ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

恐怖が癒しに!?

2008-07-31 07:42:47 | ヒーリング

どうも現代人にとって「恐怖」とは癒しらしい・・という話を知っていますか? 

どういうことか、と申しますと、何に対して癒されるか?というのはもともと人それぞれってことですよね。

 たとえば、自然に触れたり、緑があるところに行ったりというといかにも癒されるようですが、毎日自然に触れたり、目の前が緑だらけという郊外に住んでいる人にとってはそれは見慣れた光景でそれで癒されるというものではありません。むしろ、都会に来て、超高層ビルに泊まり、エアコンの効いた部屋でテレビでも見ているほうが癒される、ということになります。

 私のように郊外にいって滝をみたり、小川のせせらぎをきいたりして「アーマイナスイオン!」といって喜んでいるのは街中の喧騒の中に住んでいる人間でしょう。

これと同じ理論で、人間は普段の日常生活のなかでは味わえない感覚や感情に出会うと癒される、という理論です。

 

では、現代のなかで日常的に最も味わうことのできにくい感覚や感情とはなにか・・というとそれが「恐怖」だというのです。それも死ぬほどの。

 俺はマフィアでヤクの密売をやっていてしょっちゅう対立している組織から命を狙われているんだぜい、とかグラディエーターなら別ですが、まあそういう方は私のブログをあまり見ていらっしゃるとは思えないので、ごく一般的には「死ぬかもしれない恐怖」というものに日常的にさらされてはいないと思います。

  これが原始時代だったらどうでしょうか? 男は毎日のように洞穴から狩りに出かけなくてはならず狩りに出かければ当然倒す、倒されるという関係でどちらがいつ倒されるかもしれないという恐怖にさらされているわけですし、女は洞穴で待っていてもドアにかぎをつけるわけにもいかず、いつ猛獣が穴の中まで襲ってくるかもしれない恐怖にやはりさらされていたわけですよね。こうなると恐怖は日常です。

  そしてこの恐怖を感じる脳が俗に「爬虫類脳」と呼ばれているもっとも原始的な脳のなかでも奥のほうに存在する部分で、これが昨今の人間はあまり使われていないそうなんです。

使われていないものは、筋肉でも同じですが萎縮します。少し使っていない筋肉をストレッチなどで伸ばすと痛いながらも気持ちいい、やっぱりたまには使わなきゃなあ、という気になるものですが、爬虫類脳もそれと同じでたまにはストレッチして使ってやらなければいけないんだとか。それが、あえて「恐怖」を味わう、ということにつながるのです。

ジェットコースターに乗る、ホラー映画をみる、これらは爬虫類脳を刺激するので現代人にとっては、たまにはとってもいいようです。

もっとも、それが確実に安全だ、と確認された状態で行われることが条件ですが。最近では結構ジェットコースターの点検不備による事故なども起きているのであまり信じられなくなってきましたよね。

 いちばんいいのはやはり、恋人同士がしっかりと手を握り合ってみるサスペンス映画でしょうかねえ。

ちなみにダーリンはホラーとかサスペンスとかが大好きで、DVDをよく借りてきます。しかも世間が「おもしろい!」とお墨付きを与えたものはオイヤらしくて、自分が「おもしろい!」と初めてお墨付きを与えたいらしいのです。だから、ダーリンが借りてくるものはすべてB級で、三流以下のものばかりです。

見始めてものの10分もしないうちに「おもしろくなーい! こんな駄作よく作ったなあ!」と言ってやめてしまうことも少なくありません。

 私には、いくらは虫類脳のストレッチのためだ、といわれてもホラーやサスペンスの良さはあまり理解できないのでおつきあいしかねます。サイコホラーのような心理的なサスペンスものならまだ、いいんですけどね。

 ダーリンの好みはオチも何もなく、ただくらーく、救いようもなーく、終わっていくものばかりなんです。

  最初は、「何で、こんなものがすきなんだ! この人はどっか精神に欠陥があるのでは! 健全じゃないわ!」と思いましたが、今では、「よしよし、古代脳の手入れをしておるな」ぐらいに思っています。でもやはり、おつきあいはしかねます。私にはど~もオチもない怖さはストレスになるだけのようです・・

そりゃあ、「気付き」による癒しのほうが良いに決まってますよ!ね!今まで読んでくださった皆さんならそう思うでしょ?


思考は現実化する

2008-07-30 13:35:37 | ヒーリング

以前に、ちらっとだけこの一行、「思考は現実化する」と書いて、これについてはまた後日お話したいと思います、と述べました。

 実は、「思考は現実化する」という発見(?)、理論(?)、定義(?)、哲学(?)は、ナポレオン・ヒル博士がその名のとおりずばり「思考は現実化する」という本を出しています。

 そして、私はナポレオン・ヒル財団リソーセスのPMAプログラムという考えなくても自然にポジティブな行動をくりだせるようになる、というコースを以前におさめたので、この理論のいわんとするところは十分にわかっているはずでした。

 「次々に起こる奇跡3」で、「否定的な言葉で願い事をしても的が外れたところに一生懸命弓矢を放っているようなもの」「イメージしやすいことで願いを考えたほうがよい」というのもそれです。



私はさんざん「自分は何をするためにこの世に生まれてきたのか?」「何を成し遂げるべきなのか?」「ほんとうにこれだ!と思えるものに出会うためにはどうすればいいのか?」などを常に模索してきましたので、いろいろとあっちにゴッツン、こっちにどすんとぶつかってもきました。

  一時、「自己啓発セミナー」がはやりましたが、ああいうものにはなぜか胡散臭いものを感じていたので受けたことはないんですが、とにかく自分なりに答えを探し続けて魂の放浪をしてきたわけです。今では、そのどれひとつとして無駄なものはなかった、と思えますがね。当時は足踏みのように感じてもいました。

  ターコイズの要素を多く持っている人というのはチャクラでいうと、第4チャクラと第5チャクラの間に4.5チャクラというものがあり、ここは「アナンダカンダチャクラ」と呼ばれ、常に「私はなにものだ?」「どこからやってきたんだ?」ということを考え続けてきた、といわれています。まさにそれだったんですねー。

 私のこれまでの「魂の放浪の旅」についてはまた機会があればお話したいナーと思っています。



さて、「思考は現実化する」ですが、最近私にとってはこの理論をさらにわかりやすく簡潔に紹介してあるものに出会ったので今日はぜひ皆さんにもそれをご紹介したいと思います。

 ウォレス・ワトルズという人の「引き寄せの法則」という本です。この人はなんと、実際にナポレオン・ヒル博士の師匠のような存在でした!今、新たに話題になっているらしく本屋さんでもこの方の微妙にタイトルの違う本が一杯並んでいるので、すぐにわかると思います。どの本も言わんとすることは同じです。ただ、本を手に取るときのきっかけというか、対象者別に若干違っているだけで内容は常に一貫しています。

まず、ウォレスは、

「万物は、ただ1つの見えない『思考する物質』が元となってつくられている。この『物質』は原始の状態で、宇宙空間の隅々に満ちている。」といいます。

私はもうこの一行でやられちゃいましたねー!

「思考」を「物質」と言い切ったこの潔さ! でも、確かにこう考えたほうが私の中ではぴしーっと「だから現実に夢が実現するときもかたちとなってあらわれるんだ!」と納得できたのです。

  そして人は自分の思考をこの「物質」に投影することで、つくりたいと思うものを現実に出現させることができる、というのです。

  また、その「投影の仕方」というのは、自分に与えられた恵みに心から感謝をささげることでこの「かたちのない物質」と完全に調和でき、自分の思考を「かたちのない物質」に伝えることができるといいます。

すばらしい! 実にすばらしい! なんだか抽象的なことで今までイマイチ「ほんとにそんなことをしていて自分は自分のやりたい道が見つかるのだろうか?」「豊かになれるのだろうか?」と思っていたことが、科学的に解明されたようなすっきり感を味わいました。

以下、ウォレスの言うことで私が非常に気に入った部分を抜粋してご紹介いたします。

                   ★

「この世には感謝の法則というものが存在します。感謝の法則とは『作用に対して同じ大きさの反作用が起こる』という自然の法則です。感謝を伝えると力が放出され、その力は必ず神に作用します。すると即座にその反作用として、あなたに向かって動きが生じるのです。感謝の気持ちを強く長く持てば、かたちのない物質も同じだけ強く長く反作用を生じて、あなたが欲しいものを何でも引き寄せてきます。

  感謝している人は、常に自分がいいものがもたらされるという期待を抱いています。そして期待は信念へと変わっていきます。感謝という作用の反作用として、心に信念が生じるわけです。

  感謝の気持ちを送るたびに、信念は高まっていきます。感謝の気持ちを持たない人は、確信を持ち続けることはできません。そして確信を持ち続けなければ、創造によって豊かになることはできないのです。」

(感謝って無償の行為じゃないといけないって感があったけど、期待していいんだ~!)

                  ★

「すばらしいものをくださいと神に強要するのは、意志の力で太陽を昇らせようとするようなものです。そんなことをしなくても、望んでいるものは得られます。神はあなたの味方です。あなたが望んでいる以上に、あなたに与えたいと願っているのです。」

(うわあ! 私が望んでいる以上にくれちゃうんだあ!)

                  

あなたにとっては、もっとお気に入りの言葉、もっと脳天をがーんと直撃されるような衝撃的な一文に出会うかもしれませんよ。

ウォレス・ワトルズの「引き寄せの法則」、ぜひおすすめです。

これからも私の出会った「良いもの」「心がわくわくするようなこと」をどんどん紹介していきたいな、と思っています。


ステキな仲間たちとの出会い⑤

2008-07-29 23:08:37 | 出会い

 ちーちゃんのお友達で、やはり「涙が出るくらいステキなピアノ」を奏でる人というのは、青木美佳さんという方でした。ドイツでシュタイナー教育を学び、ピアノで人を癒したいと考えて、音楽療法士になることも考えたそうです。

彼女のコンサートが坂祝の古民家でありました。

これまたいきなりハートを射抜かれてしまった私。

日本の唱歌をアレンジしたシリーズ、ゲーテの詩に美佳ちゃんがメロディをつけて歌いながらピアノを弾いたもの、詩の朗読にあわせて伴奏・・・ 

 いろんなメニューがあり、そのどれもが異次元のように心が洗われました。

ピアノもすばらしいけれど、彼女の歌声もすばらしい!

そして、「WING」の濱島青年と共通しているなと思ったのは、やはり美佳ちゃんのピアノも歌声も決して繊細なもの、というだけではないんです。力強さがある。1本芯が通っている、というか。

  また、詩の朗読もよかったんだよねえ。その方の娘さんがダウン症で、最初はどうしようか、と思ったけれどだんだん生きてることのすばらしさを彼女から教えてもらえるようになって本当に人生ってすばらしいものなんだ、ってことを詠った詩なの。

  やっぱ、年とって涙腺が弱くなってるのかしら。すぐダムが決壊するんですわ。

あたしとすみちゃんはぽろぽろ涙が出ちゃって、あたしの様子を横でみていたすみちゃんは、ハンカチで涙を拭きながら、

「えっちゃん、ハンカチ持ってきてないやろ。そっちのはじっこ、使っていいよ。」というので、お言葉に甘えてハンカチのはじとはじをもっておいおいと泣く熟年女の図は、ほかからどう見えたことでしょう・・・

  きっとみんな、いろんなことがあって、でも、自分を愛せるようになったんだろうなあ。

  昔、映画のコピーで、「ほんとうに優しいものは強くなくてはいけない。」とかなんとかいうようなのがあったけれど、「~なくてはいけない」っていうよりは、そうなっちゃうんだろうなあ。強いから優しくなければならない、ってこともわかるんだろうしね。



  美佳ちゃんは今年いっぱいは自分がドイツで学んできたことの集大成、日本で一歩を踏み出すための足固めの年、と決めていて、だからお金はとらないんだって。それでがっぽがっぽ儲けろ、とはいわないにしても霞を食べていきていくわけにはいかないんだから(いや、プラーナさえ食べていれば生きていけるか!?)、必要最低限の活動費はとってもいいんじゃないの、と仲間うちではああや、こうや言ってましたが、彼女の意志は固いみたいです。

 だから、皆さん、今年のうちですよ。彼女のピアノをタダで聴けるのは。来年以降はがっぽがっぽ儲けてもらいますからねえ。

ひととおりのメニューが終わったあとも「皆さん、リクエストがあれば何でも弾きますから」と“流しのピアノ弾き”のようなありがたいお言葉。また、いろいろ弾いてもらっちゃっいました。

冗談っていうか、ほんの出来心くらいの気持ちですみちゃんが「濱島青年と青木美佳ちゃんがコラボレートしてコンサートやったらすばらしいものができるのに。え? クリスマス日程空いてる? じゃあ、やりましょうよ。」といった一言がきっかけで、ほんとうにそのコラボレーションが実現しそうです。

  引き合うものは引き合うんだねえ。すばらしい。

  これだって、偶然とは思えない。何か、出会うべくしてであったという必然があるんだ、と思える今日このごろです。

きれいなものを聴いて心の洗濯ができたあとは、胃袋に何かつめようというわけで、ちーちゃんたちと一緒に、「手作りこんにゃくのおいしいお店」に行きました。

正直、内心では、(どんだけおいしいつったって、こんにゃくはこんにゃくでしょーよ)という気持ちがあったのは確かです。



  それがこれがまた!うま~い。初めて、こんにゃくをおいしいと思いました。普通のこんにゃくより水分の含有量が多い、って感じでフルフルしてるんだけど、口の中に入れてみると意外に食感がしっかりしている、って感じ。

  思わず、買って帰ってしまいました。

  ふう~、今日もいい一日でした。なんだか自分が心地よく暮らしていると、やっぱり心地よく暮らして生きたいと思っている人たちとどんどん出会うことができるようになるし、それがまた参考になったり、刺激しあったりで世界観が広がる。知識が広がる。興味が広がる。情報が得られる。で、わくわくするような日々がつづきます。

  水野晴郎並みに、「いやあ、人生ってほんっとにいいもんですね。」と叫びたい気分です。


ステキな仲間たちとの出会い④

2008-07-28 21:06:54 | 出会い

 ある日、友達のすみちゃんからこんなメールがきました。

「涙が出るほどに美しいバイオリンを奏でる青年がいるんですけど、一緒に聴きに行きませんか?」と。

 

このすみちゃんっていう人がまたすんごいパワフルで、すばらしい人なんです。

話せば長くなるし、涙なくして語れない壮絶な人生を送ってきているんですけど、そんなところを微塵も感じさせない根っからの自由人です。

 西に困っている友達がいればほうっておけずにかけつけ、東になにやらステキな催しがあるらしいよ、と聞きつければそのまま寝ずにかけつけ、次の日にはなんでもない顔をして仕事でっす!と駆け回っています。魔女のような人です。

オーラソーマにしても私は一番最初に、自分が使っているボトルを見せました。見せました、というより一緒に喫茶店にお茶のみに行ったときに、トンとテーブルの上に出しただけです。それだけで彼女には十分なんです。

「なにぃ、これ~!!  この美しいものは何?!」

彼女は、美しいものが大好きです。もうそれだけで、「私も欲しい!」ってすぐに言いました。

  それからは怒涛のように彼女の友人が私の元に訪れました。彼女もちーちゃんと同じで自分が感動したものをそのときの温度のままに人に伝えられる人なんです。そのエネルギーとスピードにヒトは竜巻のように巻き込まれ、あれよあれよという間にその前に立っている、というわけです。

そんな彼女がまたも心動かされるものに出会ったわけです。

これは、聴きに行かないわけにはいきません。

場所は普通の喫茶店。「ここで、コンサートが・・?」と思いましたが、彼の最初の弦に触れた旋律を聴いただけですべてのことはぶっとんでしまいました。

  正直、「涙が出るほどに美しい・・」ということは、すごく繊細でコトっとも音をたてずに聴き入っていないと聞き漏らしてしまうくらいのひそやかな音色なのかと思っていました。

  でも、そうではありませんでした。意外に力強い音色なんです。

  そうですねー。オーラソーマのボトルにたとえて言うならば、しっかりと地に足がついてるけれど、天ともつながっているような・・つまり、上部に天とのつながりを現すバイオレット、下部に地とのつながりを現すレッドをたたえた65番のボトル、その名も「ヘッド・イン・ヘブン・アンド・フィート・オン・アース」って感じでしょうか。それともその色合いにさらに光をあてて、上部がペールバイオレット、下部がペールピンクになった66番の「アクトレス」でしょうか。「アクトレス」というと、なんだか「自分を隠して仮面をつけてる」というような意味に取られる方も多いみたいですが、そんなことはありません。このボトルは当時の有名な女優にちなんでそう名づけられただけで、人に尽くすこと、人に尽くされることについて理解をもたらす、という意味もあるくらいです。

そんなことでその濱島青年という音楽療法士のバイオリンの音色は理屈抜きでズキューンと私の心を射抜きました。音楽は耳で聴くのではない、心で聴くのだ、といいますが、まさにそれを実感したときでした。私には音楽の専門的な技術部分についてのことはわかりませんが、そういうテクニックを超越したところで、彼の音色は直接まっすぐに私の心の扉を開けてしまった、という感じだったのです。

  すみちゃんの表現は決して大げさなものではありませんでした。ほんとに「涙がでるくらい美しい」。

かれ、濱島青年は単独でも音楽療法士として活躍しているけれど、フルートとピアノと3人で「wing」というユニットを組んでいて、そのオリジナル曲も2曲紹介されました。なんとこれがまたステキな曲! 溝口肇何ものぞ、って感じですよ。秋にはCDが発売されるそうです。ぜひ、CDを身近におき、いつでも好きなときにきれいな涙を流して自分を浄化したいものです。

 このときに、③でご紹介したちーちゃんも誘っていたんです。ちーちゃんはお友達3人と一緒に来てくれていました。そして、みな異口同音に同じ感想を述べ合いました。

私は恥ずかしながらそれまで「音楽療法士」という職業があることを知りませんでした。

 すると、ちーちゃんがこんなことを言うではありませんか。

「私の友達にも似たような主旨で音楽をやっている人がいるの。彼女はまだドイツから帰ってきたばかりで、ピアノを弾くんだけどね。こんど、美濃加茂で彼女の演奏会があるよ。」

行くっきゃないでしょー。

行きますとも。

というわけで、そのときの話はまた後日。


ステキな仲間たちとの出会い③

2008-07-27 21:12:07 | 出会い

 ちーちゃんは、①で紹介したjynちゃんと一緒にオーラソーマを習ったお友達です。彼女とも勉強会で知り合いました。

最初に、ちーちゃんのことを「すごいな~!」と思ったのは、

“この人はなんて熱くオーラソーマのことを語るんだろう!”

ということでした。

オーラソーマに対する気持ちでは誰にも負けないつもりだったのに、口火を切ってもあまり興味を示さない人やハナから「わたし、そういうアヤシソウなもの、ダメ!」みたいなオーラを発散している人には引いてしまっていた私・・・

だけどちーちゃんは、どんな人にも臆せず、自分が感動したときの温度そのままに熱く語れる人なんです。そうすると、引き気味だった人もあら、不思議!

なんか興味出てきちゃった、あたし・・みたいな感じになってくるんですよね~!

  だから、ちーちゃんの周りにはちーちゃんの思い入れの深さをそのままコピーしたような思い入れの深い人がいっぱい!

彼女は5月の連休明けに自宅での開業をスタートさせたんですが、そのときオープニングパーティに呼んでいただきました。

すてきなイラスト付のハガキが各種(同じイラストの人のものだけど、絵もコピーも違う種類のものがいっぱい)置いてあって、ちーちゃんが「えっちゃん、今日来てくれたお礼だからこのなかからどれでも好きなものを持っていって」と言ってくれました。そのなかで私が選んだのがこの1枚です。

054 「『思い切り幸せになること』生まれたとき天があなたに命令したことといえばそのくらいのものですよ。」

もうっ!なんてすてきな言葉なんでしょう!

ほんとにそのとおりだと思います。

これだけの言葉のなかからいろんな気付きがあります。

「そこそこ幸せだけれど、思い切り幸せといえるだろうか・・」

「思い切り幸せ、と言い切れるようになるためには思い切り努力もしなくてはそういう境地になれないのではないだろうか」

「幸せになることが、天からの応援ではなくて、天からの“命令”だったなんて! なんてすてきなの!」

「自分が幸せでいなくちゃ、人を幸せにできないもんな。」

「しかし、幸せでいることにとどまっていていいんだろうか。」

    ・・・などなど。

私は小さい頃、「おとなになったら何になりたいの?」という問いに対して、そのつど多少答えは変わったものの、常に「職業」を答えていました。そのときの職業はこども心ながらに一生懸命「天職」を模索していたと思います。自分がなりたいからだけではなくて、それをやることが私だけに課せられた使命みたいな職業が必ずあるはずだ、というように。

  だから、「お嫁さんになりたい」と答える同級生がいると内心腹立たしく思っていました。「それって、努力しなくったってなれるものじゃん!誰だって結婚ぐらいしてるじゃん!そんな努力しなくったってなれるもの答えたって、それが希望っていうなんてなんて情けない!」と。(まあ、えらそうなこと言う割りには、その本人がいつまでもその結婚さえできなかったんですけどね・・)

  しかし、今になってようやくその同級生たちのほうが的を得ていたことに気付くわけです。「幸せになりたい」ってことを言ってるわけですもんね。

  まあ、いまだにいつもいつも「いつかは幸せになりたい」と思っていると、自分の足元にすぐある幸せを見落としはしませんか、っていう程度のおせっかいというか、苦言は呈したい気はあるとしても「思い切り幸せになること」に貪欲だったのは彼女たちのほうだったかもしれません。つまり、「お嫁さんになりたい」という同級生のほうが、天の意思にかなっていたわけですか。ふーむ。

    ・・とかね。

まあ、このようにいろいろ考えたり、気付いたりさせていただけるわけですよ。

  考えたり、気付いたりできる私って幸せ。

長くなってしまいましたが、私がこのハガキを選んだとたん、ちーちゃんは、

「えっちゃん! それ、私と同じ! 私もそれを自分用に選んだんだ。」って。

そうかい、そうかい。我が同志よ、って感じですよね。

彼女とはこんなこともありました。

彼女は「赤毛のアン」が大好きで(なんと、舞台となったカナダのプリンス・エドワード島を訪ねたことがあるってくらい!)、その話を聞いた次の日、私は会社の人間に頼まれて郵便局に行きました。

  そこで、ふと(あ、ついでに切手も残り少なくなってたから買っておこう)と思って、「80円切手、10枚ください。」と申し出ました。すると郵便局の人が、「80円切手10枚なら、今、記念切手も出ていますが、どうされます?」といいました。(会社で使うヤツだから、どんなんだっていーや)と思いながらも、一応「どんなのですか?見せてください」というと、なんと、それが、赤毛のアン! しかも赤毛のアンのファンじゃなくても欲しくなるようなそれはそれは美しいシートだったんです。もちろん、それを買うと共に、早速ちーちゃんにも教えてあげなくちゃ、とメールしました。

  その日の夜、彼女から「3枚も買っちゃいました」というメールが来ました。

しかし、不思議だよなあ~

わたし、こんなことからも思います。

自分が望んでいることやモノは、人前で口に出して言ってみるべきだって。

自分ひとりの力はたかがしれています。でも、「私はこういうことがしたい!」「私にはこういう望みがあるんだ!」ということをあちらこちらで話すことによって、それがな~んでもなく簡単に手に入ることってあるんです。

  もちろん、そのためには「こういうこと」や「ああいう望み」のために自分自身がちゃあんと努力していることが大切ですけどね。果報は寝て待て、といいますが、これには寝て待つ前までの努力が語られていません。もう寝て待つくらいしかやることはなくなった、すべてやるべきことはやりつくした、という意味に捉えたほうがいいんじゃないか、と思います。

  その努力を見ていた人が、「あいつのためなら協力を惜しまないぞ」という気持ちでいてくれると、どこからかそれが目に付いたときに教えてくれます。

「あんなやつのためにほんの少しでも立ち働いてやるもんか」と思えば、目の前にその人がのぞむものがあっても「めんどくさ」「別にそこまでしてやらなくても」とか、まあ、そこまで思わなくても忘れちゃってるでしょうから、何事も起こらない、ということになります。

  なんか、こう思うと強く願う気持ちって言うものは、空間を伝わって伝染していくんだな、と思います。

ちーちゃんとの出会いにより、またステキないろいろな人たちと知り合うことができました。

  それについては、また長くなってしまいますので、日を改めることにいたしましょう。