれどね。
だって、私と一緒に日々笑って過ごす、ということ以上に彼にとっての幸せってないでしょーが! とくどいようだけれど言いたいからねぇ。






***************************************

  ★オーラソーマセッションご希望の方・営業案内は、
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan1963
     ※ページから直接「予約フォーム」に入れます。
  ★それ以外の情報・HPは、
   →http://sasara.info
★アニマルコミュニケーション関係は、
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan9015
  ★全国一律1品から送料無料
    支払方法は振り込みです。
    振込先はゆうちょ銀行と普通銀行があります。
    ゆうほ銀行に口座をお持ちの方であれば振込手数料は発生しません
    が、それ以外は振込手数料が発生することをご了承ください。
    製品の大きさによって通常郵便か宅配便を利用するかはこちらで
    決めさせていただきます。ご指定はできない場合がありますので、
    ご了承ください。

   すべて、お問い合わせは
     chakra@aura-soma.name
までお気軽にどうぞ!

**********************************

阿部敏郎さんの講演会での気付き  ~行き着くところは禅か?~

2014-11-29 09:05:15 | 精神世界
阿部さんはどうやら最近「禅プロジェクト」というものに熱血を注いでおられるようです。
最近無料動画が配信されていたようで、そのプロジェクトの全貌の一端をうかがい知ることができるみたいです。
みたいです、なんて他人ごとのように言っていますが、私のところにもこの無料動画は届いているんですよね。
でも、残念ながらまだ見ておりません。
ゆっくりと時間がとれるときにまとめて見ようっと、と思ってまだ放ったらかしにしてあります。
こういうのが危険なんですよねぇ。
そして結局見なかった、となりそうな・・



さて、講演会のなかで少し阿部さんはこの「禅プロジェクト」のことに触れられました。
どうやら来年から半年間にわたってのネットを使っての配信講座みたいです。
1日1回お題のようなものが出て、それをクリアしていくとハイ、半年後にあなたはブッダになっている!・・かどうかわかりませんが、かなり成長した自分を確認できると思いますよ~んというような講座かな。
それを聞いたとたんに私は、(あ・・ 私はやらないだろうな)と思っちゃいました。
私には苦い経験があるからです。



それは「アラン・コーエン」のやはり、毎日メール配信されるテーマに基づいてそれをクリアしていってくださいよ~という講座に申し込んだ経験があって、毎日っていうのはやらないんですよね・・
1つ1つは確かにそんなに難しい課題ではありません。
でも1日それを意識して生活する、ってしんどいときもあります。
そのことにすべて縛られちゃっているような・・
それを窮屈に感じてしまうんですよね。
今日はほかのことで頭いっぱいだからそれ、勘弁して、って言いたいときあります。
そんなこんなして「いいや、とりあえず貯めて置いてじっくり取り組めるときにやろう。」としたとたん、一切やらなくなってしまいました(笑)
そういうわけで、今回も同じことが起こりそうな気がしているからです。
気がしているなら、その苦い経験を糧に今度こそは、と改善すればいいじゃないか、とお思いでしょう?
いやぁ、こういう習慣って絶対繰り返すな。
今からそれがわかります・・



ま、そんな話はいいとして。
私は阿部さんから禅の話が出たから言うわけじゃありませんが、「なんとなく勘だけど、禅ってこういうスピリチュアルなものを学んでいる人たちにとって究極のワークじゃないかなぁ。」と実はひそかに思ってるんですよね。
私は禅のなんたるかをかじったことはありません。
なぁ~んにも知りません。
それでも勘で勝手にそう思っちゃった。



そもそもですね、気付きが深まるにつれて、人は「ツール」を必要としなくなるんじゃないかなぁ、って思うんですよね。
私はこのブログでもよく言いますが、オーラソーマをやっているけれどもオーラソーマがすべてではない。
何で気付くかは人それぞれ。
それこそ野に咲く花を見て突然悟っちゃう人もいるでしょうし、何をよすがとしてワークしていくかは人の好み。
だから私にとってはオーラソーマと出会ったことは財産とも呼べるようなことでしたが、「あなたにとっても同じはず」とばかりにオーラソーマを薦めるつもりはありません。(だからなんだよなぁ。私がティーチャーでありながら、「オーラソーマのコース学びなさいよ!」と人に強力なプッシュができないのは)
それまでの生きて来し方でスピリチュアルに対する開け方のレベルも人それぞれでしょうし。
で、また再び言いますが、スピリチュアルに対する造詣が深まれば深まるほど、人は「ツール」という助けを必要としなくなるんじゃないかなぁ、と思います。
(ちなみに阿部さんは「スピリチュアル」という言葉は使いませんし、嫌いだそうです。私も実は嫌い。タイトルで「ちょいスピ」とか余計に軽くしたような表現しときながらなんですけれど。けれど仕方がないもん。これ以外のこれを表現する言葉ほかにはないもの。魂の修行について、みたいなことを言いたいわけですが、「ソウルフル」とか言っちゃうと黒人が歌うたってそうなイメージですしねぇ。)



つまり、「ツール」が必要なのは未熟だからでしょう。
そりゃそうです。
お友だちと「おままごと」しよう、っていう時に、なぁ~んにも道具がなくって、「あるふりしてやろうね。」っていうより、葉っぱをお皿ってことにして、木の枝をお箸ってことにして・・ってやったほうが気分が盛り上がりまさぁね。
なんにもなくてもエアーおままごとできる子どもはツワモノです。成熟してます。
「ツール」ってつまり“その気にさせてくれるもの”という役割なんだ、と思います。
だからツールそのものが大事なわけではなく、大切なのはそれを使って気付くこと。
「ツール」はいわば“ごっこ”のためにあるものだ、と私は思います。



だからオーラソーマのボトルたちは「ツール」に過ぎません。
オーラソーマをやってらっしゃる人にとっては「いや違う! ボトルはただの道具なんかじゃない。だってリヴィングエナジー(生きている存在)だから。1つ1つ個性をもった、生きているものなんだから。」とおっしゃるかもしれません。
いや、それをわかっていても私はやはり「ツール」だと思います。
ここで私が「ツール」と言っているのは、それが命を持っているものなのかどうかを問題にしているわけではないんです。
オーラソーマのボトルを使って心の奥底に潜んでいるものを浮かび上がらせる。
その浮かび上がってきた自分の内側にあったものに目を向けてハッと気づく。
その気付きが大切なんであって、ボトルが大切なわけではない。
自分の内側から浮かび上がってくるものに気付くのはボトルがなくても気付く人は気付くかもしれない。
そういう意味で言ってます。



かといって「ツール」をなめているわけではありません。
ただそれぞれの人のレベルによってはなくてもいいものなのかもしれない、と言っているだけです。
“ごっこ”は楽しいし、人生楽しい方がいいに決まっている。
“なりきる”楽しさ、やりきる達成感みたいなものもあります。
だから「ツール」って彩りのためにも必要ですよね。



オーラソーマにもボトルだけではなくいろんな「ツール」がほかにもいっぱいあります。
ポマンダー、クイントエッセンス、カラーエッセンス、アークエンジェロイエッセンス、AEOS、ビーマーライトペンという次世代の光のツール・・・・etc.
それらの製品アイテム以外のソフトでも、「バタフライ&シーエッセンス」というコンサルテーションの形態、「カバラと72の天使」という概念とコンサルテーション、「クリスタルマスターズ」というヒーリング・・・etc.
そしてオーラソーマをやってらっしゃる方たちの中でも、それを取捨選択しています。
「私は3本柱までしか必要ないと思っているの。」
「私は、ヴィッキーさんの時代に存在したものまでを取り入れるわ。」
「私は天使が好きだから天使のコースはとる。」
などというように。



そしてそのことを誰もが認め合っています。
「全部取るのが本筋でしょーが!」とか、「これは受けるべきものよ。」とか、そんなことは誰も言いません。
「あぁ、あなたはそうなのね。私は違うけれどそれはそれでいいよね。」っていうだけです。
ちなみに私は「オーラソーマ」という冠がつくものはなんでも飛びついていました。
取捨選択なし(笑)
それがオーラソーマをより深く知るための一番の近道だと思っていたから。
そんなには実は興味のないコースでも「ま、受けとこか。」ぐらいの気持ちで受けたものもありますし、製品アイテムはとりあえず全部使ってみようと思ってそうしてきました。
それから後になってからまた決めればいい、と。



その「後」というのが「今」なのかもしれません。
あぁ、私は“自分にとって大きな気付きを与えてくれるもの””自分をもっと自由でいいんだ、もっと解放的でいいんだと思わせてくれるもの””ありのままの自分って何?ということに気付かせてくれるもの”以外はこれからはどんどん離れていくだろうな、という予感がしています。
ちなみに私は頭では本当は自分が「ツール」というなにかしら「ごっこ」じみたものを使って気付いていく、というのが何か腹立たしい。(笑 何に喧嘩売ってんだ?)
けれども私は感覚派ではなくひどく思考派でしたから(今でもかなぁ)、なんにも「ツール」を使わずに「ハイ、降りてきました~」というようなチャネリングとかエネルギーワークはそれはそれで苦手なのでした。
そんな私が一番信じられるもの、というのが自分の肉体に起こることだったり、感覚器官が感じることでした。
だから私は五感を使うワークがほとんどである「表現アートセラピー」や、体の感覚を大切にする「ゲシュタルト療法」に惹かれたのかなぁ。



そして今、禅に惹かれ始めています。
まだなんにもしてないけど。
「ツール」を使わずに、けれど掃除とか坐禅とかそういうもので日々気付いていくという世界観がいいなぁ。
阿部さんの「禅プロジェクト」はやらないと思うけど。(いいって。やらないことはそんな強調しなくていいんだって。)
これからの私が何をやるのか、楽しみだなぁ。






***************************************

  ★オーラソーマセッションご希望の方・営業案内は、
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan1963
     ※ページから直接「予約フォーム」に入れます。
  ★それ以外の情報・HPは、
   →http://sasara.info
 ★アニマルコミュニケーション関係は、
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan9015
  ★全国一律1品から送料無料
    お支払いの方法は振り込みです。
    振込先はゆうちょ銀行と普通銀行があります。
    ゆうちょ銀行に口座をお持ちの方であれば振込手数料は発生しません
    が、それ以外は振込手数料が発生することをご了承ください。
    製品の大きさによって通常郵便か宅配便を利用するかはこちらで
    決めさせていただきます。ご指定はできない場合がありますので、
    ご了承ください。

   すべて、お問い合わせは
     chakra@aura-soma.name
までお気軽にどうぞ!

**********************************








阿部敏郎さんの講演会での気付き ~ほかにも腑に落ちたこと~

2014-11-28 09:05:47 | 精神世界
昨日は、“思考の上でだけはすでに理解していることをいかに違う角度からもっと深く自分のなかに落とし込めるか”というものに出会いたくていろんなセミナーやワークショップに出かけていくわたし、というように自分のことを書きました。
ほんとにこれは性分なんでしょうかねぇ。
つくづく自分の中にそんなものがいつもムクムクとあって、やめられまへ~んと声をあげているのがわかるほどです。



で、そういう自分が時折さもしく感じる、とも書きましたが、それも本心からそう思います。
だってセミナーやワークショップに出かけても、本当の意味でその瞬間を楽しめない、ってことですもん。
今か、今か、まだ出てこないのか、私が出会っていない表現たちは、と身構えている状態ですから“今”を楽しめるわけがありません。
そしてそういうものに出会えたときにはそのセミナーやワークショップが本当にキラキラして感じるけれども、出会えなかったら「ちぇっ、今日のは不作だったな。」と片づける。
そういう態度もいかがなものかな、と自分で思います。
そんな主催者のせいにするような話ではなく、楽しめるのか楽しめないのかはあくまで自分の姿勢そのものだからです。
相手に対する期待だけが大きければ面白くなければその人のせいにできますからね。
自分の受容性というものを抜きにして。
それも頭ではわかっているんですけれどもねぇ。



今回ももちろん、新たな発見、気付きを期待して出かけました。
私は「今ここ塾」という本を読んで阿部さんのファンになったと言いましたが、過去や未来に思いを馳せるよりも“今、この瞬間”に生きることの大切さ、というのはずっと自分にとってもテーマだと思っていましたから、この本を読んだときはそれがわかりやすく書いてある!と思ってのめりこみましたねぇ。
そしてこの日のお話もそこがテーマでした。
「いかに今を生きるか。」
ていうか、
「私たちは今を生きるしかしょうがないのだ。」
ということ。



で、そのことについてだけ言えば、私は期待したものには出会えませんでした。
つまり本に書いてある以上の新しい表現には出くわさなかった、ということです。
けれども、もっと大きな気付きがありました。
それは「たった1つの宝石のような表現に出会えなくても、全体の流れを通して、あ、前より深くわかった気がする。」とか、「前には大して光を当ててこなかったものがとてもキラキラして見える。」ということが起こったからです。
それはやはり講演会というライブ感のある中だから起こったことだった、ともいえるでしょう。
それは大きく言えば2つありました。



1つは、「空間、スペース」というものについて。
阿部さんはこうおっしゃいました。
「実は時間とか空間というものはこの世には存在していないんだよ。
だって、ボクたちはワンネスの存在だから。
空間っていうのはそもそも相対する自分とは別の存在があるから、その存在と自分との間にあるものを“空間”と呼ぼう、ということで必要となった概念だろ?
本当は”自分”と”相対する存在”なんてないんだから、空間もないんだよ。」
なるほど。
そうなりますよね。



けれど、昨日も書きましたが、私たちは自分の思考が作り出したに過ぎないのかもしれないこのゲーム盤のような世界のなかで生きていることも事実です。
ですからこれは一応、「現実」という名において「存在する」ということにしましょう。
自分がいる。
別の存在の相手がいる。
ぴったりとくっついちゃって空間がなければ、それを別の存在だと認識することもないほどでしょう。
けれど存在間にスペースを取ってみると見えなかったものが見えてくる。
冷静にもなれる。
ゆとりが生まれる。
面白いですよね。



これを聞いたとき、私は何だか改めてオーラソーマの「グリーン」いいよなぁ、って思ったんですよね。唐突に。
これまで私はグリーンポマンダーがあんまり好きではありませんでした。
嫌いでもないけれど。
なんだか単純な香りだなぁ、って思ってて。
あぁ、男性の整髪料とかにあるよね、こういう香り、って感じで。
香りが単純なものに感じると、なんだかグリーンという色のもつメッセージまで単純なもののように見えてきて。
「スペース」という言葉から文字通り、ハイハイ、スペースだよね、って思うだけで何も私の中で広がりを見せなかったのです。
それが「空間という概念をあえて取り込むことによって、見えなかったものが見えてくるよね。」と言われると、急に哲学的にふかぁ~いものを感じ始めるから不思議。
急にグリーンポマンダーやジュワルクールのクイントエッセンスを使いたくなってきたのでした。
このように思考から始まって感覚的な行動に移す、ってことが私の場合、とても多いんだよなぁ。



もう1つは、「主人公」ということについて。
私たちはワンネスの存在なんだ、ということについては1度や2度はこういう言い方を聞いたことはありますよね?
たぶん、これが本当の意味で腑に落ちるとあらゆるしくみがするする~と紐がほどけるようにわかるようになるんじゃないかな、という気がしています。
それほどコアな概念だ、ってことです。
で、私たちはたった1つの存在であるならば、「これが私だ。」というものも存在しないということになります。
でも私たちは普段から「これが私だ。」というものに縛られて生きています。
肉体については、肉体を脱ぎ捨てたあとでも魂は永遠だ、ということを信じられるという方は「肉体はわたしじゃない。」(正確に言えば、肉体は私のすべてを表しているわけではない、って感じかな)は理解できるかもしれませんが、思考(=マインド)も自分ではない、と本当の意味で腑に落ちることはとても難しいことでしょう。



それはどうしてか、と言えば阿部さんいわく、
「私たちは生まれたときから、“意味のあることを求めるように”教育されているからだ。」
ということです。
そりゃそうですよね。
「意味のないことが大切なんだ! おまえは堂々と意味のない人生を歩んでいけ。」
なんて言う親はどこにもいないでしょうからねぇ。
そして「意味がある」ということは「大切なこと」に直結します。
「これは意味がある、ない」と考えるのは頭です。
マインドのしわざです。
だから「マインドは自分ではない」のだ、と言われることは「自分がこれまで大切だと思ってきたことを放棄しろ」ということですから、人間そんなこと簡単にできやしないのです。
「もっと立派な人間になれ」を大切な金科玉条にしてきた人に「そんなもの、意味ないって」と言って納得してくれるわけないじゃないですか。



これはここまでにしておきます。
私が今日言いたいことはそこではないからです。
「私たちは1つの存在で、“自分”などというものは存在しないのだ。」としたとき、その説明をこれまで私は、この世はゲームのようなもので、自分はそれを演じている主人公のキャラクターに過ぎないと思え、というのがどうやら一番わかりやすいたとえみたいだぞ、と思ってきました。
でもどうしてもそのたとえが私にはピンとこなかったのです。
でも阿部さんはこの日、その「わたし」についてこうおっしゃいました。
「お~きな丸い球体があって、それがすべてだとする。これを神と呼んでもなんでもいいけれども、ぼくは“大いなる知性”と呼んでいます。
これが存在の正体。
そしてその前にそれぞれの僕たちが並んで立っていていろんなフィルターを持っている。
赤のフィルターを持っている人もいれば、緑や青の人もいる。
そのフィルターを通して世界を見ているから、それぞれの世界が違ってみえるんだね。」
と。



私にはこの説明がすごくピンときました。
ゲーム盤のたとえよりも。
たとえ、って難しいですよねぇ。
わかりやすくするために人は例えを使いますが、そのたとえのせいでかえってわかりづらく感じちゃったり、たとえに囚われすぎちゃって本質を見失っちゃたりする危険もあるから。



今日は「グリーン」について新鮮に感じた、ということと、ワンネスの真実みたいなものについてこれまでより腑に落ちた、ということについて長々とお付き合いくださいましてありがとうございました。










***************************************

  ★オーラソーマセッションご希望の方・営業案内は、
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan1963
     ※ページから直接「予約フォーム」に入れます。
  ★それ以外の情報・HPは、
   →http://sasara.info
★アニマルコミュニケーション関係は、
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan9015
  ★全国一律1品から送料無料
    支払方法は振り込みです。
    振込先はゆうちょ銀行と普通銀行があります。
    ゆうほ銀行に口座をお持ちの方であれば振込手数料は発生しません
    が、それ以外は振込手数料が発生することをご了承ください。
    製品の大きさによって通常郵便か宅配便を利用するかはこちらで
    決めさせていただきます。ご指定はできない場合がありますので、
    ご了承ください。

   すべて、お問い合わせは
     chakra@aura-soma.name
までお気軽にどうぞ!

**********************************







阿部敏郎さんの講演会での気付き ~「思考は現実化する」の誤解~

2014-11-27 09:05:09 | 精神世界
昨日は阿部敏郎さんの名古屋の講演会での気付きについて書きました。
が、一番末席の気付きから書いてしまいましてん。(なんで大阪弁やねん。)
で、今日はもっと書きたかったことをちゃんと書くねん。(もう、ええねん。)



これも質問者とのやりとりから気付いたことですが。
ある質問者の方が、仕事における人間関係で悩んでいる、というお話をされました。
そうしたら阿部さんは、
「それはね、全部キミの頭の中で起こっていることなんだよ。」
っておっしゃいました。
このときにふっと私は、その意味がとてもよく腑に落ちたんです。



こういうときって時々ありますね。
「あっ、この言葉の本当に意味するところ、わかった。」みたいな感覚がするとき。
こういうのを私は“気付き”と呼んでいて、誰もがこの瞬間が起こったときのすっきり爽快感って何にも代えがたいだろうから、そういうものが提供できたらいいなぁ、と思ってセラピーをやっているわけなんですが、これってひょっとしたら小っちゃな意味の“悟り”なんだろうか・・?
そしてこれのデカいやつ、っていうか「自分が何モノなのか?」「世界はどういう仕組みでできてるんだ?」みたいな深淵なテーマでこれが起こるとブッダのような“悟り”が得られる、ってことなんだろうか・・
その正体はよくわかりませんが、とにかくこのとき私は、「全部マインドが作り上げたものなんだよ。」という意味が「わかった!」と思ったのでした。



「わかった!」と思ったからといって、これまでの解釈が間違っていた!ということではないんです。
ただ深まった、という感じ。
だから阿部さんが(ちなみに阿部さんは人生で何度も悟った、と言っておられます。)「悟りを得た人と、得ていない人と何が違うんですか?とよく聞かれますが、何も変わりません。」とおっしゃる意味も分かったような気がしました。



阿部さんはこうおっしゃいました。
「『思考は現実化する』って有名な言葉があるけれど(ナポレオン・ヒル博士のものです。ちなみに私は博士が推奨するPMAプログラム<ポジティブ・マインド・アチチュード>のユーザーでもあります。)、あれは誤解なんだよ。
っていうか、みんな間違って解釈している。
思考は現実化する、っていうと強く願ったことほど現実として叶う、というように思ってるだろ?
そうじゃなくて現実化するもなにもそもそもこの世の中は全部、思考(=マインド)で出来てるんだよ。」



ここまで書いて思いましたが、この言い方だけだとちょっとスピリチュアルをかじった人なら、
「あ~ぁ、わかってるよ。何度も聞いたよ、その言い方」
と手垢のついた表現にしか過ぎないと思うでしょう。
私も、そう思います。
実際にこういう講演会やらせっせと興味深いワークショップなどに私が出かけるのも、“思考の上でだけはすでに理解していることをいかに違う角度からもっと深く自分のなかに落とし込めるか”というものを見つけ出したくて出かけてゆくんだ、と言っても過言ではないですからね。
そして時にそんな自分をさもしい、と思います。(笑)



だって、私たちは「すでにすべて必要なものを持っている存在」なんですから。
「自分はありのままでいい」ってことだけを改めて気付けばいい存在なんですから。
それもまた頭ではわかっているのに、せっせと「もっと情報を取り入れたい」といろんなワークショップに出かける自分というのは矛盾していると思わざるを得ません。
・・・という自分もまた認めたうえでぇ、なんて自分を肯定するわたくし。
えぇえぇ、どこまでも自分は肯定しますよぉ。



あ、ちなみに阿部さんが最初に
「自分のことをこの世で一番大切、可愛いって思ってる人」
と全員に聞きました。
もちろん、誰も何も声はあげませんでした。
いきなり手を挙げるような人もいませんでした。
すると阿部さんはこう言ったんです。
「こういうことを聞くとね、いいえ、違います、私は自分のことが一番大切なんじゃありません、っていうように首を横に振る人がいるんだけれど、それは嘘だね。
みんな自分のことが一番大切で可愛いんだよ。
あの人は大切な人だ、この世で一番大切な人だ、って思う人がいるって言ったって、それは”自分にとって大切な人”だろ?
だから自分が一番大切なんだよ。」って。
ちなみに阿部さんが言いたかったのは、そんなにも大切な自分なのにほとんどの人が自分に厳しすぎる。
自分を許していない。認めていない。
もっともっと、って思っている。
だからそういう人に「もっとこうなれ。」とか「おまえは甘えすぎている。もっと自分に厳しくなれ。」なんて言ったら傷つきます、みんなもっと自分に優しくしていいんだよ、って続いたんですけれどね。



さて彼の人生相談、「仕事上での上司とうまくいかない」ということが彼の頭のなかだけで起こっていることだ、というのはどういうことなのか?
これをあまり平たく解説してしまうと手品の種明かしを先に聞いてしまうと、
「なぁ~んだ。そんなことか。」とその手品自体も薄ぼけて見えてきてしまうということと同じことが起こりそうな気がするのであまり気に染まないのですが・・
やってみます。



「彼」という存在があることは確か。
「上司」という存在があることも確か。
まぁ、これも厳密に言うと私たちはワンネスの存在ですからすべてはゲームの登場人物みたいなもので実際にはただ1つの存在しかないのだ、と言えば別々の存在ではない、ということになりますが・・
そこまでは今は言いません。
現実の今世にはそれぞれの存在としてある、ということにします。
で、仕事で何か不具合が起こったことも確か。
以上です。
現実に事実として存在していることはそれだけです。



それを「彼」は「ひょっとしたら上司は俺のことを嫌いなのではないか。」とか「辞めさせたがっているのではないか。」と考えているとしたら、それはあくまで「事実」を基に「彼」が構成したストーリーにしか過ぎませんよね。(個人情報がありますから、この話は少し実際の質問者のものとは変えています。)
彼はだからこの上司とはうまくいっていない、と考えているけれども、ひょっとしたら上司側からこの状態を見たら、
「うんうん。彼は最近よくやっているな。少し彼には荷が重いかもしれないけれど彼ならいい経験になるだろうと思って任せたのだから、その結果はすべて自分が責任をとるつもりは最初からある。彼にはなんの責任もない。ミスもするだろうけれども、それを乗り越えて大きくなってもらいたいものだ。」
と見守っているに過ぎないのかもしれないわけです。
すると状況は全然違ってくるわけですよね。
同じ事実をどう受け止めるかは「人によって違う。」
同じ事実を角度を変えてみれば同じ人が見てもまた「違った状況」に見えてくるかもしれない。
だから、「彼」が質問で語ったストーリーはあくまでも「彼の思考が作り上げたものだ」と阿部さんはおっしゃったわけです。



そんなことぐらいはわかっている。
人によって捉え方が違うのもわかるし、見る角度を変えたら違ったものが見えるかもしれない、というのもわかる。
だからといって「思考がすべてこの現実をつくりあげている」というのは飛躍だろうが、と思ったあなた。
チッチッ(人差し指を横に振った音)
だから言ったでしょ。
手品のトリックは聞くものじゃない、って。
手品のトリックをこう指を動かす練習を積めばいいわけか、という体育会系の要素と人の心理の盲点をつけばいいわけか、という心理学からこのトリックが出来上がっているわけだな、という分析をしても面白くないでしょう。
分析よりも、そこから思考の翼を広げていくほうが面白いって思いませんか?






***************************************

  ★オーラソーマセッションご希望の方・営業案内は、
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan1963
     ※ページから直接「予約フォーム」に入れます。
  ★それ以外の情報・HPは、
   →http://sasara.info
★アニマルコミュニケーション関係は、
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan9015
  ★全国一律1品から送料無料
    支払方法は振り込みです。
    振込先はゆうちょ銀行と普通銀行があります。
    ゆうほ銀行に口座をお持ちの方であれば振込手数料は発生しません
    が、それ以外は振込手数料が発生することをご了承ください。
    製品の大きさによって通常郵便か宅配便を利用するかはこちらで
    決めさせていただきます。ご指定はできない場合がありますので、
    ご了承ください。

   すべて、お問い合わせは
     chakra@aura-soma.name
までお気軽にどうぞ!

**********************************

阿部敏郎さんの講演会での気付き

2014-11-26 09:04:46 | 精神世界
一昨日の祭日は、名古屋のミッドランドスクエアに阿部敏郎さんの講演会を聴きに行ってまいりました。
私は、阿部さんの本「今ここ塾」を読んでからのファンです。



そうそう!
そういえば、京都でぴーちゃんのワークショップがあったときにぴーちゃんに「阿部敏郎さんって知ってる?」って聞いたら、
「あぁ、うちのサロンにも何か買いに来てくれたことあるみたいだよ。ぴーちゃん、そのときいなかったんだけどね~」と言っていました。
私がそのようにぴーちゃんに聞いたのは、今の阿部さんが住んでらっしゃるのが沖縄だからです。
どうしてなのかな~
スピリチュアルに目覚めた人って沖縄に居を構えたくなる人が多いみたいですよね。
私も沖縄には憧れるけれど、住みたいとまでは思わないな、今のところ。
もっともっと深く悟ればそのうち「沖縄に住みたい!」とか言い出すんだろうか・・
ま、それはいいとして。
ぴーちゃんの話を聞いて、沖縄ってやっぱり小さな島なのかなと思いました。
それかスピリチュアルに目覚めた人にとっては狭い場所なのかな。
私は阿部さんがオーラソーマにも興味を持ってたんだ、ってことを少し嬉しく思いました。



閑話休題。
阿部さんはお話がとても上手で、講演会もとても面白い。
内容そっちのけで、阿部さんの会場に訪れている聴衆さばきを見ているだけでも面白い。
私は講演会ってほどではありませんが、接客講師だったりティーチャー、ファシリテーターとして人前で話す機会もあるのでついそういうところに目が行っちゃうのかなぁ。
阿部さんには根底に聴衆に対する愛がある。
愛があるから冗談でちょいとキツめのことを言ったって「それは言いすぎだろ」という感じがまったくしない。



この日もね、半分ほどの時間が「何でも質問タイム」に費やされたんです。
最初の2,3人は良かった。
しかし、質問なのにだらだらと自分の話がつづき、「で、あなたの質問は何?」っていう方、ときどきいらっしゃいますよねぇ。
そんなとき阿部さんは、
「ハイ、あなたを指したことを後悔しています。(笑)」
なんて平気で言っちゃう。
でもニコニコ笑いながらで傷つける感じではないし、何よりこういうことを言ってくれることによって、内心、(はぁ・・ この人、何が言いたいんだろう)と思っているほかの聴衆をケアしていることになると思う。
質問者の質問をさえぎらずに最後まで話を聞くことは大切だと思うし、どんな人も1人1人を大切にしなくては、と思いすぎるとこういうお門違いな質問者にも妙に真面目くさって「うん、うん。」なんてふつー聞き込んじゃうんですよね。



余談ですが、オーラソーマでは「シェアする」と言って「個人的な体験を聞くことによって、我が事のように共感して自分自身の気付きともする。」というところがあります。
だから、非常に個人的な体験などの話が深まることもよし、とするところがあります。
私はそういうときに(空気読めよ。)と思う時があります。
そういう人は「個人的な話をしても良い。」ということと、「今のこの時間を個人的に使っても構わない。」ということをはき違えているんだと思うからです。
個人的な体験を話す人ほど、質問している本人とされている側の2人しかこの世には存在しない、という世界観に入って行ってしまわれる方が結構いらっしゃるからです。
いくら受け止め方はそれぞれだから、と言ったとて、この今の自分の話が全員のためになるならば、という気持ちがどこかに常にあって個人的な話をしなくてはいけないでしょう。
「え? それなんのこと?」とそもそもの説明が必要な話だったり、これが言いたいためだったらエピソードの披露は今の1つで十分だったろう、というストーリー展開だったり、要はその時間を自分だけでかっさらっていっちゃうだけのような人には閉口します。



でも、これまで私はそういう人は自分のしていることに気付きながらもそうしているんだ、と思っていました。
ちょっと外れちゃってるかな、ちょっとみんなほかの人たちは関係ない、って顔してて申し訳ないな、と思いながらも「わかっちゃいるけど、やめられない。」(このフレーズ知ってる人は相当の年齢だね。)とやってるんだ、と思っていたのです。
でも、阿部さんの講演会での質問者の方々を見ていて、「違うんだ! まったく周りのことは見えていないんだな。」ということに気付きました。



というのも、この日の最後の質問者の質問は聞いていてもちょいと迷路に入っちゃったような、「この話、どこへいくんだろう?」というような感じでした。
だから阿部さんが時折、茶々を入れたんです。
その茶々は質問者の彼以外には、
「ほらほら、ちょいと一呼吸入れて。」という阿部さんからのサインだったり、
「そろそろ本筋に話を戻してよ。」というリクエストだったりしている、ということがわかるんですが、彼にはそれはまったく通じないらしく、
「だからぁ。ボクはそのときこうこうこういう具合で・・」とか、むしろ「阿部さん、ちゃんとボクの話、聞いてる?」「わかんないならもう1回詳しく言うけれどもぉ。」みたいに受け取っちゃって受け答えするんですね。



私は彼だけが特殊な例なのだ、とは思いませんでした。
というのも、そもそもこの質問タイムに入ってから徐々にこうなっていったのだ、起こるべきことが起きているのだ、という気がしていたからでした。
質問者が4人目くらいになったときだったでしょうか。
その人は自分の具体例を挙げながら、少し長めの質問をしました。
その人自身には私は「シェアというものがわかっていない。あなたの質問タイムはあなたのためだけのものではなくて、全員のためにあるのだ、という意識がない。」とは思いませんでした。
けれども、質問タイムが長引いたことだけは確かです。
そうすると、(あぁ、あんなふうに自分のエピソードを長々としゃべってもいいんだぁ。)という部分だけを自分に都合のよいように解釈する人が必ず出てくるんですね。
だからその人以降の質問者は全員、個人的体験、エピソードを長めに語る、というように続いていきました。



で、私は何が言いたかったんだっけ・・・?
そうそう、空気は伝染していくんだなぁ、ってこと。
そして私は、なんだかこういう質問者のことを「おかしいだろ。」と思いつつも、やっぱり笑って楽しんでいるのでした。
まともな質問ばかりをする人たちばかりで終わるより、面白かった。
淡々と、粛々と流れによどみがないような講演会とかセミナーよりこういう異分子のような人がいて、それでまたこちらも気付かされることがある。
“気付き”って「気付きたい、気付きたい。」って思ってて気づくことよりも、
「ひゃあ、そうきたかぁ。」みたいな思いもかけぬことから意外なことに気付く、ってことのほうがなんだか楽しいじゃないですか。
そんなことを思ったのでした。



ありゃ。
いつもの私の悪いクセですが、阿部さんの講演会で私が気付いたことのなかで一番どうでもいいことから語っちゃった。
もっとほかに大切なことがいっぱいあったのに。
またそれは明日以降に語ることにいたしましょう。



***************************************

  ★オーラソーマセッションご希望の方・営業案内は、
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan1963
     ※ページから直接「予約フォーム」に入れます。
  ★それ以外の情報・HPは、
   →http://sasara.info
★アニマルコミュニケーション関係は、
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan9015
  ★全国一律1品から送料無料
    支払方法は振り込みです。
    振込先はゆうちょ銀行と普通銀行があります。
    ゆうほ銀行に口座をお持ちの方であれば振込手数料は発生しません
    が、それ以外は振込手数料が発生することをご了承ください。
    製品の大きさによって通常郵便か宅配便を利用するかはこちらで
    決めさせていただきます。ご指定はできない場合がありますので、
    ご了承ください。

   すべて、お問い合わせは
     chakra@aura-soma.name
までお気軽にどうぞ!

**********************************